鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

ぬるま湯体質の野球界

2007-05-31 | Weblog
 根来泰周プロ野球コミッショナー代行はアマチュア2選手に金銭を供与していた西武球団に今秋の高校生ドラフト(新人選手選択)会議の上位2選手の指名権剥奪などの制裁処分を決め、発表した。同じような違反をした横浜球団に対しても処分をしたが、あれだけ世間を騒がしたのもかかわらず、軽い内容となっており、これではつけ焼き刃の印象が否めず、高野連を含めて、野球界の改革は遠い、と言わざるを得ない。
 西武に対する処分は新人2選手の指名権剥奪と罰金3000万円、そして横浜に対する処分は厳重注意処分だけで、両球団とも予想外に軽い処分だった、と思っているに違いない。西武は東京ガス野球部の木村雄太投手への計270万円と、元早大野球部選手への計1025万7800円の現金供与が、スカウト活動での選手への不正な利益供与を禁じた05年6月の「倫理行動宣言」以降に不正な供与行為を行った点を問題とした。倫理行動宣言以前に述べ170人のアマ野球関係者に入団謝礼金を支払った件については「野球契約違反とはできない」と主文対象にしなかった。また、西武が94~05年に入団した15選手に最高標準額1億5000万円を超える契約金を払った件については厳重注意処分とした。
 05年6月の倫理行動宣言を盾にもってきて、処分を決めたところがミソのようで、根来代行は「球団運営に致命的なことをしてはいけない」と軽い処分に留めた理由を語っているが、この程度の処分では各球団とも少しも反省しないことだろう。
 日本高校野球連盟では学生野球憲章に基づく違反高校への処分、今後の対応などがまだ残っているが、これにならって軽い処分、改正に留める公算が強い。
 そうなると、1年間の対外試合出場禁止の処分を受けた東京ガスの木村投手と早大野球部を退部した選手だけが割りを食ったようなことになる。
 プロ野球の改革は遅々として進まない、こんなことではファンの心はいずれ離れていくことだろう。
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幻想の世界へいざなう異才山口晃

2007-05-30 | Weblog
 東京・上野の上野の森美術館で、「アートで候 会田誠 山口晃展」をやっていたので、のぞいてみた。地下鉄の駅で無料配布しているフリーペーパーで案内していたのを見て、面白そうだな、と思って、つい見る気になった。会場内はそれなりに人が入っていて、知る人ぞ知る、といった感じである。右側には山口晃の、左側には会田誠の初期の作品が展示してある。なかには抽象画っぽいものもあって、よくいる意欲的な若手作家かな、と思って、順に見ていくと、山口晃の作品にぐんぐんひきつけられていった。戦国時代の合戦を描いた2×3メートル大の絵巻や、現代の都心を鳥瞰した六本木昼図などみていていままでの画家にない作風がある、と感じられた。
 絵巻のなかには折り重なる人物が描かれているが、それがきちんきちんと描かれ、絵としても見られるし、全体としてのパロディっぽい感じもあるし、実に不思議な絵である。画家として基礎を踏まえたうえで、自らの主張を打ち出している。単に絵を描くことを超えたものをもっている、感じがした。なかで、暗室のようなところがあり、「1人づつお入りください」と書いてあり、中へ入ってみると、仏像みたいな紙で出来た薄っぺらな像が林立している。単なる画家ではない、とでも言いたいのか、
 2階では「山愚痴屋澱エンナーレ2007」と称して、主張する画家の本領をいかんなく発揮した作品が一堂に展示してあり、見る者を楽しませてくれる。単に絵を描いているだけではない、街で、社会でいろいろな試みをしていることをうかがわせる。
 山口晃は1969年生まれで、96年東京芸術大学美術研究科卒の画家としてはまだキャリアがそれほどあるわけではない。ダリと前田青邨、それに岡村太郎を足して3で割ったような画家である。すでに一部で評価されているようであるが、いままでにないタイプの異才の画家で、今後が楽しみである。
 帰りにグッズ売り場をみると、東京大学出版会から出版された山口晃作品集とポストカード集を売っていたので、買う気になり、レジにもっていったら、作品集は2940円と打ったので、「1890円と表示してあるが」と抗議すると、「間違いです」と売り場の女の子はシレッとしている。それでも言い値で購入したが、開幕して1週間以上経っているのに、だれも指摘しなかったのだろうか、それとも1冊も売れなかったのだろうか、とちょっと不思議な気がした。
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安倍首相にKOパンチ浴びせた死せる松岡農相

2007-05-29 | Weblog
 28日、疑惑のデパートと言われた悪徳政治家の松岡利勝農林水産省大臣がこともあろうに新装なった東京・赤坂の議員宿舎で自ら首を吊って、死に至った。午後1時40分から参院予算委員会で問題の緑資源機構の談合、献金について質問を浴びることになっていたのに、時間になっても出てこないので、不審に思った秘書が鍵を開けて、部屋に入ったら、高さ2メートルの鴨居に紐をかけて、首を吊っていた、という。すでに心肺停止状態で、急遽、新宿区信濃町の慶應病院に運ばれたが、午後2時に臨終とあいなった。テレビを見ていたら、病院の前で担架に乗せられた段階で、白布をかぶせられており、すでに絶命した感じであった。たまたま、同病院には人気歌手グループ、ZARDのリードボーカリストの坂井泉水さんが前日に階段から滑り落ちて死んで、報道陣がつめかけていたところへ、出くわし、報道陣がごったがえす場面が見られた。
 松岡利勝大臣が自ら死を選んだ理由は遺書が安倍首相ら宛てに8通あり、「ご迷惑をかけておわび申し上げます」と書かれていたようで、明らかに事務所経費問題、それに農水省所管の緑資源機構の献金等の責任をとった、のは間違いない。27日の毎日、日経の世論調査で安倍内閣の支持率が最低となった背景に松岡大臣の事務所経費の不透明さがあったことも効いたのだろう。
 現職の大臣が自殺したのは戦後初めてのことで、事務所経費問題で野党の追及に対して、一貫して「法律に則って処理している」と鉄面皮な顔で答えてきたのは実は苦渋の演技であったことがよくわかった。安倍首相から「なんとしても辞めさせない」とでも言われ、2人でそのために考えた答弁だったのだろうが、心の中で次第に滓のように重いしこりとなっていったのだろう。
 仮に大臣でなければ、あっさりと内情を暴露して、場合によっては議員を辞めざるを得なくなったかもしれないが、死ぬようなことにはならなかったことだろう。その意味では今回の死をもたらしたのは安倍首相である、と言ってもいいだろう。そもそも松岡議員を大臣の登用したことから、おかしかったのだ。さんざん、問題ある議員である、と言われていたのに論功行賞で入閣させた任命責任は安倍首相にある。このことは本人もはっきりと言明している。いまの段階では直ちに総辞職はしないと思うが、すでにもう安倍内閣は死に体で、とても参院選は闘えない、との声が出てくるのは必至だ。
 農水大臣の臨時代理に若林正俊環境相を宛てることに決め、後任は追って決めるとしているが、環境相と兼任という安易な決定に疑問が残るし、こんなことがすぐ決められない自民党執行部に問題がある、と思う。「空白はおけない」と言っているわりにはその裏づけの内容が伴っていない。安倍首相に適切なブレーンがいない証拠である。
いまは大臣といえども聞かれたことにははっきりと説明しなければならない説明責任を負う。地位の高さは関係ない。それを頑なに阻んだ松岡農相、そしてそれを認めた自民党の体質は古い、と言わざるを得ない。典型的な古いタイプの政治家であった松岡農相と同時に安倍首相を抱える自民党も新しく生まれ変わらなければならないだろう。

追記 海外のメディアが今回の自殺をどう報じているのか、興味があったので、探ったが、見つからなかった。テレビで報じたのを聞くと、「日本的な対応」とあっさり片づけられていたようだ。世界では日本の雑魚閣僚の1人が自殺したとて、注目するような話ではない、ということのようだ。
 それよりも読売新聞が小さなカコミ記事で報じていたが、安倍首相の「慚愧に堪えない‥‥」発言は日本語としておかしい、と指摘していた。そうだ、慚愧とは恥ずかしいといった意味で、安倍首相の国語力が問われることになりそうだ。

