鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

思い出の赤坂プリンスポテルの火が消えるのも自民党凋落の一端か

2010-04-30 | Weblog
 東京・赤坂の「グランドプリンスホテル赤坂」が来年3月で閉館されることとなった。赤プリの愛称で知られる同ホテルには数々の思い出があり、名古屋から東京へ出てきた鈍想愚感子にとって東京の文化を代表するホテルでもあった。建物が老朽化したこととホテル業界の競争激化で収益が低下したのが理由とされているが、最大の顧客であったはずの自民党が政権を奪われて以前のように頻繁にホテルを使えなくなったことが大きいのではなかろうか。
 赤坂プリンスホテルは1955年10月に開業されており、丁度東京のど真ん中に位置し、近くを首都高速道路が交差するところに屋外プールがあって、いかにも都心のホテルというムードがあった。それでいて、帝国ホテルのような格式ばらずに気軽に足を運べるような雰囲気があり、外側の道から見える屋外プールでは外人の家族連れが泳いでいて、ゴージャスな感じを醸し出し、テレビの歌番組やバラエティ番組の収録にも使われていた。東京へ出てきた昭和46年当時に健康保険組合の割引券で、1、2度屋外プールに泳ぎに来たことがあったが、期待したようなゴージャスな気分には浸れなかったことを覚えている。
 それから数年後に名古屋で結婚式を挙げて、新婚旅行でグアム島へ行ったが、一旦東京へ来て、泊まったのが赤坂プリンスホテルだった。親戚の旅行代理店に勤めている従兄に手配を頼んだので、偶然そうなったのだが、いまから考えると、よくよく赤坂プリンスホテルとは縁があったのだ、と思い返される。
 そして、さらに20年後、今度は勤めていた会社が赤坂プリンスホテルとは目と鼻の先の永田町へ引っ越して、ランチにホテル内のレストランに行くのはもちろん、社内のパーティや発表会などによく赤坂プリンスホテルを利用するようになった。イベントを手がける仕事柄、定期的に赤坂プリンスホテルを利用してきた。故丹下健三氏が設計した新館のクリスタルパレスや、五色の間などは度々利用させてもらってきた。
 新館40階の最上階にある「トップオブアカサカ」などは眼下に見える高速道路を行き来るする自動車のヘッドライトが光線となる夜景は絶景の趣きがあり、仲間との楽しいひとときを過ごすのに最適の場所でもあった。また、明治時代の雰囲気を残す旧館は重々しいムードがあって、これまた格別の場所でもあった。
 それだけに閉館されると聞いて、感慨深いものがある。とはいえ、こうした施設を運営しているのは民間企業であり、採算上経営が成り立っていかないとなれば、閉館されるのもむべなるものかな、と思わざるを得ない。
 赤坂プリンスホテルは西武鉄道グループの国土建設興行の傘下にあり、経営実態は明らかにされていないが、総帥堤義明氏の胸先三寸ですべてのことが決められてしまうので、閉館の実際の理由など推定の域を出ないのだろう。堤義明氏の関係か、赤坂プリンスポテルが自民党本部や砂防会館のある永田町と隣接していることもあって、自民党代議士のよく利用するところとなっていた。ロビーなどで、テレビで見かける代議士の顔をよく見かけたものだった。その自民党が昨年8月に政権の座を追われて以来、めっきり赤坂プリンスホテルでの会合なるものが減ったのではなかろうか。代議士の数も減ったし、会合費の名目の機密費も出せなくなったことだろう。
 思い出が続くのも金次第ということなのか、これも時代の流れというしかにのかもしれない。

追記 気になってかみさんに36年前の新婚旅行初日の宿泊ホテルはどこだったかを聞いてみたら、ホテルニューオータニだ、という。まだガーデンコートのできていない時期で、豪華な印象が残っていないので、てっきり赤坂プリンスホテルだった、と思いこんでいた。当時の財政状態から見て、一流のホテルニューオータニになんか泊まれるはずがない、とも思っていた。かみさんの言う通りなら、最近目立つ勘違いで、当時、従兄が奮発してサービスしてくれたのだろう。いまさらではあるが、感謝申し上げる次第である。
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航空路線廃止反対を叫ぶ知事のパフォーマンスはいかがなものか

2010-04-29 | Weblog
 会社更生手続き中の日本航空(JAL)が28日、国内30・国際15の計45路線からの撤退を発表した。1月に国内外31路線の撤退を発表したのに続く第2弾で、再建に向けてさらなる路線廃止となる見通しも出てきた。民間企業である限り、路線の廃止はやむを得ないと思われるが、テレビを見ていておかしいと思えるのは国内路線廃止に反対する関係府県の知事たちの動向である。路線廃止は地方にとって死活問題であるとして、反対運動の先頭に立っているのが解せない。
 JALがかつて国営企業であるのなら、国に対して路線の廃止を訴えるのはよくわかるが、いまやJALはれっきとした民間企業で、その民間企業に対して路線の廃止は思い留まってほしいというのはお角違いもはなはだしい。先日も関係する知事10数人が一緒に政府に対して陳情していたが、地域住民に対する単なるデモンストレーションにしては大げさ過ぎる。国に対して陳情するということは国に税金を投じてJALを救ってくれ、というに等しい。
 国としても企業再生支援機構を通じて面倒を見ることにはなっているが、それを超えた自主再建計画のなかで打ち出された路線廃止についてはJALに任せるしかない。自主的な再建に踏み出そうとしているのに、再度路線復活に向けて財源をつぎ込むようなことをすれば、いままでやってきたことは何だったのか、ということになる。JALを民営化した意味が全くなくなってしまう。それに国の財政状況からして、いかにかつての国営企業であるとしても一民間企業に資金を注入することはいかがなものか、と批判を浴びることになりかねない。
 そんなことは先刻承知のうえでのパフォーマンスであるのだろう。28日も国内廃止30路線のうち12路線の小牧、中部国際空港を抱える愛知県の神田真秋知事が知事室から出てきたところをインタビューされ、「地域振興のうえで大きな問題」と話していたが、こんな茶番のインタビューを流すテレビ担当者の神経もどうかしている。
 JALが会社更生法を申請した段階から、不採算路線が廃止されることは当然予想されたことである。不採算になっているということはそれだけ利用者が少ないということで、利用者を増やすために地域の経済活動を活発にするために特定の地域との交流を活発にするなどの手を打つことでもしたらいいのだろうが、帯広、秋田など12地点もあるのでは効果的な対策も打てないのが現実だろう。
 となると、地域で航空券購入に対して補助金のようなものでも出すことが考えられるが、特定の一民間企業の券だけに補助金を出すことは公平の原則に反するし、愛知県の財政状況からしてそんな余裕はないことだろう。
 もともと狭い国土にそれこそ一都道府県に1つ以上の空港の建設を推進し、それを認めてきた過去の航空行政に問題がある。閑古鳥が鳴くような空港があるのも事実で、いまとなっては過去の知事なり政治家の負の遺産というしかないだろう。
 いまこそ国をあげて国内の適正な空港配置を打ち出し、オーバーな施設は他のものに転用していくことを真剣に取り組むべき時だろう。
 
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民主党のなかに小沢幹事長の首に縄をかける志を持った人よ出でよ

2010-04-28 | Weblog
 東京第5検察審査会なる組織が27日、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で小沢氏を不起訴(容疑不十分)とした東京地検特捜部の処分を不当とし、「起訴相当」と議決した。小沢氏の供述が信用できないというのがその理由で、同じ東京第4検察審査会が前日に鳩山首相に対しては「不起訴相当」としたのに対し、一転しての有罪宣告で、国民感情をを配慮したものとみられる。小沢幹事長はこれに対して「やましいところはない」として幹事長職を辞する考えのないことを表明しているが、党内外からの辞任要求は日ごとに強まることが予想され、5月政変は避けられない見通しとなった。
 東京第5検察審査会は「収支報告書を提出前に確認することなく、担当者が真実を記載していると信じて了承していた」とする小沢氏の供述を「きわめて不合理、不自然で信用できない」と批判した。一方で、収支報告書を提出する前に「小沢氏に報告、相談した」という元秘書の石川知裕衆院議員らの供述を小沢氏の容疑を裏付ける直接証拠にあたる、と判断した。そして「秘書に任せていたといえば政治家の責任は問われなくていいのか」と疑問を呈し、銀行融資を受けるなどの偽装工作などの状況証拠とあわせて共謀の成立が強く推認される、と結論づけている。
 検察審査会は検察が公訴しない事件が不服申し立てされた場合に審査を行う機関で、地方裁判所のある全国149カ所に165の審査会がある。国民のなかから無作為で選ばれた11人から成り、任期は6カ月で、半数づつ3カ月ごとに改選される。検察審査会が起訴相当と議決するには3分の2の8人以上の多数によらなければならないが、今回は11人全員が同意した、という。「起訴相当」とされた場合、3カ月以内に検察からの通知がなければ、検察審査会が再度開かれ、再び「起訴相当」「と判断された場合は、裁判所が指定した弁護士が公訴して公判が行われることになる。
 いずれにしろ、小沢幹事長が起訴されるのは避けられない。本人は相変わらず潔白として「与えられた職務を淡々とこなしていくだけ」としているが、起訴されるのが確実な人を党の要職につけたまま党運営をしていくことに国民が納得するはずがない。小沢氏の取り巻きは小沢氏と同様戦う姿勢を打ち出しているが、党最高顧問を務めた渡部恒三議員は「本人が然るべき判断をしてほしい」と暗に辞任を求めている。
 鳩山首相は前日に自らの政治資金規正法違反事件で「不起訴相当」とされた時と同じ「政府の首脳としてコメントすることは差し控えたい」とのことしか言わないが、ここは政府・党の最高責任者として幹事長を解任するくらいのことを表明してもよかっただろう。今後、小沢氏へ対する世論の反感がさらに高まり、7月の参院選どころか、内閣支持率が急降下することは目に見えている。
 小沢氏が「与えられた職務」というのは鳩山首相が解任することはないと読んだうえでの発言で、自ら辞任する意向がないのを表明したのと鳩山首相への甘えである。小沢氏がここで辞任すれば自ら政治生命を絶つことになり、忍びないということなのだろう。鳩山首相はもともと民主党が政権を獲得したのは小沢幹事長の力によるとこと大なので、その小沢幹事長とともに再び政権を奪回されるとしても仕方ない、とさえ思っているのだから、いまとなっても「このまま頑張ってもらいたい」とKYなことを言っている。
 いまこそ、民主党は小沢幹事長を解任して党の再生を図るべき時である。鳩山首相のそのこを期待できないのであれば、小沢氏が公訴されて党全体が泥まみれになるのを前に、民主党のなかに小沢幹事長の首に縄をかけるだけの志を持った人が出てくることを期待したい。
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自然科学の殿堂、理科学研究所の事業仕分けは消化不良だった

2010-04-27 | Weblog
 26日も東京・日本橋で行われている政府の行政刷新会議の「事業仕分け」2日目の傍聴に出かけた。先週末にあれほど新聞テレビで大きく取り上げられたのに、傍聴しようとする人の列がさほどでもなかった。午前9時半から始まると読んでその頃に行ったら、まだ開いてなくて、行列も100人程度と爆発的な人気とは言い難い。昨秋に続く2回目で、手のうちは知れた、ということなのだろうか。30分ほど並んで、会場へ入り、午前10時半から作業が始まった。
 ワーキンググループBのトップバッターは我が国学術研究の砦ともいえる理化学研究所で、傍聴席のあちこちに関係者と思えるような”さくら”らしき人がやたら目立っていた。冒頭、事務局長らしき人から理化学研究所の存在意義を滔々と述べ立て、やたら「先端」、「戦略」とか、「有望」、「有望的」なる言葉が出てくる。すかさず評価委員がその違いを聞くが、あまり明確な答えが帰って来ない。総研究員4000人で、研究予算1046億円(平成21年度)のうち、今回対象となった先端的融合研究と国家的なニーズに基づく研究に366億円、委託研究だけでも63億円と合わせて430億円もの巨費が投じられていると聞くと、疎かには見過ごせない。
 他の国の研究機関との違いを聞かれても明確な答えは帰って来ないし、個々の研究テーマについての妥当性について5年ごとに見直している程度だし、特定の会社に随意契約で委託研究を発注している事実も明らかにされた。さらに呆れたことに研究者のアシスタント97人のうち、配偶者が6人いて、そのなかの1人には年600万円も払っている事実が明らかにされた。神戸にバイオ関係の新たな研究センターをつくる計画について聞かれても「従来の研究スタッフを1カ所に集めるだけで、新たな箱ものをつくるわけではない。予算もかき集める形で済まし、3億円くらい余分に出るだけ」とシャーシャーとしている。
 そんな状態なのに評価委員の評価は「研究、委託研究とも見直し、ガバナンスの強化を図る」と注文をつけただけで終わり、「国の科学技術に対する政策・戦略の欠如」を指摘し、自らに刃を向けた形で終わったのはなんとも消化不良といった感じだった。作業が終わったら会場から半数近くの傍聴者が一斉に引き揚げ、さぞ懸念した嵐でなくそよ風で収まったとの思いだったことだろう。
 続いて行われた物質・材料研究機構ではもっぱら他の似たような政府の機関との統合が質問されたが、「他と一緒になると埋没してしまう」というのみで、独立して研究を行う意義について納得できる説明がなかった。しかも研究内容のチェック体制についても明確な説明はなかったし、研究成果について問われても特許が20年経つとなくなってしまうことを理由に具体的な事実を明らかにできなかった。評価委員から「他の法人で実施できる」と判定されても仕方のない状況だった。
 3番目に対象となった日本学術振興会は年間2000億円もの巨費を科学研究費補助金として支給しているがそのい割りには補助対象の研究の審査体制のガバナンスがお粗末である実態が浮き彫りにされた。多岐にわたる分野への研究補助金のすべての判断ろ理事長が行っているような感じで、事務局の非力さが目立った。理事長の退職金を聞かれ、月額報酬の28%の掛け率で1800万円と答え、あとで12.5%の間違いと言って1200万円と修正していたが、どう計算しても800万円余としかならないのをでれも指摘しなかったの不可解だった。ここではガバナンスの強化が指摘されただけで終わった。
 時間の関係でここまでで引き上げたが、総じて科学技術関係の独立行政法人への評価委員の切り込みは専門分野でないとの意識があるせいか、遠慮勝ちで、見ていて歯がゆいものがある。それでもインターネットで見るよりは生のやりとりを間近でみるのはそれなりの迫力がある。時間の許す限り、また足を運びたい、と思った。
 
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自らのの眼を信じた馬券戦術が立て続けに的中した喜びに浸った

2010-04-26 | Weblog
 25日は久しぶりに東京・府中の東京競馬場へ出かけた。場外馬券ばかりやっていると、宝くじを買っているような気分となってきて、たまには競馬場で馬の走る姿を見て楽しみたい気になってきて、ムズムズしていたのだ。花粉症がまだ治りきっていないので、マスクと襟巻きをして防寒対策をしたうえで、勇躍競馬場へ乗り込んだ。午前9時半頃、南武線・府中本町に降り立つと、結構なひとの波で、遅かったかな、と思ったが、いつものゴール板上の観覧席に楽々と席を確保できた。早速パドックに行くと、まだ出走馬は出てきていない。第1レースの発送時刻を見ると、10時10分で、入れ込んでいるのは馬でなくこちらだった。
 定刻の出走30分前に第1レース3歳未勝利戦に出走する16頭の馬が出てきたので、じっくり眺めていると2番のレディスキッパーと15番のアドマイヤオンリーの2頭の馬の前に踏み込む姿が力強くて、断然他馬を圧倒している。40年来、こうしてパドックで馬を見てきているが、いまだにどうして馬をも見たらいいのか、確信が持てない。といいながら、自分の眼を信じるしかない。最初だし、ここは自分の目が合っているかどうかで、2番と15番の1点買いでいくしかない、と決めた。すると、その通り15番、2番の順に入って馬連はバッチリと当たった。3着までを当てる3連複は外れたが、幸先いいスタートに気をよくした。
 次の第2レースの16頭立て3歳未勝利戦は4番のスマイルタイムがやたらよく見え、次いで1番のイチエイクリッパーなる人気薄の馬の気配がいいので、ここも1番4番の1点買いに、3連複で遊んだところ、1番の馬が逃げて4番の馬が追い込んできてその通りとなり、中穴を的中した。この余勢を駆って、第3レースの14頭立て3歳未勝利戦も見立てた通りの12番、13番と入って、第1レースから第3レースまで立て続けに的中してしまい、この日の稼ぎを超えてしまった。永らく競馬をしているが、第1レースから3レースも続けて馬券を当てたことは初めてのことだ。30年くらい前に取材先の広報の初めて競馬をする2人を連れて東京競馬場へ来た時に午後の6レースを立て続けに当てたことがあったが、それで運を使い果たしたのか、その日以降1年間馬券が当たらなくなったことがあった。その時は単に競馬新聞を見て予想したのがたまたま当たっただけで、なんら根拠のある馬券の購入でもなかった。
 今回は実際にパドックで馬を見ての購入なので、いよいよ名人級の域に達したのか、と思ったら、それがいけなかったのか、第4レースの18頭立て3歳未勝利戦は外れてしまった。それでも第5レースの16頭立て3歳500万下戦は読み通りに5番、16番で的中となり、「今日はどこまでいけるのか」と期待に胸を膨らませていたら、第6レース以降はとんと当たらなくなってしまった。
 それでもいいと思った馬が1着、もしくは2着に来たりして、馬を見る眼だけは狂ってはいないな、と思っていたが、メインの第11レースフローラステークスではねらった馬が発送前に放馬してエネルギーを使い果たしてしまうという不運に見舞われる始末で、勝利の女神から見放されてしまった感もあった。
 未勝利戦クラスの馬の場合、厩舎の馬の仕上げに差があるので、見ればすぐにわかるような感じがあるが、クラスが上がってくると出走する馬はいずれも目いっぱいに仕上げてくるので、見た目に差がつかなくなる、という側面もある。馬の走る雰囲気は体型、歩幅、歩く様子、目の動きなど一瞬のうちに感じ取るもので、いわく言い難いものがある。ダービーなど大レースに出走するような馬は完璧に仕上げてくるので、差を見つけるのは難しい。
 それにいくつものレースを見ていくうちにどんな基準で見ていたか、こちらの物差しも分からなくなってくる。競馬場へ来る前の日に徹夜でもしようものなら、もう馬を見る眼は狂っている、といっていい。だから、前日はゆっくり寝て万全の状態で臨まないといけないのはいうまでもない。
 ともあれ、25日はいままでにない馬を見る眼の確かさを実感することができた。午後から観客席に風が吹き荒れたこともあって、その喜びが続かなかったのは残念だったが、稀有な体験ができた貴重な一日だった。
 
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北京モーターショーに続く上海万博の開催で考えさせられたこと

