26日は溝の口から小田急線の向ヶ丘遊園駅南口行きのバスに乗り、終点に着いたところで、徒歩10数分の日本民家園に赴いた。三男が野球をやっていたころ、毎週土曜日に練習場の武蔵野の野球場へ行くのにここまで車で送ってきていたので、なんとなく土地勘はあったが、当時とはすでに30年以上経っているので、ぼんやりとしか憶えていない。当時とはすっかり街の趣きも変わってしまっているので、うる憶えの感覚でめざす日本民家園へ行ってみた。
川崎市日本民家園は1967年に消滅しつつある日本各地にある古民家を永く将来に残すねらいで、設立されたもので、神奈川県川崎市の原家はじめ福島県福島市松川町の鈴木家、奈良県奈良市の高畑町の井岡家、愛知県名古屋市東区の佐地家、長野県伊那市西町の三澤家、鹿児島県大島郡和泊町の沖永良部の高倉、岩手県紫波郡紫波町の工藤家など全国各地の古民家合わせて23戸の古民家がいずれも造られた当時のまま復元されており、それぞれ水車小屋、船頭小屋、高倉、農村歌舞伎舞台のまま復元されており、見ごたえ十分な形で展示されていた。
以前に来た時にはこんな大規模なものであるとは思いもせず、すっかり本格的な施設となっていたのに驚いた。なかには現在移築中のものもあり、いまもって日本で最大級の古民家施設であることを印象づけてくれた。国と神奈川県、川崎市の担当者がそうしたものを作るにあたって懸命な努力を重ねてきていることが十二分に伺わせていた。おそらく、古民家について詳しい人がいて、全体の構成を頭に描きながら、日夜全国各地に散らばって存在している古民家の情報を集め、後世に伝えることを必死に考えていることだろう、と思わせた。たまたま、地元の川崎市の小中学生が大勢、観覧に訪れているのに出くわしたが、必死にノートにメモを取っている姿を見て、胸にジーンとくるものがあった。
日本民家園を出たところに 岡本太郎美術館があり、中は入って展示してある岡本太郎の作品をじっくりと見た後に、館の一角で第」28回岡本太郎現代芸術賞展が開催されており、次代の岡本太郎を目指す新々の美術家が応募した作品が展示されていた。毎年500点を超える応募があり、そのなかの優秀23作品が展示されていた。岡本太郎をしのぐような怪奇なものも見られたが、いずれも斬新な意図のもとに制作されたようなものが多かった印象だった。会場を出たところで、出展作品でいいと思ったものに投票するようなしかけで、投票した人には出口にあるレストランで代金を5%割引する、という形となっており、投票した後に筋書き通り、ランチをそこで摂った。
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