鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

うまくいくのか、マンガ雑誌の2、3位連合

2008-02-29 | Weblog
 出版大手の講談社と小学館がマンガ雑誌で提携することになった。共同でマンガ雑誌を創刊するというものだが、業界の1、2位企業がこうした提携に乗り出すのは極めて異例のことで、出版業界のマーケットが年々縮小している象徴ともいえる。27日の午後7時のNHKニュースが報道し、翌28日に各紙が追いかけたのも異例なことであった。
 講談社は1959年に「少年マガジン」を創刊し、「巨人の星」や「あしたのジョー」などを連載し、ピーク時には420万部の発行部数を誇った。一方の小学館の「少年サンデー」も同じく59年に創刊され、「「オバケのQ太郎」や「名探偵コナン」などを連載、最高200万部発行した。しかし、雑誌の10年連続の前年割れの販売金額減少の波をかぶって、このところ発行部数はいずれもピーク時の半分以下に落ち込んでいる。
 そこで決まったのが両社で新雑誌を発行しよう、という計画。新雑誌はマガジンの「金田一少年の事件簿」とサンデーの「名探偵コナン」から過去の人気作品を選んで掲載する。4月から3カ月間、月2回発行する、という。会社としては業界1、2位であるが、ことマンガ雑誌では集英社の「少年ジャンプ」がナンバーワンで、2,3位連合ということになる。詳細は3月中旬に明らかにされるようであるが、新雑誌と既存の「少年マガジン」と「少年サンデー」の棲み分けはどうするのか、よくわからない。全体にマーケットが縮んでいるなかで、とても期間限定の提携がうまくいくとは思えないか、背に腹はかえられない、というわけか。
 マンガ雑誌はほとんど広告を載っけないので直接関係ないが、電通の調べによると、雑誌広告はいまやネット広告に抜かれてテレビ、新聞に次いではネット広告ということになっている。雑誌に限らず、人はお金のかからないネットを志向しつつある。マーケットとしての雑誌の低迷は広告にも及んでいるわけで、マンガ雑誌の提携の背後にある根は深そうなだ。
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何やら胡散臭いのは北朝鮮工作員?

2008-02-28 | Weblog
 毎週土日曜日朝にするジョッギングのコースで以前から気になる家があったのだが、ある日突然人がいなくなり、それから数週間して取り壊され、駐車場になってしまった。住宅地にありながら、「三協工業」なる看板を掲げ、何か作っているような形跡はないし、一角にお手製の鉄塔が立ててあったり、タイヤのなくなった廃車が庭先にいつまでも置いてあったり、時に超大型のオートバイがあったり、なにか胡散臭そうな匂いがしていたのだ。なくなった駐車場の跡地に立ってみて、この家には何か犯罪めいたものがあったのではなかろうか、という気がしてきた。
 この家は東急田園都市線溝の口駅から歩いて10分くらいの高台にあった。なのにいかにも素人が作った50メートルくらいの鉄塔があったのがまず不思議だった。ツギハギでいかにも素人が作った感じで、昔流行ったアマチュア無銭ハムの鉄塔にしては大き過ぎるし、通信ビジネス用にしてはお粗末で、どう考えても廃車やオートバイとも結び付かなかった。
 それが、ある日、突然ひとがいなくなり、それからしばらくして鉄塔も家も取り壊され、更地となり、あっという間に駐車場に変わってしまった。丁度交差点の角地にあったので、駐車場になると、わずか5台のスペースしかとれない。この手の進み具合いをみていて、いつもこんな狭い場所だったのか、と思うが、なるほどその通りだった。
 で、改めてこの家の住人は北朝鮮の工作員だったのではないか、という気がしてきた。平壌の本部と交信するためには高い鉄塔が必要だったのだろうし、といって本格的なアンテナを立てるほどの予算はないし、お手製のツギハギアンテナで済ませたのだろう。廃車の自動車も自動車部品を様々なものに利用する上で置いておく必要があったのだろう。
 北朝鮮の工作員として、本国からの指令に基いて、各種の情報を仕入れたり、拉致できそうな対象者を物色したりして、活動してきたのではあるまいか。ところが、これだけ日本で拉致問題に対する関心が高まってきて、もうその使命もなくなって急遽、退散した、というわけだ。
 松本清張あたりなら、周辺の住民に事情聴取して、一篇のミステリーに仕立て上げるのだろうが、鈍想愚感子としてはせいざいこのあたりが限界である。
 冬深し、隣は何する人ぞ、である。
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それでも面白い米アカデミー賞表彰式

2008-02-27 | Weblog
 米国映画界の祭典、アカデミー賞の受賞式の模様をWOWOWで見た。25日の午前9時60分から米ロサンゼルスで開催されたのを中継したもので、米脚本家組合の脚本料値上げをめぐってのストライキが数ヶ月前からあったため、開催そのものが危ぶまれていたが、無事開催された。ただ、その余波でか、大物俳優の出席がいつもより少なかったのと祭典を盛り上げるイベントがやや淋しかった。それでも日本のアカデミー賞と比べてすべての点で数段上でることを改めて感じさせた。
 今回80回目を迎えた米アカデミー賞の仕組みは、全世界にいる6000人の映画業界関係者が前年にロサンゼルス郡内の映画館で連続7日間以上、有料で公開された40分以上の作品数100本を対象に選考する。投票内容は会計事務所のプライスウオーターハウスが厳重に管理しているので、結果については当日までごく少数の関係者しか知らない。ただ、今回、音響編集賞だかのプレゼンターにトム・ハンクスが登場し、中継回線で写ったイラクにいる兵士が対照作品の紹介から受賞作まで発表していたのを見て、必ずしも情報管理が徹底していないのでは、との感じを持った。
 中継を見ていて一番面白いのは受賞が決まった瞬間の対象者の表情で、本当にうれしそうな顔をする。処構わず抱きついたり、関係者同士で握手をしたり、様々だが、日頃見られない生の顔がうかがえて楽しい。それと受賞後のスピーチが面白い。だれも受賞しあtら、こう言おうとか、ああ言おうと考えてはいるのだが、大半は忘れてしまうのだろう。ただ、サンキュー、サンキューと言うのみの受賞者もいる。それだけ感極まってしまったのだろう。今回は映画制作の関係者として98歳の老人が功労者として表彰され、意外と元気な声で往時のことを語っていたのが面白かった。
 WOWOWでは毎回、スタジオで事前の予想を含めたトーク番組を流しながら。中継するが、今回は六本木ヒルズのシアターで中継画面をスクリーンに映し出して、二元中継していた。
 アカデミー賞の最大の賞である作品賞と監督賞のいずれも「ノーカントリー」が受賞したが、事前に圧倒的な支持を集めたわけでもなく、淡々と終わった感がある。考えてみれば、ノーカントリーとはレイムダック状態にある日米の政治の現況を皮肉ったというか、象徴したタイトルでもある。
 今回は全体に小つぶな作品が多くて、盛り上がりに欠けた表彰式だった。
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100年後の大作家に会えた気分

2008-02-26 | Weblog
 過日、東京・千駄ヶ谷の佐藤美術館へ「諏訪敦絵画作品展」を見に行った。数週間前に読売新聞かに紹介されていたのを見てなにやら面白そうな感じがしたので、出かけた。ネットで会場の佐藤美術館を検索し、都営地下鉄大江戸線の国立競技場駅を降りて、長い駅のコンコースを通って地上へ出ると住宅地とオフィスの混在した人通りのないところに出た。こんなところに美術館がるのかしら、と思って歩いていくと、看板が出ていて、ビルの1階のエレベーターの前で折り畳み机の上で男性が入場券を販売していた。500円也を払って、5階へ行くと、意外とお客が結構いた。