2010-04-25 | Weblog
 中国・北京でモーターショーが23日開幕した。中国では上海と北京で交互に開催されているが、ことしは昨年日本での東京モーターショーが海外からの出展企業がわずか3社と惨憺たる内容だっただけに注目していたが、なんと世界から2100もの企業が出展した、と報道されていて驚いた。いまや世界一の自動車販売台数を誇る中国の市場をめざして世界の自動車メーカーがこぞって出展しているわけで、続いて上海で幕開けする上海万博と合わせていまや中国が世界の中心地たることを如実に見せつけられた思いがする。
 北京モーターショーは23日から5月2日まで中国国際展覧センターで開催されているが、「環境にやさしい未来」をテーマに世界各国から2100もの企業が出展し、過去最大規模となった、という。中国の09年の自動車販売台数が1364万台と米国、日本を抜いて世界一となったことから、おいしい中国市場に群がってきたものと思われる。自動車に限らずアジアの市場は日本がリードしていたはずなのに、いまやすっかり中国にお株を奪われた形となってしまった。
 しかもこの北京モーターショーを引き継ぐかのように5月1日から今度は上海で、上海万博が10月末まで開催される。上海万博には初めて万博に出展する北朝鮮、それにEU(欧州連合)域外で開催される万博には出展しないとしていたEUがも出展するなど世界から246の国・もしくは国際機関が出展し、これも過去最大規模となる、という。万博のテーマソングが岡本真夜の「そのままの君でいて」の盗作であるとして問題となったのも愛敬か、期間中の来場者は7000万人と大阪万博の6500万人を上回るものとなる、と見込まれている。
 モーターショーという経済の象徴的なイベントのみならず、文化・エンターテインメントを包括した万博でも世界を凌駕した勢いを見せつけているわけで、完全に中国が世界の中心地たることを物語っている。
 識者のなかには丁度、日本が昭和39年に東京オリンピックを開催し、その6年後に大阪万博を開催し、高度成長の坂を登っていったのと同じ道を中国は辿っている、と見る向きがある。中国の場合、北京オリンピックを開催したのが08年で、それから2年で上海万博の開催でペースは早いし、モーターショーでも世界一の開催規模という経済面での裏付けもあり、名実ともに世界一の実力をかね備えているという違いがある。
 中国首脳はオリンピックも万博も国内外に向けた壮大なデモンストレーションととらえているのはもちろんで、国力を示威して、人民の意識を高揚させようとしていることに最大のねらいがあることだろう。その背景には13億人という世界最大の人口をかかえている、ということが大きな力となっている。自動車の販売台数が世界一となったとはいえ、自動車1台当たりの人口ではまだまだで、13億人という人口を考えれば、中国の自動車需要は限りなく伸びていくのは間違いない。
 昔、小学校のいまは亡き担任の先生が「中国はいまに日本を抜いていく」と予言し、そんなことがあるのかな、と半信半疑だったことを覚えている。その理由として中国4000年の歴史を持つ文化を説明していたのをうっすらと覚えているが、いまやその通りとなりつつある。
 こんな中国を見ていて、ただ手を拱いてみているだけでいいのだろうか。日本の政治家はじめ政財官界のリーダーに中国を見習って国の舵取りをしてほしいものだ、と痛切に思う。
 
 
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ノーベル賞学者の理事長を前面に押し立てた沖縄科学技術研究基盤整備機構のセンスに疑問

