鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

高齢者医療制度の再検討を

2008-08-31 | Weblog
 先日、テレビを見ていたら、西濃運輸グループが自前の健康保険組合を解散し、グループ員全員を政府管掌健保に切り替えることを決め、これによる政府管掌健保の負担金が年額で16億円も増えることになる、と報じていた。民間の健保組合はどこも財政難にあえいでおり、西濃運輸に続いて続々と政管健保に切り替えてくるところが続出することになりそうである。民間企業の行為としては当然の決断ではるが、制度自体のあり方がこれでいいのだろうか、と思わせる問題である。
 西濃運輸グループの健保にはグループ31社で従業員および扶養家族合わせて5万7000人が加入しており、07年度には75歳以上が対象の老人健保制度などに36億円を支出したが、08年度には高齢者医療制度改革で前期高齢者納付金や後期高齢者支援金が加わり、支出は前年度比62%増の58億円となる見通しとなった。このため、保険料率を月収の8.1%から10%以上に引き上げることが必要となったが、それだと政管健保の保険料率の8.2%を上回ることになるため、今年3月に政管健保へ移行すべく健保組合の解散を決定し、この8月1日付けで解散していた。
 民間の健保組合への国庫補助はないが、政管健保では国が医療給付金の13%、介護給付費や後期高齢者への支援金の16%を負担するので、08年度の国庫負担は計1兆100億円になる。本年度はすでに12組合(11万人)が解散し、うち9万人が政管健保に移行していて、20数億円の負担増となっている。今回の西濃運輸グループだけでも年ベーズで16億円の負担増となる、と厚生労働省は試算している。
 全国の健保組合でつくる健康保険組合連合会によると、07年度には全体の7割の1056組合が赤字だったが、本年度は1334組合が赤字とほぼ9割にも増えている。
 民間の健保から政管健保に移行した場合、従業員から保険料を徴収してまとめて国に納付する業務は残るが、健保に携わる作業からは解放されるので、今後さらに政管健保への移行は続くことになることだろう。
 ということは政管健保の台所がますます悪化することは避けられそうもなく、国の財政赤字はますます膨らむことになる。
 後期高齢者医療制度は保険金の徴収の方法を含め散々の評判であるが、健保組合に異常な負担を強いていることが判明したわけで、高齢者に対する医療制度のあり方を含めて再検討の必要がありそうだ。
 
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星野ドリームズプロジェクトへの疑問

2008-08-30 | Weblog
 28日付けの日本経済新聞朝刊の12面を開いて驚いた。1面全体に大きく「スポーツで強くなる」と書いてあり、その下にローマ字で星野ドリームズプロジェクトと書いてある。北京オリンピックの野球チームの監督として屈辱的な敗退をした星野仙一氏が自らリーダーとなって、こんな企画を推進していたのだ。日経以外の新聞にも掲載されたかわからないが、恐らくオリンピック以前からこの企画は進められていたのだろうが、まだ北京オリンピックの記憶も醒めやらないこの時期にあまりにもタイミングが悪すぎるといわざるを得ない。こんな気分でいたのではオリンピックで勝てなかったはずだ、と思われても仕方がない。
 星野ドリームズプロジェクトは広告に掲載されているホームページを見ると、日本のスポーツ界の発展と若手育成をねらいとし、具体的には日本中のスポーツを愛する心をひとつに結集し、エネルギーに変えることで若者たちの気持ちに火をつけ、彼らの夢を実現することで、将来を担う多くの人材を育成・輩出するとしている。28日の紙面には星野仙一氏をはじめ青島健太、荒川静香など有名スポーツ選手が名前を連ねているほか、協賛企業としてアイランドタワークリニック、コロンビアミュージックエンターテインメント、野村證券など、それに賛同大学の名前が並んでいる。来月12、26日に協賛の説明会を開くことを告知している。
 オリンピックの開かれたこの時期に次回ロンドンオリンピックをめざしてこういう活動が行われるのは結構なことであるが、代表者に星野氏を担いで、その名を冠していることに疑問を呈さざるを得ない。
 ホームページを見ると、このプロジェクトがスタートしたのは昨年の10月となっている。ということはすでに北京オリンピックの野球チームの監督に星野氏が決まっている時で、金メダルをめざして一生懸命やらなければならない時にこんなことにエネルギーを使っていたことになる。
 冷静に考えると、この時期は北京オリンピックの野球日本チームの監督としてアサインされている時期で、いかにキューバ、韓国らに勝つかを検討しているはずの時であった。それが日本の若い人がオリンピックで活躍できるようにとこのプロジェクトを立ち上げていたのであった。監督といえども出場メンバーの一員でもある。自ら出場すているのにそうした人たちへの応援団のリーダーになっている、というのはなにかおかしい。現役を退いた人が後進の人たちのために応援するというのならわかるが、まだ出場する自らを応援してくれ、というのは自画自賛という以上のものがある。
 日本のスポーツ界を振興させ、オリンピックで活躍することは本来、国が真っ先に行うべきことである。民間がそれに協力することは必要なことであるが、まだ北京オリンピックが始まる前から、いかにも日本のスポーツ界を背負って立つような振る舞いは常人の理解を超えている。
 こんなことだから北京オリンピックで惨敗するのだ、と言いたくなる。星野氏はまだ、実績もあげていないのに、いかにも日本のスポーツ界の代表者のような格好で北京に乗り込んだのではなかろうか。野球チームの選手にもそれが伝わってやる気をなくしてしまったのではなかろうか。勘違いというか、思い上がりも甚だしい。
 野球界には惨敗した星野監督に来年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の指揮も執ってもらいたい、との声がある。巨人の会長である渡辺恒雄氏がその代表であるが、ゆくゆくは低迷巨人の監督になってもらいたい、との思いがあるから、そう言っているだけのことで、大勢はもう星野氏には日本チームの監督は任せられない、と思っているはずだ。星野氏はセリーグを制したことはあるが、日本一にはなっていない。そんな人が日本のスポーツ界を背負っていくことなんてまだ早い。
 いつ星野氏は日本のスポーツ界の盟主になったのだろうか。だれからそんなことを言われたのだろうか。疑問は残る。

