鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

今年ベストのミステリー、東野圭吾の「聖女の救済」

2008-11-30 | Weblog
 東野圭吾の最新作「聖女の救済」を読んだ。流行作家、東野圭吾だけにテンポのいいミステリーで、一気に読ませた。「容疑者Ⅹの変身」で謎解きに現れた物理学者、湯川学が登場し、難問を解決するお馴染みのストーリーで、犯人の目星はついているのだが、犯行の手口がわからなくて最後の最後まで気をもたせるお得意の構成。今年読んだミステリーではベストに類するものといっていいだろう。
 「聖女の救済」は会社社長宅のパーティから始まる。招かれているのは子供が生まれたばかりの顧問弁護士の夫婦とパッチワークのキルト教室を主宰する社長の妻の一番の弟子の若山宏美の3人で、誕生のお祝いにキルトの作品が贈られたり、わきアイアイと進む。ところが、パーティが終了すると、社長は妻の綾音に離婚を言い渡す。結婚して1年経って、子供が出来なければそうする、というのが当初からの約束だったからで、妻は了承し、2、3日実家の北海道へ帰ることにし、弟子の若山宏美に家の鍵を渡し、主人の世話を頼む。
 実は社長と若山宏美はすでに愛人関係にあり、妻のいない間に逢瀬を重ねるが、2日後の夜、レストランで社長と会食の約束をした若山宏美は約束の時間になっても連絡がないので、携帯に電話をすると応答がない。家にも電話したが、応答がなく、不審に思って家に訪ねると、社長は台所で倒れていた。警察に通報すると、鑑識の結果、飲んだコーヒーから毒物の亜ヒ酸が検出された。
 当然、犯人は妻の綾音が疑われるが、そうだと決めつける証拠が出てこない。コーヒーメーカーにもミネラルウオーターのボトルにも、ケトルにも亜ヒ酸が仕込まれた形跡がない。綾音もおよそ犯人らしい素振りもおどおどしたところを見せず、堂々としていて、却って若い男性刑事の同情を呼ぶほど。しかし、逆に若い女性刑事は疑いを強め、湯川教授にアドバイスをい求める。
 最初はゼラチンでケトルに貼り付けるなどの方法を試みるが、決定的な解とはならず、湯川教授は完全犯罪だ、とも言い出す。
 改めて事件の捜査を始めた警察は社長の以前の恋人が自殺していることを突き止め、実は亜ヒ酸で服毒自殺していたことが判明した。で、調べていくうちに綾音と知り合いだったことがわかる。ここから、綾音が友人の思いを夫にぶつけることにして、亜ヒ酸をある装置に仕込んだ。夫から離婚を言い渡された時に夫に対する「救済」が終わった、と意識した。タイトルの「聖女の救済」はここからとられた。
 事件を解決したのは若い男性刑事が保管していたあるものだった。捜査では意外なものが役に立つ、ということなのだろう。
 前作「流星の絆」に次いでこの「聖女の救済」もテレビドラマ化されることになるだろうが、いまから待ち遠しい気持ちにさせてくれる。
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監査法人の見識が会社の死命を制する時代になった

2008-11-29 | Weblog
 不動産開発中堅のモリモト(本社東京)が28日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、受理された。販売用不動産の在庫が膨らみ、資金繰りがつかなくなったためで、負債総額は1615億と今年8番目の大型倒産になる、という。今年2月に東証2部市場に株式上場したばかりで12月29日付けで上場廃止となるというが、上場会社の倒産は今年に入って31社目となる。不動産会社としては東京ファッションウイークで派手なブースを出展するなど異色な会社で、利益がどこから出ているのだろうか、とも思っていた。