2010-04-24 | Weblog
 23日は東京・日本橋のTKP東京駅日本橋ビジネスセンターで行われた政府の行政刷新会議の事業仕分けの傍聴に行った。昨年秋民主党政権の目玉として爆発的な人気を呼んだ「事業仕分け」の第2弾で、朝起きて行く気になり、早速ネットで開催場所を調べ、前回の資料を見て開始が午前9時半だったので、10時少し前に会場へ着いた。もう始まっているのか、と思いきや、一般傍聴の人の列は50人くらいで、2回目で人気があにのかな、と思わせた。1時間ほど並んで、受付でセキュリティ用のシールをもらい、会場へ入ると午前11時15分になって、開会式なるものが始まり、担当の枝野幸男大臣が「税金の使われ方を国民の皆様に知ってもらうよう透明化する」とねらいを高らかにぶちあげた。
 続いてグr-プAのトップバッターとして独立行政法人沖縄科学研究基盤整備機構の運営委員会の経費が対象にのぼった。5分の冒頭の説明に問題とされた2002年ノーベル医学・生理学賞受賞の英人、シドニー・ブレナー理事長が英語で機構の高邁な理念ろ滔々と述べ立てた。さすがに評価委員が途中でさえぎったが、会議の趣旨を理解しない異様な光景だった。
 沖縄に世界レベルの研究内容の大学院大学をつくるため、運営委員会に世界のノーベル賞受賞者5人を含む最先端の学者10人を選任し、なおかつ理事長、理事ともに外人をもってきており、事務局長不在の状態で、キャンパス整備費の予算138億円に対し40億円も超過した杜撰な管理状態なのに、あえてノーベル賞受賞の外人博士の理事長を前面に押し立てた事務局のセンスが疑われる。
 おそらく今回の事業仕分けのスケジュールに合わせて米国から来日したのだろう。会議の間中、横に通訳を従えて一部始終を通訳させている。その経費だけでも大きな無駄と思えるのに評価委員のだれもそのことを指摘しない。しかも大幅な予算超過の承認プロセスの責任者は当の理事長であるのに、恐れ多いと感じてか、評価委員はあえてノーベル賞学者には聞こうとはしない。
 結局、結論としてはガバナンスの強化を図り、予算の縮減を求めることとなったが、発足当初の5年前とは環境がガラリと変わったなかでのスリム化を求められることとなったが、いまや世界レベルの大学院大学をつくること自体、見直さざるを得ないと思われるが、議論はそこまで踏み込まなかった。
 ここで昼時となったが、会場を出ようとしたら、入場の列ができていて再度入場するのに大変しょうな感じがしたので、缶コーヒーだけでしのぎ、そのまま座席に座って午後の開始を待つことにした。待っていると事務局スタッフが資料だけを置いて席取りしているのを除外したり、省庁の職員に一般傍聴席に座らないように呼びかけたりしていたが、必ずしも徹底していなくて事務局の不手際としか思えない感じだった。
 午後になって国際協力機構(JICA)の運営費交付金が対象となり、前回の事業仕分けで「予算30%削減」と指摘されたのを受けての説明はら始まった。冒頭、福山哲郎外務副大臣が予算の削減内容を説明していたが、これでは民主党内部のやりとりにしか聞こえてこず、事業仕分けの意味がない、と感じられた。しかも前回指摘を受けたJICA研究所の存在意義の有無についてはなんら踏み込むこともなく、天下り幹部の給与実態や、有償資金協力やJICA職員宿舎についても表面的な事実確認にとどまっていて、評価委員の勉強不足が目立った。前回、JICA職員の出鱈目な運営、経費の使い方が暴露されたのに、そこから一歩も進んでいない感じだった。
 JICAについては一応「見直し不十分」となっていたが、議論の中身については満足のいくものではなかった。評価委員はもっと踏み込んで、勉強してから事業仕分けに取り組んでほしいものだ、とも思った。
 今回は28日まで47法人151事業所を対象に事業仕分けするというが、前回鳩山政権の人気上昇に大きな役割りを果たしたほどにはいかないことだろう。

追記 24日付け毎日新聞1面の事業仕分けの記事の横の会場写真に片隅に小さく鈍想愚感子の姿が載っていた。赤いセーターを着ていったので、すぐわかったが、うつむき加減に資料を見ているので、よほど注意しないとわからない。たまたま隣にも赤いセーターの人がいたので、注意して見るとわかる。それと、会場を出たところで、フジテレビの記者につかまり、「前回も聞きましたか」と聞かれたので、「はい」というと「ちょっと2、3分いいですか」と言われ、会場の外で感想を聞かれた。「期待外れ」と思ったことを話した。あとになって全体のトーンと離れているので、カットされることだろう、と思っていたら、昼過ぎに大学時代の友人から電話がかかってきて、「『期待外れ』との一言だったが、テレビで出ていたよ」とのこと。新聞、テレビへのマスコミデビューの記念すべき日となった。
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日本の政治家にエストラーダ元大統領の爪のアカを煎じて飲んでほしい

2010-04-23 | Weblog
 岩波書店発行の雑誌、「世界」の5月号でお「沖縄は未来をどう生きるか」と題して、元沖縄県知事の大田昌秀氏と評論家の佐藤優氏が対談しているが、そのなかで大田氏が1991年にフィリピンが米軍基地の使用を認めない決定をしたと述べていた。いまの沖縄・普天間基地の返還と同じような状況のなかで、日本より対米交渉力がないと思われていたフィリピンがそんな大胆な決定ができたのか、極めて興味深い。当時の日本の政権を担当していたのはもちろん自民党であるが、話題にのぼったような記憶がない。
 大田氏によると、91年9月16日、フィリピン議会上院で、47年に結ばれた米軍基地貸与条約の期限切れに際し、比米友好協力安全保障条約が批准されることとなった。同意されれば、スービック米海軍基地の使用を2001年の9月まで10年間延長し、フィリピン側が同意すればその後の使用にもついても協議できる、いわば無期限延長にも道を開く内容だった。米国はその見返りとして最初の1年間は3億6280万ドル、次の年から基地使用終了まで毎年2億300万ドルを支払う旨の約束があった。ただ、この支払いはブッシュ米大統領がアキノ比大統領に書簡で約束したに過ぎず、条約には盛り込まれず、必ずしも実行される保証はなかった、という。
 フィリピン憲法の規定では新たな条約が批准されるためには上院(定員24)の3分の2、つまり16議員以上の賛成が必要とされていた。で、採決の結果は賛成11、反対11で、さらに議長が反対に回って、新条約は否決され、翌92年11月24日に在比米軍基地の全面撤去が実現された、という。サロンガ上院議長は「この日こそ真の独立の日」として喜んだ、ともいう。
 しかもスービック基地の弾薬庫だった大きな建物が縫製工場となり、若い女性が中古ミシンを踏んでつくった高級紳士服が欧米に向けて大量に輸出されている、いう。基地は工場用地として転用され、台湾はじめ200社以上の企業が進出したほか、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議場として利用されたりしている。さらには米軍基地が撤去されて懸念された経済の落ち込みはなく、フィリピンのGDPの実質成長率は92年は0.3%だったが、94年には2.1%と成長した、という。
 当時日本で政権を担当していたのは自民党で、海部俊樹総裁だった。当時の沖縄の米軍基地がどんな状況だったのか、何も思い出せないが、日米安保条約は1960年に締結され、91年は改定の年でもなんでもないので、フィリピンのこうした動きが日本でなんら注目されていなかったのもわかる。当時の海部首相にフィリピンと同調して米軍基地撤去を米国に迫ってほしい、と望んでも無理なことだったのは十分に理解できる。
 米国とすれば、日本の沖縄に米軍基地があるので、フィリピン・スービック基地が撤去されてもアジア極東の防衛上、なんら困ることはない、との判断があったことも十分に考えられる。日本とフィリピン両方の米軍基地が撤去されるようなことになれば、必死になってその動きを止めに入ったことだろう。当時、少なくとも日本では基地撤去への政治的な活動はなかったことから、米国としては冷静でいられたのだろう。
 しかし、対米国への交渉力を考えた場合、どう見てもフィリピンが日本より上だ、とは思われない。国の規模なり、経済力からして日本がフィリピンの後塵を拝することはまず考えられない。なのに、なぜフィリピンが米軍基地の撤去を実現できたのだろうか。海軍基地と空軍基地の差もあるかもしれないが、フィリピンでできたことがなぜ日本ではできないのか。経済は一流だが、政治は3流といわれる日本の国際的な地位のなせる業なのか。
 91年当時、副大統領で、後に大統領となった俳優出身のジョセフ・エストラーダ氏が訪れた大田氏に「一時的に経済は苦しくなるかもしれないが、フィリピン国民は主権国家としての尊厳と誇りを取り戻すことができた」と語った、という。いまこそ、日本の政治家にエストラーダ元大統領の爪のアカを煎じて飲んでほしい、と痛切に思った。
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鳩山総理よ、普天間問題解決に向けて、徳之島へ行き頭を下げてお願いしなさい

2010-04-22 | Weblog
 21日午後、民主党政権となって3回目の党首討論が行われた。谷垣禎一自民党総裁は足元に火がついて、鳩山由紀夫総理を必死な形相で迫り、いつになく迫力ある党首討論となった。3週間前の前回の党首討論で懸案の沖縄・普天間移設問題で鳩山首相が「腹案がある」と言ったのを、再度その内容について迫ったが、相変わらずののらりくらりの回答で、視界が晴れるまでに至らず、5月末決着に向けて迷走を思わせる内容で、期待はずれだった。
 谷垣総裁はまず先般の米国での核セキュリティ・サミットで鳩山首相が米オバマ大統領とわずか10分間しか会談の時間を与えられなかったことについて、そんな短い時間で日米間に横たわる重要な案件を突っ込んで話し合うことができたのか、と切り込み、その内容を追及したが、鳩山首相は自ら会談を申し入れたかどうかも明言せずに、なおかつ会談の内容についても明らかにしなかった。
 そして谷垣総裁は残りの時間のほとんどを普天間移設について鳩山首相の対応を厳しく追及した。迷走を続ける民主党政権の対応に国民はいらいらが募っているが、そんなことにはお構いなく、相変わらず「期限までに米国の理解と地元の理解を得て、解決を図りたい」と言うのみで、腹案なるものの表明を迫られても具体的な内容を明かさなかった。某評論家が腹案でなく、不安、もしくは苦案ではないかと揶揄していたが、そう言われても仕方のない内容で、期待外れに終わった。
 谷垣総裁は最後になって、公約違反や政治とカネの問題を出して、鳩山内閣は総辞職、もしくは衆院解散をすべきだ、と迫ったが、党首討論としてはこちらの方に時間を費やしてもらいたかった。
 普天間の移設問題は確かにそれなりに重要な問題ではあるのだろうが、党首討論の99%に時間を費やすほどの問題であるとは到底考えられない。いまの日本経済が当面する景気や財政収支の問題について、鳩山内閣がどうしようとしているのか、もっと突っ込んでもらいたかった。
 世論調査で総理になってもらいたい人ナンバーワンの舛添要一前厚生労働相が23日にも自民党を離党し、改革クラブの議員らと新党を結成する動きを見せているのも、谷垣総裁を筆頭とするいまの自民党首脳に飽き足らない思いを抱いているからだろう。21日の党首討論を見ている限り、自民党も民主党も政権を担当するにふさわしい、とはとても思えない、ここは新党を立ち上げて、明日のい日本を創りたい、と思うのも無理はない。
 翻って、膠着状態の普天間問題に戻ると、21日付けの新聞各紙によると、鳩山内閣は普天間問題で、鹿児島県徳之島に移設の打診をすべく、滝野欣弥官房副長官が徳之島の3町長に平野博文官房長官との面会を要請した、と報じている。3町長は直ちに拒否したとされているが、当然のことだろう。18日に島民3万人のうち半分の1万5000人が参加して反対集会が行われたばかりで、あまりにもタイミングが悪い、政治センスのひとかけらもない、といわざるを得ないだろう。
 いまとなっては鳩山首相自らが徳之島に赴き、島民に頭を下げて、お願いすることしか、打開の道は残されていないだろう。谷垣総裁のあとに党首討論に立った山口那津男公明党総裁が質問の最後に鳩山首相に就任してから一度も沖縄に行ってないことに触れ、一度沖縄に行くべきだと進言し、鳩山首相はうなづいていたが、沖縄より、いまはむしろ徳之島へ行くべきだろう。3町長はじめ島民に米軍基地移転の必要性を説いて了解してもらうべきだろう。
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予測できない事態に備えて社会の構造の2重化を図ることも必要

2010-04-21 | Weblog
 欧州アイスランドの火山噴火の影響が欧州全域どころか、世界各国にまで広がっている。噴煙が西風に乗って欧州全域にまで達し、視界をさえぎるだけでなく、飛行機の航行に障害をもたらすとして空港が閉鎖となってしまったからで、文明社会の意外な弱点が浮かび上がった。噴火から6日目の20日になってようやく欧州の空港が再開され、元に戻りつつあるが、あまりにも航空に頼りすぎた社会の仕組みを反省すべきなのかもしれない。
 アイスランドの噴火は14日、首都レイキャビックの120キロ東のエイヤフィヤトラ氷河の真下で起きた、という。世界地図を見ると、アイスランドにはヘクラ山とハワナダルスフニュークル山の2つの山があり、いずれも赤い三角の印のついた活火山であることを示している。最初は単なる火山噴火で、西風に乗って欧州全域に噴煙が流れ、せいぜい天候不順をもたらす程度と思われていたのが、噴煙に含まれる石、ガラスの破片などが航行する飛行機のエンジン部分に入ると飛行障害を起こすので航行できないとなり、欧州各国の空港が閉鎖されるに及んで、大変なことになったとの認識が広がった。もちろん、遠く離れた日本から欧州各国への飛行機が飛ばなくなり、人、物の行き来が途絶えてしまった。
、当初は日本の大手旅行代理店8社の計1万2千人が欧州各国で足止めを食っているとか、成田空港で寝泊まりする外国人観光客が出始めて、そうした外国人観光客に対して炊き出しや、日本文化を理解するための講習が行われるなど微笑ましい出来事も行われていたが、北欧産のサーモンが入荷しなくなったとか、アイスランド産の自動車部品が輸入できないため、日産自動車が福岡県・九州工場や神奈川県・追浜工場で9車種の製造停止を決めるに及んで、経済面へも影響が広がりだした。
 噴火活動がさらに続くようだと、こうした経済活動にも重大な影響が出てくることは避けられない。ただ、6日経って、噴煙の高さも当初1万メートルもあったのが、3000メートル程度に収まってきたため、欧州各国のなかでも空港の業務を再開するところが出始めたので、20日には日本からミュンヘン、チューリッヒ、ウイーン行きの飛行機も跳び立ち始め、21日から欧州向け8便とも出発する見込みとなってきた。
 もちろん、天災なので、予断は許さない。地球の内部はマグマの塊で、アイスランドに限らず、いつ世界のどこにでも噴火の形で爆発しても不思議ではない。地震もそうだが、いつ、どこで起きるかを予測することは至難の技である。過去の地震なり、噴火のデータをいくら解析、分析してもいまの科学技術では予測することはまず無理だろう。有史以来、人類の知恵で、地震とか噴火の影響の及ばない地域に集落を作ってきたはずであるが、今回のようなことが起きるのはだれも予想していなかったことである。今後もこうした予測できないことが起きることは十分に考えられる。
 となれば、不測の事態が起きた時への備えをしておくこと以外に対処すべきことはない。あまりにも飛行機に依存しすぎた社会の構造を見直して、鉄道なり、海運の効用をいま一度見直して、対応できるように考えておくしかないのではなかろうか。グローバルに構築されつつある経済の構造を2重に構築することはそれこそムダなことと思えるかもしれないが、予測つかない自然災害に備えるにはそれしかないような気がする。少なくとも考えるだけでもいいのかも知れない。
 おそらく今回のアイスランドの噴火の影響についてだれも予測した人はいなかったのだろうから、次回こうしたことが起きた際に社会の構造が揺るがないような仕組みを考えておくことだけでもいいだろう、と思う。
 
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