鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

ことしの最下位が決まった中日ドラゴンズを見て改めて知った落合監督の凄さ

2013-03-31 | Weblog
 プロ野球が開幕したが、ことしは贔屓の中日ドラゴンズがセリーグ最下位になるのではにか、と懸念していたら、どうやらその通りの展開となってきた。ここ10年最下位が指定席だった横浜DeNAに開幕2連敗をくらったのだ。お得意さんのはずの横浜DeNAにこんな試合ぶりでは他のチームに戦力のほどを見透かされ、今シこの語ーズンはいいようにしてやられることだろう。ここ10年くらい落合監督が指揮をとっていたせいで、中日ドラゴンズは常勝チームで、ファンとしてはたっぷり楽しませてもらったそのツケがきたようだ。
 今年の中日ドラゴンズはオープン戦の時からおかしかった。出てくる投手がいずれも早い回から打たれて得点され、はなから試合にならない状態であった。高木守道監督は「勝敗にはこだわらない」と語っていたが、4勝14敗だかで、12チームのなかで最低の戦績ではやせ我慢にしか聞こえなかった。負けるにしても得るものがないと先につながらない。オープン戦の後半で3年目の大野雄大投手が投げて勝った試合があり、これで上向くかと期待させたが、その後はそれ以前の出てくる投手がいずれも点を献上して、惨敗する試合ばかりで、結局、それ以来ずっと全敗でオープン戦を終えてしまった。
 それでいて、高木監督は開幕の首脳メッセージで「優勝をめざす」と宣言していたのだから、ホンマかいなと思わせた。オープン戦で少なくとも投手のローテーション、それとリズムが確立していないと開幕になってもチームの調子が出てこないのではなかろうか、と思われた。いくら「勝敗にはこだわらない」とはいってもオープン戦で得るものもなく、開幕に突入したら、結果は見えているのではないか、とも思った。ただ、中日には谷繁元信という明捕手がいるので、最悪の「ことにはならないのではないか、とのかすかな希望も抱いてはいた。
 で、開幕の横浜戦は昨年までの主砲だったブランコにいいように活躍され、4対3で負けた。そして続く第2戦もブランコの打撃もあって、早い回に4点を取られ、そのまま4対2で惨敗した。初戦はエースの吉見一起きが、第2戦はオープン戦で唯一好投した大野投手だったのだから、なにをかいわんやである。31日付けのスポーツ新聞の一面アタマは今世紀初の開幕2連勝との見出しが踊っていた。
 これだけ醜態をさらすと、気の短い中日ファンとしてはもう今年は野球からおさらばしたい、と言いたくなる。もともと名古屋出身なので、根っからの中日ファンであるが、中日が弱い時には少なくとも巨人にだけは勝ってくれることでうさを晴らしていたアンチ巨人芭でもある。でもこんなチーム状態では巨人に勝てるとはとても思えない。
 昔から中日ファンは負けてくると、名古屋球場では地元のヤジのがひどくなるので有名である。中日の戦力は底をついている、と球界には宣言したようなもので、今後他チームは中日に対してはそれなりの戦い方をしてくることだろう。ということはもう中日の最下位は決まったようなもので、シーズン半ばには監督更迭、そして交代が見られそうだ。高木監督は昨シーズンは落合監督の遺産でかろうじて2位を確保したに過ぎない。今シーズンは化けの皮が剥がれた、と見るべきなのだろう。
 そう考えると、落合監督は凄かった、と思いたくなってくる。落合の試合は面白くない、ということで、いくら勝っても地元名古屋では落合人気は高まらなかった。ファンというものは勝手なもので、いくら勝ち進んでも慣れてくると、今度は勝ち方の面白さを求めてくる。落合監督としては監督の使命は勝つことだ、と思っているから、不必要なことはしない、ただひたすら勝つことを求めて指揮を採ってきた。それが飽きられて、高木監督にバトンタッチしたものの、今度は勝てないチームではすぐにファンの支持をなくすこととなることだろう。
 名古屋のファンは改めて落合監督の偉大を思い知ることとなるのだろう。 
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マカロニ・ウエスタンを上回る西部劇を作りたかったタランティーノ監督の「ジャンゴ」

2013-03-30 | Weblog
 29日は東京・渋谷でクエンティン・タランティーノ監督の映画「ジャンゴ繋がれざる者」を観賞した。米アカデミー作品賞や撮影賞など5部門にノミネートされ、そのうち助演男優賞と脚本賞を受賞した注目の作品で、タランティーノ監督お得意の派手な打ち合い、殺し合いの場面がたっぷりある第一級の娯楽映画であり、十分の満足させてくれた。二枚目俳優のレオナルド・デカプリオが珍しく奴隷売買で儲ける農場主の悪役に起用しているのも面白いキャスティングであった。
 「ジャンゴ繋がれざる者」は南北戦争が起きる直前の米テキサス州で、農場主に反発して売られた奴隷、ジャンゴをドイツ人医師、キング・シュルツが助け出す場面から始まる。シュルツは当時としては珍しい賞金稼ぎで、ねらっているお尋ね者、ブリストル3兄弟の顔をジャンゴが知っていることを確かめ、協力することを確約したうえで、救い出す。2人でお尋ね者を探しに行くが、黒人が馬に乗っていることが方々で驚異の目で見られ、遂には保安官を射殺してしまう。その保安官が実は犯罪者であることを告げ、事なきを得るあたり、タランティーノ監督らしい荒っぽい作り方である。
 2人でねらったブリストル3兄弟のいる農園に乗り込み、商談があると見せかけて、実は使用人のブリストル3兄弟をやっつけてしまう場面も実に荒っぽい。敵を追いつめてじっくりと殺していくやり方はとらず、見つけると即座に撃ち殺してしまい、農場主もを唖然とさせる。捕えた3兄弟の死体を馬車に乗せて運ぶ途中で、KKK集団の取り囲まれるが、馬車に仕掛けたダイナマイトで一網打尽にしてしまう。このあたりは伏線で、シュルツ医師の指導で賞金稼ぎとなった2人のねらいはジャンゴの妻を救い出すことで、囚われているレオナルド・デカプリオの農場に向かう。
 デカプリオは黒人奴隷の闘士を売買して稼いでいて、2人は強い黒人闘士を買いたい、との触れ込みで近づき、目的はついでに買おうと持ちかける妻の救出にある。1万2000ドルで黒人闘士を買いたい、と持ちかけ、ほぼ決まりかけた時にあらかじめ関心があると見せかけておいたドイツ語を話す女奴隷もついでに買いたい、とデカプリオに持ちかけるが、デカプリオの秘書の黒人執事に見抜かれ、撃ち合いとなってしまい、デカプリオもジャンゴの師のドイツ人医師も殺されてしまう。妻を殺すと脅され、ギブアップしたジャンゴは捕われの身となり、拷問を受けたうえで、鉱山労働者として島送りとなってしまう。が、移送の係官にうまい話があると持ちかけ、見事に抜け出して、デカプリオの農場主へ取って返し、復讐を成し遂げ、最後はめでたしめでたし、となる。こんなにうまく復讐劇ができるものなのか、と半ば眉唾のような気持ちで映画を観終わったが、胸のすく結末でもあった。
 鉱山労働者として島送りとなって移送される場面で、強欲そうな係官をタランティーノ監督自身が演じていて、あっさりとジャンゴ演じるジェイミー。フォックスに殺され、消え去ってしまうのは観客をニヤリとさせてくれた。
 主演のジャンゴ役に当初、ウイル・スミスが指名sれたが、「ジャンゴは主役ではに」として降りてしまった、という。アカデミー賞でジャンゴを演じたジェイミー・フォックスが主演男優賞にノミネートされなかったのはそのせいだったのだろうか。
 タランティーノ監督が言いたかったのは南北戦争前でも黒人の人権が守られているようなことがあったのだ、ということなのだろうか。マカロニ・ウエスタンでは描ききれないリアルな西部劇を作りたかったのかもしれない、とも思った。
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「年金生活ですから」と外に向かってではなく、自身に言い聞かせているこの頃

2013-03-29 | Weblog
 先日午後10時ころに帰宅したら、留守番電話の伝言に総理府からの「生活アンケート」が録音されていた。それによると、「総理府の統計では夫婦2人の月の生活費平均は29万円である」とし、続いて生活の方針についてのアンケートに入ったが、不在のためそこで録音は途切れていた。それにしてもこちらが夫婦2人きりの生活であるとは事前に情報を得ているものだ、と思いながら、月29万円でよくぞ生活できるものだ、と改めて感心した。
 我が家ではずっと月の生活費を30万円以下にしよう、とここ数年志してきているが、一度もクリアーしたことはない。わずかに昨年9月に34万7801円と目標に若干近づいたが、それ以外の月は40~50万円になっている。最近は40万円そこそこになってきているが、なかなか40万円を切ることも難しいのが現状である。かみさんには毎月24万円をわたし、基本的な家計のやり繰りを任せ、あとの臨時出費はすべて夫たるこちらが賄っていることにしているが、残り6万円に収めることができない。
 いまの生活状態は決して贅沢をしている気持ちはなく、時にはしゃれたレストランで食事をしたり、コンサートに出かけたり、時には映画を観に行ったり、子どもたちを招いて誕生会をしたりする程度の余裕はあるような生活である。それでもできるだけムダな出費を避けたり、不要なものは買わないようにしている。何か出費しなければならない時に夫婦で決まって出てくるセリフは「年金生活だから」である。保険や物品購入を勧誘するセールスの電話に対してもこのセリフは有効で、「年金生活ですから」というと相手は黙って納得して電話を切ってくれる。
 現在年金は2カ月に50万円程度で、いまのところ他にちょっとした収入があるものの、いずれ年金だけの生活になるのは必至の情勢であり、そうなると、月30万円でやっていくことは至上命令となってくる。この先どこまで生きるのか、予想はつかないが、仮に20年生きるとしても月20万円づつ預金取り崩していくとすると、4800万円取り崩すことになる。そうなると、いまの預金のほとんどを費消してしまうことになり、子どもや孫への遺産はなくなってしまう。
 しかもかみさんが1人残って生活していくだけの蓄えも必要であろう。となると、月30万円で悠々生活できるかもしれないが、夫が亡くなった後の年金がどうなるか保証の限りではない。いま2カ月に50万円もらっている年金もいずれ国の財政状況からいって縮小していくのは確実で、そうなると月30万円どころか月25万円で生活しなければならないことになるのかもしれない。
 会社を退任した時に「生活のレベルを落とす」と公言したが、実際に生活のレベルを落とすことは容易なことではない。1段階どころではなく、2段階も3段階も落とさなければならない状況になりつうあるのは確かである。最近は「年金生活ですから」と外に対してではなく、自らに言い聞かせなくてはならない、とつくづく思っている。
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ホリエモンの仮釈放をマスコミが大々的に取り上げていることについて思ったこと

2013-03-28 | Weblog
 27日のNHKニュースでホリエモンこと、堀江貴文・元ライブドア社長の仮釈放を報道していた。28日付けの新聞各紙もその会見を写真付きで報道していた。証券取引法違反で逮捕され、懲役2年6カ月の実刑をほぼ終えて釈放されたわけだが、果たしてこれだけ報道されるだけの価値があるのか、となるとやや疑問が残る。社会的な制裁を受けて晴れて社会復帰したのかというと、まだライブドア株による損害を受けたとして被害者との間の最終的決着がついていないと思われるからである。
 27日仮釈放となったホリエモンは「皆様にご迷惑をおかけし深く反省している。それを償うべく受刑生活を送り、この日を迎え万感の思いだ」と言葉では反省を述べたが、表情は軽い笑みを浮かべ、腹のうちでは少しも反省していないことをうかがわせた。検察の国策調査によって嵌められたとの思いがあるのだろう、ふてぶてしい表情は以前の通りだった。体重は30キロ痩せて、いまは65キロくらいということで、規則正しい生活がダイエットにつながったようだった。
 ホリエモンに対してはライブドアの粉飾決算による株価操作の影響で株価が不当に吊り上げられ、損失を蒙ったとしていくつかの損害賠償裁判を提起され、昨年3月13日の最高裁の49人に対し、2億7000万円を支払えとの判決によって、大半は決着をみたものの、いまだに係争が続いている人もおり、全面的にケリがついたわけではない。そんな状態のなか、仮釈放されたからといって、これだけ大勢のマスコミが会見にあっけつけるのはやはり釈然としない。
 日本の社会では刑事罰を課せられ、前科者となった人は第一線から退き、マスコミも一切前面には登場させないのが常である。かつて贈賄事件で摘発され、有罪となったリクルートの江副浩正社長は一切、マスコミの紙面を飾ることはなかった。アングラ関係の一部週刊誌が取り上げるのみだった。
 その点、ホリエモンの立ち位置は経済人というよりは芸能人らしいところがある。芸能界は麻薬常習やわいせつ罪などで逮捕され、実刑を課せられても、刑を終えてひとたび社会に復帰すれば、晴れて「お帰りなさい」と迎えるような面がるようだ。そのまんま東や酒井法子を見ていてもそれを感じるところがある。
 ホリエモンの場合、IT業界の経営者だったことと検察によってはめられたことに対する同情のようなものがあり、だれも経験できなかったことを経てきているという側面があり、無視できない、放っておけないようなところがあるようで、この面では貴重なネタということなのかもしれない。
 だから、今回のような社会面的な暇ダネ扱いで取り扱うのはともかく、間違ってもコメントを求めたり、真正面から取り上げたりするような形で扱ったりはしてほしくはない、というのが正直なところだ。ホリエモンは本質的には人を子馬鹿にしたり、世間を舐めてかかっているところがあるのは元からあり、その点は全然変わっていないと思うからだ。
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公共のテレビに出場させる以上は選択基準を明白にすべきだ、と思った

2013-03-27 | Weblog
 26日は東京・初台の東京オペラシティへ「題名のない音楽会」の公開番組収録に行った。前半は音楽家が作曲した曲を高校生の吹奏楽団が演奏するのをレッスンする「高校生vs作曲家~バンド維新・炎のレッスン」、後半はおじさん合唱団が続々登場する「オレたちだって歌いたい!おじさんコーラス大集合」であった。前半のはともかく、後半はなぜこんな程度の合唱団がテレビに大手を振って出場できるのか、と思えるほどのレベルの歌で、正直がっかりした。これまで「題名のない音楽会」の公開収録には度々参加しているが、こんなに失望させられたのは初めてのことである。
 前半の炎のレッスンはサックス奏者の本多俊之が作曲した「Take It Easy」とピアニストの加羽沢美濃の作曲した「ディアーナの息吹」を浜松海の里女子高校の吹奏楽部が演奏するのを作曲者自身がレッスンするもので、レッスンには指揮者で司会の佐渡裕も加わって、約5分強の曲の細部にわたってサックスやベースなどの各奏者に対して曲の演奏をコーチしていた。素人が見ていて、どこが違うのかあまりわからないが、それでも一生懸命に演奏している熱意だけは伝わってきて、いずれの曲も最初に演奏したときと、最後にもう一度演奏した時には格段の進歩があったように思われた。
 最後に佐渡裕が言っていたが、これまで楽団が演奏するベートーベンなどの交響曲はすでに作曲家が死んでしまっているため、本当に作曲家自身が何を思って作曲したのか、本当のことはわからない。演奏者が勝手に想像して演奏するしかない。それを今回は生きている作曲家が生で作曲した曲の演奏をレッスンすることは演奏者自身にとってこんなに想像を掻き立てられるものはない」とその意図を語っていた。ただ、コーチのほとんどが観客席に背を向けて行っているため、観客にはそのとことは伝わりにくいのでは、と思った。
 後半のおじさんコーラスは最初に登場した東京バーバーズから横浜並木男声合唱団まではどうしてこのグループが選ばれたのだろうか、と不審に思われるほどの出来で、これくらいで出場できるのなら、かみさんのやっているグループでも出場できる、と思えたほどの内容だった。最後に登場したクール・エスプリだけはリーダーが全日本合唱連盟の副会長だとかで、歌った「昴」は聞かせてくれたので、ちょっと救われた感じがした。でもいやしくも公共のテレビ放送にのせるのだから、どうしてこのグループが4登場できたのか説明できるものがないとプロデューサーの恣意的な選択ではないか、と勘繰られてしまうことだろう。
 司会の佐渡裕は開演前のトークで「15キロダイエットした」と話していたが、もう「題名のない音楽会」の司会を5年やっていることになる。そろそろネタ切れで、この日の内容は本人も疲れてきているのではないか、と思えるほどの内容であった。番組の内容についてどこまで司会者の意向が通るものなのか、類推の域を出ないが、少なくとも佐渡裕の考えていたものではない、と思った。 
 視聴者は勝手なことを言えるが、もともと題名のない音楽会の公開番組収録には無料で招待されていてだけのことで、嫌なら行かなければいいものである、とかみさんに言われて「そういえばそうだ」と思った次第。
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全柔連のようないい加減な団体の参加するオリンピックなど応援したくもなくなる

2013-03-26 | Weblog
 全日本柔道連盟(全柔連)の複数の理事が実際には選手を指導もしていないのに、日本スポーツ振興センターから強化目的の助成金を不正受給していたことが明らかとなった。全柔連は全女子柔道の監督のパワハラ問題や選手強化のための助成金を飲食費に使用したりしている問題もあり、もはや組織としての態を成していないとの声も出て、抜本的な改革の必要性が叫ばれている。オリンピックをめざす青少年に夢を与えるスポーツ団体がその夢をぶち壊すようなことをしていては本末転倒で、文科省の指導も問われることとなりそうである。
 全柔連の理事が告発した強化助成金は東京在住であるにも拘わらず、岐阜県の選手を指導するように言われ、全柔連の指示する手続きに従って申請書類を提出し、年間120万円を受給していた。このうち3分の1にあたっる40万円を全柔連に振り込むようにも指示され、そのお金が何に使われたかは知らない、という。全柔連のよると、ロンドン五輪前の2012年4月1日時点では47人の指導者が受給対象となっていたというから、年間6000万円が受給され、このうち約2000万円が全柔連にキックバックされていたことになる。
 問題は全柔連の上村春樹会長がそうした事実を全く知らず、どの選手が教化対象となり、指導者としてだれが受給されていたか、ということも全く知らなかった、としている点である。しかも上村会長はJOC(日本オリンピック委員会)の教化選手の選定の選手強化本部長を務めていたのに全く知らなかったことはありえないことである。
 また、上村会長はこうした事実について、「組織ぐるみではない」と否定しているが、全柔連が指導者を指名して、申請書の書き方まで詳細に指示している事実があるのに、全柔連会長がそれを「知らない」というのは普通の組織としてはありえないことである。もし、そうであるのなら、全柔連の会長は全くのお飾りで、実際に全柔連を牛耳っている人は他にいる、ということになる。
 まずは不正受給の実情をキックバックされた助成金の使い道を含めて明らかにし、そのうえで今後こうしたことにないように組織の在り方を含めて刷新し、そうのうえで新体制を構築すべきことだろう。上村会長は「第3者委員会を設けて実態を調査、報告させて、発表する」ようなことを言っているが、ことはそんな悠長なことをしている場合ではない。自らの手で解明し、対処するのが筋である。全柔連は今日26日にも緊急理事会を開く対応策を検討するが、どこまで踏み込むのか、それほど期待は持てないことだろう。
 さらにもうひとつ問題はことは全柔連だけの問題ではない。国の選手強化費は30億円とも言われているが、こうした選手強化費が一体、どう支給され、どのように使われているのか、文化省の手で解明されて然るべきことだろう。国民が汗水垂らして収めた血税がこんないい加減な使い方がされているのが明らかになつようでは馬鹿バカしくて税金なんか納める気にはならなくなる。そんないい加減な団体の参加するオリンピックなど応援したくもなくなる。そうした庶民の声を聞いたうえで、然るべき改革を図ってもらいたいものだ。
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20年に1回の式年遷宮がいつ行われるのか知らなかった三重県のPR担当者

2013-03-25 | Weblog
 我がマンションの近くに久本神社があり、なんでも溝の口神社の支所にあたる神社だそうである。正月には輪くぐりの注連縄が飾られたり、夏には盆踊り、秋には例大祭としてお神輿が繰り出され、一応神社らしき様相はしている。ただ、いつもは社にはだれもいず、本殿には明かりだけがともっていて、階段の両脇には緑色で「平成25年伊勢神宮式年遷宮」と書いた幟が立てかけてある。伊勢神宮につながる由緒ある神社だ、と言いたいようで常駐ではないもののそれらしき世話人がいて、お守りをしている。
 伊勢神宮の式年遷宮とは一体何をするのか、ずっと気になっていた。鈍想愚感子は名古屋出身なので、伊勢神宮には高校生の頃に日帰りのサイクリングで出かけたことがあるが、まともにお詣りしたことがないので、いい機会なのでもう一度行ってみたい、と思ってクラブルーリズムなどツアー旅行で伊勢神宮を観光するツアーがないか探していたが、一向にそれらしきものが見当たらなかった。たまたま、ことし初めに東京・六本木のミッドタウンで三重県の観光をPRするイベントがあり、係りの女性に「式年遷宮とはいつ行われるのか」と尋ねたら、地元の人でもいつなのか知らない、というではないか。ある日、気がついたら遷宮が終わっていた、というのが正直なところで、それを見学するツアーは知らない、という。一生懸命探しても見つからないのはそのせいなのだろう、と一時は思った。
 式年遷宮とは「内宮(皇大神宮)、外宮(豊受大神宮)の2つの正殿、14の別宮のすべての社殿を造り替えて神座を遷すことをいうそうで、この時宝殿外幣殿、鳥居、御垣など6棟の殿舎のほか装束、神宝、宇治橋なども造り替えられる、という。飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年に第1回遷宮が行われ、その後戦国時代の120年以上に及ぶ中断やいくどかの延期はあったものの、1993年の第61回遷宮までおよそ1300年のわたって行われてきている由緒ある行事、ともいう。
 いまは2005年から第62回式年遷宮が進行中で、2009年に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が斎行され、2013年に正遷宮(神体の渡御)が予定されている。内宮はじめ各宮の建築様式は弥生式で、造り替えには1万本以上のヒノキが用いられることとなっている。 
 なぜ20年ごとに行われるのかというと、常に清浄であることを求めたのと、建築技術の継承を行うのに20年が適当である、との判断があったためという。また、神嘗祭に供される穀物の保存年数の限界が20年であることも大きな理由であるようだ。
 それにしてもこれだけ大掛かりなものをいつ行われるのか知らない、というのは納得がいかない。どうもミッドタウンで聞いた女性が知らなかっただけのようで、神社庁のホームページを見ると、10月2日に内宮、10月5日に外宮の祭事「遷宮」が行われることになっており、それへ向けて様々な行事が行われることとなっているのを見て、納得がいった。件の女性は20年前には幼少で式年遷宮のことなど知らなかっただろうし、ひょっとしたらこのイベントに急遽駆り出された三重県外の人だったかもしれない。三重県の観光イベントの係りなので、さぞ三重県のことはなんでも知っているとこちらが思い込んだだけのことかもしれない。それにしても三重県の観光をPRするイベントの割にはお粗末な応対であった。が、そんなことはよくあることかもしれない、とあとで思った。
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どこぞの祈祷師にでも自慢したい、落としても忘れても出てくる幸運な財布

2013-03-24 | Weblog
 先日、東京・調布駅前の焼き鳥屋へかみさんと共通の友人ら3人で行った際のことである。美味しい焼き鳥に舌鼓を打った後に、いざ勘定となって、ふとズボンの後ろのポケットに手をやったら、あるはずの財布がない。ポケットにはボタンがついていたのだが、あっけてなかったのでスルリと落ちてしまったのか、掏られたのか、跡形もない。確か財布にはパスモが入っていたので、調布の駅を降りた時には改札で取り出してタッチしているので、無くなったとしたら、その後のことだ。駅前の交番にでも行って尋ねてみようか、と思い、とりあえずかみさんに勘定を頼もうと思って、かみsなんお財布を見ると、とても2人分の飲食代には足りない。
 どうしたものか、と思いながら、念のためリュックサックの中を改めてみたりしたが見当たらない。仲間は不安そうな顔をして訝っている。ここはとりあえず交番にでも行くしかないか、と思い、もう一度座っていた椅子席の周りを確かめてみたら、丁度座席の下あたりに財布が落ちていた。座って動いているうちに、ポケットから飛び出してしまったのだろう。よく、隣の人なり、他の人に見つけられなかったものだ、ととりあえず胸をなでおろした。
 持っていた財布は英国デザインワークス社製のもので、京都へ行った際に買い求めたものである。黒皮で内側は赤皮で作られており、2つ折りのズボンのポケットに収まるタイプで、旅行などプライベートなお出かけには愛用している。これまでも旅先や、出かけた際に今回のように落としたり、忘れたりして、「失くなった」と大騒ぎするが、不思議といつも見つかる幸運の財布なのである。
 一度などは京都から大阪のユニバーサルスタジオに行き、夜京都駅に帰ってきて、駅前で降りてホテルに帰ろう、と財布を取り出そうとしたら、その財布がなく、観光バスの座席に置いてきたことが判明した。財布には有り金すべてと帰りの新幹線の切符、それにクレジットカードも入っていて、ないと大変なことになる。早速、京阪バスの車庫に電話して、尋ねたら、「ある」というので、取りにいって事なきを得た。また、ある時は3日間の国内バスツアーに出かけ、東京・新宿駅へ帰り着いて、降りた途端、財布を同じようにバスの座席に落とし、添乗員さんに電話し、あることを確認してもらって、秋葉原駅まで引き取りに行ったこともあった。
 さらには映画館で映画を観終わって、外に出ていざ次のとこおrへ行こうとして財布がないのに気がつき、急いで座席のところへ戻って下を見たら、あったりしたこともあった。こんなことが何回もあり、ここまでくると幸運を通り越してなにか不思議な力さえ感じられる。どこぞの祈祷師などにかかったら、貴重なものとして持っていかれてしまうことだろう。いずれもズボンの後ろのポケットに入れてあったのが、いざってスルリと落ちてしまったもので、よくぞ他の人に見つけられないで、戻ってくるものだ、と感心している。
 幸運の財布は外見は黒っぽいので目立たないのがいいのだろうが、中を開けると鮮やかな赤で派手な感じがいいし、その赤さが幸運を呼ぶのかもしれない。もうかれこれ、10年以上愛用しているが、これだけ幸運をもたらしてくれると、容易なことでは手放すわけにはいかない。
 
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ことしの桜開花予報について、気象予報士は総懺悔して科学的な解明をしてもらいたい

2013-03-23 | Weblog
 関東で桜が今日23日にも満開で、東京・上野など主要な桜の名所は桜見のお客で大賑わいとなるのは必至の情勢である。こんなに早い桜の満開は平年より12日早く、1953年の統計開始以降では02年の3月21に次ぐに史上2番目に早い記録とのことで、桜見で人出の出る各所で、準備に大わらわとなっている。つい先週までいつまでこの寒さは続くのか、と震えていたのがうそみたいである。いつも学生時代の仲間と今年の花見は28日にしよう、とつい10日前に決めたばかりで、その翌々日には気象庁の開花宣言が下された。今朝も近くの川崎霊園に墓参りに出かけたが、いつもなら蕾段階の桜が満開で、墓参りが期せずして桜見物となった。
 一般の人には多少桜の開花が早まろうと大した影響はないが、桜見の時期を見越して、「さくら祭り」を企画して、桜見客の受け入れをする観光関係の自治体などは人繰りなどで対応に苦慮することになる。東京・上野公園などは早めに繰り出す桜見客のためのゴミ箱などの準備や、仮設トイレなどを急遽手配している、などと報道されていた。徒歩や車で来るお客はいいとして、前々から予定を組んでツアーを桜見物を楽しもうとしている地方や近隣のお客はキャンセルせざるを得なくなってしまう。
 実際に桜見物に関わる観光金額がどのくらいか想像もつかないが、仮に5000万人が行くとして、1人1万円を使うとすると総額5000億円にものぼり、このうち半分が開花時期が前後することで失われるとすると、2500億円ということになる。
 そうなると、気象庁の桜の開花時期予報は影響が大きい、ということになる。ことしの冬は異常に寒く、かつ寒い時期が長かったので、当然、だれしもが例年より桜の開花が遅れる、と思い込んでいた。2月中旬あたりに桜の開花時期について予報が出されたような気もするが、まだ寒さが厳しい時期だったので、そんな先のことをだれも真剣に聞いていなかった。今月になっても例年なら、桜の開花がいつになるか話し出すのがいつもにない寒さだったので、あまり話題にもならなかった。
 それが、16日になって、突然、気象庁の担当者が靖国神社に赴き、開花宣言し、あれよあれよ、という間に満開となってしまった。気象に携わる人は全員、桜の開花予想が外れたことに対して総懺悔してほしいものだ。桜の開花がこれだけ早まったのに直前までだれも気が付かなかったし、話題にもしなかったことに対して、大いに反省してもらいたいものだ。
 また、桜の開花に対するいままでの通説が崩れたことについて、科学的な解明もしてもらいたい。寒さが厳しく、かつ長く寒ければ、桜の開花も遅くなる、というのがこれまでの通説だった。ところが、どうやら、寒さの度合いと長さは桜の開花とは関係ないことが判明した。寒さの度合いより、寒さと暖かくなるギャップこそが桜の開花時期に関係がありそうなのであるようだ。つまり、寒さが厳しければ、その後に来る春の暖かさが一挙に開花を促す、というわけである。
 いまのところ、テレビに登場する気象予報士で今回のことに関して反省や科学的解明を口にする人はいないようで、単に異常気象で片づけられているようだ。桜が満開となることはだれにとってもうれしいことで、楽しいことなので、異常気象ということを言い出すには至っていないが、落ち着いた段階で、科学的な解明を行って、来年以降はこんな間違いを起こしてもらいたくないものだ。
 
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お年寄りばかりでのスーパー運営もいいが、行政当局がどう関与しているのかも気になった

2013-03-22 | Weblog
 先日、NHKテレビを見ていたら、「にっぽん紀行」で過疎の町で前代未聞の挑戦と題して広島県福山市熊野町の「ふれあい広場クローバー」を取り上げていた。人口が減ってお年寄りばかりとなった町にスーパーが一軒もなくなったので、地域に住む住人が自力でスーパーを経営する姿を描いたもので、平均年齢は68歳のお年寄りがみんな無給で頑張っているのを暖かく応援していた。都会に住む人には想像もつかないことが過疎の村では起きているようで、人口が減少し少子化となっているいま、他人事とは思えない事象である、と思った。
 熊野町の人口は2000人で、人知れず亡くなってしまう人もいる、という。そんななか唯一残っていたスーパーが撤退し、町には一軒のスーパーもコンビニも無くなって、足腰の弱っている老人には隣町のスーパーに出かけていくのが一仕事となってしまった。そこで、町の有力者が集まって、自力でスーパーを再興することにし、自分たちでスーパーの運営をしていくことにした。豆腐やパンなど日配品は鮮度が大事なので、閉店間際には20%、30%引きで販売したりして、商品の回転率を高めるようなことまでやって、手弁当で奮闘する様子が映し出されていた。
 1日の売り上げが12万円くらいで、仕入れ代と電気代など維持費を合わせるとほぼトントンで、とても従業員の給料までは賄えないので、みんな無給で頑張ってきていた。ところが、しばらくすると、売り上げが1日9万円に落ちてきて、なんとか売り上げを伸ばさないとやっていけなくなると、知恵をしぼったものの、これといった妙案も浮かばず、悪戦苦闘する毎日が続いた。
 そんななか、ある日買い物に来たおばあさんが足が悪いので、レジ係にタクシーを呼んでくれるように頼んだので、車で買った商品を届けることにし、これを見てお買い上げになった商品を届けるサービスをやったらどうか、とのアイデアが出た。早速、次の日から「お買い上げ価格1000円以上なら、商品を無料で配達します」とのサービスを始まることにしたら、好評で、客足も戻ってきて、店頭での会話にも花が咲くようになった、という。ドキュメントはここで終わって、売り上げがどこまで回復したか触れられていなかった。
 実際には1日の売り上げが12万円程度ではスーパーを経営していくのは大変なことだろう。人口2000人なので、全員が1日100円の買い物をしたとしても1日20万円の売り上げにしかならない。お年寄りがパソコンを操作するものかどうかはわからないが、パソコンを通じて注文を取って、配達するようなこともやってみるべきだろう。パソコンがダメなら、FAXで注文を取ってやることも考えたらいいのかもしれない。
 それと、町のスーパーがそこまで住民の生活に踏み込んでいくのなら、人口2000人といえども町長なり、町役場はあるのだろうから、行政当局がこれにどう関与しているのかも気になってくる。1人寂しく死んでいくお年寄りの生活をどうしていくのか、となると、行政当局がどう対処すべきか、ということになってくる。町なり、市なり、県なり行政当局の最大の仕事は住民が快適な生活を送れることである。生活に必要な物資を適宜入手できることが欠かせないのに、そのお店がなくなるということは生活の危機である。それを住民が自らスーパーを経営し出しているのを黙って見ているだけとしたら、行政当局の怠慢以外の何ものでもない。NHKがそこまで踏み込んでいないのも不満でもある。視ていてそう思った。
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