鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

強行採決の裏にあるもの

2007-06-30 | Weblog
 30日未明に公務員制度改革関連法案が参院本会議で強行採決された。前日からのの社会保険庁改革関連・年金時効停止特別措置法に次ぐ強行採決で、何が何でも成立をめざし、年金に関するミスの印象を少しでもやわらげ、参院選での勝利をめざしたい安倍総理の執念が能足りんの自民党執行部を押し切ったようである。このツケは自民・公明与党の惨敗に終わるのは間違いないが、それにしてもあいも変わらず内閣不信任案をぶつけるだけの旧態依然たる戦術しかとれなかった民主党はじめ野党の戦術不足が嘆かわしい。
 数日前に朝日新聞が中央省庁から独立行政法人に天下った後、さらに民間企業や省庁主管の公益法人へ天下った省庁OBが過去10年間で少なくとも366人にのぞる、と報じた。天下りを規制する国家公務員法改正法案では独立行政法人から民間への再就職は制限されておらず、独立行政法人が省庁から民間へ天下る抜け道となっていることを指摘した。衆院調査局がまとめた独立行政法人OBから公益法人や民間企業へ天下りしていたのは10年間で、38法人のうち、1388人で、このうち省庁OBは366人もいた。これ以外の独立行政法人でも民間へ天下る省庁OBはいるとされ、実際にはもっと多い、とも指摘している。
 その後の報道を見ていてもこの記事が取り上げられた形跡はなかったし、別の角度からでも国家公務員の天下りへの省庁の関与を排除し、「官民人材交流センター」に一元化する公務員制度改革関連法案の不備なり、問題点を追及するような報道はみられなかった。
 現行制度では、国家公務員は退職後2年間は出身官庁と関係がある企業への再就職が原則的に禁じられているが、独立行政法人への再就職は制限されていない。このため、独立行政法人は退職した直後の省庁OBの1つ目の受け皿となっている。
 そんなザル法を強行採決してまで通して、安倍内閣は何をアピールしたいのか、国民にはわからない。美しい日本どころか、お先真っ暗の暗蒙の日本しか見えたこない。
 
 
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親子で共演、微妙な味

2007-06-29 | Weblog
 28日は東京・文京シビックセンターで題名のない音楽会の公開番組収録が行われた。今回は亡き羽田健太郎氏の代わって、オーボエ奏者の宮本文昭氏が司会を務めた。スペイン国立放送交響楽団が登場し、前段はスペイン特集ということで、スペイン通の宮本氏が起用されたようだ。しかし、後段は恋するバイオリンと題して、気鋭のバイオリニストをゲストよして迎え、なんとその1人に宮本氏の娘、宮本笑里が登場した。2人並んでトークをする場面もあり、どうしてこういう局面が生み出されたのか、面白い一面であった。
 パンフレットによると、宮本笑里は現在、桐朋学園大学に在学中で、ドイツ学生音楽コンクールヂュッセルドルフで第1位を獲得した若手バイオリニストで、何よりもすこぶる美人。見たことはないが、その美貌を買われてか、親子でTVコマーシャルに出演している、という。川井郁子の相当上を行く美形である。
 しかし、そうはいっても大オーケストラをバックに、しかも父親の司会の前では言葉も少なめで、父親のトークに素っ気ない相づちを打つ程度の緊張ぶり。「愛の喜び」、「ヴォカリーズ」、「Le Premier amour」を一応、無難に弾きこなしはしたが、もう一人のフランス人バイオリニスト、ローラン・コルシアに比べれば見劣りした。ローランが演奏が終わる度に指揮者、コンサートマスターと握手を交わしているのに対し、わずかに頭を下げる程度でステージマナーもぎこちなかった。
 演奏自体も「自分のカラーをいかに出すか考えている」と言った割りには、そこまでいっていない。淡々とこなしはしたが、会場の雰囲気に呑まれ勝ちに見えた。家庭で父親とどんな会話を交わしているか、わからないが、やりにくかったことは事実だろう。
 まさか、父親が出演を頼んで実現したのではないだろうが、冷静に考えてみれば、世界的なオーボエ奏者の父親の司会で、娘がバイオリンを奏で、それがテレビに映ることなんて幸せな家族である。音楽の遺伝子が遺伝するものである、としても父娘共演なんてことは100万人に1人もできることではないだろう。7歳からバイオリンを習い、叱咤激励されながらここまできた美人バイオリニスト、宮本笑里が今後どこまで伸びていくのか、注目したい。
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英Economist誌が麻生氏指名

2007-06-28 | Weblog
 英Econimist誌が最近号で、日本の政界の最近のドタバタぶりを取り上げ、安倍首相の代わって麻生太郎外相、もしくは谷垣禎一前財務相が総理大臣になる、と書いている。同誌はこうした記事ではっきりと名前を挙げて予測する雑誌として知られており、10年前にも英国ブレア首相が決まる相当前に「時期首相はブレア氏だ」と言い切って話題となった。6年前の小泉内閣発足当初に当時の田中真紀子外相の迷走ぶりを書いた時も「影の外相は福田赳夫官房長官だ」とはっきりと書いていた。歯に絹きせぬ書きっぷりは読む人をスカッとさせ、さすがと思わせる。同誌の評価が高い理由である。
 で、英Econimist誌に切られた安倍首相、今度は事もあろうに米国議会を相手にしない問題発言をして、またまた評価を下げた。米下院外交委員会で第二次世界大戦中のいわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、対日謝罪要求決議案が39対2の圧倒的多数で可決されたことに対して、謝罪の意を表明するどころか、「多くの決議のひとつ」とさも問題にしないような発言したのだ。塩崎恭久官房長官も「他国のお決めになること」と一蹴した発言をしているので、この2人はそろって外交感覚がない政治家である、ともいえる。
 米下院の委員会の決議はいずれ下院に送付されるが、民主党が多数を占めている状況から、まず下院でも可決される、見通しである、という。可決される前に安倍首相のしたような発言はありだが、可決しても同じ趣旨の発言をしているのは相当に政治センスが悪い。本人は4月に訪米した際に謝罪した、とでも思っているのかもしれないが、国会でも言葉多くして意味不明といわれている自身の発言をもう一度冷静に振り返ってみるがいい。謝っている、といっても目はそうではないし、態度もそうでないことがよくある。
 それに最友好国のアメリカの議会での決議に対して、こんな発言はありなのだろうか。まるで、敵対国、北朝鮮に対する発言のようである。仮に日本で、拉致問題解決について北朝鮮はけしからん、と問責決議をして、それに対して北朝鮮が「日本で多くある決議のひとつ」と軽くあしらわれたら、関係者は騒ぎたてるだろう。日本国内でのことに限っても、国会の決議で全国民が関係するようなものはいま話題の年金くらいのもので、多くは少数の人しか関係しない。それを「多くある決議のひとつ」とあしらわれては関係者はカチンとくるだろう。当事者にとっては大事な決議なのだ。
 だから、安倍首相は政治、決議の意味そのものを理解していないことになる。自分の発言がどのような意味を持つのか、果たして考えたことがあるのか。二世政治家としてボヤッと育ってきたから、基本的なことが出来ていないのだ。頭と言葉が連動していない、いい年の人間としては実に恥ずかしいことである。政治家どころか、太宰治流に言えば、人間失格である。
 英Econimist誌はもうそこまで見抜いているのである。
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改めて国民の怒りを呼んだ社会保険庁

2007-06-27 | Weblog
 社会保険庁の村瀬清司長官が夏季賞与の一部返還を全職員に呼びかけたことが改めて国民に怒りを呼んでいる。肝心なこともせすにボーナスを一部返上することで、陳謝の気持ちを表したわけであるが、こんな不祥事を起こしておいて、シャーシャーと高額なボーナスをもらおう、としていたのか、と驚きも出ている。安倍首相が言い出したことに柳沢厚生労働大臣、塩崎恭久官房長官も同調するが、野党のみならず与党からも姑息なやり方との批判が出ている。参院選を意識した付け焼刃的なパフォーマンスで、その政治センスを疑いたい。
 消えた5000万件の国民年金データ漏れへの対応がまだ解決しきれていないのに、夏季賞与の一部返還をする、というのは喧嘩をしていて相手が殴りかかろうとしているのに財布を出して、お金でけりをつけようとしているのに等しい行為である。相手(国民)の火(怒り)に油を注ぐようなもので、怒りはいや増すことだろう。
 大体、社会保険庁の村瀬長官は今回のデータ漏れについて、公式の場で正式に謝罪したり、釈明もしていないのではなかろうか。数週間前に東京駅の前で通勤途上のサラリーマンにビラを自ら配布している姿がテレビに映っていた程度で、なにかこそこそと問題の周りをうろつき回っている印象しかない。顔付きからして、およそきちんと仕事をしている、という毅然とした顔をしていない。会社でいえば、副社長としてそこそこの仕事はするが、社長の影に隠れて動き回るだけのサブ的な存在でしかない。堂々と正面切って仕事をしてきた雰囲気がない。
 この村瀬長官を任命したのは小泉前首相で、村瀬長官を非難すると小泉前首相の任命責任が問われることになり、民間人をトップに据えるだけの安易な民営化そのものの是非が問われ、ひいては今秋の郵政民営化まで疑問視されるようなことになると、小泉・安倍の施政の基盤が崩れることになる、として村瀬長官を表面に打さないようにしているのだ。
 村瀬長官は社会保険庁の1万7000人の職員全員に賞与の一部返上に応じるように呼びかけており、すでに同労組も賛意を表明しているが、そんなことをする前に行うべきことがあるだろう。それにしてもボーナスの返上をするなら一部でなく全額だろう。それでも国民の怒りがおさまるとは思えない。
 さらには過去の厚生大臣にも同調を呼びかけるべき、との声があるが、規定上できないとする柳沢大臣と「やり方はあるはずだ」とする塩崎官房長官の間で見解が分かれるというお粗末なことにもなっている。
 ことほど左様に政権の基盤はガタガタになってきている。自壊現象がもう始まっているのだろう。
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文句なしに面白い「ロスト・チャイルド」

2007-06-26 | Weblog
 本年度の横溝正史ミステリー大賞受賞作の桂美人著「ロスト・チャイルド」を読んだ。以前から知っている人から贈呈されたもので、小説の作者を知っていて読むのは初めての経験なので、やたら時間がかかった。普通なら読み飛ばすところを、なるほどこういう展開か、ここはうまいな、などと吟味しながら読み進んだので、時間がかった。著者のお父さんが途中で投げ出した、と聞いたが、やたら登場人物が多くて、入り組んでいて、なおかつバイオテクノロジー分野のこ難しい描写もあるので、その気持ちもわかる。しかし、文句なしに面白いミステリーである。
 慶應大学教授で警察の監察医も務める神ヒカルが持ち込まれた外人女性の死体の解剖を始めよう、とするところへ外人3人組みが銃を持って押し入り、神ヒカルら医者を人質にし、立てこもり、死体女性の臨検を要求し、神ヒカルの身体にマイクロチップなるものを埋め込む衝撃的なシーンから始まる。急遽駆けつけたSATの活躍で、押し入った3人組みの1人は行方をくらますもののあとの2人を射殺する。
 神ヒカルは透視能力を持つスーパーウーマンでありながら、先天的早老の遺伝子を持ち、早くに父親と兄を亡くしている。従兄の子である双子兄弟を預かるが、身辺で次から次へと起きる殺人事件に巻き込まれていく。
 バイオテクノロジー分野の理論も展開され、マネーロンダリング企業も登場する国際的な研究開発競争の描写もあり、若干読むのに苦労するところはあるが、基本的には生命へのあくなき追求をテーマとしており、主人公神ヒカルのキャラクターがしっかり描けているので、面白く読ませる。
 作者のキャラクターをある程度知っているので、いつの間にこんなことを勉強したのだろう、とか、こんなことまでよく調べたものだ、とか、思いながら読み進んだ。第1作なので、あれもこれも詰め込んだふしがあり、登場人物もやたら多くて連関が意味のないものだったり、消化不良の箇所もなきにしもあらずで、角川書店のビジネスに乗った以上、時間的に整理し切れなかったのだろう。そんなことを離れてもデビュー作としては合格点のつけられる作品である、と思った。
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さらば最高峰の演奏、N響

2007-06-25 | Weblog
24日はNHKホールでN響の定期演奏会へ行った。いつもは両脇の前は空席が目立つのにこの日は若い女性でほぼ満員で、どうやらピアニストの清水和音人気のようだった。ウラディーミル・アシュケナージ指揮のもと、清水和音ピアノでラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番ニ短調 作品30」の華麗なピアノタッチが響きわたり、場内にはうっとりと聞き入る女性の姿が目立った。端正な顔立ちの清水和音の魔術的ともいえる演奏ぶりは素晴らしかった。登場して、ピアノの席につくや否や演奏に入ったのと、演奏が終わって燕尾服のズボンが汗のためか、光っていたのが熱演を物語っていた。
 休憩をはさんで後半はチャイコフスキーの交響曲「マンスフレッド」作品58.約1時間の大作で、チャイコヅスキーが恋人を見舞った翌年に作曲した、という。
あまり演奏されることのない曲目であるが、第4楽章でハープの澄んだ音色が響き渡るのと、最終場面でパイプオルガンが奏でられているか、と思うくらい壮大な音が会場いっぱいに響くのが良かった。
 演奏が終わって拍手に答えて、指揮者のアシュケナージがホルン奏者など優れた演奏者を立たせ、観衆の拍手を求めたのに続いて、コンサートマスターの磯崎史記を讃えていたのには驚いた。コンサートでコンサートマスターにそのようなことをするのを見たのは初めてのことで、よほど指揮者と波長が合ったのだろう。そういえば、演奏の最中に2度ばかり、アシュケナージがコンサートマスターの方を振り向いて、目配せしているようなシーンがあった。アシュケナージ氏は9月からN響の桂冠指揮者とあんり、N響音楽監督としてのは今回が最後の指揮となるだけに馴染んだコンサートマスターを起用したのだろう。最後の演奏を意識してか、アンコールの拍手に再登場した最後に指揮台にあった指揮棒と譜面を手に抱えて、退場した。
 鈍想愚感子もこの日がN響の会員として最後の演奏会になるので、早めにきて休憩室での室内楽の演奏を聴き、休憩時間には2階、3階の座席まで行って、上から舞台がどう見えるかを確かめた。いつも最前列から2番目の席で、団員の顔を眺めて演奏を聴いていたので、NHKホールの会場がこんなに拾いものだとは知らなかった。3階席の最後部からは舞台はとても遠く、とても顔の表情までは見えない。最後部のsらに後ろに臨時席まで設けられ、お客が入っているのには驚いた。N響人気の凄さを改めて思った。
 N響の前は読売交響楽団の会員として、1年間、そしてN響の会員として1年間、日本の最高峰のシンフォニーを十分に堪能した。今後はスポットで聴くことにし、しばらくは他のエンターティンメントにも食指を伸ばしたい。
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死に馬に蹴られた安倍首相

2007-06-24 | Weblog
 参院議員というよりプロレスラーの大仁田厚が23日、記者会見し、「参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」と啖呵を切って、政界引退を表明した。同日、自民党から参院議員立候補を表明したヤンキー先生、義家弘介氏を意識してか、タレント議員のあり方にも疑問を投げかけた。議員としての6年間は大荒れ審議の委員会での身体を張っての乱闘ぐらいで、さしたる成果もなかった大仁田議員が最後に強烈なパンチをはなった。安倍首相は党のベテラン議員から今国会の延長について強い反発を招いているが、まさか1年生議員の、しかも日頃は歯牙にもかけていないタレント議員からこのような意見をあびせられる、とは思ってもみなかったことだろう。まさに死に馬に蹴られた思いだろう。
 23日付けの毎日新聞の参院選立候補予定一覧によると、大仁田議員は比例代表候補の6番目にランクされていて、その順位が真実なら、黙って選挙に臨めば、再選は約束されたようなものだった。ところが、これまでの議員活動で疑問を感じていたのであろう。急遽、引退を決意することになった。
 引退の直接の理由は、安倍政権が主導した今国会の会期延長と、参院選の日程先送りに対する抗議だ、という。「国民が求めているのは付け焼き刃で法案を通すことではなく、慎重審議だと思う。選挙目当てにウソをついてまで当選したくない」と語った。参院の存在意義については3年くらい前から悩んでいた、といい、「衆院からおりてきたことをそのままやっていく。今回もそうだが、『ハイ、そうですか』で透してしまっていいのか」と疑問を投げかけた。
 大仁田議員が議員になって初めて政治家らしい発言をしたし、いつものおチャラケの顔をしていなかった。1人の人としての生き方を自ら問い、答えたといった風情で、相変わらず、タレントに頼って票集めをしている既成政党に強烈なパンチを浴びせた。
 そして、何よりも政権を担う安倍首相にはKOパンチにも匹敵するものとなったに違いない。国民のことを考えず、ひたすらおのれの政権の延命だけを祈って、国会延長と参院選繰り延べを強行した安倍首相には思いもしないところから火の手があがって、手痛い火傷をした、と思っていることだろう。まだ、火傷が瀕死の重傷となるとは思いもしないかもしれないが、もう奈落の底に片足を突っ込んでいる。

追記 25日になって各紙を見たら、大仁田議員の会見はほぼ無視で、代わりに週間ポストの広告に「大仁田議員、官僚と酒池肉林のパーティ」との見出しが踊っていた。どうやら、この記事が出ることを知って、先手を打ったようで、そのあたりを知っていた朝読は無視したようだ。参院選比例区は名簿順に関係なく、本人が獲得した票数で当否が決まるそうで、間際にスキャンダルも出て、当選の確信もなかったのだろう。本当に死に馬だったわけで、相打ちとあいなったようだ。
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ネジが1本どころか、何本も抜けている安倍首相

2007-06-23 | Weblog
 安倍首相が夏の賞与を一部返上する、と日本経済新聞がスクープした。年金保険料の納付記録漏れ問題の責任を取るとのことだが、そんなことで世論をやわらげられると思っているとしたら、その政治センスを疑いたい。そんな姑息な手段で、国民怒りが静まるはずはないし、もと他にやることがあるだろうに。裸のピエロとなった安倍首相にはもはやアドバイスするブレーンはいないのか、そんな下らない話をさもスクープのように取り上げる日本経済新聞もお粗末である。いい加減に安倍支持の看板は下ろした方がいい。
 国家公務員の夏季ボーナスの支給日は29日で、安倍首相は昨年と同額の約566万円ももらう、という。安倍首相は議員歳費を上回る数百万円を返納し、趣旨からして柳沢伯夫厚生労働相と村瀬清司社会保険庁長官も自主返上に追随する、という。
 これだけ世間を騒がしておいて、夏季ボーナスの一部返上くらいで、世論の矛先を交わそう、と思っているのなら、思い違いも甚だしい。柳沢大臣、村瀬長官はもっと早くに辞任すべきだし、安倍首相も早期に退陣すべきだろう。
 決まりだとはいえ、首相があの程度の仕事ぶりで、5、600万円ものボーナスをもらうことの方が腹立たしいことである。
 よく、業績の悪くなった企業の社長が役員の報酬をカットすることを決めたりするが、そんなことをする前に業績を立て直すために施策を打つべきだろう。経営手腕のないトップに限って、コスト削減、報酬カットをやる。大株主、メインバンクのご意向を忖度して、ご機嫌をとっているに過ぎない。打つべき手をうって、ダメなら退くくらいの度胸が欲しいものだ。
 安倍首相の行ったことはそれと同じである。安倍首相がだれに対してご機嫌をとろうとしているのか、定かではないが、どうせ中曽根康弘はじめ自民党の大御所に向けたメーッセージでしかない。
 最近の安倍首相のテレビに映る顔は視線が宙をさまよっており、うつろげで自信なさげである。第一、目に光がない。頭のネジが1本どころか、何本も抜けているようだ。こんな人に日本の舵取りを任せてはおけない、と思うのは鈍想愚感子ひとりだけではないだろう。
 
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作家デビューしたMさん

2007-06-22 | Weblog
 以前の会社で仕えてもらっていたMさんが3年ぶりに電話してきて、「本を書いた」というので、会ってみたら、何と第27回横溝正史ミステリ大賞を受賞して、この30日に角川書店から発売になる、という。最初TELをもらった時には「どうせ売れそうもない本でも書いたのだろう」と軽く考えていたのだが、どうしてどうして、いきなり作家デビューしてしまったようなもので、その本を見せられた時には言葉が出てこなかったほど驚いた。この手の賞は応募してもなかなか大賞なんてもらえるものではなく、直木賞作家の東野圭吾ですら何回も応募しては落ちた、と聞いていたのでなおさら驚いた。
 Mさんは以前の会社で秘書兼経理みたいな仕事をしてもらっていた。馬力があり、多くのことを頼んでもこなしてしまう優秀な社員であった。それが、2年ばかり務めていただいたら、「司法試験を受ける」といって辞めていってしまった。惜しいとは思ったが、志の高さに見合う仕事ではない、と思って心よく送り出した。夜間は司法試験の予備校にも通って、努力していたのは知っていた。家の近くのマグドナルド店に行くと、30歳くらいの男性がいつも決まった席で六法全書を開いて勉強している姿を見ては、Mさんはどうしているのかな、と思っていた。だから、最初に電話がかかってきた時に思わず「受かった?」と発してしまった。
 それが路線変更して、作家への道を歩んでいる、とはまさか思いもしなかった。しかも通常では到達しえない横溝正史ミステリー大賞をさっさと受賞してしまうのだから、凄いの一語に尽きる。
 聞けば、20代の頃から小説らしきものを書きためてきたのだ、という。今回はそうした素材をつなぎ合わせることで、応募作品をものにした、というが、努力プラス才能が一挙に華を開いたのだろう。800枚からの長編推理小説をものにするだけのストーリーを構想し、書き連ねるのは並み大抵のことではできないだろう。身近で一緒に仕事をしている時にはとてもそこまでの才能があるとは見抜けなかった。
 ホームページで受賞式の写真を見ると、それなりに正装したMさんの写真が掲載され、これまで見てきた別の人がもらったような印象がある。作家デビューの日とあって目いっぱいの格好をしたのだろう。TPOをわきまえた賢いMさんの一面を見たような気がした。作家の世界には独特のものがあり、付き合いも大変なのかもしれないが、Mさんなら大丈夫だろう。
 文筆で身を立てている人に身近に接したのはこれが初めてのことである。作家というのは本屋の本を通じてしか知り合いがいなかったのに、急に世界が広がった気がする。Mさんはもう司法の道は諦めて、文筆活動に専念する、という。人生経験を積んだ人でも難しい作家への道をいとも簡単にクリアーしてしまったMさんの今後の活躍にエールを送りたい。
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妻が死ぬ時に一緒に死ねばいい

2007-06-21 | Weblog
 20日夜、テレビを見るともなく点けていたら、NHKのクローズアップ現代で作家の大庭みな子さんの介護ぶりをつたえていた。脳梗塞で倒れてから11年間、夫が介護をしてきたのだ、というのに驚いた。そういえば、最近、大庭みな子の小説を見かけなかったことに得心がいったが、11年間も介護に付き添った旦那の苦労に頭が下がる思いがした。仮に鈍想愚感子がそうした立場に立たされたら、とても同じようにはできない、と思った。
 大庭みな子は1968年に「三匹の蟹」で芥川賞を受賞し、国際感覚を持った都会的、かつ先進的な女性特有なセンスで独自の境地を切り開いてきた。感覚的に肌が合わなくてそれほど作品を読んだ記憶もなかったが、先月24日に亡くなったことだけはうっすらと知っていた。
 それが、脳梗塞で倒れ、ずっと介護生活をしていたのだ、とテレビで初めて知って驚いた。しかも11年間にわたって、旦那が介護してきたというのだから2重に驚いた。最初は食事の作り方さえ知らなかったのが、食事から介護まで生活の一切をしてきたのだから、その苦労は並大抵のものではなかったことだろう。
 死んだ後だから、旦那は笑顔で振り返っているが、介護している最中はそれこそ地獄の毎日だったことだろう。いつまでこの苦労が続くのか、と思えば気の滅入ることばかりだったことだろう。旦那は介護しているうちに「このまま妻が死んだら、一緒に死ねばいいのだ」と思ったら、気が楽になった、という。本当だろう。
 もちろん、大庭みな子さんが死んでから、番組の作成に入っているから、テレビでは介護の詳しい状況を撮影していたわけではなく、旦那が撮影したビデオをつなげたり、旦那の介護日記を追うことで、その苦労ぶりを浮き彫りにしている。それでも介護の苦労は十分に伝わってきた。旦那は「介護は夫婦の第二のハネムーン」と美化していたが、そんな美しいものでもなかったことだろう。ただ、大庭みな子さんが臨終の時に手を握って、「ご苦労さん。ナコちゃんサヨウナラ」と言ったら、臨終したはずの奥さんが手を握りか返してきた、という話にはじんときた。
 作家といえば、確か丹羽文雄が100歳過ぎまで認知症状態で生きて、娘さんに介護されていたと思うが、作家という高度に頭を使う職業でも脳梗塞になったり、認知症状態になるものなのだ。作家だからなのか、よくわからないが、介護状態にあんると、本人も家族も大変だ。とても大庭みな子の旦那のような心境にはなれないが、仮にそういう状態になったら、見習うべき人であるのは確かだ。
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