鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

宗教と科学をもじったのか、映画「天使と悪魔」

2009-05-31 | Weblog
 30日は東京・渋谷へ映画「天使と悪魔」を見に行った。大々的な宣伝で公開3日間で53万人を動員し、興業収入7億円をあげた威力は公開2週間経っても衰えておらず、前作の「ダビンチコード」ほどではないもののほぼ満員だった。舞台はイタリア・ローマのヴァチカン市国で、数年前に行ったことのあるヴァチカン前の広場で、前作同様トム・ハンクス扮する米国人のラングドン教授が殺人の謎解きに挑戦する物語で、面白いことは面白いのだが、キリスト教の中身を知らない者にとっては謎解きがよくわからないうらみが残った。
 「天使と悪魔」はローマ法王が死去して、後任の法王を専任するコンクラーベなるものが開かれようとしている最中、ローマで核実験を思わせるような大規模な原子発生装置を使った実験が行われ、反物質なるものが生成される過程で、手違いが生じ、反物質が何者かに盗まれてしまう。さらに新しい法王を選出するため集まった世界の枢機卿のなかから4人が誘拐され、反物質が爆発する期限までに順次殺す、という脅迫状がヴァチカン市警に届く。
 早速、米国にいるラングドン教授に捜査協力の依頼が届き、教授は反物質の実験に携わったイタリア人女性科学者ヴィトリア・ヴェトラ教授と犯人から届いた脅迫状の謎解きに挑戦する。ローマ市内にあるカソリックの教会に囚われた4人の枢機卿がいることを突き止め、ヴァチカンのなかにある資料保管所に入ることを要請するが、法王の秘書である若い司祭は定めを盾に許してくれようとはしない。ラングドン教授はこれまで研究のために資料保管所に入ることを7回も要請していたのに1回も許可されなかった。
 それでも例外的に入所を許され、ガリレオの文書から囚われた枢機卿の場所を突き止めるが、すでに1人は殺されていた。次いで2人目の枢機卿も火あぶりの刑に処せられ、順番に殺されていった。このあたりの謎解きの内容はテンポが早いのとキリスト教の教義がわからないので、チンプンカンプンで、ただ教会のなかで殺人事件が起きているな、という程度の感じだった。
 途中、再度ヴァチカンの資料保管所に入ったラングドン教授が停電のため酸欠になり、死にそうになったり、死んだ法王が実は毒殺であったことが判明し、4人の枢機卿を殺したのが若い殺し屋だったことが判明するが、殺し屋も車で逃げるところで爆殺されてしまう。
 この間、コンクラーベは続けられるが、誘拐された枢機卿が戻るまで票決には至らない。ヴァチカン市警の部長は若い司祭が怪しいとみて、問い詰めるが、司祭が殺されると思ったラングドン教授が部屋に踏み込んできて、急場を救われる。その司祭が反物質の処理を自らヘリコプターを操縦して上空で爆破されて難を逃れ、ローマ市街の破壊をタッチの差で免れる。
 コンクラーベでは命を賭けてローマを救った若い司祭に法王を選出しよう、との機運が盛り上がる。ところが、ヴァチカン市警の部長が持っていたカギで法王の部屋で録画されていたビデオテープを再生したら、4人の枢機卿を殺害した犯人は当の若い司祭であることが判明し、司祭の立場は英雄から殺人犯に一転し、追求されて焼死してしまう。
 そして新しい法王も決まり、ラングドン教授は念願のガリレオの文書を手にしてハッピーエンドとなる。
 キリスト教の教義をよく知る人には中身もわかって面白いのだろうが、知らない者にとってはただローマの教会に観光めぐりのようなミステリー映画であった。普段見られないヴァチカン内部を撮影しているところも興味はあったが、日本のテレビでよく京都が取り上げられるのと同じセンスなのだろう。なにか奥がありそうな雰囲気が舞台をヴァチカンなり、京都に設定するだけで出てくるというのだろう。
 あと、ヴァチカンと反物質の実験との関連が最後までよく理解できなかった。宗教と科学は天使と悪魔をもじっていたのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

09年5月30日は日本経済新聞が岐路に立った日

2009-05-30 | Weblog
 30日付けの日本経済新聞朝刊を見て驚いた。31面から35面まで「Uー29(29歳以下)」として特集を組んでいるが、そのうち3面にわたって劇画を掲載していたからだ。数日前に新しい「Uー29」面が始まるとは告知され、そのなかで劇画が掲載されるとは知っていたが、ここまで派手に扱うとは予想していなかった。日本経済新聞がかつて社会面に4コマ漫画を掲載していたことがあると思うが、最近は漫画を載せていなかったのに、突然、紙面いっぱいに劇画を掲載するとは思いきったというか、経営陣のセンスが狂ったとしか言いようのない”英断”である。いかに広告のつかない土曜日の紙面とはいえ、自ら紙面を汚す振る舞いではなかろうか。
 掲載された劇画は「子連れ狼」で知られる小池一夫の新作「結い親鸞」と題する親鸞上人を主題としたもので、源義経が奥州・平泉で頼朝軍の攻撃で最後の時を迎え、武蔵坊弁慶が敵軍に囲まれ、義経の遺髪を13歳の童子、範宴(のちの親鸞)に託し、比叡山で弔うことを依頼するところから物語は始まる。いままでにないストーリーで面白そうではあるが、これが半年、もしくは1年も続くのか、と思うと疑問が残る。15段の新聞紙面いっぱいに劇画が掲載され、登場人物のセリフも大きな文字で載っているのは迫力あるが、果たして新聞の1面すべてを使って掲載するものであろうか、と思った。
 「Uー29」は29歳以下の男女を対象にした紙面ということで、31面では「あなたも私も『贈りびと』」と題し、若者のプレゼントの実態を、35面では「百貨店閉店 なんで大騒ぎに」と百貨店の凋落の歴史と動静を取り上げ、若い読者層に読んでもらおう、との姿勢を打ち出してはいるが、メインが劇画ではねらい通りいくのか心もとない。
 確かに最近の祝日の新聞紙面は魅力がなく、広告もつかなくなっている。どうせ広告がつかないのなら、新しい読者層の開拓に向けて、大胆な紙面づくりをしよう、ということで始めたのだろう。特に日本経済新聞の主要な読者層は50代後半から60代に移り、団塊の世代が定年に入るに従い、部数が減少していくのは明らかである。
 だからといっていきなり劇画にいってしまうのは飛躍しすぎではなかろうか。日本経済新聞では電子新聞なるものの開発を進めており、インターネットで新聞を売ることを考えている。その場合、ターゲットは若い20代、30代に当てられるのは当然のことだろう。だから、ここで、一挙に20代の心をとらえよう、ということにでもなったのかも知れない。
 ただ、冷静に考えれば、日本経済新聞が歩んできた道はビジネスに関連した情報、つまり「BtoB」情報に特化していたことが強みとなってきた。それをインターネットによる電子新聞を出すからといって一般消費者向けの「BtoC」情報にもマーケットを広げよう、としても却って持ち味を失くす方向に進んでいくことにならないだろうか。インターネットに深入りすればするほど「BtoC」マーケットに突っ込んでいくことになることを知らないのだろうか。
 小池一夫はその世界でトップの能力を持った人で、劇画そのものの社会に果たす役割りは相当なものがあるのはわかる。が、劇画はだれが見ても「BtoC」に属する情報である。そんな「BtoC」志向の新聞には企業はますます広告を出そうとはしなくなることだろう。しかも新聞に掲載した劇画を子会社の日本経済出版社から出版することにでもなると、子会社の持ち味すら危うくなってくる。
 どう考えても日本経済新聞社の幹部がビジネスの基本を取り違えている、としか思えない。09年5月30日が日本経済新聞が岐路に立った日と思えてならない。

追記 注目の「結い親鸞」の第2回目にあたる6月6日は「作者小池一夫の都合により」とわけのわからない理由で休載となってしまった。週刊文春6月11日号に「小池一夫は小室哲哉と同じようにすべての著作権を第3者に譲り渡しているが、今回はそこを通さずに連載を始めてしまい、もめている」との記事が載った。真相がわからないが、評判がよくなかったのも事実だろう。日経では休載の期間を当面としているが、実際はとりやめということだろう。あれだけ大々的にスタートしたのがわずか1回でとりやめとは前代未聞のことである。やはり、日経のなにかが狂っている、としか思えない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまたNHKらしからぬ「ソクラテスの人事」は抜群に面白い

2009-05-29 | Weblog
 NHKテレビが毎週木曜日の午後10時から放送している「ソクラテスの人事」が面白い。芸能人を中心に8人の就職志望者に実際の企業の採用担当者が問題を出し、その場で採用したい人を決めるという番組で、いまどきの企業がどんな人材をい求めているのかが浮き彫りとなっている。お堅いNHKらしからぬやや斜めから世相を切り取ろうとしているのがユニークで、NHK内部に面白くてためになる番組づくりの機運が高まっていることを想像させる。
