鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

安保法案成立に賛成した安倍首相はじめ自公、次世代の党など5党の議員に損害賠償請求裁判を起こせ

2015-09-17 | Weblog

 17日夕、折りからの雨の中、国会周辺で自公が推し進める安保法案に対する市民の反対集会が開かれているなかで、参院特別委員会で民主党など5野党が反対するのを尻目に強行採決で可決してしまった。この深夜にかけて自公政権は参院を開催し、参院でも強行採決を果たし、安保法案を成立させたい意向のようである。来週は大型連休で会期末まで残り少ないうえ、安倍首相の国連への出席を控えていて、なんとしても今週中に成立させたいというのが官邸の考えのようである。

 国民の60%余が成立に反対し、80%以上の国民が「与党の説明が十分に尽くされていない」としているのに安倍政権の強行ぶりは目に余るものがある。17日夕のTBSテレビに出演した自民党の平沢勝栄衆院議員は「たとえ安保法案が通っても次の内閣で廃案にすればいい」と国民の反発をそらそうと気楽にうそぶいていたが、ことここに至ってこんな暴挙は許せない。憲法学者の大多数が憲法違反であるとしており、国民の大多数が成立に反対しているのに強行採決で通してしまう自公、および次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の国会議員はまさに民意を無視した行動である。

 安倍首相の頭の中にはかつて国民の反対を押し切って日米安保条約を可決成立させた祖父の岸信介元首相の行動がイメ-ジとして植えつけられており、今回もいずれ国民から評価されるという妙な幻想があるようだが、日米安保条約は直接戦争に踏み込むものではなく、憲法9条のもとでしっかりと歯止めがかけられていた。これに引き換え、安保法案は憲法を改正することなく、戦争への道を一気に突き進んでしまおう、というもので、決定的に異なるものである。

 それを改悪してしまう安倍首相の罪は重い。そうした御仁を首相に担ぎ、国民を裏切る自公の国会議員、および安保法案可決に賛成した次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の国会議員は次期総選挙でバッテンをつけられ、だれからも支持を得られない議員としてバッチを失うことになるだろう。冷静に考えれば、そんな国会議員を選んだ国民は反省をしなければならないだろう。ただ、いまはこうした暴挙をくい止めることはできないので、次期総選挙の時にこそ鉄槌を加えることを忘れてはならない。

 それと今回成立するであろう安保法案については成立後に国民一人一人がこの安保法案は憲法違反だとして安倍首相以下を訴える行動を起こすことで、一大国民運動にもっていくべきだ。まずこの安保法案を憲法違反だとして廃案すべきだと訴えるのをはじめ、安保法案が成立したことで、戦争への不安が掻き立てられ、精神的苦痛を蒙ったとして成立に賛成した自公および次世代の党など3党の議員一人一人に損害賠償請求裁判を起こすべきだ。そして、次期総選挙で自公を野党に追い込むのにつなげることだ。こんな自公はじめ安保法案の成立に力を貸した議員を追い落とすべきだ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小豆島に憧れて働きに来た」という若い人を惹き寄せたのは映画「二十四の瞳」である

2015-09-16 | Weblog

 この3日から15日までの3日間、阪急交通社の「地中海のような風景に出逢う瀬戸内海の楽園小豆島・豊島3日間」のツアーに参加し。て、小豆島を旅してきた。おもに映画「二十四の瞳」の舞台となった小豆島を訪れるツアーで、寒霞渓、二十四の瞳映画村、それに3つの島が潮の干満で浮いたり、沈んだりするエンジェル・ロードなど小豆島の観光地を隈なく訪れた。小豆島へ行くのは初めてのことなので、見るもの、聞くものすべてが新鮮で感激した。2日とも島の南に位置するベイリゾートホテルに滞在したがそこで働く若い従業員と話していて、改めて小豆島の魅力に思い知らされたことがあった。

 ホテルは12階建ての入り江に臨む浜辺に立地していて最上階のお風呂から眺める展望は絶景だった。そのホテルの真ん前に恐らく従業員の宿舎らしいビルが建っていたので、朝食の際、給仕に来た若い女性の従業員に「みんなあの宿舎の住んでいるのか」と聞いたら、「そうだ」と答えた。最初は地元の若い人たちかな、と思っていたら、ほとんどが本州各地から働きに来ている人たちだ、という。どうしてかか、と聞いたら、「憧れの小豆島で働きたい、と思って来ました」ときっぱり答えてくれた。

 確かに小豆島は風光明媚で、気候も温暖で楽園のようなところではあるが、そんなイメージを作るのに大きな働きを成しているのがやはり映画「二十四の瞳」だろう。古聞いて、イメージを膨らませていったのだろう。それがかれらの頭のなかでいずれ小豆島で働いてみたい、ということにくは高峰秀子、最近といっても3年くらい前に田中裕子主演で映画化され、かれらがこうした映画を観た人々から口伝えになり、かれらの今日があるのだろう。人ひとりの人生の進路を決定するのにかくまで映画の果たす役割りが大きいとは改めて思い知った。

 3日間のツアーのなかでもうひとつ感動的だったのは小豆島からフェリーで行った豊島の豊島美術館だった。43人の団体だったので、二手に分かれて観賞したが、大きな楕円形の卵のようなセメント製の空洞のなかを自由奔放に流れる水滴を眺めて観賞するという前衛的な美術作品に心を揺さぶられた。空洞の一角は空に向けて開放されていて、そこから眺める空が天候、時刻によって様々な展開を見せる。哲学的でもあり、幻想的であり、そこに寝っころがって体感している若い人もかなり見られ、新しい芸術の息吹が感じられてくる。ただ、広い会場というか、森のなかに作品としてあるのはこれっきりで、もう2つからいこうした作品があるともっと現代美術を感じられるのにという気もした。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここへきて国立競技場建設、五輪エンブレム問題が相次いで破綻した裏にあるもの

2015-09-04 | Weblog

 2020年東京オリンピック開催へ向けての国立競技場の建設問題に続き、今度は一旦発表した五輪エンブレムを白紙撤回する事態となった。いずれも大会組織委員会の不手際のなせることで、昨3日のTBSテレビの「ひるおび」では両者に共通する事実として応募への高いハードルと不明朗な選考過程などを指摘していたうえ、エンブレムについては新たに審査委員会にデザイナーの佐野研二郎に修正を求めていた報告が発表直前までなされなかtったことが明らかとなった。さらに2、3年前に佐野研二郎氏が京都の扇子店のポスターデザインをするにあたって盗作していた事実が明るみに出て、恥の上塗りをする事態に立ち至った。

 そもそもオリンピック招致の時点から関連する組織に政治家からスポーツ界からいろいろな人が関与して、どうしてこの人がと首をかしげるような輩がいっぱい群がっている印象があった。オリンピック開催はもちろん、出場する選手以外にも多くの組織・団体がからみ、協賛する企業からのスポンサー料やら何やら莫大なお金がかかるので、そうしたお金をめぐって少しでもおこぼれに与ろうとするわけのわからない御仁が関わってきていた。されに政治家がからむのだから、まさに魑魅魍魎の世界といっていいだろう。

 それがこと一施設のデザインコンペ、五輪エンブレムのデザインとなると建設設計、デザインの世界の重鎮が軒並み顔をそろえることとなる。五輪エンブレムについては札幌オリンピックのロゴマークを作成した永井一正氏を委員長とする審査委員会を作り万全を期したはずだったのが、佐野研二郎氏のいかにも作為に満ち溢れた過去が暴露されるに至ってもろくも崩れ去った。肝心のエンブレムがベルギーの劇場からパクリだと抗議を受けたのを皮切りにサントリーのトートバッグ、名古屋の東山動植物園、ヤン・チヒョルト展など次から次へとパクリ疑惑が出るに及んで、デザイナー自ら”白旗”を上げざるを得なくなってしまった。

 それでも佐野氏はデザイン界で生きていく積もりなら、潔白を主張し続けることはできたし、そうするべきだったのだろうが、大会組織委員会からの説得で、自ら白旗を上げざるを得なくなってしまったようだ。確かに似たようなデザインを作成したということで佐野氏は責められるべきかもしれないが、選んだのは審査委員会であり、組織委員会でもある。責任の一端は審査委員会、および組織委員会にもあるし、そうした言動をすべきであるのに佐野氏に全責任を負わせたような形にもっていった。組織委員会の事務総長の武藤敏郎氏は官僚のトップともいうべき財務省の事務次官を務めた御仁で、責任を回避するのには長けた人物である。佐野氏の手をひねることなど簡単にやってのけることだろう。

 大体にデザインなるものは趣味的なもので、主観を伴うもので、万民の支持を受けることなどありえない世界なのである。鈍想愚感子もイベントの主催に関わったことがあり、イベントの来場を促すためのポスターを広告代理店には宙したことがあり、その時に広告代理店は2、3の候補を持ってきて決めてくれ、と言ってくるような局面に立ち会ったことがある。いずれも素人ばかりに決められるわけがないので、イベントに関係する人を集めて、相談し、最後は投票で決めることにしていた。そして決めたら、だれがなんと言おうとそのまま走ることにしていた。ポスターの出来がいいから来場者が増えるというものでもない、と達観していたこともあった。

 国立競技場にしろ、エンブレムにしろ、かつてはこうした国を動かす一大イベントには広告代理店の電通が仕切っていて、政治家から企業、マスコミ、世論を含め関係者一切に根回しをして、スムーズに回るような画策していた。それが今回はそうした役回りをおするような人なり、組織がなくなってしまい、ネットで反発する世論を制御できなくなってしみ、最後は屈服せざるを得なくなってしまったのではなかろうか。それとも電通にかつての神通力がなくなってしまい、電通といえどもコントロールできなくなってしまった、ということなのだろうか。特にネットの世界は電通でも対応できなくなってしまった怪物となったということなのだろう。考えてみれば、電通が神通力を発揮できたのは新聞、テレビを抑えていたからだが、いまやそれらに代わってネットが生み出す声が世の中を動かす時代になってきたということだ。

追記 後日、組織委員会の委員であり、エンブレムの審査委員会の8人の委員である人物が電通の社員であることが判明した。45歳の高崎卓馬なる人で、他の審査委員の選定を行ったのがこの高崎氏だ、という。ということは佐野氏の修正したことも知っていた唯一の審査委員ということになる。佐野氏が電通のライバルである博報堂の出身でることは周知の事実で、今回のエンブレム白紙撤回は電通が仕組んだことだ、との説もある。しかし、電通の高崎氏が最初からからんでいた仕掛け人となるとそうも言えなくなってくる。電通は2010年オリンピック招致にどっぷり絡んでいままでのように裏で操っていたことになる。それでもこのザマは電通の思い通りに進まなかった、というこおtなのだろう。ネットの世界はいかに電通といえども左右できない、と理解するしかない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする