鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

国会喚問

2005-11-30 | Weblog
 耐震データ偽造問題の関係者6人が昨日、国会衆議院国土交通委員会に参考人として呼ばれ、替わる替わる質問を受け、回答のお立ち台に立った。3時間強のテレビ中継を見たが、いくつかの新しい事実が露見したものの、正直がっかりした。問題のありかと今後の方向が見えなかったからだ。特に、冒頭、質問に立った自民党新潟1区選出の吉田六左エ門議員は早稲田大学理工学部建築学科を卒業して、一級建築士の資格を持っている、と切り出したので、さぞかしと期待したら、何のことはない、そこらのおっさん程度の質問で、自民党衆議院議員のレベルはこんなものか、と天下に恥をさらした。おかげで、緊張しっぱなしだったヒューザーの小嶋進社長らに妙な安心感を与えてしまった。
 続いて質問に立った民社党の長妻昭議員以下が多少、切り込んでいったから、事件の発覚の経過や、国土交通省への事前通告無視、リベート、鉄筋量の削減指示などの問題点が明るみに出て、それなりの成果は得られた。
 お立ち台に立った6人とも冒頭の吉田議員のファジイな質問で落ち着いたのか、国会の委員会に質疑に呼ばれたにもかかわらず、言うべきことを言って、責任は他にある、との論調に終始した。肝心の姉歯秀次一級建築士が「恐怖感で外出できない」との信じられない理由で欠席したため、画竜点晴を欠くことになった。恐怖感があるのなら、ガードマンの護衛付きで呼んでくればいいのに、と思うのだが、国会はそんなことも考えられない硬直的なところなのだろうか。
 この耐震データ偽造問題の根は深い。すでに自殺者も出ているが、政官界に波状的に広がっていくことだろう。伊藤公介元防衛庁長官がヒューザーの小嶋社長を国土建設省に連れて行き、半ば圧力をかけたことも報じられている。昨日の日刊ゲンダイには小嶋社長と小泉首相との交遊も見出しに出ていた。全国に20万社あるといわれる土建業界、全人口の10%は土建関係ともいわれているだけに今後、関係者はどんどん広がっていくことだろう。いま緊急の環境とセキュリティに関わることだけにここは本当に仕事をして、ソリューションを見い出し、解決に導いてくれる”スーパーマン”の登場に期待したい。
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仲代達矢

2005-11-29 | Weblog
 俳優、仲代達矢の生い立ちが日本経済新聞最終面の「私の履歴書」に今月初めから掲載されている。冒頭は亡き妻、宮崎恭子さんへの追悼から始まり、延々とそれが続き、他の人の「私の履歴書」とはちょっと趣きが違うな、と思って毎日読み進んできた。普通は1回目、もしくは2回目から生まれた生い立ちが出てくる。ところが半月過ぎ、もう終わりにさしかかった25日頃からやっと生い立ち扁が始まった。昭和8年生まれで、戦中戦後は母子生活を強いられ、食うや食わずの文字通りの貧困生活。空襲時には防空壕にも入れてもらえないとか、母親が愛人さながらの生活をした、と凄まじい境遇が赤裸々に綴っており、生い立ちを後半にもってこざるを得なかった理由がわかった。
 「私の履歴書」は大体は日経の記者が取材して、1カ月分の原稿を書き、本人に目を通してもらって掲載する。順番についても記者と本人の話し合いで決める。この生い立ちでは多分、本人は登場するのをかなり渋った、もしくは掲載にあたっては生い立ち扁のところを省略か、カットすることを条件にしたのではないか、と想像される。で、異例の構成となったのだろう。最初に生い立ちが出てきたのでは読者はもう読む気がなくなってしまいかねない、との判断が働いたのだろう。1カ月間のどこにヤマをもってくるか、は編集者の腕の見せ所だからだ。
 仲代達矢は文化勲章ころもらってないが、いまや演劇界の重鎮。五味川純平の「人間の条件」や黒澤明の「用心棒」などの映画や演劇でも「ハムレット」、「いのちぼうにふろう物語」など印象に残る数々の作品に主演いているのは有名だ。あの渋い声とどこか陰のある演技力は他の追随を許さない。
 三島由紀夫の「金閣寺」に主演の寺僧(市川雷蔵)にからむ片足びっこの若者を仲代達矢が演じていたが、まるで地獄の底からきたような不気味な味は生い立ちに秘密があったのだ、とよくわかった。よくスポーツ界と芸能界は生まれや育ちの関係ないところで、本人に実力次第といわれるが、演技力の底にあるものは本人の努力を越えたものだろう。それこそ、犯罪への道と隣り合わせともいえる。
 それが、大学教授の娘さんと知り合って結婚したことから大俳優への道が開けたわけで、これは運としかいえないのだろうか。才能は至るところに転がっているのかもしれない。仲代達矢は幸い「無名塾」なるものを主宰し、若手の舞台俳優の育成に力を入れている。そこで、才能を大いに見いだし、世に送り出してもらいたいものだ。
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イ ヨンエ

