鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

往時の株主総会を淡々と開催した鹿島には失望させられた

2010-06-30 | Weblog
 29日は東京・江東のホテルイースト21東京での鹿島の株主総会へ出かけた。ゼネコントップ企業の鹿島がどんな総会を開催するのか、注目したのとホテルイースト21東京の会場そのものにも興味があったためで、前日に時間ぎりぎりだったのを反省して早めに家を出た。地下鉄東西線東陽町駅から徒歩7分とあったが、どう見ても10分はあると思えた。江東区役所の前を過ぎ、会場に辿りつくと、思ったより小じんまりとした会場にざっと見渡して150人くらいの出席者がいる程度で、ややさびしい感じがした。
 定刻になり、議長の中村満義社長がまず議決権行使の株主は6万6428人で、前日までに行使した株主は2万971人と意外と少ないことに驚いた。議長が事業報告をすると、大したことない内容でも前方に陣取った社員株主らしき一団から拍手が湧き起こる。それと映像による報告のあと、対処すべき課題などについて議長から報告があったが、通知書に書いてある内容を棒読みするだけで、拍子抜けだった。
 そして株主からの質問を受け付けたが、最初の質問は1944年に1888人もの中国人労働者を拉致してうち522人を殺したことについての補償問題を取り上げ、鹿島の責任を追及したもので、どうやら最高裁で係争中のものらしい。鹿島が中国での事業がうまくいってないのはこれをなおざりにしているからだ、とその後も複数の株主も加わって質問の矢を浴びせた。続いて質問に立った中年の男性は羽田空港の滑走路工事をめぐり玉砂利の購入で不正を行ったことや、仙台でのダンプカーの単価は1日2万8千円しか払わず、建設業法で定める工事原価を下回っているなどを取り上げ、鹿島のコンプライアンスを問題にした。
 このほか、建設事業で特命比率が41.5%となっていることを取り上げ、特命にこだわるのは会社の先行きを危なくすることにつながる、と批判し、議長が「説明不足だった」と釈明する場面もあった。聞いていると同じ株主4人が代わる代わる発言している感じで、小1時間くらい続いたのを潮時と見て、前方に座っていた社員株主が採決を求める発言をし、拍手で賛同を得て、採決となり、約1時間半で株主総会を終了した。
 考えてみればゼネコンは下請けに建設業者を数多く使い、いわゆる総会屋がもっとも出入りしやすい業種である。この日の総会を見る限り、総会屋と思しき人こそいなかったが、総会そのものの運営ぶりは総会屋が大挙して押しかけた往時の株主総会に備え、前方を社員株主でがっちりと固め、質問が出尽くした様子を見計らって議事進行を促すやり方は往時のものだった。株主からの質問に対する回答も木で鼻をくくったような通り一辺のもので、かみ合っていなかったし、議長の対応も時に適切さを欠くような場面もあった。会社側の説明も先のヴィジョンらしきものはほとんどなかった。
 あとで判明したが、この日は株主総会の集中日で、全国で株主総会を開いた企業は1088社にものぼった。うち開催時間が2時間以上に及んだ企業は22社あった、という。鹿島はそのなかには入らなかったものの、なんら企業としての展望も見せず、無難に過ぎればいい、という昔ながらの株主総会を開催した。予想したこととはいえ、大いに失望させられた。こんな会社に子弟を就職させようとは誰も思わないことだろう
 
 
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株主総会の日にちを間違えて、代わりにいい出会いをした

2010-06-29 | Weblog
 28日は東京・九段の武道館での三菱UFJフィナンシャル・グループの株主総会に出かけた。前日に持病の腎臓結石の症状が出て、1日体調がおかしかったので、今日も同じ状態になるのかな、とおっかなびっくりで起きたところ、なんということもなく通常に戻ったので、行くことにした。午前9時12分溝の口発の急行電車に乗ったら、九段下に着いたのが10時ちょっと前。午前10時に株主総会が始まるので、急いで坂道を登っていくと時間がぎりぎりなのか、それほどの人並みがない。武道館前に着くとほとんど人もいない。不審に思って通知状を改めてみると、なんと開催は29日(火)となっている。日時、場所の上数行のところにインターネットでの議決権行使の締め切りの日付けが28日(月)となっていて、それと見間違えたようだ。
 「また、やってしまった」と苦笑いして駅へ戻ろうとすると、同じように勘違いした中年の株主が「これなら第一生命の株主総会に行けばよかった」と言いながら、「まだ、入口まで行かなくてよかったですね」とか言って2、3やりとりするうちにどうせ裁判の傍聴に行く積もりだったし、相手は所在ざさそうだったので、「裁判を傍聴したことありますか」と聞いてみたら、「興味がある」というので、同行することにした。
 車中に裁判の傍聴の心得みたいなことを話しているうちに、隣り合わせで地下鉄車両に乗り込んでいるのに緊張したのか、どっと汗が吹き出てきた。そういえば、前日の腎臓結石がちょっとした脱水症状から起きたことが判明して、ポカリスェットを大量に呑んだのが効いているのかもしれない、と思った。
 裁判の傍聴をし出してから2年余になるが、初心者を連れてきたのは初めてのことで、東京地裁の受付の横にあるスケジュール表を一緒に見ながら、地裁、高裁ごとの表の見方を解説し、面白そうな裁判をピックアップして、丁度104号大法廷での秋葉原通り魔犯の加藤智大の裁判を傍聴し、弁護側の証拠調べを30分ばかり聞いた。間近に見る通り魔犯人の顔は一般人と同じようにしか見えなかった。その後は702号法廷での覚せい剤常習者の刑事裁判を傍聴し、即決で「懲役1年6カ月、執行猶予3年」の判決が下された。
 初心者を案内するのはやや不足の感もあったので、「一緒にランチでもいかが」と誘うといいというので、日比谷公園のなかにある松本楼でハヤシライスを食べながら、裁判のレクをしながら、当たり触らずのよもやま話でしばし時間を過ごした。初対面の人と裁判の傍聴をした後、打ち解けて食事をするなんて、面白いことだ、と思った。考えてみれば、お互い株主総会の日時を間違えたから起きたことで、なにが幸いするのか人生わからない、とも思った。
 案内された人は「思いがけぬ体験ができた」と喜んでもらえたのはよかった。なにか人助けをしたようないい気持ちになった。裁判なんて普通の人にとって一生のうちに関わることはにないかもしれないが、どんなものか、一度は知っておいてもいいことだ、と思って誘ってみたのが、喜んでもらえてよかった。帰りがけにTと名乗ってお互い名前だけを紹介したが、またどこかの株主総会ででも会えば一緒に食事でもしましょう、との友達になった程度の爽やかな別れであった。
 食事を終えて、午後1時半からの殺人犯の裁判員裁判を傍聴しようと思って赴いたところ、時間がギリギリだったせいもあって、はじき出されてしまった。
 株主総会こそ聞けなかったが、代わりにいい出会いをした一日だった。
 
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人間とは運命にさらされる弱い存在であることを描いた「ディア・ハンター」

2010-06-28 | Weblog
 27日は家に導入したばかりの40インチ大型テレビで映画「ディア・ハンター」を観た。1978年に公開された米ヴェトナム戦争当時の青年の苦悩を生々しく追った映画で、
翌年の米アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞などを総なめにした。ディア・ハンターとは鹿狩りをいい、出征前に鹿狩りにいそしむ青年たちを描くことで、戦争の悲惨さを象徴しているようにも思えた。ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープの出世作となった作品ともいえそうで、3時間余の大作が長さを少しも感じさせなかった。
 「ディア・ハンター」は米国中東部のピッツバーグ郊外のクレアトンのUSスチールと思われる製鉄所で働く5人の若者のうち3人がヴェトナム戦争に出征することになり、その直前に仲間のスティーブンとアンジェラの結婚式が行われ、その翌朝に5人は鹿狩りに出かける。鹿狩りではロバート・デ・ニーロ扮するマイケルが大きな鹿を射止める。ここまでは平和な若者たちの生態が描かれるが、いざヴェトナムに赴いたマイケル、ニック、スティーブンの3人の若者に苛酷な運命が待ちうけていた。
 というのはヴェトナムの兵士に囚われの身となった3人はヴェトナム兵士が捕虜同士をロシアンルーレットをさせる殺し合いで、楽しんでいるのに精神はズタズタにされていったからで、まずスティーブンが発狂寸前までいってしまった。ロシアンルーレットで生き残っても、水牢でやがては死ぬ運命に放り込まれて絶望してしまった結果で、ここで、マイケルは銃に3発の弾を込めてロシアンルーレットをすることを提案し、隙を見つけてヴェトナム兵士を皆殺しにして、ニック、スティーブンと逃走を図る。運よく脱出できるが、河下りをして、米軍ヘリコプターに助けられるが、再び河に落ちて足を負傷したスティーブンと逃走することになる。
 場面は変わって、サイゴン市内の病院で、痴呆状態になっているニックは病院を抜け出し、いつしか市内のロシアンルーレットの賭博場へ赴き、テーブルの上にあった銃を手にして、ぶっ放し、その世界に身を投じることになる。それを目撃したマイケルはニックを追い掛けるが、途中で見失ってしまう。
 ヴェトナム戦争も終わり、帰還したマイケルを仲間の連中で歓迎しようと待ち構えているが、マイケルは残してきた友人を思うとすんなりと帰れず、やり過ごしてしまう。で、翌日になって、ニックの恋人リンダのもとを訪れ、再会を喜びあうが、どうしても気は落ち着かない。仲間の連中と再会し、再度鹿狩りに赴くが、鹿を目の前にしても引き金を引くことができない。仲間と話していて、スティーブンが帰国していることを知り、陸軍病院に入院していることを聞き、見舞いに訪れ、そこでスティ-ブン宛てにサイゴンから多額の紙幣が贈られてくることを知って驚く。
 その贈り主はニックであることを悟ったマイケルは再びサイゴンに赴き、ロシアンルーレット場へ乗り込み、ニックと再会を果たす。が、発狂したようなニックはマイケルを覚えておらず、2人はロシアンルーレットで対決をすることになり、2回目の対戦でニックは死んでしまう。引き金を引く寸前にマイケルがかけた言葉で、ニックは記憶を取り戻し笑顔を見せるが、その時はすでに発砲されており、帰らぬ人となってしまう。死体を米国に持ち帰ったマイケルは仲間とニックを弔うこととなり、葬式が終わって、仲間のみんなと無言で乾杯する場面でジエンドとなる。
 戦争で正体を失ってしまい、ロシアンルーレットの常習者となって死んでしまうニックはヴェトナム戦争の被害者といっていいのかもしれない。こんな戦争をひき起こした米国政府に対しての強烈なメッセージ以外のなにものでもない。奇しくも主人公のマイケルと同姓の制作・監督のマイケル・チミノ氏は戦争以外のことでも人は正体をなくしてしまう弱い存在なのだ、とも言いたかったのかもしれない。おそらく自身の体験を交えてのストーリーだったのだろう。
 「ディア・ハンター」を単に鹿狩り人としたのでは何のことかさっぱりわからない。平和な時には鹿狩りにいそしむ平凡な市民が戦争に狩り出され、見るも無残な結末に至る戦争の実態がここにある。30年以上も経っても感動は変わらないいい映画であった。我が家の映画館の公開第1作を飾るにふさわしいものでもあった。
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日本相撲協会が秘かに恐れる野球賭博問題の裏にあるもの

2010-06-27 | Weblog
 日本相撲協会が26日、7月の名古屋場所の番付発表を延期すると発表した。名古屋場所に出場する力士が未定なうえ、開催そのものも危ぶまれているためで、相撲協会が番付の発表を延期したのは戦後初めてのことという。すべては事態の深刻さをわきまえていなかった相撲協会の幹部の認識の甘さにあるが、すでに懸賞金の大手スポンサーの永谷園が懸賞を出すのをとりやめる、と発表したり、NHKも相撲のテレビ中継を止める検討に入ったりして、相撲界そのものが存立の危機に立たされている。
 大相撲の野球賭博問題と当初関わっていたとされる琴光喜だけでなく雅山、豊ノ島、琴奨菊、豪栄道など3役経験者にも続々と広がり、理事長の武蔵川部屋の力士も関与していたこともわかり、武蔵川理事長の進退問題にまで発展してきている。記者会見で、そのことを聞かれた理事長が「いまそのことに答えなければなりませんか」と気色ばんで、切り返場面がテレビで放映されて、日本相撲協会が救い難い状態になっていることをうかがわせた。
 相撲協会では28日に名古屋場所開催の是非と野球賭博関与力士の出場の可否などを審議する臨時理事会を開くことにしているが、賭博問題を調べている特別調査委員会はこれとは別に事態の解明と今後の対応を決めることにしており、ことは名古屋場所を開催するかどうか以上のことになりそうで、すぐに結論が出るとは思えないとこおrまできている。
 琴光喜の野球賭博で逆に琴光喜から口止め料として350万円を恐喝した元力士で、暴力団組員だった古市満朝容疑者は逮捕前のテレビのインタビューで「恐喝ではなく琴光喜からの報奨金だった」と説明にならないことを述べている。この元力士を手がかりに胴元の暴力団にまで捜査が及ぶことを期待したいが、従来の警察の捜査からいってそこまで期待することはできない相談だろう。
 問題なのは野球賭博が力士の生活の日常に入り込んでいて、だれも不思議に思わない土壌となっていることだ。1回1~3万円を賭けてテレビの野球中継に見入っていた日常をだれも咎めることなく、元力士の暴力団関係者が部屋に自由に出入りしていたのはどう考えてもおかしなことだ。相撲という精神的に緊張することを仕事としている力士にとって、賭博をするのは度胸を試されるような側面があり、誘われて断ることはなかなか難しいことだろう。土俵の上で命を賭けるような取り組みをしているのだから、野球賭博をしてみたくなる気持ちもわからにあでもない。増して先輩から誘われれば断る勇気を持て、というのは並み大抵のことではできないことだろう。
 だが、野球賭博に手を出すことは相撲の八百長にもつながっていくことである、とは思いもしないことだろう。野球賭博を主宰している暴力団が相撲賭博も行っていることはちょっと考えればすぐにわかることだろう。
 日本相撲協会の関係者が一番恐れていることは今回の問題が相撲の八百長問題にまで飛び火することかもしれない。そういえば、今回の発端は琴光喜が八百長しているのではないか、ということだった。それがいつの間にか、野球賭博にすり替わってしまった。どこかで、琴光喜はだれかに八百長のことで脅されて、それまで否定していた野球賭博をやっている、と自白したのかもしれない。
 そうだとすると、日本相撲協会は確実に崩壊への道を辿ることになる。今回の問題は意外と根が深いのかもしれない。
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40インチの大型テレビの導入で我が家の茶の間がミニ映画館となった

2010-06-26 | Weblog
 25日午後は待望のシャープ製40インチのデジタルテレビが届いた。1カ月前にビデオの調子がおかしくなり、買い替えることにしたので、ついでにテレビもデジタルテレビにすることにして、近くの家電量販店ノジマへ行き、注文していた。ビデオはシャープのブルーレイビデオディスクレコーダーにして、テレビも同じメーカーの40インチ型にしたら、人気商品んあおで、1カ月待ちということで、25日まで待たされた。考えてみれば、エコポイントとサッカーワールドカップ人気もあって、注文が殺到しているようで、一番間の悪い時に買うことになってしまったようだ。
 配達に来た30前後の2人連れにその話題を振ったら、朝から日本チームの第1次リーグ突破があれだけ日本中が沸騰しているのに、「どうなったんですか」と聞き返され、唖然とした。サッカー一色といっても何も知らない人もいるのだ、と思うと、驚くと同時にホッとする感もあった。特にサッカーファンでもないので、意外なところに味方がいたのと、脇目もふらずに仕事にいそしんでいる人がいたのを知ってでうれしい気持ちがしたのだ。ただ、テレビを扱う仕事でいいのかな、とも思った。
 ともあれ、リビングルームにでんと据え付けられた40インチの大型テレビは迫力あり、端っこから見ても画面下のテロップの字がはっきりとみえる。従来のテレビは20インチだったので、丁度4倍の大きさとなるわけで、リモコンであれこれ操作してきて機能を確かめてみたが、細部まではとても理解できない。早速、お気に入りのVTRの「アラビアのロレンス完全版」をかけてみたが、砂漠の井戸でアラブの首長アリがはるか彼方から登場する場面ーー黒い点から次第に近づいてきて蜃気楼のような像となり、ラクダに跨った戦士が現れるーーが感動的に再現された。次いで中島みゆきの夜会のDVDでステレオの音も楽しんだ。
 さらには前日にNHKBSで録画した「ディア・ハンター」を再生して見ていると、まるで映画館で見ているような感じがしてきて、ひと頃家電メーカーがホームシアターと言っていたのが思い出されてくる。
 これまでビデオだけBSで、テレビは地上波だけだったので、数々の不便をかこっていたが、ようやくテレビもビデオもデジタルで、BSとなったので、人並みとなった。デジタルとなって、どんなメリットがあるのか、理解できなかったが、番組表を一覧できたり、パソコンとつないでインターネットも閲覧できるようで、双方向の情報のやりとりができるようで、来年7月からのデジタル化への完全移行も避けられないようだ。
 40インチ大型テレビの導入で、我が家の茶の間は一段落して、全面的に改装された。4月にまず食卓が2×1メートルの大型のものとなり、次いで15年前からずっと使っていたカーテンも新しいものとなり、テレビも大型化して、全面改装された。総額70万円にも及ぶ投資であるが、新しい家族を迎えるのにそれなりの装いが必要ということで、踏み切った。きっかけは新たな家族の絆を築くことにあったのかもしれないが、今後の老後の生活をしていくうえで、豊かなリビングが欠かせないと思ったのも事実で、そう考えれば不可避な投資といえるかもしれない。 
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経営者たるもの、絶えずTPOを頭に置いて言動すべき

2010-06-25 | Weblog
 数日前にNHKのニュースでBP(ブリティシュ・ペトロリアム)CEOのトニー・ヘイワード氏が英国南部のリゾート地ワイト島で水着姿でくつろいでいる姿が写真に撮られ、それが世界各国に流され、主に米国では強い批判を浴びている、と報じられていた。米国南部での原油流出事故の主犯であるBPはいまだに有効な手を打てないでいるだけに、被害者からすればBPのトップがのうのうと過ごしているのは許せない、というわけで、渦中にある企業トップとしてはリスク管理がなってないことをさらけ出した。
 米南部ルイジアナ州沖のBPの石油掘削基地ディープウォーター・ホライズンで爆発事故が起き、原油がメキシコ湾に流出したのは4月20日。当初は簡単に収まると思われていたが、原油の流出量が1日400万リットルにも及び、原油の流出は東京都の10倍の長さ200キロ、幅120キロの地域に広がりつつある。事故が起きたのは水深1550メートルもの深さがあり、当初パイプ菅を通して原油を他に誘導するような策が検討されたが、パイプを固定するたんめのセメント工事が思ったように進捗せずにいまだに効果的な手を打てないでいる。
 ルイジアナは米国でも有数の漁業地域で、漁業は壊滅的な打撃を受けているほか、環境。生態面でも大きな影響を及ぼしつつある。事態を重視したオバマ米大統領は何回も現場に足を運ぶ一方、米国議会にBPはじめ関係企業のトップを公聴会に招き、責任の所在を明らかにしたうえで、BP首脳と直談判に及び、総額200億ドルの補償原資を拠出させることにした。とはいえ、修復への先の見通しが立っていないことが事態の先行きを暗いものとしている。
 こうした矢先のBPのヘイワードCEOのくつろいだ姿の露出で、被害者の感情を逆なでしたのは間違いない。英ワイト島はヴィクトリア朝時代からの有名な保養地で、自然が美しく王立ヨット隊の本拠地としても知られているリゾート地で、ヘイワード氏はたまたま訪れただけで、BP広報では「事故以来初めての休暇だ」と釈明しているが、そう受け取られるわけではない。
 この背景には米公聴会に初めて出席したヘイワード氏は計算された言葉の選び方や声の調子に委員会メンバーの反発を買い、その前に「メキシコ湾の海の大きさに比べれば流出した原油の量など大したことない」と言ったり、「自分の生活を早く取り戻したい」と不用意な発言をしていたことが米世論の反発を招いていた。所詮、はるか遠くでの事故くらいに軽く考えていたようで、パパラッチの格好の標的となっていたようで、今回のリゾト地での写真は自らの言動が招いた”事故”ともいえる。
 経営者たるもの、いま自分が置かれている状況を冷静に悟って、パパラッチなどにフォーカスされたらどんなことになるのか、くらいは絶えず頭に置いて行動することが求められている。TPOをわきまえて的確に言動するのは英国紳士のたしなみではなかろうか。BPはその本拠と思ったのが幻想だったのだろうか。
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醜い女の虚栄心を見せつけた脚本家の田渕久美子さん

2010-06-24 | Weblog

 23日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後1時半から612号法廷での創作きものおおはしが岡島久美子、およびアイアン・キャンドルをを相手に売買代金を請求する民事裁判を傍聴することにした。原告、および原告側の証人、と被告の3人が証言台の前に立ち、宣誓して、まず原告が証言台に座った。聞いているうちに被告の岡島久美子なる人物がNHKの大河ドラマ「篤姫」の脚本で有名な田渕久美子さんであることと、その「篤姫」が舞台となっていることが判明し、俄かに野次馬的な興味が高まった。
 争点は田渕久美子が京都の創作きものおおはしの経営者に対し、「篤姫」の記者会見用に着る着物を注文したか、贈呈されたかで、双方の見解が180度違っていた。最初の出会いからして、原告の泊まっていたホテルに被告の田渕久美子が訪れ、掛かっていた原告の着物を身にまとい、その場で記者会見用の着ものを注文したというが、被告の言い分では原告側から「記者会見用の着物を作らせてほしいと持ちかけられた、という。最初の出会いから食い違っているため、その後のやり取りも180度違い、お互いに「言った」、「聞いてません」とこうも見解が異なるものか、と思えるほどの平行線だった。
 田渕久美子から注文されたとする原告側はその時に主人が教えているヨガ用のパンツの試作品などと合わせて総額2000万円を支払え、という請求をしているようで、その後歌手の泰葉と田渕久美子が作ったアイアン・キャンドルなる会社がすべての責任を負うということで登場する複雑な様相もみせていた。
 奇異だったのはかつて田渕久美子の秘書をしていた女性が原告側の証人として出廷し、田渕久美子が着物を作ることをきっかけに着物を販売するビジネスを始めよう、としていたと証言したことで、、その彼女はその後田渕久美子の人間性に失望し、辞めてしまった。
 争点の「篤姫」の記者会見用に脚本家の田渕久美子が着る着物を創作きものおおはしが贈呈するものかは主演の宮崎あおいが着るのならわかるが、脚本家が着ることがアピールすることになるのとは考えにくい。確かに美形の脚本家ではあるが、だからといってテレビカメラの端っこにしか映らないのでは創作きものおおはしにとって宣伝になるとは思い難い。
 田渕久美子は京都の佐野なんとかや、鈴乃屋から着物を贈られたことがある、とは証言していたが、2000万円もの物を贈られるほどの有名人であるとは思われない。それに仮に贈呈されたとしたら、その半分、贈与税なるものが課けられることになる。
 裁判なので、言ったことを「言ってない」とか、「聞いてない」というのは常に起こりうることで、醜い女の虚栄心の争いと片付けるにはちょっと金額が大き過ぎる。田渕久美子は確かにテレビドラマの脚本家としてはいい仕事をしているかもしれないが、私生活ではしたたかな一面を見せていることがはっきりと裏付けられた。裁判は被告側の尋問時間が長引き、来月に持ち越しとなったが、どの道贈与と認定されても贈与税を半分取られることになるのだから、半分程度払うことでケリとなることだろう。
 こんな醜い一面を見せつけられたのでは、とても来年のNHK大河ドラマの「お江」を見る気にはなれないだろう。
 
 

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お粗末なみずほフィナンシャルグループの株主総会、形骸化した株主総会なんて要らない

2010-06-23 | Weblog
 22日は東京・有楽町の国際フォーラムで開かれたみずほフィナンシャルグループの株主総会に出かけた。開始時間の午前10時より10分くらい前に5000人収容するAホールへ行ってみると、入口は大勢の人が列をなしている。ここ1、2年大幅な増資をして株主が増えたため、大規模な会場を使うことにしたものの、慣れない会場整理で、入場がスムーズに行ってない印象を受けた。案の上、午前10時になってもまだ入口周辺には数百人の人が列を成している状態だった。なんとか、会場内に入ったら、すでに株主総会は始まっていたが、今度は座る席が見つからない。どう見ても入口の混雑ぶりは主宰者側には伝わっていないようだった。
 議長の塚本隆史社長が総株主69万350人、株式1億5482万株で、出席株主20万5044人で、議決権株式数は1億185万株余と説明し、まずビデオによる事業報告、ならびに連結計算書類などの報告があった。そして塚本社長が経営方針を説明した後、決議事項の内容説明をし、質疑応答に入った。広い会場から大勢の株主が立ち、増資のうわさや、グループ経営の方針、役員報酬のカット状況、不良債権の金額の推移などについて次から次へと質問が出た。これに対し、みずほ側の回答は紋切り型のものが多く、納得できるようなものでもなかった。
 決議事項のなかに株主提案として廉価MBOに対して融資しないように定款の変更を求めるものと、役員報酬の個別開示を求める定款変更の2つの議案があり、山口という提案者の説明をさせたうえ、合わせて質疑に入った。会社側は第4号議案のMBO融資禁止に対しては「融資は資金用途、返済原資、担保などを総合的判断して決められるべきもの」を理由し、第5号議案の役員報酬の開示についても「役員報酬の決定手続きおよび開示は適切に行われている」としていずれも定款を変更するには至らないと反対の意向である旨を宣言しての討議で、株主からは賛成するとの意見も寄せられた。
 質疑応答は1時間半ばかりに及んだところで、議長は「あと2つの質問で打ち切る」と宣言して質問を受け付け、それが終わった段階で、採決に入った。注目の株主提案に対し、どう処理すのだろうかと思っていたら、なんと塚本議長は「この第4号議案に賛成の方は拍手を願います」と言い、それまでの剰余金処分、取締役3人選任の議案に賛成するより多くの拍手が出た。これに対し、塚本議長は「反対多数とみて、否決します」とあっさりと宣言した。続く5号議案についても同じで事前に寄せられた書面、およびインターネットによる議決権行使の内容になんら触れることなく、高圧的に否決を宣言したのは横暴といわれても仕方のない専決ぶりだった。
 これに対して会場からは「ええっ」という異論を思わせる声が上がったきりで、そのまま株主総会は終了が宣言されてしまった。新たに選任された新任取締役の紹介もなく、閉会が宣言されてしまった。
 国際フォーラムAホールという馬鹿でかい会場をあとにしながら、70万人もの株主を擁する株式会社の株主総会は運営の面でも、討議の内容の面でももう限界にきている、と思わざるを得なかった。かつて株主総会を食い物にしていた総会屋のような存在はなくなり、会社のめざすヴィジョンを提示できるものにはなったのだろうが、このみずほフィナンシャルグループの株主総会を見る限り、単に開催したという事実だけを積み重ねたものとしか思えなかった。
 そんな形骸化した株主総会なんか要らない。選別方法が難しいだろうが、真の株主だけを対象とした経営ヴィジョンを提示する株主総会を開いてほしいものだ。 

追記 株主総会の翌々日の24日の新聞各紙にみずほフィナンシャルグループの首脳6人の役員の役員報酬が1億円を超えていた、と報じられた。今年から有価証券報告書に1億円以上の報酬を得ている役員は明記することが義務付けられたためで、22日の株主総会で、株主から役員報酬について開示を求める質問が数々出たにも拘わらず、隠し続けた結果がこれだったとはまさに開いた口がふさがらない。総会の直前に辞めた役員4人を含め6人もの役員が報酬1億円を超えていた。議長を務めた塚本隆史社長も超えていたのだから、怪しからぬことおびただしい。総会の運営のまずさも含め、みずほフィナンシャルグループにますます不信の念が募った。
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芸術とムダとは紙一重で、オーケストラも音楽も事業仕分けの対象となることを立証した

2010-06-22 | Weblog
 21日は東京・三軒茶屋の昭和女子大での「題名のない音楽会」の公開番組収録に行った。毎回始まる5分くらい前に司会の佐渡裕がステージに登場し、近況などを話すが、この日はサッカーW杯の日本チームの勝ち負けから始まり、米国の女子ゴルフツアーでことし4回目の優勝を遂げた宮里藍に言及した。あれだけ米国で活躍しながら、日本では勝てないのは宮里藍の父親によると、「日本のレベルを低いと思っている傲慢さが理由」と言っているのは偉いことだ、と持ち上げた。世界トップレベルになった我が子に厳しくあたるのはなかなかできない、と言い、スポーツに限らずよく海外で活躍すると日本をついつい低くみてしまう人がいるのはよくないことだ、とも語った。丁度、ベルリン・フィルの指揮者となることが決まった自分に言い聞かせていいるような感じがして好感が持てた。
 「題名のない音楽会」の前半は「アレンジ・バトル2010」と題して、作曲家の渡辺俊幸らが有名な映画音楽をアレンジして聞かせるもので、「雨に唄えば」、「バック・トゥ・ザ・ッフューチャー」、「ゴッドファーザー」が時にクラシック、邦楽などをまじえながら楽しく演奏された。指揮者に扮するゲスト出演者はテーマに合わせて思い思いの衣装をまとっての登場にも趣向が凝らされた。音楽に造詣の深い人がアレンジするとこうなるか、と思わせた。
 で、最後に「ミッション・インポッシブル」をいま流行りの事業仕分けに引っ掛けた前田憲男氏の篇は最初は単にミッション・インポッシブルのテ-マ音楽を演奏しただけで、どうするのか、と思っていたら、指揮台の前田憲男氏の携帯が鳴り、「オーケストラのメンバーを半分にし、長さも短くしろ」との指令が下った。それで、メンバーを半分にし、さわりの部分を演奏した。そして、終わったら再度携帯が鳴り「さらにメンバーを減らし、短く」との指令が下り、そのようにした。これで終わりか、と思ったら、再度携帯が鳴り、今度は「指揮者が要らない」と言われたということで終わって、会場は爆笑の渦となった。
 前田憲男氏は演奏する前に「芸術とムダとは紙一重です」と言っていた理由がこれで判明した。最後に佐渡裕が前田憲男氏が指揮台の上で携帯電話を取り出してしゃべっていたシーンで、携帯電話が裏返しであることを暴露していたのも会場の爆笑を誘っていた。厳粛なクラシックを常とする交響楽団を率いてこんなお笑いめいたものができるのだ、と感心した。
 後半は「ピアノで描く『もののあわれ』~加古隆の世界」と題して、作曲家加古隆の「黄昏のワルツ」はじめ「パリは燃えているか」、「熊野古道」、それに「最後の忠臣蔵」が演奏された。「黄昏のワルツ」はNHKの人間ドキュメントのテーマ音楽としてお馴染みのもので、よく聞いていた割りには加古隆の作曲だ、とは知らなかった。
 常に黒い帽子を被り、端正な面持ちを崩さない加古隆が小学校の時に友人の家で聴いたベートーヴェンの「運命」に感銘を受け、音楽への道へ進むきっかけとなり、小学校の音楽の先生がピアノを習うよう勧めてくれたことが後押ししてくれた、という。それでも中学校時代に柔道に興味を持ち、習っていくうちに大会で優勝したこともあり、当時は辺り構わず人に殴りかかっていた、ともいう隠れたエピソードを紹介していたのが印象的だった。
 視界の佐渡裕が鋭く切り込んでいったおかげだが、最後にいつか加古隆お得意のフリージャズにまた戻ってハチャメチャだった頃の勢いで作曲してほしい、と要望し、加古隆が苦み走った笑顔で「考えておきます」と言っていたのも面白かった。
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菅新政権のブレーンは藤井裕久前財務相

2010-06-21 | Weblog
 20日朝のTBSテレビの「時事放談」に藤井裕久前財務相がパネラーとして出演していたのに驚いた。今年1月に体調不良を理由に財務相を辞任して入院していたはずなのに回復して、元気な姿で登場していたからだ。そういえば、毎回最後に次回のパネラーを紹介するのに先週は言わずに終わっていたのは視聴者を驚かせようとしたからか、司会の御厨貴東大教授、それともう一人のパネラーの増田寛也元総務相との間で相変わらずの頭のさえを見せていた。
 藤井氏がそのさえをもっとも見せたのがいま話題となっている消費税10%への上げ問題に及んだ時だった。菅直人首相が消費税10%について、自民党が提唱しているのを参考にさせていただく、と言ったのに対して、自民党をはじめとする野党から「公約違反である。マニュフェストを撤回してから言ってほしい」と一斉に反発を浴びているのに対し、藤井氏は「民主党は党の税制調査会で論議するのは当たり前とされている。もちろん、その大前提はムダを排除そてからで、実施時期についての問題は別である」と説明した。
 そして、藤井氏は昭和54年に当時の大平内閣が消費税を持ち出して、総選挙で惨敗したことをあげ、ある長老からムダの排除をしてから消費税を上げるのは百年河清を待つようなものだ、と言われたことを前提として、消費税を上げる以上はそれなりの覚悟を持って取り組まないといけない、と語った。で、まず国会議員を参院40人、衆院比例区で80人それぞれ削減して初めて論議の土俵にのぼることになる。自らムダぼ削減に取り組む姿勢を見せないと理解が得られない、というのだ。
 それと消費税を目的税として、これから増えるであろう社会保障費だけに使うことにしなければならない。さらに消費税は一律に課税されるために低所得者に重い負担となるために低所得者向けに軽減税率を適用しなければならない。低所得者の所得のうち食料向けに何%いっているかを調べたうえで、その分を返さなければならない。そのためには納税者番号制度もつくっていかなければならない、とも説明した。
 藤井氏は消費税上げにはこれだけのことをしなければならないので、一朝一夕にはいかない、と強調した。菅首相の短い消費税上げへの言及の背景にはこれだけの背景がある、と言わんばかりで、すぐに上がられるものでもない、とも匂わせた。
 この日の「時事放談」では民主党の2トップ辞任に伴う菅首相の誕生について増田氏が盛んに「生みの親は藤井さんだ」と持ち上げていた。藤井氏の後任になった菅氏とその菅氏の後に国家戦略担当相となった仙石由人氏、sらに仙石氏の後に行政刷新担当大臣となった枝野幸男氏の3人が今回の交代劇の後に首相、官房長官、幹事長と3つの主要ポストを占めることとなった。不本意な形で辞任せざるを得なかった藤井氏にとって最高の交代劇となったのは事実で、藤井氏も「妥当な交代だ」と言及していた。
 本当に体調不良だったのか、当時からよくわからなかったが、この日の「時事放談」を観る限り、菅新政権にとって藤井氏がブレーン的存在であることが改めてよくわかった。





コメント (1)
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