 初めてモリモトを知ったのも数年前に神宮外苑の絵画館前で開催された「東京ファッションウイーク」で不動産会社らしからぬ派手なブースを出展していて、入場者全員に「SUMAU」がタイトルの季刊の広報誌を配布していた。「SUMAU」は住まいに引っかけたもので、厚紙のカラーの表紙で、内容も一流の文化人が海外でたっぷり取材した無料広報誌にしては贅沢なつくりとなっていて、メールで無料購読者を募集していたので、早速申し込み、毎号送付してもらっていた。
 定期購読者をそのまま販促の対象者としているようで、首都圏にマンションをつくっては購入を勧誘するメールをもらっていたが、いずれの物件も個人の住居用としては豪華過ぎるようで、食指が動くには至らず、広報誌を送ってもらっていながら、内覧会には一度も足を運んだことはなかった。
 モリモトはその後も東京ファッションウイークやデザイン関係のイベントで派手な演出を続け、不動産会社がどうしてデザインやファッション分野でイメージを高める必要があるのか、と思っていた。最近、広報誌を送ってきていないので、どうしたのかな、と思っていた矢先だった。
 29日付けの日本経済新聞によると、2008年3月期の連桔売上高は1176憶円、連結純利益は98億円と数字上はまずまずだが、今年になってマンション販売が振るわず、新たな開発資金の調達が滞り、監査法人の新日本監査法人から監査意見が得られず、2009年3月期の第2四半期報告書の提出が遅れていた。
 モリモトの鈴木浩義社長は「晴天のへきれきという気持ち。金融機関に支援を約束してもらっていただけに理解できない」と語っている。そんな気持ちも知らずか、29日の東証市場ではモリモトの株価は前日比60円高の430円で引けた。
 同日付けの日経によると、モリモトは不動産ファンドなど投資家向け不動産開発を主軸に事業を展開してきた、となっており、折からの世界金融危機にはとても耐えられないことだろう。また、そうであれば、個人向けにイメージつくりを展開してきた広報戦略が会社の方向とマッチしていなかったことになる。
 そのあたりを投資家は見抜いていたのか、今年2月の株式上場時の初値が公募価格を下回った、という。
 それにしても監査法人の見識がモリモトの死命を制したわけで、監査の重要性がクローズアップされることになりそう。
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神聖なはずの裁判所の地下休憩室でおにぎりが盗まれた

2008-11-28 | Weblog
 27日は東京・霞が関の東京高等裁判所へ裁判の傍聴に行った。めぼしい裁判が見当たらず、とりあえず東京地裁殺人未遂の刑事事件を傍聴することにした。10分前に廷内に入ったが、傍聴人は誰もおらず、それほどの注目事件ではなさそうだった。それでも10人くらい傍聴人が集まり、裁判が始まったが、案の上、理容店の元従業員が店長に借金の申し込みに行ったが。すげなく断られ、持っていたナイフで腹を刺し、全治2週間の傷を負わせた、というありきたりの内容で、バラバラと退廷していった。それでも証人尋問まで午前中は傍聴した。
 で、地下1階の食堂でいつものたぬきそばを食べ、休憩室でコーヒーを飲んだ。休憩室は2人がけのテーブル席とカウンター式の席で合わせて30人くらいが座れるスペースがあり、ランチ時には満杯になる。12時前に入ったので、座れたが、隣の席にはテーブルの上にポリ袋が2つ置いてある席とランチ用の弁当箱が置いてある席が2つ並んでいた。本を読みながら、横目で様子を見ていると、空いているのかどうか確かめに来て、残念そうに立ち去っていく人がいた。弁当箱はともかくポリ袋は見ようによっては処分されないゴミのように見えなくもなかったからだ。
 しばらくそんなことも忘れていると、中年の男性がその席に来て「あれっ」といった表情で、あたりをウロウロしだした。気がついてみると、2つあったはずのポリ袋が1つ無くなっている。そういえば途中で別の男性がポリ袋を運んでいったような記憶があるが、定かではない。件の男性は「置いていたおにぎりがない」と半ば喚きながら、そこら中を探し回っているが、探し求めているポリ袋はどこへいったのか、見当たらない。周囲の人は一応「どうしんですか」と同情の目でみているが、どうしようもない。
