鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

相次ぐ産地偽装は貧困な経営のなせる業

2008-06-30 | Weblog
 食品の産地偽装が後を絶たずに続発している。岐阜県の食肉販売会社「丸明」が愛知産の牛肉を飛騨牛と詐称して販売していたのが発覚したのに続いて、徳島市のウナギ輸入販売会社「魚秀」が中国産ウナギを一色町産と偽って販売していたことが発覚した。昨年来、賞味期限の切れた商品のラベルを張り替えたり、産地偽装で大阪の高級料亭「船場吉兆」が倒産に追い込まれたのは記憶に新しいところだが、「丸明」は偽装を追求された社長が「社員のやったこと」と言い逃れをして、社員の猛反発にあい、墜には「私が指示した」と白状する始末で、お粗末な内情さえ暴露するに至った。
 「魚秀」のケースは中国産ウナギの在庫が膨れあがって困ったところへ、中国産ギョウザの中毒問題が起き、人々の間で中国産食品に対する警戒が広がったという不幸があったものの、全く存在しない地名の愛知県岡崎市一色に加工工場があるかの如く装い、神戸市の卸売業者「神港魚類」と共謀して販売した。しかも「神港魚類」の担当課長に1000万円の口止料を払い、なおかつ「神港魚類」に罪をかぶってくれるように依頼した事実まで発覚した。
 いずれも言語道断な振る舞いで、厳罰に処すべき事案であるが、なぜこんなようなことが続発するのだろうか。
 思うにうち続く不況で競争が厳しくなっていることが考えられるが、日本人のブランドに対する盲目的な信頼ということがある。ファッション商品では昔からピエール・カルダンの偽物は後を絶たないし、ルイ・ヴィトンの偽物は相変わらず横行している。同じようなものが単にブランドもののタグがついているだけで一挙に価格が5倍にも10倍にも跳ね上がる。よく税関では偽ブランド商品と本物との見分け方という展示をしているが、素人にはなかなかわかりにくい。本場のイタリア国内ですら、実際には中国で生産している、ということがいわれているほどで、最後には買う本人の目にかかってくる。
 食品の場合、店頭で見ただけでは判断がつかず、食べてみないことにはわからない。食べた後で、違うからお金を返せ、というわけにはいかないだろう。従来はおかしいとなれば、次回からは買わなくなり、偽装食品は次第次第に市場から淘汰されていくことで、市場原理が働いていた。
 ところが、この市場原理がバブルが弾けたあたりから、働かなくなったようだ。100円ショップの普及に象徴されるように急激な価格破壊が起きて、モノの値段に対する通念がなくなってしまったのだ。つまり、価格の混乱が起きてしまったのだ。どんどん価格が下がっていくなかで、価格を維持するだけのものがものが一部のブランド商品だけになってしまったのだ。その実だけを手っ取り早く獲ろうとしたのが一連の産地偽装企業なのだろう。
 きちんとしたコスト管理に基づく生産とマーケティング調査をしたうえでの価格政策のある企業のみが市場の混乱に惑わされない対応ができた、ということで、「丸明」、「魚秀」ともそうした経営がなされていなかったということである。大体、社長自らが偽装を指示するなどは経営の基本からなっていない。本来なすべきこともしないで、産地偽装に走ったということで、そんな企業は遠からず市場から消えてなくなっていたことだろう。


