鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

年間の単行本購入費がゼロだったことを知り、我ながら愕然とした。書籍離れに拍車をかけるようなことになって申し訳ない気持ちで一杯でもある

2023-02-26 | Weblog

  つい先日、最近本を買っていないなと思って、永年購入した本の購入台帳を見てみたら、なんと昨年1年間の本の購入が全くなかったことに気がついて、愕然とした。会社を退職して、財政状況が厳しくなったので、できるだけ市販本は買わずになるべく図書館で借りて読むようにしてきたが、それでもこれはと思う本は購入していたので、まさか年間を通じて全く本を購入したことがないないなんてことになる、とは思いもしなかった。昔から読みたい本があったら、即座に購入して読んだ後も本棚に並べて、折りに触れ、読み返すようなこともあったのに、何という変化か、と驚きもした。

 本の購入台帳は時々、好きな作家の小説など以前に読んだことがあるのにすっかり忘れて、2度目の購入をしてしまうことが相次いだので、もうかれこれ約30年前から、購入した本のタイトルと値段を書いておき、買おうと思った時にこの台帳をめくって、以前に購入しているかどうかを確かめてから、購入するようにしてきた。新本に限らず、アマゾンのサイトから古本を購入した場合もきちんと書き込んできた。だから、年末になると、過去1年間の図書購入費がいくらか、を計算して、多い時には1年に10万円を超えるようなこともあり、そんな時は「今年は本を買い過ぎた」と反省することにもしていた。

 それが、会社を定年退職した2011年を境に年間の図書購入費は下降線をたどり。2015年には5万円を切り、ここ最近は1万円を下回るようになってきた。年金生活で月々の生活費のやり繰りに追われるようになってきたのにと伴い、読みたい本はなるべく図書館で借りるようになってきたことが大きいと思われる。若い頃は電車のなかで、人が図書館から借りてきた本を読んでいる姿を見ると、「本くらい自分のお金で買えばいいのに」と思って半ば軽蔑の念すら感じていたのに、我ながら変われば変わるものである。

 とはいえ、これはあくまでも単行本の購入費であり、週刊新潮や週刊文春などの週刊誌については全くのゼロではなく、時には購入することもあったので、年間を通じて全く市販の活字媒体を購入していないわけではない。ただ、単行本の購入は年間を通じて全くゼロというのは偽りのない事実で、高齢者が生活のやり繰りでこうした状況に追い込まれるとそうなる、という間違いのない事実でもある。

 ちなみに鈍想感愚子の単行本購入台帳によると、1994年から2020年までの25年の図書購入金額は217万円余で、年平均にすると、8万3500円程度となっていて、それが2021年には1万円を切ってしまい、昨年についにゼロとなってしまったわけである。もっともこれは物理的な印刷書籍についてのことで、デジタル書籍については別のことかしれない。ただ、鈍想愚感子はデジタル本は一切購入したことがないので、あくまでも物理的な印刷書籍についての話である。

 全国に本屋さんはかつて6万軒あったのがいまや半分近くに減っており全国の市町村のなかに1軒も本屋がないところも結構ある、と聞いている。そんな書籍離れの傾向に拍車をかけるようなことをしていて、一方では申し訳ない気持ちもあるが、ここは一市民として生きていくためにもやむを得ぬ方便でもある、と割り切るしかないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近、相次いで弔意を表しようがない事例にぶつかって、コロナウイルス感染下で失われてしまった社会の温かい人間関係を痛切に感じた

2023-02-19 | Weblog

 18日夕、自宅の黒電話に連絡が入り、最初は名古屋の甥っ子かと思ったが、話を聞いているうちに長らく話したことのない従弟の和徳氏からで、話の内容はこれも永らく音信の途絶えていた一族の別の従姉である弘子さんが亡くなった、との連絡だった。弘子さんはかれこれ半世紀以上前に亡くなった父母が経営していた喫茶店の女店員として、勤めてくれていた女性で、そのお店を閉じてしまった以降もないかと連絡を取り合っていたが、少なくともこの10年は年賀状のやりとりもしなくなって、どうしているのかな、と消息が気になっていた女性だった。

 聞けば、年賀状を出していた当時の住所、名古屋市名東区ではなく、とっくに安城市の方に引っ越しをしていて、そこで人知れず昨年10月頃に亡くなっていて、和徳氏は遺体の引き取りから故人の残したものの処分を行い、つい最近故人の住所録が見つかり、当方へ連絡してきた次第だった。和徳氏の話を聞けば故人の弘子さんは奥さんのいる男性と付き合っていることが判明してその処理にも時間を費やした、とも言う。弘子さんとは24年前に父親の葬儀を東京で行った際に名古屋から来てもらい、それ以来手紙などやり取りしていたことがあっただけに亡くなったと聞いて、ちょっとした悲しみが湧いてきた。同時に弘子さんに対する弔意をどう表したらいいのか、はちょっと課題として残ったが、難しい問題だ。

 その他にも父親の親族の皆さんの消息を聞いたが、ほとんどの人は亡くなっており、名古屋市千種区自由が丘にあった父親の一族の先祖代々の墓もいまや無くなってしまった、という。かれこれ30分以上は関係したみなさんの消息を聞いたうえで、この春にでも名古屋へ帰った際にお目にかかることを約束して、電話を終えた。考えてみたら、和徳氏と話すのは名古屋で母親の葬儀をした際以来のことだから、実に50年ぶりだった。名古屋から東京へ出てきたのがそのちょっと前で、それ以来名古屋の親族との付き合いはほとんど途絶えてしまっていた、ということに愕然とした。人の付き合いというものはこんなにも脆く消え去ってしまうものなのか、とも思われた。そんな意味深い電話であった。

 これとは別につい1カ月前に名古屋の高校時代の友人から「永らく病気をしていた同じ仲間のH氏が亡くなった」とのメールが入った。その後、仲間でH氏の自宅である浜松へ仲間6人で弔問に訪れよう、との話が出て、行くことになったが、H氏の奥さんが「本人意思でもある」ことを理由に固辞して実現しなかった。これもどういうか形で弔意を表すのか、課題として残ったが、まず具体化することは難しいことだろう。

 このほか、最近、会社の先輩が次々へと亡くなっている。いずれも近親者で密葬で済ませているので、第3者が弔意を表そうにも表すことできない状況が続いている。コロナウイルス感染が広がっていたこともあるが、3年余もこうした状態が続くと、コロナウイルス感染が沈静化してもこうした状況が続いていってしまうのではないか、という気がしないでもない。社会全体がそれだけ人間関係が希薄化してしまっていて、人として果たしていかなければならないことがなおざりにされつつある、という気がしてならない。コロナウイルスで変わってしまった温かい人間関係は取り戻さなければならない、と痛切に感じた次第。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦瑠麗、成田悠輔両氏に共通するものは人の道に外れた言動をすることで、他山の石とすべきだろう

2023-02-18 | Weblog

 最近相次いでテレビの画面からほぼ消え去った男女2人のトピック解説者がいる。一人は国債政治学者の三浦瑠麗氏でもう一人は米エール大アシスタントプロフェッサーの成田悠輔氏だ。いずれも常識人としては致命的な失言をしたことがきっかけだが、いずれもいささか的を外れた言動をしており、視聴者からそっぽを向かれたせいで、テレビ関係者がテレビに出演してもらうには不適格と判断したためと見られる。2人の共通点は出演のきっかけはわからないが、急にテレビにお目見えして、脚光を浴びたことで、テレビ画面から消え去ったのも同じく急であった。テレビ刹那的なはメディアであるが、登場人物に対しても同様に刹那的なメディアであること物語っている、とも言えそうだ。

 三浦瑠麗氏は数年前の年末に政治評論家の田原総一朗氏が主宰するテレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演し、格好よく論陣を張り、その後も毎回、その番組に出演し、一挙に政治経済番組のコメンテーターとして活躍するようになった。時には田原氏が暴走する場面もさっと手を挙げ、その場を収めるような働きをするなど一挙に政治番組と常連となっていった。そんな活躍も田原氏の後押しがあったためとみる向きも多かった。

 ところが、三浦瑠麗氏の夫が経営する太陽光発電を手がける会社が関西で展開する事業に絡んで地元企業から詐欺の疑いで訴えられる事件を起こし、関係当局から疑いをかけられることとなった。その会社の役員に三浦瑠麗氏が名前を連ねているうえ、過去に太陽光発電を大いに進めるべきだ、と発言していたことが疑問視され、テレビ関係者の間にいままで通りに三浦瑠麗氏をテレビに露出させるのはまずい、との判断が出て、それまで常連メンバーで出演していた番組への出演は見合わせることとなってしまった。

