鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

65歳にして進化し続けている中村紘子の気迫に圧倒された

2009-07-31 | Weblog
 30日は東京・三軒茶屋の昭和女子大講堂で開かれた「題名のない音楽会」の公開番組収録にでかけた。いつになく人が多くて、開演5分前になってもホール内はざわざわとしていて、入口の近くには立ち見で臨時の席ができるのを待っている人がいっぱいいて、どうやら後半のゲスト、中村紘子目当てであることがうかがわれた。いつもなら、行けなくて捨ててしまうチケットを周りの仲間に行かないか、と打診したらほとんどが万難を排しても聴きたい、ということで、鈴なりの状態となったのだろう。
 前半は「未完の大器2009」と題された10代の音楽家が3人登場した。まず最初は中国の天才ピアニスト、12歳のニュウニュウ(牛牛)君で、いきなり現代風にアレンジされたトルコ行進曲をいとも簡単に弾いた。続いて東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団を率いてモーツアルトの「ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 第3楽章」を弾いたが、流れるようなキータッチとしなやかにピアノを操る様はとても12歳には見えなかった。つい先ごろ、この「題名のない音楽会」でお馴染みの天才ピアニストの辻井伸之君がクライバーン音楽コンクールで優勝し、天才ぶりを実証しただけに第2の辻井君が現れた感じだった。
牛牛はニックネームで、本名は張勝量というのだそうだ。司会の佐渡裕から「いつか共演したいね」と言われ、頷いていたが、曲目は何がいいかと聞かれ、「なんでも」と答えていたのには驚いた。演奏が終わって佐渡裕とハイタッチしていたのにも非凡さがうかがえた。それにしても中国人というのは音楽にかくも馴染むのだろうか。中国語の文法が英語と似通っていることが西洋音楽にかくも馴染ませるものなのか、と思った。早速、ニュウニュウ君のCDを買い、10月に行われるソロコンサートを聴きに行くことにした。
 次に現れたのは14歳のヴァイオリニスト、松本紘佳さんで、お母さんがピアニストである音楽一家の少女で、見るからにあどけない。しかし、ひとたび弦を握るとそんなことは微塵も感じさせなかった。管弦楽団をバックにチィコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲ニ短調 第1楽章」を演奏したが、先日聴いたばかりの神尾真由子に一歩もひけをとらない内容だった。神尾真由子の演奏では悲壮感が漂っていたのにこちらは堂々として、むしろ楽しんで演奏している感じで、素晴らしかった。
 3人目はこれも14歳のチェリスト、上野通明君で、D・ホッパーの「ハンガリアン・ラプソディ」を難なく弾き終えた。こんな若い天才が輩出するのは一体どういうことなのか、と佐渡裕はみずからの若いころを振り返って述懐していたが、確実に技術、能力は上昇していることを認めていた。それだけ豊かになったということなのだろう。
 後半は「デビュー50周年!中村紘子の軌跡」と題して、聴衆お目当ての中村紘子が墨染めで「花」と大書した黒いドレスで登場し、ピアノの前に座るや否や、いかいなりショパンの「華麗なる円舞曲変イ短調」を弾きだした。優雅に弾くとばかり思っていたのが、力強いタッチで、前半のニュウニュウに負けるものか、との気迫があったのかないのか、わからないがまるで男性ピアニストが弾いているか、のような印象を受けた。
 さらにグリーグの「ピアノ協奏曲イ短調」と三善晃の「ピアノ協奏曲」を弾いたが、印象は変わらなかった。最後のピアノ協奏曲は弾き終わった時点で、見ていてアッと声を上げるほどの劇的な弾き方で終了して、一瞬拍手するのを忘れたくらいだった。
 途中のインタビューでいつもより緊張していた佐渡裕の質問に答えて、前半の若い音楽家の輩出について今後について「才能と努力はあるのでしょうが、幸運があるかどうか」と語っていたのと、今後の演奏活動について「指の関節が動くかどうか不安に感じている」と濁してとても抱負どころではない旨答えていたが、実際には新しいことに絶えずチャレンジしていることを隠して、あえて語らなかったことに凄さを感じた。佐渡裕は15年ぶりに間近に演奏を聴いて「進化している」と驚いていたことを考え併せると音楽家の世界も大変だ、と思わせた。