追記2 松岡農相の国民の皆様へとした遺書で、お詫びの言葉が書いてあるが、最後に「安倍総理 日本国万歳」となっているのに違和感を持った。戦前の兵士が「天皇陛下万歳」と叫んで死地に赴いたことを連想させる時代錯誤の感を否定できないからだ。昭和19年生まれの人が日本国万歳といって死ぬものだろうか。何か作為があったとしか思えないのだが‥‥。
 
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女の時代を映した日本ダービー

2007-05-28 | Weblog
 64年ぶりに牝馬のウオッカが第74回日本ダービーを制した。数ある競馬レースのなかで最高のレースである日本ダービーに果敢にも唯一牝馬で挑戦したウオッカは牝馬の最高のレースである先週のオークスには目もくれず、本命のフサイチホーオーなど有力牡馬を蹴散らし、8470頭いる3歳馬の頂点に立った。前走の桜花賞ではダイワスカーレットに破れ、オークスでは勝てないと思ってか、どうせならと日本ダービーに駒を進めた。ところが、オークスではダイワスカーレットが出走回避し、運は尽きたか、と思ったが、どっこい時代は女性が主役という風が吹いたのか、栄冠を勝ち取った。
 鈍想愚感子は2番人気だったヴィクトリーが勝つと思っていたので、あえなく惨敗した。名手の田中勝春騎手が出遅れたの一気にカバーしようと2コーナーからまくって先頭集団についたことで、足を使ってしまい、ゴール前では伸びず、9着に終わった。厩務員の蛭田夫妻がパドックから馬場まで終始手綱を持って回って歩いた努力も実らなかった。それでも9着だから、実力はあった、といっていいだろう。一本かぶりの人気のフサイチホーオーはヴィクトリーがまくって行ったのにつられて、追いかけて調子を崩して、7着に敗退した。思わぬ先行で楽なレースをした10番人気のアサクサキングスが2着に粘り、馬券は波乱となった。注目の武豊騎手の乗ったタスカタソルテはいいkところなく11着に破れた。岩田騎手のアドマイヤオーラは3着と善戦した。
 本命のフサイチホーオーの馬主である関口房朗氏はすでに11年前にフサイチコンコルドでダービーを制しており、2度もダービーオーナーになるほどの徳のある人物ではないので、勝てないと見ていたが、その通りになった。
 テレビで見ていたら、レース前にテノール歌手の中鉢聡氏が馬場の手前で「君が代」を独唱していたのと、初めて皇太子が観戦に来ていたのに驚いた。そして、安倍首相までが来ていて、表彰式で四位洋文騎手に優勝カップを手渡していたのに驚いた。女性アナウンサーのインタビューに答えて、英国の故チャーチル首相の「一国の首相になるより、ダービー馬のオーナーになるのが難しい」とファンでなく馬主にガマを摺っているのには笑った。前日の26日も何を思ってか、10分間だけ富士山のゴミ拾いに行ってパーフォーマンスに興じていた。誰しもそんなことをしている場合か、と思ったことだろう。
 案の定というか、25-27日に実施された新聞各社の世論調査で内閣支持率は最低の32%(毎日新聞)に落ち込んだ。この種の調査でいつも甘い数字を出す日本経済新聞ですら過去最低の41%となった。国民もようやく安倍首相の本当の姿がわかりかけてきたようだ。
 今回の日本ダービーでは、日本中央競馬会はいつものように前売り券を発売せずに、スタンドを広くしたこともあって、通常通りの入場体制で臨み、13万人弱の来場者を迎えることができた。ただ、日本ダービーの売上高は308億290万1700円で前年比2.6%減となった。皇室はともかく首相とか、著名人頼みでなく、もっとファンを向いたサービスが必要ということなのだろう。
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ロイター買収に見る新聞社の将来

