鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

岩崎宏美の新たな魅力

2007-11-30 | Weblog
29日は東京・三軒茶屋の昭和女子大での題名のない音楽会の公開番組収録の行った。座席は中央のやや後ろよりだったが、周りは中年の男性が多く、出光興産の代理店の関係者のようで、後半の岩崎宏美のヒット曲七変化がちょっとしたワンマンショーのようなものなので、招待されたのであろう、といった感じで、主催者としてはこうした活用の仕方があるのだ、と納得した。岩崎宏美の高いソプラノと伸びのある声は出色のものであった。それと一緒に共演したジャズボーカルの男性四人組のジャミン・ゼブはきれいな歌声で、良かった。
 「題名のない音楽会」の前半は「話題のアーティスト特集」で、司会もした藤原道山の尺八、辻井伸行のピアノなどが演奏された。尺八とオーケストラの共演は初めて聴いたが、意外と尺八の音がホールいっぱいに響きわたり、その迫力に改めて感じ入った。辻井伸行は5年前にも題名のない音楽会に出演した盲目のピアニストで、今年大学1年生になったという。司会の藤原道三に導かれてピアノの椅子まで来て、自ら作曲した「川のささやき」を演奏したが、穏やかで優しい田園を思わせてくれた。盲目でピアノが弾けることさえ不思議なのに、作曲まで行うのは素晴らしいことだ、と思った。
 後半は岩崎宏美のヒットメドレー、「万華鏡」の和ヴァージョン、そして最後に持ち歌の「聖母たちのララバイ」を歌った。チェコのプラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演したCDを発売したばかりで、しばらく遠ざかっていた公演活動を再開するぞ、との意思表明の場ともなったようで、会場全体に届く歌声をたっぷり聴かせてくれた。
 最初に登場した時に指揮者の沼尻竜典と東京シティ・フィルハーモニー管弦によろしくお願いしますと頭を下げて挨拶していたのが、いかにも岩崎宏美らしい、と思った。この題名のない音楽会でこれまでそうした仕草をする歌手を見たことがない。今年でデビュー32年になるが、長続きする理由はこんなところにもあるのだろう。歌った曲はこれまで聴いたことのある曲ばかりではあるが、オーケストラをバックに聴くとまた違った曲に思える。
 もうひとつ収穫だったのは共演した男声合唱団、ジャミン・ゼブが岩崎宏美の「好きにならずにいられない」をジャズヴァージョンで歌ったが、きれいな済んだ歌声とハーモニーが素晴らしかった。4人のうち3人が混血であるせいか、日本人にはないような天性のものがあるのかもしれない。
 題名のない音楽会は時々、こちらが知らないタレントを気付かせてくれる、出会いの悦びがあるので、行くのを止められない。
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映画並みの出来のテレビドラマ「点と線」

2007-11-29 | Weblog
 テレビ朝日開局50周年を記念して制作された松本清張原作の推理ドラマ「点と線」がこの24、25日の2日間にわたって放送された。ビデオに録って、観賞したところ、最初は主役の鳥飼重太郎刑事に扮したビートたけしの悪人面が鼻について嫌味だったが、みていくうちに気にならなくなり、4時間強をアッという間に見てしまった。テレビドラマにしては珍しく出演俳優を贅沢に起用しているのと、やはり原作の出来がいいので、素晴らしいものに出来上がったようだ。テレビドラマでもここまでできるものなのだ、と思った。
 福岡郊外の香椎海岸に経済官庁の課長補佐と料理屋の女中の心中死体が発見される。傍らに青酸カリの入ったジュースの瓶が転がっており、地元警察はよくある心中と断定する。しかし、その課長補佐は警視庁が追及していた汚職事件のカギを握る人物で、死体のポケットから特急あさかぜの食堂車の領収書が出てきて、そこには1人で飲食した、となっていたことに疑問を持った鳥飼刑事は上司の「一件落着」との声も聞かず、1人で捜査を開始する。
 そして、経済官庁の大臣と親しい会社社長、安田が東京駅のホームで心中した2人が特急あさかぜに乗り込むところを目撃したとの情報に作為を感じた鳥飼刑事は上司の制止に耳を傾けず、単身、東京に乗り込み、捜査活動に加わる。3年前に死んだかみさんが作ってくれたというよれよれの帽子が刑事コロンボを彷彿させるが、顔は悪役で鳴らしたビートたかしなので、どうも刑事役がピンと来ない。相棒の警視庁の若い刑事役の高橋克典とも昭和30年当時としてはいい背広を着ていたのも気になった。
 ともあれ、心中した2人の足取りを追って、秋田、熱海と追いかけるうちに女中の恋人として会社社長の安田が浮かび上がり、心中した当夜のアリバイが経済官庁の局長と北海道へ出張に出かけていたことが判明し、函館、札幌へそのアリバイの確認に出張する。そのアリバイをいかに崩すか、が焦点となってドラマが進み、一方で病身の安田の妻が犯罪に加担していたことが判明する。
 夏川結衣演じる妻がビートたけしと対決するシーンは見ていて面白かった。それと女中の母親役を演じた市原悦子が傷心のなかにも悪を憎む気持ちをうまく演じていたのが印象的だった。
 最後は逃げ切れないと悟った安田が妻と服毒自殺をして幕となるが、その前に大臣との相談の場で局長に青酸カリを渡す場面、それに大臣が吸った煙草の吸殻を吸ってその味を噛みしめる安田の顔をクローズアップしているのは憎い演出であった。
 原作の「点と線」は読んでいるはずであるが、大体の筋しか覚えておらず、引き込まれて見てしまった。最初は嫌味だったビートたけしも最後は演技力があるのかな、とも思えてきた。
 28日付けの読売新聞夕刊に視聴率が第1部が23.8%、第2部が23.7%で先週の視聴率ランキングの1、2位を独占した。制作費総額4億円と映画並みの金額をつぎ込んだだけに大成功を収めたようだ。セットで昭和30年代の街並みを再現して、細部までよく作りこんだ作品であった。
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どこまで続くサブプライムローン問題

2007-11-28 | Weblog
 米国のサブプライムローン(低所得者向け高金利住宅ローン)問題に端を発する暗雲が世界経済を大きく揺さぶっている。今年2月に東証ダウが9.7%暴落した際にはこれでサブプライムローン問題も一段落、と軽く見られていたのが、7月、そしてこの11月と再々度、サブプライムローン問題がクローズアップされるに及んで、どこまでこの影響が続くのか、誰も見通せない状況となってきた。折角、日本経済は長い低迷の時代からようやく好転しそうな気配となっていたのに、サブプライム問題で、また、長期低迷への道を辿りかねない様相を呈している。
 米国のサブプライムローンの残高は1兆3000億ドル(約143兆円)で、米国の家計が保有する住宅資産20兆ドルの6。5%程度に過ぎない。仮に全体の価値が10~20%下落したとしても、失われる資産は米国のGDP比15~30%程度でしかない、という。日本のバブル崩壊時に地価下落と株安でGDPの2倍以上の資産価値が消滅したことと比べれば、サブプライムの影響は一見、大したことないように見える。
 しかし、米国の証券会社がこのサブプライムローンを組み込んだ債券を証券化して、世界各国に売りさばいたことから、影響が一気に広がった。米メリルリンチが7-9月期に79億ドルの損失を出せば、シティコープも同64億ドルの損失を出し、メリルリンチのスタンレー・オニール前CEOは辞任した。欧州のUSB証券も4200億円の損失を出したし、日本の野村ホールディングスも1456億円の損失を計上し、今後一切のサブプライム関連の証券化ビジネスから撤退することを表明した。中小の滝野川信用金庫も117億円サブプライム関連証券に投資したうち73億円の損失が出た、と発表し、世界各国に怒涛のように影響が広がっている。
 米FRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長は当初、サブプライムローン関連の損失を500億~1000億ドル程度と見積もっていたが、後に1500億ドルに修正した。業界では3000億~4000億ドルと見る向きが多く、なかには5000億ドルに達する、と予測する声もある。
 米FRBは8月に短期金融市場に公開市場操作などを行い、積極的に資金を投入する一方で、公定歩合を0.5%引き下げ、10月には政策金利フェデラル・ファンド金利を0.25%下げ、4.5%にした。市場ではさらに2回下げ、4%の水準にまで持っていくだろう、との声が強い。
 サブプライムローン問題の最大の問題は日本の政府当局でだれもこの問題の深刻さを指摘する声がなかったことで、経済財政担当の関係者は昨年あたりからずっと「日本経済はなだらかな回復基調にある」とだけ語り、先行き何の心配もないようなことを言っていた。つまり、サブプライム問題の実態、深刻さを誰も気付いていなかったことは今後の経済運営にあたって大きな懸念材料である。
 米国ニューヨーク大のNouriel Roubini教授は数年前からサブプライムローンの抱える問題点とその重大性について警告を発していた、という。ところが、日本のほとんどのエコノミストはただ、米国政府当局の見解だけを信じて、あさっての議論に終始していた、という。
 エコノミストの世界に限らず、他の世界でも見られる現象なのかもしれないが、物事の基本をきっちりとおさえることなく、付和雷同する日本の論壇の悪弊のなせる業と言えそうである。