2005-11-28 | Weblog
 イ・ヨンエ主演の「親切なクムジャさん」を観賞した。海外の映画祭で賞を獲得したとかで、注目してのことだったが、はっきり言って、少々がっかりした。復讐劇でもそこまで残酷に描かなくてもいいのでは、というのが正直な感想。
 公開前の日本の専門家筋の評価もあまり高くはなく、入りもベストテンに入っていない。それでも主演のイ ヨンエ人気からか、東京・渋谷の某映画館の200人の会場がほぼ満員だった。言わずとしれたイ ヨンエはあの人気テレビドラマ「チャングムの誓い」の主演女優。韓国で最高58%もの高視聴率をとり、日本のNHK衛星テレビで放送した時にも結構評判となった。この秋、毎週木曜日夜11時からの再放送には毎回見て、十分に楽しませてもらった。物語が宮廷の女官の権力争いで、日本の徳川時代の大奥を連想させるのとなによりも主演のイ ヨンエの清純な風貌が人気を呼んだ、のだと思う。それだけに「親切なクムジャさん」はイ ヨンエ主演の映画とあってそれなりの人を集めたのだろう。
 でも清純なイメージを壊すような残酷さにはとてもついていけない。筋としても刑事が立ち会って私刑(リンチ)するようなのはちょっとどうかと思うし、映画技術としても一世代送れているような描写が多々見られた。はっきり言って、失敗作だろう。
 主演のイヨンエはかつて韓国のテレビCMで爽やかな少女で出演し、「酸素のような少女」と評された、という。日本でいえば、吉永小百合のような存在かもしれない。吉永小百合はいまや日本で過去最大級の女優への道を歩んでいる。他の女優陣が束になっても敵わない位置になりかかっている。60歳を超えて、画面に出てくるだけで華となる、あの存在感はなんともいえない。「キューポラのある街」から「北の零年」に至る主演映画の一歩一歩が今日の吉永小百合を形成したのだろう。日本映画史上。不世出の女優であるのは間違いないだろう。
 その吉永小百合に韓国で同じような存在にイ ヨンエがなるのかどうかはわからない.鈍想愚感子には演技力を図る物差しがある。俳優がイメージ通りの役しか出来なければ大根役者だ、というのである。今回の「親切なクムジャさん」でイ ヨンエが演じた主役はやはりイメージ通りの演技を出るものではないだろう。韓国映画界にイ ヨンエを史上言うに残る俳優に育てよう、との意欲と力があるのかはやや疑問だし、イ ヨンエにそうなる潜在性があるか、どうかだ。「親切なクムジャさん」を観る限り、難しい、と言わざるを得ない。
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大相撲

