鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

無意識過剰な石原慎太郎氏はもはや”老害”である。一日も早く退くべし

2012-12-31 | Weblog
 30日朝のTBSテレビの「時事放談」にコメンテイターとして出演していた半藤一利氏がことしの重大ニュースのトップに「尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化」をあげていた。自民党が大勝した衆院選やロンドンオリンピックをおしのけて対中問題をトップにあげるのはそれだけ中国と日本の関係が重要であることを改めて認識させてくれた。半藤氏はこのきっかけを作ったのは石原慎太郎前東京都知事である、とも語った。この暴走老人はその後も国会で波乱の芽ともなり、日本の国政をも撹乱しようとしている。
 半藤氏によれば、中国は自らいざこざを起こそうとはしない国である、という。ここ1、2年尖閣諸島の領有をめぐり、中国と日本の間ではさざ波が立つような状態できていたが、ことし一挙に悪化したのは石原慎太郎氏が国連の場で尖閣諸島を東京都が購入する、と宣言したからだ、ともいう。そもそも東京都が遠く離れた尖閣諸島を占有する、という発想をすること自体異常なことである。この段階ではまだ国政に打って出よう、などとは考えてはいなかったのだろうが、年齢からしていずれ後継者のだれかに都知事の任を託さなければならない段階に至っていることは当然考えなければ」ならないことである。だとすれば、東京都が尖閣諸島を領有して中国と対等に渡り合うことなどだれがやっても手に余ることである。
 にもかかわらず、公然と領有化を公言し、あとへ引けなくなった当時の野田首相が国有化せざるを得なくなって、日中関係は修復が不可能になるほど悪化した。中国に進出していた日本企業が直接に被害にあったほか、日中間の貿易や観光客の大幅な減少で日中双方に莫大な損害が発生する事態を引き起こした。中国籍の船舶や飛行機が尖閣諸島近辺の日本の領海や領空を脅かしているのはいまや日常茶飯事となっている。こんな事態を引き起こした当の石原慎太郎氏は深刻化する日中関係を横目に、チャッカリと日本維新の会代表に収まって先に開かれた国会の首相指名選挙に名を連ねて悦に入っている。
 こんな御仁の存在、仕様を世間の人はなぜ許して放っておくのだろうか。数日前の読売新聞の編集手帳によると、かつて評論家の故江藤淳氏が石原慎太郎氏の言動ぶりを評して無意識過剰」と言ったことがある、という。江藤氏によれば、石原氏が人にどう思われようようと考えずに言いたいことを言うのは「俺は俺の道を行く」前に「他人が気にならぬ」との思いがあるからだ、という。江藤氏は1997年に亡くなっているが、生きていれば石原氏と同じ80歳で、同じ文芸の世界でかたや芥川賞作家、かたや評論家としてともにめしを食ってきた仲間である。破天荒な若者の生態を描いて芥川賞を得て、そのままの姿勢で政界に打って出て、言いたい放題やりたい放題の言動を続けている石原氏に友情の気持ちを持って評したのだろうと思われるが、ここまでくると単なる放言として放っておけない。国を揺るがすような害をもたらすのでは暴言老人ではなく、”老害”である。再びこのようなことをしでかす前に、日も早く表舞台から退いてもらいたいものだ。
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とにかく議員1人当たり5100万円もの政党助成金は多過ぎる

2012-12-30 | Weblog
 嘉田由紀子が率いていた「日本未来の党」が予想通り約1カ月の命で、事実上崩壊した。日本未来の党に投じられた342万3915人の人は一体どう思っているのだろうか。支持者を欺いたとして代表訴訟なるものが提起されても仕方がないほどの醜態ぶりである。あの小沢一郎が不様な敗退ぶりを予期して、ピエロ役に滋賀県知事の嘉田おばさんを担ぎ出したのは最初から見えていた。28日に大津市で嘉田知事とともに記者会見に臨んだ小沢一郎は肝心なことは一言も話さず、終始無言で単に日本未来の党の終焉を確かるために馳せ参じただけだった。