 一方の成田悠輔ついも最近、テレビに顔を出すようになったお堅い番組のコメンテーターであり、なぜこんなに頻繁に出演するようになったのか、疑問を感じていた。ところが、成田氏は過去に「高齢者は老害する前に集団自決するか、集団自殺みたいなことをすればいい」と米ニューヨークタイムズ紙で発言していたことが明らかとなり、そんな過激な発言をしていたのは問題である、として、一挙にテレビ出演を差し控えるような動きが出てきた、というのだ。

 2人とも俄かにテレビ出演するようになり、一挙にテレビ画面から消え去った点でよく似ている。テレビそうしたは人材を見つけてきては簡単に切り捨ててしまう、テレビらしい、といえばらしいことでもある。それだけ消耗の烈しい世界である、といえばそうでもある。要は世の中はいかにも常識を外れたことをやったり、言ったりする人はいつか切られ、切り捨てられる、ということだろう。他山の石とすべきことかもしれない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山中竹春横浜市長にとって一抹の不安を感じさせた代表質問だった。終わった後に財布を忘れてくるハプニングも

2023-02-17 | Weblog

 17日は横浜市の令和5年度第1回市会の本会議の代表質問の傍聴に行った。一昨年8月に横浜市立大教授から横浜市長に見事当選した山中竹春市長にとって2年目を迎える正念の場ともなりうる場でもあるが、その割りにはチラホラとしか傍聴人がいなかった。ただ、傍聴席の中段に横浜市内の神橋小学校の児童が百五十人ばかり陣取っていた。自民党の黒川勝議員と立憲民主党の藤崎浩太郎銀議員がそれぞれ党を代表して横浜市が当面するデジタル化社会への対応や、少子化対策などについて主に山中市長の方針を問い質した。黒川議員の質問の途中で小学生団が一斉に退場してしまったのはご愛敬だったが、熱のこもった議論を展開した。

 この代表質問では山中市長の施政方針について正面から切り込むようなことはなく、出産・子育て応援事業や脱炭素化社会の実現に向けた取り組み、スタートアップ支援など各論について問い質すようなやり取りが多く、その意味ではあまり代表質問といった感じは出ていなかったように見受けられた。しかもひな壇に並ぶ横浜市当局の幹部連中が答弁する姿はわずかに教育長が2度答弁に立っただけで、その他の職員は単に座っているだけだった。山中市長はほとんどの案件を先頭に立って市政に邁進しているのに市の職員はただ黙って見ているだけという印象を抱いてしまった。

 2019年以来3年にわたって続いたコロナウイルスの猛威はほぼ去りつつあるようで、これから各地方自治体はいままで放置されてきた市民への奉仕を本腰をいれてやらないといけない事態を迎えようとしている。なのに、横浜市の職員の醒めた姿勢はこんなことで大丈夫なのかな、との一抹の不安すら抱かせた。それとも革新系の山中市長に対しては相変わらず「お手並み拝見」との姿勢を押し通そうとしているのではないか、との懸念を持った。

 横浜市議会の代表質問はこのあと公明党、共産党と続いたが、丁度お昼休みに入ったところで、議場を後にした。議場を出て、トイレに行って戻ってロッカールームで預けた鞄を取ろう、としたら、守衛さんが寄ってきて、「お席に忘れ物をしていませんか」と言った。とっさにズボンの後ろ左のポケットを探ったら、財布がないことに気がついた。で、守衛さんが「どんな形の財布ですか」と言うので。「黒い2つ折りのものです」といったら、なんとその黒い財布を掲げて示してくれた。で、「その財布の中にマイナンバーカードがあるはずです」と言って、取り出し、顔写真の写っているカードを顔の横に持っていって、「私のです」と言ったら、納得して返してくれた。

 実はこの財布は以前にもバスの中や映画館で落としたことがあり、同じようにズボンの左後ろのポケットに入れたまま、座っていて、ずり落としてしまって、いずれも親切な人おかげでの手元に返ってきたことがある、いわく付きの財布である。だからこの財布を持ち歩くときには必ずボタンを掛けることを心がけていたのだが、今回はまたぞろボタンを掛けずに置き忘れて出てきてしまった。財布には現金のはか、クレジットカード、それにマイナンバーカードもい入っていて、失くしたら大変なことになるところだった。

