鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

根本的なところで何も変わっていない日本相撲協会

2009-01-31 | Weblog
 日本相撲協会が今度は日本人力士が大麻取締法違反で逮捕されたことで、再び揺れている。昨年末に露鵬など外国人力士3人が大麻を吸引していたとして除名となり、再出発を誓ったばかりの摘発で、改革が単なる表面を取り繕うものでしかなかったことが判明した。初場所で見事優勝した朝青龍が優勝決定戦で勝った後に土俵上でガッツポーズをしたことで、理事長から師匠の高砂親方に厳重注意をしたが、そんな瑣末なことに拘っているから、肝心なことが抜けるともいえる。
 朝青龍のガッツポーズは本割で白鵬に負けて14勝1敗で並び、優勝決定戦で勝って5場所ぶりに優勝を決め、土俵を下りる際に思わず、両手を挙げていわゆるガッツポーズをして、観衆の声援に応えた。オリンピックやプロ野球のテレビ中継で勝った選手がその瞬間に思わず両手を挙げてガッツポーズをする場面はよく見ており、だれも違和感をもたなかった。観客から座布団が投げられて、それをよけようとしたのかもしれない。
 ところが、その後、横綱審議委員会で、一部の委員から「あのガッツポーズは横綱の品格としていかがなものか」との意見が出され、海老沢勝二前委員長が会見でその旨を紹介することもあった。それで終わったのか、と思ったら、数日後、武蔵川理事長が朝青龍の師匠の高砂親方を読んで、厳重注意した、との報道があった。日本相撲協会としても品格に係ると判断したのだろうが、これには多くの識者が頭をかしげた。
 勝負に勝った競技者が競技場でその瞬間に勝った喜びを表現するのに奥床しくあらねばならない、というのは負けた相手に対するマナーといえばそうかもしれないが、一方では観衆に対する感謝の気持ちもあるわけで、単に品格の問題だけではない。勝敗に対する素直な気持ちの表現として、自由に認めたらいいだろう。協会はどうも朝青龍に対しては過去の言動に対する不信感があるのかもしれない。
 もし、朝青龍に対して、横綱としての品格を考えさせるとしたら、何も注意したことを報道陣に公表する必要はないのではなかろうか。親方を通じて諭すだけで、意は伝わるはずである。厳重注意した、と公表するのは協会としてきちんとやっている、ということを訴えたかったのだろう。
 そんな対外的なポーズばかりを気にしているから、若麒麟の大麻事件が起きるのではなかろうか。世間なり、外からどう見られているのだろうか、ばかりを気にして物事を進めているから、肝心の力士にまで浸透していかないのだろう。世間体を憚って外面を取り繕うような講習会などを開いて、協会はこのようにやっています、とポーズを取っているに過ぎない。
 だから、改革が建て前だけで内部に浸透していかないのだろう。一昨年の若い力士の殴殺事件から始まって大麻、八百長事件と相撲界は大揺れしているが、根本的なところは少しも変わっていないことがこれではっきりした。やはり、協会に外部から人材を入れて、基本的なところからやり直さないと改革は本物とならないことだろう。
 理事長の諮問機関である横綱審議委員会の委員長が知らない間に日本経済新聞社の鶴田卓彦相談役に代わっていた。会社を私物化して石もて追われたような人を委員長に選出するのもいかがなものか、と思われる。この委員会も改革しないといけないだろう。
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「53.70の衝撃」に終日落ち込んだ

