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鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

立川に初めて行って駅頭に立ち、まるで50万人都市の趣きを感じ取った。多摩丘陵地区のセンターとしての発展を祈りたい気になった

2025-01-31 | Weblog

 30日はかみさんと立川にある国営昭和記念公園に出かけた。JR南武線の溝の口から快速で30分ちょっとの立川駅に降り立ってみると、駅前には大きなビルが群立しており、高島屋、伊勢丹はじめ名だたる商業施設や銀行などが立ち並び、南北にモノレールが走っていて、圧倒された。立川駅に降り立ったのは初めてで、その立派な駅前の模様には圧倒された。帰ってから立川の人口を調べたら18万5124人で、とても20万足らずの市の駅頭とは思えなかった。モノレールの下には幅20メートルはある遊歩道があり、その両側には中層のビルが並び、レストランなど商業店舗が軒をそろえており、その佇まいに驚かされた。とても中小都市の中心地とは思えず、まるで大都会の趣きで、近くに住んでいながらこれまで訪れていなかったことを大いに反省した。

 かみさんは20年以上前に来たことがあるようだったが、まるで雰囲気が変わったと驚いていた。遊歩道をしばらく行ってから左に折れ、目的の国営昭和記念公園に向かって歩いていくと、大きな原っぱに出て、さてどちらに向かっていいか、わからなくなってきたので、丁度こちらへ歩いてきた女性に尋ねて記念公園のあらましがわかった。そこで、公園の入口に辿り着き、シニア1人220円の料金は支払い、園内に入った。入口で手にした案内図を片手に歩を進めると、各所に池や庭園があり、ところどころに季節の花が咲いていて、来場者の目を楽しませてくれるようになっている。ただ、冬場はマンリョウ、サザンカ、スイセンくらいで、あとは常設の日本庭園、盆栽苑くらいを見て回るようになっていた。

 もちろん、春には桜、夏には紫陽花、ひまわり、秋にはコスモス、紅葉が楽しめるようになっており、そうした時には大勢の人が来場する、という。広さはざっと2万平方メートルはあるような広大な規模なので、今回は入口入ってすぐの水鳥の池の周りを周回するだけで、次回に改めて来る、ということで、公園を後にした。公園のなかには自転車のサイクルセンターや、プール、こどもの森、うんどう広場といった施設もあり、家族全員が楽しめる施設ともなっていて、ぜひ来てもたい、と思った。

 そして、行きに歩いた遊歩道で見つけていた「いしわら」という蕎麦屋に入って、ランチを摂った。食べながらポスターを眺めていて、東京に3店あると書いてあったので、女店員に聞いてみたら、「世田谷に本店がある」という。昨年5月に孫の運動会を見に行った帰りに世田谷公園まで足を伸ばし、帰りに用賀駅まで歩いていく途中に感じのいい蕎麦屋さんがあったので、入って蕎麦を食べ、美味しかったのを覚えていた。で、その店かと聞いたら、「そうだ」という。今度昭和記念公園に来たらまた来てみよう、と思った。

 立川に初めて来て、まるで50万人都市のような感じがして、これほどの都市づくりをしているのは市長はじめ行政当局が都市計画をきちんと立てて実行しているからに違いない、と思った。多摩モノレールが立川を中心に北は玉川上水まで、南は多摩センターまでつないで西武新宿線と京王相模原線・小田急多摩線と交通ルートを結び、多摩丘陵各地のお客を立川に呼び込んで、一大消費センターを構築しているのは並みの感覚ではない、と思った次第。これからも立川の発展を見守っていくためには度々立川に足を運ん行く末を見守っていきたい気持ちとなった。

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俳優座さよなら公演第1弾の音楽劇ソーントン・ワイルダー作「わが町」の言いたかったこと

2025-01-19 | Weblog

 18日は東京・六本木の俳優座劇場でことし4月に一時閉館するさよなら公演として企画された音楽劇「わが町」を観賞した。1938年に制作されたソーントン・ワイルダーの名作「わが町」を俳優座にとってエース的存在である土居裕子を主演としたさよなら公演第1弾で、一時なくなる俳優座を偲んでか、満員のお客をつめかける盛況で、最後の幕際ではカーテンコールが何回も繰り返されるほどの拍手で、劇場さげて観客とともの別れを惜しんでいたのが印象的だった。

 「わが町」はアメリカ・ニューハンプシャー州の小さな町であるグローヴァーズ・コーナーズのギブス医師と隣に住む地方新聞の編集長ウェブ氏両家を中心に物語が展開していく。第一幕では町の日々のあれこれを紹介しながら、グローヴァーズ・コーナーズの佇まいを紹介していく。なかでもギブス医師の息子ジョージとウェブ氏の娘エミリーは幼馴染みで、窓越しに日常の出来事などなんでも語り合う仲で、周りの人たちの温かい支援のもとに2人の関係は深まっていく。2人は学校でともに勉強をしあいながら、相手のことを慮っていることがわかり、いつしかお互いを離れられない関係であることを意識しあう。

 そして第2幕では2人は両家の家族を含めて盛大な結婚式を上げることとなり、グローヴァーズ・コーナーズの町あげてお祝いをするようなこととなる。さらに10数年経って第3幕ではなんとエミリーはじめ多くの町の関係者が亡くなった墓場の場面となり、エミリーの母親はじめ多くの知人が埋葬されている墓場に町の人たちがお参りしている場面が展開され、そこに数年前に亡くなったエミリーが現れて、亡くなった世界から自身が生きていた時代へ戻りたい、と言い出し、実際に夫のジョージの家に舞い戻ることを神様にお願いし、その通りにジョージの家に舞い戻ることとなる。

 しかし、実際にジョージの家に舞い戻っても自ら望んでいたような感激の場面とはならず、相手のジョージの母親や父親からは舞い戻ったことを認めてもらうわけにはいかず、一方通行の出会いとしかならず、失意のどん底に落とされてしまう。そんなことでは霊界から現実の世界へ舞い戻ったとはいえず、単に眺めていることしかできず、エミリーは大いに落胆してしまう。エミリーは霊界へ戻って同じ霊である母親にそのことを訴えるが、母親は黙っているだけで、何とも答えない。霊界に落ちた者は現実の世界を眺めることはできても、ただそれだけで、だからと言って悲しんでもだれも理解してくれない、現実が過ぎ去っていくことを認めることしかできない。

 作者のソーントン・ワイルダーが一体この作品で何を語りたかったのかは想像するしかないが、死というものが何も語らないし、ただ受け入れるしかないのかもしれない。過ぎ去った人の営みは単に消え去るのみ、ということなのだろうか。ただ、ここでは「俳優座さよなら」に拍手するしかない、とも思った。

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初春大歌舞伎を観賞して思ったこと、もっと正月らしい華やかな演目を演じてもらいたかった。松竹経営陣は伝統と名跡に胡坐をかいているのでは、と反省すべきではなかろうか?

2025-01-11 | Weblog

 10日はかみさんとともに恒例の東京・銀座の歌舞伎座の「初春大歌舞伎」を観賞に出かけた。ただ、ここ数日かみさんが昨年末のバリ島旅行で、腰を痛めてしまい、最悪な場合は1人で行くことになるのかな、と懸念していたが、なんとか同行できることとなり、いつもより時間的に余裕を見て出かけたため、歌舞伎座には開演の30分前に着いてしまった。正門の前に20人くらい並んでいたので、並ぶと間もなく入場となり、3階の指定席に赴くと、なんと一番乗りで、中央扉に近いB席に陣取った。開演まで時間がったので、1階の歌舞伎座の記念品売り場に行き、知人用にハンカチや菓子などを購入し、午前11時からの開演を待った。

 場内はほぼ満員のなか、11時から「寿曽我対面」で幕開けとなった。江戸時代に初春の吉例として上演された曽我五郎、十郎兄弟が父の仇、工藤祐経を討ち果たす場面を華やかに演じ、それを見ていた同僚の小林右近らが讃えるさまを演じる。続いて荒武者藤原秀郷が大立ち回りで魅せる大百足退治、陰陽師・安藤晴明とライバル・蘆屋道満の対決に晴明の相棒・源愽雅の笛の音が響く鉄輪の二幕から成る「陰陽師」、そして最後は最後は男女の悲恋の物語を描いた「封印切」の3本を見たが、いずれも正月らしい華やかなものとは言えず、淡々と演技をこなしている感じはするが、いつもの華やかな印象を受けるには至らなかった。

 正月はやはり華やかな踊りを交えた演目が必要で、新たな新年を迎えたおめでたい気分にさせてもらうのが必要ではないか、と思った。また、正月は歌舞伎界を代表する役者が顔を揃えるべきで、昼の部で印象に残ったのは「陰陽師」で最後に蘆屋道満役で登場した松本白鴎程度で、市川団十郎はじめ多くの代表的な役者がほとんどお目見えしなかった。市川猿之助はじめここ最近幾多の不祥事で、すっかり影を潜めている歌舞伎役者が多いのは承知しているが、だからといって顔を出さないのは解せないことである。

 そう思って劇場内を見渡すと、座席数2000弱のなか、ところどころに空席が見渡され、必ずしも満員盛況とは言えない入りであった。これだけ世の中はざわついているなか、相対的に歌舞伎に対する世間の評価は落ちていっているのではなかろうか。特に若い人の間で歌舞伎に対する関心が薄れてきているのではないだろうか、とも思った。経営している松竹の首脳陣のなかにこれまでの経営方針について、反省すべき点がないか、どうかを改めてもらいたいものである。江戸時代以来の伝統と名跡に胡坐をかいているのではないか、じっくりと考えてもらいたいもである。

 

 

 

 

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常夏のバリ島での観光は素晴らしいものだったが、その代償は高くついたことには反省しきり

2025-01-03 | Weblog

 2日いつものようにこのサイトを開けて、昨年末にインドネシア・バリ島に行き、大変な目にあったことなどを書き込もうとおもったら、なんといくら試みてもページが開かなかった。サイトの管理者でもあるgooのホームぺージも開かなかった。gooの親会社であるDOKOMOになんらかの異常なり、変化でも起きているのか、あるいはシステム構築のマイクロソフト側でなんらかのっ事情でもあったのか、などを探ったが一向にその原因がわからなかった。永年試みているが、特定のサイトが開かない、こんなことは初めてのことで、いろいろ試行錯誤してみても改善は図られなかった。おかげでその日が毎年恒例の箱根駅伝のこともすっかり吹っ飛んで、夕方になって親友からのメールで気が付いたほどだった。

 一時はひょっとしてこのブログの投稿回数がすでに2600回を超えているので、ある程度行くと限界に達するようなことでもあるのかとか、管理者のDOKOMOサイドで運営方針についてなにか変えたようなことでもあったのか、とも想像したりした。かれこれ20年近くにもなるので、そろそろ打ち止めとすることもありか、とか、別のサイトに乗り換えることでも考えるか、とも思ったりもした。しかし、3日のなってすっかり元のようになって、そうした思いもすっかり吹っ飛んで、いつのようになって、本当にホッとした。

 で、昨年末の23日から長男一家とともにインドネシア・バリ島に行き、一週間にわたってバリ島の別荘地の一軒家を借り切って、年末の休暇を存分に楽しんだ。北部のタナ・ロット寺院、ウブドの王宮、クタのショッピングタウン、最南端ウンガサン、巨大な像のあるカルチュラル・パークなどをレンタカーで周り、各地でのレストランにて、美味しい料理を食べて、常夏の気分を味わった。バリ島は5561平方キロと東京都の2.5倍の面積に人口390万人が住んでいるが、これに観光客がどっと押し寄せるので、島内は交通渋滞が起き勝ちで、現地の住民はオートバイを乗り回して、乗用車の前後左右を行き来するので、交通渋滞をさらに悪化させる要因ともなっている。鉄道は全くなく、バスは観光客用のものばかりで通勤通学のバスはほとんど見かけない。

 食べ物はイタリア、中国、現地のインドネシア料理などいずれも美味しく、価格も安いので、ついついパクパクと食べていつも腹いっぱい食べてしまう。特に現地のドラゴンフルーツなどが一見美味しくてついつい食べ過ぎてしまい、食中りの状態となってしまった。考えてみれば、ずっと車に乗っていて、運動不足となっているのに腹一杯食べてしまったので、お腹が消化しきれなくなってしまったようだった。で、そのまま帰国となったので、ずっとお腹の調子は下ったままで、2,3日は下痢状態は続いてしまった。常夏のバリ島から真冬の東京は帰りついたわけで、もう少し考えて、行動すべきだった、と反省するばかりであった。

 

 

 

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