 幸い、親切な守衛さんらのおかげで大事に至らずに済んだわけで、横浜市の職員さんらに感謝、感謝である。もっともっと山中市長を応援しないといけないということなのか、と納得した次第。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2日続けて出血事故に遭い、年をとると身体のバランス感覚がずれてくることがある、と思い知った。

2023-02-04 | Weblog

 4日早朝のことである。いつも夜中に1回はトイレ、といってもおしっこに起きるが、その時も起きようとして、つい足が滑ってよろめき、引き戸の桟に頭のこめかみあたりをぶつけてしまった。痛いので、洗面所の鏡で見てみたら、こめかみが赤くなっていて、血が出ていた。ティッシュで拭き取ったが、次からつぎへと血が吹き出してきて、止まらない。痛さも続いていて、しばらく拭き取り作業を続けていた。そこで横に置いてあるオロナイン軟膏を塗り、上から絆創膏を貼ったら、どうやら収まった。

 どうやら、最近の寒さで息子から昨年末の誕生日祝いに厚手のシーツを贈られ、それを使い出したのはいいが、ちょっと滑りやすくなっていたのが原因だと思ったが、それよりも年齢(77歳)の加減で、身体のバランス感覚がやや崩れているのが大きな原因ではないか、と思われる。つい、この前日にもお風呂を出る際に洗い場の床がお湯、といってもすでに冷めて水になってしまっているので、次にかみさんが入るのに冷たいと可哀想だと思って、足で拭き去ることをやっているので、いるものように両足で拭き取っていた。そしたら、左足が滑るように流れ、気がついたら親指あたりが下に曲がって痛くなってきた。で、しばらくすると、親指の爪が割れたのか、血が吹き出してきた。

 この左足の親指の爪は数年前からまるで水虫の冒されたように粉が吹き出したような感じとなっていて、昨年のいまごろ皮膚科に行って見てもらったら、カンジタ菌が巣くっている、ということで、塗り薬をもらい、1日に1回塗布をしてきて、ようやく完治寸前にまできていた。それが今回の負傷で、また爪が割れたような感じとなってしまった。お風呂の洗い場の床はプラスティック製だが、滑らかではなく凹凸があるので、足を引きづった際に親指の爪を損傷したのだろう。医者によると、親指の爪の異常は水虫の一種だというが、またまた完治まで時間がかかることとなった。

 2日続けて血を見る負傷が続いたことになるが、このところ、我が身にはちょっとしたことで、負傷する事故が相次いで起こっている。数ケ月前にもお風呂を出てから居間に来るまで歩いた時に体重計の角に足をぶつけて、ちょっと痛いな、と思って足のところをよく見たら、血が吹き出していた。血を見るまでもなく、頭や腕を扉にぶつけるような軽い打撲はこのところ、しょっちゅう起きている。

 考えみるみると、身体を動かす時に周囲を見て足腰を動かしても安全だと思う際のバランス感覚が微妙に狂っているようで、以前ならありえなかったような身体と机やテーブル、椅子、扉との衝突が結構起きている。まさに老化現象といっていいのかもしれない。よく老人は転んだ際に足腰を痛めるというが、若い時には考えられない事故となる、とはよく耳にすることである。目測で距離を測る感覚が狂ってきて、脳から足腰に指令を出すのも距離感がずれてしまっているのだろう。こうなると、街で交差点を渡る際にもいつもなら、ありえないような事故が起きてしまうのも当然となってくる。

 若いころなら起きなかったことが年とると、今後は起きてしまうようなことが出てくるかもしれない。幸い、自動車の免許証はもう返上しているので、運転しての事故を起こす心配はないが、交通事故の被害者としていつなんどき事故に遭うかもしれない状況になっていることだけは心しておかなくてはいけないだろう。増して、こちらが用心していても、相手が老齢運転手だったりしたら、いつ事故に巻き込まれても不思議ではないだろう。こんなことは政府なり、地方自治体に警戒してもらう以前に自ら心して置くべきことだろう。転ばないようにするのはもちろん、身体のバランス感覚が狂い始めている、と自覚して用心を重ねるしかないのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする