まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

東日本大震災から4年

2015年03月10日 | ブログ
3月11日・・・東日本大震災の日である。あれから4年である。

今年は阪神淡路大震災から20年という節目であり、初めて1月17日に神戸にも行ったが、あの時は20年をかなり前のことに感じたものだ。

それに比べれば4年は短くも、また長くも感じる時間である。

先日、日曜日の報道系番組は東日本大震災関連を大きく取り上げていた。現地からの中継もあちこちからなされており、ご覧になった方も多いのではないだろうか。

中でも「復興が進んだ町」として注目が大きかったのが女川町。私も被災後訪れたことがあるが、高台の病院から見た景色は忘れられない。

女川町は津波で町のほとんどが流されたことから「ゼロからの町作り」を掲げ、若い人たちをメンバーの中心に据えることでさまざまなアイデアを出させた。また「津波に弱い」ことを受け入れる一方で「海と共に生きる」ことに軸を置いた。それらが町の人に受け入れられるところとなり、工事が急ピッチで進められている。今月には場所を移した新しい女川駅も営業するそうで、石巻線の全線運転再開というのは大きいだろう。東北線からのバイパス線もできるそうで、乗り鉄とすれば女川にはぜひまた行ってみたい。

そんな一方で、4年前から時間が止まったかのように伝えられているのが福島第一原発の避難区域。一部の町では帰還することもできるが、大部分が人の住めないままである。この先もどうなるのだろうか。

年月が経つに連れて、被災地間の格差が目立つようになる。いずれ多くの町が、震災前とは変わった新たな形を見せつつ復興ということになるのだろうが、福島はどうなるのかなと思う。

比較して申し訳ないが、阪神淡路大震災のような建物倒壊や、東日本大震災の津波は、破壊されたモノの姿は生々しいが、それを取り除き、新しいものを建てればハード面の復興は可能である。地震ではないが、大雨からの水害に遭った広島の八木もそう。痛々しいが、どんな被害だったのかは見ればわかる。

ただ、福島は津波より放射能である。建物はまだ普通に建っているのに、人は誰もいない・・・これこそゴーストタウンで、悲惨さよりも不気味さを強く感じる。原発の事故は、放射能という目に見えないもの。津波のように一瞬で町をさらうのも悲劇だが、放射能が年月をかけてジワジワと蝕んでいくのも不気味で、しかも逃れられない。

そう思うと、東北の復興というのは果たしていつのことやらとなるが、その前に福島も風化してしまうのではないかと思う。だからと言って私が具体的に何かできるわけでもなし。

せめて、この国のメモリアルデーの一つとして、3月11日というのはいつまでも忘れないというくらいしかないのかなと・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
« 本日は結局休養日 | トップ | トワイライトエクスプレス・... »

コメントを投稿