 場所とりにしては1人で4人分もの席をとって、20分以上も放置していたことが「盗難」という結果を招いたようだ。4人とった席には最後までその男性1人しか現れなかった。それにしてもポリ袋に入っていたおにぎりを盗むようなことはあり得ない。裁判所よりガラのよくない人種が集まる東京競馬場でも座席に置いてあるものが盗まれるようなことはあまり聞いたことがない。しかも泥棒など犯罪者を裁判する法廷の地下でまさかおにぎりが盗まれるようなことが有り得るのだろうか。神聖な裁判所のお膝元で窃盗の現行犯が現れるなんて信じられないことである。
 件の男性はそれでもぶつぶつ言いながら、残ったものを食べて退出していった。横から「普通なら考えられないことだ」と言ったが、その男性は怪訝な顔をしていた。恐らく、裁判所の職員であるその男性を困らせようと誰かが仕組んだいたずらとみた。まさか、東京高等裁判所内での盗難事件として裁判にかけられるようなことにはならないだろう。
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雫井脩介にしては中折れの「犯罪小説家」

2008-11-27 | Weblog
 雫井脩介の「犯罪小説家」を読んだ。映画にもなった処女作「犯人に告ぐ」で一躍、トップクラスのミステリー作家に躍り出た雫井脩介の作品は読むことにしており、書店に並んでからしばらく経つが、書き下ろしとあって期待して読んだ。自らのミステリー作家としての体験をもとに書き出しており、どんな展開を見せるかと胸を膨らませて読み進んだが、正直、期待に反して通俗的な内容でがっかりした。
 「犯罪小説家」はいかにも謎めいたタイトル通り、ミステリー作家がミステリー作家に与えられる賞を受賞することになったことから始まる。そこへ映画監督が受賞作を映画化したい、と言って現れ、受賞作を自らの考えている方向へねじ曲げて制作したい、と言ってくる。映画が原作と異なるのはよくあることなので、とりあげてもらうことをよしとして、了解するが、映画監督は4年前の心中事件になぞらえて映画化したい、と言い出す。
 そこから、ネットで心中仲間を募るグループにテーマは移り、映画監督の知人で、かつてネット心中について本を書いたことのある女性ライターが登場し、主人公がそのライターに代わる。ネット心中事件は首謀者が謎の死を遂げたことから消滅してしまっているが、ネット上でのやり取りが残っており、当時のメンバーとハンドルネームでメール交換して、当時の状況を探り出す。もちろん、ミステリー作家も映画監督もその場に同席し、体験談を聞くが、最後にミステリー作家が当時の一員ではないか、と質問し、作家をあわてさせる。
 で、話は当時の心中事件の真相を究明すべく、女性ライターがネットでのやりとりをしたり、当時の関係者と会ったり、警察に赴いたりして、真相に迫っていくが、犯人の策略にひっかかって、心中事件の鍵となっている沼地に誘い込まれ、死んでしまう。それを不審に思った映画監督とミステリー作家が沼地を訪れ、女性ライターの死体を発見するが、そこで、ミステリー作家が実はネット心中事件のメンバーであったことが露見する。で、件のミステリー作家は映画監督を殺そう、とするが、話は一転して映画化された作品の映画館でミステリー作家が事件を追いかけていた刑事と会い、逮捕されそうな感じで物語は終わる。
 最初から話のテーマが見えにくいミステリーで、タイトルから話の筋は想像できるものの、通俗的なネット心中が物語の中心となって、雫井脩介にしてはやや中折れの作品であった。
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「佐藤英夫」本人も驚く2年も訃報が伏せられていた

2008-11-26 | Weblog
 22日付けの朝日新聞に俳優の佐藤英夫が2年前に亡くなった、と出ていた。そういえば、テレビ、映画で佐藤英夫の名前を見ていないので、どうしているのだろうとは思っていたが、まさか亡くなっていた、とはついぞ知らなかった。一流の俳優ではなくても普通死ねば新聞などで訃報が伝えられるのに佐藤英夫が死んだ、との報道は見かけなかった。本人の意向で世の中に伝えることをしなかったのだろうが、2年間も伏せられていたのは極めて珍しい。
 佐藤英夫は「バス通り裏」や「7人の刑事」などのテレビドラマの準主役を務め、渋い声で存在感のある役を演じていた。時にはコミカルな役をし、時にはシリアスな役をもこなし、制作サイドからいえば重宝な俳優だった、といえる。スクリーンや画面のどこに映っても違和感のない、どこにでもいそうな気易いキャラクターで、すんなり画面に収まってしまう。見ている方も佐藤英夫が登場するだけで、ホームドラマのほんわかとした気分になり、安心するという効果があった。
 生年は1925年なので、81歳で亡くなったことになる。佐藤英夫のもうひとつのタイトルは東大卒というその当時の俳優としては珍しい学歴を持っていたことで、早稲田を筆頭に圧倒的に私学出身者の多い芸能界では異彩を放っていた。普通、脇役で名を成した俳優はいずれ主役を張ることが多いのだが、佐藤英夫は最後まで主役を張るということはなかった。東大卒ということがこの世界で敬遠され、主役に抜擢することに躊躇させたのかもしれない。
 「亡くなったあとは一切香典を受け取るな」と家族にいい、親しい人だけの葬儀にした、というから最後までシャイな人を押し通したかったのだろう。名もなく、清く美しくを地でいったのだろう。本人がそう言ってもなかなかその通りにいかないのが世の中だが、この場合、身内も頑なに遺言を守りきったのだろう。
 それでも芸能週刊誌はじめマスコミがよくも2年間も訃報を伝えずにいたもので、天国にいる佐藤英夫も残念がっていることだろう。亡くなったことを当座は伏せていてもいずれは世の知れるところとなるもので、その場合、惜しまれて哀悼の言葉のひとつでもかけられる、ということを想定していたのに全くの忘却の彼方に追いやられてしまう、のは思ってもみなかったことだろう。
 記事は朝日新聞の文化面の「観流」にジャーナリストの石飛徳樹なる人が報じたもので、タイトルは「さらば 困惑の似合う男」となっており、最後に訃報を報じたことも許してくれるだろう、と結んでいる。
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司馬遼太郎が嘆いた電池の切れた政権そのもの

2008-11-25 | Weblog
 3月の退任後、高津図書館へ行って、司馬遼太郎の著作を片っ端から借りて読んできた。代表作の「竜馬がゆく」などの小説類は結構読んでいたが、随筆集や対談集の類はほとんど読んでなかったので、順番に読んで、図書館にある司馬遼太郎の本はほとんど読み尽くしてしまった。書いてあること、話していることは基本的には幕末の出来事から解き明かすことが多いのだが、いちいち肯けることが多いし、幅の広い視野に驚嘆させられる。
 なかで産経新聞に連載していた「風塵抄」の1992年5月4日に掲載した「電池」に鋭いコメントがあった。電池には寿命があるとして、団体や法人、特に政党にも寿命がある、と書き出し、戦後、さまざまな在野の美術団体があったことから話を進める。新聞社の受付で「独立です」と叫んだ5、6人の画家たちがいて、いずれもジャングルから這い出してきたような顔立ちをして、血気盛んだった、という。そんな勢いはもう今日の既成美術団体にはない、電池が減ったのである、団体の電池の寿命は3,40年だ、と結論づける。
 そこから政党の寿命に話は変わる。当時の与野党の政党党首の発言が物足らなくて、電気を感じさせない。党首の発言の1つずつが電流になり、さまざまなモーターが動きだすべきものなのに、明らかに電池が切れているか、切れたも同然となっている。日本社会党は1906年の結党だが、敗戦直後に再出発してもう47年となり、自由民主党も37年になるが、光度が消え入るようだ、としている。
 そして、日本の政党は政治改革という電池の入れ替えを唱えつつも、決して点灯することのない懐中電灯のスイッチをカチカチと鳴らしているだけである。電池の切れた政党では、首相の座にだれがついてもそうなる、と結んでいる。
 この1年後、細川護煕日本新党党首による連立内閣が発足したり、民主党が発足したり、小泉政権の樹立など政党の有為転変が繰り広げられるものの、基本的には政党の消長は司馬遼太郎の書いた通りの状況で、リーダーシップがあり、かつ説得力のある政権は実現を見ていない、1992年のこの論文はそのままいまの自公政権の状態を鋭くもついている。
 安部、福田、麻生の3代続いた無能政権は全く電池の切れた政権である。司馬遼太郎が生きていたら、さぞかし政治家というのはなんと愚かな人種だ、と嘆くことだろう。
  
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ピカソの迫力と真髄に触れた気がした

2008-11-24 | Weblog
 連休の一日、東京・六本木の国立新美術館とサントリー美術館で開催されている「ピカソ展」を見に行った。パリ国立ピカソ美術館が改装中のため、マドリード、アブダビに次いで世界を巡回して開催しているもので、1500点ある作品のなかから日本で受けそうなもの約230点展示している。ピカソは92年の生涯で約8万点もの作品を残している、とされているが、ゲルニカに象徴される戦争の悲惨さを訴えた絵画はじめ現代の狂気を体現した作品が多く、日本でもファンが多い、と見えて結構な人が訪れていた。
 国立新美術館を入ると、中年の女性を正面からとらえた絵画「ラ・セレスティーナ」が迎えてくれる。青の色調のなかに愁いをたたえた目でじっと観客を見つめる姿が迫力をもって迫ってくる。明るいサイケデリックな絵で知られるピカソらしくない絵画で、あれっと思わせる。ピカソもはじめはオーソドックスな絵画を描いていたようで、そんな作品がしばらく続き、30点目くらいの「マンドリンを持つ男」や「ギターとバスの瓶」から精神分裂症的な色彩の絵画となってくる。
 あとはピカソそのものといったデフォルメした顔の人物や派手な色の絵画や、迫力いっぱいの彫刻がズラリと展示され、ピカソ芸術をふんだんに見せてくれる。さすがに代表作の「ゲルニカ」は3.5×8mの作品だけに実物展示はなく、わずかに制作過程を写した写真を展示されているだけだった。
 国立新美術館を見終えたあとに、すぐ近くのサントリー美術館に行ったが、2つの美術館の差がよくわからなかった。サントリー美術館で展示されていた「海辺を走る二人の女」と題する二人の逞しい女性が手をたづさえて共に走る姿を描いた絵画がおよそピカソらしくないタッチだったので、気に入って複製の絵を購入した。
 地下鉄で配布していた催し物案内に割引券がついていて、1人100円引きとなり、さらには片方の展示館のチケットを提示すると1人200円引きとなり、2人で合わせて600円割引となったが、それでも観覧料は5000円とちょっとした演劇並みの金額となった。主催者の朝日新聞、テレビ朝日は両展示会とも共通で、別に2つの展示に分ける必要はないように思われた。サントリー美術館はともかく、国立新美術館にはスペースは十分にあるので、単に興業的な理由からそうしたのだろう。
 ただ、これだけの規模でピカソ展が開催されるのはおそらく初めてのことで、ピカソの迫力と真髄に触れた気がしたのは確かである。
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反響の大きさに驚いた犯行グループが自首してほぼケリがついた元厚生事務次官襲撃事件

2008-11-23 | Weblog
 23日朝、テレビをつけたら、警視庁に男が出頭した云々と言っている。まさか、元厚生事務次官夫婦を殺害した犯人が、と思って朝刊を見たら、果たしてさいたま市北区の小泉毅(46)と名乗る男が22日夜9時20分ころ、警視庁本部庁舎玄関に「元事務次官を殺した」と出頭した、と出ていた。改めてテレビをつけると、特別番組を組んでその筋の専門家をコメンテーターに迎えて事件の真相を追っていた。いろいろ情報を総合してみてもどうも単独犯の匂いがしない。まだ、全面解決とはいかなくて、背景に隠された真実がありそうな感じである。
 犯人と目される小泉毅なる人物は宅配便業者を装ったダンボール箱とピンクの自動車に積んだ血のついたナイフ、およびスニーカーを持って現れた、という。事件に使われた自動車は黒いワンボックスカーなので、借り直したのか、まず手配された自動車からしておかしい。
 動機については少年時代にペットを殺されたことで保健所に恨みを持っていて、そこから厚生労働省へ思い至ったようだが、退官した厚生労働省のトップにまでいきつくには相当な無理がある。動機については解明しなければならない点がある。30年以上も前のことで殺人に至るとは常識では考えられないからだ。
 小泉なる輩は自営業と称していたが、働いていたような気配はないというし、その間の生活費の面倒をだれが見ていたか、がつきとめられなければならないだろうし、日ごろの怒りっぽい生活ぶりと今回の犯行の緻密さとが結びつかない。
 犯行の状況からして、どう考えても1人で犯行が出来た、とは思えない。協力者なり、資金面でサポートした人なり、グループがいた、としか考えられない。
 小泉某の写真がすでにテレビに大写しになっているので、刺された吉原元事務次官の奥さんが見ていれば、判別がつくだろうし、現場に残された足跡の血の鑑定結果から実際の犯人かどうか、すでに判定が下されていてもおかしくないのに、23日午前10時段階では銃刀法違反の疑いでの逮捕でしかない、のもおかしい。
 事件が起きてから5日経つが、その間、新聞・テレビは連日、事件の詳細を細かく報道し、事の大きさに驚いた犯人、ないし犯行グループが怖くなってなんらかの手を打たねば、と思って、まず小泉を犯人として差し出した、というのが真相のようだ。
 小泉某は命を差し出すくらいの借りがあって、出頭したのだろうが、事件の全容を知っているわけではないので、取り調べの段階ですぐにボロを出し、いずれ犯行グループへ捜査の手は伸びることだろう。事件の背後関係がわかっても詳細が明らかにされるかどうかはわからない。
 いずれにしろ、これ以上犯行が広がることはなくなったことだけは言えるだろう。恐れていた米国型犯罪の横行ではなかった、ということだ。
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ニューヨーク交響楽団の音楽を世界に広める粋な試み

2008-11-22 | Weblog
 21日午後6時半過ぎにNHK総合テレビの「文化芸術最前線」を見ていたら、ニューヨクフィルハーモニー交響楽団が東京都港区の南山小学校で演奏会を開いた、というのを放送していた。どうしてニューヨークフィルが名もない日本の小学校で演奏会をしたのだろうか、と思いながら見ていると、講堂で座って待っている小学生の一団の前にバイオリンや太鼓を奏でながら、交響楽団のメンバーが順番に登場し、舞台でなく平間に陣取って「千の風に乗って」などの曲を演奏していた。
 こうした演奏会は初めてでなく数年来行われているようで、最初にこうしたことを企画した人がニューヨークフィルに持ちかけて実現したのだろうが、小学生にとって目の前で世界最高峰の楽団の演奏が聴けるということは素晴らしいことだ。事実、音楽を聴いた小学生の目は輝いていた。企画して実現した人もさることながら、受けたニューヨークフィルの方でもいいことだ、と認めて決断した人がいたわけで、世界に音楽を広めていくうえで必要だ、とでも判断したのだろう。
 しかも、演奏会が終わったあとで、希望した6人の児童が残り、ニューヨークフィルの楽団員と一緒になって、作曲作業に携わったのには驚いた。児童がお母さんを連れて行きたいところを黒板に描いて、それをコーチングスタッフが音にしたり、思っていることを頭に浮かべ、楽器を自由に弾かせ、それをチェロ奏者がすぐに音にしたりして、作曲を行っていた。
 6人の児童のほとんどはピアノやバイオリンを習っていて音楽に親しんでいるが、1人全く音楽に馴染みのない児童が1人いたが、団員はその児童にも声をかけ、ピアノを叩かせ、それを音にしていくことで作曲に参加させていたのが印象的だった。こうして作った曲をつなぎ合わせてひとつの作品とし、来年10月の日本での演奏会で披露する、という。
 講堂で間近でニューヨークフィルの演奏を聴いた児童も含め、ニューヨークフィルとの触れ合いは小学生にとって忘れられない思い出となったことだろう。特に作曲活動に参加した児童には貴重な体験となったことだろう。音楽に目覚めるのは3歳くらいからといわれているので、本物の音楽に触れるのは早ければ早いほどいいことである。
 いずれ、南山小学校の卒業生から未来の作曲家や指揮者、音楽家がたくさん生まれても不思議ではない。
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攻めの明石家さんまが突っ込まれ、目を白黒させた

2008-11-21 | Weblog
 先日の日本テレビの「踊るさんま御殿」を見ていた時のことである。いつもは出演者に振っては司会を巧妙に進める明石家さんまが珍しく、出演者から突っ込まれ、答えに窮して、目を白黒させている場面があって、面白かった。12人くらいの出演者に次ぎから次へと振ってはその答えを面白く引き出して、会場の笑いを誘うのがさんまの特技であるが、この日は逆にさんまに答えを振られて、一瞬詰まって言葉が出なかった。長く「さんま御殿」を見てきたが、こんな場面は初めてお目にかかった。
 話は漫才師の千原兄弟のジュニアが兄の結婚式が沖縄で行われているのに出席し、スケジュールが押しているので、帰ろうと挨拶したら、花嫁が知らんふりをして、メロンにかぶりついていたので嫌な気持ちになったと披露したら、なぜそんなことになったのか、という話になり、その前にジュニアが花嫁の点数は40点だ、と言ったのを聞いていて、それを聞いた兄嫁がへそを曲げているのだ、ということになった。
 それを聞いたさんまがすかさず夫婦で出演していた出演者の夫に「奥さんの点数は何点」とふっていって、「目の前にしてようつけられへん」などとの答えを引き出していたら、誰かが「大竹しのぶさんは何点でしたか」とさんまに逆襲した。まさか、自分に跳ね返ってくるとは思わなかったさんまはびっくりして、目を白黒させ、一瞬絶句してしまった。テレビにはその表情が大写しになって、会場は爆笑の渦に巻き込まれた。
 しばらくしてから、さんまは「40点や」と千原兄の花嫁と同じと言って、再び笑いを誘っていたが、丁度それで番組が終わりだったので、はたしてその回答が出るまでどのくらいの間があったのか、あとで編集したのかよくわからなかった。さんまとしては別れた奥さんとはいえ、いまだにお互い芸能界で活躍している身なので、舌禍事件となってはいかないし、さりとて別れた奥さんを千原兄の花嫁以上にするのもおかしいし、と計算して、とっさに同じ点数をつけたのだろう。
 日頃、攻めることを得意としている人がいざ責められる立場になると、途端に弱みを見せることはよくあることである。「さんま御殿」は活躍している芸能人がさんまに攻められて意外な一面をみせることだ成り立っている番組で、これまでもおしとやかな美人女優が恋多き側面があったり、アクション俳優が犬が苦手だったり、プライベートな一面をのぞかせて、楽しませてくれた。今回、当の明石家さんまの目を白黒させた素の表情が見られただけでも面白かった。
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