2007-05-27 | Weblog
 カナダの情報大手トムソンが英ロイター通信を87億ポンド(約2兆1000億円)買収することで合意した。買収金額の大きさに驚いた向きが多いが、それだけ情報提供事業が評価されていることを証明したわけだ。ロイターのブランドも魅力だったのは事実で、特殊な例といえなくもないが、日米で新聞社の将来に不安を抱くところが増えている折り、新聞社の1つの方向を示したものといえよう。
 ロイターの起源は1861年にさかのぼる。ドイツから英国に移住したロイター氏がロンドンーパリ間で株式市場の情報を伝える事業を開始し、その後、世界中の経済ニュースも手がけるようになった。現在は131カ国に200近い拠点を持ち、記者やカメラマンら約2400人が編集に携わっている、という。売上高25.7億ポンド(約6100億円)の9割以上は金融関連の事業で、73年に構築した電子取引システムや、トレーダー用の専用端末の提供、相場情報の配信など幅広いサービスを展開している。02年に赤字に転落したが、最高経営責任者のグローサー氏が大規模なリストラを進め、立て直した。
 一般に企業の買収金額は経常利益の20倍が相場とされており、これから見ると今回のロイター買収金額はロイターの経常利益が1000億円もあったとは思えないので、高い感がある。ブランド料と今後の成長性がプラス評価されたのだろうが、それが生きるかどうかは今後の経営次第である。
 新会社は「トムソン・ロイター」とし、ロイター通信の報道・編集の独立性を守り、金融情報・メディア部門は引き続き「ロイター」ブランドを使用する、という。これで、トムソン・ロイターの金融情報サービス部門のシェアは34%となり、31%のブルームバーグを抜いてトップとなる。
 この統合により、米有力経済紙ウオール・ストリート・ジャーナルを発行するダウ・ジョーンズ社に買収提案しているニューズ・コーポレーションへ影響を与えるのは必至で、米国の新聞業界に再編成の動きを加速することになりそうである。
 一方、日本ではいまのところ、新聞社を買収しよう、との具体的な動きはないが、広告の新聞離れ現象で、新聞社の経営が揺らいでおり、いずれ経営統合なり、再編成が進むのは確実である。インターネットの普及で、編集記事は読まれなくなって部数が伸びず、特に都市部ではフリーペーパーの普及で、広告面では大きな影響を受けており、いまのような数の新聞社は要らない、との見る向きが多い。
 そうなると、新聞社は広告に頼らない経営モデルの確立を迫られる。テレビ、インアターネットでは得られない情報を提供していくことがひとつ考えられる。しかもその情報は有料で提供できるものでなければならない。となると、ロイターが提供している金融関係の情報が有力なものとして浮かび上がってくるだろう。もうひとつはニッチな分野の専門情報である。その分野にどんなものがあるかは、それぞれ置かれた企業が自社の経営資源(人材、過去の蓄積など)から編み出すしかないだろう。
 
 
 
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何が起きているのか、競馬界

2007-05-26 | Weblog
 明日27日に競馬の祭典、日本ダービーが行われる。昨日午後、夕刊フジを買って日本ダービーの出生馬一覧を見て、驚いた。競馬界のプリンス、武豊騎手が乗っていた有力馬のアドマイヤオーラに岩田康誠騎手が乗り、逆に前走まで岩田騎手が乗っていたツカータソルテに武豊騎手が騎乗することになっている。アドマイヤオーラは一冠目のさつき賞で4着に入り、日本ダービーでも有望視されている馬である。それを直前に騎手を替えることは新人騎手ならともかく、武豊のような実績のある名騎手ではありえないことだ。一部週刊誌がそれとなく匂わせているようだが、中央競馬界で武豊騎手を除け者にするような動きがあるようである。最近のG1レースで法外な配当がついていることとも無関係ではないが、武豊のような競馬界の宝を大事にしないようではファンの心は離れていくことになるだろう。
 武豊騎手は5月25日までの通算勝ち鞍数2909で、間もなく生涯勝ち鞍の記録(2943勝=岡部幸雄騎手)を抜き、新記録を達成する。これ以外に海外でも100勝くらいしている。武豊騎手はまぎれもなく競馬界最高の騎手である、とは衆目の」一致するところである。ディープインパクトの5冠達成も武豊騎手の手腕があったからこそ達成できた偉業といえる。ここ10年でも武豊騎手はスペシャルウイーク、アドマイヤベガ、タニノギムレット、ディープインパクトと日本ダービーで4勝している。いまや日本の武豊でなく、世界の武豊なのである。
 それが、27日の第74回日本ダービーでは新馬戦からずっと騎乗してきたアドマイヤオーラから、5月5日の京都新聞杯を勝ち上がったタスカータソルテに乗り替わってしまった。しかもそのタスカータソルテに乗っていた岩田騎手がアドマイヤオーラに騎乗するのは、いかにも作為的である。岩田騎手は今年絶好調で、25日現在、リーディングジョッキーではあるものの、武豊騎手に代わることは通常ならありえないことである。前々日発売でオドマイヤオーラは出走18頭中、単勝3番人気の14.9倍、一方のタスカータソルテは同9番人気の40.9倍である。競馬のことだから、タスカータソルテが勝たないとも限らないが、人気の半分以上が武豊騎乗が理由だ、と考えると可能性は低い、といわざるを得ない。
 なぜ、そんなことになったのか。聞くところによると、アドマイヤオーラの馬主である近藤利一氏が香港で行われたレースで、同氏の持ち馬に乗った武豊の騎乗について注文をつけて、怒った、という。それで、アドマイヤオーラの騎手をおろされた、という。競馬はなんといっても馬主が殿様なので、だれも殿様の言うことには逆らえないのだ。
 それと、武豊騎手以外の騎手仲間でエージェントを作り、有力馬の騎乗依頼を引き受ける仕組みをつくった、という説がある。そうすると、自然と武豊騎手には騎乗依頼がいかなくなる、ということになる。なぜそんな組織が形成されたのか、そんな組織は法的に問題ないのか、さらには武豊騎手がそのエージェントに入ってないのか、よくわからないが、そこに常勝の武豊騎手に対する妬み、嫉みがなかった、とは言い切れないだろう。そういえば、今年になってから、G1はじめ重賞レースで武豊の名前を聞かなくなった。競馬はよく馬7分、人(騎手)3分といわれるが、いかに名手でもいい馬に乗らないと勝てない。
 さらに競馬記者と武豊騎手が反目している、という説がある。これは大したことではないが、とかく有名人は書かれてなんぼ、という側面があるので、記者と対立するといいことはないだろう。不振、と書かれれば、当初はともかくボディブローのように効いてくることにもなりかねない。
 ともあれ、武豊のような逸材をそんな状況に置いておくことは中央競馬界のマイナスであるのは事実。そんな体質を放置しておくと、遅かれファンの心も離れていき、競馬界の衰退につながることになるだろう。
 1日も早く、元のように武豊の勇姿が見られることを願いたい。
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迫力と純愛の映画「パッチギ」

2007-05-25 | Weblog
 2004年の映画コンクールで絶賛された井筒和幸監督の「パッチギ」を観た。といってもいつものようにテレビでやっていたのを録画してのことであるが、最初から朝鮮と日本の高校の対立が画面いっぱいに展開され、見る者を圧倒する。その中で芽生えた朝鮮人少女と日本人男子高校生の純愛を高らかに謳いあげる。全編を流れる切ない哀愁のイムジン河の響きが舞台効果を盛り上げる。いま注目の若手女優、沢尻エリカのデビュー作だ、というが、朝鮮人少女を可憐に演じていて、好感が持てた。
 時は1968年、まだ北朝鮮への帰国が夢をもって語られていた頃の京都で、朝鮮人高校と日本の高校の対立が盛んだった。朝鮮人の女子高生をからかった日本人高校生が朝鮮人高校生の一団に逆襲され、観光バスに逃げ込んだのをみんなでバスを担いで、転がしてしまう。新聞の一面に写真付きで報道されたのを見た教師が、日朝の親善サッカーの試合を行うことで、対立する両校の融和を図ろう、とする。
 その使者に立った主人公は必死の思いで、朝鮮高校へ乗り込み、親善サッカーを申し込みに行く。そこで、管弦楽団でフルートを弾くヒロインを見初め、一気に恋が芽生える。しかし、ヒロインの兄は朝鮮高校の番長で、とてもそんなことを許す気配はない。親善サッカーも審判の判定に不服な選手が暴れ出し、乱闘になってしまう始末。
 それでもヒロインへの思いを断ち切れない主人公はギターでイムジン河の演奏に励み、番長の北朝鮮への送別会に参加し、ヒロインとデュエットでイムジン河を演奏して、ようやく仲間として認められる。
 一方、朝鮮と日本高の対立は日ごと激しさを増し、遂に番長の子分格の朝鮮人高校生がリンチに遭い、死んでしまう。葬式に自宅に持ち込まれた棺桶が大きくて、家の柱を大槌で打ち壊すシーンが悲しみをいや増す。井筒監督かがあとで述懐していたが、実際にあった話だ、というから凄い。1人の高校生の死で、在日朝鮮人の鬱積した日本への恨み、つらみが一挙に爆発する。
 葬儀に参列していた日本人主人公はなにかのミスで、「出てけ」と怒鳴られ、スゴスゴと会場を後にし、持ってきたギターを河に投げ捨てる。そして、ラジオ放送局へ行き、かねて約束していたディレクターの目に留まり、放送禁止の「イムジン河」を歌い、それが、ラジオで流れ、葬儀場に残ったヒロインがそれを聞き、泣く。
 最後は主人公とヒロインがドライブに出かけるシーンで終わる。
パッチギとは韓国語で頭突きのことで、朝鮮人の激しい思いをタイトルに込めたのだろう。以前に同じような朝鮮人と日本人の純愛を描いて、これも映画賞を総なめにした「GO」という映画と若干似たところがある感じがした。パッチギは暴力シーンが加わっているだけ迫力十分である。日本ではマイナーである朝鮮人問題を扱うと日本人には負い目があるせいか、とかく評価される側面があるようだ。
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どう考えても実現性薄い「ふるさと納税」

2007-05-24 | Weblog
自民党から提案された「ふるさと納税」制度が議論を呼び起こしている。都会に住む納税者が財政の苦しい出身地の故郷にも納税できるようにしようというもので、もともとは評論家の大前研一氏が言い出したのを聞いた菅義偉総務大臣が取り上げた、という。地方出身者の多い東京、大阪あたりの知事は税収につながる、と反対の構えを見せており、税法学者にも「税の原則である公平性に反する」と批判の声が強いようだ。
「ふるさと納税」は仮に実施する場合、いまのところ、住民税の一定割合をふるさとに振り向けることになりそうである。この場合、ふるさとの定義をどう定めるか、が問題である。単に生まれたところにするのか、少なくとも高校まで過ごしたところにするのか、それも口頭だけの申告で認めるのか、証明するものを提出するのか、いずれにしろ、事務は煩雑になる。ただでさえ、面倒な納税がさらに複雑なものとなろう。
それに住民税はその土地に住むことによって受ける教育、上下水道、ゴミ処理などのインフラや治安の公共サービスのコストを賄うものである。それを何のサービスも受けない地域に恣意的にもっていくのでは受益者負担の原則にも反することになる。住民税でなく、所得税にしても同じようなことが言えるだろう。税の諸手続きを煩雑にすることは納める方も徴収する方もお互い事務が増えてミスが起きやすくなりかねない。
もともと所得税にしろ、住民税にしろ、企業の人事担当者が社員の住所を調べて当局と連絡したうえ、給料から天引きして、納付しなければならないのか、以前なら疑問に思っていた。そうしたから、といって奨励金を貰うわけでもなく、せっせと納税に協力している。人数の少ないベンチャー企業にとってはそんなことに人手を割く余裕はない。今回の議論をきっかけに日本経団連あたりで徴税業務への協力を一切止める、とでも宣言したらいい。
地方の財政が苦しいのなら、いまの地方交付金制度を変えれば済む話ではなかろうか。本当にふるさとへ納税したい人はだれかが言っているように、寄付金の形で行い、その分の税金を軽くすることを考えるしかないだろう。「ふるさと寄付金優遇税制」ということにでもなるのだろうか。その場合でもふるさとの定義は要るだろう。
こうみてくると、どうやら、この「ふるさと納税」制度は参院選を意識した票集め戦略だった、と言えそうだ。
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天皇は国の象徴か

2007-05-23 | Weblog
 天皇陛下ご夫妻がリンネの生誕300年記念式典出席のため、スウェーデンなどに出発した。リンネなど聞いたことのない名前なので、ネットで調べたら、1707年にスウエーデンで生まれた博物学者で、どうして天皇陛下にその招待状が届いたのかよくわからない。出発にあたって、天皇陛下は記者会見し、「これまで52回海外訪問しているが、私的に訪れたことは一度もない」と暗に皇太子夫妻を意識した発言をあえてした。しかし、天皇陛下が一歩皇居の外へ出れば、私的なことなど一切ないのは当たり前で、そんな内々の話を公式にするのはどう考えてもおかしい。
 事の発端は皇太子妃の雅子さんがまた欧州へ出かける予定が云々されていることにある。天皇陛下とすれば、勝手に海外旅行するなんてとんでもないことだ、ということなのだろう。宮内庁か、官邸かが言う通りに国内外で公務をこなしてきた身としては皇太子が自由に振舞うのがカチンときたのだろう。
 しかし、もともと皇族に生まれた以上、生活費のすべてが国民の税金で賄われている以上、本来私的なものはない。ただ、皇居のなかにまで人が来るようなことはなく、皇宮警察ががっちり守っているから、プライバシーは保護され、私的な部分はあるように感じているだけのことである。自ら稼いで、生活に必要なものは自ら買うようなことをしていれば、天皇の私的云々の発言は至当なものといえる。
 今回のスウエーデン訪問についても、リンネ生誕300年記念式典に一体、天皇陛下が出席しなくてはならないものなのか、疑問が残る。スウエーデン政府からの招待状がどこに来て、どういう判断で天皇が行くことになったのか、の説明がまるでない。テレビでリンネといってもそれでわかる人はほとんどいなかったことだろう。そんなマイナーな催しに国民の税金を使うことは釈然としないことは事実である。
 試みに、日本国憲法を開くと、第1条に「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。そして、第3条で「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」としている。正確には皇太子の場合はどうだ、との規定はなく、天皇に準ずる、ということののだろう。もし、皇太子の行動まで縛るというのなら、それこそ憲法改正が必要になってくることだろう。安倍首相の憲法改正には皇室に関することは想定していないことだろう。
 折角、国民投票法まで作るのだから、皇室のことまで考えてやればいい、と思うのだが、頭の固い安倍首相はそこまでとても考えられないだろう。
 
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エタノールガソリンは普及しない

2007-05-22 | Weblog
 だれかが読んで推奨していたので、ソニア・シャーの「石油の呪縛と人類」(集英社新書)を読んだ。昔から石油など資源をめぐる国際間の思惑は戦争に発展しているようなことを地層学的な側面から解き明かしていくが、将来的には石油は枯渇するのは必至だ、という。そして、石油に代わるエネルギーの主役は天然ガスだ、とする向きが多いことを指摘しながら、輸送などネックが多いことをあげて半ば否定する。そして、結論としては石油に勝るエネルギーはない、と言い切り、枯渇しても再び石油に頼らざるを得ない時代がやってくる、という。
 なかでひとつ面白かったのはいま話題のエタノールについて、米国のドライバーがエタノールに移行した場合、1日当たり25万バーレルの石油を生産するためにトウモロコシ農家や加工所は21万バーレルの石油を使用し、水素燃料電池同様、米国人の原油使用量を変化させない、とエタノールを見限っていることである。
 すでに日本ではマヨネーズの値上がりなどエタノールガソリンへの傾斜による影響が出始めているが、トウモロコシを燃料にするために煮詰めるためのエネルギー減として石油を消費するのでは、なんのためにエネルギー転換を図っているのか、わからなくなってくる。以前、石油ショックの時に日本全体の原油備蓄量は法律で90日分必要と定められていて、120日分あるから当面大丈夫、との説が唱えられたことがある。しかし、農業学者が「このうち3分の1は食料生産に必要なものだ」と言っているのを聞いて、石油が生活の大変な部分を占めていることに改めて驚いたことがある。
 先日、日本経済新聞社の景気討論会を聴講していたら、いまの好景気は当面持続する、ということでスピーカーの意見はほぼ一致していたが、論者の1人が懸念材料としては米国、中国の景気の動向、為替レートの行方、それに原油価格の4点をあげていた。そして、原油価格については今後上昇していくことは避けられないことでは異論がなかったが、小島明日本経済研究センター理事長が「日本としては省エネ技術で世界の先端をいっているので、逆にメリットになることもある」と言っていたのが記憶に残っている。
 今回のイラク戦争の背景にも米国の石油戦略が隠されている、と見る向きが多いが、今後石油資源が枯渇し、いまのような石油をはじめとするエナルギー消費が続けば原油価格が上昇していくのは避けられないだろう。しかし、オイルサンド、オイルシェールなど石油に近い資源は地球上にまだまだある。ただ、それらをエネルギーとして使えるようにするためにはコストはかかるので、今後エネルギー問題のカギを握るのは省エネ、およびエネルギー開発、転換などの技術開発しかないだろう。
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