2005-11-27 | Weblog
 大相撲九州場所が千秋楽を待たずして、朝青龍の優勝、かつ前人未踏の7連覇、年6場所制覇、それに年間83勝の新記録も達成する快挙を成し遂げた。勝ち名乗りを受けた時に朝青龍は感極まって思わず泣いてしまった珍しい光景もあった。朝青龍にとっては極めて喜ばしいことだが、日本相撲協会にとっては衰退への弔鐘となっているのは間違いない。それは、NHKテレビの大相撲中継の画面を見ていればよくわかる。あれだけの快挙を遂げたのに観客の入りはいまひとつ、このところ満員御礼の垂れ幕が下がっているのをみたことがない。土俵を少し遠ざかって俯瞰するアングルになると、だれもいない観客席が見え、見ている方がうすら寒くなる。人っ気のない桟敷席は相撲人気がどんどん下がっているのを如実に物語っている。
 朝青龍だけが強過ぎて、他の特に日本人力士がだらしないことにその最大の原因がある。二番手も欧州ブルガリア出身の琴欧州ではふがいない。なぜこんなことになってしまったのか。日本人のなかにハングリー精神が失われてしまったこと、ろくに新人の発掘をしてこなかったこと、それに人間のできていないあの若貴兄弟の人気におぶさって本来すべきことをしてこなかった日本相撲協会の怠慢も責めを負わなければならない。
 大相撲の興行形態がどうなっているか知らない。買い切り制で入場料収入の多寡は主催者の責任にでもなっていれば当面入りの悪さは協会の台所には響かないかもしれないが、いずれ契約は改められ、響くようになるだろう。
 プロ野球でも定員3万人の広島球場を満員にするのは赤ヘル全盛の時でも至難の業であった。福岡を東京、大阪、名古屋と同じように動員するのは無理があるのではなかろうか。それと、興業の形も1日1回相撲をとる今の形でいいのか、検討してもいいのではないか。すでにトーナメント相撲も一部取り入れられているが、それ以外にもと本場所で観客が楽しめるプログラムを用意するとか、いろいろ手はある、と思う。
 そうすれば、かつて新人応募ゼロのようなことはことはなくなるだろう。年間の売上高が確か60億円程度の中堅企業とすれば、収益向上のために知恵を絞り、顧客を満足させるようなことをすべきだろう。400年の伝統に胡座をかいている時代はもう終わったのだ。日本相撲協会も自己革新をすべきだろう。
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富士通

2005-11-26 | Weblog
 富士通が今月初めの東証・名証のシステム障害の責任をとって、黒川博昭社長の6カ月間の50%減俸処分等を発表した。社会的に大きな影響を与えたため、異例の処分となった、という。確かに半日、証券取引所の取引が止まり、世界的にも多大な迷惑をかけたことはわかるが、当事者の東証の鶴島琢夫社長と同じ6カ月間50%減俸と右へならえとし、なおかつ公表するのはわからない。
 迷惑をかけたのは東証であって、システムを構築した富士通は東証に謝る責任はあるが、少なくとも世間に対して謝る必要はないのではないだろうか。報酬カットの金額が大きくて企業収益に大きな影響を与える、というのならわかるが、そうでもなさそう。
 一般的に言って、システムを発注し、納品を終えて、稼動させたら、もうシステム構築会社の責任はない。納品の際にきちんとチェックをして、万全な状態で引渡しをすべきだろう。普通の製品だったらそうだろう。ところが、コンピュータシステムの場合、ハードウェアはともかく、目に見えないソフトウェアがあるので厄介だ。ブラックボックスともいわれる所以でもある。ソフトウェアはもちろん目には見えないし、説明を受けただけでも分からない。ベンチマークテストというが、動かしてみて確かめるしかない。大規模なシステムを導入するような企業はそうしたブラックボックスの中身まで理解できるような人員を内部に抱えている。東証がそこまでをメーカー任せにしているとしたら、問題だ。日本の企業のなかには経費削減のねらいもあって、アウトソーシングと称して、情報システムの一切合切を外部のメーカーに任せてしまうところが、出ている。でもセキュリティの面からも肝心のところは自社でわかるようにしておくことが必要だ。
 今回の場合、おそらく東証のシステムはほぼ全面的に富士通が面倒を見ていたのだろう。富士通とすれば、コンピュータシステム停止の責任は東証と同じくらいある、と思っているのだろう。そうすると、今回の異例の処分も公表も理解できる。
 それにつけても、こうした不祥事企業の役員の報酬カットの発表があるたびに思うことがある。その分経費が下がり、利益を出している企業なら、利益が積み増しされることになり、なおかつカット分の半分は税金にもっていかれる。国の税収難の時代、それもいいかもしれないが、釈然としない。いっそ、カット分をどこか資金に困っている慈善団体等へ寄付することをあわせて発表でもすればす、よほどすっきりするのだが……。
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香港ディズニーランド

