まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3番「粉河寺」~西国三十三所めぐり2巡目・27(粉河まつりと巡拝団体)

2018年07月29日 | 西国三十三所
13時半に粉河に到着。粉河寺へは駅から一本道の参道を歩いて10分ほどの距離だが、これまで訪ねた中で途中に食事のできる店はなかったように思う。寺とは反対側の国道沿いに行けば何かあるかと向かうと、国道を挟んで和歌山の二大スーパーであるオークワと松源が並ぶ中、まいどおおきに食堂を見つける。ここで昼食をいただいてエネルギー補給ができた。

さて再び駅に戻る。駅前にはだんじりが置かれている。粉河まつりのものだという。毎年7月の最終の土日に行われるとあり、もう1週間遅く訪ねていればちょうど祭りに出会えるところだった。今年は7月28日が宵宮、29日が本宮だから、ちょうどこの記事をブログに載せているタイミングである。これまでさまざまな札所めぐりをしているが、特に何かの行事に合わせてとか、特別な日と絡めてとかいうことは意識しない分(野球の独立リーグ観戦はおいとくとして)、現地に来て「1週間前に来ていればちょうどあの行事を見ることができた」「あと1ヶ月後だったら特別の御開帳が行われていた」ということもある。28日~29日は他地方に出かける予定にしており見物することはできないのだが、何だかこういうものを現地で目にするとちょっと惜しかったなと思う。

粉河まつりは、粉河寺の境内にある産土神社の祭りで、紀州の三大祭りの一つである。その起源をさかのぼれば粉河寺が開かれた奈良時代までさかのぼるが、現在のような形で行われるようになったのは室町時代とも、江戸時代とも、あるいは戦後とも言われている。まあ、さまざまに姿を変えてというところだろう。

駅前の道は片側1車線ずつの車道だが、その道端にシートでかぶせられたものがある。これは山車だろう。また少し進んで行くと、提灯をいくつも飾った山車に出会う。中には「ひげこ」と呼ばれる竹ひごで飾られたものもある。茶道の茶筅のようにも見える。この「ひげこ」は神の依代の役目をしており、神様がこれを目印に降りてくると言われている。

西国の札所めぐりに来て神社の祭りの山車を見るのも意外な展開だったが、季節や時間帯を変えて訪れるとそれまでには気づかなかった新たな出会いや発見があるから、繰り返し来てみる面白さはある。

大門をくぐる。「涼んで行きませんか~」と茶店から声がかかる。食事は先ほど済ませたばかりだし、甘いものは普段ほとんど食さないのでともかくお参りとする。

粉河寺の特徴というのは建物の大きさにある。大門とともに重要文化財の中門があるのも特徴で、その造りの精緻さも江戸時代ならではの技法を感じさせる。

ただ何と言っても豪快なのはこの庭園である。ちょうど寺の人が植栽に水を撒いているところだが、ホースも結構伸ばしてなかなか大変そうである。

暑い中、本堂に到着する。大屋根の下に入ると風が吹き抜ける感じがして意外と涼しい。先ほど水を撒いていた効果なのかな。この暑さの中にあって自然のご褒美かと思い、お勤めを行う。

朱印をいただいてしばらく本堂の縁側の長椅子に腰掛けていると、「クラブツーリズムです」と、団体ツアーの添乗員が入ってきた。バッグには納経帳やら軸が入っていて、納経所の窓口が新たに一つ開けられた。

しばらくすると僧侶姿の先達さんに連れられて30人くらいの団体がやってきた。添乗員と寺の人との会話から、名古屋方面から来た模様である。どのようにお勤めを行うのか外から様子を眺める。結構ゆったりしたペースでの般若心経である。名古屋から和歌山となると、青岸渡寺はそこだけで訪ねるとして、この日は紀三井寺、粉河寺、ひょっとしたら槇尾寺あたりも訪ねたのだろうか。夏場のツアーということで移動するだけでも暑くて大変だろう。

根来寺、粉河寺という紀ノ川沿いの名刹を訪ねて、駅に戻る。当初は、このまま和歌山線で終点の王寺まで行こうかとも思ったが、疲れてきたこともあり、早く帰宅することにした。結局、藤井寺まで最短ルートとなる橋本~南海高野線~河内長野~近鉄長野線のルートをたどった。

西国三十三所めぐりの2巡目もこれで残り7つとなった。その並びは三室戸寺、醍醐寺、清水寺、六波羅蜜寺、圓教寺、観音正寺、華厳寺である。京都に4つ、姫路、近江、美濃で一つとバラバラである。実は28日~29日にかけて、大垣場所とリンクさせる形で先に第三十三番の華厳寺に行く予定にしているのだが・・・。

(追記)ここまで事前に下書きをしていたのだが、東から西に進むという台風12号のために、大垣行きを中止したことは先の記事のとおりである。結果論として、移動日とした28日の日中はまだ鉄道も動いていたし(この日は夜以降に運転取りやめとなったが)、29日も夕方の帰りの時間には鉄道も運転再開見込みだから行けたと思うが、やむを得ない。また、台風のために粉河まつりも宵宮、本宮ともに中止となったそうだ。あの山車は結局練り歩くことなく片づけられるとは、地元の方も残念なことだろう・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
« 第34番「根来寺」~近畿三... | トップ | 別に、西も金子もFAで出て... »

コメントを投稿