追記1 中日の西川順之助社長が30日に星野氏のWBC監督就任に反対の意向を表明した。1日に開かれるプロ野球の実行委員会でも星野氏を推す理由を聞いたうえで、反対する構えで、31日付けの毎日新聞では西川社長はガラス張りの選考をしないといけないとして「今年の日本シリーズで勝ったチームの監督がやるのがいい」と語ったとも伝えている。現役の監督がやることで星野氏の登場を封じているわけだ。31日のTBSのサンデーモーニングに出演した大沢啓二元日本ハム監督も「日本シリーズを制したチームの監督がやるのが一番いい」と語っていた。渡辺恒雄氏の影響力も落ちているので、このあたりに落ち着くことだろう。

追記2 28日付けの読売新聞をチェックしたところ、渡辺会長の関係で当然出ているだろうと思ったら、掲載されてなかった。どうやら問題の広告は日経だけに掲載されたようで、お金にからむ話は日経しか効果がない、と踏んだのだろうか。それにしてもその後のテレビ、週刊誌等がこの星野ドリームズプロジェクトになんら触れていないことは気になる。1日に開かれたプロ野球の実行委員会でもこのことは話題にならなかったようで、逆になぜ取り上げられなかったのか、疑問に思う。星野氏、もしくは後ろで糸を引いている渡辺・読売会長に遠慮しているのだろうか。そんなことではWBCの監督を公明正大に選ぶことはできないのではなかろうか、と危惧する。

追記3 週刊文春9月25日号に「星野ドリームズ・プロジェクト」はソムニトピア・ジャパン社の横尾寿浩社長が星野氏をかついで行ったもので、星野氏はいわば被害者のようなことが書いてあるが、名前を利用されたことも含めて脇が甘かったことは事実で、星野氏の非が全くないとは言い切れない。星野ドリームズ・プロジェクトそのものは散々の不評で、プロジェクトそのものがなくなったようであるが、そうしたものに星野氏が関わったという事実は残る。先週の日本テレビの巨人対阪神戦の解説者として星野氏が登場していたが、どことなく迫力がなかった。一部にそれでもWBCの監督は星野氏に落ち着くとの観測があるが、そんなことだけはしてほしくない。
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超豪華ホテルの生活を満喫

