まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4番「京善寺」~近畿三十六不動めぐり・14(桑津の不動さん)

2018年05月24日 | 近畿三十六不動
先日まで四国八十八所めぐりの伊予西条、川之江、石鎚山シリーズについて長々と書いてきたが、今度は久しぶりの近畿三十六不動めぐりである。訪れたのは大型連休の真ん中、5月1日である。ちょうど、川之江で四国アイランドリーグを観戦した次の日である。この日は平日だが「メーデー」ということで会社としての特別休日に当たる。5月1日のメーデーに従業員が大手を振って参加できるよう、この日を会社として休日にした・・という経緯がある。もっとも、(私を含めてだが)メーデーというのにどのくらいの人が参加しているのだろうか。組合からの動員で行く方が多いのではないかと思う。また一方では、月末月初の事務処理のために普通に出社する人もいる。

もっとも、今や時代のほうが変わって、メーデーそのものが4月29日の昭和の日や、今年の場合は4月28日の日曜日に行われるところが多くなった。日曜・祝日に行わなければなかなか人が集まらないという背景がある。連合が中央で主催するメーデーすらそうである。ただその中で大阪は今でも「5月1日」というのを守っている。大阪城公園で行われた連合大阪の集会には主催者発表で3万2000人が集まったという。

・・・そのメーデーの集会が行われている時間帯、私はといえば近鉄南大阪線の河堀口(こぼれぐち)駅にいた。あくまで、公休日としての動きである。南大阪線は私の住む藤井寺も通る線で、河堀口は大阪阿部野橋から一つ目の駅。各駅停車しか停まらないので、毎日通過はしているがこれまでほとんど降りたことがなかった。今回は大阪の東住吉区という限られたエリアで、第3番の法楽寺、第4番の京善寺という二つを回るが、自宅から近い順として、河堀口の京善寺から先に行くことにした。

河堀口は高架駅で、すぐ近くでJR阪和線をオーバークロスする。私が幼かった頃は地平を走り阪和線の下をくぐっていたのが、大阪阿部野橋駅のリニューアルと、針中野までの高架工事により上下が逆転することになった。今から30年くらい前になるのではないか。

しばらく高架に沿って歩き、少し暑いくらいの中、下町の住宅地を10分ほど歩くと、木々に覆われた一角に出る。これが京善寺かと思うとそうではなく、桑津天神社という。記紀などの言い伝えによると、仁徳天皇が日向の国から妃として迎えた髪長媛をこの桑津の地に住まわせていた。媛が病気になった時、その平癒祈願のために医薬の神である少彦名命が祀られた。それがこの神社の由来とされている。

その境内の一角には「大阪陣戦歿将士慰霊塔」という石碑がある。石碑があるだけで説明文などはないのだが、大坂夏の陣で最大の戦いとなった天王寺口の戦いの場所にも近いことから、ここ桑津でも両軍の激戦が繰り広げられたのだろう。

桑津天神社から道を挟んですぐのところにあるのが京善寺である。昭和、平成に本堂や山門が建て直されたそうで、小ぢんまりしたがまだ新しい感じがする。京善寺というより、地元では「桑津の不動さん」という呼び名で親しまれているそうだ。境内も町中に溶け込んだ感じであるが、昔は桑津天神社と同じ境内、つまりは神仏習合で一体となっていたのではないかと思う。

古くは「金剛院」と呼ばれて厄除祈願も行われていたそうだが、1615年の大坂夏の陣の兵火で焼失した時に記録もなくなったのか、いつ頃からここにあったのかは不明だという。1652年、桑津村の篤信家の夢に不動明王が現われたことから、村の有志が紀州から阿闍梨と、根来寺と同じ造りの不動明王像を迎えて再興したのが現在の京善寺である。となると、神仏習合説は違うのかな。

世間は平日だし、観光寺院というわけでもないためか、お参りするのは私一人。正面の本堂で般若心経や聖不動経などのお勤めである。

本堂と続く建物に納経所があり、インターフォンを鳴らして寺の人を呼ぶ。近畿三十六不動のバインダー式の朱印をいただく。こちらは摂津国八十八所霊場の一つにもなっている。摂津の八十八か・・。四国を一回りしたら、こうした「ミニチュア版」の八十八所めぐりというのも面白そうだ。摂津であれば宿泊の必要もないし。

さて次は、札所番号はさかのぼるが第3番の法楽寺に向かう。鉄道の駅なら阪和線の南田辺か、地下鉄谷町線の田辺が最寄りである。乗換案内なら河堀口から大阪阿部野橋に出て、天王寺から阪和線または谷町線に乗り換えるよう出てくるが、地図で見れば1.5キロほどの距離でしかない。それならせっかくなので歩いて向かうことにする。

この辺りは大阪府道26号(大阪狭山線)が走る。大阪の生野区と大阪狭山市を結ぶ道路で、拡張もされているのだが、東住吉区の区間が未開通である。用地買収と建築物の取り壊しが中途半端なようで、道の真ん中をフェンスやガードレールで仕切っているが、長い間この状態である。よほど何か障壁となるような事情でもあるのだろうか。

その沿線の途中の米屋さんにこのポスター。訪ねた5月1日は、TOKIOの山口「メンバー」という呼び方がテレビでずっと流れていた時期である。このポスターには山口さんが映っていなかったのは意図的なのか元々そういうカットなのかは置いておくとして、TOKIOとしては福島の復興支援は続けるとのことである。4人の他のメンバーの思いも複雑だとは思うが、がんばってほしいものである。

この後はあべのハルカスを遠くに見ながら、桃ヶ池公園と阪和線の高架の間を歩き、路地に入る。先ほどと同じく住宅地の中にたたずむのが法楽寺である・・・。
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