鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

世界一の品格あるのか、トヨタ自動車

2007-02-28 | Weblog
 日経ビジネスの最新号によると、トヨタ自動車が自動車生産台数でGM(ゼネラル・モーターズ)を抜いて世界一の自動車会社になった、という。名古屋の財界のみならず日本の財界を牛耳り、世界へはばたこう、としているトヨタ自動車が名実ともに世界のトップ企業となったわけだ。ただ、そんなトヨタ自動車の足元を見ると、グループ従業員30万人だか50万人だかのうち、年間1億円を稼いでいるプレイヤーが何人いるのか、と問われると、おそらく1人もいないだろうことに愕然とする。
 日経ビジネスの2月26日号の第二特集「先んずべし、トヨタ、世界最強への格闘」によると、2006年の自動車生産台数はGMが918万台なのに対し、トヨタは901万台としており、わずかにGMのが上回っている。ただ、GMが発表している数字はGM本体や子会社のほかにGMの出資比率が50%以上の上海GMや上海五菱汽車(出資比率34%)のような中国の拠点など6社以上の合弁会社の生産台数を含んでいる。これに対し、トヨタのは本体と日野自動車やダイハツ工業などの子会社だけで、中国など50%以上の出資会社の分は除外している。
 トヨタノ50%以上出資の会社の生産台数は中国の3合弁会社の28万台、チェコノ合弁会社のうちのトヨタ車10万台、そしてGMとの合弁会社である米NUMMIで生産するトヨタ車35万台あり、これらを加えると、トヨタの生産台数は974万台となり、GMの918万台を抜いてめでたく世界一となる。
 トヨタがなぜ生産台数をGmと同じ基準で算出しなかったのかはよく判らないが、いま世界一と喧伝されることが、いろいろと風当たりが強くなってはまずいという判断があったのだろう、と容易に推察される。
 世界一となった企業にはそれなりの風格、品格が求められる。トヨタ自動車にそうしたものがあるのだろうか、と問われれば、否と言わざるを得ないだろう。人のものやことは知りたがるが、自分のことは聞かれても教えてもくれない体質は一向に直っているとは思えない。
 名古屋の財界のみならず、いまや日本の財界を牛耳っているトヨタは一大王国を築いている。しかし、王国の繁栄を楽しんでいるのはごく一部のトップ経営層のみではないだろうか。先日、名古屋の人と飲んでいて、その人が言うには「あれだけ会社は稼いでいても、トヨタの従業員で1億円プレーヤーは1人もいない」と言い切った。言われてみて、確かにそうだ、と思い、鈍想愚感子は愕然とした。トヨタの従業員にとって世界一の生産台数なんて一体どこの会社のことだ、という感じであろう。
 27日にトヨタが北米8番目の工場をミシシッピ州北部のブルー・スプリングスに建設する、と発表し、翌28日の朝刊各紙に第9工場や、メキシコ工場建設の計画が載っているが、先に女子秘書に対するセクハラで退任した社長を送り込んでいたことを考えると、世界一のロードを進む前にやることがあるだろう、と言いたい。
 トヨタの経営者よ、世界一の座は従業員あってのもので、従業員に報いることをしないと、いずれトヨタもGMの二の舞になる、と言いたい。
 
