鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

出演者13人全員をオーディションで選んだチェーホフの演劇「かもめ」の力あふれる熱演ぶりに感動した

2019-04-13 | Weblog

 13日は東京・初台の新国立劇場でチェーホフの演劇「かもめ」を観賞した。開演直前に読んだ演出の鈴木裕美のインタビュー記事を読んで、出演者13人全員がオーディションで選ばれたと知って俄然興味が沸いてきた。我が国演劇界で出演者全員をオーディションで選んだのは初めてのこおとだそうで、今回は3396人もの応募があり、うち860人を6週間かけて面接し、選考した、という。だからか、幕開け早々から役者の力が入っているようで、客席にもその迫力がビンビンと伝わってきて、幕が下りるまでその迫力は続いていた。最初は一体だれが主役かわからず、どこにポイントを置いて見ればいいのかもわからないような感じであった。約3時間の熱演に圧倒されたこともあって、見終わって演劇とはこんなにも面白いものか、と実感させられた。

 「かもめ」は大女優アルカージナが愛人の小説家トリゴージンを連れてモスクワ郊外の保養地にある湖脇にある兄ソーリンの家にやってきて、アルカージナの息子の劇作家の卵のコンスタンティンが近くに住むニーナを主演させる劇をみんなに見せようとする場面から始まる。幕が開き、ニーナが長いセリフを語りだすが途中で詰まってしまったこともあり、コンスタンティンは劇を中断してしまう。それでもアルカージナはニーナには女優の素質があるほめたたえ、コンスタンティンがニーナに惚れていることを知ってか知らずか、こともあろうに小説家のトリゴージン紹介してしまう。それから2、3日滞在するうちにニーナはトリゴージンと小説の話をするうちにすっかりトリゴージンに魅惑され、2人は恋仲となってしまう。

 それを知ったコンスタンティンはトリゴージンを嫉妬し、遂には決闘を申し込み、トリゴージンに傷つけられてしまう。それを知ったアルカージナは田舎暮らしに嫌気がさしたこともあって、早々にモスクワへ帰ることを決め、荷造りを命じる。トリゴージンはニーナに別れを告げるが、女優の道をめざすべきだと唆す。一方、アルカージイはトリゴージンとの仲や息子のコンスタンティンとの愛も醒めかけるがそのことを持ち出してなんとか元通りの鞘に収まったところで、兄の家を後にする。

 それから数年後、再びアルカージイの家兄ソーリンの家で、いつもの医者のドールンらを迎えて談論していると、いまやここにねぐらを構えて作家として売り出し中のコンスタンティンも加わって話に花が咲く。一息ついたところで、ド^ルンがコンスタンティンにニーナの近況を尋ねる。すると、コンスタンティンは「ニーナはトリゴージンを追ってモスクワに行き、女優稼業を続けていたが、そのうちにトリゴージンと結婚することになった。そして、家庭を持ち、子供を産んだが、ほどなくして子供が死んでしまい、トリゴージンとも別れてしまった。それでも女優稼業を続けていて、地方巡業に出かけている、という。そうした地方公演のチケットを手に入れ、何回か見に行ったこともある。ただ、楽屋に顔を出す気にはなれなかった。家には出入り禁止のようなことになっていると聞いているが、最近は帰ってきている、ということも聞いている」とみんなが驚くようなことを打ち明けた。

 その日は風雨が強くてとても外にでられるような状況ではなかった。みんなが食堂に食事に行ったのを腹が空いてないとの理由で、居間にコンスタンティンが一人残ったところへ外から扉を叩く音がした。「誰か」と声をかけても反応がないので、コンスタンティンが庭へ出てみると、なんとニーナがびしょ濡れになっていた。早速、抱きかかえて居間に入れた。最初はきまり悪そうにしていたニーナは苦しい心情を話し出し、コンスタンティンもニーナがいなくなってからの寂しい心のうちを打ち明け、2人はよりを戻しそうな気配が漂ったが、最後にニーナは「まだトリゴージンを愛している」といいながら立ち去ってしまう。残されたコンスタンティンは書きかけてあった原稿を破り捨て、何やら決意を見せて、外へ飛び出して行った。それからしばらくして、アルカージナらが居間に戻ったところ、一発の銃声が轟きわたった。医者のドールンが確かめに行って、戻って「瓶が爆発した」とのたまったが、脇の従者に小声で「アルカージナをどこかに連れて行って、コンスタンティンが自殺した」と伝えたところで、幕となった。

 喜劇が最後は悲劇となった「かもめ」は最後の最後までアルカージナ役の朝海ひかるはじめ出演者13人全員が力を振り絞っての熱演で、見るものを感動させてくれた。久しぶりに楽しくて、面白い演劇であった。セリフのほとんでない役者まで含めて全員をオーディションで決める、というかつてない試みをした芸術監督の小川絵梨子はじめ関係者の努力に喝采である。

 

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日銀短観の大幅な景気ダウンを払拭したかのような官邸とテレビ各局タッグの新元号の狂騒ぶり

2019-04-04 | Weblog

 4月1日はエイプリルフールであるが、昨日はそれにふさわしく来月1日からの新元号が決まって、異常ともいえる大騒ぎとなった。新元号は「令和」とあいなったが、テレビをみていると、午前11時40分からの菅官房長官の発表からまるで国をあげての祝賀ムード一色といった感じで、そこまでめでたいことなのか、まだ1か月先のことではないか、と思われた。首相官邸とテレビ各局が仕組んだ演出で、日銀が同日発表した全国企業短期経済観測調査(短観)で大企業の景況感を示す業況判断指数(DI)は前期から7ポイント悪化するという大幅なダウンで、あらかじめこの発表がわかっていたので、それを払拭しようと官邸が新元号の狂騒を仕掛けたのではないかと思った。日本中が浮かれている間に景気の腰折れが忍び寄ってきているのではなかろうか。

 そもそも新元号の「令和」は日本文学者の中西進氏の発案と言われており、万葉集から採ったといわれている。確かに万葉集の巻5の815にある「天地のともに久しく言ひ継げとこの奇魂しかしけらしも」の和歌の説明に「初春の令(よ)き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は琲の後の香を薫らす」とあり、ここから令と和の字をとって「令和」と名付けたのだろう。しかし、令という字と和という字は離れた個所で」記述されており、ここから「令」と「和0」を結びつけることは考えにくい。どう考えても先に「令和」を考案し、あとから万葉集のこの」下りを探し出して、こじつけた、と考えるのが至当と思われる。日本文学、万葉集に詳しい中西進氏ならいかにも考えつきそうなことである。 

 だから、安部首相が記者会見で言っていた「我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然、」こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでういくべきだ」との言辞は全くのこじつけであることがはっきりと認識すべきである。安部首相は中西氏の説明を聞いて、勝手に自らの所信を述べているに過ぎない。むしろ、忍び寄る不景気の風をなんとか吹き飛ばしたい、との思いから出てきた所信とみるべきだろう。それでもって新時代を切り開くのは自分だとでも言いたいのだろう。そんなムードに乗せられる国民こそいい迷惑である。

 もともと「令」という字は命令の令の字が思い出され、まずはおふれ、おきての意が強い。次いでおしえ、きまりがきて、県令の長の意、その次に「令夫人」の意であるよき意がくる。だから、令というのは真っ先に命じるという強権的な意がきて、和である平和に上の権力でもって民を従わせるという意味にとらえ、外人ジャーナリストの間では必ずしも評判がよくない。

 それに「令」は発音では数字の0、もしくは幽霊の霊にも通じ、必ずしもいい響きではない。レイという発音はきりっとした音ではあるが、冷たい感じがする。社名にしろ、商品名にしろ、新たに名づける際には最初は違和感が伴うもので、使っていくうちに慣れてくるので、本当にいい名であるかは多少、時間が経ってみないと判断がつかない面がある。この点では少し時間が経ってから判断したいが、4月1日の狂騒ぶりだけは異常であったのは間違いないことだろう。

追記 4日になって外務省が「令和」の英語表記を「beautiful harmony」とすることが伝わってきた。安部首相が盛んに日本の美しさや梅の花の咲くようにとこじつけで説明しているのに忖度しての訳語となったのだろう。しかし、和をharmonyとするのはともかく、令をbeautifulとするのはしっくりこない。令夫人には良き夫人という意はあるが、美夫人というのは行き過ぎだろう。そのままreiwaでいいのではなかろうか。ちなみにチベット語では「令和」は希望の意だそうで、せいぜいそこまでだろう。新元号で内閣支持率は3~10ポイントくらい上昇したといわれているが、塚田一郎国土交通副大臣の失言で元に戻ることだろう。 

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