2009-01-30 | Weblog
 29日のことである。毎週1回行っているフィットネスクラブでいつものように350メートルほど泳ぎ、お風呂にゆっくり浸かって、出たところにある体重計に乗ったところ、なんと目盛りは53.70を表示していたので、びっくりした。思わず量り直したくらいだったが、数時は変わらなかった。1週間前には55.7キログラムあったので、1週で2キロ減ったことになる。そういえば、今週はじめに背広を着たところ、ズボンのベルトの穴が一番小さいところでもなお余ったので、あれっと思っていた。先週末の深夜の突然の下痢でげそっと痩せてしまったのだろうか、とも思った。
 体重については機会あるごとに量っているが、この40年来、53キロ台にまで落ちたのは初めてのことである。学生時代には55キロ前後で、社会に出てから63キロくらいまで増えたことはあるが、大体60キロ前後で推移してきて、最近は56キロ前後とほぼ学生時代の体重に戻っていた。週に1回、フィットネスクラブに通って身体を動かしているのが効果をもたらしているようだった。
 それが、原因不明の下痢で一挙に53キロ台となってしまったわけで、鏡に写した身体を眺めると、なんとなく肩や腕のあたりの筋肉が落ちているような感じがする。気になったので、今度はスポーツジムでランニングをして100キロカロリー消費してひと汗かいてから、再びお湯に浸かって、再度体重計に乗ったら、やはり53.70と全く同じ数字を示していた。
 わずか2キロくらい大したことない、のかもしれないが、肥っている人の2キロとは違って、そんなに多くない体重の2キロだし、物心ついてから始めて経験する53キロ台なので、なにかあったのだろうか、と気になった。思い当たるのは先週末の下痢くらいしかない。いままで下痢したことは何回もあるが、それでもこんなに体重が落ちたことはない。
 早速、家に帰って、主婦と生活社の「最新家庭の医学百科」なるものを開いて調べてみたが、急激な体重の減少の原因として考えられるのは慢性胃炎、食道がん、胃がん、肝臓がん、糖尿病、パセドー病などが出ているが、症状などで当てはまらない。毎年人間ドックに入っているが、そうした診断は下されないし、思い当たるようなこともない。10年以上前に人間ドックにかかっている病院で大腸ポリープの除去手術をしたことはあるが、その後再発もしていないはずである。先週末の原因不明の下痢のもたらしたことだ、とすれば、こちらも原因不明ということになるのかもしれない。
 亡くなった親父が最後まで痩せていて、年とってそれなりに肉がついていないと貧相に見えると思っていたことを思い出す。家系的にはみんな痩せていて、肥った人はだれもいない。かみさんからはふとした表情や仕種が親父そっくりと揶揄されるが、体型も似てくる、ということなのだろうか。比率的には4%程度の変動なので、どうっていうことないのかもしれないが、数字そのものが初めて体験するものだったので、その日は終日落ち込んだ。
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行き過ぎではなかろうか、石川遼フィーバー

2009-01-29 | Weblog
 ゴルフ界を中心に石川遼現象なるものが起きている。一昨年にわずか15歳でアマながら国内ツアーで並みいるプロゴルファーを押しのけて優勝し、一躍スターの座に躍り出た。すると、昨年はじめには高校生ながらプロ転向を表明し、当初は大した成績を上げられずにいたが、後半になってめきめき力を発揮、遂に11月にはマイナビABCチャンピオンシップで優勝したうえ、年間獲得賞金も1億円を突破し、一流プロとしての地位を確立したかのように見えてきた。
 昨年末からマスコミ各社とも石川遼をスターのように取り上げ、毎日のように石川遼の名前が紙面に躍るようになった。17歳という無限の可能性を感じさせる若さと映画スター並みのルックスもあって、スポーツ関係誌だけでなく一般の新聞・雑誌もこぞって取り上げた。どこのメディアか定かではないが、酒年に最も活躍したプロスポーツ選手として石川遼を表彰しているところも出た。
 年明けとなって、アスコムとかいう出版社が石川遼オフィシャル応援マガジンとして「月刊石川遼」なる雑誌を創刊するに及んで驚いた。文学の世界で単一の作家の名前を冠した月刊誌が出るのは松本清張や司馬遼太郎など年期を積んで相当な実績を上げたうえでのことで、芥川賞を受賞したばかりの作家の月刊誌が発行されるのは聞いたことがない。
 と思っていたら、先日、日本プロゴルフ協会(JPGA)が石川遼を理事にするという記事がでた。JPGAなる組織がどういうことを決めていて、理事にだれが成っているのか、よく知らないがいかにも新設の何もよく知らない業界団体が世間で名が通っているから、といって有名人を理事に迎えるようなもので、しかも石川遼は子飼いの選手であるのがおかしい。17歳の高校生がNPGAの組織運営について一家言を持っているとはとても思えないし、若い選手には練習に専念してもらって技を磨くように指導するのがJPGAの行うべきことではなかろうか。JPGAが石川遼の人気に便乗して内部に取り込んで、よからぬことを企んでいるとしか思えない決定である。
 果たして、その数日後に石川遼に米国から米ツアーのゴルフ選手権に主催者推薦で招待状が届いた、との発表があり、さらに世界4大大会の1つである米マスターズ・トナメントにも招待されることが発表になった。出場すれば、日本人最年少となるとして、いまにも優勝しそうな大フィーバーとなって、日本のマスコミは大騒ぎをしているが、どうもこの背景にはJPGAのいだれかが裏で画策したような気がしてならない。
 世界金融危機でトヨタ自動車はじめJPGAの国内ゴルフツアーのスポンサーとなっている大手企業が軒並み下りることが十分に考えられるので、石川遼人気をあおって、なんとか踏みとどまってもらおう、と躍起になっている。そのひとつの表れがこの石川遼現象ではなかろうか。
 確かに石川遼は15歳にして国内ツアープロを優勝するのは並みはずれた能力で、10年に1人いるかいないかの選手で、順調に育ってほしい選手である。しかし、JPGAの組織の存立など他のよからぬ政争の具にされるようなことがあると、貴重な人材が消滅してしまうことはよくあることで、そうならないことを祈りたい。
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低支持率にあえぎ、死に体に近い麻生内閣

2009-01-28 | Weblog
 麻生内閣の支持率が急降下している。マスコミ各社が今月中旬から下旬にかけて実施した世論調査によると、読売新聞の20.4%を除いていずれも17~19%台と20%を割っている。これまでは読者のい年齢層の高い日経だけが他社より10%くらい高めに出ていたが、ここへきてどこも同じような数字となってきた。27日に評判の悪い定額給付金を織り込んだ2次補正予算が成立したが、麻生内閣の支持率が浮上する見通しはなく、麻生内閣の命運は尽きそうである。
 新聞各社の世論調査によると、麻生内閣の支持率は朝日、毎日、日経が判で押したように19%で並んでおり、あとは共同通信が19.2%、産経が18.2%、時事通信が17.8%と似たような水準となっている。注目すべきなのは逆の不支持ロツでは日経の76%を筆頭に以下、読売の72.3%、産経の71.4%、共同の70.2%とはっきりと麻生首相に「ノー」の意思表示がなされていることであある。
 しかも最近の世論調査では政党支持率では自民党より民主党のが高くなっており、「次期首相にふさわしい人は」との質問でも麻生首相より、小沢民主党代表のが上となっていることで、ここでも現政権は嫌われていることがはっきりとうかがえる。
 麻生首相は総選挙を戦うために首相になったと明言しながら、折りから起きた世界金融危機に対処して、経済の立て直しにメドをつけるまで総選挙を延期したが、その後の定額給付金をめぐる迷走や、数々の失言、補正予算の提出の先延ばしなどで支持を失い、結局就任して4カ月間、これといった成果も上がらないまま、党内の結束まで乱し始めている。
 自民党内では麻生首相では総選挙を戦うことはできないとして、麻生降ろしの動きが出たり、渡辺喜美前内閣府特命担当大臣が離党したりと波乱含みとなっている。明らかに政権末期の症状で、まさに麻生内閣は死に体に近い状態となっている。自民党のなかには選挙管理内閣をつくり、そこに与謝野馨経済財政担当大臣をすえる話まで出ている。
 目を海の向こうに転じてみれば、発足間もないオバマ米新政権は排ガス規制強化や強いドル政策維持を打ち出したりして、矢継ぎ早に経済・環境政策に乗り出している。麻生首相は外交で国内の失政を取り戻したい意向を持っていると伝えられているが、もはやそうした余裕はなさそうだ。
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草の根的なオピニオンに食われた新聞・テレビ

2009-01-27 | Weblog
 26日付けの毎日新聞朝刊の23面に一風変わった広告が掲載されていて目を引いた。毎日新聞の女性カメラマンが車の中からカメラのファインダーを覗いているカラー写真を全面に配して、右上に毎日新聞のロゴを置き、その下に新聞協会賞受賞と書き、左下隅に「報道に近道はない」とメーセ-ジを出している。対抗の6面の経済面がカラーだったので、やむなく自社の意見広告を掲載したのだろうが、いまの時期にいかにも唐突な印象を与えたのは否定できない。
 日本経済新聞も先週末の24日に2日遅れで、オバマ新大統領の就任演説とオバマ政権の陣容と政策を見開き全面で掲載した。いずれもカラーで、特に就任演説は英語と日本語の2カ国語を併記させた(この点については朝日新聞も同日1面全面を使って日英対訳付きで就任演説を掲載した)が、22日には読売新聞が要旨について同じことをしているので、2番せんじと言えなくもない。両面とも下に広告はついていなくて、あれっと思わせた。
 実際、新聞の広告情勢は深刻である。26日発売の週刊東洋経済が「テレビ・新聞陥落!」と銘打って大特集を組んでいるが、新聞・テレビ各社の経営苦境はすざまじいものがある。当の東洋経済が属する雑誌の世界ではとっくに広告減の影響を受けて台所が火の車となっているのに自らの状況は置いといてしれっと特集を組んでいるのが面白い。それはさておき、天下の朝日新聞が08年上期(4-9月)の営業利益が100億円もの赤字になったし、これまで比較的好業績を誇ってきた日本経済新聞までが一昨年以来、毎年100億円ずつ利益減となっており、08年度には前年比半減の100億円の利益となり、09年度には遂に利益ゼロに追い込まれる見通し、という。
 新聞より広告に依存する割合の高いテレビ各社は民放キー局5局のうち2局が今年赤字に追い込まれるし、各社とも少ないテレビ制作費をさらに削減しよう、と必死になっている。数年前に問題とされたやらせや捏造による番組制作の姿勢が嫌われ、広告メディアとしてのテレビが敬遠されているような要素がるのかも知れない。新聞・テレビ各社とも広告収入はもともとコスト的には人件費の占める比率が高く、売り上げのある水準以上はすべて利益となる。だから、逆にある水準以上に落ちると、利益はその分だけ下がることになる。各社とも広告収入については直接、広告主に訴えるよりは電通、博報堂など大手広告代理店に依存する面が強く、いざ落ちると自らの手で支えることは至難の技ともなっている。特にいまのような世界金融危機のような未曽有な状況となってくると、指を加えてただ手を拱いているしかない、というのが実情でもある。
 日本の新聞は明治の自由民権運動盛んなりし頃、政府を牽制する第四の権力として国民を代弁するような側面をもって生まれてきた経緯もあって、特殊な立場に置かれてきた。テレビも資本の成り立ちが新聞社から巣立った会社が多く、新聞のそうした権威を引き継ぐような形で、ともに長く日本のメディア界に君臨してきた。それが、インターネットの登場で、草の根的なオピニオンが誕生するに及んで、新聞・テレビの役割が変わってきた。つまり、新聞。・テレビだけが人々の声を代表するものではない、との声が出て、それが新聞・テレビに前ほど重きをおかないような風潮を生み出し、ひいては広告の減少につながっている。
 もちろん、旧世代の新聞・テレビの経営者はそうした変化に気付こうとはせずに、相変わらず広告部員の尻を叩き、広告代理店の幹部とゴルフ接待にうつつを抜かしているのが現状である。
 新聞が全国紙5紙、それに各都道府県に1、ないし2紙あり、テレビに至ってはキー局5局のほか、各都道府県に2~6局存在する。狭い国土にこんなに新聞・テレビの会社が必要とはまず思われない。新聞・テレビ業界に全国ベースでの業界再編成が起きるのは必至だろう。全国紙も5つは要らないので、2、3紙に統合されることだろう。
 それでも人々が知りたい情報をキャッチしてその背景を分析・解説にして流すようなニーズは必ずあるはずである。そうした必要な情報を提供しているとは思えないテレビは別として、それがいまの新聞社のように大量の記者、設備を抱えた経営形態でいくのか、特定の会員だけに配布するような形態でいくのか、議論の分かれるところであるが、いずれにしろ、新聞・テレビ各社が大きな岐路に立っているのは事実である。

 
 
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一夜のお腹の反乱で、お恥ずかしい顛末

2009-01-26 | Weblog
 2日前のことである。午後かみさんと買い物に出かけ、溝ノ口駅近くにできたドトールコーヒー店でコーヒーを飲み、家に帰って、すきやきで夕食を摂った後に就寝しようとしたところ、やけにお腹が重いので、念のため太田胃酸を呑んだ。ドトールコーヒーがかみさんに買ってもらったので、Mといつもより大きめのカップだったのがもたれたのか、いつもより食欲がないのはわかっていながら、つい箸が進んでしまったので、食べ過ぎたようだ。横になってもお腹がゴロゴロして落ち着かない。数分寝るともなくうとうとしていると、にわかにトイレに駆け込むことになり、遂に下痢となってしまった。
 それで収まればいいのだが、横になっても落ち着かず、再度トイレに駆け込み、今度は水溶状のひどい下痢で、こうしたことを3回繰り返した。単なる食い過ぎではない、食当たりのような症状を呈してきた。それで、こうした場合にいつも呑んでいる正露丸を服用し、多少症状も治まってきたが、今度は身体が冷えて寝付けないようになり、多少熱らしきものも出てきた。押入れからしばらく使っていなかった電気こたつを取り出し、暖をとったが、結局寝た気のしないまま、朝を迎えた。
 どうも身体がだるい。体温を計ってみると、摂氏37度4分もある。それ以外の風邪の症状はないが、明らかにちょっとした病気である。ここ1、2年寝込むようなことはなかったが、昔から寒い冬場はちょっとしたことで、風邪みたいなことになり、1、2日寝込むことが多かった。今回のように食べ過ぎでなったのは初めてのことである。
 下痢で身体から水分がなくなっているので、かみさんに近くのコンビニでポカリスエットを買ってきてもらい、ちびちびとでも水分を補給し、テレビをみながらできるだけ寝るようにして体力の維持に努めることにした。食欲は買ってきてもらったカステラを食べたくらいで、あまりない。体温を計ると摂氏37.7度とやや上昇している。
 この日は結局、早めに寝ることにしたら、ぐっすり寝入ってしまい、翌朝目が覚めたのは午前4時半で、8、9時間ばかり睡眠をとったことになる。体温を計ると35.4度と自分の平常時の体温を知らないようなうそみたいなレベルで、身体も軽い。かみさんによると、夜中に汗をかいていたというから、風邪も吹っ飛んでしまったようだ。
 一時はどうなることか、とも心配したが、治ってみれば、なんのことはない食べ過ぎで、一時的なお腹の反乱で、我ながら恥ずかしいくらいの出来事であった。正月明けのスペイン旅行が年の割りには強行スケジュールだったので、いまごろこんな形で疲れが出たのかもしれない。いずれにしろ、いくつになっても自分の食べる量もわからないほど人間は浅ましい、ということがよくわかった。
 