 可哀想なのはピエロ役をあい務めた嘉田知事で、当初は分党の発案者は小沢氏側としていたのに、会見の場では横に当の小沢氏が座っていたせいか、「詮索しないことにしたい」と逆に小沢氏をかばっているように見えた。これで、日本未来の党は所属議員は社民党を離党して参加した阿部知子議員一人だけとなってしまい、政党要件を満たさなくなってしまった。こうなる前に嘉田知事は総選挙終了直後に滋賀県議会で議員から「知事と政党代表の兼職は支障が出る」と責められており、リコールに発展しそうな状況下にあり、ますます日本未来の党は解党に追い込まれる公算が強い。
 小沢氏のねらいは13年に国から各党に支給される政党交付金にある。分党した「生活の党」に所属する議員は17人で、交付される政党助成金は8億6500万円にもなる、という。”お金”に汚いとのイメージがある小沢氏には常にカネにまつわる噂が絶えない。今回の分党騒ぎもこのお金を背景に考えればなるほどと理解できる。
 それにしても政党助成金なるものは多すぎないだろうか。政党助成金は議員1人当たりにすると5100万円にもなる。憲法で定められた議員1人に支給される歳費は月額129万4000円、文書通信費が月100万円、それに期末手当が635万円などで年間4200万円にも及び世界最高水準にあるといわれている。これに政党助成金が加わるわけでいくらなんでももらい過ぎである。議員定数が多すぎるうえ、これだけ国の支出を減らすべきとの声が出ているのに肝心の国会議員は高額の報酬を得てのうのうとしているのはなんとしても納得ができない。
 そもそも政党助成金なるものは何のためにあるのだろうか。1994年に政党助成法なるもので制定されたようで、当時は国民1人当たり250円と決められたという。それにしても支給されたあとのフォローはどうなっているのだろうか。どういう使い道をされているのだろうか。収支状況を国民の前に公開してもらいたいものだ。使い道次第によっては大幅にカットするなり、共産党のように受け取りを拒否している政党があるくらいなのだから、いっそ廃止してもらいたいくらいの気分でもある。特にとかくお金に汚い小沢氏には一文もやりたくない心境である。
 この衆院選前の群小政党の乱立のひとつの要因は政党助成金にもあった、とする声がある。もっとも小沢氏のことだから、政党助成金のほとんどは自らの懐に入れて、所属議員には少ししか渡さないことだろうが、今安倍政権のもとで政党助成金にメスを入れてもらいたいものだ。
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霊長類最強女子といわれる吉田沙保里に起きているある変化

2012-12-29 | Weblog
 28日東京・兜町の東京証券取引所での大納会にロンドンオリンピックの金メダリスト、吉田沙保里がゲストとして招かれ、今年の株式市場の終わりを告げる鐘を撞いた。オリンピック3連覇もさることながら女子レスリング世界選手権13連覇偉業達成で、国民栄誉賞をもらうなど方々からひっぱりだこで、今年の顔ともなった吉田沙保里はいまや日本一もてている女性でもある。いままでこれほど各界から声をかかけられもてはやされた女性は見たことがないほどの露出ぶりである。
 ロンドンオリンピックが終了した時点では金メダリストの1人として他のメダリストらと一緒にインタビューに応じていた吉田沙保里がにわかに脚光を浴びるようになったのはその後に行われたレスリング世界選手権で前人未踏の13連覇を達成してからだった。1977年の王貞治以来20人目の国民栄誉賞受賞の栄誉に輝いてからは朝日スポーツ大賞、毎日スポーツ大賞など数々の年間スポーツ賞の表彰に預かるほかは年賀ハガキの受付開始セレモニーや1日消防署長など各種のイベントのゲストとして招かれたり、テレビのゲスト出演など毎日のように顔を出している。このあと大晦日のNHK紅白歌合戦の審査員も予定されており、吉田沙保里の人生で最大にハッピーな時を迎えている、といってもいいだろう。
 こうしていろいろな場面に出ている吉田沙保里を見ていて、最近ある変化がでていることに気がついた。というのは吉田沙保里の表情にある種の人くささが見られるようになってきたのだ。以前はいかにもスポーツ一本やりのこちこちのスポーツウーマンとしか感じられなかったのが、人間味のようなものが出始めたのだ。ものの言い方も一般の女性が言うようなものに変わってきたのだ。以前はいかにもスポーツ選手らしい無骨な素っ気ない言葉を吐くだけだったのが、人並みな受け答えをするようになったのだ。それだけ人や世間と接する機会が増えたからなのか、成長したのか、よくわからない。本人が自覚しているかどうかわからないが、インタビューのやりとりを聞いていても単なるスポーツウーマンではないものが感じられるようになってきた。テレビを通じての東京証券取引所での姿など見ていてもどこの美人がいるのかな、と思える場面もあった。
