まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

BCリーグ・信濃対福井観戦@茅野・試合前編~ぐるり北信越

2014年08月17日 | プロ野球(独立リーグほか)

この前まで14日の旅行記を途中まで書いていたが、一旦一気に17日の午後まで飛ぶ。

何だかまた山陰から北陸にかけて大雨に見舞われたそうで、JRも大幅に運転を見合わせているようである。終日運転を取りやめる区間もあるようで、実は私の知人も夏休みを利用して山陰方面に行っていたそうだが、無事に抜けることができたのだろうか・・・?

さてこの15~17日は大正ドームにてオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークスの首位攻防戦。1戦、2戦とオリックスが取ったが、惜しくも3戦は吉田の好投も報われず、打線が完封リレーされた。勝っていれば一気に1ゲーム差まで詰め寄れた試合だったが、落としたために3ゲーム差ということに。まあ、試合が続けて雨で流れた間に開いた差をきっちり取り返しただけでもよしとするか。まだまだ波乱はありそうだ。

そんな賑わい、熱戦をよそに北信越を回っているのだが、17日に長野県は茅野で行われた一戦は、今回の旅行の最初の動機として計画の中心に入れたもの。北陸や山陰が大雨になっているとは知らず、「天気が持ってよかった」と思ったし、試合そのものも最後までわからない展開だった。これは素直に「楽しませてもらった」と言っていいだろう。

Dscn9126予報では昼間は雨ということだったが、前日とこの日の宿泊地である上諏訪から列車で一駅の茅野に現れる。青春18きっぷは封印して、JR東日本のSuicaのエリアということで、Pitapaをかざして精算したが、初めて195円という「円単位」での処理となった。関東ではICカードの普及率が高いこともあり、正確な8%の消費税分を徴収するということでICカードは円単位の処理である。関西をはじめとした他地区ではまだ10円単位であるが、同じJRを利用していてその不公平感というのは問題にならないのかなと気になる。

雨は降っていない。駅の東口には美術館や博物館もあり、もしこの後で雨になって野球が中止になれば、こうした施設で半日過ごせばいいかな、というくらいの気持ちである。

茅野市の運動公園野球場で行われるのはBCリーグ、信濃グランセローズ対福井ミラクルエレファンツ。「今季はBCリーグの試合も見よう」ということで、大阪から最も近い福井の試合をこれまで2回見たが、せっかくの機会なのでこの時期に行われる試合を観ようと、日程表をチェックした中で決めたのがこの試合。また福井絡みとなるが、これまでの観戦で選手の名前もだいぶ分かってきたので、それもいいかなと。

Dscn8968野球場へは駅から徒歩で20分。来る前は真夏に20分も歩くのは・・・と思っていたが、このところの天候不順が幸いしてか、さほど暑さを感じない。徒歩20分は軽い運動のようなものである。運動公園は森の中にさまざまなグラウンドや体育館もあり、それぞれでプレーする人たちの歓声が聞こえる。陸上競技場から「11時現在の気象情報です」というアナウンスがあり、茅野の気温は25度と発表された。真夏の蒸し暑さに悩む大阪の人たちに申し訳ないくらいである。そりゃ、プレーする人たちもやりやすいだろう。

Dscn8950野球場はナイター照明もない簡素な造り。実は前日は上諏訪のルートインホテルに宿泊しており、BCリーグ発足時から支援して今季は冠企業となったルートインの宿泊者特典として、宿泊当日か翌日行われる試合の入場引換券がもらえる。茅野で試合があるからホテルも上諏訪に決めたようなもので(駅と諏訪湖に近い、朝食無料、大浴場に温泉という、ホテルそのものも魅力的である)、この特典で1200円の入場料が無料。もっとも、信濃の主催試合ではネット裏エリアは追加料金が発生し、500円を別途支払う(他球団は基本的に全席自由)。まあ500円で観戦できると思えば安いが、これが通常料金で合わせて1700円となると・・・「独立リーグ」ということを考えれば結構お高いかもしれない。

Dscn8979Dscn8977開門の前に何人かの選手が入り口前に出てきて、来場の挨拶を行う。元ロッテで、現在は選手兼任コーチの渡辺正人の姿も見える。声出しは涼賢(りょうけん)という辰野町出身の選手。この試合は「辰野町デー」ということで、「自分が打って勝てるように頑張ります」 ということを言っていた。

Dscn8981この後で選手とファンのハイタッチが行われ、私も来場記念に加わらせていただく。入場時には先着プレゼントで辰野の菓子メーカーの商品が配られたが、ここでも選手が活躍する。BCリーグは選手とファンの垣根が低い。「江戸の大関より土地の三段目」という言葉を思い浮かべる。

Dscn8971また一方の福井も、芦原温泉の観光PRのテントができていた。BCリーグは北陸・上信越の2地区制を敷いており、移動距離(というよりコスト?)を考慮してか、地区またぎの試合設定は少ない。それだけに、福井にとっては信濃の人たちへの格好のPR機会であろう。

Dscn8975Dscn8995Dscn8998信濃は渡辺のほかに、監督が元近鉄の大塚晶文、コーチ兼任が元オリックスの竜太郎。そこに元ロッテの小林宏之がコーチ兼任投手で在籍していたが、先日西武が獲得したのはご案内のとおり。入場して試合前練習を見たが、大塚監督自らノックバットを握ったり、投球??・・・いやいや、捕手の守備練習用に軽く投げただけで・・・。現在BCリーグには信濃の大塚、そして富山の吉岡という、近鉄の2001年の優勝メンバー2人が監督を務めている。ここで指導者としての実績を積んで、いずれもう一度バファローズのユニフォーム(親会社は代わっているが)に袖を通すことも期待したい・・・。

Dscn8988入場後は昼食であるが、BCリーグともなると食事事情はなかなか良いものではない。観戦時にはだいたい途中で仕入れてから行くのだが、今回は鉄道の旅の途中ということもあり、駅弁を仕入れた。一つはなぜか上諏訪で売っていた横川の「峠の釜めし」。食べるのは何年ぶりだろうか。まさか野球場で食べることになるとは思わなかった。しかも包装紙は富岡製糸場の世界遺産登録記念の特別版である。

ちなみに信濃の主催試合では「ゴミは各自持ち帰り」が徹底されており、球場にゴミ箱を設けていない。結局釜めしの釜は茅野駅まで持ち帰って処分した。元々駅弁なのだから、鉄道駅のゴミ箱に捨てるのはある意味理にかなっているだろう。

Dscn8999そしてもう一品、茅野の駅で購入した「やまのごはん」。牛肉系の弁当が目立つ中で、信州の山菜や鱒の塩焼きが入った地元色の強さがいいなと思った。

Dscn9039改めてスタンドの様子を見ると、ベンチ席があるのはネット裏だけ。例のネット裏の追加料金がいるところ(端のブロックだけは一般料金だけで座れる)。後は、コンクリートむき出しのエリアがあり、さらにその先は芝生席である。もっとも、メガホン持って応援しようという人はそちらに行く。やはり球場の特徴を皆さん知っているようで、敷物や折りたたみ椅子などの準備は万端である。

その中で私がうなったのはスコアボード。バックスクリーンは緑の壁があるだけで、得点版はそのレフト寄りにある。ここは電光式で、BSO順の表示に改造された跡が見える。こうした地方球場にも国際標準の波が押し寄せているようである。この普及率は全国でどのくらいなのか知らないが、自治体によっては余計な支出としてたまったものではないだろう。

Dscn9000そしてさらにレフト寄りに選手名のボードがあるが、スタッフが何人かで上から落としていくアナログさに懐かしさを感じた。そしてこの文字が行書体で書かれているのである。かつては手書きのスコアボードはどこでもあったもので、子どもの頃に行っていた藤井寺球場などのようなブロック体が主流であった(昔の甲子園は明朝体だったかな。たまに地方球場では「小学生の習字」のようなものもあった)。おそらくパソコンソフトで作成したものを拡大したのだろうが、行書体とはねえ。野球というより、甲冑に身をまとった合戦でも始まるのかという感じである。バファローズのイベントの「大坂夏の陣」で、甲冑姿で選手紹介されていた画像が頭に浮かぶ。

Dscn9005ただ、写真ではわかりにくいかもしれないが、信濃の選手の下位打線、投手となるとなぜか文字が小さい。この後試合途中で交代で出場した選手も、福井の選手は全員大きな文字なのに対して、信濃の選手に限り文字が大きかったり小さかったりとまちまちである。別に急ごしらえのものでもないし、同じ人が作るのだから発注ミスということでもないだろうし、ホームの選手に対して何でまたこういうことになるのかなあ・・・。

Dscn9014Dscn9018試合前には芦原温泉のゆるキャラ「湯巡権三」も交えての観光キャンペーンや地元の子どもたちのダンスタイム。そして両チーム監督・コーチ・選手が整列したところで、この試合のメインである辰野町の町長による挨拶がある。

Dscn9024町長はこの後の始球式にも登場して試合を盛り上げる。この頃になると、雨が降るどころか日差しも出てきて、「天気予報が外れた!」と喜んでいた。すぐ近くでは大雨で大変なことになっているとも知らずに・・・・(申し訳ないです)。

観戦記を書くつもりが、試合開始までで(鉄道の記事を書く時以上に)長くなってしまった。肝心の試合についてはまた次の記事で・・・。

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中山道の宿場町とブラジル~ぐるり北信越

2014年08月17日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn8466_214日の午前中は美濃太田での途中下車で過ごす。美濃太田は高山線のほかに太多線、長良川鉄道(旧・国鉄越美南線)が発着する交通の要衝である。歴史としては中山道の51番目の太田宿のあるところ。中山道のほかに飛騨高山からの街道や郡上・白川街道も交わるところで、また尾張藩の代官所もあり政治経済の中心でもあった。

Dscn8481その宿場町の風情が残っているということで行ってみる。雨の中歩くこと15分ほどで古い家並みが現れる。祐泉寺という古刹があり、盆ということで法要の読経の声が聞こえてくる。境内に入ると本堂や離れに大勢の檀家さんが訪れていた。本来の盆の過ごし方である。

Dscn8468古い建物と現代風の建物がうまく調和した通りを歩く。中山道というと馬籠や妻籠があまりにも有名で現在も観光地として知られている。美濃太田と言えばどうしても鉄道の要衝のイメージしかなかったが、こうして宿場が残されているとは私も初めて知った。来てみないとわからないものである。

Dscn8469その中でも立派な建物が脇本陣の林家住宅。格子窓やうだつに風格を感じる。斜向かいに本陣があったそうだがこちらは門だけを残して住宅地になっているのに比べて、太田宿を代表する建物になっている。座敷には上がれなかったが土間から中の様子をうかがう。

Dscn8472その隣にあるのが中山道会館。道の駅のようなものも兼ねており、土産物や地元産の野菜などを売っている。その中に資料館があり、入場無料ということで中に入る。

Dscn8474中では中山道や太田宿の成り立ち、歴史が紹介されており、宿場の一角を復元したセットもある。中山道には3つの難所があり、「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と言われた。その一つが木曽川の渡し舟があった太田であるが、木曽川が増水するとたびたび川止めとなり、ここで足止めを食うことが多かったそうである。

また幕末に皇女和宮が将軍家茂に嫁いだ時も中山道を通り、太田宿に宿泊したそうである。当時の行列の人数や装束の記録や瓦版が残されており、当時の一大イベントであったことがうかがえる。尊皇攘夷、開国、佐幕・・・などさまざまな思想が入り乱れる中、「天皇家」の存在というのが庶民の間でも広まりつつあった時期である。

Dscn8487Dscn8490その「太田の渡し」の跡があるというので、木曽川の土手沿いに歩く。雨はやんだが歩くと蒸し暑く感じる。木曽川の川面にも蒸気が上がり、幻想的にも感じる。その中をやって来たのは太田橋。大正15年にかけられたというトラス橋で、こちらにも当時の風格を感じる。ただ、かけられたのが大正の末ということで、それまで舟で渡していたのが意外である。現在も江戸時代から使われていた船着場の跡が残っているし、現在の木曽川の日本ライン下りの舟もここから出る。それだけ、木曽川というのは大河であり、難所でもあったということだろう。

Dscn8491さて、先ほど土手沿いに歩いてから気づいたのだが、「ゴミを捨てるな」などの注意や、トイレを示す案内に、日本語の他に、英語ではない別の言語が併記されている。スペルから見てスペイン語かポルトガル語、あちら系の言語である。町のあちらこちらにそうした表示が見られる。

Dscn8493駅に戻ると連絡通路にこのような貼り紙もある。これは「連絡通路での楽器の演奏などは他のお客様のご迷惑になるのでおやめください」という内容の日本語の貼り紙の横にあった。この案内だけを見ると、「青春18きっぷで行くブラジルの旅」というフレーズが頭に浮かぶ。

日本の中で、たまに「英語よりポルトガル語のほうが目立つ」という街を見かける。その一つでパッと浮かんだのが群馬県の太田市。たまたま太田つながり(行政は美濃加茂市)で、群馬のほうは自動車メーカーの工場があり、そこで働く人たちがブラジル人街を形成している。日系を含めたブラジル人街があるのはメーカー企業の拠点であることが多い。

ただ、美濃太田がそれほど工場で有名か・・・と言われてもピンと来ない。また、先ほど宿場町から木曽川沿いを歩き、駅まで戻る数キロの道のりで、ブラジル人らしい姿は見なかったと思う。私が気づかなかっただけで、別の地区に住んでいるのかもしれないが。

調べものをすると、こちらではかつてソニー、日立、富士通などのメーカーの工場があり、その労働力ということで多くのブラジル人を派遣社員として使っていた。多いときでは4000人近くが市内に在住していたとか。市のホームページにはポルトガル語版がある。しかし、リーマンショックなどによる業績不振、さらに携帯電話からスマートフォンへのシフトもあり、それらの工場が相次いで閉鎖。となると当然派遣切りの対象となり、職を失い祖国に戻った人もいた。それでも2500人ほどが今も美濃加茂市に住んでいるといい、他の国籍と合わせて市の人口5万5000人の1割ほどが外国人である。市としては彼らの雇用確保や、日本人との共生というのが課題としている。

中山道の宿場町というほうにだけ目が行っており、ブラジル人のことは知らなかった。あらかじめその辺りまで予習していれば、町歩きのコースも多少変わったものになったかもしれない。

さて、そろそろ鉄道の旅に戻ることにする。次に乗るのは12時40分発の猪谷行き。早めにホームに行くと、すでにキハ48の2両が入線していたがまだ扉は開いていない。ベンチで座っていると反対ホームから出る岐阜行に乗る客が結構やってくる。その中にはブラジル人らしき客の姿もあった。ブラジル本国は今年はサッカーのW杯もあったし、2年後にはオリンピックも開催される。経済成長の一方で貧困格差もあり、彼らとしては本国に帰っても高収入が得られるという保証はない(そもそも、本国で十分な収入が得られないから日本に出稼ぎに来たわけで)。難しいところであるが、何とか日本での共生に道を開いてほしいものである・・・。

 

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