2008-08-29 | Weblog
 28日は大学時代の友人、M氏の招待で静岡県沼津市の無人島、淡島にある淡島ホテルに出掛けた。送ってもらったパンフレットを見る限り、素敵なホテルのようで期待して行った。新幹線新横浜から三島駅に向かうと途中大雨で、折角の骨休めが台無しになるのか、と懸念されたが、三島駅に降りると小降りになった。出迎えのバスの時間にはまだ間がある、と思って改札口の方を見ると、淡島ホテルと書いた看板を持った男性が立っている。さすが高級ホテル、と感心して近寄り、「バスはあちら」と聞くと、間発入れず「いえ違います」と相手にしてくれない。やむなく待つうちに迎えのバスがやってきて、乗り込んだ。平日にもかかわらず結構な人が乗り込んできた。いずれも見るからにお金持ちそうな中年ばかりで、ここでも高級さがうかがえた。
バスで小一時間揺られ、淡島マリンパークなる看板のあるところに着き、そこから船で対岸の淡島に渡った。着いた場所が淡島ホテルで南イタリアを思わせる造りのテラス式回廊を進み、エントランスを入る。会員制ホテルで通常のホテルのようなフロントは見受けられない。わずかにインフォメーションデスクの上にキーが置かれ、しばし待った後そのまま5階の部屋に案内された。一歩部屋に入るなり眼下に海が広がっており、さながら海の上に建っている感じ。部屋もリビングとベッドルームが別になっており、さながらバスルームからは富士山が展望できる豪華さで、都会の喧騒に慣れた目にとってはまさに別天地の思い。
夕食まで時間があったのでプールで一泳ぎとも思ったが、生憎の天候で閉鎖同然で、それならと島内散策に出かけた。淡島は700万年前にフィリピン海の海底が噴出し、海底火山として成立し、7000年前に海水面が上昇して島となった、という。周囲2.5キロ、面積15万平方メートル、最大標高138メートルの無人島で、70種の野鳥が棲む。昭和59年に地主60人の要望により東京相互銀行(長田庄一会長)がホテル建設に着手、平成3年秋に完成した。島全体が公園となっており、海水プールや水族館、陶器の里があり、他にもイルカショーも随時行っている。  散歩を程々に切り上げて、部屋に戻り、温泉に出かけた。単なる展望風呂か、と思ったら、外に露天風呂がついている。その露天風呂からは富士山が望めるし、岩の向こうは海で、波が漂っているし、海猫の泣き声が間近で聞こえる。あまりにも気分がよくて、他に誰もいないのをみて、平泳ぎやクロールで泳いだほどだった。
 夕食の味もなかなかのもので、満足して部屋に戻り、今度は部屋の風呂につかり、ガラス越しに海の夜景を楽しんだ。
翌29日の朝5時頃起きて、外を見ると対岸の雲の上にうっすらと富士山が見えた。こんな快適な住まいならずっといてもいいくらいだ。
先日の東北旅行の安比高原ホテルでメゾネッタイプの部屋に泊まったが、階段を登ったところにベッドルームがあるのと淡島ホテルのようにリビングと隣合わせにベッドルームがあるのとはゴージャスさが違う。いまのマンションに住んでから、快適さで普段の暮らしを上回るホテルに泊まったのは初めてのことである。
 夕食の時に意外と若い人も来ているのを知って驚いたが、朝食の時には韓国人が多くて驚いた。ホテルの2階がギャラリーになっていて、ビュッフェや藤田嗣治の絵画が展示されているが、その一角に仏シラク元大統領からの感謝状が掲示してあった。高級で格式もあることも言いたいようであった。素晴らしいホテルへご招待してくれたM氏に感謝、感謝である。
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伊藤さんは対米追随外交の犠牲者か