 
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ドル口座の振り込み手数料が4000円とは高い

2009-01-25 | Weblog
 世界金融危機の様相はますます深化の度合いを深めているが、先日、長く取引してきた米シティバンクからドル預金をシティバンク以外の法人の口座に振り込もう、と依頼したら、振込手数料は日本円で4000円かかる、と言われ、一旦躊躇したが、その通り4000円を払って振り込んでもらった。あとで、規約を見ると確かに他法人口座に振り込む手数料は4000円となっていた。あとで、考えたのだが、一旦ドルで引き下ろして自分で当該銀行へ持っていけば4000円かからないことに思い当った。
 シティバンクとは10年来の付き合いで、いずれ円安になると踏んでいまから考えるとあり得ない1ドル124円強でドル預金を始め、以来ずっとドルで保持してきた。それでも基調は円高なので、当初の投資額をいまだに上回れないでいる。日本から世界を見ていると、どう考えても中長期的には円安になる、と踏んでいるのだが、ごく最近の円高現象をみればわかるが、理屈通りにはいかない。
 そのドル預金を丁度3年前に「BRICS債券」なるものにほとんで投資し、どのくらい増えるか比べてみよう、と1万ドルだけ3年の定期預金とした。元本保証の債権なので、安心だったが、当初は手数料ばかりとられて元本を割っていたが、2年目くらいから評価額が上がってきて、昨年8月には25%強の利子がついて、満期の11月末までどのくらい増えるのか、と期待していた。
 ところが、9月14日に米国に端を発するサブプライムローン問題が表面化し、一挙に債権価格が落ち始めた。シティバンクのHPで見ると、日毎に下落していくのが一目瞭然だったので、思い余ってシティバンクを訪れると、「どこまで落ちるか予測できない」とのことで、毎月1回売りに出すことができることを教えてくれた。そんmんあ初歩的なことも知らずに投資していたので、シティバンクにとってはいいお得意さんだったのだろう。それで。売り時を誤って、ついつい満期の11月27日まで持ち越してしまった。
 それでもドル定期預金より高い10%強の利益が出たので、結果的には良かったのかもしれない。ただ、その間、シティバンクは何のアドバイスもくれなかったので、やや不信感を持ったのと、丁度他に取引のある邦銀からドルの投資案件がオッファーされたので、シティバンクに仄めかせると、途端に投資ファンドのDMを送ってきたり、正月明けの留守電に投資の勧誘の伝言を残したりして、積極的な姿勢をうかがわせた。
 しかし、世界金融危機はシティバンクの本体をも直撃していることもあって、1年の半分弱をドル定期預金にし、残りを邦銀のシティバンクの口座に振り込んでもらうことにした。としたら、4000円の手数料が必要と言われたわけで、半ば嫌がらせではないか、と思ったくらいだった。シティバンクの担当者は「どんな投資案件ですか」と恨みがましそうに使い道を聞いてきたが、手のうちを明かすわけにはいかず適当にごまかした。そんな質問をさせないためにもスッパリとドルででも引き下ろすのがよかった、とも思った。
 で、やむなく4000円払ったが、数日経ってからなぜドルでそのまま引き下ろさなかったのか、と反省した次第。ドルだと日本ではそのまま使えないので、ついつい振り込みと思ってしまうところに盲点があったのだろう。
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日本初の被害者参加裁判を傍聴して思ったこと

2009-01-24 | Weblog
 23日は東京・霞が関の東京高等裁判所へ裁判の傍聴に行った。午前中、有印私文書偽造と薬事法違反のどうってことない裁判を傍聴した後、昼飯を食べて一息ついてから、帰ろうかなと思って裁判所を出たところで、ふと右を見ると傍聴券を求めて多くの人が並んでいる。そういえば、掲示板に午後2時締切の傍聴券配布と出ていたな、と思ってふと並んで見る気になった。受け付け番号は175番で、よく顔を見る常連さんが9倍とか、囁いていた。どうせ当たらないだろう、と思っていたら、なんと当選していた。期待していないとこんなものだ、とも思った。ただ、裁判は「自動車運転過失致死」事件でなぜこんなに多くの人が傍聴したがったのか、わけがわからないままだった。
 それで再度、入館して、当該法廷に行ったが、当選者の列に加わってもその理由がわからなかった。若い女性が数多く並んでいたため、芸能人が被告なり、被害者に関与しているのか、とも思ったが、新聞社の委託する似顔書き屋さんが数人つめているし、弁護士らしき人も見られるし、開廷まで様子がわからなかった。傍聴席には17人の記者席が設けられ、関係者席も6つあるので、一般の傍聴席は25人分しかなかった。傍聴券を求めて並んだのは219人なので、8.76倍ということになる。
 入廷した被告は60代の男性で、検事が起訴状を読み上げる時に検事の後ろの席に座っていた女性がしきりに泣いてすすりあげていた。事件は今年8月1日の深夜に東京・祝田橋の交差点を青信号で右折しようとしたトラックにオートバイが突っ込んできて追突し、運転していたレストランのシェフが死亡した事件で、過失致死に問われたもの。トラック運転手の前方不注意によるもので、被告側は控訴事実を認め、専らその後の被告の遺族に対してとった措置について争点が絞られた。
 冒頭陳述でも検事は被告が事故後、1カ月も経ってから遺族の家を訪れたが、妻のお母さんから線香を上げるのを断られると、「2時間もかけてきたのに……。警察から行けと言われてきた」と言って帰ったこと、およびそれ以来なんの謝罪もないことを指摘していた。そして、その後、弁護側の証人として証言台に立った被告の妻、および続いて立った被告人に対してもそのことを執拗に追及した。
 なおかつ、検事の被告への質問の後に、臨時陪席の裁判官として当初から担当検事席に座っていた被害者の兄が被告に対し、直接質問した。ここまできて、ようやくこの裁判は来る裁判員制度と並んでいままでの裁判を変える「被害者参加制度」に則った裁判であることがわかった。もちろん、裁判の場で被害者が加害者である被告に対して直接、問いただすことができるのはこれが初めてのことで、いわば歴史的な場に立ち会うことができたわけだった。
 被害者の兄の質問は「被害者の住所をいつ、どのように知ったのか」とか、「聞いてから実際に訪れるまで約2週間も遅れたのはなぜか」、「事前に訪れることをなぜ連絡しなかったのか」、「1回しか来なかったのはなぜか」、「事故現場で手を合わせるようなことをしたことはあるのか」、「追突現場で花や飲み物を供えたことはあるのか」、「あなたの考える誠意とは」などあらかじめ検事と打ち合わせた内容の質問で、いずれも被告からは歯の浮くような答えしか得られず、却って遺族の怒りを買うこととなった。
 続いて堪りかねた裁判官が被告に「あなた自身がもっとやらねばならないことがあるのでは」と切り込み、裁判長が「あなたは最初遺族に頭を下げたが、その後のあなたの言葉を聞いても、遺族の怒りはますます募っているとしか思えない。本来ならもっと思慮分別があって然るべきだ。遺族は一生このことを忘れられないだろう。もっと自分のやったことの重さを考えてほしい」と苦言を呈した。
 その後、これも異例であるが、被害者のお母さんが意見陳述を認められ、「被告は誠意のかけらも認められない。絶対に許すことができない。実刑を望みます」と述べ、その意見書は裁判の記録として残すために日付けと署名が書き加えられた後に裁判長に提出された。
 検事論告では遺族の処罰感情が著しいとして禁固1年6カ月が求刑された。この後、これも異例の被害者の妻が法律上の処置について意見を述べたい、と申し出て、裁判長から要旨、所要時間、求刑への言及がないことを確認したうえで許可し、持っていた紙を見ながら「私たちは殺人だと思っているので、被告は刑務所で罪を償ってほしい。単なる交通事故ではなく、過失である。被告は何も反省していないのはないか。いままでの交通事故の刑は軽すぎる。実刑を強く望みます」と意見を述べた。冒頭、取り残された娘の心情を切々と訴えたため、傍聴席のあちこちからすすり泣きがもれ、廷内は異様な雰囲気に満ちた。
 続いて、四面楚歌のなか、弁護人は「民事訴訟では一般に交差点での右折自動車と直進オートバイとの追突事故の責任は85対15となっている」ことをあげ、全面的に被告に非があるとはいえないと反論した。ただ、死亡事故に至ったことを被告は真摯に反省しているものの、裁判外では謝罪に至ってないことを認め、それでも執行猶予の判決を望むと締めくくった。
 磁界の判決言い渡しを前に裁判長が改めて被告に「最後に何か言っておくことはないか」といい、被告は「何もありません」と折角の謝罪の場を自ら放棄し、廷内の顰蹙を買った。この刑事裁判の判決が出たら、もう自動車の運転はしない、と言いながら、事故後も引き続きトラックの運転を続け、平然としていることと合わせ、人間としての資質に欠けていることを思わせた。
 裁判所、検察側が被害者参加制度の格好の裁判として選んだだけあって効果的な裁判ではあった。午後7時にNHKニュースや24日付けの新聞各紙で社会面で大きくその意義を取り上げていたが、弁護・被告側にその情報が伝わっていたのか、疑問の残る点もあった。2月20日に判決が出るが、仮に禁固1年の実刑が出れば、弁護側は控訴するだろうし、高等裁判所でも同じようなお涙頂戴の裁判劇が展開されるのだろうか。
 全体の印象では被害者参加といってもすべて検事の書いたシナリオに沿ったもので、一般市民で冷静に被告と向き合える人はなかなかいないだろう。悲しみの感情を法廷に持ち込むのは限界がある。今回はたまたま、被告が悪役を演じるにふさわしいキャラクターの持ち主だったから成立したが、いつもそううまくいくとは限らないだろう。一般に人にとっては刑事裁判でなく民事裁判ではどうせ弁護士の世話なならないと解決しないことがいっぱいあるのだから、刑事裁判だけをいじくっても仕方ない気もする。それと、最後の被害者の妻の意見陳述はそれまで出ていた見解の繰り返しでもあり、そこまで被告を追い詰めることはないと思わせた。こうなるだろうという読みがなかった弁護・被告側の完全な敗北の印象が強いが、果たして被告はあとで反省して、裁判で言ったようにお墓に参る気になるのだろうか、とやや気になった。
 ただ、裁判のあり方を考えるいいきっかけになったことだけは確かだろう。

追記 2月20日午前10時40分に注目の判決があった。それによる判決は禁固1年6カ月、執行猶予5年と一応求刑通りの刑が宣告されたが、実際には「被告なりに反省している」ということで執行猶予がついて、実刑とはならなかった。この種の裁判ではほとんどが執行猶予付きで、実刑になる例はまずない。判例上は実刑にしにくい、というのが裁判を多少でも知る者の見方で、その点では裁判官もいかに初めての被害者参加裁判といえどもあえて冒険はしなかった、ということだろう。ただ、通常は執行猶予は2年程度なのが、5年と長くしたのはせめてもの被告への反省を促す警告なのだろう。判決後、被害者の妻は「執行猶予は無罪と同じ」と断じたが、たとえ控訴しても結論は同じだろう。
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百貨店の売り上げ不振は自ら招いたもの

2009-01-23 | Weblog
 百貨店の売り上げが急減している。特に昨年秋の世界金融危機以降の落ち込みがひどく、生き残りをかけた業界再編成が一層進む状況となっている。新聞のなかには08年の百貨店の売り上げがコンビニエンスストアの売り上げより下回ったことを大きく取り上げているところもあったが、総体としての売り上げ比較に意味はない。もともと、経済産業省の規定ではすでに百貨店としてではなく売り場面積が3000平方メートル以上の大型店舗としての認識しかなく、既成のスーパーと同じ位置づけにあり、昔ながらの観念を持っているのは一部の人に限られている。百貨店としてではなく、一小売業としていかに再生を図るかに目覚める時である。
 日本百貨店協会がこのほどまとめたところによると、08年の百貨店売上高は7兆3813億円で前年比4.3%減と12年連続の減少となり、年間としてはコンビニの売り上げに初めて抜かれることとなった。特に昨年12月の売り上げは既存店ベースで前年同月比9.4%減と1965年以来最大の下げ幅を記録した。世界金融危機で消費者の消費マインドが大きく落ち込んでいるのがもろに直撃された感がある。
 22日に日本テェーンストア協会が発表した08年の全国のスーパーの売上高(既存店ベース)が13兆2753億円で、これも12年連続の減少ではあるものの、前年比では0.7%の減と比較的軽微なレベルにとどまっていたのに比べると、百貨店の落ち込みはひどい。スーパーの場合、全体の売り上げの60%強が食料品で占められていることがその理由であるが、営業形体別に売り上げを比較することに意味はさほどないのも事実である。
 しかし、長く百貨店が消費の王座に就いていたことを知る者にとっては一抹の淋しさがあるのもまた事実である。百貨店がっかうまで消費者の支持を失っているのには小売業者として最も大切なマーチャンダイジングを疎かにしてきたことに最大の理由がある。店頭にどのような商品を飾り、どのような価格をつけるか、といった商品企画から始まって仕入れ、マーケッティングに至る一連の流れをいうが、その肝心なところをメーカーや問屋に任せ、売れれば販売マージンをとる店舗貸し業になり下がっていたことが今日のじり貧を招いている、といっていいだろう。
 ここ数年はルイ・ヴィトンに象徴される海外ブランドをこぞってテナントに迎え、どの百貨店も変わらぬ状況すら呈していた。ブランド店は百貨店に限らず、各地のショッピングセンターにも出店し、ますます百貨店の首を締めることとなった。
 百貨店の経営者はここは自らのマーチャンダイジング力を磨き、独自の色を出すことから始めなければならない。自らの頭で何が世の中の流行かを考え、商品企画をして、その線に沿った商品を仕入れ、自らのリスクで店頭に並べ、販売する姿勢に変えるべきだろう。
 
 
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気になる米ウオール街のオバマ新政権に対する反応

2009-01-22 | Weblog
 米国時間1月20日正午(日本時間21日午前2時)の第44代米国大統領、バラク・オバマ氏の就任式の模様をビデオに録って、見た。百年に一度の未曽有の不況下とあって、期待度大いなるなかでの就任に全世界の注目が集まった。大統領選では「チェンジ」とか「イエス ウイー キャン」のフレーズで演説のうまさで定評があったので、就任演説ではいかなる名演説をするのか、と関心をもって画面を見つめたが、大向こうをうならせるほどの内容ではなかった。米国の置かれた状況を冷静に解き明かし、国民1人1人に何ができるかを問い直した点ではそれなりの説得力はあったが、期待が大き過ぎたのか、ややがっがりさせられた。
 米国の大統領就任式の模様を見るのは初めてのことで、歴代大統領はじめ米国の司法・行政・立法を担うVIPが居並ぶなか、オバマ大統領はジョン・ロバーツ最高裁長官の前で、リンカーン大統領が150年前の宣誓式で用いた聖書の上に手を置いて大統領就任にあたっての宣誓を行った。続いて21発の祝砲が放たれ、厳かな雰囲気のなかで就任演説が行なわれた。
 オバマ大統領はまず世界金融危機はじめ世界がかつてない危機にあることを述べたうえで、「米国は今日から国を作り直す仕事を始めなければならない」として、経済面では「新しい雇用を生み出すだけではなく、成長の土台を作る」と高らかに宣言した。そして、建国以来の米国の歴史に触れた後に「機会をすべての人に与え、次代を担う子供たちのために力を尽くす」と語り、最後は「神の加護がありますように」と締めくくった。
 米国が置かれた状況からして言うべきことは言っているし、国民に奮起を促したことでは及第点はつけられるのだろうが、就任時の米国大統領としては5番目に若い47歳5カ月の米国初めての黒人大統領としてもっと感動的なフレーズがたくさんあると期待していたのに平板な内容だった。
 首都ワシントンには全米から200万人を超える人が集まり、国会議事堂の前には摂氏氷点下5度という寒さのなか、19分の演説を聞いた聴衆は歴史的な局面に立ち会ったという自身への感動から言葉にこそ出さないが、内心は落胆したに違いない。
 このことは同日のニューヨーク株式市場がダウ工業株30種平均で前週末比332.13セント安の7949ドル9セントと2カ月ぶりに8000ドルを割り込んだことでも裏付けられている。日本の株式も21日は164円15銭安の7901円64銭と8000円を割り込んだ。
 21日夜のNHKの「クローズアップ現代」ではオバマ大統領には1300万人の草の根の有権者がおり、You Tubeではオバマ大統領の声明を1300万人のメールアドレスに発信できるネットを最大限に活用する政治家である、と紹介していたが、いまのような前代未聞な局面でそうした手法が効果を生むとは考えにくい。増してオバマ新大統領にとって鬼門の経済が重くのしかかってきそうな気がしてならない。
 いまや米国は世界の覇者から単なる先進国のひとつになったことをオバマ大統領がまだ認識していないことから来る落胆が現れているのかもしれない。もう米国は世界経済を引っ張っていく力も能力も失われている。なのにオバマ新大統領は昔日の栄光を取り戻そう、と壮大なデザインを描いているのだろう。その錯覚に早く目覚め、まずは米国一国だけでも立て直すことから始めなさい、という警告なのだろう。21日に米ドルが円に対して13年半ぶりに87円10銭という安値をつけた、というのもその象徴といえるのかもしれない。

追記 オバマの就任式の録画を見ながら、チャンネルをテレビのニュースに変えると、黒のジャージーを着た人相の悪い男が数人のむくつけき男らに囲まれて街をうろつついている画面になった。何事か、と思ってよくみると、首相公邸に引っ越したばかりの麻生首相が朝の散歩出かけたスナップだった。SPに囲まれ、厳重に警備されたなかでの散歩で、本当に人相が悪くて、どう見ても犯人護送にしか見えなかった。それよりも方や華々しいデビューを飾っているのに、こちらは極悪人護送の様子では日米のトップのあまりもの落差に愕然とさせられた。 
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