 28日の「ソクラテスの人事」には志望者としてタレントの松方弘樹、デビ夫人、友近、エスパー、土田晃之、半田健人、それにフィジテレビアナウンサーの内田恭子、広告クリエーターの中島信也氏が参加した。これに広告制作の「風とロック」社、インターネット関連の「エニグモ」、「DNA」の採用担当者が出題し、まず「がんばれに替わる言葉を書け」というのに素早く「よっしゃ」と書いた松方弘樹と「好きだよ」と回答した中島氏が採用となった。
 ここで、広告のコピーの作り方についてエピソードが挿入され、古本屋に足を運ばせるコピーをいかにつくるか、が取り上げられ、広告コピーは解決力を指し示すものでないといけない、と結論づけた。
 続いて「翌日の東京での客先でのプレゼンを控えて鹿児島に出張で携帯電話以外すべて失くしてしまった。さあどうする」という設定で対応ぶりを考えるという課題で、漁船を拾って帰るという松方弘樹に採用が決まった。そして最後は「日本人の笑う時間を倍にする方法」というテーマでのグループディスカッション。発言する際には前の発言者の言ったことを否定したうえで提言するという注文がついた。ここでもタレントが国会議員になるべきと発言した中島氏と、愛想を言うのを勧めた半田健人が採用となった。
 番組のユニークさは3社の採用試験を通じて、最後に各社は本当に採用したい人を決めることで、最初に採用した人と食い違っても構わないことになっていることだ。一旦採用が終わったあとで、残り2社の採用試験に臨む志望者のパフォーマンスを見ながら、採用が良かったかどうかチェックすることになっている。この日も最後に当社声のかからなかった土田晃之に白羽の矢が立ったのは意外だった。
 芸能人は歌唱力とか演技力など能力があるからタレントとして活躍しているのだが、対人折衝においても抜群の能力を持っていることが多い。芸能界に入る前に就職試験を受けている人もいるだろうし、この日もデビ夫人は千代田生命に一番で入社した、と自慢していた。アナウンサーの内田恭子の800人に1人の難関を突破した、という。2週間前に志望者として登場したモーニング娘の矢口真理は2万人のなかから選ばれた、と言っていた。そうした人が実際の企業の就職試験ではどうなのか、採用側とのやり取りから思わぬ反応、ハプニングが見られて面白い。いまどきの企業はこんな人材を求めているのか、がうかがえて考えさせられることも多い。
 民放各局がよくやるような事前の入念な打ち合わせによるやらせ、過剰な演出がなさそうで、テレントの生の反応が出るのも人気を呼ぶ点だろう。企業側も実際の学生に対する試験問題をそのまま出すケースもあり、学生がどんな回答をしているのかにも触れることがあり、なるほどと思えることも多い。
 志望者の範囲を政治家、スポーツマンなどに広げていくことで、バラエティに富ませることができそうで、まだしばらくは息が続きそうな感じである。以前のNHKなら企業の前線を茶化すようなことはしなかったのに、日曜日夜の「サラリーマンNEO」といい、この「ソクラテスの人事」といい、番組づくりが変わってきたようだ。民放がリーマンショック以降、番組製作費の削減に悩んでいるのにそうした制約はなく、面白くてためになる番組づくりができるNHKならではの企画といえるのかもしれない。
 そのうちにNHKも広告を取るようになると、民放の担当者は青くなるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党政権に一歩近づいたと思わせた27日の党首討論

2009-05-28 | Weblog
 27日午後の党首討論はいままでにない迫力があり、特に鳩山由紀夫民主党代表が舌鋒鋭く麻生首相に迫り、ひいき目かもしれないが鳩山代表に軍配が上がった。これまでたびたび党首討論なるものが行われてきたが、いつも当面する問題は最後のほうでチョロンと触れられるだけで、消化不良となっていた。この日の党首討論は西松建設の政治献金問題や補正予算、官僚の天下り問題など当面する課題がほとんど触れられていて、視聴者にも満足のいくものであった。
 冒頭、麻生首相は「どちらが次の首相にふさわしいか、意見を戦わせたい」と意気込みを語った。確かに間近に迫った総選挙で自公を選ぶか、民主党を選ぶかのキーファクターになるのが麻生、鳩山のいずれかを総理大臣にすえるか、という点である。両者がテレビの前で討論すれば、甲乙がはっきりとつくことになる。
 鳩山代表はまず焦眉の急である北朝鮮の地下核実験問題について、北朝鮮は米中には通告があったが、日本には米国から連絡があったか、なかったか情報が混乱していると切り込み、一国の総理たるものヴィジョンが必要で、持論の「友愛社会の建設」を持ち出し、麻生首相のヴィジョンなるものを問い質した。これに対し、麻生首相はその必要性には同意しながら、いまの100年に一度の経済危機を乗り切ることが求められている、と答えをはぐらかした。
 そこで、鳩山代表は「いまの自公政権の政策がすべて官僚主導の政権である」と断じ、「中央集権的な発想をやめ、地域のことは地域に任せる地域主権の国づくりを進めてはいかが」と切り込んだ。これに対しても麻生首相は「公務員が誇りを持って国家のために尽くすようにするのが基本。官僚バッシングだけやってもうまくいかない」と総論的な回答に終始した。
 続いて麻生首相は「いまの国民の最大の関心は西松建設の違法献金問題。小沢前代表はまだ説明責任を果たしていない」とかねて用意してあった論点で追求したが、鳩山代表は「検察の捜査に問題がないわけではない。民主党だけでなく自民党にもメスを入れるべきだ」として、「企業・団体からの献金を一切受けないように法律を改正したい」と提案した。いまだに政治献金問題が最大の関心とは麻生首相の政治感覚が疑われかねない局面でもあった。
 また、鳩山代表は官僚の天下りが一向になくなっていないことや、いま国会d得審議中の補正予算案のなかにデジタルテレビやエコカーの購入や、省庁の建物などの整備に不可解なものが織り込まれていることを具体的な数字をあげて指摘し、改善を求めたが、麻生首相は明確な答えをせずに抽象的な内容で回答した。
 総じて、鳩山代表が具体的な内容で迫ったのに対し、麻生首相はおおざっぱな観念論で答えた感じで、明らかに鳩山代表に軍配があがった。政治評論家は総花的とか、期待はずれとか評しているが、少なくとも過去の党首討論に比べれば内容のあるもので、見ごたえがあるものだった。
 終わった後に鳩山代表は党首討論は月に2回くらいあってもいいのではと語って、麻生首相もそれに同意していたが、総選挙まで毎月党首討論を重ねていったら、間違いなく民主党政権に一歩一歩近づいていくことになるのは間違いない。心ある自民党幹部は総選挙前に総裁選をするべきか真剣に検討していることだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修学旅行キャンセル料の国家負担は行き過ぎ

2009-05-26 | Weblog
 26日朝NHKテレビを見ていたら、新型インフルエンザ対策ということで東京・文京区の商店街がインフルエンザに罹った人を対象に必要なものを電話か、FAXで連絡すれば、無料で配達するシステムを始めた、と放送していた。インフルエンザに罹ったら外出できなくなるのに対応したもので、画面ではティッシュペーパーや野菜などを段ボール箱に詰め、配達するのであろう商店街の関係者が横に立ってPRに努めていた。配達に要する費用は文京区で負担する、という。いまのところ文京区では患者は発生していないので、文京区とNHKで仕組んだ出来レースのような感じがした。
 続いて、関西地区での新型インフルエンザの流行で、関西地区への修学旅行を中止した全国の小中学校が旅行代理店から多額のキャンセル料を請求されて学校・父兄が困っていることから、政府はこれに対して国が負担することに決めた、と報道していた。緊急経済対策として国が地方に交付する総額1兆円のなかから、その費用に充てることにしている、という。公立の小中学校だけでなく、私立の小中学校も対象にする、という。
 一般に旅行代金のキャンセル料は旅行開始の8日前までなら総額の20%、7日前から2日前までなら30%、前日なら40%、当日は80%を取られることになっている。仮に生徒200人で、1人10万円とすると、総額2000万円で、20%としても400万円取られることになり、確かに学校当局・父兄が負担するとしたら痛い出費となる。新型インフルエンザは天災のような予測できないものなので旅行保険の対象にもならないし、さりとて来るばかりで手配している受け入れ側もそれなりのコストは払っているので、やむを得ない面はある。