 
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女性の時代の到来を実感

2008-06-29 | Weblog
 28日はかつて務めていたデータプロ編集長時代に部下だった女性7人が退任にあたって、小宴を開いてくれ、東京・新橋まで出かけていった。退任の挨拶状を出したら、そうした申し出があり、ありがたくお受けした次第。会場の新橋亭へ行くと、正面入り口を入ったところに本日の催しのパネルがあり、5階となっていて、部屋へ入ると、3人ばかりの女性がいた。20年ぶりにお目にかかる人もいて、顔は覚えているのだが、名前が出て来ない。とうとう、向こうから名乗られて思い出す始末で、やや恥ずかしい思いをした。名前を聞いても思い出せず、話を聞いているうちに思い出すようなこともあった。女性の場合、がらりと変わることがあるので、とっさには思い出せないことがよくあるので、やむを得ない。
 データプロは米マグロウヒル社が刊行していたコンピュータの製品情報ファイルの日本版で、いまはもう無くなってしまったが、85年10月から89年3月まで3年半、編集長を務めた。当時記者が28人、それに女性の制作専門のスタッフが10人いた大所帯で、ほとんどが未婚者ばかりで、少年少女探偵団の趣きさえあった。大学を出ていきなり記者になった編集陣を支えてくれたのは途中入社で、前の会社で社会人としての教育をみっちり受けてきた彼女たちであった。就任早々にそれがわかったので、編集記者より彼女たちに重きを置くような編集制作マニュアルの作成などを意図的に仕掛けたこともあった。
 なんとか無事に過ごせたのも彼女たちの支えがあったから、と思っている。だから、4月中旬に編集記者がやってくれた歓送会より、こちらの方が正直うれしい気持ちがあった。
 集まった7人のなかには東京・京橋に広告代理店を開業し、社長に納まったり、中小企業ではあるが旦那と2人3脚で会社を切り盛りしている男顔負けの猛者もいて、そのパワーに圧倒された。聞けば、土日まにあくらい働きづめで、今日も新入社員の面接をしてきたばかりだ、という。鈍想愚感子も退任後、会社でもつくろうかな、と思ったが、設立後の煩わしい事務作業を考えて、収入のメドが立ってかrでも遅くはないだろう、と一時中断しているくらいだ。編集仲間でもなかなか、会社をつくるまで思い切ったことをする人は見かけない。それだけに40代で会社をつくるのは素晴らしいここだ、と思った。
 よく小中学校の同窓会に行って、2次会、3次会のカラオケで声を張り上げている女性を目にするが、それ以上に社会の最前線で活躍する女性パワーを目にして、大いに刺激を受けた。
 身近な女性が活躍する姿を目のあたりにして、日本もいよいよ女性が活躍する時代がやってきたのだ、との思いを新たにした。
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公費無駄遣いの官僚に乗っかってる福田政権

2008-06-28 | Weblog
 先日、居酒屋タクシーの調査結果が発表となったが、なんと財務省の600人をトップに1402人もの国家公務員が深夜タクシーの利用にあたって金品の授受をしていたことが明らかとなった。額賀福志郎財務省財務相と津田広喜事務次官が1カ月分の給与の20%を返納するほか、悪質な公務員33人を停職、減給などの処分としたが、国民の血税である税金を使っての行為で、福田首相が「言語道断という感じがする」と答えているだけではなんとも生ぬるい。そんな官僚の言いなりになっているいまの政府こそ言語道断である。
 居酒屋タクシーの実態は公表されたものだけではなさそうである。テレビで某タクシーの運転手が話していたが、深夜タクシーで帰宅する際にホステスにタクシーチケットを渡しているのを何回も目撃した、という。そんな輩は公費濫用で即、現行犯逮捕してもらいたい。税金をそんなことに濫費して、一方では後期高齢者医療保険の保険料を支給される年金から差っ引かれるのではたまったものではないだろう。
 財務省には深夜作業で遅くなった人の帰宅のための公用バスがある、という。その利用者と深夜タクシーで帰る人との区分けがどうなっているのか。知りたいところである。その管理はどうしているのであろうか。タクシーチケットの利用実態も明らかにしてほしい。
 金品受領で財務省に次いで多いのは農水省、国土交通省だが、国土交通省はタクシー業界の監督官庁である。国土交通省ではこの22日から2カ月間、タクシーチケットの利用を取りやめにしているというが、2カ月といわず永久に止めてほしい。タクシーチケットの存在が悪の温床だからだ。
 深夜タクシーの利用は原則禁止とし、やむを得ず利用する場合はすべて現金でのみ利用し、毎回現金伝票を起票し、そこになぜ利用せざるを得なかったか、を明記し、正当な理由があれば認める、ということにすれば、かなり減ることだろう。
 2,3日前にテレビで、国土交通省の公用で利用するタクシー会社がほとんど随意契約で選ばれており、国土交通省のOBが天下りしている会社ばかりだった、と報じていた。しかも、利用するタクシー会社を替えても、運転手はそのまま新しい会社に移籍しているという考えられないケースもある、と報じていた。タウンミーティングで1回の開催に1300万円も使っているのと全く同じ構造である。悪名高き電通こそかんでいないが、基本的に公金を使っている、という考えがないのが中央官僚の思考なのである。そんな官僚にどっぷり浸かって、指揮棒を振っているのがいまの福田首相をトップとする政府なのである。
 早く、総選挙をして、総入れ替えしたらいい。
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単なるパーフォーマンスだった拉致問題の対米アピール

2008-06-27 | Weblog
 米国が27日、予定通り、北朝鮮に対する「テロ支援国家」の指定を解除し、議会に通告した。ブッシュ大統領は「北朝鮮の核廃棄のための申告は正しい方向への第一歩としており、日本の拉致問題については「絶対に忘れない。日本と協力し、北朝鮮に圧力をかける」と言明した。しかし、日本からの要請に対し、単なるポーズをとったに過ぎず、明らかに核廃棄の見返りにテロ支援国家指定の解除に踏み切ったわけで、これで日本人拉致問題の解決は葬り去られることになるのは確実だ。
 ここ数カ月の米国の動きをいみると、当初から北朝鮮の核放棄をいかにさせるか、に重点が置かれてきており、六カ国協議も専ら核開発計画の放棄に最重点が置かれてきた。ライス国務長官が核放棄すれば北朝鮮に対するテロ支援国家の指定解除する、との発言を受けて、日本ではにわかに「それでは拉致問題が置き去りにされかねない」と再三にわたって、米国に対し、あくまでも拉致問題の解決が先だ、と事あるごとに訴えてきた。
 先の北京での日朝実務者会議で北朝鮮が拉致問題の再調査に乗り出す、と表明したことから、北朝鮮に対する経済制裁を一部解除する、との方針も発表されたが、拉致家族の会などの激しい抵抗に遭い、拉致問題解決へのなんらかの前進が見られなければ経済制裁も解除しない、ことになってきた。
 そkへ打ち出されたのが米国のテロ支援国家指定解除問題で、これについても福田康夫首相自ら先頭に立って、拉致問題解決と核の放棄と同等に扱ってほしい、と米国側に働きかけ、一昨日にはブッシュ大統領に直接電話をかけ、拉致問題の解決の重要性を訴えた。
 しかし、こうした動きも米国の既定方針である核放棄と見返りにテロ支援国家の指定解除はなんら変わることはなかった。福田首相はじめ自民党の首脳陣がいかにも拉致問題の解決なくして日朝の国交正常化なし、との姿勢は米国の前には単なるパーフォーマンスでしかなかったことが明らかとなった。
 所詮、国際政治の世界では日本は萱の外であることがはっきりとしたし、日本の外交は単に米国の追随をしているだけのことである。日本国内の世論の手前、米国に対して言うべきことを言っているポーズはとるが、結果がそれで変わるわけでは
ない。日本独自の国際政治の解を考えているわけではないので、所詮、米国の言ってくることを唯々諾々と受け入れているに過ぎない。
 可哀想なのは拉致家族の方々だ。30年近くにわたって、運動を続けてきて、その努力が無に帰そう、としている。怒りの刃は福田首相にぶつけるしかないだろう。一部に拉致被害者の生還という奇手が隠されているのだ、との観測もあったが、ことここに至ってそれは支持率低下に悩む福田首相の頭の悪い側近が考え出したアイデアに過ぎなかったことがはっきりした。

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夢とロマンのインディ・ジョーンズ最後の作品

2008-06-26 | Weblog
 25日は知人のTさんからもらった招待券を持って、川崎駅前のラゾーナにある109シネマズ川崎でハリソン・フォード主演の映画「インディ・ジョーンズ クりスタル・スカルの王国」を観賞した。良さそうな映画を2,3ピックアップしていったが、時間的にインディ・ジョーンズの映画にした。2館で上映していても平日の割には結構な人出で、スティーブン・スピルバーグ人気の高さを裏付けていた。
 「インディ・ジョーンズ クtリスタル・スカルの王国」は1950年代、まだ米ソの冷戦華やかなりし頃の米軍の基地になぜかソ連の国家警察の一団がインディ・ジョーンズ博士を人質にして秘宝を盗もうと現れるところかから始まる。そのリーダーには旬の女優、ケイト・ブランシェットを起用して、65歳のハリソン・フォード顔負けの武闘シーンを画面一杯に展開し、新味を出しているのが面白い。
 なんとか、ソ連一味の追撃を振り切って、大学の教授に納まっているジョ-ンズ博士のところに今度は米国政府から共産主義者狩りの追っ手の影が忍び寄ってきて、逃げ出す。このあたりは実際にその疑惑を受けたスピルバーグ監督の思い入れが入っていて、ジョーンズ博士はスピルバーグ監督自身の願望を体現化したのではないか、と思えてくる。
 そこへ、南米ペルーで囚われの身となっている女科学者の息子、実はジョーンズ博士の実の息子が現れ、共に囚われているジョーンズ博士の仲間の手紙を渡す。そこには秘宝にたどりつくまでの絵図面が認められており、ナスカ王国時代の言葉を解読しないといけない。
 ともあれ、囚われの仲間を助け出すべくペルーに向かうが、そこには例のソ連の一団が待ちかまえていて、なんとか脱出を図り、まず秘宝のカギとなっている水晶の髑髏を手に入れるが、ソ連の一団に嗅ぎつかれて、追いつ、追い抜かれの逃走劇を展開する。そして、秘宝にたどりつくが、最後は例によって大爆発を起こし、すべては河の中に沈んでしまう。
 おそらくインディ・ジョーンズシリーズとしては最後の作品となるが、一緒に逃走劇を繰り広げた女科学者の息子がジョーンズ博士を父と呼ぶところで、めでたく幕となる。
 インディ・ジョーンズの前3作と同様、夢とロマンの古代の秘宝探しと大活劇で、十分に楽しめるいい映画であった。
 映画を見終わって、川崎ラゾーナのデッキを見ると、いずれも鈴なりの人で、中央の舞台での催しが始まるのを待っている。一体、だれがとのぞくと男3人の羞恥心で、こんなに凄い人気かと驚いて帰ってきた。26日の朝のワイドショーで羞恥心のCD発売のイベントで、川崎ラゾーナ始まって以来の1万2千人の人出だった、と紹介していた。大阪、名古屋と合わせて合計2万4千人を動員した、とも言っていた。映画より、こちらの方に驚いた。
 
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慶弔市場にさざ波の兆しが起きている?

2008-06-25 | Weblog
 先日、東京。丸の内へ行った時のことである。本屋へ行こうと思って、とあるビルの正面に入ると、花屋の前に白い胡蝶蘭が3つ置いてあり、その後ろの壁面に価格が「3150円」と書いた紙が貼ってあった。春の人事異動シーズンなら、よく胡蝶蘭がお祝いに贈られるが、置いてあった胡蝶蘭はいずれもどう見ても2万から3万円はする見事なものであった。なぜ、10分の1にも価格が下がっているのか、不思議な気がしたが、店のなかでは多くの店員が忙しそうに働いており、気軽に聞けるような感じでなく、立ち去るしかなかった。
 気になって、家に帰ってからネットでそのお店を調べたら、その花屋は全国にチェーン展開しているフローリストの丸の内本店となっており、キャッチフレーズとしてか「お客さまひとりひとりに最善を尽くすプロの花仕事をめざします」と謳っている。
 胡蝶蘭の端境期に当たっているのか、それとも独自に栽培していてたまたま大量に出来てしまい、処分に困ってダンピングしたのか、事情はよくわからない。開店何周年かの記念で、日頃お世話になっている顧客にサービスしよう、ということだったのだろうか。
 あるいは景気の落ち込みで、慶弔市場にもなんらかの異変が生じているのだろうか。胡蝶蘭の持つ「お祝い」のイメージがなんらかの事情で変質してしまい、需要に陰りでも出ているのであろうか。企業の社長就任や本社移転のお祝いによく胡蝶蘭が贈られるが、なぜ胡蝶蘭なのかよくわからないで贈ったり、贈られたりしている。単に豪華そうできれいだから、お祝いに適していそうな感じがする、というだけで、特別な故事由来があるわけではなさそうだ。
 ある日、知恵のある花屋さんが思いついて、顧客に薦めたのが広まったのだろう。マーケティングの勝利といえるのかも知れない。胡蝶蘭の価格の原価が本当はどのくらいなのか、よくわからないが、価格の高さが豪華なイメージに一役買っている面も見逃せない。そしてだれしもどうしてこんなに高いのか、疑問に思っていることだろう。仮に不当な価格吊り上げ・維持が行われているようなことがあれば、いずれ胡蝶蘭は市場から消えていくことだろう。
 かつて中元お歳暮の定番として一世を風靡したウイスキーのジョニーウオーカーの赤・黒が並行輸入の実施をきっかけに値崩れを起こし、いまは見る影もなくなってしまったことを思えば、いつか胡蝶蘭がお祝いの定番商品から姿を消すことだってないとも言い切れない。
 たまたま24日の日本経済新聞にKDDIが日本通運と組んで、7月から電報事業に参入する、と報じられておた。電報サービスの市場規模は約600億円で、ピークだった1996年の半分強に落ち込んでいる。NTTはその9割強のシェアを占めており、KDDIはNTTより20%安い料金で2割のシェアをめざす計画だ、という。
 市場での競争が進めば、質の変化がもたらされるのは自由主義社会の鉄則である。胡蝶蘭の崩壊現象の始まりなのかも知れない。
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一度あることは二度ある、忘れられない送別会に

2008-06-24 | Weblog
 23日は東京・渋谷の忍庭なる日本料理店で名古屋に転勤となるS君の送別会を催した。S君とは小中学校の同級生で60歳過ぎて2年前に初めて東京勤務となって上京し、ほぼ50年ぶりに再会し、以来親交を深めてきたが、2年経ってお役御免となって名古屋に戻ることになり、S君の高校の同級生とともに一献傾けることとなった。忍庭は小粋なつくりの店構えで、地下1階にあるお店に入ると、中央に渡り廊下の橋があり、その下を河のように水が流れている構えとなっている。案内されて、席に着こうとすると、1対2で席がしつらえてある。主賓のS君に1人の席に着いてもらい、2人の席に座ろうとして、幹事をしていて奥にはS君の同級生に入ってもらった方がいい、と思って「どうぞ」とい言って後ずさりしたら、河の中に靴を履いたまま右足を突っ込んでしまった。
 実は前の日の日曜日にお中元を出そうと大雨の中、溝ノ口の丸井にかみさんと出かけた折り、地下へ降りる階段を下ったところ、途中で見事に滑って転んで、下半身はずぶ濡れとなってしまったのだ。一瞬宙に身体が浮いて、階段に足腰を打って、もう一度したたかに打ったのだ。下まで転がっていくのか、と思ったほどで、しばらく痛みでモノも言えない状態であった。
 あとで確かめてみると、左手の肘から手までの腕に15センチくらい擦りむいた傷があり、幸い骨は折れていないようだが、右足のアキレス健の上のあたりが少し腫れていて、押さえると痛い。腰の後ろに携帯電話があったので、携帯電話のカバーが外れてしまっていた。
 雨の日に階段で滑って転ぶのはこれで2回目で、いずれもナイキの靴を履いていた時で、かみさんからは「ナイキの靴は滑りやすいので、もう捨てたら」と何回も言われていた。だから、日曜日に転んで時も「だから言わんこっちゃない」とさんざん言われた。雨の日の階段は水がたまっていて、滑りやすいのと、足腰が弱っていて、以前のように踏ん張れなくなっているのかもしれない。
 早速、家に帰って、足には湿布をし、腕には消毒をしてメンソレータムを塗った。一日経って、前日の転んだせいか、23日は朝から身体がだるくて、布団にひっくりかえって寝ていた。で、約束の時間となり、渋谷へ出向いたのだが、軽い頭痛が残っていた。
 だから、河に右足を突っ込んだ時には前日の無様な転倒が思い起こされ、どうして同じようなことが続けて起きるのか、不思議な感じがした。一度あることは二度ある、二度あることは三度ある、とよく言うが、もう一回、同じようなことがあるのだろうか。
 いままで水の張ってある料理屋には度々行っているが、このように足を滑らせてしまう人がいるものなのだろうか。まさか、そのことが我が身に起きるなどとは考えてもみなかった。
 S君の送別会はその後、何事もなく無事に終えたが、ずぶ濡れになったことで、忘れられない送別会となった。
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原油高騰抑制策にはオイルシェールなど代替資源の開発が有効

2008-06-23 | Weblog
 先日、NHKニュースを見ていたら、日本の大手商社がカナダでオイルシェール(油母頁岩)の開発の乗り出す、と報じていた。原油価格が1バーレル(158リットル)100ドルを超えるようか高価格をつけるのなら、オイルシェールやオイルサンドからガソリンなど石油製品の精製に乗り出しても採算が取れるのに、なぜそうしたことが報道されないのか、疑問に思っていたので、ようやくそうした動きが具体化し始めたようである。
 原油をいまのペースで消費し続ければ、30年先には原油は地球上から枯渇してしまう、とは世界の資源専門家の間では定説となっている。それを見越して原油価格が上昇しているわけではないが、いまの原油価格の高騰ぶりは明らかに異常である。投資先を探しあぐねた投機資金が原油に向かっていて、実需を大幅に超えた思惑となって原油価格を押し上げている。
 OPEC(石油輸出国機構)加盟国も原油価格の高騰を歓迎して、なかなか増産に踏み切ろうとしない。世界の主要国であるアメリカ、中国、ロシアなどは大量の原油を生産するものの、国内消費に回すのが精一杯で、とても輸出するような余力はない。それでも国内で原油を産出するので、原油価格の高騰の影響をモロにかぶることはない。その点、日本はほとんどの原油を輸入に頼っており、原油価格の上昇は企業、家庭の台所を直撃する。日本の場合は吸収できるだけの経済力があるので、いまのところなんとか乗り切れているが、そうした経済力のない発展途上国にとって原油価格の高騰は頭の痛い問題であるのは確かなことである。
 投機筋の思惑とOPEC産油国の鼻をあかすには原油に代わるものを開発していくしかない。それがオイルシェールであり、オイルサンドである。カナダやオーストラリアには豊富な埋蔵量があり、開発が進めば向こう130年は大丈夫だ、という。
 30年くらい前に原油1バーレル20ドルそこそこの頃にオイルシェールやオイルサンドの原価は1バーレル40ドルし、採算には乗らない、と言われていた。それが今日1バーレル100ドルを超えているのだから、十分に採算に乗ることだろう。直ちにオイルシェールやオイルサンドが石油製品に成る、というわけではないが、こうした動きが投機筋やOPEC諸国に伝われば、いまの異常な状態が沈静化するのは間違いないことだろう。
 22日に原油高騰の抑制策を探るため、サウジアラビアのジェッダで開かれた産油国と消費国の閣僚会合で、主催国のサウジアラビアは7月中に原油を日量20万バーレル増産して、同970万バーレルとし、09年中に生産能力を同1250バーレルとし、さらに需要が増えれば1500万バーレルへの拡大も検討する、と表明した。OPECのなかで最も穏健な国のサウジアラビアと他の加盟国とは溝があるとされているので、この動きが広がるかどうかは定かではないが、いままでにない動きが出てきた背景にはオイルシェール実用化への取り組みがあったとはいえそうだ。
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タイトルに疑問が残るが、秀作の「鳥瞰図」

2008-06-22 | Weblog
 21日は東京・初台の新東京国立劇場で現代劇「鳥瞰図」を見た。同劇場が毎年シリーズで公演している同時代と銘打った現代劇の第一段で、若手作家の早船聡の作品。山本周五郎の「青べか物語」のその後みたいな、千葉・浦安あたりの釣り宿を舞台とした庶民の日常を綴った秀作で、最後にはホロッとさせてくれた。出演者は渡辺美佐子以外はあまり有名ではない人ばかりだったが、孫娘役を演じた野村佑香が感受性の強い女性をうまく演じていたのが印象に残った。
 「鳥瞰図」は浦安あたりの釣り宿「升本」のお店を舞台とし、常連客が将棋やゴルフの素振りをしている場面から始まる。この船宿はおかみさんと息子の2人で経営しており、アルバイトの坊やを1人雇っているが、不況の影響で経営は必ずしも芳しくない。常連客はしがないサラリーマンと老い先短かそうな老人ぐらいのもので、そんなお客にもおかみはつくったお総菜を持って帰らせることをしていて、息子の神経を高ぶらせている。
 そんなある日、おかみがふと気付くと居間の仏壇に最近死んだ息子の姉の写真が飾ってある。息子に聞くと、荷物を片づけていたら、出てきたので、仏壇に並べた、という。おかみは姉娘といさかいを起こしたまま、遠くへ行ってしまい、挙げ句の果てに死んでしまった姉娘に負い目を感じていて、写真があると、それを責められているような気がして落ち着かない。息子が外出した機会にその姉娘の写真を抽き出しにしまってしまった。
 そこへひょっこり、姉娘の娘のミオと名乗って孫が登場し、「泊めて下さい」と言って現れる。なにかいわくありげな雰囲気であるが、若い娘に直接聞くのも憚られ、そのままにしておくが。そのうちに父親が家に女の人を引き入れていたたまれなくなって家出してきたことがわかる。孫娘は母親に習ってか、カメラで鳥の写真を撮りたい、と言って、母親が小さい時の写真を取り出し、写真に写っている海岸へ行きたい、といって、お客の老人と出かけてしまう。
 そんなこととは知らないおかみは息子がかつての恋人が入院しているのに見舞いに行っているのをお客から聞いて、息子を問いつめる。その恋人はガンで余命1カ月しかない、と聞いて納得する。そこへ警察から電話が入り、孫娘が車にはねられた、と告げられる。幸い、命に別状はなく、孫娘は家に戻ってくる。
 事情を聞くと、母親を見たような気がして道路に飛び出したところを車にはねられた、という。そこから、姉娘の話になり、どうして母親が家を飛び出したのか、とおかみさんに尋ねる。そして、姉娘の娘時代のことを話していくうちにお互いの気持ちを思い知るようになり、孫娘の名前のミオが海岸の中州にできる「澪」から取ったものであることを知り、姉娘の心を思い知り、心のわだかまりが溶けた思いがする。そこで、抽き出しにしまっていた姉娘の写真を改めて取りだし、仏壇に飾る。
 ここで終わりか、と思ったら、老人の葬式の終わった場面になり、孫娘とカメラで写真を撮るところで終わった。孫娘役の野村佑香は登場した時はおずおずとした不安げな表情だったのが、祖母と意が通じた終盤ははじけるような笑顔で、心の持ち方ひとつで女性の表情はこんなに変わるものか、と思わせるほどの演技で、思わず引き込まれた。半分は地でいけたかもしれないが、子役時代から演技していたというキャリアがものをいったのだろう。
 タイトルの鳥瞰図は鳥の写真を撮るのに引っかけたのかもしれないが、単に「釣り宿升本」でもよかったのではないか、と思った。

 
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お粗末な「子供の携帯電話の所持禁止」の立法化の動き

2008-06-21 | Weblog
 20日の夕方、民放テレビを見ていたら、自民党の義家弘介参院議員を中心とする若手議員が「子供に携帯電話を持たせない」法案の立法化に動いている、とのニュースを伝えていた。秋葉原の大量無差別殺人事件の発生などで有害な情報が携帯電話でやりとりされているので、少なくとも子供がそうした情報に触れることのないようにするためには携帯電話を持たせないようにするしかない、ということのようだが、あまりにも短絡的な考えに呆れるしかない。自民党の若手議員の頭のレベルはこの程度なのだろうか、実に嘆かわしいことだ。
 携帯電話が世の中に登場して20年近く経つが、確かに携帯電話は便利で、いまや仕事や生活にとって欠かせないものとなっている。いながらにして家族や知人とコミュニケーションが取れるので、肌身離さず持ち歩いている。携帯電話を持たない人が珍しいくらいで、たまに携帯電話を忘れて、急に連絡を取ろうと思って、街なかで公衆電話を探しても見つからなくて困った思いをしたことは再三ある。
 しかし、便利なツールではあるが携帯電話を使うには自ずとルールがあってしかるべきだろう。携帯電話が普及しめた当初は学校に携帯電話を持ってくることは禁止されていた。教育の現場には必要ない、ということだった。鈍想愚感子の三男が高校の野球部の寮にいる時にこっそり携帯電話を持たせていたら、寮の舎監に見つかって取り上げられ、親子そろって説教された苦い思い出がある。
 ところが、幼児虐待殺人事件が起きたあたりから、セキュリティの必要上からか、子供に携帯電話を持たせることが当たり前となってきた。常に子供の所在地を確認するうえで欠かせないツールとなたのだ。従来用いられていたポケットベルが市場から姿を消したことも大きく預かっているようだ。
 そうなって、今度は携帯電話からインターネットにアクセスできるようになり、子供に有害な情報が行き渡るようになり、これは危険だ、ということで、携帯電話の所持を禁止しよう、との動きになってきた。確かにその通りではあるが、なにも携帯電話からだけでなくともインタイネットにアクセスすることはいくらでもできる。いまどきの子供はパソコンを自由自在に操る。となれば、インターネットに流れる有害な情報を社会なり、家庭でいかに子供に行き渡らないようにするか、が問われなければならない。
 米国では少なくとも学校に携帯電話の持参を許していない、という。携帯電話の使い方、使われ方のTPOを確立することが求められるべきだろう。もっとも大人でもそのTPOを心得ない輩がいっぱいいるのに子供にだけ押しつけるのは無理な話なのかもしれない。ということはこの法案は成立する土壌はない、ということで、そのあたりを読んでか、翌21日付けの朝刊は自民党若手議員のこの動きを無視して、記事にしなかった。
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