鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

優雅な釣り堀事業の経営主は意外と東電の子会社だった

2012-09-30 | Weblog
 29日は孫と一緒に30年ぶりの釣りを楽しんだ。孫とどこへ行こうか、と思いながら、長男が多摩の方に釣堀りがあるというので出かけた。溝の口から柿生行きのバスに乗り、長沢で降りて歩くこと数分、こんな山の中にと思えるところに突如、コンクリートの門が見えてきて、「フィッシュオン王禅寺」との看板が出ている。土曜日なのに車も人も行き交わないのにと訝しく思っていると、目の前に大きな池が現れた釣りをしている人は全然いないが、この下にまだ釣り場が3つある、という。受付で入場料を払い、釣竿と餌をもらい、いざ釣り堀に向かった。
 なるほど、釣り堀にしては大きな池が3つあり、それぞれルアー、フライ、餌釣りと分かれていて、ポツリポツリと釣竿を垂れている釣り人がいる。さすがに小さな子供連れはいなかったが、皆それなりに釣りに勤しんでいた。早速、餌をつけてもらって、竿を垂れたら、すぐに浮きが水中に沈んで竿を引き上げると、ニジマスが釣れていた。なんせ、魚釣りなんて実に30年ぶりのことで、もともと魚を食べない質なので、魚釣りにはとんと興味を持っていない。これまで魚釣りをしたのは数えるほどの経験しかない。酒飲みの話題でよく魚釣りの話が出るが、全く話にはついていけない。開高健が世界各地を幻の魚を求めて探検したような話には乗るが、素人の釣り話には全く興味がない。
 それでも欲がないからか、結構魚が釣れ、大いに楽しんだ。逆に長男は孫の面倒から餌付け、釣った魚の取り外しなど世話をしなくてならないので、全く釣れなかった、とあとでぼやいていたのはさもありなんと思ったが、よく考えるとちょっと可哀想だった。3時間くらい楽しんで、帰途についたが、周りを見回してみると、広い釣り場にせいぜい100人程度の入りで、それでも各池には係員を2、3人配置して、警備兼世話焼きをしているあたり、コストは結構かかっている。これだけの設備を作るには相当な資本がいるだろうし、この程度の入りでやっていけるのかしら、と余計な心配をした。ひょっとしていずれ大規模なマンション開発に乗り出すとして、それまでの場つなぎの事業としてはがっちりと作り過ぎている感じがした。いずれにしろ、いまどき優雅な会社があるものだ、と思った。
 家に帰って、ネットで検索してみたら、なんとこの「フィッシュオン王禅寺」の経営主は東電不動産で、あの東京電力の有力な子会社であった。「フィッシュオン王禅寺」は敷地面積5万平方メートルで、駐車場200台収容でき、レストラン、売店、バーベキュー場もあり、立派な遊戯施設である。東電不動産はこうした釣堀を山梨県鹿留にも保有しており、レジャー施設として運営しているようだ。
 東電不動産の売上高は年間306億円となっており、レジャー部門はどれほどのウエイトを占めているのかわからない。かつて超優良企業だった当時はグループに赤字部門を抱える余裕はあったのだろうが、いまやそんな余裕はとてもあるとは思えない。多分、この事業は昨年の3.11東日本大震災以前から乗り出していたようで、いまのところ畳む気配はないようだが、いずれ、マスコミの知るところとなり、経営合理化の波は押し寄せてくるのは間違いのないところだろう、と感じた。
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立食パーティのデモ効果にご用心

2012-09-29 | Weblog
 先日、もといた会社の社友会なるものが東京・銀座で開かれたので、参加した。以前は会社側が招待する方式で開催されていたが、リーマン・ショック後の景気後退でその余裕がなくなり、代わって3年前から有志のよびかけで自主的に行われるようになった。従って、会社当局の経営者は参加しないし、親会社の役員も参加しないので、現状の経営ぶりがさっぱりわからない。なによりも会費制であるのが大きな変化点である。
 ことしも昨年と同じく100人ばかり出席した。毎回、ほとんどの人とはこの会だけの顔合わせで、「やあ」、「やあ」と声を掛け合い、お互いの近況について話し合う。ことしは世界一周クルーズに行ってきたばかりで、多少そんな話でもしようか、といつもは後ろの方に控えているのに、前の方に行き、当時の社長らに挨拶した。しかし、自分から「世界一周してきました」と言うのも憚られて、しばらく大人しくしていた。そのうちに顔馴染みと会い、早速、「世界一周クルーズに行ってきたよ」と切り出し、相手の反応をうかがいながら、内容なり、感想を話し出すが、如何せん、相手も近況を話したくてうずうずしているところへ持ってきて、お互い周りに目をやりながら、知り合いの動向をうかがいながらの話となり、盛り上がらない。そこへ、共通の知人でも来ようものなら、話の腰を折られ、世界一周はどこかへ吹っ飛んでしまう。
 なかにはまるで世界一周クルーズなどに興味を示さない人がいたりすると、話は一辺にすぼんでしまう。1年、人によっては3年、5年ぶりに会う人がるので、話はあっちこっちに飛んでいく。政局の話や、同僚の近況などくるくる話題は変わる。とても世界一周だけにとどまっていない。それに帰ってからもう1カ月以上経って、いささか記憶も薄れつつあり、感激も遠ざかっていて、どうかすると話に詰まってしまう。要はこうした席にはよほど世間を驚かすような出来事でない限り、話題が集中するということはない、ということだろう。
 一般に立食パーティなるものは通りすがりの人から、旧知の人まで種々雑多な人が飛び交うが、当たり障りのない世間話で終始するのが一番のようだ。サラリーマンとして過ごしているなかで、数々の立食パーティに参加しているが、お客であれ、招待側であれ、まず肝心な話が交わされた記憶がない。
 西欧人に比べ、日本人はパーティなるものを苦手とする人が多い。一度に多くの人をもてなすのに最適の手法であるが、そこで肝心な話をするのには適していない。立食パーティで、いかにも秘密のとっておきの話がありそうに話す人がいて、後日、アポイントをとって会いに行くと、なんということもなく、こんな人だったのか、とがっかりしたことがなんどかある。
 立食パーティには参加する人をいつもの状態にない心境に駆り立てる魔物のようなものがあるようだ。他人がお酒を前に楽しく談笑していると、自分も同じようにしないとやりきれなくなるような気持ちになってくる。特によく知った人が周りに沢山いつような場合にはそうした心境に追い込まれるようだ。すると、いつもにないテンションになり、日頃はしゃべらない人が饒舌になったり、陽気になったりして、人が変わるというわけだ。お酒が入ると、人が変わる人がいるが、それも同じだろう。翌日になると、平常のペースに戻るので、その落差に初めて接する人はどっちが本当かわからなくなる。一種のデモンストレーション効果といえるのだろう。
 
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メリットがなくなり、曲がり角にきた百貨店カード

2012-09-28 | Weblog
 先日、高島屋から高島屋カードの請求書が届いたので、見てみると新たに400ポイントついていたのはいいが、確か残っているはずの700ポイントあまりが消えていた。クルーズに乗った関係でここ半年くらい利用していなかったので、ポイントは増えていないのはわかるが、なくなってしまうのはどうしたことだろう、と思った。以前の記録を調べてみたら、ことし3月末のポイントは2708点となっていた。春ころに2000ポイントを商品券に替えたはずなので、残る708ポイントは残存していてもいいはずである。
 高島屋カードはよく二子玉川の玉川高島屋へ行くのでここ20年来ずっと使っている。買い物をすると額の7%分がポイントとして積み立てられ、2000ポイントごとに2000円の商品券と交換できる仕組みとなっている。年会費が2100円なので、年間3万円くらい買い物すれば、元はとれることになる。以前は結構、買い物に出かけたが、最近は近くの丸井溝の口店で買い物することが多く、それほど利用しなくなっている。
 で、改めて受け取った利用明細書を確かめてみると、ポイントを記したところに「ポイント積み立て期間は毎年3月末までの1年間です」とあり、「今期獲得分の交換期限は7月末です」と明記してあるではないか。念のため、以前に受け取った利用明細書を取り出してみると、そう書いてある。手持ちのものでは昨年6月のものまでしかにので、いつからそうなっているのか確かめようがないが、いままでそうした規定があるのは気がつかなかった。いままでそうした連絡ももらった記憶がないので、ずっとポイントはずっと持ち越すものだ、と思い込んでいた。うっかりしていたといわれれば、そうだと言わざるを得ない。
 他に百貨店カードとしては伊勢丹のアイカードを持っているが、伊勢丹の場合は買い物した時点で、5~10%の割引きをする仕組みで、前年度の買い物額に応じて翌年の割引率が設定されることになっているので、わかりやすい。高島屋の場合はポイントが累積するシステムを採っているので、ついついずっと持ち越されるものと思い込んでいる人が多いのではなかろうか。
 考えてみれば、デフレ時代に入って、流通各社の値下げ競争はとどまるところを知らず、ものの正確な値段というものは消費者にわかり難くなっている。それだけに百貨店で買い物する習慣は減っており、あの手この手で百貨店は顧客の囲い込みを図っている。独自のカードを発行し、特典をつけることは以前からやっているが、一方ではそのコストも嵩んでいて、年会費を有料にして徐々に上げてきているようなことをしているが到頭、ポイントの有効期限を1年で打ち切ることにしたようだ。残る手段は百貨店カードの廃止ということだろうが、その前にメリットが見当たらない、として脱会する会員が続出するのではなかろうか。まさに百貨店カードの曲がり角といった様相である。
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民主党の野田首相のがいい、との回帰現象が起きる

2012-09-27 | Weblog
 26日行われた自民党総裁選で、大方の予想に反して安倍晋三元首相が勝利し、次期首相の座をほぼ確実なものとした。元首相が総裁選に出馬すること自体初めてだが、当選したことももちろん初めてのことである。第1回目の投票ではかろうじて2位の座に滑り込んで、1、2位の決選投票において石破茂元政調会長を破った。親の七光りだけがとりえの石原伸晃幹事長がなるのよりはましだが、旧態依然たる自民党の体質を如実に示したわけで、民意が反映されていないとして、直ちに自民党秋田県連の大野忠右エ門会長ら幹部4人が辞意を表明するなど波乱含みの様相を呈している。
 自民党総裁選の第1回目の投票では地方の党員票300票のうち165票を集めた石破茂氏が圧勝したが、議員票を34票しか集められなくて、全体の498票の過半には届かず、石破氏と2位の安倍氏の決選投票となった。決選投票は議員だけの投票で行われるため、3位以下の石原、町村、林候補へ投じられた票がどちらに流れるかが注目された。結果、安倍氏が基礎票54票に54票上積みし、108票で石破氏の89票を上回り、めでたく当選と相成った。石破氏は基礎票に安倍氏を上回る新たに55票を獲得したものの、如何せん基礎票が少な過ぎた。無派閥という石破氏の弱みだ出た、ということだが、地方票では圧勝した強みが決選投票では影響を及ぼさなかったことになる。
 決選投票の仕組み自体に問題がありそうだが、3年前に地方を切り捨てたことで支持をなくし、民主党のもとに下野した自民党が3年の野党時代を経てもなんら変わることがなかったことを明白に示している。総選挙に臨むのに石破氏を顔として戦いたい、との地方の意向はなんら考慮されることなく、相変わらずの長老支配の派閥体質をさらけだしたわけである。
 自民党総裁選で1回目の投票で2位だった候補が決選投票で逆転したのは1956年の第3代総裁に就任した石橋湛山氏以来のことという。安倍氏は5年前に体調不良を理由に総理の座を放棄しており、その時の無責任な辞め方に政治家としての資質のなさを露呈した。それから健康は回復した、と本人は力説しているが、精神面までそうなっているとはとても思えない。政治の世界で、もう一度チャンスが与えられることはまずありえない。
しかも5年前と比べ、いまはより政治の舵取りが難しくなっている。安倍氏には本質的に軽いという印象がつきまとうし、行き詰ったら簡単に総理の座を投げ出すのではないか、との懸念は払拭しきれない。
 一体、自民党のだれが安倍氏がいい、と言ったのだろうか。今回も最初、総裁選に出馬を表明した時に周りは止めた方がいい、と諌めた、と言われている。どこで、だれがゴーサインを出したのだろうか。本人がどうしてみ出たい、というのはだれも止められないだろうが、総裁に不向きな人を勝たせてしまう、という自民党の体質はいかがなものか。これだったら、まだ民主党の野田首相のがいい、と民主党回帰現象が起きるのではなかろうか。
 
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いまや新聞は社会の公器たることを自ら放棄した醜態に唖然とした

2012-09-26 | Weblog
 25日毎日新聞の28面の総合面にベタ記事で日本新聞協会が政府の行政改革本部長の野田首相に対し、新聞・雑誌の購読費削減の撤回を求める要望書を提出した、と出ていた。政府が各省庁の新聞・雑誌の購読費を今年度に引き続き、2013年度も削減する方針を示したことに対するもので、余りにも自分本位な行動であることに唖然とした。百歩譲って民間企業の集まりである日本新聞協会がこうした要望をするのは理解できるとしても、そのことを社会の公器たる新聞を使って堂々と報道する姿勢がいかがなものか、と思わせる。
 日本経済がバブルがはじけた19990年以降、どういう状態にいるか、一番わかっているのがそうした状況をつぶさに取材、報道しているマスコミ各社ではないだろうか。日本政府は累積赤字1000兆円に達するのが目前で、なんとかプライマリーバランスを回復しよう、と必死になっている。政府はじめ地方公共団体のいずれもが税収減に悩み、どうして赤字財政から脱出しようか、と日夜頭を絞っているのに、新聞・雑誌の購読料の削減を撤回してほしい、などと、どこからそんな要請がでてくるのだろうか。
 日本新聞協会は要望書で、「民意の把握をはじめとした情報収集をコスト削減の対象とすることは、民主主義の精神にそぐわない」と指摘、「政府が率先して新聞購読を中止することは、活字離れを助長し、優秀な人材の育成を放棄しているような印象を与える」と表明している。要望書の冒頭では新聞・雑誌となっているのに趣旨説明の下りでは新聞だけを強調しているのはいかにも出版社も同調しているように見せているのではないか、と勘繰らせる。新聞各社はいずれも傘下に出版社を抱えているので、さも出版業界もこの要望書に同調している、と判断したかったのだろう。
 かつて新聞は社会の公器である、といわれた時期があったし、世論を形成、もしくはリードするような役割りを果たしてきたことがあった。しかし、テレビに次ぎ、インターネットが急速にな普及したことにより、その社会的な存立意義は大いに低下しつつある。いまや世帯での新聞購読率は30%前後に落ちている、との説もあり、必ずしも社会の公器ではなくなりつつある。
 今回の自らの経営状況だけを考え、なりふり構わぬ要望書の提出はもはや新聞が社会の公器ではないことを自らさらけ出した明白な証拠でもある。新聞各社はそんな醜態をさらすよりもいま一度新聞の役割りに思いを馳せ、経営として何をするべきか、何をめざすべきか、を特と考えて見る時期ではなかろうか。
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米海兵隊の垂直離陸輸送機、オスプレイ問題に見る日本外交の頼りなさ

2012-09-25 | Weblog
 24日午後7時半からNHKテレビで「クローズアップ現代」で米海兵隊の垂直離陸輸送機オスプレイについて取り上げていたので、見ていたら専ら日本の米軍基地への配備について基地周辺の住民が反対していることだけに焦点をあてていて、一体オスプレイなるものがいかなるものか、についてはほとんど触れていなかった。最近の新聞記事を見てもそうした基本的なことに触れているものはなく、単にオスプレイ輸送機が日本上空を飛ぶことについて反対していることばかりが取り上げられていることに異様な感を持った。沖縄・普天間基地の移転をめぐって日米間で話し合いが決着していないこととオスプレイ配備がごっちゃになっているようで、それに米軍基地周辺の住民の反米感情が輪をかけているようだ。
 MVー22、通称オスプレイ輸送機は米ベル・ヘリコプター社とボーイング・バートル社が共同開発した軍用機で、89年3月に初飛行し、05年12月から運用されている。ヘリコプターと従来の固定翼機の双方のメリットを併せ持つのが特徴。オスプレイ輸送機は従来のヘリコプターに比べ高速、かつ航続距離が長く、騒音も低い特徴を持ち、ヘリコプターのように超低空の近従飛行もできる。オスプレイとは愛称で、鷹の一種であるミサゴの意という。ただ、オスプレイは事故が多いといわれており、現に飛行時間10万時間あたりの平均事故率が1.93で、民間の飛行機に比べれば圧倒的に高い。関係者によると、通常の米海兵隊所属の飛行機平均の2.45なので、それよりは低い、ということになる。
 だから、日本の米軍基地周辺の住民がオスプレイの配備に対して反対するのは以前からの反米、反米軍基地感情によるもの、という他ない。もともと、米軍基地があることについて反感を持っており、それが沖縄・普天間移転の問題が起きて、火がついた、といえそうだ。米軍基地の配置を受け入れていることについて、必ずしも賛成しているわけではなく、できれば撤去してもらいたい、というのが本音だろう。そうは言えないから、オスプレイの配備反対を声高く唱えているのだろう。
 それと、NHKテレビによれば、オスプレイ配備については16年前に米国から当時の自民党政府に対して打診があった、という。当時の首相は故橋本龍太郎氏であり、当時は野党から質問されても「正式に打診されたわけではない」と答弁を繰り返してきた、という。確かに正式打診ではなかったのだろうが、言葉のあやであり、日本語の微妙な言い回しに過ぎない。もともと、オスプレイ問題をこじれさせたのは自民党政府になったということだけは間違いないところだ。
 こうしたオスプレイの基本的なことを伝えずに単に配備反対運動にだけ焦点をあてて報道しているNHKも頼りないし、問題の所在もわからない政治家も頼りない。こんなことでは尖閣諸島や竹島、それに北方領土問題など四方に領土問題が山積している日本の外交の舵取りをしていくことなど到底できないことだろう。
 
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夫婦の愛を高らかに謳い上げた日本映画「天地明察」

2012-09-24 | Weblog
 23日は川崎駅前の109CINEMASで、映画「天地明察」を鑑賞した。昨年の本屋大賞1位にランキングされた新進作家冲方丁の原作を映画化したもので、主演がv6の岡田准一、それに宮崎あおいとあって若い人を中心にかなりの入りであった。つい先日、天地明察の文庫本上下を購入したばかりで、まだ読み終わっていない段階での映画鑑賞であり、中ほどぐらいまではなるほどこういう筋であった、と読んだところを思い出しながら見ていたが、途中からはこういう展開となるのか、と面白くみることができた。武士でありながら碁打ちであり、地図作成から暦の作成を命じられた男の一生を描き切った名作で、久しぶりに見るいい日本映画であった。
 「天地明察」は会津藩江戸藩邸に務める安井算哲なる武士は囲碁打ちとして将軍の前で囲碁を展覧することを仕事としていたが、趣味として天文学をかじり、時には宮益坂の金王八幡神社へ行き、算術の謎解きを行っていた。そんな算哲を見出した藩主、保坂正之は日本地図の作成業務に携わることを命じる。北斗七星を観測することによって、地図を作成することができることは想像できたが、実際にその作業を行うことになろう、とは夢にも思わなかった算哲は自分なりにその作業をして、仲間の先人たちを驚かしてしまう。その先人からいまの暦が狂っていることを聞き、帰ってから、ふとそのことを水戸光圀に話してしまう。
 当時の日本の暦は京都朝廷の公家が800年以上にわたって占有していて、狂っているなどと言おうものなら、それこそ反逆者扱いされかねるくらい神聖視されていた。困った算哲は日食、月食が起きる日が狂っていることを知らせることによって、世論を味方につけることを思いつく。早速、当時の暦と算哲の予測した暦のどちらが当たっているかを世に問う勝負を大々的に宣伝して、一大行事と仕立てた。ところが、暗に相違して、朝廷の暦が間違っていない結果が出て、算哲は打ちのめされる。
 思い余って、最愛の妻えんにすがり数学者の関孝和に会い、話をすることによって、グローバルな視点が必要なことを悟り、地球儀なるものを作り、暦の間違いを中国の暦をそのまま取り入れた朝廷の暦は日本よ時差が1時間あることを知る。されで、再度切腹覚悟で、朝廷の暦との勝負に挑み、今度は勝って、新たに「大和暦」として採用されるに至る。
 当時はすでに欧米では地動説が認められていたが、算哲が地球も自転しながら太陽の周りを回っていたことに気付いていたか、映画では触れていなかった。そのことが暦の狂いと関係あったのかはわからないが、映画ではそこまで踏み込むことはない、と判断されたのだろう。原作を読むことで確かめてみることとしたい。
 映画では、宮崎あおい演じる妻のえんとの愛の交流や、市川猿之助演じる関孝和との交流、碁打ちの本因坊との触れ合いなどエピソードをちりばめながら、ストーリーは展開していく。妻えんが切腹覚悟で朝廷との勝負に旅立つ朝に「私より先に死なないでください」と懇願し、勝負に勝った京都の街に艶然と笑みを浮かべながら登場するシーンは見ている者の胸を熱くさせた。また、最後のエンドロールで、算哲とえんは同じ年の同じ日に同時に亡くなったと出ていたが、それも夫婦が最後の最後まで愛し合ったことを示すエピソードとして印象深く受け止めた。
 このほか、水戸光圀役の中井貴一、保坂正之役の松本幸四郎や市川染五郎、笹野高史、岸部一徳など演技達者な脇役陣もそろっていることも見ごたえある映画に貢献している、と思った。
 天地明察という言葉は原作者の冲方丁の造語なのだろうか。天地と明察という言葉をつなげたのだろうが、天文用語のようで、響きがいい。本、映画ともなかで水戸光圀が算哲の発する「天地明察」という言葉を聞いて、「いい言葉だ」と発する箇所があるが、タイトルに持ってきているところも含めていいセンスである。
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世界一周クルーズの結論は「世界で日本が一番である」ということ

2012-09-23 | Weblog
 世界一周クルーズから1カ月強経って、ようやく元の生活に戻ってきた。体重だけは減ったままで戻っていないが、生活のペースはほぼ元に戻りつつある。船はなんと言っても時速30キロくらいで航行しているのだから、身体がそれに慣れてしまい、帰ってからもしばらく揺れている感じが抜けなかった。人間、100日毎日続けて行うと習慣化するし、運動なら身に付くといわれていて、クルーズはそれを超えているから、日常化していた、ということになる。ということは元に戻るにはそれなりの時間を要する、ということになる。
 そこで、世界一周クルーズを終えて感じたことをまとめてみたい。まず第一には世界は広いし、丸いということを実感したことだ。中世までは世界は丸いことをだれも信じていなかったし、世界の果ては滝のように奈落の底に落ちていく、と信じられていた。もちろん、飛行機はないし、実際に船で航海し、西へ出発した船が東から戻ってくることではっきりと地球は丸い、ということが証明された。今回も5月8日に横浜を出航して、中国・厦門に寄港し、シンガポール、プーケット、スリランカ・コロンボ、そしてスエズ運河を通り、エジプト・ポートサイド、ギリシャ・ミコノス島とピレウス、イタリア・カタニア、ポルトガル・リスボン、スペイン・ビルバオ、フランス・ル アーブル、イギリス・ティルベリー、スエーデン・ヨーテボリ、アイスランド・レイキャビク、グリーンランド沖、ベネズエラ・ラグアイラ、パナマ・バルボア、さらにパナマ運河を通り、ニカラグア・コリント、グアテマラ・プエルトケツアル、メキシコ・マンサニージョおよびエンセナーダに寄港して、太平洋を横断し、日付変更線を越えて8月17日に横浜港に帰ってきた。総距離5万5000キロをめでたく航海し、まさに身をもって地球は丸いことを体感した。
 実際、初夏から真夏、さらには北極の真冬を体験し、再び中南米で真夏に戻り、世界のいろいろな国に地を踏み、いろいろな人と交流し、本当に世界は広いことも実感した。言葉だけでなく、世界には様々な国があり、それぞれ特異な文化、風習があり、国も人も様々であることを感じた。
 第2にはたまたま日本へ帰ってきた時がお盆明けの真夏であったこともあるが、世界の赤道直下の国も訪れ、各国の夏と比べて日本の夏が一番暑いことがよくわかった。確かに熱帯の夏は気温は高いが、湿度はそれほど高くないので、日蔭に入ればさらっとしていて、それほど過ごしにくくない。日本の夏はじっとりとしていて、べたつき、うんざりするが、熱帯の夏はそれほどでもない。
 第3には日本の物価は世界のどこよりも高い、ということだ。世界のどの国に行っても食べ物にしろ、ファッション・雑貨品にしろ、日本円で換算すると安い、と感じる。特に東南アジアや中南米諸国でのみやげ物店では「こんなに安いなんて」と驚くことがしばしばだった。それだけ日本の円が高くなりすぎている、ということの裏返しでもあろう。恐らく、日本へ来る世界の観光客は日本の物価が高いことに驚くことだろう。
 第4にはそれでも日本の食べ物は美味しい、ということだ。世界各国を旅して、世界のいろいろなものを食べてはきたが、やはり日本で食べるものが一番美味しい、ということを痛切に感じた。日本は日本料理はもちろん、中華料理からイタリア、フランス、メキシコ、台湾、韓国など世界各国の料理が方々で楽しむことができるし、いすれも美味しい。多少、値段が張ることは否めないが、居ながらにしてこんなに色とりどりの料理を楽しめる国は世界のどこにもないことだろう。
 最後に日本は安全で、美しさの点では世界一の国である、ということだ。世界には素晴らしい景観や世界遺産として指定されている観光資源が豊富にあり、それぞれそれなりの良さがあるのは確かであるが、日本国内にもそれに劣らないだけの美しい景観を持った観光地や世界遺産の指定されている観光地はあり、いずれもが世界のどこに出しても恥ずかしくないだけのものを兼ね備えている。しかも日本は世界のどこよりも安全であり、街並みひとつとってもきれいで、ゴミや埃が落ちているようなところはあまりない。世界に出かけていくのもいいが、足元の日本国内にも十分に楽しめる観光施設がある。
 結論として、日本が一番いい、ということになる。もう一度、世界一周クルーズに出かけよう、という気にはならないが、もっと日本国内の観光を楽しみたい、という気はしている。
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ネット社会の落とし穴、意外と高いキャンセル料金

2012-09-22 | Weblog
 先日、2年ぶりに東急ハーベスト京都へ行こう、と思ってJR東海のネットでのExpress予約をしよう、と思った。が、まだ計画が確定していないので、ひょっとしてキャンセルすことになるかもしれないので、念のためExpress予約のパンフレットでキャンセル料金を調べたら、どこにもキャンセル料金についてはふれていなかった。仕方なく電話で問い合わせたら、なんとe特急券は1枚320円、乗車券は210円かかり、合わせて530円チャージがかかる、という。いままで新幹線のExpress予約は10年以上利用しているが、一旦予約した切符をネット上でキャンセルしたことがなっかたので考えたこともなかったが、意外とキャンセル料金が高いのに驚いた。
 ネットでの予約はわざわざ駅なり、JTBの窓口に赴かなくていいし、携帯電話からも利用の1カ月前から手軽に予約できるので、便利である。しかも利用前なら何回変更してもいいし、しかも料金が通常より安いので2重にお得である。たとえば、新横浜から名古屋までExpress予約すると、e特急券は窓口で買うより540円安い。JR東海としては窓口で人手を使って処理するより、ネットで受け付けすれば人件費がかからずコストは下げられるし、売り上げ増加につながる、というわけだろう。
 ただ、気軽に利用できるので、予約して、キャンセルするとメリットはほぼ吹っ飛んでしまう、ということだ。電話で聞いた際に参考までにキャンセル料の徴収方法を聞いたら、あらかじめ申告してある銀行口座から引き落とすことになっているので、JR東海としては取りっぱぐれはない、という。
 もちろん、キャンセル料を1件当たり530円もらってもJR東海のExpressシステム全体の運用コストはとても賄いきれないことだろう。昔、銀行オンラインシステムが普及したころ、利用者がATMを1回操作するごとにコストは400円といわれ、時間外で1件当たり105円の利用料をもらっても引き合わない、と言われていた。いまはコンピュータ技術の進歩でコストは大幅に引き下げられているので、そんなことはない、と思われるが、それでも相当なコストがかかっていることは間違いない。
 JR東海のExpress予約のキャンセル料が年間どのくらいの金額にのぼっているか定かではないが、少なくとも利用者のほとんどはキャンセル料がネット予約のメリットを帳消しにするほど高いとは思っていないことだろう。請求書を目にして初めて知って驚くか、見ても気づかないのだろう。
 かつてビデオレンタル業が世に出始めたころ、意外と貸し出し期間を過ぎても返さないためにペナルティ料金が発生し、その料金がべら棒に高いのに驚いた利用者が多かった、という。このペナルティ料金がレンタル業者の収益のかなりの部分を占めた、とも言われたことがあった。
 JR東海がExpress予約のパンフレットにキャンセル料金の明細を載っけてないのは気軽にキャンセルさせてキャンセル料金を増やそう、と意図している、と勘繰られても仕方がないだろう。ネット社会の思わぬ落とし穴と見たが、如何だろうか。
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アウンサンスーチーの映画「ザ・レディひき裂かれた愛」に感動した

2012-09-21 | Weblog
 20日は横浜・伊勢佐木町にある「横浜ニューテアトル」へアウンサン・スーチーの映画「ザ・レディひき裂かれた愛」を見に行き、大いに感動した。前日に送られてきたダイナースカードの会員誌、「シグネイチャー」10月号に主演のミシェル・ヨーの好演ぶりが取り上げられていたので、興味を持ってネットで上映館を探したところ、首都圏で唯一上映していたのが横浜ニューテアトルだった。上映開始の午前11時少し前に館内に入ると、映画好きそうなシニアが20人ばかり入っていた。同じように評判を聞きつけて来たのだろう、少し安心した。
 映画はアウンサンスーチーが2歳の時、ビルマ建国の英雄である父。将軍にあやされ、父の出ていく姿を見たところから始まる。父は政府の官舎での会合に出て、どのように国を作っていくか、同士と語ろうとしたところ、軍のクーデターに遭い、撃ち殺されてしまう。その40年後、ロンドン・オックスフォード大学の教授がかかりつけの医者に診てもらい、ガンに冒され長くて5年持てばいい方と伝えられる。いまはビルマに幽閉されているアウンサンスーチーの夫で、友人に「いつ奥さんに伝えるのだ」となじられ、答えを言い渋る。
 そこから回想場面に入り、オックスフォードで2人の息子と家族4人で仲睦まじく暮らすアウンサンスーチーのもとに1人ビルマで暮らす母親が危篤である旨の知らせが届く。早速アウンサンスーチーは見舞いにビルマに帰るが、ビルマを支配しているネ・ウイン元帥は建国の父の一人娘が帰国したことに神経をとがらせ、アウンサンスーチーが入国した段階から監視体制をとる。軍の圧政にデモをしていたビルマの学生や有識者はアウンサンスーチーの帰国を知り、国に民主化のリーダーとしてアウンサンスーチーを担ぎ出すことを要請する。最初は渋っていたアウンサンスーチーは目の前で学生らが軍人の銃撃で殺されるのを目撃し、なんとかしなくてはと思い、立ち上がる。
 遅れてビルマに着いたアウンサンスーチーの家族3人は祖国民主化のリーダーとして忙しくしているスーチーを見て、全面的に支援することを申し出る。スーチーは民主化のための国民同盟を立ち上げ、自ら党首として全国遊説に乗り出した。事態を重視したネ・ウインはスーチーには直接手を出せないと判断し、代わりに夫に国外退出命令をだし、スーチーには自宅軟禁命令を出し、周りの活動家と接触しないようにした。
 それでもスーチーは屈することなく、民主化への意欲を減ずることなく、抵抗の姿勢を示し続けた。この間、スーチーは夫の尽力でノーベル平和賞を受賞したものの、それをよしとしないビルマ政府の意向で、授賞式への出席は叶わず、逆に世界にビルマ軍の圧政ぶりをアピールすることとなった。また、40年ぶりに行われたビルマの国民選挙でもスーチー派が圧勝したが、それでもビルマ軍の暴虐ぶりは収まらなかった。
 そうこうするうちにスーチーは冒頭の夫の病気が進行しているのを知らされ、涙にくれるが、ロンドンに行けば二度とビルマに戻って来られない、と思い、見舞いに行くのを断念する。そして、夫は53歳の若さであの世へ旅立ってしまい、表題のひき裂かれた愛となる。
 映画はその10数年後、スーチーは自宅軟禁を解かれるが、「引き続き軍の圧政は続いている」とのテロップが流れ、ジ・エンドとなる。
 確かにミシェル・ヨーの熱演が光るいい映画だった。監督はリュック・ベンソンで、なぜリュック・ベンソンが愛の映画を撮ったのか、と思ったが、ビルマ軍の軍人がやたら銃を撃ち、人を殺すシーンにその本領が垣間見られた。
 家に帰って夕刊を見たら、たまたま毎日新聞の1面横に写真付きでアウンサンスーチーが米ホワイトハウスでオバマ大統領と会談し、ミュンマー民主化について話し合った、と出ていた。アウンサンスーチーの映画を見た日にそんな記事を見た、というのも面白い偶然だ、と思った。
 もともとこの映画は7月に日本で公開されたようで、その時は世界一周クルーズしていたので、その時の評判はわからないが、いい映画はたとえ公開から遅れてみても変わらないものだ、と思った。これまでアウンサンスーチーのことはよく知らなかったが、この映画を見て改めてすごい人だと思った。
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