 しかし、キャンセル料のすべてを国が負担するというのはいかにもひっかかる。修学旅行をなくしてしまうのではなく延期するのだろうから、日程を短縮して費用を削る努力もすべきだろうし、旅行代理店も規定通りのキャンセル料ではなく、不可抗力なのだから半額にするとか、などして国の負担を半額以下にするようなことをすべきではなかろうか。
 それにしても新型インフルエンザは最初から騒ぎ過ぎの嫌いがある。26日になって京都市などで休校していた幼稚園や小中学校で一部解除され、登校が再開されたが、一般のインフルエンザと同じような扱いをするように変わってきた。政府筋で妙に危機意識をあおって政府自民・公明党のガバナビリティを見せつけよう、との思惑があったように感じられてならない。舛添要一更生労働大臣自らが記者会見で対策を述べるあたり、いかにも政府が先頭に立って防止に努めている姿勢を見せつけようとのねらいがまざまざで、却って危機意識をあおりたてることにつながった。そこは医療専門家が技術的な解説を加えて冷静に述べた方がよかった、と見る向きが多い。
 国会のやりとりでも野党の医療出身の議員から「騒ぎ過ぎではないか」と突っ込まれた舛添大臣は「仮に大変なことがあとでわかった場合は収拾がつかなくなる」と開き直っていたが、先の見極めがつかないのなら、なおさら冷静に対処すべきだったのではなかろうか。先行きの見通しを極めることにこそ、専門家の出番があるのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誤報のうえにさらに重大なミスを重ねた新潮社

2009-05-26 | Weblog
 先日、新聞各紙に奇妙な記事が掲載され、あれっと思った。今年はじめ新潮社が掲載した朝日新聞阪神支局襲撃事件の実行犯を名乗る男性の手記の誤報を掲載したとして静岡市の弁護士が掲載号2冊分の代金の返還を求めたところ、同社が返還に応じたというもので、誤報だったから購入代金を返還したことなど聞いたことがない。返還を請求する方が天晴れなら、返還に応じた方はコーポレートガバナンス上ケアレスミスとは片付けられない重大な過失を犯したことになる。
 購入代金の返還を請求した弁護士によると、週刊新潮に手記が掲載された09年2月5日号と2月12日号を新聞広告を見て購入したが、その後新潮社と朝日新聞のやり取りを経て、当該手記が誤報であることが判明し、新潮社側が誌面でお詫びを掲載した。そこで、弁護士はレシートとともの5月7日付けで売買契約の解除を求める通知書を新潮社に送付したところ、翌8日に同社から「代金を返還する」との電話があり、21日に現金書留で購入代金が返還されてきた、という。弁護士は「誤報とは知らずに売買契約を結んだので、民法570条の『隠れた瑕疵』にあたる」としている。
 一方の新潮社は「読書係が乱丁や落丁など欠陥があった商品と同じようなケースだと誤った判断をし、返金に応じてしまった」と説明しているが、単なるミスと片付けられない重大な過失がある。相手が弁護士で世間に公表されてしまう可能性があることを認識していなかったことと、社内でリスクマネジメントが確立されていなかったことが明らかとなってしまったことである。返還に応じる前に弁護士が民法の「隠れた瑕疵」云々と言ってきている以上、まずはそれに答えるだけの法的な反論をすべきだった。週刊誌の発行時点では誤報であることは認識されていなかったし、週刊誌一冊にはその他にも掲載記事があり、少なくとも全額返還するものでもないだろう。
 一読者に返還をすれば、それが前例となってすべての読者からの返還要求に応じなければならなくなってくる。仮に全購入者が返還を要求すれば返還総額は3億円もの返還となってしまうし、さらに書留料金も同じくらいかかってしまうことになり、その経済的な負担は図りしれない。なおかつ、再度誤報であることが判明した場合に返還に応じなければならなくなる。
 かつて某新聞社で記事のデータベースを作る際にニュースの訂正があった際の過去記事もデータベース上訂正するのか、という議論がされたことがあり、結局仮に誤報であったにしろ、その時点ではニュースとして掲載したのだから、データベース上はそのまま掲載する、ということに落ち着いた。新聞記事のニュースと週刊誌の記事とは若干ニュアンスが異なるが、似たような側面はあるだろう。結果として誤報ではあってもその時点では正しいと思って掲載しているのであろうし、読者もそう信じて読んでいるに違いない。誤報ばかりを掲載するようでは信用されなくなって、買ってももらえなくなることだろう。
 もちろん、誤報を掲載する出版社に最大の瑕疵があるのは事実であるが、誤報と思って記事を掲載しているわけではないだろう。事実だと思って掲載している記事が誤報だったわけで、だからといってその掲載号の購入代金を返還するのは明らかに新潮社側のミスという他ない。記事の誤報の上にさらに大きなミスを重ねたことになり、新潮社自体の屋台骨を揺るがすことになりかねない要素をはらんでいることは確かだろう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューヒーロー、日馬富士の誕生で世代交代の大相撲

2009-05-25 | Weblog
 24日の大相撲夏場所千秋楽は近来にない面白さであり、思わぬニューヒーロー、日馬富士の誕生となった。この日まで、横綱の白鵬、朝青龍、、大関の日馬富士、それに平幕の稀勢の里が優勝圏内にとどまり、場合によっては4者による優勝決定戦の可能性もあるという近来にない混戦模様になった。競馬のオークスも終わって、テレビ前に陣取って優勝の行方をみることにした。
 まず稀勢の里が小結の鶴竜を破って2敗(13勝)を守り、優勝圏内にとどまったところ、日馬富士が大関の琴欧州を首投げという大技で土俵の上に転がし、14勝1敗となり、この時点で稀勢の里の優勝の目はなくなった。この勝負、前日に白鵬自身の新記録となる34連勝を阻む上手投げで土俵に叩きつけ、快心の相撲をとった琴欧州に双差しとなられながら、琴欧州が出てくるところをとっさに抱えていた首をひねり、倒してしまった。投げられた琴欧州もあっけにとられるほどの見事な技っであった。
 そして、前日の日馬富士戦で腰を痛めた朝青龍は白鵬の相手ではなく、あっさりと土俵を割って、優勝は日馬富士と白鵬との決定戦ということになった。しばらく置いて再び土俵に現れた両者は気合十分だったが、仕切りを重ねるごとに白鵬の胸のあたりに汗が目立つようになっていったのが気になった。
 勝負は立会い後すばやく白鵬の懐深くまわしをとった日馬富士が下手投げで白鵬を下し、優勝を決めた。流れからして琴欧州を首投げで破った日馬富士の勝負勘が冴えわたっていて、10回優勝の記録を持つ白鵬もかすむほどの鮮やかな勝ちっぷりだった。
 後で明らかになったのだが、白鵬は13日目の対日馬富士戦で掛け投げで勝ったものの右足を思い切り蹴り上げた反動で左腰を痛め、この日も左腰に15本ものハリ治療を行うほどの状態だった、という。そういえば前日の琴欧州戦も白鵬にしては珍しく土俵の上にひっくり返された不様な負け方をしたのもそのせいだったのかもしれない。とはいえ、その相手が日馬富士だったということは勝負に勝って、相撲に負けたということで、勝利の神様が日馬富士に微笑んだ、ということになる。
 それにしても今場所の日馬富士の強さは特筆ものだった。14日目の対朝青龍戦でとっさに出た外掛けといい、千秋楽の対琴欧州戦の首投げといい、繰り出す技が素晴らしかった。日馬富士は体重126キロといまだに幕内力士のなかでは小兵で、体重が倍近くある力士を小気味よく土俵の外へ出したり、土俵に転がすのは見ていてスカッとする。全身バネのような身体に天性の運動神経が働いて、考えられない技を連発するのだろう。
 2000年に16歳で入門した時は体重80キロだった、というからそれほど増えてはいない。解説者が言っていたが、体重があまり増えるとキレがなくなるので、日馬富士はこのくらいの体重がベストのようだ。優勝後のインタビューで「本当にうれしい」と連発していたが、明らかに朝青龍、白鵬に代わるニューヒーローが誕生した。同じモンゴル人であることが残念ではあるが、大相撲も世代交代の時期を迎えたようだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小道具を天井から吊るして奇妙な味を出していた「タトゥー」

2009-05-24 | Weblog
 23日は東京・初台の新国立劇場へ演劇「タトゥー」を見に行った。シリーズ同時代「海外篇」の第3弾で、ドイツの女流作家デーア・ローアーの作品。座席に座って舞台を見ると、天井からロープで窓枠つきの窓ガラスやテーブル、椅子、テレビなどが多層にわたってぶら下がっている。開演の午後1時過ぎに白いタオル地のドレス姿の主演の柴本幸が中央に出てきて、膝や腰の部分をさわって引っ掻いたりしている。もう始まっているのかな、と思っているうちに照明が消えて、舞台が始まった。