2008-08-28 | Weblog
 アフガニスタンで拉致されたNGO(非政府組織)のペシャワール会のメンバーの伊藤和也さんが殺されていたことが27日判明した。拉致されたのが前日の26日で、翌日になって「山間部で日本人らしき遺体が見つかった」との情報が寄せられ、この種の事件としては最悪の事態となった。これまで日本人は海外では概して好意を持たれていて、よもや殺されるようなことはないだろう、との認識が一般的であり、今回も現地アフガニスタンの復興に貢献している人が被害に遭うことは思いもしなかっただけに関係者に衝撃が走っている。それにしても日本政府の対応は後手後手に回り、なんら為す術もなく最悪の事態を招いたわけで、お粗末極まりないものであった。
 アフガニスタンの反政府組織、タリバンの一味で誘拐された伊藤さんはペシャワール会の中村哲医師に憧れて、アフガニスタンの子供たちに食料を食べさせたいと5年前から農業技術の指導にあたっていた。タリバンは政府に協力する国は日本といえども敵との認識で、以前から日本人にターゲットを当てた犯行を匂わせていた、という。それが現実のものとなったわけで、しかも現地警察に追われるなかで、誘拐した伊藤さんを射殺してしまった。
 日本の外務省は誘拐のあった26日夕に山本太一副外相を本部長とする対策本部を発足させたが、実際には独自の情報入手ルートもなく、現地大使館を通じてアフガニスタン政府と連絡を取るだけの名ばかりの対策本部だった。日本人遺体が発見されたの伝えられた27日になっても「情報の確認をしている」というだけで、それも現地の大使館のスタッフを確認作業にあたらせているだけの状態だった。夕刻に民放テレビがペシャワール会の中村哲代表がバンコックから現地入りするところを記者団に捕まり、「多くの関係者が伊藤さんと確認した」と語っているのに午後7時からのNHKテレビは山本本部長の未確認情報うんぬんとの会見を流すだけだった。
 午後9時からのNHKニュースも内容は同じで、あまつさえ「午後10時から対策本部の会議が開かれる」と報じていた。政府もあまりの急展開にどう対応していいか分からないのと、政府談話の内容をどうするのか検討しているのではないか、と思わせた。遺体はもう伊藤さんであることは周知の事実なのに日本政府とNHKは必死になって、その事実の公表を遅らせよう、としている。政府はともかくNHKまでが同調することはないのに、と思ってしまう。
 来月中旬から始まる臨時国会の最大の焦点がテロ特措法の延長で、このアグガニスタンに対する支援と大きく関わっている。日本はアフガニスタンに2200億円もの経済支援を行っているが、こんな国にもう支援する必要はない、との世論が巻き起こることは必至だろう。
 果たして、福田首相の談話は「高い志を持ち、現地の人とともに歩んできた伊藤さんの命を奪った行為に強い憤りを覚える。断じて許されるものではない。ご冥福をお祈りする」と犯人に向けたもので、アフガニスタン政府や自身の責任については触れず、まして今後んのことには一切言及していない無難なものだった。こんな談話ならもっと早く遺体の確認をしてもよかったのに、とも思われた。
 伊藤さんの遺体には頭に殴られた跡があり陥没骨折していたほか、両脚に銃で撃たれた跡があった、という。誘拐して身代金をせしめる目的なら、逃亡の途中に放り出せば済むことだし、なにも殺すことはない、と思われる。最初から殺すことが目的だったとしたら、個人的、もしくは日本に対する恨みとしか考えられない。この」あたりは今後の捜査を待つしかないだろう。
 5年くらい前のイランの3人の誘拐の時や昨年のイランでの拉致事件も最後には釈放されてきた。昔から欧米はともかくアジア地域では日本人は尊敬されていて、よもや殺されるようなことはない、と思い込んできた。それが、どうやらそうでなくなってきたようだ。このところ米国に追随するべったり外交を続けてきて、米国と同類に見られていることがその一因のようであり、米国とは違うアジア外交をめざさない限り、今後もさらにこうした事態は起きてくることだろう。

追記1 和也さんの遺体は30日に中部国際空港に到着し、その日に浜松の実家に搬送され、翌31日に通夜、1日に葬儀が営まれ、告別式には700人も参列した。評論家のだれかが総理大臣か、外務大臣が葬儀に参列すべきだ、と語っていたが、来たのは山本太一外務副大臣だけだった。中部国際空港に出迎えて以降、和也さんのご両親がインタビューに答えていたが、驚くほど冷静に「二度とこんなことが起きないようにしてほしい」と殺したタリバンはおろか、アフガニスタン当局や日本政府に対してもなんら恨みがましいことを言わなかったのが気になった。わずかに母親が葬儀で「よく頑張ったね、と言ってやりたいと思ったが、親より先に死んでバカヤローと言いたい」と本音に近いことを述べていたのが印象的だった。何もしてくれなかった日本政府に対してもっと抗議してもいいのに、と思った。

追記2 アフガニスタン当局が捕まえた犯人の1人、パキスタン人のアライル・シャー容疑者は調べに対し、「パキスタンの情報機関、ISI(三軍統合情報部)がペシャワール会の日本人技術者を連れてくれば100万パキスタンルピー(日本円で約143万円)を支払う、と言われた」と供述している、という。これが事実とすれば、明らかに日本人が狙われたわけで、単に「こんな悲しいことは2度と起きないでもらいたい」との通り一辺の談話を出すだけでは済まないものを持っている。日本政府は事件の背景をきちんと掴んで、対応を図らないと国際社会でノー天気な日本とますます馬鹿にされることは明らかである。
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虚弱な企業を輩出した責任は福田政権にある