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異例の長寿番組だから様々な仮説が成立する「サザエさん」

2009-07-30 | Weblog
 29日朝、フジテレビの「とくダネ!」を見ていたら、冒頭、夏休み中の小倉智明キャスターに代わる笠井信輔アナウンアサーがいきな「サザエさん」の視聴率の話を取り上げていた。日曜日午後6時半から同じフジテレビで放送している番組の宣伝か、と思ったら、サザエさんの視聴率と景気が反比例する関係にある、という。つまり、サザエさんの視聴率が上がると景気が下がり、逆に視聴率が下がると景気がよくなる、という信じられない話をする。
 本当かな、と思っていたら、フジテレビグループのサンケイ新聞が同日、経済研究所の大和総研のアナリストが分析した記事を見せながら解説する。それによると、昨年のリーマン・ショック以前にはサザエさんの視聴率は16%くらいだったのが、ことし3月には19%台になったという。一方、東証株価指数のTOPIXは1400だったのが700に低下した、という。同記事はさらに歌手のドリーム・カム・ツルーが流行ると景気がよくなるサザエさんの視聴率と逆の関係にある、とも書いている、という。
 笠井アナの解説によると、「サザエさん」は日曜日の夕刻の放送されるので、それを家庭で見ているということは家族そろって外食したり、旅行に行っているのではなく、消費支出の拡大につながらない。番組自体も質素な昔の生活を描いており、地味な昔ながらの生活を彷彿とさせるだけで、そんな番組がもてはやされる、ということは景気が落ち込んでいる証拠だ、という。日曜日の夜は明日じから仕事だ、と思うとブルーな気持ちになり、サザエさんを見た証券関係者はそのまま週明けの取引開始に臨むことになる、という。逆にサザエさんの視聴率が低いということは外出している、ということで、なんらかの消費活動をしている、と推察される、というのだ。
 同じ大和総研のまとめたところによると、人気アーチストの「ドリカム」の歌は元気がよく、聞けば気力が湧いてくるからか、年2回のテレビタレントのイメージ調査に基づき人気度を算出したら、平成14年以降景気の動向と相関関係が見られた、という。
 この調査をまとめた大和総研のチーフクオンツアナリスト、吉野貴晶さんは3年前に景気とサザエさんの反比例関係について本も書いている、ということで、その筋では有名な話ということだが、どう考えても結果論的な話でにわかには信じ難い話ではある。株価は確かにきちんとした数字であるが、視聴率は統計学的には根拠があるとされているものの果たしてそれだけ視聴者がいるのか、いつだって疑問のある数字だけにそんな数字をもとにいかにも学説みたいな理論を組み立てても眉唾の感は否めない。
 サザエさんの視聴率がいまどれくらいかはわかるにしてもそれで株価の動向が予測できるものでもなく、あくまでも後付けした、ということに過ぎない。
 それにしても「サザエさん」は1948年4月22日に福岡の夕刊「フクニチ」に連載が開始され、その後51年4月11日から朝日新聞夕刊に掲載されるようになり、フジテレビでは69年10月5日からアニメとして放送開始となった。ということは以来40年になるという異例の長寿番組となる。そんなお化け番組だから、様々な仮説が組み立てられる、ということなのだろう。
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父親のもらした一言にうかがえた損害賠償請求裁判の本当のねらい

2009-07-29 | Weblog
 28日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。目をつけた法人税違反の裁判が起訴状を読み上げただけで終わってしまったので、損害賠償を求める民事裁判の証拠調べを傍聴することにした。原告3人が1人の男性に対して裁判を起こしているもので、法廷に入ると、他に傍聴人はいなかった。途中で1人入ってきたが、最後にはいなくなっていたので、結局通しで聴いたのは鈍想愚感子だけだった。原告の3人でなく夫婦と思しき2人で、被告側は代理人の弁護士しかいなかった。
 まず、原告の奥さんらしき人が証言台に立ち、娘さんのことを聞かれていく。娘さんは大学を卒業してから富士銀行に入社し、2年ほど勤めた後、スイスに語学留学し、帰国してから派遣社員として三井物産に勤めるが、体調不良になってそれもやめて派遣のスポットで暮らすうちに交通事故に遭った、という。自転車で横断歩道を渡ろうとして車にはねられたようで、以来頭がボーとしたり、匂いや味の感覚がなくなる後遺症に悩まされ、交通事故の加害者である相手に損害賠償を求めている案件だった。
 被害者の後遺症は音に対しても極度に敏感になり、テレビの音や自動車の走行音、子供の発する奇声にも耐えられないので、外出もままならず、食事も食いが細くて家族とも一緒に食べない状況に陥っている、という。いくつかの病院にも通っているが、有効な治療法はみつからず、漢方薬を処方されてはいるが、回復のメドは立っていない、ともいう。身長158センチで、40キロ台だった体重が一時は20キロ台にまで低下し、それを嫌ってか知人と会うことも一切しなくなった、という。
 続いて証言に立った父親は自らは今後の娘さんの生活を心配してなんとか社会復帰をさせよう、と時にはきついことも言ったことがあるが、効果はなかった、と述懐していた。5年前に大手商社を退職して悠々自適のはずの生活が娘さんの事故ですっかり狂ってしまった無念さもあってか、弁護士から「どうして裁判することになったのか」と聞かれて、「本人の納得性を得るために裁判に踏み切った」と語った。生きる気力があるのか、ないのかはっきりしない娘さんに対して区切りをつけるために裁判に踏み切った心情がありありとうかがえた。
 この日の裁判でも娘さんと法廷に連れて来よう、と思ったが、娘さんがどうしても嫌だ、といって来なかった、という。損害賠償請求の裁判について娘さんは父親に任せっきりであったようだが、経過についてはほとんど話していないところをみると、区切りをつけたかったのは娘さんというより、むしろ父親の方だったのかもしれない。
 最後に裁判長から、「和解について応じる考えはあるのか」と聞かれて、父親は「はい」と答えたものの、裁判長から「それについて同意する書類が出ていませんね」と念を押されて、「よく知らなくて済みません」と謝っていた。
 ということはこの裁判は損害賠償の額如何を問わず、次回の弁論準備で和解に落ち着くことは見え見えの結果とあいなった。当初から6年も前に起きた交通事故の損害賠償裁判をなぜいま起こすのか、疑問に思っていたが、被害者の更生を図るという別のねらいがあった、と理解できた。
 これも裁判の持つ諸側面のひとつといえるのかもしれない。ただ、裁判長や訴えられた相手からして見れば、そんな家庭内のことを法廷の場に持ち込んでほしくない、というのが本音なのかもしれない。

 
 
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以前に読んだ宮本輝の本を全く憶えていないことに愕然とした

2009-07-28 | Weblog
 先日、いつも行く高津図書館へ行き、宮本輝の単行本「生きものたちの部屋」があったので、借りることにした。全集の月報に連載した随筆を集めたもので、宮本輝が書斎で愛用している万年筆や絵具など文房具や身の回り品などに関する所見を綴ったもので、面白そうな感じがしたので、読んでみよう、という気になった。半分ほど読んだところで、ひょっとして蔵書のなかにあるのではと思って、書庫をあさってみたら、文庫本ではあるが同じ本があった。
 というのも図書館で「生きものたちの部屋」を借りようと思った時に同じ宮本輝の「血お騒ぎを聴け」の単行本もあり、どちらを借りようか、と思い、「血の騒ぎを聴け」は読んだような記憶がうっすらとあったので、「生きものたちの部屋」にしたのだ。宮本輝は一時気に入って、ほとんどの作品を買いそろえて所蔵しているので、単行本であることが読んだという記憶を薄めたようだ。
 それよりもショックなのは「生きものたちの部屋」を読んでいって、以前に読んだという記憶が全くよみがえってこなかったことだ。テレビで映画を観ていて、この映画は以前に観たかどうか、ある程度観ないとわからないことがよくあるが、本に関してはそんなことはない、と固く信じてきた。
 趣味に読書をあげるほど本を読むことに関しては一家言を持っている積もりdえあるが、一度読んだ本を全く憶えていない、なんてことがあるとしたら、これまで読んできたことがみんな右から左へ消えていってしまっていることにならないだろうか、と思ったら愕然とした。
 よく、新しく刊行」された文庫本を買って、家に帰ると、以前に単行本で読んだことがあってがっかりすることがある。だから、ずっと図書の購入記録帳をつけてだぶって買うことがないように気をつけてはいるが、それでも時に同じ本を買ってしまう。特に贔屓の作家などの本ではそういうことがしばしばある。
 今回は逆に文庫本で読んだものを単行本で読みだしたもので、別に金銭的にロスしたわけではないが、全く憶えていないことは由々しきことである。鈍想愚感子はこれまで一度読んだ本をもう1回読み直すというようなことはしてこなかった。読んでない本が次から次へと出てくるので、そんな暇なり、時間はない、と思ってきたし、一度読んだ作品は憶えている、と固く信じてきたからだ。ところが、どうもそうではないことが明らかとなったのだ。
 もちろん、同じ本を何回も読んで、年とともの味わいを深める、という読書の仕方があることを否定するものでもない。名作といわれる本はそういうものであるのかもしれない。気に入っている作家の本などはそうして人生の折々に振り返って読むことでまた違う角度から教わるようなことがあるのかもしれない。
 確かにそうした読書の仕方はあつだろう。しかし、一度読んだ作品を全く憶えていないということはまた別の問題で、単に年とって記憶力が薄れたということでもないだろう。人間の記憶んあんて実に頼りないものであることがよくわかった。
 一度読んだ作品を憶えていないとしたら、読書の仕方を根本的に変える必要も出てきそうだ。浅く広く読むという「多読」から気に入った本を何回も読む「深読み」へ変える時期にきているのかもしれない、とも思った。
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半年ぶりに体重が55キロ台に戻ってホッとした

2009-07-27 | Weblog
 26日、週に1回をメドとしているフィットネスクラブに行き、いつものようにスイミングプールで400メートルクロールで泳いだ後にジャグジーに入り、身体をほぐしたところで、更衣室の手前にあるヘルスメーターに乗ったところ、体重は55.10キログラムを表示した。今年1月に53.70キロを表示して以来、ずっと54キロ周辺を行ったり来たりして、55キロを超えたのはそれ以来のことだった。このところ、誕生会などでご馳走を食べることが多くて食いが多くなっていたのが効いたのだろうが、このままもう体重は増えないのか、と悲観していたので、ホッとした。
 体重が53キロ台となったのは少なくともここ40年間では初めてのこと。それまで体重は大体56キロから57キロくらいで、時にお酒を飲んだりした時には60キロ近くになることもあった。それが一挙に53キロ台になったのだから驚いた。最初は下痢をして胃の中が空っぽになったから、一時的なものだろう、と思ってすぐに戻るだろう、と思っていた。当時、たまたま、人間ドックに罹ったので、内診の医者にそのことを相談すると、「子供でも下痢をすれば体重は減りますよ」と一笑に付された。
 しかし、その後、1週間に1回くらいフィットネスに行っているので、その都度ヘルスメーターに乗ると、いつも54キロくらいで、なかなか元に戻らなかった。ひょっとしてガンか、わけのわからない病気に冒されているのではにないか、とも思ったが、他にそれらしき兆候もないので、まず大丈夫だろう、と思っていた。それでもなかなか体重が戻らないので、もうこのまま54キロでずっといくのだろうか、とも思うようになっていた。
 フィットネスクラブに通うようになったのは昨年5月からで、行けば400メートル泳ぎ、ロードランナーで約3キロメートル走ることにしている。それまでは土日の朝に2、3キロのジョッキングをしていたくらいで、定期的にトレーニングをしたことがなかったので、無駄な肉が落ちてスリムになったのだろうか、とも思った。そうだとすれば、それだけトレーニングの効果が出ているのだから、喜ばしいことなのだが、一方では本人の知らない間に病魔が潜んでいるのではないか、と気になっていたのも否定できなかった。
 それがやっと55キロ台に戻ったわけでとりあえず安心した。
 トレーニングは毎日続ければ、100日で効果が出てくる、といわれている。鈍想愚感子の場合、週に1回なので、2年くらいすればそれなりの効果が出てくることになる。とすると、来年5月になると、トレーニングの効果が表れることになる。その時点で体重が54キロになるのか、55キロになるのか、で贅肉が落ちてスリムな身体になった、ということがわかるということになるのだろう。
 何事も精進して継続することが大事ということか。
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今度の政権交代は明治維新のようなもので、しばらく大乱が続く

2009-07-26 | Weblog
 8月30日投開票に向かって政局は動き出し、世論の大勢は民主党中心の政権への交代へまっしぐらといった感じである。政権が掌中のものとなりつつあるのを意識してか、民主党はマニュフェストのなかで日米地位協定の改定姿勢を軟化させたり、影の内閣との防衛大臣に就任すると見られていた浅尾慶一郎参院議員が離党したり、と若干のさざ波みたいなものが起きつつあるが、大勢を覆すものとなるようなことはないだろう。自民・公明両党は守勢一方で、早くも野党的な動きをもいせつつある。
 先週あたりから政党各党の幹事長クラスが一堂に会しての政策論議がテレビで頻繁に行われるようになったが、19日のテレビ朝日のサンデープロジェクトに出演した岡田克也民主党幹事長に自民党の細田博之、公明党の北側一雄両幹事長が民主党がインド洋上での給油活動を継続する、と打ち出したのに「いまままでの反対は何だったのか」とかみつき、もう民主党政権が実現したかのような感じだった。テレビ出演を終わって岡田幹事長は「野党から攻められているようだった」と述懐していた。
 25日朝のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」でも民主党の細野豪志議員に茂木敏充自民党元行革担当大臣と高木陽介公明党選対委員長がそろって攻勢に出ており、細野議員が孤軍奮闘していた。外交から防衛、経済、年金の問題まで政治に関わるあらゆることを答えていくのは見ていてもかわいそうなくらいだった。党の代表でも他党から質問を浴びせられてもすべて答えられるわけではない。たった1人で党を代表して出演している以上、党の顔をつぶさないために知っているような顔をして答弁しなくてはならない。民主党は党のマニュフェストを公表はしているが、細部にわたって作成の議論に参加したわけではなく、なかには不得手な分野もあるだろうに、丁寧に答えていた。
 民主党の日米地位協定の改定方針の後退については米国への配慮であるし、米国だってオバマ政権への後退でイラクから軍えお撤退させるなど政策の変更は十分にありうることだし、政権が交代したことを理由に外交路線の転換をすることは国際的によく行われていることだ、と突っぱねることはできる。ただ、麻生首相の大盤振る舞いで、膨れ上がった財政赤字だけは政権交代したからといって、許されることではないだろう。09年度予算の一般歳出は102兆5000億円でに対し、歳入は景気後退で40兆円に落ち込む見通しで、国債などに頼らなければならない赤字は60兆円強にものぼる。麻生政権のツケだ、といって突き放しておくだけで済む話ではないだろう。
 とはいえ、民主党政権への歩みはもはや誰も止められないことだろう。マスコミ各社の世論調査で「今後どの政権を望むか」との質問で、民主党中心の政権を望むのはいずれも自民党中心の政権をダブルスコアとなっており、来る衆院総選挙でそうなるのは間違いない。
 26日朝のTBSテレビの「時事放談」に出演した評論家の半藤一利氏は来る政権交代を「薩長が明治維新を成し遂げたようなもので、当時は政権を担当したことのない人たちが担った」と明治維新になぞらえ、「しばらく大乱が続く」と予言した。世の中を変えたり、新しいことを行おうとずれば、なんらかの苦しみは伴うもので、多少の困難は耐え忍ばなければならないものなのだろう。
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宿敵横浜にひと泡ふかしたものの、勝利の女神は微笑まなかった東海大相模高

2009-07-25 | Weblog
 24日は元気をもらう外資系企業の社長、Sさんとランチした後、怪しい天気のなか家路につき、溝の口駅に降り立ったところで、そういえば高校野球夏の神奈川県大会で贔屓の東海大相模が宿敵の横浜高校と対戦する日であることを思い出した。時々夕立のような雨の降るなか、試合が行われているのかな、と思いながら、家に戻り神奈川テレビを点けると、豪雨のなかベンチでグランドを見つめるナインの姿が映っていた。画面片隅のスコアをみると、5回終了時点で横浜が12対3で勝っている。高校野球の場合、5回で10点差、もしくは7回で7点差だとコールドゲームとなる。ただ、9点差なので、このままノーゲームとなると再試合となる、微妙なところである。
 スコアは5回表まで12点を取られて一方的に負けていた東海大相模が5回裏2死走者なしから、安打と2塁打、3塁打でつなぎ3点を返し、なんとか9点差としたところで、中断となった。40分強の後、グランドに砂を入れて、試合再開となった。東海大相模は投手を使い切り、もう最後の5番手投手しか残っていない。6回表の横浜の攻撃を犠打の2塁封殺や1塁の牽制死などでなんとか無得点でしのぎ、6回裏の攻撃で安打、相手エラーなどで無死満塁と攻め、その後満塁ホームランで、5点差とした。これで、7回コールド負けにならずに済んだ。
 さらに7回表も横浜を無得点に抑え、7回裏にホームランとタイムリー安打で2点を返し、3点差まで迫り、ひょっとしたらひょっとなるのかな、と思わせた。東海大相模はこのところ、3年連続して神奈川県大会で決勝戦まで駒を進め、あと一歩で甲子園出場を逃してきたが、今年は春の大会で4回戦で敗退し、第3シードにしかランクされず、16強の5回戦で強敵の横浜と対戦することになってしまった。戦前の予想は横浜の勝ちは揺るがず、それ以上の圧倒的な強さを見せつけられたが、思わぬ豪雨で、勝利の女神は東海大相模に一瞬微笑みかけた。
 テレビ画面での横浜校の渡辺元智監督は3点差と詰め寄られた場面で、ベンチでさすがに顔を曇らせた。数々の修羅場を経験してきた渡辺監督もこんなにあせらされた試合展開は初めてのことだったろう、と思わせた。前半の打撃練習かと思えるほどの圧勝に選手の気が緩んで、東海大相模の思わぬ反撃をくらって戸惑ったのだろう。
 しかし、そこは古豪の横浜校で、8回表に2死からスラッガーの筒香嘉智主将のセンターオーバーの特大2塁打で走者2、3塁と攻めて、得点にはならなかったものの東海大相模へ傾きかけた流れを引き戻した。結果的にはこの主砲の長打で勝負は決した。東海大相模は9回裏2死走者なしから、安打を連ね、満塁まで攻め、ホームランが出れば逆転サヨナラの緊迫した場面を作ったが、最後はライトフライに倒れ、ゲ-ムセットとなった。
 一度は大敗で諦めかけた試合が折からの気まぐれな天気で、スコア的には好勝負に見えるような経過をたどったが、終わってみれば、実力の差がくっきりと出た試合であった。東海大相模の門馬敬治監督は「ここまでやれたのは選手の意地と執念だ」とナインを讃えたが、内心完膚なきまでにやっつけられた悔しさで一杯だったことだろう。
 鈍想愚感子の3男が東海大相模に学んだ縁で毎年夏は高校野球の応援に行くことにしていたが、今年はグランドに応援に行く前に敗退してしまった。部員は102人で応援チアリーダーが50人と往時からは考えられない人気ぶりとなっているが、来年こそは33年ぶりに甲子園に出場してもらいたいものだ。
 
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30分でわかる「カルメン」で本当にカルメンがわかった

2009-07-24 | Weblog
 過日、東京・初台のオペラシティでの「題名のない音楽会」の公開収録に行った。前半は兵庫芸術文化センター管弦楽団が欧米のオペラ歌手を招いて全国各地でオペラ「カルメン」を巡業公演したのを30分に圧縮して短縮したのを見せてくれた。同管弦楽団の芸術監督を司会の佐渡裕が務めていることから実現したもので、語りを講談師の神田山陽が務めるという異色な組み合わせで、「カルメン」のさわりを楽しむことができた。
 30分でわかる「カルメン」と題した前半のプログラムは前奏曲から始まって「運命のテーマ」、「ハバネラ」、「セギディーリヤ」などとお馴染みの曲に乗って、ステラ・グリゴリアン演じるカルメンとルカ・ロンバルト演じるドン・ホセ、ジャン=フランソワ・ラポラント演じるエスカミーリョがホールいっぱいに美声を響かせた。その舞台回しを神田山陽が講談で面白おかしく務める趣向で、忘れていた「カルメン」の粗筋を思い出させてくれた。最初はドン・ホセに興味を感じ、魅惑的な歌で近づき、赤い花を投げつけ、ホセをその気にさせる。タバコ工場での騒動で仲間の女性を傷つけたカルメンは囚われの身となるが、ホセを口説いて、逃がしてもらう。ところが、カルメンは闘牛士エスカミーリョに惚れ込んで、ホセに飽きてしまい、最後はよりを戻そうとするホセに胸を突かれて死んでしまう。
 「カルメン」は丁度10年前に同じオペラシティで見ていたが、すっかり粗筋は忘却の彼方にあった。当時はドン・ホセの許嫁であるミカエラにチャイコフスキーコンクールの声楽部門で優勝したばかりの佐藤美枝子が登場したので、それだけを見ていて、筋立てを忘れてしまったようだ。家に帰って、早速、当時購入した「カルメン」のプログラムを取り出して、記憶を取り戻した。
 日本で演じられるオペラは音楽と歌、それに舞台装置と演技があり、それにイタリア語か、ドイツ語の歌の内容を翻訳した日本語の吹き出しが壁に映し出されるので、まず歌を聴きながらその内容を理解するのに日本語の吹き出しを追い、それから目で舞台を観るので、肝心の演技なり、粗筋が頭に入らないようなことになってしまう。1回や2回観たくらいではすんなりと楽しめない仕組みとなっているようだ。同じオペラを何回も観るという人の気持ちが初めて理解できた。
 それを30分で早わかりさせよう、というのだから「題名のない音楽会」は面白いことをするものだ、とつくづく思った。
 後半は「ベートーヴェンとクララに捧げた愛」と題してブラームスの交響曲第1番を演奏した。題名のない音楽会の常連の青島宏がブラームスに扮し、尊敬するベートヴェンと恩師シューマンの妻、クララを愛して作曲した交響曲第1番を解説して、第四楽章を演奏した。ベートーヴェンの交響曲第10番とも称される理由もよくわかった。
 いつもながら、「題名のない音楽会」は音楽の素人にとっては有難い番組である。自動車はもう手放してなくなってしまったが、ガソリンを入れることがあったら、出光興産で入れないとバチがあたる、と心底思っている。
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テレビ中継ながら皆既日食の天体ショーに感激・興奮した

2009-07-23 | Weblog
 22日は46年びりの皆既日食がテレビで見られるとあって、テレビの前でにわか天体観測マニアとなって、午前10時ころからチャンネルをひねりながら実況中継を楽しんだ。46年前は高校生の時代でいまほどマスコミも皆既日食だといって騒がなかったし、社会全体にそんな余裕もなかttのか、まるで記憶にない。平日に何の心配もなく、家でのんびりとテレビの天体観測の実況中継に見入れる、というのも人生初めてのことで感激した。
 肝心の時刻が近づいても東京の空は曇っていて、生の目で日食を楽しむことはできない。あまつさえ、雨が降り出してきて絶望的な気分になってきた。それならテレビ各局の実況中継に頼むしかない、とチャンネルを回し、事前の屋久島、奄美大島、悪石島など国内観測地点にクルーを出して現場中継している様子を見ていった。しかし、午前10時半になって、NHK総合テレビが中継しだして、小笠原列島周辺に繰り出した観測のための船、「おがさわら丸」と硫黄島からの中継が始まって、もう民放各局の出番はなくなった。特に硫黄島からの中継は気象庁が特別に派遣したクルーで、公共放送を旨とするNHKだけが一緒に同行することができたようで、さすがNHKといった感じだった。
 その2拠点と屋久島の3カ所と東京のスタジオを結んでの実況中継はNHKの圧勝だった。スタジオではゲストに演出家の宮本亜門と女優の西田ひかるを迎えて時々刻々変わる皆既日食の天体ショーを生中継した。民放各局がずっと注目していたトカラ列島の悪石島とは結ばなかったのが疑問だったが、豪雨で結果的にはそれが大正解だった。
 午前11時23分に硫黄島と洋上「おがさわら丸」から6分30秒にわたる皆既日食の全容が中継され、圧巻であった。月の影から太陽の光が一部分だけ漏れて輝くダイヤモンドリング、それと周囲360度に夕日のように地平線が金色に見える風景は感動的だった。その間、地上は真っ暗となり、ダイヤモンドリングのコロナの一部にプロミネンスといわれる赤い炎を観ることもでき、興奮した。
 NHKがクルーを送り込んで実況中継していた「おがさわら丸」の船上からも同じような光景を観ることができたが、スタジオにいた気象庁の専門家が「船上からの天体観測は船が揺れるので、天体観測では邪道だ」というようなことを述べ、問題外である、と切り捨てていたのが面白かった。
 この皆既日食はあとの観測地点ではいずれも曇天、もしくは豪雨に見舞われて肉眼ではいずれも見られなかった、という。人口の5倍を超す394人が訪れた悪石島ではわずかに暗くなっただけで、観測に訪れた人をがっかりさせた。悪石島に行くには東京から飛行機と船を乗り継いで22時間もかかる、といわれ、3日も前から乗り込んで準備万端で臨んだのにパーとなってしまったわけで、お気の毒というしかない。
 皆既日食があったころには東京でも心なしか、若干暗くなって、寒くなってきたような感じがあった。しかし、最後まで太陽の欠けるところどころか、陽の光は少しも漏れてこなかった。天体ショーの時刻が終わって、溝の口駅近くへ出かけたら、ペデストリアン・デッキの上でしきりに太陽のある方向へ向かって携帯電話のカメラを向けている人や、親子連れが多くいたのはお笑い草だった。1人がやっていると、同じように真似する人が次から次へとでてくる、それも皆既日食ショーの余韻を楽しみたいのだろう、よほど「もう終わってますよ」とでも言ってやろうかな、と思ったが、それもお節介なことだ、思ってやめた。、
 皆既日食は太陽の400分の1の大きさの月が地球と太陽の間に入り、丁度400倍の大きさに見える位置になった時に起きる現象で、来年7月11日にはイースター島で、2012年11月14日にはオーストラリア・ケアンズで、2013年11月3日にはアフリカ・ガボン(ここでは金環日食も)で観測することができる、という。日本で再び見られるのは26年後の2035年9月2日で、富山県岩瀬浜か。茨城県・大洗海岸で観測できる、という。それまで生きていることやらとも思わないでもないが、今度は生で観測したいものだ。
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殺人など凶悪犯の時効廃止はぜひ実現してもらいたい

2009-07-22 | Weblog
 21日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。連休明けのせいか、いつになく重要な案件が立て込んでいる感じで、いくつかの裁判の判決や独禁法裁判をつまみ食い的に傍聴して、午後3時からの死体遺棄・殺人事件に問われた篠沢大介被告に対する判決を聴こうと、午後2時半からの傍聴券配布の列に並んだ。傍聴券40枚配布に倍近くの応募があったものの難なく当選し、法廷に入った。
 この事件は平成19年5月31日に起きたもので、裁判は4月22日に始まり、主犯と目される篠沢被告は共犯の3人が手を下し、自身は何もやってないと主張し、検察の追及と真っ向うから対立していた。被害者の共同経営者との金銭のもつから殺害を思い立ったようで、毎回傍聴席の最前列に被害者の両親が遺影の写真の額を裁判長側に向けて厳罰に処するよう聴き入っていた。
 共犯の3人の裁判も並行して行われ、すでに2人はそれぞれ懲役11年、13年の実刑の判決を受けており、残る1人も結審間近となっている。たまたま2週間前に傍聴した共犯者の審理で、証人として法廷台に立った篠沢被告は相変わらず無罪を主張し、「なぜ3人は証人が主犯と主張するのか」と聞かれ、「わからない」と答え、目の前に座っている本人をどう思うかと聞かれ、「許せない」と答えていたが、後から考えてその声に迫力がなかった。
 で、注目の判決は検察の求刑である懲役22年に対し、懲役22年を宣告する厳しいものだった。判決の理由として裁判長は「被告人の供述は信用できないし、殺害の首謀者であるのは間違いない。遺族らの悲しみは筆舌に尽くしがたい」と述べた。傍聴席からは被告の顔色はうかがえなかったが、身体が揺れることもなく平然としているように見えた。
 どう見ても篠沢被告の主張している無罪には無理がある。被害者のTさんと一番接触していたのは篠沢被告だし、3人の共犯者がそろって罪を認めて、篠沢が首謀者と主張しているのに白々しく、殺害には加わっていない、と無罪を訴えるのは説得力がないからだ。大切な息子である被害者の両親が遺影を抱いて傍聴する面前で、無罪を主張する篠沢被告の心境は理解できないし、そんな被告こそ許せない、と思った。
 この裁判を傍聴していて、先日法務省内勉強会が殺人など生命を奪った凶悪・重大な事件については公訴時効の廃止が相当とする検討結果を発表したが、殺人など凶悪犯に対して時効があるのはおかしい、という気になってきた。この場合は無罪を主張している犯人に対して裁判でケリをつけたわけだが、裁判にかからず逃げおせている凶悪犯罪者に対して一定の期間が過ぎれば罪を問わなくなるのはやはりおかしい。
 英米など各国で時効がないのと、DNAなど捜査手法が進んだこと、それに遺族の処罰感情が高いことなどから時効廃止の結論を下したもので、今後法改正にはまだ曲折が予想されるが、ぜひとも時効廃止を実現してもらいたいものだ。
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