 奥に調理台のようなものがあり、パン職人のヴォルス役の吹越満がパンをこねだした。姉妹と妻の4人家族で、天井からテーブル、椅子が下りてきて、食卓を囲み出す。やりとりを聞いていると、一見優しそうな父親が実は姉アニータに言いよるとんでもない親であることが判明する。それを知ってか、母親は犬になりたい、といってややこしいことには深入りしない風を装う。
 そんな家族のもとに花屋の青年が現れ、花を買いに行った姉のアニータは恋に落ち、その青年と結婚することにして、父親に打ち明ける。アニータは子供ができたこともあって、その青年と出奔して、一緒に生活をはじめてしまう。その後、赤ちゃんが誕生するが、父親が見にきて、「俺の子供だ」と言いだす。父親はアニータの代わりに妹のルルに言いよるようになったので、ルルは家を出て、アニータのところへ置いてくれ、と言ってくるが、すげなく追い返してしまう。
 で、最後は父親を殺すしかないと青年がピストルを仕入れてきて、そのピストルで照準をあててテレビ画面の映る父親を狙うところで幕となる。その画面の下で着飾ったルルが椅子の上に立って赤んべえをしているのが象徴的だった。
 狂気のなかの家族ということでか、登場人物のすべてが上ずった発音でセリフを言うのが最初から気になっていたが、見終わってなにか後味のよくない演劇であった。現代の家族が常にこうした狂気のなかにさらされている、ということが言いたいのか、こんな作品がドイツでベルトルト・ブレヒト賞を受賞したというのだから、よくわからない。話の筋を変えるのはまずいだろうが、もう少し人間味のあるセリフ回しをしてもよかったのではなかろうか。
 主演の柴本幸は2年前のNHKの大河ドラマ「風林火山」の由布姫を演じた新進女優で、期待していったのだが、持ち味の清楚な美しさが発揮できる役ではなくてかわいそうだった。タイトルの「タトゥー」は父親が娘をキズものにしていることをタトゥー(刺青)という言葉で表現しているのだろうか。
 ただ、小道具類をすべて天井からロープで吊るして、舞台が暗転するごとに必要な小道具をロープで下げて、場面を変えているのはアイデアだ、と思った。あと、たくさんの窓枠ガラスがあり、奇妙な味というか、歪んだ家庭を象徴しているようで、面白かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英雄ナポレオンもかすんだほどの天才のピアノ演奏

2009-05-23 | Weblog
 22日は東京・赤坂のサントリーホールでの読響の名曲シリーズ演奏会に行った。前半はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」で、クロアチアの若いピアニスト、デヤン・ラツィックの華麗な演奏にすっかり魅了された。舞台中央に据えられたピアノを前に流れるようなピアノタッチで、周りに控える交響楽団を率いて演奏しているようで、指揮者のスコット・ユーもかすむほどだった。
 ラフマニノフの曲は何回も聞いているはずだが、とても新鮮に聞こえた。叩きつけるような大げさなタッチでピアノの鍵盤を弾く姿は見ようによってはキサにもみえないこともないが、それも自然な動作に見えて、少しも抵抗感がなかった。演奏が終わって、指揮者の肩を抱いて舞台を後にしたが、会場は割れんばかりに拍手で、数回カーテンコールに応えて4回ぐらい控室と舞台を往復して挨拶を繰り返した後に、ピアノの前に座り、アンコール曲を弾き出した。
 曲名をぼそっと話したが、聞き取れなかった4、5分の小曲を演奏した。その間、交響楽団の団員は楽器を抱えたまま、その曲に聞き入っていたが、考えてみれば、団員にとっては迷惑な話である。まだ、後半の曲を演奏しないといけないのに一人ピアノ曲の演奏しているのをじっと聞いていなくてはいけないのだから。とはいえ、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏があまりにも素晴らしかったので、観客の熱狂がすざまじく、その熱を冷ますにはアンコール曲でも演奏しないと収まらない感じだった。
 読響事務局が毎月作成している月報によると、デヤン・ラツイックは6歳でピアノを始め、9歳でクラリネットを演奏し、10歳で初めての作品を作曲し、数々の音楽コンクールで優勝した現代のモ-ツアルト的な天才のようである。今回の来日が初めてのようで、世界的なピアニストの本邦初お目見えの歴史的な演奏会に遭遇したことになる、と思うと若干興奮した。入口で配布されていたパンフレットによると、今月末に東京・銀座の王子ホールでと来年2月に紀尾井ホールでの演奏会が決まっている程度で、まだ広汎なコンサートを展開するには至っていないようだ。音楽の場合、口コミでしか人気が広がっていかないものなので、いくら天才といえども滑り出しはこんなものなのかもしれない。
