30日は横浜・関内の横浜球場で行われた高校野球神奈川県大会決勝の東海大相模対横浜戦を見に行った。雨で1日順延となったのはエース一二三投手を擁する東海大相模の有利だと思えたが、そこは勝負事だけに何が起きるかわからない。試合開始40分くらい前に東海大相模の3塁側に陣取って、ゲーム前のシートノックなどを見ていると、贔屓目なのか、東海大相模の選手の方が溌剌として見える。古豪横浜にいつものどっしりとした構えが感じられない。
午後2時のプレイボールとともにいきなり東海大相模の1番バッターがセンター前にヒットし、続く2番打者の左中間へ2塁打で先取点を取ってしまい、好調な出だしとなった。しかし、その裏、横浜は一死1、2塁で、ショートが牽制しなかったすきをねらって2塁ランナーが3塁へ盗塁し、続く3塁ゴロで難なく本塁を陥し入れ、わずか1安打で同点となり、卒のない横浜らしさを見せた。
しかし、3回表に東海大相模は一死2塁で、3塁へセーフティバンドし、球を獲った投手が3塁へふりかぶったすきに1塁セーフとなり、続くヒットで1点リードした。4回表も似たような攻撃で無死1、3塁とし、ヒットで加点し、その後もライト前ヒット2本で5対1とし、なおも一死満塁と攻め立て、横浜の先発投手をノックアウトした。
横浜の投手交代で続く2人の打者が三振となったその4回裏、横浜は無死1塁で、なんと4番打者にバンドを命じランナーをスコアリングポジションに送ったが、後続の期待の5、6番が三振に倒れ、万事休す、となり勝負ありの感となった。事実、5回表には横浜の代わった投手をライトオーバーの2塁打などで2点を加え、7対1とした。東海大相模の安打は10本を超えたのも驚異的だった。横浜は準決勝で5点差を逆転したが、それも初回の5点を追いかけたもので、6点差は決定的といえた。
それでも横浜は5回を終わってグランド整備の間に渡辺元智監督がベンチ内に選手全員を集め、「楽しめ」と訓示した。6回裏の攻撃前にベンチの前に珍しく渡辺監督が出て、指示を出して、3番が四球で出塁すると、ベンチから身を乗り出してサインを出していた。その気迫が伝わったのか、東海大相模がダブルプレーをあせってエラーしたのに乗じ、スクイズで加点し、なおも2死2塁と攻め立て、横浜らしい意地を見せた。しかし、それもレフトライナーを好捕されて凋んでしまった。
東海大相模は8回表にも一死1塁で、バンド処理を横浜が悪送球エラーしたすきに1塁ランナーが果敢に本塁を陥し入れ、加点し、なおもスクイズで再び6点差の9対3とした。門馬敬治監督はこれまでおよく試合の後半にスクイズを試みることがあったが、これほど見事に決まったのは初めて見たような感がある。それほど鮮やかなスクイズであった。
こうなってはいかに横浜といえどもなす術がなく、一二三投手の前に凡打の山を築くだけで、完敗となった。東海大相模の甲子園出場は33年ぶりで、この間決勝戦に臨んだのは11回を数える。ここ10年間だけでも2年に1回くらい横浜球場へ応援のため足を運んだが、いづれも惜しいところで涙を呑んできた。もう東海大相模が夏の甲子園へ出場することなんてないのだろうか、と絶望的な気持ちにすらなっていた。たまたま3男が14年前に東海大相模で野球をやっていた縁で応援してきたのだが、それだけに嬉しい気持ちでいっぱいとなった。
実際に球場へ足を運んで応援するチームがかくも見事に勝利を収めた例を知らない。今年のチームは投手力、打撃とも備わった完璧なチームだった。いつもいま一歩のところで、負けてきた。その点、横浜は常勝チームのようで、憧れのチームで、渡辺監督の手腕にはかねて尊敬の念を抱いていた。それだけにその渡辺監督率いる横浜を破っての甲子園出場だけに余計嬉しい。試合後の表彰式で、表彰式を見る横浜ベンチの前の渡辺監督の前はひっそりとしているのに、片や3塁側の東海大相模の門馬監督の周囲にはカメラマンが群がっていたのはいつもの勝負につきものの光景とはいえ、万感胸に迫るものがあった。
その後、伊勢佐木町を散策して、JR関内駅から帰ろうとしたら、駅前で東海大相模の勝利を伝える朝日新聞の号外みたいなものを配布していたので、記念に持ち帰った。東海大相模の勝利の背景には数年前から神奈川県内だけでなく広く全国から野球少年を集めていることによる効果が出始めたことがあり、それだけ他に有名野球高並みとなったわけであるが、それにしても関係あるところが勝つというのはうれしいものである。
午後2時のプレイボールとともにいきなり東海大相模の1番バッターがセンター前にヒットし、続く2番打者の左中間へ2塁打で先取点を取ってしまい、好調な出だしとなった。しかし、その裏、横浜は一死1、2塁で、ショートが牽制しなかったすきをねらって2塁ランナーが3塁へ盗塁し、続く3塁ゴロで難なく本塁を陥し入れ、わずか1安打で同点となり、卒のない横浜らしさを見せた。
しかし、3回表に東海大相模は一死2塁で、3塁へセーフティバンドし、球を獲った投手が3塁へふりかぶったすきに1塁セーフとなり、続くヒットで1点リードした。4回表も似たような攻撃で無死1、3塁とし、ヒットで加点し、その後もライト前ヒット2本で5対1とし、なおも一死満塁と攻め立て、横浜の先発投手をノックアウトした。
横浜の投手交代で続く2人の打者が三振となったその4回裏、横浜は無死1塁で、なんと4番打者にバンドを命じランナーをスコアリングポジションに送ったが、後続の期待の5、6番が三振に倒れ、万事休す、となり勝負ありの感となった。事実、5回表には横浜の代わった投手をライトオーバーの2塁打などで2点を加え、7対1とした。東海大相模の安打は10本を超えたのも驚異的だった。横浜は準決勝で5点差を逆転したが、それも初回の5点を追いかけたもので、6点差は決定的といえた。
それでも横浜は5回を終わってグランド整備の間に渡辺元智監督がベンチ内に選手全員を集め、「楽しめ」と訓示した。6回裏の攻撃前にベンチの前に珍しく渡辺監督が出て、指示を出して、3番が四球で出塁すると、ベンチから身を乗り出してサインを出していた。その気迫が伝わったのか、東海大相模がダブルプレーをあせってエラーしたのに乗じ、スクイズで加点し、なおも2死2塁と攻め立て、横浜らしい意地を見せた。しかし、それもレフトライナーを好捕されて凋んでしまった。
東海大相模は8回表にも一死1塁で、バンド処理を横浜が悪送球エラーしたすきに1塁ランナーが果敢に本塁を陥し入れ、加点し、なおもスクイズで再び6点差の9対3とした。門馬敬治監督はこれまでおよく試合の後半にスクイズを試みることがあったが、これほど見事に決まったのは初めて見たような感がある。それほど鮮やかなスクイズであった。
こうなってはいかに横浜といえどもなす術がなく、一二三投手の前に凡打の山を築くだけで、完敗となった。東海大相模の甲子園出場は33年ぶりで、この間決勝戦に臨んだのは11回を数える。ここ10年間だけでも2年に1回くらい横浜球場へ応援のため足を運んだが、いづれも惜しいところで涙を呑んできた。もう東海大相模が夏の甲子園へ出場することなんてないのだろうか、と絶望的な気持ちにすらなっていた。たまたま3男が14年前に東海大相模で野球をやっていた縁で応援してきたのだが、それだけに嬉しい気持ちでいっぱいとなった。
実際に球場へ足を運んで応援するチームがかくも見事に勝利を収めた例を知らない。今年のチームは投手力、打撃とも備わった完璧なチームだった。いつもいま一歩のところで、負けてきた。その点、横浜は常勝チームのようで、憧れのチームで、渡辺監督の手腕にはかねて尊敬の念を抱いていた。それだけにその渡辺監督率いる横浜を破っての甲子園出場だけに余計嬉しい。試合後の表彰式で、表彰式を見る横浜ベンチの前の渡辺監督の前はひっそりとしているのに、片や3塁側の東海大相模の門馬監督の周囲にはカメラマンが群がっていたのはいつもの勝負につきものの光景とはいえ、万感胸に迫るものがあった。
その後、伊勢佐木町を散策して、JR関内駅から帰ろうとしたら、駅前で東海大相模の勝利を伝える朝日新聞の号外みたいなものを配布していたので、記念に持ち帰った。東海大相模の勝利の背景には数年前から神奈川県内だけでなく広く全国から野球少年を集めていることによる効果が出始めたことがあり、それだけ他に有名野球高並みとなったわけであるが、それにしても関係あるところが勝つというのはうれしいものである。