 5階は工房みたいなところで、実際の展示会場は3、4階なので、外階段で降りていくと、写真かと思わせるような諏訪敦の作品が展示されていた。前衛舞踏家の大野一雄の老人にしては筋骨隆々の裸体画、「SLEEPERS」と題したベッドに横たわる裸婦、それに「どうせなにもみえない」と題した左目を石膏の破片でふさいだ少女、真正面から見る人を見つめる裸婦などの作品が圧倒的な迫力でもって迫ってくる。
 諏訪敦は武蔵野美術大学出身の若手画家で独特の画風には少なからずファンがいるようで、平日の昼間にも関わらず、まずまずの人が食い入るように作品を見つめ、その前にじっと佇んでいた。サブタイトルに複眼リアリストとついており、単に描いただけでなく裏に作者のメッセージが秘められている、ということなのだろう。
 会場備え付けのパンフレットによると、佐藤美術館は財団法人で、若い作家たちへの援助を旨として活動をしているようで、そのファンドはだれかの遺産か、篤志家の寄付で賄われているようだ。ネットで調べたところ、24日に終了した今回の諏訪敦展は幸い、過去最高の観客を動員した、という。知る人はすでに誌っているのだろうが、一般に有能な作家を知らしめるにはこうしたスポンサーは欠かせない。諏訪敦が50年後、100年後に大作家の仲間入りをしているかどうかは神のもぞ知ることではあろうが、その候補の一人であるのは確かで、そう思うと貴重な一時を過ごした感じになってきた。
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甦った亡霊(三浦和義)の背後にあるもの

2008-02-25 | Weblog
 あの三浦和義がサイパンで突如、米国ロスアンゼルス市警によって逮捕された。24日付けのスポーツ各紙はこぞって一面トップで「三浦和義逮捕」と報じ、お固いはずのNHKテレビまでが午後7時のニュースでトップニュースで大々的に報じた。お茶の間向けのワイドショーなら飛びつきそうな話題だと思ったが、NHKまでもが大事件のように報道するのは行き過ぎである。単に素行のよくない旦那が奥さんを殺したというよくある事件で、せいぜい三面記事として片隅に載る程度でいいのに、仕掛けた人もびっくりするほどの反響を呼んだ。
 三浦和義がロスアンゼルス郊外で妻一美さんを射殺したとされる事件が起きたのは1981年で27年前。日米の警察が合同で捜査し、日本の裁判所で殺人とその前に第3者に依頼して実行した殴打事件の2つが争われ、殴打事件については有罪が確定し、殺人事件については最高裁までいって無罪となっている。その後も三浦和義はマスコミ各社に対し、名誉毀損の訴訟を起こしたり、コンビニで万引き事件を起こしたりして、なにかと世間を騒がせている品性芳しからぬ人物である。
 で、世間的には三浦なる人物も事件もすっかり葬り去ったと思っていたのに、サイパンに行った三浦和義がロス市警によって一美さん殺害容疑で逮捕されてしまった。米国には殺人罪について時効というものはないし、事件が起きたのは米国本土なので捜査権はあくまでも米国側にある、という。米国で新たな証拠、もしくは証言が発見されたのか、詳細はよくわからないが、たまたま三浦和義が日本の法治権の及ばないサイパンに出かけたことが命取りとなった。
 事件が日米両国にわたることと、一度日本で無罪が確定した事件が米国で再度蒸し返される、という犯罪史上かつてないこととしてニュースバリューがあったようで、当時三浦和義を追及した捜査官、一美さんのお母さん、それに法科学者らがインタビューに応じていたが、一様に「驚いた」とコメントしていた。
 それにしても世論の関心は一遍にこの問題に集中し、前日までマスコミ各社がこぞって報道していたイージス艦と漁船との衝突事件はどこかに吹っ飛んでしまった。さらには沖縄米軍兵士の少女暴行事件もいつのことだったか、という気になってくる。いずれも米国が関与した事件であり、世論の関心がいつまでも続くと具合いの悪いようなことでも出てきかねない、との判断があった、としても不思議ではない。
 イージス艦については米国から1400億円を投じて購入したもので、これ以上問題がこじれると艦の性能、役割などについて突っ込まれるとまずい、ここはなにか手を打って、関心を逸らそう、と誰かが考えたのではなかろうか。そういえば、いつ切り出してもいい三浦某事件があるではないか、ということにでもいなったのだろう。日本のマスコミ各社の体質を知りぬいた輩が画策した、としたら、いまごろ手を打って喜んでいることだろう。
 米国内でこの三浦和義逮捕がどのくらい報道されているものか知りたいものだ。おそらく、社会面の最下段に小さく出ているか、無視されていることだろう。

追記 25日にサイパン島で始まった三浦和義に対する司法手続きで映像に被疑者、三浦和義が写ったが、その表情にいつものふてぶてしさがなく、緊張した面持ちだった。というのも米国での裁判は陪審員によるものなので、被疑者の態度、状況証拠を陪審員がどう判断するかにかかっている。日本でも100人中99人がクロと持っていたことを考えると、どう見ても三浦和義は有罪となる可能性が高い。それに年齢を考えるともう先を楽しむ余裕はなく、自分の人生は終わり、と悟ったのかもしれない。 
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日本語オペラ「黒船」の高い完成度

2008-02-24 | Weblog
 23日は東京・初台の新国立劇場で山田耕筰作の日本語による本格的オペラ「黒船ーー夜明け」を観賞した。新国立劇場10周年を記念して企画されたもので、NHKニュースでも報道されるなど前景気をあおったせいか、会場はほぼ満員。出演者はいずれも日本人で、歌も触れ込み通りすべて日本語だが、両側の字幕に表示されるので、ついつい見てしまう。いつも見慣れているヨーロッパのオペラと比べて時代劇の裃、着物姿で出てきて、すり足で動き回る姿は優雅で、演技力も素晴らしくまるで時代劇映画を見ているような錯覚にとらわれた。
 時は幕末、所は伊豆・下田。幕開けは下田のお祭りの場面で、港の広場で民が歌や踊りに興じている。そこへ現れたお吉と尊王攘夷を唱える浪人が通りがかり、町奉行が宴会を開くなか、黒船が入港し、町は大混乱に陥る。下田に上陸した領事はお吉に道を尋ね、その後お吉は通りかかった浪人から領事を暗殺するように短刀を渡される。
 しかし、一向に領事の暗殺が果たされないまま月日は過ぎ、米国政府と幕府の交渉もうまくいかない。時間かせぎに奉行は領事の相手にお吉をあてがおう、とするが、お吉は応じないため、牢に繋がれる。
 それを知った領事はお吉を釈放するように取り計らい、お礼に訪れたお吉に領事は自分に仕えてくれるよう要請する。浪人から暗殺するよう頼まれていることもあって、お吉は承諾する。ところが、暗殺を果たせないうちに1年経ち、領事と海に出掛けた折りに暴風雨で島に取り残されてしまい、お吉は領事の機転で命を救われる。
 で、流石に良心の呵責に耐えかねて、領事に事の仔細を打ち明けるが、領事は笑うばかりで、むしろお吉への愛を打ち明ける。そこへ、浪人が来て、お命頂戴とばかりに切りかからんとする。が、京都からの密書が届き、暗殺中止の命が下り、己の非を悟った浪人は切腹し、領事はこれで日米両国の交渉が成り、平和が訪れる、と宣言したところで幕となる。
 途中、セリフが単調になるようなところもあったが、若杉弘指揮の音楽も素晴らしかったし、なによりも出演者の演技が群集シーンから、宴会の場面や海上の場面など舞台装置もよく出来ていて、見ごたえがあった。特にこれまで見慣れた時代劇のせいか、出演者の所作、演技が自然で、すっと場面に入っていけた。これまでオペラといえば、すべて欧米の話で大袈裟な演技が鼻についていたが、日本の昔の物語なので、日本人が演じるにみピッタリという感じであった。歌そのものでは欧米人に敵わないかもしれないが、細やかな演技力では日本人の方が優れているのではないか、とも思った。
 以前に中国を舞台とした瀬戸内寂聴作のオペラ「愛怨」を見たが、それよりもずっと日本のオペラである、と感じた。やれば出来ることが証明されたのだから、もっと日本を舞台とした日本のオペラがでてきてもいい、とも思った。
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犬も猫も食わない中国製ソーセージ

2008-02-23 | Weblog
 写真家の藤原新也が営団地下鉄の無料配布のフリーパーパー「metro min」2月20日号に連載している「撮りながら話そう」で、中国・上海に行った知人がそれなりのいいホテルの朝食の記念にに持ち帰った魚肉ソーセージを犬に食わせようとしたら、食わないという怖ろしい話を書いていた。筆者がそのソーセージをもらっていつもいかなるものも食べてしまう野良猫に与えたところ、猫またぎというか、一瞬臭ってそのまま無視した、とも書いていた。猫は独特の嗅覚で危険を悟ったのかもしれない。犬猫が食わないソーセージを人間が食べていたのである。
 イージス艦の漁船への衝突事故で主役の座を譲った感のある中国製餃子事件は日本政府の対応のまずさも手伝って一向に進展しない。中国・天洋食品の冷凍餃子に続いて今度はソースかつ冷凍食品から基準を超える有機リン系農薬ホレートが検出された。神奈川、静岡、山梨の6生協dえつくるユーコープ事業連合が販売する冷凍食品「レンジDEロールソースかつ(アスパラ入り)」から基準値の4倍のホレート1.2ppmを検出した。製造元は19日に大阪市が業務用冷凍食品「青島ニラ肉焼まん」から「メタミドホス」が検出されたと発表したニッキートレーディングと同社関連会社が100%出資する「山東仁木食品」である。
 ユーコープ事業連合では早速、同製品の回収と製造元が同じ「れんこんのはさみ揚げ」、「ニッキーフーズ プチ肉まん」についても製造中止と自主回収に乗り出した。
 事件が発覚してほぼ1カ月になるが、いまだに中国側は「日本か、中国のどちらで仕掛けられたか、わからない」としらを切っている。先週初めて、大臣クラスの唐家旋国務委員が来日して、福田首相らと対策の協議の場についたが、謝罪しているふしはうかがえない。
 今回の件の責任は中国側にあるとこれだけ事実がはっきりしているのに相変わらず、のらりくらりとした中国側の姿勢は理解に苦しむ。まるで、拉致問題で「もう解決した」と繰り返し述べる北朝鮮の態度と相通ずるものがある。外交とは常に原則を盾に譲らない、という一時代前の国際政治理論を聞く思いがする。時代錯誤という点では中国と北朝鮮は共通したところがあるようだ。
 それにしても日本政府、および日本国民の態度は生温い、と言わざるを得ない。仮に、これが立場が逆だったら、とっくに中国では日本製品ボイコットの市民デモや焼き討ち事件が起きていることだろう。ところが、日本人は温和な優しい性格のせいか、中国に対してあくまでも紳士的な振る舞いに徹している。日本政府の首脳からは中国を責める言葉は出てこない。なぜか、中国に対しては弱腰にすら見える。お父さんの世代が第2次世界大戦で中国に対して南京大虐殺などの事件を起こしている、という贖罪の気持ちがあるからののだろうか。それはそれで、きちんと言うべきことを言わないと、今度同じような事件が起きた時にものが言えなくなるのではなかろうか。
 すでに日本国内では中国製食品はボイコットする動きが出ていて、スーパーの店頭からは中国製食品は姿を消しつつある。人間もやっと犬猫の嗅覚に近づいてきたようだ。
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天は二物を与える?

2008-02-22 | Weblog
 21日は東京・赤坂のサントリーホールへNHK交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。名古屋の友人が一緒に行きたい、というので、昨年末に席をとったのだが、所用で来れなくなり、かみさんと行った。サントリーホールでN響の演奏会を聴くには初めてのことで、ワクワクしていた。席は前から3番目の右端で、演奏者の顔がよく見えなかったが、サントリーホールだけに音だけは十二分に聴け、さすがN響といった感じであった。
 入口で渡されたパンフレットを見ると、指揮、オーボエ ハンスイェルク・シェレンベルガーとなっていて、解説文を読むと21年間ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・オーボエ奏者を務めた後に指揮者としての研鑽を積んだ、と書いてある。欧米では楽団員から指揮者になる例は珍しくないとか。今回、どんな指揮と演奏を見せてくれるのか、まさか指揮台の上でオーボエを吹くのではなかろう、と思っていたら、最初の曲目、モツアルトの「セレナード第10番変ロ長調K.361」では13人の演奏者と一緒に壇上に登場し、円形に座った一番左端に座り、全体をリードしながら、見事にオーボエを演奏した。
 同曲は短いながら第7楽章まである。オーボエだけでなくクラリネット、ファゴットなど管楽器ばかりの編成で、きれいで伸びのある音色をホール全体に響かせてくれた。
 休憩時間にくつろいでいたら、廊下を盲導犬を連れた老女が前を通っていった。ソフトバンクのコマーシャルではないが、犬までが音楽を聴くのか、と思った。犬は人間より耳は発達しているので、少なくともいい音楽か、そうではないかの見極めがつくのだろう。
 後半はモーツアルトの歌劇「イドメネオ」バレエ音楽K.367と同じくモーツアルトの交響曲第40番ト短調K.550で、こちらではハンスイェルク・シェレンベルガーは指揮台の上からタクトを振るった。曲目のせいか、タクトを振るテンポが早い感じがしたが、指揮をしている人が先ほどはオーボエの名演奏を聴かせてくれた、と思うとそれだけで指揮棒が素晴らしく思えてくるから不思議だ。
 天は二物を与えない、というのはこと天才には通じない、と思えてくる。
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経済オンチぶりを露呈した石原慎太郎

2008-02-21 | Weblog
 東京都が1000億円を出資して開業し、経営不振に陥った新銀行東京は20日、都から400億円の追加出資を受けることを柱とした再建計画を発表した。人員や店舗を削減し、11年度に単年度黒字をめざし、同時にここまで経営を悪化させた前経営陣の経営責任も追及する、という。これについて本当の責任を追及するのは言い出しっぺの石原東京都知事であるの間違いなく、こと経済に関しては全くの素人であることが判明し、場合によっては知事の辞任にもつながりかねない。
 新銀行東京は石原知事が03年4月の知事選で公約、中小企業支援を目的に05年4月に開業した。が、原則無担保・無保証の融資で焦げ付きが多発し、07年9月の中間期決算で936億円の累積赤字を計上、この3月期には累積赤字が1000億円を超え、債務超過に陥り、中小企業を助けるどころか、自ら倒産するというみっともない事態に追い込まれることになる。
 同行は6店舗、従業員460人いるが、わずか3年でどうして総経費を大きく上回る赤字を計上したのか、理解できない。銀行業である限り、預金者から預金を集めて利息を上回る利子で融資して、その利ざやで稼ぐのが原則である。普通の銀行なら必ず担保を取るのだが、選挙で無担保・無保証を唱っているので、担保が取れず、めくら判を押して貸しまくったのだろう。融資をする以上、相手先の経営実態や将来性、経営陣のヴィジョンくらい確かめた上で行うのが原則だ。それもせずにただ融資実績を上げようと、格好ばかりつくってきたのではなかろうか。所詮は素人のビジネスだったのだろう。
 それに石原知事はかつて東京に店舗を持つ資金量5兆円以上の銀行に対し外形標準課税を実施し、2000年から3年間に3173億円徴収したが、銀行側の反発に遭い、訴訟となり、東京高裁で違法と判断され、結果的には和解で2344億円を返還したことがあった。この1件で、銀行業界には石原知事には一切協力しない機運が残っていて、新銀行東京に人材の供給はおろか、営業面でもなんら協力しなかったのではなかろうか。
 新銀行東京は店舗を1つに集約し、人員も段階的に120人までに縮小するという単なる経費削減だけでは業績を回復できないだろう。前経営陣への責任追及といっても累積赤字が減るわけでもないし、そんなだらしない経営陣を任命した石原知事の任命責任こそ問われるべきだろう。絵に描いた餅でなく、実現性のある計画こそ示すべきだろう。それが明確なものでない限り、一刻も早く、会社を畳むべきだろう。石原都知事は「このまま放っておくと債務超過になってしまう」と暢気なことを言っておらずに、ここはあっさりと「経済は知りませんでした」と頭を下げるべきだ。
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街の診療所にも経営変革が

2008-02-20 | Weblog
 19日は年に1回、この時期に必ずしている人間ドックに行くため、会社を休んだ。半日ドックで午前中には終わってしまうのだが、内臓撮影のためバリウムを飲むため、予後不良になるので、家に帰ってきてしまう。今回もいつもの東京・霞ヶ関の霞ヶ関ビル12階にある(財)健康医療協会霞ヶ関ビル診療所に朝8時半過ぎに行ったら、いつになく人が多い。そういえば、今年始めに同診療所から珍しく人間ドックでの利用を呼びかけるダイレクトメールがきていたことを思い出した。医療の世界でも生き残り競争は激烈で、昔ながらの待ちの姿勢から攻めの姿勢でも打ち出したぼだろうか。
 待合室で順番を待っている間に周りをよく見ると、待合室のソファーが新しくなっているし、大型の液晶テレビは置いてあるし、マガジンラックには「LEON」や「25ans」などが最新のファッション誌があり、以前のいかにも診療所といったダサイ感じは一新され、まるで美容院を思わせるような造りになっている。
 受付台の掲示をみると、人間ドックだけでなく、法人の健康診断も受け付けている。そのせいか、次ぎから次ぎへとお客が入ってくるし、応対する女性陣の数も多い。検診は尿検査から始まって目、レントゲン、血液、エコー、心電図などと進んでいくが、いつもよりスピーディでてきぱきしている。よく見ると、一角にマンノグラフィー検査なる新しい診療コーナーが設けられていた。女性を対象にした乳腺のレントゲンを撮るもののようで、パンフレットを見ると、他にも肺がんや前立腺がん、心エコーなどオプションでの検査ができるようになっている。
 最後に内科の診療があったが、これもいつものご老体の医者から若い医者に変わっており、おざなりの診察でなく、触診も含めいかにも診断している、といったものだった。全体に受診者に対し、誠心誠意取り組んでいます、といった姿勢が感じられ、これなら、またここを利用しよう、との気になってくる。
 この霞ヶ関診療所を人間ドックで利用したのは1985年なので、23年間、毎年のように訪れているが、こんなに変わったのは初めてのことである。地下鉄虎ノ門駅を降りたのは1年ぶりだったが、地上に出たすぐの文部科学省の建物が高層ビルになって周りの風景が一新されたことと、この霞ヶ関診療所の革新が関係あるのかよくわからないが、経営陣にきっかけを与えたのは確かだろう。
 と、考えていて、毎回見かけるいかにも事務に長けた感じの如才なさそうな女性がいないのに気が付いた。いつも受付の中にいて、受診者に優しく応対していたのに変革の一環でいなくなってしまったのかな、と思っていたら、最後の内科診療のところの呼び出し係をしていて、ホッとした。どの組織にも”顔”となるような人がいるもので、名前も知らないこの女性が残っていてくれたことはこの変革が成功したなによりの証拠ではなかろうか、と勝手に思った。
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