2008-08-27 | Weblog
 燃料価格の高騰で経営が苦しくなっている、として26日から全国でトラック運送業者の「経営危機突破一斉行動」と称するデモが繰り広げられている。全日本トラック協会(中西英一郎会長)の呼びかけによるものだが、先に漁民が同じように燃料価格の高騰で苦境に追い込まれているとして、全国一斉に休業してアピールし、国から燃料価格の補填など総額700億円を超える補助を勝ち取ったのを見て、俺たちもと思ったようである。同日、農業団体も同じような趣旨で集会を開いたし、他にも同調する動きが出てくることが予想される。そんな風潮を作った責任は安易な補助策を決めた福田政権にあるのは間違いない。
 全日本トラック協会傘下のトラック業者は5万1千社で、全体の8割強を組織している。26日のデモの参加者は2万人にのぼった、とされ、9月上旬にかけ全国的に展開される。彼らの主張は世界一高い高速料金を値下げすること、および燃閣価格高騰による経営難を救うため減免措置を講じてほしいこと、さらには燃料価格高騰分を荷主に転嫁できるよう「燃料付加運賃制度」の推進の要望である。
 高速料金はなにもトラック業者だけが対象ではなくなるし、減免措置もトラック業者だけを認めるわけにはいかない。最後のコストアップを荷主へ転嫁することは何も国なり行政当局に要望することではなく、自ら荷主の団体なり、個々の荷主に交渉して解決を図るべきことである。テレビのニュースを見ていたら、デモに参加した業者が「負けないぞ」と叫んでいたが、その気持ちがあれば荷主に交渉に臨めばいいことである、と思った。
 同じ26日に今度は農業関係者約1000人が東京に集まり、「燃料代高騰の補填を求めよう」と気勢を上げた、とテレビで報じていた。他にも燃料代の高騰で悲鳴を上げている業者はクリーニングはじめいっぱいいる。こんな状態ではみんなこうしたデモ活動を繰り広げれば、政府がなんらかの措置を講じてくれる、と思って行動に走ることだろう。
 考えてみれば、原油価格の高騰で影響を受けて困っているのは一般のサラリーマンとて同じである。サラリーマンも所得税を負けろ!と言ってストライキしたくなることだろう。
 日本の企業はいつからこんな国なり、行政頼みのひ弱な体質になってしまったのだろうか。自由競争で価格は市場が決めてくれる、利益は自らの企業努力で勝ちとる、原材料などの価格が上がれば経費カットでしのぎ、それでも追い付かなければ得意先に価格のアップを交渉する、というのがこれまでのやり方だったのではなかろうか。原油価格が一挙に4倍になった第一次石油危機もこうして、乗り切ってきたのではないだろうか。
 それがバブルを経験してすっかり体質が変わってしまったのだろうか。今回は最初に全漁連に総額700億円を超える補助を決めてしまった福田政権の失策である。そんな安易な解決策を講じるから、自由競争を旨とする市場原則が歪んでしまい、虚弱体質の企業を輩出することになってしまった。こんな政策が日本経済をダメにするということをもっと思い知るべきだろう。
 きちんと日本経済の再興策を打ちたてずに、糊塗的な政策をしているからこんなことになる。福田首相は猛省すべきである。
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宿り木経営でのしてきた電通

2008-08-26 | Weblog
 日本経済新聞朝刊の最終面の文化欄に「私の履歴書」があり、今月は電通最高顧問の成田豊氏が掲載されている。いまや世界的な企業となった電通の足跡が赤裸々に書かれていて、それなりに面白いが、浅利慶太、徳間康快などマスコミの世界で名だたる有名人が次ぎから次ぎへと登場して、いささか自慢話っぽいのが鼻につくが、多少誇張がるにしても実際はその通りなのだろう。ただ、黒子であるべきの広告代理店のトップが引退したとはいえ、ここまで手放しで書いていいものか、やや気になった。
 今月1日から連載されている成田豊・電通最高顧問の「私の履歴書」は電通が実質的に戦後興されて、成長してきたことがよくわかった点でも面白かった。電通の沿革をひもとくと、明治34年に電報通信社として創業されており、当初は広告だけでなく名前の通り通信社の機能も持っていたが、昭和11年にいまの共同通信社、時事通信社を分離し、昭和18年に広告代理業としてスタートしている。実質的には4代社長の故吉田秀雄氏の時にいまの体制が出来上がった、とみていいだろう。その吉田社長にかわいがられたのが成田豊氏のようで、当時海のものとも山のものとも見分けのつかなかった電通に東大出身者として入社したことが大きく預かったようである。
 私の履歴書を読んで、感じたのはいまや世界に名を派す電通も戦後間もなくの頃は世の中に受け入れてもらえなくて、業容を拡大するのに必死だったのだ、ということである。成田最高顧問の筆致に多少の誇張はあるかもしれないが、世界の電通も名もないような中小企業扱いされたような一面もあったと知るとホッとする。どんなに確固たる大企業も最初から大企業であったわけではなく、必死で山を登るような時期があったと聞くと救われる。
 電通の場合、新聞社という格好の相方がいたことが大きかったようだ。新聞社はいまでこそ、テレビ、インターネットに食われて青息吐息で苦しんでいるが、戦後間もなくからずっと日本の世論をリードしてきた。テレビの世界も一皮むけば新聞の世界である。その新聞界にずっと寄り添って果実を貪ってきたのが電通である。電通の歴代のトップは新聞雑誌局長経験者で占められていることがこのことを物語っている。これも立派な経営手法といえば経営手法である。
 しかし、これからはそうした宿り木経営は成り立たないだろう。新聞の影響力が落ちつつあるいま、新聞に代わる世論のリーダーを見つけ、それをサポートしていくことこそが電通の使命といえるだろう。まさか、電通自身がリーダーになる、と自負するようなことは間違ってもしないでもらいたい。それこそ、黒子たる自らの使命を見誤っていることに他ならないからだ。
 26日までの分を読む限り、政治との関わりは出てきていないが、電通が政治かの選挙を取り仕切ったり、小泉元首相のホームページ作成や悪名高いタウンミーティングを請け負ったのはよく知られており、新聞社に次いで政治の世界に関わってきたことが今日の電通をもたらしていることは容易に想像できる。幸い、成田豊氏は直接は関わっていないからこの「私の履歴書」に登場しないのか、関わっていても伏せているのか、よくわからないが、これ以上政治に関わってもらいたくない。政治に関わると、お金の世界が黒く薄汚れてきて、電通の没落への道を辿ることになるからでもある。あくまでも電通は黒子に徹してもらいたい。



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日本陸連と星野ジャパンは責任を行動で示すべき

2008-08-25 | Weblog
 24日、北京オリンピックが終わった。噂されていた英ベッカム選手が登場する閉会式が開会式と同様、きらびやかな群舞の中で行われ、16日間の幕を閉じた。開会前は盛り上がらないな、と思っていたが、いざ始まってみると、日本人選手の活躍に興味が湧き、結構朝に夕にテレビの前にかじりついて、オリンピック中継を楽しんだ。LIVEで見るオリンピックは手に汗握る局面が多く、正直面白かった。4年間オリンピックをめざして鍛えてきた成果が問われるわけで、映画では感じられないドラマが数多くあった。
 24日北京で会見した日本選手団の団長を務めた福田富昭日本レスリング協会会長は金9、銀6、銅10個のメダル獲得について「目標の30個には及ばなかったが、一生懸命戦ってくれた」と総括したが、最終日の男子マラソンで尾方剛選手が13位、佐藤敦之選手が完走した選手のなかで最下位の76位と惨敗したことを意識してか、日本陸上連盟のオリンピック選手に対する管理がなってないことを指摘した。
 マラソンは女子では金メダルの連覇を期待された野口みずき選手が直前に棄権、出場した土佐礼子選手も外反母指で途中棄権し、かろうじて中村友梨香選手が13位、男子も大崎悟史選手が直前に棄権し、残った2人も善戦とはいいかねる戦績に終わった。出場6人のうち半分が実力も出さず棄権と信じられない事態を招いた。選考過程を含め、日本陸連が非難されても仕方ないだろう。
 福田団長はもうひとつ、野球チームが選手村にも入らず、勝手に行動したことも問題点として指摘した。金メダルを獲るといって、自前のコックさんを同行させたり。気ままな振る舞いで、結果はメダルなしでは星野監督ならずとも顔色ないところだろう。宿敵の韓国どころか、2軍である米国プロ野球のチームにも負けては面目丸つぶれもいいところだろう。
 24日帰国した野球チームは成田市内のホテルだ会見し、星野監督は「オリンピックで勝つことの難しさを実感した。勝ったものが強いということだ。応援してもらいながら、こういう結果になったことは責任者として申し訳ない」と頭を下げた。主将を務めた宮本慎也選手は「ゲームセットの瞬間、ライトフライを取った韓国の選手がうずくまったのを見て執念の差を感じた」と語った。
 勝負事だから勝ち負けはつきものであるが。日本陸連と星野ジャパンについては福田団長が指摘するようにいかにも過程が悪すぎる。言葉の上の謝罪だけでなく、責任を取る行動を示すべきだろう。
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求められる日本経済の活性化

2008-08-24 | Weblog
 北京オリンピックですっかり頭の中から消えていた日本の政治はいまとんでもないことになっている。24日のTBSテレビの「時事放談」にパネラーとして出演した亀井静香国民新党代表代行は「小泉元首相は小さな政府といっていたが、いまや小さな政府どころか、政府がなくなってしまった」と福田政権を皮肉った。お膝元の自民党からも中川昭一元政調会長が23日に北海道帯広市で開かれた講演会で福田首相について「何もしない首相だ。バブル崩壊で世界経済を不安定にした米国にものを言わず、国内では石油、食糧の高騰で何もしない。政治の無責任だ」と批判した。
 実際、このところの福田政権は機能しているのか、いないのか全くの無為無策である。国民が北京オリンピックのメダル獲得に一喜一憂しているのをいいことに安易を貪っている、としか思えない体たらくである。国民が諸物価高騰で苦しんでいるのに、なんら対策を講じようとしないし、挙句の果てに臨時国会の召集日をいつにしようか、とおよそ国民生活に関係ないことにエネルギーを費やしている。頼みの民主党も国会を解散に追い込んで、総選挙で政権交代を実現する、という割には代表選が無投票再選となりそうで、迫力ないこと甚だしい。
 いまの自民・公明の与党には信頼を置けないが、さりとて政権を取って替わるべき民主党もいまひとつ頼みとならない。仮に政権が交代しても民主党はもともと自民党から分かれて出てきたもので、果たして国民の期待する適切な政策を立て、豊かで快適な生活を保障してくれるものなのか、確信がもてない、というのが正直なところではないだろうか。
 となると、日本の政治は一体どうなるのだろうか。このままいけば、国民は政治に何も期待しなくなり、無関心になっていくのは間違いない。すでに若者を中心に広がっているアパシー現象の蔓延である。政治は一握りのマニアが行うことで、我々の暮らしのいは関係ない、というのが本音で、こうした事態を招いたのは小泉元首相以降、安倍、福田の歴代の執政者の責任である。
 この先、日本がどうなっていくのか、先行きを考えた場合、政治が果たす役割は大きい。日本の取り柄である民間企業の活力を最大限に引き出す経済施策を適切に打ち出し、もって人々の暮らしの向上につなげること、これ以外にいま日本が為すべきことはない。そんな当たり前のことが福田首相にはなぜできないのか、不思議といえば不思議なことである。
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長嶋監督の後継者にはなれなかった星野監督

2008-08-23 | Weblog
 日本女子ソフトボールの金メダルに続けとばかりに星野ジャパンの野球は金メダルをめざして22日、準決勝で韓国と戦ったが、予選に続いて完敗した。戦い終えた星野監督は「いまは明日(23日)の3位決定戦に全力をあっけるとしか言えない」と言葉少なに語るだけだったが、無念やるかたなし、との思いは顔に表れていた。2年以上前から長嶋茂雄前監督の後を受けて北京オリンピックでの金メダル獲得を合い言葉に持ち前の強面を前面に出して引っ張ってきたが、いまひとつ日本のプロ野球界がついてこなくて、無念の敗退となった。この分では3位決定戦の対米国戦も敗色濃厚で、反町サッカー、植田バレーと並んで落ちた敗軍の3将と言われそうである。
 星野ジャパンの北京オリンピックでの戦績は予選でキューバ、韓国、米国にいずれも負けていて、投手力も打力もパッとしないまま、準決勝の韓国戦に臨んだ。初回、併殺崩れで先取点を上げ、追加点も取って、2対0とリードしたが、中盤からの投手が持ちこたえられない。日本投手陣最後の頼みの藤川投手(阪神)が打たれて同点に追いつかれてしまい、今回2敗の岩瀬投手(中日)をリリーフに送り、それまで2三振のイ・スン・ヨブに内角低めの球をホームランされ、逆転を喫してしまう。さらにエラーも加わる最悪の展開で、結局6対2の大差で負けてしまった。
 試合後、韓国記者から「なぜ、あそこで岩瀬を投入したのか」と聞かれた星野監督は「それが私のやり方だ」と気色ばんだと伝えられているが、和田(ソフトバンク)、涌井(西武)と左投手はいくらもいたのに理解に苦しむのは確かである。岩瀬がイ・スン・ヨブがそこしか打てない内角低めに投げたのはキャッチャーの矢野のサインだった、というから岩瀬ばかり責められない。日本チームとしてはその前に頼みの藤川が2死から四球を出し、安打を重ねられ、1点を計上して同点とされた時点でもう負けは見えていた。藤川の決め珠を韓国打者に軽くファウルされて粘られ、あげくの果てにヒットされては、星野監督も矢野捕手もう打つ手は残されていなかった、というのが正直なところだろう。
 さらにいえば、このオリンピックに臨み韓国野球界はすべての試合をやめているのに、日本はレギュラー戦は普通通り開催している。オリンピックに臨む姿勢からして、違っている。そういえば、今回のチーム編成ししてもこれが最強のチームか、と疑わしいような構成である。日本のプロ12球団がいい選手を出してきたのか、と点検すると、どうもそうとは思えない様子がうかがえる。たとえば、巨人の小笠原道大選手など当然入っていていい選手が入っていない。ということは星野監督が欲しいと要望した選手が球団から蹴られたということなのだろう。
 それも星野監督の歩んできた道から来ることといえるのかもしれない。野球人としての実績をみれば、長嶋茂雄氏の後継者というにはまだまだの面がある。長嶋監督も実はオリンピックでは惨敗しており、現在はチームの長といsて指揮をとれない状況にあるが、憎めない独特のキャラクターでいまでも日本のプロ野球界の象徴的存在である。星野監督は強面する言動がいかにも大物らしい感じを与えるので、マスコミはじめ関係者がそれらしい扱いをするが、心の中では必ずしもそうは思っていないのだろう。それと、星野監督は他人に言っていることと、心の中が同じでないような印象を与えるきらいがある。だから、常に一歩置いて見られ、警戒されるようなところがり、それが選手から見て100%心からついていく気になれないのだろう。
 だれかが言っていたが、野球のようにオリンピックのチームプレーで、星野ジャパンとか、男子サッカーの反町ジャパンとか、男子バレーの植田ジャパンとか、監督が前面に出ているようなものはいずれも苦戦、もしくは完敗している、という。戦うのはあくまでも選手であって、監督ではない。星野監督はまずそのあたりを誤解している。負けた後の談話を聞いていてもまだ、監督が主役である雰囲気が漂っている。負けた無念さより、自ら長嶋監督の後継者を持って自任していたのが消えてしまう無念さを悟っている、としか伝わってこない。
 そんなことでは金メダルどころか、銅メダルも逃げていくことだろう。