追記 28日のニューヨーク証券市場はコーン米FRB副議長の利下げ発言を好感して、ダウ平均で今年2番目となる331.01ドルの上げで、13289.45ドルとなり、スブプライムローン問題は終着の兆しか。と思わせたが、29日になって米住宅価格の低下で負債総額が膨らむとの見通しが出て、先行きはまだ予断を許さないようだ。 
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日本語の乱れ突く加藤周一

2007-11-27 | Weblog
 23日付けの朝日新聞の加藤周一「夕陽妄語」に「身辺の些事二つ」と題して日本語の乱れを指摘している。ひとつは高速道路でよく見かける「事故多し」の看板について、もうひとつは最近の名門企業での不祥事で、社長以下が頭を下げて謝っている際での発言についてで、いずれも何気なく見、もしくは聞き逃していることを文明批評家としてビシッと指摘している。日本語の使い方について、神経を尖らしていきたいものだ、と大いに納得した。
 加藤周一氏によると、高速道路の道路標識で「事故多し」としてあるのは道路管理者の無責任極まりない行為である、と断ずる。事故が多いのは見通しが悪いとか、カーブが急であるとか、地形が入り組んでいるとか、なんらかの理由があるはずで、それを改善するのが本来の道路管理者の責任である、と指摘する。それを何もせずにただ、「事故多し」との看板を掲げることだけでよしとするのは怠慢もいいところである。運転者としては事故が多いからといって、どうすることもできない。いまは民営化されてしまったが、道路公団や国、地方自治体の官僚の仕事たうものがかくなるものである、ということである。国民や利用者の方を見ているのではなく、上司に向かって仕事をしているとこういうことになる。
 もうひとつは不祥事を起こした社長が謝罪会見で「このようなことが二度と起こらないように誠心誠意努力する」と述べることがあるが、冷静に聞くと不祥事が起こらないようにするとは他動的な表現で、責任を曖昧なものにしてしまっている、とするもの、と指摘する。社長が不祥事を知らなかったとか、関与していなかったことを言いたいためにこうした他動的な表現をしているのかもしれないが、これでは本当に謝罪したことにはならない。テレビの場合、言葉よりも首脳陣がそろってカメラの前で深く頭を下げる場面の方に注意がいくので、見逃されてしまうケースが多い。
 この2つのことに共通するのは話し言葉である日本語の選択がぞんざいになっているということだろう。一般に、いま何をどう表現すればいいのか、をきちんと頭の中で整理したうえで、適格な言葉を選んで発言するという基本的なことが欠けているのだろう。学校でも家庭でもそうした基本的なことを教える人がいなくなっている。本来、そうしたことに長けているはずの企業のトップが乱れているのだから、日本は一体どうなってしまっているのだろうか、と思えてくる。先の総理大臣、小泉純一郎が幼児的なワンフレーズ表現を流行らせたことも影響しているのだろう。まず政治家から率先して取り組んでもらいたい問題である。
 
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競馬の祭典、ジャパンカップもギャンブル

2007-11-26 | Weblog
 25日も東京・府中の東京競馬場へ出かけた。第27回ジャパンカップがあり、南武線もいつになく混んでいる。ここ数週間、日曜日でも9時ちょっと過ぎに行ってもゴール脇の上の観覧席は楽に確保できたので、半年くらい前に富士ビュースタンドが完成し、グランドオープンで観客席が増えたせいか、日曜日でも余裕で観戦できるようになったので、その積もりでいたら、大間違いであった。ゲートをくぐってスタンドの前に行くと、もう座席はほとんど埋まっている。階段を駆け上って一番上まで行き、席を見渡しても全部ふさがっていた。わずかに空いているのかな、と思っていくと、入場券の切れ端が置いてあり、座るわけにはいかない。9年連続で競馬の売上は落ちているのだが、どっこいビッグレースの人気は落ちていなかった。競馬ファンとしては喜ばしい限りだが、さて今日1日どう過ごすか考えると頭が痛くなってきた。
 仕方ないので、いつもパドックを見る2階の踊り場の後ろに新聞と持ってきた雑誌を広げ、座り込みの席を確保した。で、場内の様子をじっくり眺めると、確かに家族連れや、若いアベックが多く、ジャパンカップが日本ダービー、有馬記念と並ぶ祭典の様相を呈している。ジャパンカップは国際的なレースなので、欧米人の姿も多く、日本中央競馬会としてはねらい通りの結果となってさぞかし大喜びしていることだろう。ラジオを聴いていたら、開門の午前7時40分までに4000人もの列が出来た、という。過去2年のダービー馬、メイショウサムソンとウオッカが出場する、とあれば客足は伸びて当然だろう。
 しかし、常連のファンとしては大迷惑である。いつもなら閑散として、のんびり見られるパドックが1レースからさながらメインレースのような混雑ぶりで、心なしか、馬の方も興奮しているように見える。これでは冷静に馬券戦術を立てよう、としても周りがそうはさせてくれない雰囲気である。名手、武豊騎手も大勢の観客にいいところを見せよう、と思ったのか、条件戦で頑張って4つも勝ってしまったせいか、本番のジャパンカップではかつてのお手馬、アドマイヤームーンの後塵を拝して3着となってしまった。府中本町の駅から西側の入場門まで回廊でつながっているが、その通路の両側がジャパンカップの過去の優勝馬の写真で飾ってあるなかで、アドマイヤムーンの写真が大きく飾ってあったのが妙に記憶に残っている。まさか、事前に今年の結果を予想していたのではなかろうが、あとで考えると、気になる写真であった。
 ジャパンカップのパドックはいつもなら真ん中には誰もいないのに、外国産馬の馬主や関係者が立錐の余地もないほどに立ち並んで、満足に馬が見えないほどだった。馬券検討そっちのけで、まるで競馬場が社交場と化したような雰囲気が漂っていた。満員でパドックの脇に陣取らざるを得なかったおかげで、テレビ画面でしか見たことのなかったジャパンカップのレース前の模様をつぶさに見ることができた。
 結局、25日は最後まで、本場場でのレースぶりを見ることなく、いずれも場内テレビを通じてしか見られなかった、という妙なことになってしまった。それでも収支はかろうじてマイナスにならずに終えることができた。
 永年のファンとしては基本的にはゆったりと競馬が楽しめるのが望ましいが、たまにはこうした賑わいも悪くはない、と思えてくるが、これも結果が悪くなかったから言えることで、結論は競馬がギャンブルだ、いうことなのだろう。
 
追記 ジャパンカップの売上高は210億2622万1200円で、前年を1.7%上回ったという。観客数はわからないが、9年連続で前年を下回ってきた売上高にようやく歯止めがかかったのかもしれない。年間を通じてもそうなのかは暮れの有馬記念を見ないとわからないが、少なくとも25日の東京競馬場の賑わいを見る限り、日本中央競馬会の努力が実ったようである。
 
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盛り上がりに欠けた「異人の唄」

2007-11-25 | Weblog
 24非は東京・初台の新国立劇場で演劇「異人の唄」を観賞した。開場10周年を記念してのギリシャ悲劇を題材とした3部作の最終作で、父母を喪い、叔父に引き取られた姉妹の悲劇を彩った作品であるが、全体に暗くて最後まで笑いのないやや消化不良な感じがした。開演10分前に開場に入ったが、ひと気がなく、閑散な感じで、会場の中に入っても左右の後ろに空席が目立ち、盛り上がりに欠けた。前々回の「アルゴスの坂の白い家」の時も入りがよくなくて演劇も盛り上がりがなかった。どちらが鶏か、卵かわからないが、入りは演劇の出来にも反映するようである。
 舞台が開くと、観客席から帽子を被った女性が現れ、実際の砂で作った砂浜を裸足で歩き出し、その後に黒ずくめの村の若者の集団が群舞を始め、前衛劇を思わせる。その漁村に唄のうまい娘がいる、と聞いて、音楽プロデュース会社の社長が部下とともにやってくる。ところが、その娘には盲目の叔父と姉がいて、音楽の道に進むことを強く反対されていた。母が歌えば魚が寄ってくるといわれたほどの名手であったが、父とともに海の向こうへ行ってしまって、生きているのかさえわからない。妹はまだ生きている、と信じて、村から逃げ出そうとしている。
 それを押しとどめようとする社長は姉妹の父であることを明かし、嵐の夜に妻がやって来なかった真相を知ろう、と叔父に詰め寄る。叔父は事実は村長が知っている、と答え、嫉妬に狂った村長の奥さんが妻を殺し、自殺してしまったことが判明する。
 事の真相を知った妹は半狂乱に陥り、刃物を振り回し、姉を傷つけ、殺してしまう。その瞬間、妹は突如、愛の唄を歌い出し、死んだはずの姉も独唱する。ここで、観客に姉妹の配役に土居裕子と純名りさと歌唱力のある配役をしていた理由がわかる。
 ただ、全体として話の進み方がよく見えないところがあって、演劇としてはあまり楽しめなかった。作を漫画家の土田世紀に依頼した時点で、もうこういう結果は見えていたのかもしれない。わずかに砂浜と櫓の舞台装置と、姉妹役の2人の唄が会場いっぱいに響きわたったのに感動したくらいで、あとはこれといって記憶に残る場面もなかった。
 演技達者の木場勝己とすまけいを配したのはいいとしても土居裕子と純名りさでは観客の動員にはつながらなかったようで、日本の場合、演劇で成功を収めるのは難しいものだ、ということがよくわかった。
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実ったプロデューサーの努力

2007-11-24 | Weblog
23日は溝ノ口の高津市民館大ホールで午後2時から開かれた津田山コーラスの定期演奏会「大正浅草大ミュージカル」を観賞した。大正浅草というタイトルが郷愁を呼んだのか、いつになく定員600人の席が満席で、立ち見が出るほどだった。この演奏会は3度目か、4度目であるが、こんなことは初めてのことである。開場の午後1時30分過ぎに行ったら、列をなしてして、入場しているところで、中へ入ってなんとか席を確保できた。
 津田山コーラスは津田山地区の老人会をベースにできたグループで50歳から90歳までの老人で構成されており、その成果を2年に1回、演奏会開いて発表している。ただ、単に歌を歌うだけでは芸がないので、ミュージカル形式で、簡単な劇を構成して、見る人にも楽しんでもらえる趣向を凝らしている。2年前の前回はプロデューサーズという米国の興行界をテーマにしたものだったが、今回は浅草、大正という馴染み易い題材にしたことが結果としては良かった。2年経って、プロデューサーの花が咲いた、というわけである。
 事実、発表会の前にPRを兼ねて浅草大正オペラを体験しましょう、という教室を開いたら、3日間とも定員の60人を超える応募があって、前景気をあおった。
 実はうちのかみさんも津田山コーラスのメンバーで、裏方の1人として広報を受け持っていたので、その舞台裏を横目で見ていたら、前日に問い合わせが10件くらいあり、当日もかみさんが会場準備に出かけたあとも、やれ「高津市民館はどこのあるのか」とか、「子供を連れていってもいいか」とか、「整理券は発行するのか」との電話が入ってきて、いつもの演奏会とは違うものを感じていた。
 演奏会はメンバーのいずれもが大正時代の風俗を感じさせるエプロンをつけた和服姿や、成金趣味の山高帽を被った燕尾服で、歌も「洋食のp歌」や「コロッケの歌」などどこかで聞いたことがあるような歌が出てきて、思わず口ずさむようなうち溶けた雰囲気のうちにプログラムが進んだ。最後は会場全体と「モン・パパ」、「私の青空」を合唱して、2時間があっという間に過ぎてしまった。途中、津田山コーラスの姉妹合唱団のカペラなるグループの格調高い「ジュピター」などの合唱があったのも全体を盛り上げた。
 満員の会場に気をよくしてか、今回のプロデューサーでもある指揮者がアンコールとして2曲歌ったのもこの種の演奏会としては珍しいことである。
 終わって、家に帰ったら、知らない人から電話がかかってきて、今日の演奏会を絶賛して、左側に座ってビデオに撮っていたが、DVDに収めて送ります、といってくれた。素人の演奏会でそこまで喜んでもらえるのはなかなかないだろう。
 素人のグループをここまでもってくるのは並大抵のことではないだろう。指揮者を務めたプロデューサーの功績大であるが、この盛り上がりを絶えることなく継続していってもらいたいものだ。
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「会社の常識が社会の非常識」発言の非常識

2007-11-23 | Weblog
 先日、テレビを見ていたら、画面いっぱいに初老の男性が大写しになり、画面の右側に縦にテロップで「会社の常識は社会の非常識」と出ていたので、だれか評論家の講演会でもやっているのか、と思っていたら、なんと40年以上にわたって橋梁用の鉄製の円筒型枠の強度を規定以下のものを納品していたメーカー、栗本鉄工所の横内誠三社長の謝罪会見であった。およそ当事者意識のない評論家的発言は全く理解に苦しむ。この会社は上場もしていなくて、消費者との直接の接点もないことからリスクマネジメントのない状況になっているのだろうが、日本にはまだまだこんな会社が数多くありそうだ。
 栗本鉄工所は旧日本道路公団が民営化した東・中・西日本3つの高速道路会社に橋梁用の」鉄製円筒型枠を納入しているが、3社の基準より薄くて強度が不足しる製品を納入していた。型枠は厚さ1ミリ前後で、直径30~160センチの筒形の鋼板で、床板の内部に埋め込まれ、型枠の分だけコンクリートが少なくなり、橋が軽量化できる。高速道路3社は流し込んだコンクリートの重みによる鋼板のゆがみを10ミリ以下と定めている。栗源鉄工所は実際に型枠にかかる荷重を20~65%小さくして計算し、性能を過大に偽装していた。鋼板の厚さもカタログより0.1~0.4ミリ薄かった。
 横内社長は会見で1965年から偽装していたことを認め、謝罪したが、「会社の常識が社会の非常識だった部分が残っていた」と評論家的発言をし、しかも「トップがすべてを知っているわけではない」と、トップがそうした事実を知らなかったことこそ詫びるべきであるのに開き直ったような発言は大いに問題である。
 数ケ月前に米国ミネアポリスで地震があり、海に架かる高速道路の橋が崩れ、多くの死者が出て、日本は大丈夫か、と話題になったばかりなのに、横内社長はそんな世論の動向などお構いなしの非常識さである。
 今回、偽装の事実を発表したのは道路3社であるが、果たして道路公団時代を含めて過去40年以上にわたってこうした不良品の納入を許してきた道路3社の責任はないのであろうか、疑問が残る。この納入自体、競争入札で決められていたのかはもちろんであるが、納入の際に検品はどういった形で行われていたのか、まだまだ究明されなくてはならない点は多い。道路公団民営化の際に委員となって活躍した猪瀬直樹氏はいまや東京都副知事におさまって、すっかり道路公団ウォッチャーから足を洗ってしまったので、代わって糾弾する人がいまくなってしまったようである。
 道路3社は「安全性には問題ない」としているものの、今後大きな地震などがあった場合にも対応できるのか一抹の不安がないわけでもない、とみえて、国とともにこの型枠を使った橋の安全性を調査する検討委員会をつくる意向という。
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10億円ポーンと寄付に思うこと

2007-11-22 | Weblog
 この16日、神奈川県大磯町に住む88歳の主婦、横溝千鶴子さんが出身地の同県南足柄市に現金10億円を寄付した。自らの米寿の誕生日を記念して「教育やスポーツ振興に役立ててほしい」との行為で、テレビ、新聞に10億円の札束を前に沢長生・南足柄市長と写真に納まっている姿が大きく報道された。横溝さんは8年前にも地元の大磯町に5億円を寄付しており、いかに事業で稼いだお金とはいえ、かくも簡単に寄付してしまう行為に大きな驚きを禁じえないし、全く頭が下がる。
 横溝さんは戦後、高校教師などを勤めた後、いまは亡き夫と厨房機器メーカーを興して、成功し、40数年前に米寿になったら10億円を寄付しようと目標を立て、節約してきた。週刊誌によると、電話代すら節約してきたが、基本的には事業で稼いだお金を浪費せずに蓄えてきた、ということだろう。
 10億円の現金は1000万円の札束が100個で、重さは100キログラムにもなる、という。南足柄市の07年度一般会計予算の6.7%にあたり、同市の教育費の53%にあたる、という。
 鈍想愚感子はこれまで母校、早稲田大学の創立125周年記念事業に会社あげての募金活動に渋々協力してうん万円賛同したのを入れて、これまでに寄付といえる行為はせいぜい総計30万円にもなっていないだろう。もちろん、横溝さんほどのお金は当然、持ち合わせていないが、こと寄付に関しては横溝さんに比べれば月とスッポンほどの違いである。
 まだ、会社勤めをしていて、時には生臭い、人間くさいことにかかずらっており、とても世のため、人のために寄付する、という気になれない。赤い羽根共同募金すら100円以上募金するのは馬鹿馬鹿しい、と思ったりしてしまう。よく街で宗教団体みたいな一団が恵まれない人にといって募金活動をしているが、本当に恵まれない人のところへ届く仕組みになっているのか、と疑いを持ってしまう。
 それと、5000万人分の年金が宙に浮く問題などを見ていると、どうも官僚のすることにいまひとつ信頼が置けない。どう使われるのか、わからないような形での寄付や募金は不安でもあるし、最終的に寄付なり、募金の使途が見えるようなものしか協力したくない、と思ってしまう。となると、身の周りの手を差し延べられる人へのお手伝いなり、協力するのが先決だ、と思ってしまう。
 そうは言っても、横溝さんは文句なしに偉い、と思うことには変わりない。
 
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偽装の吉兆はランク外か

2007-11-21 | Weblog
 仏タイヤメーカー、ミシュランが発行するレストラン格付けガイド「ミシュランガイド」の東京版がお目見えする。19日都内のホテルでその内容が発表されたが、日本から3つ星の最上級のレストランとして認定されたのは日本料理店4店を含む8店で、パリの10店に次いで多い。これで世界の3つ星マークのレストランは68店となったが、驚いたのは東京での発表会に68店全店のシェフが顔を揃えたことで、改めてミシュランガイドが世界に浸透していることを印象づけた。
 鈍想愚感子はそんなに食通でもなければ、味がわかるわけでもないので、2つ星の25店を含めた33店のうち、行ったことのあるのは2つ星の福田屋1店だけだった。新旧役員の交代懇親会で、味はほとんど覚えていない。時々、取引先の要人を接待する時に文芸春秋社が2年に1回出している「東京レスタオランガイド」をパラパラめくって参考にする程度である。
 ちなみにその文芸春秋社のレストランガイドの最近号を見てみたら、ミシュランの3つ星レストラン8店のうち掲載されていたのはすしの「すきやばし次郎」とフランス料理の「ロオジエ」2店だけであった。文芸春秋社のガイドは基本的には読者の投稿をベースに構成されているのに対し、ミシュランガイドは覆面の調査員が実際にお店に来て、注文して味わい、サービスぶりや雰囲気を確かめて採点している、という。しかし、ガイドブックには店内の写真が掲載されているので、全面的に覆面というわけにはいかないだろう。20日の日刊ゲンダイにはミシュランガイドの調査員は味のオンチだ、との見出しが大きく踊っていた。
 あと気になったのは当然2つ星以上にランクされていいはずの吉兆が載っていなかったことだ。まさか、ここ数週間すっかりマスコミを賑わしている大阪・船場吉兆の賞味期限詐称、食材の地鶏の産地偽装で、吉兆が除外されてしまったのだろうか。ミシュランガイドの発売は22日なので、吉兆は1つ星117店のなかにランクされているのかもしれない。1人7、8万円はする最高級の料亭として名高い東京・築地の吉兆がよもや味でランク外に落ちるとは考えられないのだが‥‥。
 もうひとつ興味があるのが、今後、東京以外の日本各地にもミシュランガイドが広げられていくのだろうが、そのなかで特に京都の一力などお茶屋がどういう扱いになるのか、ということだ。料理そのものは近くの割烹料理屋から持ち込まれることになっており、専らサービスと雰囲気を売り物にしているので、「番外」として格付けすることにでもなるのだろうか。全く無視するのもおかしいし、味は外のものだし、ミシュランの編集担当者も頭を抱えることだろう。
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