2005-11-25 | Weblog
 香港ディズニーランドが9月12日に開園して以来今月23日まで100日にして入園者100万人(1日平均1万人)を突破した。入園者の内訳は香港住民が約半分、残り半分が中国本土から、という。日本のディズニーランドが年間2500万人、1日平均7万人弱と言われているのと比べると極めて低調だ。入園料が高すぎるのかもしれないが当初目標としていた年間560万人の入園者数にはとても届かない。
 香港のディズニーランドへ行ってないので、よくわからないが、香港・中国の人民感情のなかに米国文化に対する反感みたいなものがあって、それが動員を妨げているのではないだろうか。
 日本のディズニーランドが開園した時に行って驚いたのはお客様を楽しませるエンターティンメントを飽くことなきまで追求するその姿勢と、蓄積されたソフトウェアに驚いたことがある。それまでの日本の娯楽産業が成し遂げられなかったサービス精神、それは園内をくまなく掃除して回る確かカスティーヨとか言ったサービスマン、園内のあちこちで働く従業員のすべてが笑顔とサービスを振りまき、お客
は最高の顧客満足度を得られる。おかげで1983年4月開園以来、入園者はほぼ一貫して増え続けており、人気はいまも衰えていない。日本各地にレジャー施設が造られるきっかけとなったが、その後追いついてきたレジャー施設はない。
 香港ディズニーランドが不振の理由は文化の相容れないことと、中国人と日本人の米国文化への親和性の差、さらにはきめ細かい日本人の思いやりが中国人には真似できないのではなかろうか。
 米国本土のディズニーランドが日本のとどう違うのかはよく知らないが、ひょっとすると、日本のディズニーランドは本場にないきめ細かいサービスをしていて、日本独自の展開をしていて、それが成功に導いているような気がしてならない。中国人に同じようなことをさせようとしても、中華思想というか自尊心が邪魔してできないのではなかろうか。
 かつて香港に旅行してある中華料理店へ行き、いざテーブルに座って、食事をしている時に隣のテーブルが空いて、店員が片づけているのを見ていたら、テーブルクロスをそのまま端からまくって、テーブルの上の食器、残りの料理をそのままガチャガチャいわせて包みこんで、丸めて持っていってしまったのを見てびっくりしたことがある。本場の中華料理屋はこんな荒っぽいものなのか、と強く印象に残った。たまたま、入った中華料理屋でけのことかもしれないが、中国人の性癖の一端を物語ってはいないだろうか。
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横田めぐみさん

2005-11-24 | Weblog
 東京・有楽町のマリオンで18日から23日まで開催されていた「横田滋写真展」に行った。会場が狭いせいか、入口で列を作って並び、観覧するまで20分くらい待った。受け付け周辺には国会議員の花輪がものものしく並び、朝日新聞らしき報道カメラマンが待機する、並みの写真展とは違う雰囲気。なかに入って、70点くらいの横田めぐみさんの写真を見ていると、彼女の悲運さが伝わってきて、胸にぐっとくるものがある。生きているのか、死んでいるのかわからない状況のなかで、拉致前の幸せな家族とのひとときを映し出している写真を前にすると、誰しも「なんとかならないか」とのやりきれない思いに満たされてくる。
 会場に行く前は募金でもしようかな、と思っていたが、主催のあさがおの会は募金は受けない、と貼り紙をしていた(24日の新聞記事によると受け付けていて、総額620万円も集まったというから驚きだ)ので、代わりに署名だけをして帰ってきた。たまたま、行った時間には横田滋、早紀江ご夫妻の姿は見かけなかった。展示されていた写真をみると、お二人とも若い時は髪も黒々としていたのは当たり前だが、それだけご苦労されているのだろう。
 6日間で1万9千人の来場者があったという。わずか100平方㍍程度の会場に1日3千人の人がつめかける、というのは驚異的な数字、動員力だ。産業展示会で1日3000人の来場者を集めるのはよほど強力なプロモーションを展開しない、といかない。拉致問題の象徴的存在ともいえる横田めぐみさんだからこれだけの人が集まったのだろう。
 以前に拉致を英語で何というのか調べた際、和英辞典にはその表現は載ってなくて、forced to take awayとでも訳すのかな、と思ったことがある。和製英語として、そのまま「rachi」とでも英語の辞典に載るようになるのかもしれない。北朝鮮の国際社会における非人道性を的確に表す言葉としてぜひアピールしたいものだ。
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耐震データ偽造事件

2005-11-23 | Weblog
 姉歯なる変わった名前の建築設計事務所がが関わった全国17棟の建造物が震度5程度の地震で倒壊する恐れがあり、関係した売主、建設会社、設計事務所、建設許可した役所間で責任、賠償問題が発生している。購入者なり、居住者なりは建造物の写真なり資料、あるいは実地に見てもまず建物の耐震構造に目のいく人はまずいない。売主や建設会社の社名、過去の建造実績等を見て、信用するしかない。契約書を見ても、そこまでチェックする人はいないだろう。だから、ユーザー側に責任を帰することはできないだろう。しかも事は人命にかかる事柄だけに早急に対応策を講じなければならない。このところ、世界各地で大地震が多発している時だけに明日起きないとも限らないからだ。この問題がなんとか大事に至らずに決着することと、今後こうしたことが起きないような対策が立てられることを切に望みたい。
 で、ずっと気になっているのは今回の問題がどういう経緯で発覚したのか、という点だ。誰か、市民オンブスマンの投書でもあったのだろうか。昔から大地震の時の報道写真を見ていて、あるビルが跡形もなく崩れさっている一方で、その隣にはなんともなくて健在なビルがあり、どうして特定のビルだけが倒れるのだろう、と感じたことが度々ある。阪神淡路大地震の時もそうだった。広島の原爆投下後の広島中心部の航空写真を原爆記念館で見た時に、焼け野原のなかにポツンと日銀広島支店のビルだけが何事もなく建っているの写っているのを見てびっくりしたことがあつ。あとで聴いたら、日銀は金庫があるので他のビルより耐震耐火で頑丈につくってあるのだ、tぽいう。単に建造年数の差だけでないものがあるのだろう。
 いまの世の中、セキュリティと環境が2大キーワードとなっている。しかも地震には過敏とも思える反応を示している。自分の住んでいるマンションなり、建物がどのくらいの耐震構造をもっているのか、知っているのが常識となり、耐震データの基準値なるものを絶えずチェックすることがこれから流行ることだろう。
 その場合、官と民の間の境界をどこに引くのかが悩ましい問題として浮上することだろう。今回も官公庁が建築許可を与えるのに耐震構造をチェックする業務を民間に委託しており、どこまで官の責任を問えるか、微妙な問題も発生している。まして、いま全体としては官から民へ業務が移管されつつある。そうなると、最後はファジイな小泉流の丸投げ決着か。それだけはやめてもらいたい・
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本田美奈子

2005-11-22 | Weblog
 本田美奈子が亡くなって約2週間経つ。テレビのワイドショーで大々的に取り上げられ、偉大な歌手がなくなったものだ、と視聴者に思わせた。確かアイドル歌手で売り出し、その後ミュージカルの主役のオーデションに応募し、数千人のなかから見事、栄冠を勝ち得た。そして、これからはクラシックに挑戦しよう、という矢先に白血病に罹ってしまい、帰らぬ人となってしまった。御年38歳、まだまだこれからの人であった。若すぎる死に周囲の人の涙を誘った。
 毎週日曜日朝の「題名のない音楽会」に出演したのを見たことがあり、クラシックを細い身体にもかかわらず、見事な声量で歌い終え、どこにそんなパワーがあるのか、と驚嘆した。
 白血病は血液にガン細胞が入り、ガン細胞が繁殖した結果であり、ガンそのものは過労、ストレスなど心身に過大な負担を与えると、普通の細胞がガン細胞に負けてしまう、という見解をもっている。これからいくと、半田美奈子は歌、舞台に挑戦するなかで、知らず知らず自らの心身に過大な負荷をかけていたのだろう。いまは黙して合掌するのみで、有能な人材を早く天に召してしまう。神様を恨むしかない。
 ところで、ワイドショーなどで本田美奈子の歌声が流れるにつれ、レコード店などで追悼のセールが大々的に行われるのではないか、と期待した。ところが、2週間経っても店頭では一向にセールの感じが出てこない。中島みゆきの新曲より、地味な扱いで店頭の一角に「アメージング グレース」が数枚固めて置いてあるだけ。店頭でのPOPはもちろん、お店の店長等が決めることだが、本田美奈子はそんなには売れない、とでも判断しているのだろうか。歌のことはよくわからないが、本田美奈子の歌唱力等を一体、どう判定しているのだろうか。そういった格付けもたいなものとは関係なく、単に売れるか、売れないか、で判断されているのだろう。
 とすると、本田美奈子は二流の歌手で、若死したことで1.5流程度の歌手になったということになる。テレビのワイドショーが騒ぎ過ぎたのかしら。
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せんべい怖い

2005-11-21 | Weblog
 一昨日の昼前にせんべいを饅頭代わりに抹茶を飲んだら、急にお腹が痛み出した。さすったり、暖めたりしたが、よくはならず、そのまま予約していたオペラ落語なるものを東京・世田谷に聞きに行った。日本広しといえど、オペラ落語を演ずるのはウーロン亭ちゃ太郎なる落語家ただ1人、オペラの歴史を頭に振り、前半で古典オペラ、ピグマリオンと「オルフェとエウリディーチェ」、後半には「天国と地獄」を落語調に演じきった。下手なオペレ歌手顔負けのテノール、ソプラノをまじえ、実にわかり易かった。ちゃ太郎なる人はあとで調べてびっくり。年令50歳で、これから売り出すにはやや年を取りすぎていることが判明した。もともと音楽が好きで東京芸大を受験したほどで、その後落語界に入ったようだ。来年から30年間の充電に入る、というから惜しい。
 面白く聞いているうちにお腹の痛さも忘れていたが、終わったらまだなんとなく重い。家に帰って、軽めの夕食を摂り。早めに就寝。
 翌日曜日もお腹の調子は今ひとつのまま、予約していた国立オペラ劇場へ行き、本場イタリアの「アンドレア・シェニエ」を観賞した。昨日の翌日でオペラ続きちとなったが、今回のオペラは比較的わかり易く、主役のテノール、ソプラノ歌手の声の通りもよく、満足した。考えてみると、アンドレア・シェニエとは主人公の名前で、そのまま題名としてなんら違和感がない。歌舞伎で例えば「源義経」なる演目があるようなものなのか。歴史物ならすんなり理解できるが、現代オペラで「佐藤一郎」ではピタリとこない。カタカナだとすっといくものなのだろうか。
 終わった途端、軽い頭痛が襲ってきて、これも昨日食べたせんべいのせいのようで、せんべいに対する恨みは骨髄まで達した。あまりよく知らないが、抹茶とせんべいは食い合わせがよくないことでもあるのだろうか。
 かみさんに聞いたら、たまたま買った梅あられにサービスとしてつけてくれた固焼きせんべいで、塗った醤油にまずい菌でもついていたのだろうか。いつもは健常なかみさんまで同じ症状を呈したのはそう思うしかない。夜に正露丸を服用したところ、ようやくに快方に向かった。
 ただ、年を取り、食べ物に対する消化力が落ちただけのことなのか、饅頭怖いならぬせんべい怖い、の落語みたいな週末であった。
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