鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

掛時計はご飯を炊かない

2006-12-30 | Weblog
我が家のリビングの改装を手掛け、掛時計を買うことになった。事の起こりはかねて念願の書が手に入り、額装したら、縦横1×2メートルの予想外の大きさとなり、リビングに飾るしかなくなってしまったからだ。それで、折角二段にした本棚をパソコンの部屋に持っていき、仏壇も客間に持っていき、すっきりしたところで改めてリビングを見渡すと、どうもテレビの上あたりが寂しい。ということで、掛時計を飾ろう、ということになった。家の中に貰いものの置き時計はいっぱいあるが、掛時計はない。買ったこともなきれば、置いたこともない。
ということで、早速かみさんと近くの時計屋や、百貨店などを覗いたが、なかなか気に入ったのが見付からなかった。結局、二回目に行った玉川高島屋で電波式の掛時計なるものを金2万1千円也で購入した。デザインが良かったのとリビングの雰囲気に合っていたからだが、何よりも電波式というのが気に入った。腕時計では電波時計なるものをよく目にするが、掛時計で電波式というのは初めて聞いたので、試してみたくなったのだ。
家のことはかみさんに任しているので、買い物に行ったかみさんが戻るのを待って、掛時計を飾る作業に取り掛かった。まず、掛ける位置を決め、備え付けのフックを壁に打ち込み、次いで説明書に「予め電池がセットしてあるので、スィッチを上に上げるだけで時刻合わせは自動的に行います」となっているので、本当かいな、と思いながら、スィッチを上にあげ、フックに掛け、かみさんと2人で見守った。
すると、しばらくして、時計の長針は短針を従え、クルクルと回り出し、丁度その時の1分位先の正時刻のところで止まった。そして時刻が正時刻になると同時に動き出した。思わずかみさんと顔を見合わせ、「何と頭のいい時計だ」と言い合った。
で、かみさんに「奥さんより頭のいい時計だ」と言ってしまった。それを聞いたかみさんは口を尖らせて「だけど、時計はご飯を炊かないし、料理も作らないから」と宣った。けだし、名言である。電波式掛時計は時刻こそ正確に刻むが、それ以外のことはしない。もちろん、ご飯も炊かないし、料理も作らない。
掛時計の説明書を見ると、電波式掛時計は5年間は保証されるが、その後は手動式になる、と書いてある。電池の寿命の問題なのか、よくわからないが、電波時計の利用期限というものでもあるのか、まあ時計が5年も保てば御の字なのかもしれない。


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年末雑感「笑っていいとも」

2006-12-29 | Weblog
 06年もあと数日で終わる。還暦の60を過ぎて初めての60代の1年であったが、1年が全く早い。10年ごとに振り返ってみると、段々早くなると言われる。この調子で60代も過ぎていってしまうのだろうか。どう考えても、もう10年ちょっとしか生きられないだろう、と思うと1年1年が貴重なものに思えてくる。まだまだしたいことはいっぱいあるし、行きたいところもいっぱいある。定年を迎えて時間がいっぱいできたら、世界の果てまでゆっくり世界一周の船旅をしてみたい、と思っているが、定年後にそんな体力が残っているものやら‥‥。
 演劇を見に行ったり、銀行でなにかの申込書を書いたり、アンケートに答えたりする時に必ず年齢の欄があり、60歳になったばかりの時には「えっ、もう60歳」なんて思って正直に書くのに抵抗があったが、1年経って61歳になったら、もう抵抗の気もなくなってきた。以前から、いまの満年齢は昔の年齢の7割というのが持論なので、60歳は42歳ということになる。となると、まだまだ若いのだ、ということになる。
 毎年、年末になると、「我が家の十大ニュース」と称してこの一年の出来事をまとめることにしている。やれ、京都に旅行に行った、やれ○○という映画を観た、N響の音楽会に行った、とか箇条書きに綴るのだが、今年はやたら夫婦同士で旅行に行ったり、会食する機会が多かった。4月に名古屋からT君が定年後の慰安旅行で上京したので一緒に会食したし、会社の同僚H、Y両兄夫婦と花見の会食、秋には同じメンバーで奥入瀬へ紅葉狩り、そして10月には会社の先輩、後輩夫婦で日本橋で会食した。そんな年になったということだろう。学生時代の集まりもそのうちに夫婦一緒にということになっていくことだろう。
 この一年、新たに知り合った友はいなかった。仕事もいまは手下のいない、内勤の仕事なので、広がりようがない。せいぜい新しい秘書的な女性と年金でお世話になった娘くらいの年頃の女性くらいのものだ。逆に永らく合っていなかった叔母と大学時代のクラス仲間2人が鬼籍に入った。大学時代の友の訃報を聞いたのは年末になってからで、それほど親しい仲ではなかったとはいうものの一抹の淋しさを痛感する。去り行く友、知人はこれからも増えてくるのだろう。
 去り行く友を惜しむにはその分生きている悦びを満喫することで補うこととしたい。田辺聖子のかもかのおっちゃんに「60代は笑っていいとも」とある。己れを責めるのにも飽き、いまこそ自然流、自然体に生きられる、人生の快楽の極まったもの、これが笑わずにいられますか、という意だそうだ。その伝で70代になると、「ぼけていいとも」だそうなので、田辺聖子流にいくと60代が一番よさそうだ。
人生、大いに満喫して、楽しみましょう。
 
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テレビドラマ向きではない藤山直美

2006-12-28 | Weblog
 NHK朝の連続ドラマ「芋たこなんきん」が面白いのだが、いまひとつ人気が盛り上がらず、視聴率で前回の「純情きらり」を上回れないでいる。放送が始まった10月の最初の頃は毎朝見ていたが、最近は他に面白いワイドショーがなければ見ようか、という感じになってきている。主演の藤山直美が演技は確かにうまいのかもしれないが、テレビの画面で大写しに顔がアップされると、食べている朝食がまずくなる気がしてくる。年も年だが、やはり朝は若くてさわやかな女優が出てこない、と視聴者もチャンネルを合わせよう、という気にならないのではなかろうか。
 藤山直美はご存知、藤山寛美の娘で演劇の世界では芸達者で通っている。実際の演劇はそのうちに見ようとは思っているが、まだ一度も観たことはない。それでもよくテレビで劇場中継をしていて、見たことが何回もある。中村勘三郎とよく共演していて、一歩もひけをとっていないのだから演技力には定評がある。劇中、タンカを切ったり、場面転換のところでは大きな笑いや拍手を浴びたりしている。
 それが「芋たこなんきん」では原作者の田辺聖子役をやっているので、大阪の土着の生の生活者にの生き様を見事に演じてはいるのだが、テレビ画面ではびっくり眼ととぼけた味が段々嫌味に映ってくる。劇場で遠くから演技ぶりを見ている分には味があるのだが、テレビは余りにも近く過ぎて、藤山直美のどぎつさが鼻についてしまうのだ。
 それと田辺聖子は作家で、大阪根性の地に根を張った生活者ではあるが、根底は冷静に眺めている知的労働者である。藤山直美にその知的要素を求めるのは酷なのかもしれない。舞台が広い劇場ならごまかせるかもしれないが、アップで撮りまくるテレビではまず無理というものだろう。
 NHK関係者はそのあたりをよくわかっているのか、回想場面を入れ、主人公の若かりし頃の時代を若い女優を起用して時には2週間も藤山直美の出番をカットしている。藤山直美にはまず似ていない若い女優を起用して、ならい通り視聴率がアップしたこともあった。
 「芋たこなんきん」はまだ来年3月まで放送される。いまさら藤山直美に出なくていいから、とは言えないので、これから回想場面を多用することで対応することだろう。回想場面に出てくる脇役陣には淡島千景や、岸部一徳など贅沢な俳優を配しているのも最初から、こうなることを想定していたような感がある。
 それにしても田辺聖子の生活感覚というか庶民感覚は面白い。「芋たこなんきん」を見て、田辺聖子の最新のエッセイ集「ひよこのひとりごと」(中央公論社刊)と「楽老抄」(集英社文庫)を買って読んだが、面白い。その人間観察ぶり、生活者根性は大阪人独特のものである。妙なイデオロギーを振り回さないのもいいのだろう。「楽老抄」のなかで、故司馬遼太郎が京都の祇園で中国から来た要人と一緒に炭坑節を踊った、と書いていて、要人が大喜びした、と書いてあったのには、なるほどそういう手があるのか、といつかやってみたいな、と思わせる味があった。この味は藤山直美には出せない味でもある。

追記 その後、見ていて、どういsて藤山直美が似合わないのか、わかった。作家というのは知的な職業で、藤山直美の表情はやはり知的な顔ではないのだ。知性とはほど遠い町のおばさんというイメージなのだ。田辺聖子も一見、町のおばさんなのだが、どこかキラリ光る知性が感じられるのだ。年の功なのかもしれないが、やはり役者は何でもできるというものではない、向き不向きというのがある、とよくわかった。
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いくつになっても嬉しいクリスマスプレゼント

2006-12-27 | Weblog
26日朝いつものようにパソコンの部屋で体操をしながら、ふと横の本箱に目を遣ると、なにやら見慣れない包みがある。東急ハンズの袋に入ったものが郵パックで送られてきたで、宛名を見ると鈍想愚感子になっている。送り主は小中学校時代の同級生の女の子、というよりおばさんだ。包みの上の方を見ると、25日午前必着の赤いラベルが貼ってある。「えっ、クリスマスプレゼント」と大きな声でわめいて、包みを開けると、中から赤いサンタクロースの小さな靴に入ったキャンデーとバーバリのかわいいハンカチが入っていた。まさしく思いがけないクリスマスプレゼントであった。
小中学校時代の同級生、Yさんとは2年くらい前から同じクラスで東京に出てきている4人組なるものを結成し半年に1回会うことにしている。この春には4人で鎌倉を散策し、秋にはYさんが幹事となって川越をぶらついたばかりだ。鎌倉では建長寺はじめ鎌倉五山を訪れ、ツツジをめでたし、川越では蔵の街を堪能した。
実は4年くらい前に中学校のクラス会が名古屋であり、40年ぶりに参加してクラスのメンバーのうち数人が東京にいることがわかり、お互い連絡を取り合って集まるようになったのだ。最初は同じクラスの写真愛好家の作品が上野の美術館で開かれ、鑑賞に集い、そのまま、東京支部クラス会となった。以来、忘年会を2回ばかり行い、最近は遠足となっている。男女2人ずつで組み合わせがいいから付き合いが続いているのかもしれない。クラスの一員で関東に住んでいるのはもう少しいるのだが、声をかけても出てこない。4人のなかの1人がこの付き合いが始まってからツレアイを亡くし、ヤモメとなったこともあって、余計に付き合いが深まった感がある。最初はいずれ夫婦同士ででも、と思っていたが、ヤモメの人が出てはそうもいかなくなった。
Yさんは長らく腎臓の透析を受けている。つまり、何級かの身体障害者である。そんなことも初めて知った。なにしろ、お互い40年の空白があるのだから、初めて知ることが多い。
ともあれ、そんなYさんからのクリスマスプレゼントである。クリスマスやお正月は子供の喜ぶもので、ずっと無縁と思ってきただけになにか嬉しい気分になってきた。これが、年若い独身の身だったら、天にも登る気持ちになることだろう。この季節、新宿・伊勢丹の宝石売り場にでも行こうもなら、彼女にプレゼントしようとの思いで、若い男性が群がっている。景気は確実によきなっている、と錯覚することは請け合いだ。
早速、Yさんには「ありがとう。キャンデーは美味しく食べました」とお礼状を認めた。お互いツレアイがある身なので、ここで小説のように恋愛に発展するようなことがまずないだろうというのが、ちょっぴり残念なことでもある。
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専門家筋からダメ出しされた安倍首相

2006-12-26 | Weblog
 安倍晋三内閣の支持率低下傾向が止まらない。昨25日の夕刊紙には「安倍5月退陣」の大きな見出しが踊っていた。鳴り物入りで発足した安倍内閣ではあるが、麻生太郎外相、中川昭一政調会長の核保有論議にも見られたように閣内不一致の動きが本間正明政府税調会長辞任の際にも起きた。安倍首相の指導力の欠如に他ならず、安倍総裁誕生の時に御しやすいと思って支持した党員が多かったことと一脈通じるところがある。しばらく走らせてみて、どうもいけない、と判断を下すいわゆる専門家筋も×の印を押したような気がしてならない。
 数日前の毎日新聞が安倍内閣支持率の世論調査の分析記事を載せていた。それによると、今月6、10日の調査で安倍内閣の支持率は46%と発足時から21ポイントも下落した。小泉内閣時代は北朝鮮電撃訪問などいくつかのサプライズで、下がった支持率を持ち直すことに成功したが、それ以前の内閣ではそうしたことはなく、一度下がった支持率が再び上がることはなかった。しかも小泉内閣時代は各年代まんべんなく支持を集めているのに安倍内閣は20代の38%を最低に70代以上の63%まで差があり、高年齢層ほど支持率が高いかつての自民党内閣に似た構造となっている。
 安倍首相は最近よく「古い自民党には戻らない」と宣うが、支持構造は古い自民党に戻っている。そうした発言をする、ということが古い自民党に戻っていることをなによりもよく表している。
 テレビに登場する安倍首相の発言を聞いていると、ふとこの人は一体、本当に自らに頭で考えているのだろうか、と頭をかしげたくなるような局面に出くわす。確かに言葉は発してはいるが、実がない、単なる言葉の羅列に過ぎない、と思わせるようなことがよくある。最近、都銀の政治献金の受け取り拒否やら、政府系外部団体の基金返上など一見、ヒットと思えるような施策、方針を打ち出してはいるが、これとて安倍首相が本当に考え、決めたことかどうか疑わしい。世論調査で安倍首相が不評な理由として「適切な説明がない」ことが指摘されている。首相のぶら下がり会見でもだらだらと話してはいるが、一体何を言っているのかよくわからないところがある。本間会長が辞任した際も「一身上の都合」を11回も繰り返したことでもわかるように説明責任の何たるか、少しもわかっていないようだ。
 4年前の官房副長官時代に当時の小泉首相とともに北朝鮮に行き、強硬な姿勢で交渉に臨んだことで、一辺に安倍株が上昇し、総理大臣への座を登りつめるきっかけとなったが、これは補佐という立場だったからこそ本領を発揮できたので、自らがトップに立って判断し、決断しなかればならない立場だったら、恐らく”男”を上げることはできなかったことだろう。人にはトップに立って光る人と補佐の立場で光る人があいる。安倍首相はどうやら補佐で光る人だったのだろう。
就任前から憲法改正を声高々の宣言し、就任早速教育基本法を59年ぶりに改正したが、そのお膝元のいじめ問題については効果的な手を打てなくて、鳴り物入りで発足させた内閣の教育再生会議も意見の対立ばかり目立って、功を上げるに至ってない。5人もつくった首相補佐官もなんら機能していなくて首相官邸も無能をさらけ出している始末である。
 先ほどの内閣支持率調査によると、安倍内閣の支持率では各年代とも女性の支持率が男性のそれを7-8ポイント上回っている、という。甘いルックスが幸いしているのだろう。それもAPEC首脳会議から帰国した際だったと思うが、昭恵夫人と手をつないでタラップを降りてくる姿を見せ付けられて、数ポイントは落ちることだろう。幼稚園の園児であるまいにいい大人が公衆の面前で”お手々つないで”は止めてほしい。
 来夏の参院選まで保つか、怪しくなってきた。
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ディープインパクトの後遺症

2006-12-25 | Weblog
 24日の中央競馬の最後を飾る有馬記念は予想通りディープインパクトの圧勝に終わった。馬群の後方に位置取りしたディープインパクトは3コーナー過ぎからスパートし、難なく大外を急襲し、後続を3馬身離してゴールインし、歴代ナンバーワンクラスの名を確立した。ただ、その割には有馬記念の売り上げは伸びず、競馬人気の低下を支えることは出来ず、日本中央競馬会はディープインパクト後の後遺症に悩まされることになりそうだ。
 有馬記念は走る意前から勝負の行方をうんぬんするより、2着に何が来るか、3連複や3連単がいくらつくか、に興味は移っていた。騎手の武豊の腕もさることながら、馬そのものも群を抜いている。レース後の午後4時半からディープインパウトの異例の引退式のセレモニーが予定されていることから見ても、関係者の誰もが勝利を疑っていなかった証拠である。ラストランの日に引退式があるなんていままで聞いたことがない。破格の馬である、と公認されたようなものである。
 事実、有馬記念そのもののレースは全く危なげない勝ち方だった。レースを引っ張ったのは武豊のお手馬だったアドマイヤメイン、一時は10馬身近く話して逃げたが4コーナー手前で失速して最終的には9着に沈んだが、決して無茶な逃げではなかった。ディープインパクトは鞭を一発入れただけで、”飛ぶ”ように大外を回って先頭に踊り出て、優勝した。2着には6番人気のポップロックが入ったが、これは騎手のペリエの腕でもってきたようなものだ。ディープインパクトの単勝は120円、複勝は100円戻しだった。
 ディープインパクトはこれで14戦12勝、生涯の獲得賞金は14億5455万1000円でテイエムオペラオーの18億円に次いで歴代2位になる、という。
 中山競馬場には徹夜組2000人を含め11万7251人の入場者があったが、前年に比べると27.8%減。有馬記念の売り上げも前年比11.8%減の440億2037万7700円だった。同日発表となった中央競馬の06年の売り上げは2兆8233億944万2000円で前年比2.5%減と9年連続の減少となった。年間の入場人員も前年比7.5%減の750万8297人と800万人台を割り込んだ。
 ディープインパクトのような歴史的名馬が誕生しても競馬人気の長期低落傾向に歯止めはかからなかった、ということである。景気そのものが本格的に回復していないことに加え、趣味の多様化が進んでいることと、若者の消費の多くが携帯電話代に食われていることが大きく影響しているためだが、日本中央競馬会が競馬人気の維持・振興のための策を長年怠ってきたことのつけ、といえなくもない。1つにはディープインパクトのような本当に強い馬の生産にもっと力を入れて取り組むこと、そして、本当のファンサービスをどんどんすることである。
 そうしないと来年はディープインパクト人気の反動が来ることだろう。

追記 1日経って、日本中央競馬会は25日に、今年の競馬場ウインズ、電話投票などの総参加人員が前年比0.2%増の延べ1億6938万9037人となり、過去最高記録を更新した、と発表した。電話投票が前年比6.7%増だったことが寄与したともしているが、それでも全体の売上高が減っている事実は如何ともし難い。それに、こうした統計は有馬記念の当日に合わせて発表すべきだろう。コンピュータ時代に集計にそんなに時間がかかる、とは思えない。日本中央競馬会のこの発表は却って、逆効果だったのではなかろうか。
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気合い入ったN響第九演奏会

2006-12-24 | Weblog
 23日は年末恒例のベートーベン第九「合唱」の演奏会に行った。昨年は読売交響楽団であったが、今年は念願のNHK交響楽団であった。いずれも年間会員になったうえでの拝聴であったが、読響の場合は年間のスケジュールに含まれていたのにN響の場合は別料金で、S席で1人1万3千円(会員は5%引き)チャ-ジされると、N響は強気の商売ぶりだ。いつものように開演前にロビーで室内楽の演奏があるか、と開演の1時間くらい前に渋谷のNHKホールへ行ったら、今回はそれもない。それでもすでに大勢の観客がつめかけていて、開演前から観客も気合いが入っている感じで、さすが第九の演奏会といった雰囲気だった。
 入場時に渡されたパンフレットにはいつになく立派なパンフレットにこれまでのNHK交響楽団の第九の演奏の歴史が一覧表になって掲載されている。今回の指揮者、上岡敏之、それにソプラノのカリーナ・バハジャニャン以下4人の外人歌手はいずれも今回初めての出演である。
 開演予定の午後3時を過ぎても壇上には人影はない。10分過ぎくらいから国立音楽大学の合唱団が指定の舞台後方のひな壇に順次登場し、ほぼ揃ったところで、交響楽団の団員が入場し、最後に指揮者が指揮台に登壇し、待ちに待った演奏が始まった。
 いままで何回も聞いているはずの第九が違って新鮮に聞こえる。指揮者のタクトもいつになく力が入っているように見える。昨年も読響の演奏を生で聴いているはずだが、ほとんど記憶にない。いつもは前から2番目の席で団員の演奏ぶりや舞台の様子がよく見えないが、今回は前から8番目の中央の席で、舞台全体がよく見える。団員の表情もよく見える。
 年末の第九の演奏だけは格別という意識が聞く方にあるせいか、団員の演奏にも気合いが入っているように感じる。開演前には隣でしゃべりまくっていた女性が演奏が始まった途端にこっくりこっくりし始め、ずっと寝ていたのにはあきれた。どうせ連れのおじさんに誘われでもしたのだろう。折角、楽団員が一生懸命演奏しているのにと思うと、ギュッとほっぺたをつねってやりたくなったほどだ。
 第2楽章が終わると、4人の外人歌手が入場し、合唱団の前の席に着席した。第3楽章が始まり、舞台を見ていると、彫りの深いアルメニア美人のソプラノ歌手が大きな目だけにその目の動きが結構動き、会場の客席を見渡したり、横を向いたり、下を見たりしているのが気になった。「どうして日本人はこんなに第九の演奏を好むのかしら」とか、「凄いとは聞いていたけど凄い熱気だわ」とでも思っているような感じであった。海外でも第九が年末の恒例の演奏となっているのか、は知らないが、日本だけの特異な現象ではないだろうか。
 で、第4楽章の合唱。出だしのバリトンの声はよく響いたが、あとのソプラノ、メゾソプラノ、テノールは後ろの国立音楽大学の合唱の声にかき消されて、もうひとつという感じであった。これなら、なにもわざわざ海外から呼ばなくとも日本の歌手に頼んでもよかったのではないか、と思った。
 指揮の上岡敏之は最後までほとんど譜面も見ずに的確な演奏の指示ぶりで、流石と思わせた。途中、演奏が止まり、一瞬、会場が静寂に包まれるような感じがしたことが2回ばかりあり、これは指揮者の個性なのんかな、と思った。
 演奏後、何回もカーテンコールの応えて指揮者が歌手4人と合唱の指導者らと登場して、満場の拍手を浴びていたが、さすがにアンコール演奏はなかった。
 今年はいい第九の演奏会であった、としみじみ満足した。
 
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迫力のモスクワ芸術座「リア王」

2006-12-23 | Weblog
 東京・初台の東京オペラシティでシェイクスピアの「リア王」を観た。それも静岡県総合芸術センター芸術座監督の鈴木忠志氏演出で俳優はすべてモスクワ芸術座のロシア人俳優という3国合作による公演といった感じで、2、3月前に同じオペラシティで鈴木忠志氏の「「イワーノフ」、「オイディプス王」、「シラノ・ド・ベルジュラック」3部作を観て、その大集成ともいえべき「リア王」をぜひとも見たくなって、すぐに申し込んだのだ。クリスマスを控えたオペラシティはクリスマスツリーの前でコンサートがあるせいか、いつもより人出が多かった。オペラシティの大劇場、中劇場、小劇場とも公演があり、華やかな歳末の雰囲気が満ち溢れていた。
 「リア王」は演出の鈴木忠志氏がモスクワ芸術座から招かれ、モスクワ芸術座所属の俳優50人をオーディションし、15人を選んで日本で2週間にわたりスズキ・メソッドの特訓をしたうえ、公演に臨んだ、という。冒頭、車椅子に乗ったが新聞を読みながら登場する。どうも精神病院に入院している病人のようだが、幻想のなかで自分をリア王だと思い込み、そこから車椅子に乗った病人をリア王として、演劇リア王が展開される。
 舞台中央に作られたいくつもの扉を利用して複数の登場人物が一時に出たり、隠れたりすることで、場面転換を図る。リア王は娘のゴネリル、リーガン、コーディーリアスに愛情の度合いに応じて遺産を分け与えると宣言する。そこに忠臣グロスターの嫡男エドガーと私生児エドモンドが後継者争いをしながら、リア王の娘たちと愛憎劇を繰り広げて、最後は3人の娘を亡くして嘆き死んでいく。
 すべては幻想の中の物語として演じられていくが、娘役を男性が演じていることとスズキ・メソッドというのか声がよく通り、挙措がきびきびしてまるで群舞を見ているような気になってくる。セリフはもちろんロシア語で、舞台の両袖にある表示板に日本語訳が出てくる。それを追いながら演技を見るのだが、オペラならともかく演劇で翻訳劇を見るのは慣れないせいか、ちょっと忙しかった。
 それと、「オイディプス王」でも主人公が車椅子に乗って動き回っていたが、現実の世界とは違うのだ、ということをアピールしているのか、鈴木忠志独特の世界を形造っている印象を受けた。
 最後は舞台の複数の扉をうまく使って、観客のカーテンコールに応えていた。最初は演出されたカーテンコールだったが、何回もカーテンコールに応えているうちに生の嬉しそうな表情を出して、満足に演技できたことを喜んでいる風に見えた。観客は結構年齢が高く、鈴木忠志ファンというか、演劇通らしき人が多かったような感じがした。それと、ロシアのモスクワ芸術座公演だからか、ロシア人らしき外人の客が目立っていた。
 出口で、鈴木忠志氏が知人の顔を見つけ、嬉しそうに笑顔で応えていたのを目にして、いい公演だったのだな、と改めて納得した。
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葬儀を行わない、墓にも埋葬しない

2006-12-22 | Weblog
 先月末に訃報の記事が出た劇作家、木下順二氏の死亡記事がずっと気になっていた。死んでから1カ月も公にされなかったことと、葬儀を行わなかったこと、それに焼いた骨を海に撒布して墓に埋葬しなかったことがこれだけ名のある有名人といsてはごく珍しいことだ、と思ったからだ。なぜそうしたのか、本人はすでにいないので、理由はわからないが、本人の遺志を貫いた家族も偉い。大概はいくら本人が望んでも周りの関係者がよってたかって世間並みのことはしないとでも言って、密葬敵なことをしてしまうものだ。
 木下順二氏が亡くなったのは10月30日、92歳だった。氏の作品、民話を元にした「夕鶴」の公演回数は1037回にも及んだ、という。あとは映画にもなった「子午線の祀り」がある。確か随筆集、「ぜんぶ馬の話」を買って読んだ記憶がある。演劇「夕鶴」は見たことはないが、主演の山本安英さんの好演ぶりはなんどか読んだ。
 なぜ葬儀を行わないのか、34年前に木下順二氏が母親を亡くした際に知人に送った手紙に「亡母と私とは、お互いそれぞれ死後の儀式はすべてやめようと何度も話し合って決めておりました」と書き送っていた。祭壇に供え物や花を飾って、お坊さんを呼んでお経をあげてもらい、関係あった人や関係なかった人に来てもらい、お焼香をあげてもらうみせかけの儀式が本当に死者を弔うことになるのか、といえば疑問である。お互い忙しい身なのに義理と見栄で大勢の人が時間を割いてかけつける。その都度、頭を下げて謝意を表さなければならない。
 終わったら、終わったで、香典の3分の1をメドに香典返しの品物を送らなければならない。有名人となれば1000人にのぼるのもざらだろう。それこそ、秘書を雇って処理しなければならない。なかには誰だったか、わからない人も結構いるだろう。あれやこれや考えると老体の身には煩わしいことばかりだ。そう考えると、面倒な葬儀なんかやめたくなってくることだろう。誰しもそう思うのだが、いざとなるとそう踏み切れないのが現実である。
 こう思ったのは最近、会社の同期のK君の奥さんが60歳で亡くなり、2週間経っても会社の掲示板に訃報が出ないからだ。ここ1、2年、K君は入退院を繰り返し、胃も切除してしまった。同時に奥さんも膵臓ガンで入退院、通院していて、お互い面倒を見合っていたが、奥さんが先に逝ってしまったのだ。可哀想で同情の言葉も出てこないくらいで、葬儀はごく身内だけの密葬で済ました。その後の様子を見守っていると、どうやら木下順二氏の気持ちに近い感じである。
 日本の現代社会、の人々の心の中からどんどん離れていっている仏教をはじめとする宗教を見ていると、こうしたケースは増えていきそうだ。
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本年度ベストワンミステリー「名もなき毒」

2006-12-21 | Weblog
宮部みゆき著の「名もなき毒」を読んだ。8月に売り出されても何故か買わずにいたが、年末になって恒例の今年のミステリーランキングで、「名もなき毒」がベストワンにランキングされているのを見て、どんなものか読んでみたくなった。読んで、なるほど、と思った。ストーリーの展開もさることながら、テンポのよさが絶妙で、登場人物の心理描写がすごくうまい。一気可成に500ページを読んでしまった。この「名もなき毒」はローカルの新聞に連載されたもので、掲載当時はそれほど話題にも上らなかった作品である。新聞連載は細切れになるので、ニュアンスなどは伝わり難いのだろう。
「名もなき毒」は冒頭、コンビニでお茶のパックを買った老人がそれを飲んで死んでしまうシーンから始まる。青酸カリによる無差別殺人事件である。次いで某コンツェルンの広報誌の編集に携わる主人公が取材を終えて、会社に戻るととんでもない事件が待ち構えている。アルバイトの女の子がトラブルを起こしたまま退社してしまったのだ。その対応を任された主人公はアルバイトの女の子の前歴を追い掛けるうちに冒頭の無差別殺人の被害者家族と知り合いになり、2つの事件が微妙に関わりあってくる。
主人公は実は某コンツェルンの会長の娘婿であり、そのことが事件に大きく影を落とし、展開を複雑にもしている。会長の娘婿だからといって将来を約束されているわけではないが、事情を知らない人はそうは見てくれない。 主人公の心の動きを克明に追いながら、それを周りの人はどう感じているか、がピタリ、ピタリと伝わってくる。その間の取り方、心の襞の描写、展開は天下一品である。新宿鮫シリーズで有名な大沢在昌といい勝負だろう。それができるのは登場人物の設定はじめ構成がしっかりしているからだろう。
 宮部みゆきが松本清張のように歴史に残る作家であるかどうかは今後にかかっているが、現存作家のうちでは当代1、2の書き手と言っていいだろう。他の小説家と違って、テレビに出てコメントしたりして、余分なことを一切せずに文筆活動一本に集中しているのがいいのだろう。



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