まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良9番「法華寺」~神仏霊場巡拝の道・59(光明皇后建立の寺)

2023年08月20日 | 神仏霊場巡拝の道

7月22日~23日の神仏霊場巡拝の道めぐり。22日は奈良市内の3ヶ所、そして23日に今回の目的地である長谷寺を参拝する。まず、JR奈良駅から奈良9番・法華寺を目指す。JR奈良駅発だが、いったん逆方向の近鉄奈良駅にも立ち寄り、奈良女子大学や奈良育英高校の前を経由する。

法華寺のバス停に到着。150メートルほど西に進むと法華寺の拝観口に到着する。

受付で拝観料を収めると「暑い中ご苦労ですねえ」と返され、法華寺の拝観順序を境内図で案内してくれる。まずは本堂(中に入れる)を拝観し、続いて示したのは境内図の左下。「この葉っぱ、何だかおわかりですか」と1枚の葉を取り出して説明したのは、慈光殿の前に植えられてる菩提樹。そして庭園である華楽園、復元された浴室(からふろ)、最後は休憩所である光月亭・・というコースだ。

まずは本堂に向かう。拝観入口の障子を開けると中には納経所、授与所があり、係の人が出迎えてくれる。本堂の中には法華寺の歴史や祀られる仏像の音声ガイドが繰り返し流れる。暑い中だが、扇風機が回っているのでしばらく椅子に腰かけ、落ち着いたところでお勤めとする。

法華寺が開かれたのは奈良時代、光明皇后の手による。東大寺が日本全国の総国分寺とされたのに対して、法華寺は総国分尼寺とされた。元々は藤原不比等の邸宅があったところで、娘の光明皇后が皇后宮を宮寺としたのが始まりとされる。当時は広大な敷地を持ち、金堂、講堂のほかに東西の塔も有する伽藍が広がっていたが、平安時代になると勢力は衰え、源平合戦や戦国時代の兵火でほとんどの建物を失った。

現在の本堂は江戸時代、豊臣秀頼により再建されたものである。

本堂内正面の厨子には本尊の十一面観音像が祀られている。平安時代初期の作で、天竺の仏師が光明皇后をモデルとして彫ったとされている。こちらは春と秋の特別期間のみ御開帳とのことで、通常は観音像の分身像を拝観することとなる。

十一面観音像を囲むようにその他の仏像も祀られ、維摩居士像や文殊菩薩像、不動明王像などが見られる。その中で存在感があるのが釈迦如来仏頭。全身は丈六で造られていたとされ、頭だけでも1m近くある。かつて法華寺で祀られていたのが、戦火で焼け落ち、頭部だけが残ったのだろうか。興福寺にある旧山田寺の仏頭にも似ているように見える。

こちらにて朱印をいただく。

本堂から出て、菩提樹など境内を一回りする。庭園の華楽園ものぞいたが、入口の木々には多くのセミが生息しており、私が近づくと一斉に鳴き声を立てて飛び回る。思わず驚いて、そのまま庭園を後にする。

浴室(からふろ)の建物。光明皇后は悲田院、施薬院を建てて多くの病人たちを救済したことで知られているが、そこから派生して、薬草を用いて蒸し風呂を焚くことが行われていたそうだ。それを寺の尼僧だけでなく、庶民のための風呂として開放されていたという。

その奥にある光月亭は茅葺屋根の建物だ。江戸時代の古民家を移築したもので、座敷には上がれないが土間に入り、縁側に腰かけることができる。土間には水、お茶のサーバーがあり、冷えたお茶をいただくことができる。今の私にとってはこれが悲田院、施薬院である。

しばらく縁側に腰かける。幾分か、暑さも和らぐように感じる。

次のバスがちょうど着くタイミングを見計らって法華寺を後にして、バス停に向かう。ただ、先ほど私が乗って来た便もそうだったが、JR、近鉄奈良駅周辺の交通量が多いためか、10分ほど遅れての到着である。

バスは航空自衛隊の奈良基地前に立ち寄った後、平城宮跡に差し掛かる。近鉄奈良線に乗るのとは違ったアクセスで、復元された大極殿や資料館に近いところを走る。

そのまま直進するとちょうど大和西大寺駅に到着した。これまで列車では何度となく通過しているが、こうしたアプローチで来るのは初めてである・・・。

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