 当年とって30歳のお年頃で、本人は「だれも決まった人はいない。どこかにいい人はいませんか」と口にしているが、密かに愛を育てているおようなことでもあるのだろうか。この種のことはうそをついてもよし、とされているので、十分に考えられる。だとすると、変化の半分は納得できることになる。この変化が何によるものなのか、テレビ各社やその他のマスコミに引っ張りだこになり、多く露出することによって内部変化が起きているのか、本人がそのことを自覚して目覚めているのか、神様の配慮んあおか、わからないが、なにか起きているのは確かに感じられる。あと少しすれば、だれもが納得する事態が起きて変化の内実が判明することだろう。
 こうした変化が吉田沙保里の今後のレスリング人生にどのような影響を及ぼすものなのか。ひょっとしたら以前のような霊長類最強女子としての闘争心が消えてしまって、もう勝てなくなってしまうのか、それとも勝負になれば闘争心は甦ってきて、14連覇、15連覇と記録を伸ばしていくものなのか、興味深いものがある。なにしろ、だれも経験したことがない段階に達している彼女のことだから、さらなるフロンティアーを切り拓いていってほしいものだ。
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1万2000人も参列した若すぎる中村勘三郎の死のもうひとつの理由

2012-12-28 | Weblog
 27日、東京・中央区の築地本願寺で歌舞伎役者、この5日に57歳で亡くなった中村勘三郎の本葬が営まれ、関係者、ファンら1万2000人が参列し、1万5000本ものバラが献花され、史上まれにみる盛大なものとなった。芸能人に限らず葬儀に1万人以上の人が参列したのは聞いたことがない。かくもファンに愛され、親しまれたのだ、との思いを深くした。葬儀では坂東三津五郎や、坂田藤十郎、劇作家の野田秀樹、それに大竹しのぶらが弔辞を読んだが、女優が弔辞を読むのはいかにも数々の女性と浮き名を流した勘三郎らしい最後だった。
 2号前の週刊誌にことし5月29日に東京・銀座のクラブに歌手の石川さゆりとお忍びで勘三郎が現れ、「俺たちもっと早く出会えていればよかったね」とグラスを傾けている姿を目撃されていた、と書かれてあった。本当かどうか定かではないが、当の週刊誌にはその時、勘三郎はお店のママに自分の誕生日であることを告げ、聞いたスタッフが慌ててケーキを買いに走った、という話まで出ているからうそではなさそうな感じがする。病気療養中のなか、自分の誕生日の夜にこんあことをしているとは常識では考え難いが、そこは色事ならなんでもござれの歌舞伎の世界ではまかり通ってしまうことなのかもしれない。
 当の週刊誌には勘三郎が最初にのめりこんだ女優は太地喜和子だったと記されている。文学座で上演された太地主演の「櫻ふぶき日本の心中」の劇を見た勘三郎は身震いして、即座に歌舞伎で使う和紙の桜を花びら用として贈り、急速に男女の仲となった、という。その後も勘三郎の女性遍歴は続き、岸本加世子、大竹しのぶ、宮沢りえ、米倉涼子、シンガーソングライターの椎名林檎ときら星の如く出てくる。石川さゆりなどは「同じモノづくりの立場として相談し合ったり、意見をいただいたりする間柄」といかにも男女の関係はない、というが、真相のほどはわからない。
 勘三郎の子息の勘九郎、七之助が公演で名古屋に行っているのに大竹しのぶが臨終の場にいたことが不可解なことである。たまたま居合わせたのか、勘三郎本人が希望してその場に呼び寄せたのか真実のほどは大竹しのぶに聞かないとわからないが、しきたりのうるさい梨園の世界でなんとも摩訶不思議なことが行われるものだ、というしかないだろう。
 57歳にして歌舞伎界随一の演技力と行動力を持つ男にとって、自らの技を磨くだけでなく、ビジネスの世界に足をかけていたうえに、もうひとつ色事の世界にも普通の男がしている以上の色恋にのめり込んでいた、とするならば、57歳での若すぎる死は当然といわざるを得ないだろう。人間、それほどエネルギーがあるものではない。どこかでエネルギーが尽きることになる。対女性へ費やすエネルギーは芸事やビジネスに費やす以上のエネルギーが要るのは当たり前で、かみさんの眼を忍んでのこととなればなおさらだ。あまたの女性と浮き名を流したのが男女関係にもで及んでいた、とするならば、57歳の死は若すぎるとはいえなくなるだろう。
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裁判長もお手上げ?中国人4人が四者四様に証言した”超 羅生門”裁判

2012-12-27 | Weblog
 26日は東京・霞ヶ関の東京地裁で裁判の傍聴に出かけた。年末で裁判スケジュールが少な目ななか、10時半から624号法廷で行われた損害賠償請求裁判を傍聴した。法廷に入ると、中年の男性が証言席の前の椅子席に座って待っていた。どうやら原告の夫のようで、中国語で宣誓した後に証言席について、証人尋問が始まった。いきなり弁護士から、中国語の通訳をまじえ被告との肉体関係を問われ、「池袋のホテルで迫られ、その後も関係を続けた」と核心に入った。被告席に座る当の相手の被告はその」やりとりを見ても平然としていた。
 裁判は原告が夫の浮気相手を相手どって、慰謝料を請求しているようで、肝心の原告は当初から不在のまま裁判は始まった。3人は中華料理店を経営、もしくは働く中国人で、最初は被告の店で働いていた原告の夫が経営者である被告と不倫関係となり、その事実が原告の知れるところとなった。夫は妻である原告に詫び状を書き、被告から中華料理店の経営を任されるようになったものの、妻から被告との仲をなじられ、妻が度々お店に来て、トラブルとなり、営業に差し支えるようになった、という。結局、妻とは冷え切ったまま、離婚に至るのは避けられない、という。被告からは言うことをきかないとビザの更新をしない、と脅され、やむなく関係を続けてきた、といい、被告の兄から250万円のお金をもらったのも給料だ、と思っている、と証言した。
 続いて証言に立った被告は「原告の夫の言うことは全くのうそで、最初は強姦され、その後も強要されたから関係を続けた」とまったく逆の証言をした。関係が始まってから警察に相談したが、時間が経っているので、事件として取り上げられない、といわれた、という。そして、夫との関係を知った原告からは関係を公言する、と言って脅され、原告夫婦に合計1150万円ものお金をだまし取られた、と訴えた。
 ところが、午後になって現れた原告は法廷に入るやいなや、「被告の顔は見たくない」と子供のようにだだをこねる始末で、書記官が被告と目を合わさないような角度に椅子の位置を調整するなどして、やっと証言席に座らせ、尋問が始まり、被告からは地下鉄神保町駅の構内で暴力を振るわれた、と被告の言う原告像とはまるで違う側面を見せた。いまだに医者からもらった鎮痛剤を呑んでいて、以前は尊敬したいた夫と被告がそんな関係になっているとは信じられないし、許せないことだ、と力説した。被告からお金を脅し取ったことはないし、夫がお金を借りたり、もらったりしたことは知らない、とも証言した。
 3者3様の証言で驚いていたら、最後に被告にさんざん暴力をふるったという被告の夫の中国人が証言台に現れ、「原告の言っていることはウソばっかり、こんな裁判意味がない」とわめきたて、いままでの証言はまるでみんな嘘みたいな発言をし、これにはびっくりさせられた。今回証言した中国人はいずれも大声を出して、感情の起伏の激しさをモロに出していて、中国人は思ったことをはっきりと主張する人種だな、との印象を持ったが、4人がそれぞれに違ったことを言う裁判なんて初めてのことで、”超 羅生門”といった感じだった。
 日本人でも裁判の場では本当のことを言っているのかどうか判断がつかない時があるが、こと通訳を交えた中国人の証言となると余計に判断は難しい。見かけだけではとても判断がつかないし、だれの証言が本当か全く見分けがつかなくなった。日本で起きた事件なので、日本の裁判所で判定せざるを得ないのだろうが、お互い中国人なのだから、本国の中国で裁判したらどうか、と言いたくなってくる。
 証言の途中、相手の代理人である弁護士に逆に質問したり、逆らったり、挙げ句の果てにはののしったりもする。声を荒げるのは当たり前で、身振り手ぶりで、とにかく騒がしい法廷だった。どこまでが演技で、どこまでが本音か、聞いて方には区別がつかない。中国人というのは交渉がうまい、というか一筋縄ではいかない人種である、尖閣諸島の領有問題で日本の政治家が一蹴されてしまうのがよくわかった。さすがに裁判長は最後に「進行を協議したい」と双方に相談しかけるほどだった。
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自民党の暴走を止める抑止力としての民主党たるべし

2012-12-25 | Weblog
 25日に行われた民主党代表選で、大方の予想通り、海江田万里氏が馬淵澄夫氏を破り、初の代表となった。民主党の歴史的大敗で、旧執行部の責任を問う声が強い中で行われた代表戦は「火中の栗を拾う」と海江田氏自らが言い切るほどの低調な戦いで、結局2人しか立候補者が出なかった。参院では民主党が第1党であることを忘れたかのような意気の上がらぬなかでの立て直しができるのか、大勝ムードに酔いしれる自公陣営に対して暴走しないように監視役を務めることができるのか、民主党の責任は重い。
 海江田氏は今回の衆院選で、東京1区の小選挙区では1134票の僅差とはいえ自民党候補者に負けて比例区で復活当選したいわばBクラスの政治家である。政治の世界では衆院選では小選挙区で勝利を得た議員が大きな顔をしているのが当然で、比例区で復活当選した議員はひきめを感じてしまい、遠慮し勝ちなものである、と言われている。しかも前々回の民主党代表選では小沢一郎の支援を受けて立候補し、野田佳彦氏に敗れ、党内では小沢系と見られてきた。そのせいか、小沢氏が離党した後にも主流派からは遠ざけられ、非主流派と見られ、主流派とは距離を置いてきた。
 そうした不利な状況のなかでも、敢然と代表選に立候補してきた意欲はなにがあっても自らの意思を貫く芯の強さをうかがわせる。野田首相を頂点とする旧執行部のほとんどが意気消沈して、とても代表選に立候補するる心境になれなかったことまで読み切れなかったかもしれない。代表選が無投票で決まることだけは避けたい、とした主流派はかろうじて馬淵澄夫氏を擁立するに至ったが、如何せん、民主党全体を包む負け犬根性を払拭するには至らなかった。
 この結果、票数では圧倒的に多いはずの主流派がふたを開けてみれば、海江田氏90票に対し、馬淵氏ははるかに及ばない54票にとどまった。海江田氏は「党を立て直したい。改革の党として鍛え直す」と決意のほどを語ったが、自民党の抑止力として、民主党が再生するのか、保証の限りではない。
 放っておけば、自民党は改憲、原発再稼働、といつか来た道への逆走を始めるのは間違いないところだ。民主党に次ぐ衆院第3の党である日本維新の会はいずれ、自民党と合流して雲散霧消してしまうかもしれない。日本維新の会代表の石原慎太郎前都知事は口では官僚主導を改めると言っているものの、単に国民のご機嫌とりの戦術に過ぎない。自民党は戦後54年間、衆院第1党として政治を支配するとともに官僚とともに日本の政治を堕落させてきた張本人なのであり、その本質は少しも変わっていない。衆院第2党である民主党が自民党の暴走を止めずして、一体どこの党が自民党に正面切って「待った」をかけられようか。海江田代表に課せられた使命は重い。海江田氏は前首相の菅内閣時代に経産相を務め、原発の再稼働をめぐって国会で涙を流して答弁する醜態を演じたことは記憶に新しいが、そうした負のイメージは払拭して、ここは国民のために一層、奮励努力してほしいところだ。
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国民の40%が安倍新政権を支持しない、としているのは問題だ

2012-12-25 | Weblog
 自民党の安倍晋三内閣が26日に発足するが、早くも安倍内閣に暗雲がたれこめようとしている。野党時代に民主党政権を批判して「自民党ならしない」と公言していた竹島問題やTPP問題について民主党と変わらない方針で臨むことが避けられなくなってきたからだ。294議席を獲得して圧勝した自民党ではあるが、一皮むけばあいも変わらない体質であったことがはっきりすれば、国民の間に一挙に失望感が広がり、内閣支持率も一挙に低下していくことだろう。
 自民党政権発足を前に韓国との融和を図ろうということか、かねて来年2月22日を竹島の日として大々的な祝賀会を開こうとの目論見が計画されていたが、あっさりと取り消されてしまった。韓国の大統領選でパククネ政権が発足したばかりで、韓国政府を刺激するのはまずい、との判断が働いたようだが、韓国大統領選のスケジュールは5年ごとに行われることとなっており、スケジュールとしては事前にわかっていた。11月に衆院選の日程が決まった段階から、民主党政権の弱腰な外交を攻め立てて、自民党ならそんなことはしない、と公言していたのにあっさりと旗を降ろすのは単なる選挙対策だった、と言われても仕方がない。
 また、TPP問題は「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対する」として野田政権との違いを明確に謳い、北海道の12の小選挙区で公明党とともにいずれも勝利を収めたが、米国との同盟強化を図るうえで、TPP交渉参加は必ずやくぐらなければならない関門である。農業地域を地盤とする自民党議員はあくまでもTPP交渉参加に反対の姿勢を崩さないといわれており、党内にすくう農協系議員をどう説得していくのか、マスコミに恰好の話題を提供するのは間違いないところだ。
 それに公約違反を問われそうなのが、沖縄普天間の米軍基地の移転問題だ。自民党は前政権時代に辺野古への移転を進めてきたが、民主党政権が華々しく県外への移転を打ち上げて実現できず。結局自滅していったことを考えると、旧来通り辺野古への移転では地元は納得しないことだろう。民主党政権を攻め立てた刃が回り回って自らに突き刺さってくることになる。
 さらには最大の反発を招くこととなりそうなのが、原発問題への自民党の対応である。民主党はじめ他政党が脱原発、卒原発を標榜しているなかで、現実的な対応を打ち出し、脱原発とは決して言わなかったのが自民党だった。民主党政権に対する失望感があまりにも強くて、原発問題が選挙委の争点とはならなかったので、いかにも自民党の原発に対する姿勢が支持されたような印象があるが、決してそうではない。自民党は是々非々でいく、ということなのだろうが、現実に原子力発電所が運転再開されれば国民の反発は大きいものがある、と思われる。今回、棄権した40%強の国民はほとんどが原発の運転再開に対して強い反対の意志を持っている、と見ていいだろう。この春以来の国会前での原発反対のデモを見ても明らかだろう。このデモが衆院選ではしぼんでしまったことが不可解なことであるが、だからといって無視していいことではない。
 最近の世論調査で、安倍新首相を支持するのは60%あったが、「支持しない」が40%弱あったことは意外と注目されていない。政権交代で、マスコミが一斉に安倍総裁を持ち上げるなかで、支持しない層が40%もあるというのはいかに安倍総裁が国民の間に不人気であるかの証拠に他ならない。新政権発足前の世論調査で、支持しない層が40%もあるのはいままでに聞いたことがない。選挙期間中に新幹線のなかで、座席の占拠をめぐって安倍総裁が一市民といざこざを起こした事件がネット世界で話題となっており、安倍総裁の人物の小ささが物笑いの種となっていることとも無関係ではないだろう。
 自民党政権も半年から1年も経てばメッキが剥げてくることだろう。
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古き良き時代の象徴として加山雄三を見ているファンの心理

2012-12-24 | Weblog
 23日は縁あって東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪国際館パミール北辰の間で行われた加山雄三のクリスマスディナーショーに行った。大きな国際会議が行われる広間にぎっしりとテーブル席が埋まり、総勢570人ものお客がつめかけ、ステージも本格的なもので、加山雄三人気のすざまじさを目の当たりにした。少し早めに会場に着いて、チケットを座席券に引き換え、開場までの時間、控室に案内されたが、着飾ってくつろぐ人々を見て、改めて案内状を見るとフォーマルな服装でお出で下さい、となっていた。少し取り込みがあったので、セーターのラフな格好で出かけてしまって、ほぞを噛んだが、いまさらなんともならない。
 軽めのディナーを食べたあとに、ディナーショーが始まった。エレキギターの大きな音響に乗って、会場の後方から歌いながら現れた加山雄三に客席は総立ちに近い歓声で出迎えた。題名のない音楽会でゲストとして出演したのを見たことがあるが、このディナーショーでの客席の歓迎ぶりは全く違うものがある。4万円もの代金を払ってそれこそ全国各地からかけつけるだけあって、相当なファンばかりである。マイクを持って歌う加山雄三に群がって、握手したり、禁止されている写真を撮ったりとファンの熱気はムンムンとさいていた。
 加山雄三は今年75歳になるというが、デビューした50年以上前から映画に出て、若大将として元気さを振りまいてきた。体型こそふとって変わったが、男らしい歌声は少しも変わらない。多くのヒット曲を持ち歌として持っているので、順番に披露するだけで時はすぎていく。エレキギターの音響効果もあって、どの歌も同じように聞こえてくる。加山雄三の歌は元気になる歌なのかも知れない。
 途中で会場のファンとともに「旅人よ」と「サライ」、それに最大のヒット曲である「君といつまでも」を歌って会場内を一周したが、「君といつまでも」では会場のあちこちで「しあわせだなあ……」のくだりのセリフをファンに言わせて、笑いや涙を誘っていた。ここでも握手をしたり、一緒に写真に収まろうとするファンにもみくちゃにされている加山雄三がいた。まさか、と思っていたら、座っている前に来たので、手を差し出して握手した。見かけは若いが、その大きな手はやはり75歳の老人の手であった。会場のファンのなかには奥さんにではなく、加山雄三に向かって「死ぬまでファンであり続けるぞ」と叫ぶ人もいて、ファンというものはこういうものか、と思わせた。いままで数回、クリスマスディナーショーを見てきているが、ここまでファンが熱狂するディナーショーは初めての経験だった。
 テレビなどでAKB48などのコンサートでファンが熱狂しているのを見ているが、まさか加山雄三のショーでも同じようなファンの熱狂さが見られるとは思いもしなかった。永遠の若大将というイメージがあって、そのイメージに酔いしれるのだろう。実際、目の前の加山雄三を見ていると、50年前の加山雄三とそんなに変わらない感じがしてくる。古き良き時代を思い出す象徴として加山雄三を見ているのかもしれない、と思った。
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読むのに難儀したひとりよがりの傾向が強い高村薫の「冷血」

2012-12-23 | Weblog
 高村薫の新作「事件」を読んだ。毎日新聞の連載されたもので、掲載当時は読まなかったが、高村薫は直木賞作の「マークスの山」を読んで以来、重厚な警察の捜査を扱った作風を持っており、おもしろい作家として注目し、ほとんどの」作品は読んできている。今回も発売後すぐに飛びついて購入し、一読したものの、どこに核心があるのかわからないままに読み進み、正直いって読むのに難儀した作品であった。どうやら高村薫はいよいよ独自の境地に達しているようで、ひとりよがりの傾向がますます強まっているようだ。
 「事件」は2000暮れに起きた東京・世田谷の一家四人殺害事件をモデルにしたようで、被害に遭う一家の長女が事件の起きる4日前の朝に目覚めたシーンから始まる。幸せを絵に描いたような歯医者の一家が休みを取ってディズニーシーに遊びに行く計画の前夜に何者かに侵入され、惨殺されてしまう。賊の2人はネットで知り合った2人で、ATM強盗をしながら、たまたま以前に付き合っていた女性がかかった歯医者があるのを思い出し、下見に行ったところ、休みをとることを知って、いないと思って盗み目的で忍び込んだ。
 ところが、出かけるのはその朝で、賊の侵入に気がついた主人が点検に現れたところを鉄製の工具根切りで殴打して殺してしまう。続いて現れた主婦も同じような手口で殺し、2階で寝ていた子供2人も惨殺してしまい、主婦からキャッシュカードの暗証番号を聞き出していたので、盗んだキャッシュカードをもとに1200万円を引き出し、逃亡生活を続けているうちに賊のうちの1人が歯痛持ちで逃亡先で歯医者にかかったところで、あっけなく逮捕されてしまう。もう一人の賊も千葉県内のパチンコ店で発見され、難なく逮捕される。
 賊の1人は歯痛持ち、もう1人は躁鬱病でいずれも自動車窃盗の容疑で逮捕したので、逮捕後の自白までどう持っていくのかと興味を抱いたが、あっさりと自白し、後半の下巻は自白後の2人と刑事とのやりとりに終始し、小説としての面白さは半減した。残忍な犯罪を犯したその背景となる生い立ちを犯人の幼少時からさかのぼって分析していくが、躁鬱病の犯人が幼少時にキャベツ畑のキャベツを鍬で叩きつぶす感触と歯医者夫婦の頭を根切りで叩きつぶす感触が似ていて快感を覚えたというところはちょっとついていけない感じがした。それと裁判開始前に刑事が犯人2人と手紙のやりとりをすることなども現実味の薄い感じがした。事件が終わってからもは犯人とそこまで交流する暇などあるはずがない、と思った。
 作者高村薫は米国のトルーマン・カポーティの「冷血」を範にとったのか、それとも事件発生後12年経っても解決をみない世田谷一家殺人事件に光をあてたかったのか、よくわからないが、小説としては必ずしも成功とはいえない感想を持った。なによりも高村薫がこの小説で何を言いたかったのか、わからないのだ。今後はいままでのように高村薫だからといって買わないようになることだけは間違いない。
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世界終末を予言したマヤ暦を楽しめるのは世界が平和である証拠

2012-12-22 | Weblog
 21日はマヤ文明が世界終末の日と定めた日で、朝からテレビは面白おかしく報じていた。21日といっても早く始まる日本からみれば22日の夜にならないとその日が終わらない太平洋の島々まで世界は広いのだが、テレビはそんなことはお構いなく、いまにも世界は消滅するといわんばかりの感じ。マヤ文明といえば、この春から夏にかけての世界一周クルーズでグアテマラに寄港した際に聖地を訪れ、2日かけて探索してきただけに単に風評とはかたずけられないものがある。
 マヤ文明はいまのメキシコとグアテマラの山間部に栄えた古代文明で、世界一周で訪れた聖地はグアテマラのプエルトケツアルから飛行機で2時間くらい北へ向かったメキシコとの国境近くのティカルというところだった。森林のなかの国立公園のなかにあり、銃を持った守衛が警備する門をくぐって入り、ホテルのレストランで昼食を摂ったうえで、徒歩で遺跡のある一角に向かった。公園のなかは住居らしきものもあり、人が住んでいる気配はあるものの、外から入ってくる観光客はあらかじめ申請された人だけで、だれもがぶらりと訪れるようにはなっていないだけに貴重な古代文明に触れる思いがした。
 いまでもグアテマラ政府が世界各国からの寄付金を募って、学術調査を兼ねた発掘作業を進めており、全容は毎年変わってくる、という。年に訪れる観光客はたかだか10万人というから、いまだに知られざる聖地といってもいいだろう。マヤ文明は5215年の歴史を持つといわれているが、1300年前にティカルの人口は7万人で、当時の世界でも有数の都市だった、という。巨大な石を積み上げた神殿は厳かな雰囲気を漂わせていて、頂上近くの石段から眺めたティカルの森の眺めは絶好だった。
 ホテルのみやげ物店で、マヤ文明の暦を描いた陶製の皿や皮製の飾りなどを売っていて、一緒に行ったツアー客がその意義を貴重なものである、と説明していた。その時は飾りのカレンダーを買ってきたが、世界終末の日が今年にある、とは聞いてなかった。
 そんな思いをしただけに2012年12月21日がマヤ暦の終末の日である、と聞いて妙な親近感が湧いてきた。しかもこの12月21日は期せずして、小生の誕生日でもあったので、余計に感慨深いものがあった。
 テレビではマヤ暦では仏ビュガラッシュ村が世界で唯一生き残る場所として予言されていて、大勢の観光客が詰めかけている、とも報じていた。メキシコのユカタン半島にはいつもの2倍の観光客が訪れている、とも報じていた。
 そんななかで中国では世界終末の噂を流したとして、1300人以上もの宗教組織が当局に拘束された、というから理解しがたい輩のいる不可解な国である。一方、ロシアのプーチン大統領は「45億年後に世界は滅びる」と語ったというし、メキシコ政府は「新たな暦が始まるだけ」としている、というから、やはりおとぎ話だった、ということになる。それだけ世界は平和である、という証拠なのだろう。
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