追記 果たして、23日午後行われた3位決定の対米国戦も準決勝の対韓国戦と同じような試合展開で、中盤4対1とリードしながら追いつかれ、結局8対4と無残にも敗れてしまった。試合後、インタビューに応じた星野監督は「選手はかわいそうだった。野球じゃないことをやらせられた」と暗にストライクゾーンの違いに戸惑ったことを訴えたそうにしていたが、最後に「申し訳ない。それだけ」と詳細を語らなかったが、敗軍の将としては物足りない。その後、インタビューされた宮本慎也キャプテンが言うのはわかるが、監督がそれだけでは応援してきたファンとしては割り切れないものが残る。せめて、今後に向けての考え、展望を語るべきだった。この人はこれまで、こういう局面に立ったっことがなかったのだろう、と思わせた場面であった。
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勝利の神様が微笑んでくれた日本女子ソフトボール

2008-08-22 | Weblog
 21日、北京オリンピックで日本の女子ソフトボールが決勝戦で宿敵の米国を破り、金メダルを獲得した。同時に別の会場で行われていた女子サッカーの3位決定戦で、日本チームはドイツに2対0で敗れていただけに価値ある勝利であった。これで北京オリンピックでの日本の金メダルは9つとなるが、このうち5個は女子が獲得したもので、今大会は柔道、レスリングと日本女子の活躍が目立った。スポーツの世界でも女性の時代がやってきた、といえる。
 21日は夕方からまさに日本女子スポーツ界の歴史に残る日となった。NHKの1チャンネルでは悲願の金メダルをかけて女子ソフトボールの対米国戦が、NHK3チャンネルではこれまた初めてのメダル獲得をかけてドイツとの3位決定戦が同時に中継され、テレビの前にチャネラーを持って釘づけとなった。早く始まったサッカーは序盤から日本がボールを支配して、押し気味に試合を進めるが、なかなか点に結びつかない。解説者は日本チームの動きや作戦を褒めるので、見ているうちに勝った積もりのいなってくる。
 一方のソフトボールは立ち上がり、日本は4人連続3振にとられる散々の立ち上がりで、方や米国は1回から一死満塁と攻め立てる。しかし、前日の対米国、オーストラリア戦2試合を318球投げ切った主戦の上野由岐子が必死に投げて、なんとか無得点に切り抜けた。日本チームは予選で米国に7対0のコールドゲームで負け、順位決定戦でも延長で4対1で負けている。体格をみても大人と子供が対戦しているようで、どうみても勝ち目はないように思えた。
 ところが、勝負とはわからないもので、初回から怒涛の寄りを見せていた米国に点が入らず、3回にようやく初ヒットの2塁打を打った日本に先取点が入り、余勢を買って4回にはホームランまで飛び出して2対0とリードし、攻守変えての思わぬ展開となった。相手の4番バッターの軽々と打ったホームランで2対1と追いつかれたものの、6回裏の米国の攻撃の1死満塁もからくも打ちとって、7回表に相手エラーがからんで追加点を上げ、最終回も抑えて3対1で勝利をもぎとった。その瞬間解説をしていた宇津木妙子前日本チーム監督が感極まって泣き出したのが印象的だった。勝利の神様も時に微笑んでくれることがあるのだ、と正直思った。その立役者はなんといっても前日の2試合と決勝の3試合を合わせて409球を1人で投げ切った上野投手であったのは間違いない。
 ソフトボール中継の合い間にチャンネルを変えて女子サッカーを見ると、知らない間にドイツに1点が入っていて、終了間際にの追加点が入り、こちらは結局2対0で負けて、銅メダル獲得はならなかった。解説者の解説が日本贔屓の一人よがりのものだったことがよくわかったし、サッカーはボールを支配するだけでなく高度な作戦が要るということもよくわかった。
 それでも21日はまさに日本女子スポーツの花が咲いた一日であった。
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