まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州西国霊場めぐり~第26番「観音寺」(野母崎を目指して・・)

2022年07月29日 | 九州西国霊場

7月23日、九州西国霊場めぐりが目的で西九州新幹線開業前の長崎に到着。札所順で行けば長崎の市街地にある第25番・清水寺に向かうところだが、今回はまずその先、第26番の観音寺に行くことにする。観音寺は長崎市街から南に進んだ野母崎にある札所で、長崎から路線バスも出ているが本数が読めないのでレンタカーを利用することにした。

今回のプランでは、11時の長崎到着後にレンタカーで野母崎の観音寺に向かい、夕方までにレンタカーを返却して、夜はビッグNスタジアムでのフレッシュオールスターを観戦。そして翌24日は午前中の便で軍艦島上陸のクルーズ船に乗り、戻った後に清水寺を参詣。17時前の「かもめ」で長崎を後にして博多乗り継ぎで21時頃に帰宅するというものである。

今思えば、長崎到着後にそのまま軍艦島への午後便のクルーズ船に乗り、夕方に戻ってそのままビッグNスタジアムに向かい、札所めぐりは翌24日に2ヶ所まとめてもよかったと思うが・・。

向かったのはニッポンレンタカーの長崎駅前店。以前の長崎駅なら文字通り駅前にあったのだろうが、高架移転にともない少し遠くなったようである。今回利用するのはトヨタのコンパクトカー「ヤリス」。早期割引で3630円。17時までには返却する予定で、野母崎までの往復プラスアルファを考えるとバス往復よりはお得である。

いったん長崎駅の西側に回り、新たな駅舎、そして新幹線開業を見据えた再開発の進む一帯を抜ける。この先、野母崎方面に行くのは初めてである。

急な斜面に住宅、マンションが建ち並ぶ一角も過ぎる。

そして目にする巨大な橋は女神大橋である。長崎港の両岸を結ぶことで渋滞の緩和、港湾・物流施設の有効活用を目的で架けられたが、巨大船の航行を可能にするために道路部は高さ約65メートルあるという。橋の両側には歩道もあるそうだが、私なぞとても怖くて歩けないだろう。・・・だからというわけではないが、女神大橋は自殺のスポットとしても知られているそうだ。女神が女神でなく死神になっとるやないか・・。

国道499号線(このナンバーも四苦八苦に見えるが)を南下する。長崎市南部のベッドタウンとして沿道は住宅開発も進んでいる。クルマの数が少しずつ少なくなったところで、右手に再び海が広がる。右手に見えるのは高島のようだ。

そして海べりに出る。右手に見えるあの形は・・・軍艦島だ。

そのまま走ると夫婦岩というスポットに出る。駐車スペースがあり、いったん外に出る。高島から中ノ島、そして端島・通称軍艦島が並ぶ。ちょうど夫婦岩の間に軍艦島を見通せるスポットがある。夫婦岩、軍艦島、そして夕日・・をセットで楽しめるスポットということで知られているそうだ。

これまでの軍艦島行きクルーズ船だと、軍艦島は海の果ての長い航行に感じたものだが、野母崎方面からだと結構近くに浮かぶ島である。かつては野母崎からも定期船が出ていたそうだ。その軍艦島を眺めるスポットはこの先にもあり、観音寺の帰りに立ち寄ることにしよう。

半島を横切り、南側の海岸に出る。こちらの海もきれいで、そのまま走らせるうちに観音寺前のバス停に出る。ここから細道に入り、観音寺の山門に出る。クルマは道に沿って寺の横手から境内に入って停めるとあり、いったん駐車してから改めて山門に出る。

その山門、石造りの独特なもので、寺らしくない構えである。ここだけ見ると教会にでもつながるのかなと連想する。野母崎の先端にあり、昔から風雨が強かったところ、その対策ということでこうした頑丈な造りになったのだろう。

そのまま進むと、露天に仁王像が立つ。この時はそんなものかとして気づかなかったのだが、ブログ記事を書くにあたり観音寺の画像をいろいろ検索していると、つい最近までは仁王門の楼閣がここに建っていたようである。老朽化なのか、台風などの被害に遭ったのか、その後取り壊されたのが現在の姿のようだ。この後再建する計画があるのかな。

境内に入る。左手の大きな建物が本堂だが、その先にさらに石段が続く。上がったところが観音堂で、九州西国霊場としてはそちらが本尊のようだ。そのまま観音堂に向かう。

観音寺が開かれたのは奈良時代、行基によるとされる。行基が布教のため諸国を回る中で、肥後の宇土にやって来た。そこには渡ろうとする人に祟るとされる木の橋があった。それを聞いた行基は錫杖で橋を打つと、橋は7つに割れた。川に流し、その木が漂着したところで観音像を彫ることにしたのだが、その一つが流れ着いたのが野母崎の脇岬海岸だった。そこで観音像を祀ったのが観音寺だという。

行基七観音の縁起を有する寺のほとんどはそのまま九州西国霊場の札所にもなっており、それだけ長い歴史と信仰が根付いていることがうかがえる。

現在の観音堂は江戸時代の再建で、本尊の十一面千手観音は平安時代の作とされる。それだけでも十分長い歴史を有する寺院である。今はかなり色あせているが、観音堂の天井絵も歴史的価値があるものという。扉が開いていたのでそのまま中に入り、お勤めとする。

本堂にも入る。こちらは大きな広間があり、他に人はいなかったが四隅で扇風機がぶんぶん回っている。観音寺じたいは現在曹洞宗の寺院とあるが、日常のお参りや法要はこちらの本堂で行うのだろう。観音堂は九州西国の本尊として、あるいは開山堂のような位置づけなのかな。

インターフォンを鳴らして住職の方に出ていただき、朱印をいただく。まず、長崎市の遠いほうの札所クリアだ。

帰りに、脇岬海水浴場に立ち寄る。観音寺の本尊となる7つの木の一つが流れ着いたところだ。そこは砂浜が広がり、鮮やかな緑の海面が広がる。これはいい。私もしばし波打ち際にたたずむ・・。

このビーチの一角にテントやらベンチが設けられている。何かなと思ううち、貸切の観光バスが国道沿いの駐車場に乗りつけられ、アロハなど涼しげな衣装の若者団体が降りて来た。それらを総合すると、この砂浜で結婚式を行うようだ。夏ですなぁ・・・。この日は雲も少し出ていたが、夏の日が差して素晴らしい景色である。ここをウェディングの場に選んだのは新郎新婦にとって思い出の地だったとか、エピソードがあるのかな。

おめでとうございます。観音さんも喜んでいることだろう・・・。

これで折り返しとして長崎市街に戻るが、時間はあるので帰途にあちこち立ち寄ることにする・・・。

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