鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

名前通りに甘かった甘利大臣以下、外務省の事務方は読みを間違えたTPPへの対応

2014-04-26 | Weblog
 23日から国賓として日本を訪れていた米オバマ大統領は当初の目論見と違って、肝心のTPP(環太平洋経済連携協定)で灰色の文言を呈した日米共同声明のまま、韓国に旅立って行ってしまった。日本のマスコミはTPPで安易な妥協をしなかった日本政府の対応に好意的ではあるが、果たしてこれで良かったのだろうか。オバマ大統領から尖閣諸島も日米安保協定の対象内にあるとの言質を引き出したのは大きなプラスであるとの評価であるが、これらによってアジアのなかでますます孤立無援の立場を強めたこととなり、長い目でみると日本にとって決してプラスではない。国内外ともに大きな課題を背負っただけで、展望のない航路に乗り出した印象が強い。
 TPP交渉ではオバマ大統領の来日を目途に甘利明経済財政・再生相と米通商代表部のフロマン代表との間で計42時間にわたる詰めを進めてきた結果が25日午前に発表となったなんとも理解のしがたい日米共同声明である。声明では「両国は貿易自由化を前進させ、経済成長を促進するため、緊密に連携する。経済成長をさらに増進し、域内の貿易及び投資を拡大し、ルールに基づいた貿易システムを強化するため、高い水準で野心的で包括的な協定を達成するために必要な措置をとる」とし、具体的には「TPPに関する2国間の重要な課題で前進する道筋を特定した」としている。
 こんな訳のわからないお題目的な内容を記載するため、甘利・フロマン両氏が長い時間角を突き合わせていたわけではないだろう。秘密と称して何も中身に言及しないので、実際のやり取りを示す数値的なメルクマールがさっぱりわからない。こんないかにもお役人が自分のやっていることをいかにもやっているようにみせかけるために弄する言辞を並べたてられても国民は納得するわけにはいかない。単に時間稼ぎのために密室に籠っていただけではと勘繰られても仕方がないだろう。
 本来なら24日の安倍・オバマ首脳会談の直後に発表されるはずだった共同声明が翌25日のオバマ大統領離日の直前にまで引き延ばされて、なおかつ事前に用意されていたであろう文言のまま発表されたのでは時間稼ぎと見られても当然のことといえよう。
 甘利大臣以下の外務省の事務方は今回のオバマ大統領の来日の最大の眼目がこのTPPの決着にあったことは了解していたはずである。もともと昨年末には合意している予定であったTPPがすでに半年近く遅れていて、こオバマ大統領がとし秋には中間選挙を控えていて、それまでにTPPを最終合意にまで持っていきたい意向を持っていることはだれしも考えていることだった。となれば、フロマン代表以下米国当局が並々ならぬ意気込みをもって今回の交渉に臨んでくるとは考えられるところだった。
 それをお茶を濁したような灰色の文言の共同声明で済ませられる、と読んだところに甘さがうかがえる。甘井ではない甘利大臣、およびそれ以下に任せっきりにしていた安倍首相の甘さ意外の何ものでもない。米国が厳しい姿勢で臨んでくるのがわかっているのなら、それに応じて国内のJAはじめ農林一族の了解なり、賛意をとったうえで臨むのが常識だろう。それをいかにも灰色の文言での共同声明で乗り切れる、と読んだ外務省事務方の見識の浅さは大いに反省せべきところだろう。会見で甘利大臣は「もう一度やれと言われてもやりたくない」と語ったが、いまさら遅いし、もっと反省すべきだ。
 オバマ大統領の腹のなかは尖閣問題で日本よりに踏み込んだ発言をしたのにも拘わらず、肝心のTPPで煮え切らぬ発言に終始した安倍首相は頼むに足りない、と思っているのはみえみえである。韓国で朴大統領との会談で従軍慰安婦問題について、日本は謝罪すべきだ、と発言したのもはしなくも頼りにならない日本への警告と受けとるべきだろう。
 今後、アジアでの日本の発言力はみるみるうちに低下していくことは疑いない。いずれ、安倍首相は24日夜の東京・銀座でのすし家での安倍・オバマ会談は幻だったのでは、と思うことだろう。
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株高をもって自らの治世の成果と誇る安倍首相はなんと軽い政治家であることか

2014-04-12 | Weblog
 政府は11日、国のエネルギー政策の基本となエネルギー基本計画を閣議決定した。原子力を「重要なベースロード電源」と位置づけて再評価し、民主党政権が2012年に打ち出した原発稼働ゼロの方針を転換したことに最大の特徴がある。2011年3月の東日本大震災から脱原発できていたのにここで大きく舵取りを変えたのはいまだに仮設住宅に住み不自由な生活を強いられている被害者の心を踏みにじるもので、安倍政権の拠って立つ基盤が国民ではなく財界にあることを示している。インドなど途上国へ原子力機器の輸出に邁進しているのも同じスタンスからで、安倍首相自ら月に1回、東日本大震災の被災地を訪れているのも単なるポーズであることがはっきりとしてきた。
 エネルギー基本計画はわが国の今後のエネルギーの依存度を指し示す重要なもので、まずは原子力をどう位置づけるかが注目されてきた。民主党政権は12年9月に「2030年代の原発稼働ゼロ」を盛り込んだエネルギー・環境戦略を作成したが、正式決定にまで持ち込めなかった。自公への政権交代後、政府は原発を昼夜を問わず低い発電コストで動かせ、エネルギー受給構造の安定性に寄与するベースロード電源と位置づけ、安定性が確認されたものは再稼働を進めることとした。もちろん、原発の再稼働にあたっては原子力規制委員会の審査に通ることを前提として、一応の歯止めを設けているが、原子力規制委員会が政府の意向を忖度して審査を進めていくことになるのは明らかである。
 安倍首相は就任以来、中国、韓国以外の国を歴訪し、すでにインド、UAE(アラブ首長国連邦)、トルコなどど原子力協定を結んで、日本から原子力発電機器の輸出の促進を図るほか、原子力発電所の建設にあたっては技術強力を行うこととしているが、この一方では日本が世界で唯一の被爆国であり、福島原発であれだけの被害をお受けていて、いまだに被害に苦しんでいる人々がいる事実があり、違和感を感ぜざるを得ない。いくら輸出を拡大することが日本の使命であるとはいえ、インドなどと原子力協定に調印するにあたって、安倍首相の頭のなかで被災者の心情というものがよぎることはないものなのだろうか。国民、選挙民の心情をどう考えているものなのか、伺いたいものだ。政治家という人の考えることは庶民とは違うのだ、ということなのだろうか。
 安倍首相に国のめざす方向なり、姿というものが見えているのだろうか。あれだけの深刻な被害をもたらした原子力発電というものはここしばらくは封じ込め、原子力発電のない社会をいうものを構築し、そのうえで、日本の社会なり、経済を立て直していこう、という気持ちにならないのだろうか。政治家というのは一般庶民の理解を超える存在とでも考えるしかないのだろうか。
 たまたま、11日の東京株式市場は年初来の安値をつけ、日経平均株価は1万4000円を割り込んだ。一時、安倍首相は株高時にいかにも自らの治世の成果であるように「株価は高くなったでしょう」と誇らしげだったが、いまの安値は自らの政策ゆえの失策と認めるのだろうか。大体に、株価を持って自らの施策の成果みたいに誇らしく語るのは政治家としていかにも軽い、低俗な政治家である。
 ここへきて、安倍首相の靖国神社参拝を憲法違反だとして全国の戦没者遺族や宗教家、市民ら546人が大阪地裁へ訴え出るなど安倍首相の施策に反対する動きが出始めてきた。就任1年半にしてそろそろ化けの皮が剥がれてきたようでもある。
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責任野党という言葉は政府、与党が勝手に考え出したことで、むしろ責任与党というべきだ

2014-04-08 | Weblog
 みんなの党の渡辺喜美代表が7日、化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から8億円を借り入れた問題で、責任を取り、代表を辞任する意向を表明した。ただ、あくまでも個人的な問題として国会議員を辞するとのことは否定したが、妻の口座にあった5億円から返済したなど灰色の釈明をしており、いずれ政治的生命をなくすのは避けられないことだろう。渡辺代表の辞任に伴い、自民党とみんなの党の関係がご和算になる可能性も出てきた。野党でありながら昨年の特定秘密保護法案の審議以来、このところ渡辺代表自ら正面切って政府自民党の政策支持を表明するなど政治路線がぐらついていたみんなの党は一挙に党勢を失いことになりそうだ。
 もともと責任野党を言い出したのは安倍首相で、持論である集団的自衛権の解釈変更に乗り気でない与党の公明党に対し、野党の協力を得たいとして考え出した概念のようである。これに飛びついたのがまんなの党の渡辺代表だった。特定秘密保護法案の審議で野党のなかで真っ先に賛成の意向を表明し、さらに集団的自衛権の解釈変更についても安倍首相の唱えるところに賛成した。渡辺代表はそれまで政府の行う行政改革の手法は生ぬるいとして批判の先頭に立ってきただけに意外の感を持つ人が多かった。渡辺代表は「今後も政府に対してはいいものはいい、だめなものはだめ、という是々非々の姿勢でいく」と公言し、みんなの党内部でも必ずしも総意を得てのことでもなかったようだった。こうした渡辺代表のやり方に賛成できない、として昨年末にはみんなの党から「結いの党」が離反していくこととなった。
 国会における野党の在り方とは政府、与党の推し進める政策についてチェック機能を持つことで、自らの政策基盤に照らしておかしいと考えられるものについては反対するのが使命ともいえる。それを渡辺代表のように国民のほとんどが疑問を感じている特定秘密保護法案や集団的自衛権の解釈変更について、政府の考えごもっともとするのには抵抗がある。国の方向なり、あり方からしておかしいとおもうことにまで賛成のの意を表明するのでは野党としての存在意義すらなくしてしまうこととなろう。野党だっていつまでも野党にとどまっているわけではない。前々回の総選挙で民主党が政権の座についたように、いつかは与党になり替わり、政権の座に就くことだってあり得ることである。その日のために与党をしっかりと監視していくことは野党の責任である。
 責任野党とはあくまでも政府、与党からみての在り方で、決して国民を見てのことではない。安倍首相が自らの立場をよくするために言い出した言葉に過ぎない。野党が責任を持つのは選挙民、国民に対してであって、与党に対してではない。与党が国民の付託に応えてきちんとなすべきことを行っているのかを国民に代わって政府を監視することこそ、野党の責任である。安倍首相が「責任野党」と言い出した背景には先の総選挙で圧倒的多数で信任された自民党の驕りがあるとしか思えない。自民党は国民の信頼を得ているから何をしてもいい、と思っているからだろう。
 責任という言葉をかぶせるべきは与党であり、野党はその与党を国民の立場に立って監視する、というのが本来の語義というべきだろう。
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楽しい演劇「マニラ瑞穂記」のなかで存在感見せつけたのは終始無言で演じた老婆だった

2014-04-06 | Weblog
 5日は東京・初台の新国立劇場で、演劇「マニラ瑞穂記」を観賞した。演劇を見る時はいつもなんの予断もせずにぶっつけ本番で観賞、せいぜい観る直前にパンフレットを一読するだけで臨むことにしているので、一体何が演じられるか、ワクワクして観客席に座っている。題名からはフィリピンに関係しているとしか想像できなかったが、観ていくうちに実際に1898年にフィリピンのマニラで活躍した日本人の女衒、村岡伊平治を中心に大使館の領事、武官、志士、娼婦がフィリピンの独立をめぐる騒動のなかで右往左往する様をコミカルに描いていて、楽しい演劇であった。
 当時、フィリピンはスペインの統治下にあり、これを米国が奪い取ろうとしていて、これらに反対するフィリピン人が独立運動を起こし、賛同する日本の若者たちが革命支援の志士として加わったりした。日本は日清戦争に勝利を収め、アジアへ覇権を伸ばそうとしている時期にあたり、フィリピンにもなんらの足場を得ようとしていた。そんな思惑が錯綜するなかで、シンガポールからマニラに現れた村岡伊平治は多くの日本人が憩える「マニラ瑞穂館」なるものをつくることを思いつく。瑞穂は日本をほめたたえる言葉で、タイトルのマニラ瑞穂記がそこからきていることを納得させられた。
 幕が上がると、天井から日の丸がぶら下がった部屋らしき舞台が中央にあり、日本の領事館らしい。そこで執務をする武官の脇に日本から来たもって革命の志士を任ずる青年たちが」雑魚寝をしている、そこへ娼婦たちが乗り込んできたり、シンガポールから引き揚げてきた村岡がやってきて、戦乱のフィリピンだ様々な思いが交錯する。
 村岡はマニラ瑞穂館なんるものをつくることを言い出し、実際に建てるが、折りからの戦乱のなかで灰塵に期してしまう。それでも村岡はめげることなく、一方では革命の志士たちを応援し、フィリピンの独立に手を貸すことも辞さない。そんな折りに米国がスペインから2000万ドルでフィリピンを購入することで話がまとまり、日本人は一斉に本国へ戻ることとなった。ただ、村岡は志士を扇動したとして米国軍から追われることとなり、逮捕されることとなる。これに対し、それまで村岡に付いてきた娼婦たちも行動をともにすることとを表明し、何事にもとらわれず奔放に生きる一般庶民の逞しさを浮き彫り彫りさせる。
 途中、武官と村岡が決闘をしたり、米国兵士が娼婦と戯れるシーンがあったりして退屈させないが、なかでも存在感を見せつけたのが領事館のお手伝いを演じた老婆だった。腰の曲がった状態をお盆の上に乗せた水差しをゆっくりと運び来て、交換したり、おしぼりを運んできて領事に渡すのかと思うと村岡に差し出し、その間無言で終始している。領事がフィリピンの山奥から連れてきて使っているとかで、日の丸を見ると君が代を歌うとかで、村岡が「歌え」と命じるしゃ枯れ声で歌ったりして、会場の注目を集めていた。1幕と2幕の終わりでも最後の演技をしていて、稲川実代子という名前を印象つけられた。演劇のなかで舞台回しを務める役柄というものがあるが、こんな舞台回しもあるのだ、と思った次第。
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理研の看板に傷がつきかねないお粗末な調査委員会の発表

2014-04-02 | Weblog
1日、理化学研究所の調査委員会が小保方晴子さんのSTAP細胞作成について、2つの実験データ画像に捏造、改ざんという意図的な不正があったとする最終報告を発表した。同時に同委員会は不正は小保方ユニットリーダーが一人で行ったと判断した。これに対し、小保方さんは「とても承服できない」として、後日理研に不服申し立てをする、とし、肝心のSTAP細胞の正当性については疑問符のついたままとなった。
調査委員会の報告で気になったのは「ねつ造、改ざん」の根拠となっているのがSTAP論文で用いられた実験データ画像が切り取り、もしくは小保方氏の博士論文からの流用である、としていることだ。このことは1カ月前くらいの理研の発表の際に指摘されていたこで、それからかなり時が経っているのになんら調査委員会らしきことをしていないのが不思議なことだ。調査委員会では小保方さんから実験データの提出を求めたところ、わずかノート2冊だったことを重視しているが、そんなことが不正判断の決め手になるとは思えない。
それよりも記者からSTAP細胞の存在について聞かれると、「調査委員会は論文の不正の有無を調べることが目的」と答えたというが、いま世間で何が関心を読んでいるのかを無視した回答には開いた口がふさがらない。理研があえて物々しく調査委員会なる組織を作って対応している意味が全く理解していない、といわざるを得ない。 STAP細胞なるいままで聞いたことがないものが発表され、それも世界に先駆けて日本で初めて作成され、しかもわずか30歳の女性が成し遂げた。
 小保方さんは理研の発表に対し、異議を申し立てているが、自らの行為を理研の規定で「研究不正」の対象外となる「悪意のない間違い」と表現していることにやや違和感が残る。STAP細胞の作成については自信を持っているのなら、こんな表現はしないと思われるのだが、はっきりと間違いとしているのは心のどこかに不正を行ったとの意識があるのだろうか。
 いずれにしろ、第三者には白黒つけがたい領域の話で、この世の最高峰の頭脳の集まっているはずの理研の内部で白黒つかないことを判断しろ、というのが無理がある。公開の場で当事者が集まって、お互いの主張をぶつけ合うといったことがなぜできないのか、わからない。小保方さんもこの際、公開の場に出てきて、はっきりと自らの主張を述べるべきだとう、と思う。
、当初、小保方さんが大いに注目を集めることとなった背後には理研という看板、ブランドが大いに力を発揮したのは、間違いない。その理研が肝心のところで、こうした体たらくを見せつける、とは信じられない気がする。果たしてSTAP細胞が本物だったのか、1年と言わずもっと早くケリをつけないと理研の看板に傷がつくのは避けられないことだろう。
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図らずも前人未踏の8054回続いた「笑っていいとも」打ち切りの真相らしきものがわかった

2014-04-01 | Weblog
 31日は32年間、回数にして8054回続いたフジテレビのタモリのお昼の番組「笑っていいとも」の最終日となり、昼の番組と夜の3時間余の「グランドフィナーレ」をほぼ観た。1人のタレントが32年間も生番組の司会を続けたのはギネス記録となる新記録だそうで、タモリというタレントがそれだけ稀有な存在であることを改めて知らせてくれた。最後の生番組となった東京・新宿のスタジオアルタの前には放送前から多くの観衆がつめかけ、タモリを讃える「32年間ありがとう」の横断幕を掲げるなどして見送り、テレビがお茶の間のみならず社会にも大きな影響を与えていることを示してくれた。
 タモリはもともと九州を地盤に音楽や海外のネタに漫談を面白、おかしく演じるタレントで、漫画家の赤塚不二夫がみつけてきて、東京へ引っ張ってきた、という。当初は主に深夜番組を中心に活躍していたが、フジテレビが「笑っていいとも」の司会に抜擢し、日替わりで芸能人が登場するテレフォンショッキングで、当意即妙な話術を披露し、またたく間に人気を拍すようになった。芸能人の間でもテレフォンショッキングに出演することが一流の芸能人になった証であるようなコーナーともなった。
 初めは出演した芸能人が次の出演者を決めるようなスタイルをとっていたが、実は番組の方で予め決めていて出演者にそのように演技させていたのだが、次第にそのことがべれてしまったので、最近は主演者の意向を聞くこともなく、タモリが「明日のゲストは……」と切り出すようになった。ことし3月で番組が終了することが明らかとなってからは総集編みたいに大物ゲストを出演させるようになり、安倍首相まで登場したのには驚いた。時の総理が出演すること自体、初めてのことで、なんとか庶民性を演出したいとの安倍首相の意向もあったようだ。
 最終日のこの日は当初、タモリの永遠の恋人、吉永小百合が出演するとの観測もあったが、最終的にタケシが登場した。タケシは紋付袴姿で登場し、冒頭から感謝状を読み上げ、葬式、墓地の優待券を贈呈するなど茶目っ気たっぷりな演出を行った。あまつさえ、最後に「明日のゲストは……」と切り出し、袂からメモを取り出し、係りの女性アナウンサーに渡し、それで電話して、出てきたのが明石家さんまだったので、会場はどっと受けた。
 この演出は夜のグランドフィナーレで、映像で吉永小百合が登場し、タモリへの手紙と贈り物を披露したあと、最初に登場したゲストが明石家さんまでお昼の電話の疑問が明らかとなった。そのままタモリと明石家さんまの「タモリとさんまの日本一の最低男」の再現となったが、タモリがさんまの早いテンポの話術についていけず、一方的なコントとなってしまった。タモリとさんまは「笑っていいとも」がスタートした頃に11年余にわたって2人で雑談しながらやりとりうるコーナーを持っていたので、その再現となった。ここではさんまの突っ込みに対するタモリの反応について、さんまがダメ出しすることが多く、さんまの生きの良さばかりが目立つこととなってしまった。
 その後、いつものドタバタで「笑っていいともグランドフィナーレ」番組は終了したようだが、改めてさんまの凄さを見せつけられることとなった。これまで「笑っていいとも」は何度も打ち切りの話が出たようで、あとの司会をだれがやるか検討され、さんまが有力な候補に上るようなこともあったようだが、本人が断ったのか実現しなかった。さんまとしては60歳を機に今後の身の振り方を考えるようなことも伝えられている。いずれにしろ、図らずもタモリの衰えがくっきりと浮かび出て、意外なところで、「笑っていいとも」打ち切りの真相らしきものが明らかとなったようだ。
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