EF55という電気機関車がある。特徴的な流線形の前面部分の茶色の機関車である。その1号機が製造されたのは1936年(昭和11年)というから、2・26事件が起こったり、日本にプロ野球のリーグが発足したりと、そのくらい前の話である。
そんな年に製造された機関車、一旦第一線を退いて「廃車」扱いとなった後に復活を果たし、機関車の撮影会やイベント列車などでその姿を見せていたが(私も、尾久機関区での撮影会で見たことはあったが・・・現役で走ってたんですね)、とうとう2009年の1月をもって完全に「引退」ということになった。この冬は最後の運転ということで、高崎から水上まで走る「さよならEF55みなかみ」号に乗車することにした。
指定席券はもちろん「秒殺」で売り切れており、ネットオークションで割高料金でようやく手に入れたというありさま。本当、最近列車の指定席券が取りにくくなりましたな・・・。
高崎駅に現れる。ホームにはすでに多くのギャラリーというか、その筋の人たちが多く群がっている。上越線のイベント列車といえばこの夏にD51のSL列車が走ったが、その時と比べてギャラリーの「鉄分」が濃いように感じる。SLといえば一般の観光客も注目する乗り物であるが、「戦前の流線形機関車」というのはちょっと一般向けではないかな・・・。
機関車が入線し、「ばんえつ物語」号用の客車と連結。高崎駅ホームではこんな感じ。まあ、人間が入るのはどうしても避けられないか。
気がつけば出発の時間となり、指定席に座る。指定席ではあるが、通路には長い行列ができている。売店コーナーでオリジナルグッズ(おそらくサイドボードかな)を買い求める列である。行列が何両にも亘るとは、ちょっと異様な光景である。
渋川で30分弱の停車。ここでも撮影タイムとなり、カメラの放列。中には他の撮影者に対する罵声や怒声も聞こえ、なかなか険悪なムード。それにしても、この流線形というのは独特な感じで、その形状から「カバ」とか「ムーミン」とか呼ばれたのもうなずける。同じく今年引退した「0系」の形状にも通じるものがあるように思える。
渋川からは利根川をさかのぼるように走る。稲刈りも終わり、晩秋から初冬の乾燥した風景が広がる。川の流れも冬らしく大人しい感じ。
それにしても、沿線のカメラのギャラリーがすごい。人気とされるスポットでは数百人はいたか。農道には駐車するクルマの列、あぜ道や田んぼの中にも三脚が立ち並ぶ。改めて、「見せる」列車なのだなと思う(他の人のブログなど見ても、「乗った」より「撮った」のほうが圧倒的に多いですな)。こうして乗っている分には「普通の客車列車」としか感じられないし・・・。それでも、70年以上前に製造された機関車とは思えない力強さが感じられる。
やはり「その筋」の人ばかりが乗る列車というわけか、車内では観光案内やらイベントもなく、せいぜい乗車証明書とEF55の解説パンフレットを配るくらいのあっさりしたもので、高崎から2時間で水上に到着。利根川の流れと沿道のギャラリーを見ていると時間が経つのが早く感じられた。
さて水上に着いてからがまた大変。まずは反対側のホームに移動して、逆方向からの機関車撮影(同じホームからだと、全体像がなかなか撮りにくいので)。
続いて、改札を出た客が群がったのが、水上駅の先にある転車台。前後非対称の形状のため、SLと同じように向きを変える必要があるのだ(この手間が、EF55が3台しか製造されず、早々に廃車になった理由である)。こちらも大変な人出で、中には脚立持参の剛の者もいる。やはり「少しでもいいショットを」という執念はものすごいものがあるだろう。結構「殺気」を感じましたぞ。
少しずつ向きを変えていく。こうした手間というのも現在の鉄道の現場ではなかなか見ることができないものだ。向きを変えたEF55は、3時間後の折り返しまでしばらくの休憩と撮影タイムということになる。
その折り返しだが、私は指定席券を持っていないので乗車はあきらめている。ということで、これが最初で最後の「EF55牽引の客車乗車」ということになるのかな。まあ少しでも戦前の風情に触れられたということで(渋川停車中に文字通り現物にも触っているし)、よしとしよう。
客車がずっと停まっているので車内で食事をしていたり、早々と線路脇に三脚を立てて撮影準備に入る人たちの間を抜け、歴史民俗資料館見学などでしばし水上での時間をつぶした後、清水トンネルをくぐってさらに北へ向かう。12月も半ばであるが、国境のトンネルを抜けると・・・・雪など全くなくカラッと晴れていた・・・・。