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わがままが通る日本のプロ野球

2007-02-27 | Weblog
 2人のわがまま男が日本のプロ野球界の話題をさらっている。巨人を首になり、横浜ベイスターズに移籍した工藤公康(43)と、オリックス・ブルーウエイブと年俸交渉が決裂し、中日ドラゴンズに養成選手として入団が決まった中村紀洋(33)の2人のことである。イチロー、松井秀喜に続いて松坂大輔、井川慶投手と相次ぐ有力選手の米大リーグへの流出にすっかり影の薄くなった日本のプロ野球界で格好の取材対象となっている。企業ならもう誰も相手にしないだろうに、プロ野球とは不思議な世界でもある。
 工藤はそもそも25年前にだか、プロ野球に入った時にもプロ野球には行かない、とうそぶいて西武ライオンズに入団したいわくつきの選手。登板間隔をきっちり空けて、マイペースを崩さないわがままぶりで、巨人首脳部から嫌われ、昨年の成績が年俸に比べよくなかったので、あっさりと放り出された。スポーツ紙によると、西武、ソフトバンク、巨人と常勝チームを渡り歩いてきたのを鼻にかけることなく、息子くらいの年の選手と和気あいあいと練習に励み、若手のいいお手本になっている、という。が、これまでのわがままぶりを知る者にとってはにわかに信じ難い話である。いずれ、シーズンに入れば、やれ肩が張るとか、疲れがとれない、とか言い出して、チームのための登板をやんわりと拒否することだろう。
 一方の中村選手もほとんどの球団から嫌われ、最後に旧知というか、ある意味似たものの落合博満中日ドラゴzンズ監督から声をかけられ、入団試験を受けてなんと養成選手ということで入団の運びとなった。2軍戦で成果を上げれば、7月から支配下選手へ変更が可能で、レギュラーとしての出場が可能になる、という。試験に臨んだ中村選手は周囲に「これがあの中村選手?」と思わせるほどの低姿勢だった、という。年俸が2億円から一挙に400万円と2%の水準になってしまうこともさることながら、球界追放の一歩手前まで行ったのだから、多少反省して改心したのだろう。ただ、本心でか、となると、いささか疑問である。人間、短期間でそんなに変わるものではない。
 工藤、中村両選手とも基本的には”わがまま”選手である。民間企業なら、こんなわがまま社員は周囲に影響を及ばすことを懸念して、即効首である。ところが、プロ野球というのは実力の世界というか、ある意味で遅れているというのか、”わがまま”が許されてしまう世界のようである。中村選手の場合はまだ数年は選手寿命はあるのだろうが、工藤選手の場合はせいぜい1年か2年で終わりだろう。選手としての寿命以前に両選手ともどこかの局面でまたぞろ”わがまま”ぶりを発揮して、球団あkら追放されるのがオチだろう。
 米大リーグの場合、わがままを通す以前にもっと実力だけが問われるシビアな世界だろう。その意味で日本のプロ野球はカッコ付きの「プロ」野球といえるのかもしれない。 
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愛の感動作「さまよえるオランダ人」

2007-02-26 | Weblog
 25日はリヒャルト・ワーグナーの初期のオペラ「さまよえるオランダ人」を東京・初台の新国立劇場で観賞した。ゆっくりランチを摂って、劇場へ行くと、なんと最前列の左から5番目の席で、いわゆるかぶりつきの特等席であった。事前の内容を理解する暇もなく、幕が上がったところで、携帯電話をマナーモードにしていないことに気付き、真っ暗な中で画面を開きながら操作していたら、後ろから手が伸びてきて、「止めなさい」という仕草。まだ、幕が上がったわけでもないのに神経質でお節介な行動に「ムカッ」ときたが、まあ、電話がかかって来ることはあるまい、と思って鞄の中にしまった。
 その間、東京交響楽団による前奏曲が続き、重々しく壮大な物語の始まりを思わせる。第一幕は港へ帰港する直前に嵐に遭う船に呪われて絶えず海をさまよえるオランダ籍の遭難船の船が近づき、お互いの船長が意気投合して、港で待つ娘をオランダ船の船長に紹介することになる。オペラはやはり、ソプラノの美しい声で愛を高らかに歌うというイメージがあり、男声のテノールやバリトンでいくらうまく歌ってもあまり感動しない。ランチ直後の昼寝時も手伝って、やたら眠くて仕方がなかった。それと、最前列で、セリフの文字を見上げて見なくてはならず、そうすると、舞台から目がそれてしまうハンディもあって、舞台に集中することができなかった。
 休憩後の第二幕は第一幕とは逆に合唱団もアルト、ソプラノばかりで、ドイツ人アニヤ・カンペ演じるヒロイン、ゼンタが登場し、ぱっと花が咲いたようで、眠気も吹っ飛んだ。糸巻き工場の壁にかかる「呪われた彷徨船の船長」の絵に魅入られたゼンタはその運命に同情し、いつか思いを寄せるようになっていく。そんなゼンタにかつての恋人、エリックが現れ、諌めるがゼンタは聞かない。
 そこへ父に連れられ、当の彷徨する船長がやってきて、ゼンタを一目見て、気に入る。しかし、絵を見て頭の中で描いていた理想の恋人がいざ目の前に現れて当惑するゼンタは当の相手の気持ちを推し量るように佇み、距離を置いて相手を見つめる。
 そんなゼンタをいたわるように船長は自らの置かれた運命を語りながら、愛を告白し、徐々にお互いの距離をつめていく。そしてお互いの思いを確かめあいながら、最後は愛を確信するにいたる。その間合い、歩み寄りぶり、心の揺れ動きを歌うプロセスはとても自然で感動した。
 これまでオペラはすぐに愛を歌って、男女が抱き合い、まるでゲームのような恋愛劇だ、と思っていたが、この「さまよえるオランダ人」はそのあたりをきちんと織り込んで構成していて、とても感動敵に仕上げていた。
 第三幕では愛しあった船長とゼンタの前に再びエリックが現れ、かつて2人で愛を誓ったことを持ち出し、それを聞いた船長が偽りの愛であったか、とゼンタを責め、思い余ったゼンタは呪われ彷徨船に飛び乗り、身を犠牲にしてしまい、船長は1人岸壁で身もだえし、フィナーレとあんる。
 最後はハッピーエンドで終わったのか、よくわからないところがあるが、男女の愛を高らかに歌い上げたいい作品であることは確かである。
 ゼンタ役の独唱場面で拍手が起きなかったのは残念ではあったが、会場全体に響きわたるいい声であった。
 これまでオペラを10数回見てきているが、とうやくオペラらしきものを観た、という感じがした。いつも太っているか、ややお年を召したヒロイン、ヒーローばかりなのに、今回はイメージ通りの配役であったのも良かった。あまりにも感動したので、帰りに思い出のゼンタと船長が互いに愛を告白するシーンと女性合唱団とゼンタのシーンの2枚の舞台写真を1枚300円也で2枚購入してしまった。
 原題の「Der Fliegennde Hollander」をドイツ語辞典で索くと、「飛び回るオランダ人」となっていた。「さまよえるオランダ人」としたのよかった。
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承前 新聞の危機

2007-02-25 | Weblog
 今週配布のルクルートの「R25」にクイズらしきものが出ていて、新聞業界の市場規模を尋ねる設問があった。3兆円になっているかどうか、というもので、答えは2兆4193億円で「及ばない」が正しい。そこで、気になって、日本新聞協会のホームページをクリックしてみて、確かめたところ、日本の新聞販売部数は06年で5231万478部で前年比0.5%減で、93年以来5200万台を維持して、それほど増えもしなければ、減りもしない状態を続けている。ただ、この間、日本の世帯数は増えているので、世帯当たりの部数でみると、93年には1.22部だったのが1.02部まで激減している。
 新聞社の経営者は「まだ一世帯当たり1部の部数は確保している」と安心しているふしが見られるが、とんでもない。部数のなかのかなりの部分は企業が購読しているものが含まれている。それを考慮にいれれば、とっくに一世帯当たり1部を切っている。鈍想愚感子が住んでいるマンションでは70戸あるうち半分は新聞をとっていない。住人の多くは40代以上なのにである。とってない人のごく一部は駅の即売で新聞を買うかもしれないが、多くは会社で読むか、もうテレビ、もpしくはインターネットで十分と思っていることだろう。
 読者の新聞離れは予想以上のテンポで進んでいることを思い知るべきだろう。新聞販売部数のうち、会社購読と個人購読の比を出して、認識を新たに編集を含めた善後策を早急に打ち樹てるべきだろう。新聞は家庭で読むべきものとの考えを捨てて、BtoB、BtoCごとに紙面立てを別にするくらいの思い切った対策を立てないといけない時代がすぐにやってくることだろう。
 それと新聞経営にとって、広告収入も無視できないものとなってきている。「R25」によると、05年の新聞広告収入は7440億円(日本新聞協会調べ)ということだが、払っている企業側からすると、これに広告代理店へのマージンが加わるので、年間1兆円前後にはなる。販売収入での企業購読をあわせれば、新聞社の収入の半分は企業に依存していることになる。
 だからといって、企業に媚らう紙面をつくる、ということではなく、企業経営にとって参考となるようなスタンスの記事も必要となってくる、というわけだ。経営者の視点だけでなく、雇用されるサラリーマンや、取引先の企業から見てとか、労働者の視点から見てとか、いろいろな視点があることだろう。
 そして、大きな敵はインタ-ネットである。ほとんどが無料で提供されるネットの情報に対して、独自の視点を持った情報をいかに提供していけるか、が今後の新聞社の死命を制することになるだろう。
 まずはBtoB、BtoCごとに戦略を樹てることから始めるべきだろう。
追記 日本新聞協会のホームページを見て、英語の表記が「Japan Newspapaer Publishers &Editers Assoiation」となっているにもかかわらず、略称がNSKとなっているのに違和感が残った。どうみても日本新聞協会の頭文字(ローマ字の)を採ったとしか思えない。日本の新聞が世界でみても異色なのは衆目の一致するところだが、こんなところにもそれが表れているのだろう、と思った。
 
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新聞よ、おまえもか

2007-02-24 | Weblog
 毎日新聞東京本社の41歳の社会部記者が糸川正晃衆院議員(国民新党)に取材した録音ICレコーダーを外部の取材協力者に渡し、その音声データを元にしたメモがインターネット上のブログに掲載されていたことが判明した。録音そのものは取材対象の糸川議員に無断でなされたもので、新聞記者としてのモラルが一体どこへいってしまったのか、と問いたい。先の山梨日日新聞でも論説委員長が過去10数回以上にわたって論説欄の記事を他紙から盗用していた事実が明らかとなったばかりで、テレビ番組の捏造を厳しく糾弾していた新聞の相次ぐ不祥事に新聞業界は深刻に反省しなければいけない。
 毎日新聞の大平誠記者は昨年1月、東京・南青山の土地取引に関する記事を書き、同取引をめぐって糸川議員が同年2月に国会で質問した。同3月に糸川議員が再質問しないように脅迫される事件があり、脅迫した建設会社の元相談役ら2人が今年2月になって逮捕されている。大平記者は昨年4月5日に糸川議員に脅迫の事実を取材し、その際、本人の了解を取らずに録音した。翌5月はじめに10年以上交友関係にある取材協力者にICレコーダーごと渡した、という。取材協力者は今年1月になって、ブログを運営するメディア関係者に機器をわたし、音声データが基と見られる取材メモがブログに掲載された。
 取材に際し、録音していいかどうか、相手に聞くのは取材のイロハである。しかもその取材したデータを取材協力者に丸ごと預けてしまう、ということはいくら当の取材協力者に全幅の信頼を置いていたとはいえ、許されることではない。あくまでも記事にするうえでの参考とするために録音したのであるから、本来記事にした後は廃棄してしかるべきものである。この場合、大平記が者逆に取材協力者に大きな借りがあって断れなかったとしか考えられないが、通常の記者活動のなかでは考えられないことである。
 今回、大平記者が糸川議員に脅迫された事実を取材して、そのことを毎日新聞に紀事を執筆したのかはまだ明らかではないが、もし書いていない、としたらさらに問題である。最近の記者のなかには記事にするのを目的としないで情報を入手したり、インターネット上でのネットサーッフィンをすることが取材の一環で、それだけで記事にしてしまうような記者がいる、と聞く。第一義的には取材対象に人物から直接話を聞くのが筋である。そのうえで周辺取材、あるいはネット上での確認ということをすべきだろう。
 以前はマスコミの入社試験は一番最後で、どうしても新聞記者になりたい、と強い意志と使命感をもった学生が記者になったが、最近は一般企業と同じような日程で入社試験をするため、メーカー、銀行。、公務員などと比較してマスコミに入る学生も多い、と聞く。かつては花形だった新聞記者も3K(きつい、汚い。危険)職場として学生から嫌われ、敬遠されているから、との説もある。だから、少しやってみて、生に合わないとなると簡単に辞めていってしまう、ともいう。そうなると、それだけ記者のモラルも落ちて当然かもしれない。
ならば、新聞記者たるもののモラルと使命について入社してから、きちんと記者教育すべきだろう。特に、昨今は個人情報保護の施行もあって、個人の情報、データに関する取り扱いに対しては慎重dあるべきである。他者より、情報、データの入手がし易い立場にあるのだから、なおさらのことである。そして、知り得た情報、データはあくまでも報道することにのみ用いるべきである。記者としての教育がなされないまま、第一線に立って取材活動をするから、以前ならこんな考えられもしない不祥事が起きるのだろう。
 山梨日日新聞の場合は記者のシンボル的存在である論説委員長が盗用した、というのだから事態は深刻だろう。創業135周年を迎えるというが、社長も引責辞任して会社存亡の危機となっていることは容易に想像できる。
 いま新聞各社のトップは民放テレビ各局の番組捏造問題を笑っているだろうが、足元が崩れかかっていることを知らない。過去の栄光に胡座をかいている経営者はもっと新聞の置かれた状況を冷静に見つめ直し、基本である記者教育を徹底することから始めたらいいだろう。
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進んでいる米国、初の女性学長

2007-02-23 | Weblog
 日本ではあまり大きく報道されなかったが、米国きっての名門大学、ハーバオド大学に初の女性学長が選出された。米大統領選に立候補を表明しているヒラリー・クリントンに先駆けて、アカデミズムの分野でも女性がトップの座に就いたわけで、いかにも人間尊重の米国らしい出来事である。日本ならさしづめ東京大学の学長に女性が就くようなものだが、政治の世界と並んで封建的な世界だけにそうなるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 米ハーバード大学の新学長に就いたのは59歳のドリュー・ギルビン・ファウストさん。ハーバード大学へ来てまだ6年しか経たないが、01年から同大ラドクリフ研究所のリストラを断行し、ニューヨーク・タイムズ紙に「テェーンソー・ドリュー」と書かれた。その手腕の加えて、前学長の「科学の領域では女性は生来、男より劣っている」と失言したことも追い風となったようだ。
 バージニア州の裕福な家庭に育ち、学究生活に入る時に母親から「男の世界だということを肝に銘じなさい。その方が渡りやすくなる」とのアドバイスを受けた、というから、いまあるのは母親のおかげといってもいいかもしれない。
 教員、学生あわせて2万6千人、年間予算30億ドルという巨大帝国を切り盛りしていくのは並み大抵のことではないだろう。そんな重責に能力があるのだから、といってさっと女性を選出してしまう米国に奥の深さを感じずにいられない。男性、女性を意識せずに能力評価して、性を問わずあっさりと重責につけてしまうなんて、とても日本では考えられないことだ。
 日本の企業で役員に女性を登用しているのはごくわずかである。男女の雇用機会平等で各職場に女性が進出はしたものの、男性と同じように仕事を与えられ、かつ処遇され、登用されているか、となるとはなはな疑問だ。相変わらず、お茶汲みは女性の仕事とされている職場がまだまだ多い。
 女性の場合、結婚したら家庭に入るとか、子供を生むとか、のハンディを負っており、それで会社のなかで男性に伍して仕事をしていくのは正直きついことである。男性より10%以上能力が上で、ほぼ同等の仕事ができる、といった感じである。あとは女性特有の容姿の問題がついて回る。容姿がいいと、なにかと話題にされ、雑音が増える。そうした雑音を振り切って、淡々と仕事をしていくのには並み並みならぬ精神力も求められるだろう。
 女性登用の面で日本が米国並みに追い付くにはまだ相当な時間がかかりそうだ。
 
 
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ひかり電話に代えてひと騒動

2007-02-22 | Weblog
NTT東日本やら、その代理店やらから「ひかり電話にしませんか」との勧誘がしきりとかかってきて、かみさんが音をあげ、「話は主人に」と言ってしまったから、ある日、セールスの電話に捕まり、ひかり電話のことを聞くことになってしまった。ひかり電話の何たるか、よくわからないままに専ら関心のある料金のことを尋ねると、いまのフレッツBマンションタイプより月750円ばかり安くなる、という。冷静に考えると、そんな商品を臆面もなく堂々と売ってくるNTTグループというのは不思議な集団である。ただし、当初機器設置料だか、機器利用料だかが4200円かかる、という。それでも半年も経てばペイするので、「いいや」と導入を了解した。それで、切り替え日を聞かれ、半日人間ドックに入り、午後は空く日に決めた。
そして、その前々日に機器をマニュアルと一緒に送ってきた。パラパラとめくると、どうも面倒くさそうなので、問い合わせてみると、設定は電話局の切り替え完了の連絡がいってからということだった。
で、指定した当日、人間ドックを終え、帰宅して待っていると、果たしてドンピシャのタイミングでひかり電話への切り替え完了の連絡が入った。勇躍して機器設定にとりかかった。ところが、これがなかなか難しい。まず、マニュアルに図示してある壁面の電話ジャックの差し込み口が見当たらない。それらしき差し込み口につないでみても、電話はツーツーというばかりで一向に開通しない。あれや、これやと悪戦苦闘して埒があかない。かみさんが横に来て、マニュアルを眺めて、いろいろ言うが所詮うまくいくわけがない。考えてみたら、これまでパソコンの設定なんか、したことがない。いつも子供に頼んだり、会社ではシステム部の人に任せきりだった。
思い余って、マニュアルに記載してあるサポートセンターなるところへ携帯で電話してみた。すると、接続機器の名称から差し込み口の指示をしてくれ、その都度、表示ランプの状況を尋ねられ、なんとか接続が完了した。そして、パソコンの設定までこちらの携帯へかけ直してくれた電話で教えてくれた。ただ、プロバイダーに聞かなければならない情報があったので、うまくいかなかった。
安心してひかり電話をかけてみたら、勘違いでかからなかった。仕方なく、再度サポートセンターへ連絡して、指示を仰ぎ、今度はきっちりと開通した。難問だった壁の差し込み口は電話機を手近に持ってくることで解決した。次いで、プロバイダーに連絡したところ、パソコンの立ち上げまで指示してくれた。この間、半日人間ドックで飲んだレントゲン用のバリウムが下痢状態となっていて、合間をみてトイレに駆け込んだりして大変だった。
ようやくすべてが終わったのは始めてから3時間後のことだった。途中、何度も「もう止めて元へ戻そうかしら」と思ったほどだった。それを考えてパソコンの前に座ると実際よく出来たものだ、と我ながら感心する。
それと思うのはゆめゆめ甘いセールストークに乗せられるな、ということである。
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金正日に届くか、めぐみさんの歌

2007-02-21 | Weblog
 PP&M(ピーター・ポール&マリー)のメンバーだったノエル・ポール・ストウキーさんが作詞作曲した「SONG FOR MEGUMI」。横田めぐみさんに捧げる歌が21日から全国発売となる。発売を前に来日したストウキーさんは横田滋・早紀江さん夫妻の前で披露し、記者会見で「拉致問題の解決に役立てば」と語った。ストウキーさんは昨夏、めぐみさんをテーマにした映画「アブダクション(拉致)」を見て、自分の娘と同じ世代の少女の悲劇に心を痛め、その思いを歌にした、という。「あなたのいない明日がずっと続くと思うと悲しみの涙が溢れる」と英語で歌い、一部に「風に中にあなたの声が聞こえます」と日本語も入っている。目の前でストウキーさんが歌うのを聞いた横田夫妻が涙を流していたのがテレビに映っていたが、その思いを金正日にぶつけたいものだ。
 映画といい、歌といい、横田めぐみさんは日本の拉致問題のシンボルである。ただ、日本人で北朝鮮に拉致された人はざっと400人を超えるのではないか、といわれている。拉致と認定された人の家族でつくっている「拉致家族の会」の趣旨は拉致被害者全員を救出することにあり、特定の拉致被害者だけをクローズアップすることは許されないことだろう。だから、シンボルである横田めぐみさんだけを取り上げることはなかなかできない。横田夫妻にしてもせいぜい思い出の写真展を開催するくらいが関の山だろう。
 ところが、海外で取り上げられる分にはだれも異議をさしはさめことはできないので、映画にしろ、歌にしろこうしてすっと入ってきて、テレビ、新聞のマスコミでも取り上げられる。本当は日本国内でそうしたものがつくられ、紹介されることがいいのだろうが、日本人集団のムラ意識のようなものが壁になって、おのずとセーブしてしむところがあるようだ。それと、あまりにも生々しくて取り上げにくい側面もあるのかもしれない。テレビでその歌を聴いていあt鈍想愚感子のかみさんが「早速買わなくっちゃ」と意気込んで、「日本人全員が買わねば‥‥」と力んでいた。仮に日本人全員が1枚づつ買えば、売り上げ1000億円と途方もないことになる。
 でもこうして、歌になり、人々の口や頭の中へ入っていき、拉致被害者への思いが広がっていくことはとてもいいことであるのは間違いない。
 20日にはいまや支持率低迷で打開策を必死で探っている安倍首相が拉致家族の会との会合を開き、メモを片手に「拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はない」といつか聞いたような常套句を話したあと、横田夫妻らと並んでストウキーさんの「SONG FOR MEGUMI」に聞き入っている姿がテレビ画面で見られた。対北朝鮮への強硬姿勢だけで首相になったのだから、ここはきっちりと金正日に話をつけに行ってもらいたいものだ。
 手みやげにこの「SONG FOR MEGUMI」のCD1万枚でみお持っていったらいい。 
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成功したといえるのか東京マラソン

2007-02-20 | Weblog
 18日午前9時10分、大雨のなか第1回「トウキョーシティマラソン」が約3万人のランナーが参加して、東京・新宿の都庁前をスタートした。ニューヨーク、ロンドン、ベルリンと世界の主要都市で行われている市民マラソンの向こうを張って、石原慎太郎東京都知事が日本陸連とともに一大イベントとして打ち上げたもので、翌19日の新聞、テレビはこぞってその熱狂ぶりを各方面から取り上げた。NHKまでもが夜7時半のクローズアップ現代で引退レースといsて完走した有森裕子をコメンテイターに迎え、取り上げていたほどだった。
 「東京マラソン」は都庁前から皇居、東京タワー、品川。銀座4丁目、浅草を通り、そしてお台場の東京ビッグサイトをゴールとする観光コースを通るもので、まるでマラソンランナーの歩行者天国といったコース。7時間にもわたって交通を遮断するので、警備も含め警察官だけでも5000人を動員し、車の迂回路の指示標識はかつてない規模でのものになった、という。
 3万人の定員のところへ申し込んだ人は9万544人にもなり、結局30780人が参加した、という。それで、7時間で完走したのは2万9852人と約97%にも達した。スタートしてから最後の人までスタートしきるまで20分あっかった。という。他にもボランティアでの運営協力者が数多く現れ、スムーズな大会運営に貢献した。
 市民マラソン大会としては大した事故もなく無事に取り行われ、海外からの参加者からも絶賛され、改めてこうした国際的なイベントを整然と行う力を世界に見せ付けた。
 ただ、東京マラソンに問題がないわけではない。第1に質的なもの。内容的には男子で1位となったのはケニアのジェンガ選手で、日本人トップは2位となった佐藤智之選手であったが、タイムは2時間11分22秒と世界選手権代表には物足りない記録であった。また、女子1位の新谷仁美選手のタイムも2時間31分2秒で好記録というにはほど遠かった。オリンピック出場をねらうような選手にとって東京マラソンが日程を含めて果たして魅力的なものなのか。今回の有森裕子のようにラストランのイベントとして出場するようなレースなのではないだろうか。
 第2には、クローズアップ現代で指摘していたが、今回の東京マラソンには当初からテーマといえるべきものがなかったことだ。たとえば、ロンドンシティマラソンは参加するランナーのほとんどがチャリティを目的としており、昨年のロンドンマラソンでも96億円ものチャリティ資金が集まった、という。
 第3にはまだだれも指摘していないが、収支的な分析を加えなければならないだろう。全体で経費がどれだけかかったのかについては、どのマスコミも触れていない。東京ビッグサイトを全館これにあてているが、これによる機会損失費用は莫大なものがる。
 東京マラソン開催の陰で、伝統の青梅マラソンは日程がぶつかったために、無理矢理青梅マラソンを2週間繰り上げさせ、おかげでお株をとってしまった形となった。
 あれやこれや考えると、来る4月の都知事選で石原知事が負けるようなことがあれば、あっさりと無くなってしむかもしれない。それでなくとも来年は北京オリンピックがあるので、今年のような盛り上がりは望めないだろう。
 単に勝負にこだわらない市民ランナーが楽しむ純粋のお祭り的なイベントとしてなら、生き残ることはできるだろう。質も量もというわけにはいかないだろう。

追記 4月1日に「サンデープロジェクト」に出演した石原知事によると、東京マラソンの経費は18億円で、東京都の出費は4億円、経済効果は180億円だ、という。本当とすれば、大成功ということになるが、我田引水のところがありそうなので、多少割り引いた方がいいだろう。
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ちょっと待った、不妊治療補助

2007-02-19 | Weblog
 キャノンが4月から不妊治療や育児支援の制度を拡充する動きに代表されるように松下電器産業、シャープなど各社で国の少子化対策に呼応した動きが目立ってきた。景気回復で、企業の体力がついてきたのも一因だが、果たしてこうした少子化対策に企業が乗り出すのは正解んあおだろうか、一抹の疑問が残る。子供をつくり、育てることは人としては行うべきことなのだろうが、企業人としては何の関係もない。育児などが多少、仕事に影響することは考慮しなければならないが、社員が行う仕事の遂行、成果には何ら関係ない、ということをはっきりさせるべきだろう。企業としてはもっと他にやらなければならないことがあるような気がしてならない。
 キャノンの制度は社員やその配偶者が不妊治療を受ける場合、かかった費用の半額、最大600万円まで補助する、といもので、女性社員の場合は不妊治療に必要な期間だけ休暇を取れ、妊娠がわかった時点で出産休暇に入れる。不妊治療の補助対象は健康保険適用外の人工授精、体外受精、顕微授精の3つで、カウンセリング機関による治療相談も受けられる、という。産業界ではシャープが昨春、不妊治療費として最大500万円まで低利で融資する制度を導入したほか、松下電産が最長1年まで休業できる制度を設けており、NECもキャノンと同様の補助制度の導入を検討している。
 この他にも育児のために勤務時間を短縮したり、ベビーシッター制度を設けたり、週休3日制を取り入れたりしている企業は以前からあるが、不妊治療をはっきり前面に出して少子化に呼応する動きが出てきたのは最近の傾向である。
 昔はお国のために子供をたくさん生むことが奨励され、児童手当なるものが企業のなかでも制度化されていた。ところが、核家族化の進展とともに必ずしも子供を生んで育てることが家庭に幸せとは限らない、との考えも出てきて、子供手当を含む家族手当は廃止する企業が出てきて、最近は年俸制1本というところが主流となってきた。
 企業内で働く社員が独身であろうが、配偶者持ちであろうが、はたまた子供がいようがいまいが、一切関係ない。要は働いて会社にもたらした成果に応じて賃金、年俸が決まる。その範囲内で結婚しようが、子供を生もうが個々人の裁量で決めなさい、ということだ。米国式というか、極めてシンプルで判りやすい考えだと思う。バブルがはじけた1990年以降、減量経営を迫られた企業の多くはこの考えに飛びつき、従ってきたはずである。
 それが、ここへきて経営に多少のゆとりが出てきたので、世の風潮に照らして、マイナーチェンジをし始めている、というところだろうが、そもそも企業の行うべきこととお国の行うべきことはきっちりと仕分けした方がいいだろう。
 キャノンはいまや財界の集まる日本経団連の会長会社でもある。ここは慎重に事を進めてもらいたいものだ。
 
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