 おかげで、本来ならメイン演奏になるはずの後半のベートーベンの「交響曲第3番、英雄」がなにやら宴のあとのようなさえないプログラムとなってしまった。ロシア遠征で敗退してパリに帰ってきたナポレオンのような感じとなり、演奏が終わった後も拍手のそれほどでなく、もちろんアンコール演奏もなくそそくさと舞台が終わった感じであった。
 デヤン・ラツイックの天才的な演奏にすっかり席巻されたようで、観客は拍手もそこそこに足早に会場を後にした。
 演奏会には思わぬハプニングや発見があるもので、それがあるからこそ演奏会に足を運ぶのがやめられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リスクマネジメントが確立されていない新型インフルエンザ対策

2009-05-22 | Weblog
 新型インフルエンザが首都圏にも波及してきた。20日、首都圏で発生した患者は東京・八王子と川崎に住む女子高生で、いずれも今月中旬に米国から帰国したばかりの生徒で、21日になっても東京・目黒区の米国から帰国した36歳の女性にも感染していることが判明した。さらに京都でも小学生男児の新型インフルエンザ感染が見つかっており、これで国内の感染者は294人にのぼり、全国的に新型インフルエンザが広がっていることがはっきりとした。
 20日は万座温泉からバスで家に帰ってきて、テレビをつけたら「首都圏で新型インフルエンザ感染者」と大騒ぎしていた。東京・八王子に住む女子高生で、川崎の高校に通っている、と言っていたので、たまたまバスの帰路が東京・外環道の八王子のインターで降りて、道の駅で休憩して、町田駅近くで解散し、電車で溝の口まで帰ってきたので、その女子高生の行動ルートを通ってきて、ウイルス菌を吸い込んでしまったのではないか、と驚いた。
 21日になってもう一人の川崎の女子高生も感染していることが判明し、その女子高生は18日に成田からバスでたまプラーザ駅まで来て、田園都市線で溝の口まで電車に乗って帰った、という。しかもその女子更生の住まいは溝の口周辺で、2人とも家のすぐ近くの洗足学園に通う生徒であることもわかった。洗足学園は急遽、21日から27まで全校休校を決めたが、間違いなく溝の口周辺には新型インフルエンザのウイルスが漂っていることになる。近畿圏でのことだから大丈夫と思っていたのに、一挙に首都圏に、それもすぐそばまで及んできていることに驚いた。
 2人とも米国ニューヨークで開かれた模擬国連のイベントに複数の生徒と参加して11日から18日まで米国に滞在し、成田に戻ってきた、という。目黒の36歳の女性も19日に米国から成田に帰国したというが、いずれも成田での飛行機内での検疫で陰性反応しか出なくて、見逃されてしまった。7日間空港に缶詰めとなって隔離された乗客もいたというのに、なぜこの3人の感染がスルーしてしまったのだろうか。
 近畿圏での新型インフルエンザの感染も海外渡航歴のない高校生を中心に広がっていったのも不思議といえば不思議なことである。大気中に浮遊したウイルス菌が人を介さずに第3者にとりついてしまうようなことが起きうるものなのだろうか。やはり、海外旅行者にとりついたウイルスがなんらかの接触で第3者にうつり、汚染として広がっていった、と見るべきだろう。
 となると、鉄壁の水際作戦に漏れがあった、と見るしかない。首都圏で発生した3人の感染者も成田での検疫から見逃された結果、判明したものである。近畿圏の感染源の追求についての報道はなされていないので、わからないが、これもどこかの空港での検疫のミスということだろう。
 感染者が300人近くにもなっていることに加え、ウイルスが弱毒性で季節性インフルエンザと変わらないということから、政府は機内検疫を中止するなど新型インフルエンザの行動計画に基づく対処方針を緩和することにした。もう国内に入ってきてしまった以上、そうせざるを得ない、ということだろうが、仮に死者でも出たりしたら、局面はガラリと変わることとなることだろう。今回の政府の対応を見ている限り、その場しのぎできているだけできちんとしたリスクマネジメントが確立されているようには見えないのが不安なところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする