鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

意外などんでん返しで単なるハッピーエンドでなかった映画「ラ・ラ・ランド」は十分に楽しめた

2017-03-26 | Weblog
 26日は東京・二子玉川の109シネマズで今年の米アカデミー賞で監督賞など6部門で受賞したミュージカル映画、「ラ・ラ・ランド」を観賞した。雨が降るなか大勢の観客がつめかけて、前日に予約したにもかかわらず最前列しか座席が確保できなかったほどの超満員の状態だった。2台のデジタルプロジェクターを同時使用する鮮明な映像のIMAXシアターを最前列で観賞するにはやや無理があったが、映画そのものは単なるラブストーリーでなく意外などんでん返しの予想を裏切る結末で、従来のハッピーエンドものではない新鮮な感じがして、十分に楽しめた。

 「ラ・ラ・ランド」は冒頭、ロスアンゼルスの渋滞する高速道路で突然、運転席から飛び出した若い男女が踊り出すシーンから始まり、軽いミュージカル映画を予想させる。場面は変わりレストランで働く女優志望の主人公ミアがオーディションに落ちてふと入ったジャズバーで若い男性ピアニストが素晴らしい演奏をしているのを目に止め、声をかけようとするが、支配人から首を宣告されたセバスチャンはミアには目もくれずに店を飛び出す。それからしばらくして友達とあるパーティ会場に行ったところ、先日のピアニスト。セバスチャンを見つけ、会話を交わし、互いに惹かれていく。
 
 セバスチャンはいずれジャズの店を持つことを、ミアは女優になることを夢見て、お互いにその夢に向かって邁進していきながら、デートを重ねてい。そしてある日、セバスチャンは演奏仲間だった友達から声をかけられ、一緒にバンドを組まないか、と持ち掛けられる。一方、ミアは自ら脚本を書き、舞台で主演することを計画する。で、セバスチャンは楽団仲間と全米への演奏旅行に出かけるようになり、2人はすれ違いの生活を余儀なくされるようになる。そうした中、突然帰ってきたセバスチャンと仲良く食事をしていて、会話を交わすうちにセバスチャンがもらしたちょっとした言葉でいさかいが起こり、2人の心が離れていってしまう。

 で、ミアの公演の日にセバスチャンは外せない用が入ってしまい、公演を見ることができなくなってしまう。その公演は予想外の不入りで、観客の評判もいまひとつで、すっかり落ち込んだミアは女優への夢も捨てて故郷へ引っ込んでしまう。ところが、それから数日経ってミアの公演を見たプロダクションからオッファーの電話がセバスチャンの電話に入り、深夜にミアの故郷の家にそのことを告げに行く、しかし、意気を失ってしまっているミアは反応しないので、翌朝迎えに行くとミアはやる気を戻し、プロダクションに2人で赴く。話は主演女優として欧州各国を公演するというもので、やっと夢が叶うこととなる。

 で、5年後、ミアはセバスチャンでなくプロダクションの社長の奥方になり、颯爽を米国に凱旋公演をすることになって、帰ってくる。で、夫とロスアンゼルスの街をぶらつき、たまたま目に入った感じ」の良さそうなジャズバーに入り、席につくとなんとそこにセバスチャンが「ようこそわが店に」といって出てきて、ピアノ演奏をし出した。お互いのいまを察知したセバスチャンとミアは頷きあって、別れていくところで幕となる。

 この手の米国映画はいままではハッピーエンドで終わるものが多かったが、いまの世相を反映してか、ひとひねり加えたロマンス映画となっていることで新鮮な印象を与えてくれた。アカデミー監督賞をもらったディミアン・チャゼル監督は数年前にアカデミー助演男優賞などで話題を集めた「センション」の監督でもあり、音楽に深い理解を示す監督であることが示された。あと主演のミアを演じたエマ・ストーンはこれでアカデミー主演女優賞を獲得し、「ラ・ラ・ランド」のミアを自伝でいくような一流スターの仲間入りを果たしたことになる。演技のほどはそれほどわkらないが、歌って踊れるスターのようで、好感が持てたことを特記しておきたい。
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乱心の安倍首相から離婚か、4月解散か、はたまた飛びっきりの秘策が4月1日に飛び出すか、

2017-03-24 | Weblog
 23日に国会の衆参の予算委員会で注目の森友学園の籠池泰典理事長を招いての承認尋問が行われた。数日前に参院予算委員会のメンバーが現地の森友学園を視察した際に籠池理事長が大勢のマスコミ記者と野次馬が控えるなかで「この森友学園が風前の灯となっているが、ここに安倍首相からの寄付金100万円が投じられていることを銘記願いたい」と宣言したことから、ずっと野党の国会での籠池理事長を参考人招致したい、との要望を蹴飛ばしていた自公の与党が「安倍首相の名誉が傷つけられた」として一挙に承認喚問することに同意して実現の運びとなったものである。

 午前10時から始まった参院予算委員会での冒頭、籠池理事長はいきなり安部首相からの100万円寄付について「2015年9月、運営する幼稚園で講演した際に控室で2人きりになったときに「安倍晋三からです」と言って封筒に入った形で渡された」と語った。領収書は要らない、と言われ、入っていた封筒も残っていない、という。昭恵夫人が帰った後に携帯に「このことは黙っておいてほしい」と夫人から電話があったこともあり、お礼の手紙も出していない、という。

 さらに籠池理事長は2015年9月になり、安倍昭恵夫人に国有地購入にあたり10年間の定期借地契約の期間延長を探るため電話で相談したところ、11月になって夫人付きの政府職員からFAXで財務省へ問い合わせた回答が届いたことを明らかにした。財務局の国有財産審議室長らに問い合わせた結果で、明らかに総理夫人が籠池理事長の事業を後押しする形で政府職員を動かした事実が明らかとなった。衆参両院での証人喚問が終わるや否や、菅官房長官が記者会見し、「総理からの100万円を寄付した事実はないし、昭恵夫人付きの政府職員がFAXしたのは籠池理事長から直接連絡を受けて動いただけの話である」として、記者団にそのFAXのコピーを配布した。福山議員の「いつ谷氏から聞いたのか」との質問に対し、「1週間前」と答え、コピーもその時にもらったとしているが、それにしては個人情報を黒塗りにせずに配布したミスを犯しており、明らかな嘘である印象は否めない。

 こうした新たな事実が明らかとなったことから、野党は昭恵夫人の国会への証人喚問を要求したが、政府与党は一切応じる構えを見せていない。当の昭恵夫人はフェイスブックで「籠池理事長が言うような事実は記憶にないし、知らない」旨の否定談話を発表しているに過ぎない。籠池理事長は「国会で虚偽発言をすれば偽証罪に問われる」と言われ、宣誓をしたうえで発言している。国会で偽証罪を問うには予算委員会の3分の2の賛成で出来る、というから、いまの自公の勢力でいつでもできることになる。その覚悟に対し、昭恵夫人は公式には一切発言せずに菅官房長官の口を通じて否定しているに過ぎず、これでは国民は納得しないだろう。

 翌24日に開かれた参院の予算委員会で福山哲郎民進党幹事長代理は菅官房長官に対し、「これまで昭恵夫人付きの政府職員についてこの場で何回尋ねても『プライバシーで明らかにできない』といっているのに昨日記者に配布したFAXのコピーには谷査恵子さんの名前と電話番号が明記されているではないか」と問いただした。さらにFAXに記載されている内容が経済産業省の職員である谷氏が財務省の審議室長に問い合わせて作成できるような内容ではないことが明らかとなった。かりに谷氏が籠池理事長からの要請だけでこうした問い合わせができるものではないことも感じられた。

 考えるに昭恵夫人は相当にチャランポランな性格の人のようで、こんな人を妻に持つ男性は非常に苦労することだろう、と思われる。察するに大事なことを夫に相談せずにやってしまい、あとで知られてから、散々夫からやりこまれることもこれまで少なからずあったことだろう。増して、夫の首がかかっていることとなると、正直に打ち明けるタイミングを逸してしまい、最初についた嘘を最後まで突き通すしかない、と覚悟を決めている、というのが正直なところではないだろうか。

 この問題が今後、どのように解明されていくのか予測がつかないところもあるが、今日の安倍総理大臣の表情をテレビを通してみている限り、相当に精神的に疲れている印象を持った。一部の情報によると、安倍首相の母親である安倍洋子さんはかねて昭恵夫人の行状について問題視しており、面と向かって昭恵夫人を痛罵することも多い、という。そして今回の森友学園問題で昭恵夫人の度重なる不手際に堪忍袋の緒が切れ、息子である安倍首相に離婚を迫っている、との話も取りざたされている。そう思って安倍首相の顔を改めて見てみると、心ここにあらずといった感じで、表情も暗い。昭恵夫人と離婚したところで、今回の問題は片づく話でもないし、せいぜい女性誌の話題になる程度のことだろう。
 
 政界の片隅では4月解散なるものがささやかれてもいる、と聞く。思い余って突然「4月解散」などと言い出すようなことだけはやめてほしいものだ。いずれにしろ、乱心の安倍首相の頭から離婚か、4月解散か、はたまただれも思いもしない飛びっ切りの秘策が出てくるのか、エイプリツフールよろしく4月1日に発表なんて馬鹿なことだけはやめてほしいものだ。
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小池東京都知事は都議会の過半を制して一体何をしようとしているのかわからない

2017-03-20 | Weblog
 19日朝のTBSテレビの「時事放談」でパネラーとして登場した片山善博慶応大教授(元鳥取県知事)は司会の御厨貴東大教授から小池東京都知事が来る7月の都議選で過半数をねらっていることについて聞かれ、「全然関心がない」と答え、続けて「いまの小池知事にとって都議会で過半数をとることの意味がわからない」とバッサリ切り捨てた。昨年7月の都知事選挙で300万票を超える票を獲得し、築地市場の豊洲移転問題を焦点に都議会制覇にまっしぐらの小池知事に冷や水を浴びせたのは胸のすくような一言で、言われてみれば確かにそうであり、今後の小池都政に大きく影響しそうである。

 片山氏は続けて、「東京都は知事と都議会の2元制となっており、小池氏はすでに都民の指示を得て知事に就任しているわけで、さらに都議会ででも過半数の議席を得たい、という意図4がわからない。知事として仕切った予算も通り、やりたいことは通っているではないか。このうえ、都議会でも自ら率いる党で過半を占めて一体何をしようというのか」と疑問を投げかけた。そして、「そんなことよりいま知事としてなすべきことにエネルギーを注いだ方がいいのではないか」と切り捨てた。

 世間では小池知事は総理の座をねあrって自らの党を立ち上げ、そのまま国政へ打って出ていこう、としている、と見る向きがもっぱらである。でマスコミはあげて、これによってやれ自民党議員の数がどれだけ減るのか、他の党の動向はとすっかり小池旋風に踊らされている感じで、片山氏が言うように基本に立ち返って物事の本質を見つめ直すような意見はまず聞かれなかった。

 考えてみれば、片山氏の言う通りである。小池知事の行っていることはまさに地方自治の上では邪道ともいえるやり方である。知事自身が率いる党が議会でも多数を制することになれば、それは独裁であり、何でも知事の意のままとなることになる。果たしてそんな小池独裁が都民のためになり、都民が望んでいたことなのだろうか。

 小池知事が就任する前の都議会は小池知事にいうような伏魔殿で、ブラックボックスのようなところがあったかもしれない。しかし、小池知事が就任したことで、都議会自民党は自ら改革に乗り出してきており、体質も変わってきている。このうえ、さらに自民党に果たし状を突き付けて都議会から追い出しを図り、小池知事の率いる都民ファーストの会が多数派を占めるようなことが必要なことなのか。

 小池知事は大阪で橋下徹氏がやった維新の会のようなものを描いているのかもしれない。橋下氏の大阪から日本を変える意味はあったかもしれないが、小池知事の場合はもともと自民党の国会議員だったという点が違う。仮に総理大臣をねらうというのなら、まさに遺恨試合に大勢の賛同者を巻き込むことになり、極めて筋の悪い政治ドラマであり、周囲に迷惑をかけるだけのこおtだろう。

 片山氏の言いたかったことは小池知事へ反省を促すことであって、皮肉をこめて発言したのだが、司会の御厨教授も相方のパネラーの増田寛也氏もそれ以上突っ込んでこなかった。増田氏は7月の東京都知事選に自公の支援を受けながら小池氏に圧倒的に負かされたいわば怨念の人だけに複雑な思いであえて何も言わなかったのだろう。奇しくもこの日は午後1時から都議会で百条委員会が開かれ、注目の浜渦武生元副知事を呼んで証人喚問が開かれ、翌20日には石原慎太郎元知事の承認関門が行われる。

 小池知事は第三者としてこれら証人喚問を見ているが、都議会選挙へどう話題を持っていこうか、と思案を巡らせているようだが、片山氏の言をよくかみしめて自ら描いている戦略をいま一度、根本から見つめなおす段階に来ていることを思い知るべきだろう。

  
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日本でも世界一流のオペラ歌手の歌が聞ける」ようになったことを実感させてくれたオペラ「ルチア」

2017-03-19 | Weblog
 18日は東京・初台の新国立劇場で、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ「ルチア」を観賞した。オペラ観賞はほぼ2年ぶりで、3階席の一番後ろに陣取り、幕が開くのを待っていると、指揮者のジャンパオロ・ビザンティが出てくると万来の拍手が起き、異常に盛り上がっている感があった。その理由は幕が上がってすぐにわかった。主役の一人である城主のエンリーコを務めるアルトゥール・ルティンスキー、続いて登場したルチア役のオルガ・ペレチャッコ=マリオッティの声、ならびに歌唱力が素晴らしいの一語につきるものだったからだ。オペラを最初に見たのは1999年の「カルメン」が最初だが、やっと日本にも世界の一流のオペラ歌手が来てくれるようになったのだ、と実感した。
 
 オペラ「ルチア」はスコットランドのランメルモールの領主、エンリーコが波の押し寄せる城壁で家来のライモンドらと妹のルチアを裕福な豪族アルトゥーロと政略結婚させようと策をめぐらすシーンから始まる。しかし、ルチアは仇敵のエドガルドと恋仲にあることを告げられ、エンリーコは怒りにかられる。そのルチアは深夜にエドガルドと逢引きのため、城の庭に出てきて、エドガルドと会うが、エドガルドはすぐにフランスへ旅立つと宣言する。それを聞いたルチアは悲しみに暮れるが、「永遠の愛を誓ってくれ」と頼むエドガルドと指輪を交換する。

 第2幕で、エンリーコはエドガルドが別の女性に宛てた手紙を偽造し、それをルチアに見せてエドガルドを諦めるよう説得する。それを信じたルチアは兄の薦めるアルトゥーロとの結婚にも承諾し、結婚契約にも署名してしまう。そのまま婚儀が進んでいくが、そこへ現れたエドガルドはルチアが本当に裏切ったと思い、彼女の指から指輪を奪い取り立ち去っていく。第3幕ではエドガルドのもとをエンリーコが訪れ、2人は決闘の約束を交わす。宮殿ではルチアとアルトゥーロの祝宴が続いているが、その場に突如、従者が駆け込んできて、「ルチアさまが正気をなくし、アルトゥーロを刺し殺してしまった」と告げ、騒然となる。続いて場に現れたルチアは血のついたドレスのまま、婚約者の首を刺した槍を持って錯乱した状態で、それでもエドガルドの名を呼び、「まだ愛しています」とつぶやくように歌う。有名な「狂乱の場」であり、約8分間にわたってモノローグのような愛のセリフを歌い続けるシーンは圧巻であった。

 場面は変わり、エドガルドは先祖の墓の前に膝まづき、ルチアのことを思いめぐらすが、そこへ人々が現れて「不幸な乙女よ」と歌うのを聞いて、一体だれのことを言っているのかと問い、ルチアのことだと知ると悲嘆に暮れて、葬られたルチアの死体を奪い取り、ルチアを両手に抱え、そのまま崖からとび降りようとするところで幕となる。

 全部で3幕の舞台だったが、3幕ともメリハリのある歌いまわしで、主役の3人がいずれも会場いっぱいに響き渡る声量の持ち主で、聞きほれる歌声に観客は歌い終わる旅にせいいっぱいの拍手を送って時間の経つのを忘れさせてくれた。特にルチア役のオルガ・ペレチャッコ=マリオッティの「「狂乱の場」での歌いっぷりは見事としか言いようのない歌で、満場の拍手を浴びていた。これだけの歌はいままできいたことがない、といっていい歌で、終わってロビーで売っていた「狂乱の場」の歌の入っているペレチャッコのCDを即座に購入した。

 鈍想愚感子はこれまでそんないオペラを見てきたわけではないが、これまで見てきたオペラで感じていたのは日本でのオペラ公演は年のいった中年のでっぷり太ったお世辞にも美人とはいえないオペラ歌手で、相手役の男性も中年の太ったおっちゃんといったもので、どう見ても世界では二流のオペラ歌手ばかりだった。今回のペレチェンコもルティンスキーもスラリとした若き美男美女で、スタイルもいい、声もよく透り、パンフレットによれば世界の劇場から出演してほしいと声のかかる超一流のオペラ歌手である、という。日本でも世界一流のオペラ歌手の歌が聞けるようになったことを素直に喜びたい。

 さらに今回の「ルチア」は幕開けの絶海に臨む海岸のシーンがCGであろう海の波の音が聞こえ、まるで本当に波が押し寄せているかのような舞台のつくりで、全体によくできている感じであった。あと、主演の3人の海外からのオペラ歌手に見劣りしない妻屋秀和はじめ新国立劇場合唱団も群衆シーンをうまく演じていて、よくやっていたことも特筆すべきこととして付け加えておきたい。今後も年に1回くらいはオペラを観賞していきたい、と深く肝に銘じた次第である。
 
 
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3.11東日本大震災の追悼式になぜ皇太子夫妻でなく秋篠宮夫妻が出席したのか

2017-03-15 | Weblog
 11日に政府主催の東日本大震災の追悼式が行われたが、そこに出席したのは天皇陛下ご夫妻でなく秋篠宮夫妻だった。天皇陛下御夫妻はさきのベトナム、タイ訪問でお疲れで、代わりに秋篠宮夫妻が出席したのだろうが、なぜ皇太子夫妻でなく秋篠宮夫妻になったのか、テレビ画面を見ていて不思議に思った。2年後にはいまの天皇が退位され、皇太子が天皇になることがほぼ決まりになっているのに国民が最大の関心を持っている東日本大震災の追悼式に皇太子でなく秋篠宮夫妻が出席しているのか疑問に思うのは当然ではなかろうか。

 それについて新聞、テレビは何も解説しないので、憶測するしかないが、多分皇太子夫妻は愛子内親王の問題があったりしてどうしても夫妻で出席することが叶わなかったのだろう。そういえば14日に行われた元素記号、ニッポニアの命名式にも一人で出席し、祝辞を述べられていたが、最近は夫妻でなく一人で公式行事に参加することが多い。ご自身の体調に加えて愛子さまに関わることで雅子妃殿下がなにかと同行できないことが多いのだろう、と察しられる。

 しかし、こんなことがいざ天皇になって許されるのだろうか。いまの天皇はどんな時にもご夫妻で行動をともにされている。それを見ている限り、皇太子も天皇になったら、一人で公式行事をこなすのは難しいと思われることだろう。ならば、是非ものの公式行事はいまから夫妻で出席するようにしなくてはならない、と思うのが普通ではなかろうか。皇太子には皇太子なりの理由があるのかもしれないが、それが何なのか、知りたい。

 と考えてくると、ここは3.11の追悼式に皇太子でなく秋篠宮が出席したのはなぜののか、やはり宮内庁あたりが説明すべきだろう。皇太子でなく秋篠宮が追悼式に出席する、と一体どこのだれが決定し、どういうプロセスを経て最終的に決まったのかも聞きたいものである。それがだれしも納得できるものならいいが、納得できない理由だとしたら、なんらかの対策を講じないと天皇の退位まで間に合わないのではなかろうか、とい危惧される。

 となると、2年後に行われる皇位継承は皇太子でなく秋篠宮にという声が出てくるのではないだろうか。皇室のことは良く知らないが、いまの皇太子には天皇に即位するのになにか不都合なことがある、ということなのだろうか。少なくとも愛子さまの育て方を見ている限り、いまの皇太子は少し普通の感覚を持ち合わせてはいないのではないか、と思える面がある。一方の秋篠宮は眞子、佳子さまや悠仁さまの3人のお子さんを見る限り、まともな感じがする。天皇にふさわしいのは皇太子だはなく、秋篠宮であるとは衆目の一致するところではないだろうか。

 もちろん、皇太子でなく秋篠宮が天皇になることには多くの障害があるのだろうし、いもの皇室典範はじめ様々の法的整備を薦めなくてはならないだろう。そんなことをすれば、弊害が多くでてくることも当然予想される。ただ、今回の秋篠宮夫妻が追悼式に出席した背景に一体どんな事情が隠されているのか、知りたいと思って、かくなる妄想を思いめぐらしてみた次第である。
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安倍首相が突然、宮古市の中学校の卒業式に顔を出し、祝辞を述べ、あまつさえ卒業生代表に色紙を手渡した

2017-03-12 | Weblog
 12日昼のNHKニュースを見ていたら、安倍首相が被災地の岩手県を訪問し、宮古市の市立第一中学校の卒業式に顔を出し、卒業生に祝辞を述べたうえ、卒業性代表に「希望」と書いた色紙を贈った、と報じていた。昨日が東日本大震災6周年だったので、その翌日に首相が被災地を訪問することは理解できるが、一国の首相がわざわざ地元の中学校を訪れ、祝辞まで述べるというのはいままでしたことがないので違和感を感じた。いま大阪の森友学園への国有地の格安な価格での払い下げが国会で大きな問題となっており、その裏で安部首相夫妻の関与が取りざたされているのに自身は教育にこれだけ関心があるのを見せつけようとせんばかりのパーフォーマンスはみえみえみえである。
 
 安部首相は「皆さん一人ひとりの希望が宮古、岩手、東北の復興に、そして日本の発展につながっていくと確信する」と祝辞を述べた。昨日の政府主催の追悼式では原発被災には一切触れず、復興を強調した安倍首相はここでも復興を強調した。そして卒業生代表に自ら書いた色紙を手渡した。テレビには校長先生らしき人もなく、檀上の演壇の横の椅子にたった一人腰かけている姿が映っていたが、見ていて、数ある中学校のなかでなぜこの中学校が選ばれたのか、奇妙に思ったことだろう。祝辞を聞く中学生もそう思ったに違いない。

 どうせ安倍首相の取り巻きが訪問先の宮古市で卒業式が行われる中学校を選び、安倍首相自らが訪れることを進言し、それに乗っかったのだろうが、ここまでやるのは異常と言わざるを得ない。それを昼のニュースで大々的に報じるNHKも安部首相の取り巻きとみられても仕方ないだろう。

 考えてみれば一昨日の夕方に焦点の森友学園の籠池泰典理事長が大阪府へ提出していた新設小学校の許可申請を取り下げたことで記者会見している最中に安倍首相が「スーダンへの自衛隊派遣を取りやめる」と記者発表した。民進党はじめ野党から国会でスーダンへのPKO部隊への自衛隊の派遣は取りやめるように再三にわたって要望されていたのを突如、「取りやめる」と発表したのだ。国会では自衛隊の派遣取りやめことを決して言明しなかったのにいまになってとりやめることを言明したのは籠池会見への注目から世間の目をそらそう、と目論んだのに違いない。なにも金曜日の夕方に発表しなくても週明けに言明してもよかった、と思う向きが多かった。

 大方は森友学園問題で政府への追及が厳しくなっているの避けるために籠池理事長の記者会見にぶつけて急遽発表となった、といみている。さらに消息筋によれば、この11、12日に安倍首相が常に気にかけている大手マスコミ各社の世論調査が行われることになっており、森友学園問題で安部内閣への支持率は5、6%は低下するのは避けられない、とみられていた。今回の中学校への突然の訪問も同じ効果をねらったものといってもおかしくないだろう。

 本当に安部首相は世論調査の結果を気にする首相である。安倍首相はもうひとつ東京株式市場の日経ダウ平均の動向にものすごくセンシティブであるのは有名であり、首相官邸には日経ダウ平均株価のグラフが壁に貼ってある、ともいわれている。日経ダウ平均株価はあたかも安部内閣の経済政策がうまくいているかどうかの指標とみているわけで、即内閣支持率に響くと思っているのだろう。過去の内閣でこれほど世論調査、およびに日経ダウ平均株価動向を気にする内閣はみたことがない。自ら執っている政策に自信があれば、こんなにセンシティブになることはないことだろう。ひょっとすると安部首相自身は気の弱い人なのかもしれない。こんな人が一国のトップに座り続け、だれもその首をとろうとしないのも異常といえば異常なことである。
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村上春樹の最新作「騎士団長殺し」はそれなりに面白いが、オカルトっぽくノーベル賞候補作家としてはいかがなものか、と思われた

2017-03-09 | Weblog
 村上春樹の最新作「騎士団長殺し」を読んだ。前回の「1Q84」の発売当時は見向きもせずに数年経ってから読んだところ面白かったし、続けて村上春樹の作品を10数点遡って読んでいたので、今回は発売早々から購入し、読んでみた。相変わらず村上ワールドともいえるテンポのよさがあり、ぐいぐい引き込まれていく感じはあったが、なにかオカルトっぽく読後感は?マークがつくような感が否めなかった。「騎士団長殺し」が以前の村上作品ほどもてはやされていないし、新聞などの紹介記事も奥歯に物が挟まったようなものが多いのもそのあたりに理由がありそうだ。

 「騎士団長殺し」は主人公である中年の肖像画家が6年連れ添った妻と離婚することとなり、画家である友人の父親が住んでいた小田原郊外の山の中にある一軒家を借りて住むことになることから物語は始まる。その老画家はかつて戦時中に欧州へ派遣され、画家として活躍していたが、ナチスと関わり帰国を余儀なくされ、以来小田原の山中に一人篭もり、日本画家として名を成し、いまは伊豆高原の老人ホームで療養生活を送っている。夜中に天井で物音がするので、探ってみたら、天井裏にミミズクが住み着いており、老画家の遺作ともいえる絵が隠されているのを発見する。おろしてみると、モーツアルトの曲に奏でられた騎士団長がまさに殺されようとしている場面が描かれた作品であった。
 
 それをリビングの持ってきて飾ったところ、この騎士団長をめぐって奇想天外な物語が次から次へと展開していく。まず、代理人を通して肖像画を描いてほしいという人物が現れ、その仕事にとりかかったのに続き、庭から夜中に鈴の音が聞こえてきて、探ったら庭に大きな石室があるのが見つかり、以来折りにふれ騎士団長と名乗るイデアがリブング等に現れるようになる。肖像画を描いてほしいといってきた人物は山向こうに住む免色と名乗る元実業家で、話をするうちにかつて付き合った女性が結婚して生んだ女の子がいて、その子が家から見える位置のところに住んでいる、と打ち明けた。

 その女の子は肖像画家が小田原で毎週開催している絵画教室に通っていて、免色から「その少女の肖像画を描いてほしい」と頼まれる。免色のねらいは少女と近づきになりたい、とのことで、そもそも小田原に居を構えたのはそねらいがあったからだ、という。少女の母親は以前に亡くなっており、父親の妹、」つまり叔母が母親代わりとなっている。少女の肖像画を描いているさなかに免色が訪れ、思いを果たす、という筋書きで進むが、免色と叔母がいい仲となってしまう。

 そうこうするうち、ある日少女がどういうわけか失踪してしまい、主人公は老画家を見舞いに伊豆高原に行くがここで騎士団長が現れ、主人公は騎士団長に言うまま騎士団長を殺し、「騎士団長殺し」の絵に登場するメンバーの導きに従って霊界を彷徨い、気がついたら自宅の庭の石室に戻っていて、たまたまやってきた免色にう助けられる。一方、少女は免色の家に忍び込み、納屋に閉じ込められてしまうが隙を見て4日ぶりに生還し、めでたしめでたしとなる。

 伊豆高原から小田原まで空間を瞬間移動するあたりオカルトっぽいし、随所に騎士団長なるイデアが登場して舞台回しを務めるあたりもついていけないところがある。ファンタジーとして読もことができなくもないが、やりすぎの感もなくはない。前作の「1Q84」でも後半には宗教団体の会長なる男がヌエみたいな恰好で現れるが、それでも人間としての体裁は保った形をとっていて、なんとか理解できた。しかし、この騎士団長となると身長60センチで霊としか理解できない存在で常人の理解をやや超えていて、オカルトの領域に深く入り込んだ作品と言わざるを得ないだろう。

 「騎士団長殺し」は一応2部構成で、第2部終わりとなっているが、まだ3部がありそうな趣きであるとうかがえた。さらにオカルトっぽく続編ができるのにはもういい加減にしてもらいたいものだ。これまで築いてきた村上ワールドが一挙に崩れ去りはしないだろうか。香り高かった村上春樹のファンも離れていくことになりはしないだろうか。ここ数年、村上春樹がノーベル文学賞候補として名前が挙がっているが、こんな作品を書いているようでは候補で終わってしまうのではないか、とも危惧される。
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最後のどんでん返しで、楽しいラブコメディだった三島由紀夫原作の演劇「白蟻の巣」

2017-03-05 | Weblog
 4日は東京・初台の新国立劇場で三島由紀夫原作の演劇「白蟻の巣」を観賞した。おそらく三島由紀夫がブラジルに住んだいる人から聞いた話をもとに戯曲にしたのであろうと思われる演劇で、白蟻の巣という日本ではまず見られないものをタイトルにしたことに得体のしれない魅力があるような感じがあする。ブラジル・リンス郊外でコーヒー農園を営む日本人夫婦が結婚したばかりの運転主夫婦と奇妙な三角関係になっていることから始まるが、意外な展開をたどり、最後にどんでん返しが待っている、という見ていて面白い、楽しい演劇であった。

 「白蟻の巣」は運転手夫婦の居室でベッドで寝ている夫百島健次のもとで、妻啓子が泣いているシーンから始まる。啓子は夫の首にかつて旦那さん刈谷義郎の妻妙子と納屋で心中事件を起こした際につけた傷あとをみつけ、さめざめと泣き崩れているのだ。起きた健次は「もう終わったことで、いまはもう忘れてしまっている」と力説しても啓子は納得しない。で、農園主夫婦とともにする朝食の場で、夢で見た花の話に例えて、夫の浮気に苦しんでいることを訴える。朝食後に農園主に悩んでいることを直訴し、辞めることを言い出す。啓子に気がある義郎はなんとか啓子をなだめようと策をめぐらしあれこれ提案するが、啓子は納得しない。

 そこで、たまたまリオのカーニバルが迫っていることを思い出し、リオに出かけ、その間に妻の妙子が健次とよりを戻さないか試してみることを提案し、出かけてしまう。しばらくは何も起こらず、困った啓子は同僚とカーニバルの祭りに出かけてしまう。それを見た妙子はいい機会が訪れた、と早速健次の部屋を訪れ、誘いかけるが、健次は乗ってこない。しかし、そんななか帰ってきた啓子は夫の部屋から農園主の妻が出てくるのを目撃し、泣き崩れる。健次は「何もなかった」と釈明するが、啓子は聞かない。

 一方、リオでミスリオなどと浮名を流し、散々遊んできた義郎は家に帰ってきて何も起きなかったことを聞いて目論見が外れたことを知ってがっかりするが、翌朝になって、妻が書置きを置いて健次と出かけて、おそらく崖から自動車で飛び込んでしまったのは間違いないと思い、啓子にこれまでの妻の不貞を報告し、併せて結婚を申し込む。傷心のはずの啓子はそれを聞いて驚く一方で、農園主夫人になれることを思って承諾してしまう。ところが、そんな幸せの絶頂に上り詰めたと思った矢先、意外なことが起き、そこで幕となる。

 見ていて昨年ブラジルのリオのカーニバルを身に行った際にブラジル人は毎日コーヒーを飲み、週末になるとサkッカーを観戦し、2月になるとカーニバルで踊ることでストレスを解消しているのだ、と聞いたことを思い出した。この演劇も熱帯のブラジルならでは起こりうると思わせるラブコメディで、存分に楽しめた。宝塚出身の安蘭けいが妙子役を務めているが、啓子を演じた村川絵梨の方が熱演していたように見えた。主役の農園主を演じていた平田満が最後になって主役らしい振る舞いを見せていたが、なにか物足りなかった。あと幕間にするするとベッドと応接セットが音もなく左右に移動していたのにはやや驚かされた。終了後なぜ動くのか触ってみたが、どういう仕掛けになっているのかわからなかった。
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なぜ石原元知事の記者会見の横に橋本読売新聞編集委員が座っていたのだろうか

2017-03-04 | Weblog
 石原慎太郎元東京都知事が3日、東京・内幸町の日本プレスセンターで記者会見を開き、疑惑の豊洲市場問題について「豊洲移転は就任前から決まっていたことで、移転の決定は知事としての責任はあるが、東京ガスとの交渉をすべて任していた浜渦元副知事から詳細は聞いていないし、各種委員会の専門家に意見をふまえ、都議会はじめ職員全体で決めたことだ」と述べた。そして、「いまの豊洲市場をそのまま放置して市場関係者に迷惑をかけているし、補償費などがかさんでいて、小池知事はその責めを負うべきである」と語った。会見を終えた石原氏は「五分五分だった」と感想を述べたが果たして都民はじめ大方の納得をえられたのか疑わしいところがある。

 会見中、石原氏は再三にわたって「私は専門家でもないし、その知見も知識もない」とか、「実際の交渉に携わったこともない」と述べ、あまつさえ、「最大の疑惑である東京ガスとの交渉での瑕疵担保責任なる言葉は今回この問題が論点となって初めて聞いた」とさえ述べた。そして、さらに記者から聞かれても「焦点の浜渦氏にその点について問い合わせてもいない」とさえ言ってのけた。全体にこれまで石原氏が小池知事への回答や文芸春秋誌などで表明してきたことから一歩も前には進んでいなかった。

それと不思議なのは石原氏が問題の東京ガスに瑕疵担保責任を問わないとする文書に石原知事に判が押してあるのを「覚えていない」と言ったことである。東京都ともあろうお役所が知事の判を押す文書のランクを決めていないことはありえないし、一旦押した文書は必ず本人が目を通してたうえで押印することになっているはずである。こんな重要な文書を知事の目を通さずに下の者が勝手に押印することはありえない。仮に知事の判が複数あってもその所在、およびそれぞれの文書に押印する予算高なりの基準があるはずである。それを当時の石原知事が知らないとしたら、石原氏の怠慢であり、失策でもある。
 
 要するに今回石原氏はいまの豊洲市場ほこのまま放置していることは小池知事の怠慢であることが言いたかったことのようだった。

 あと、今回、なぜ会見場所が半ば公のプレスセンターだったのか、それと壇上の石原氏の横に読売新聞の橋本五郎編集委員が座っていたのか、当初からひっかかっていた。日本記者クラブ主催の会見ということなのか、それとも石原氏が依頼したのか、最初に説明がなかったので、よくわからないが、少なくとも市民の疑惑を招いている人物の会見にマスコミの関係者が改会見される側に座っているのはおかしなことである。本人はもちろん、読売新聞社の見識が疑われてもしかたがないだろう。橋本氏は壇上に座るのではなく、記者席に座って石原氏を詰問すべきだったと思う。でなければ、せめて司会者として脇に立って進行役を務めるべきだったろう。

 第三者の目から見て、小池知事と石原氏のやりとりはどっちもどっちだと思われる。小池知事だって叩けば埃の出てくる面は少なからずあるだろにあそこまで石原氏を責め立てるのは理解に苦しむ。石原氏が小池知事に「不作為の責任」を求める意見にもきくべきところはある、と思う。こと豊洲市場に関していえば、小池知事自身知事としてなすべきことは何もしていないに等しい。この先どう転ぶかまだ読めないところはあるが、このまま放置すれば業者に対する補償費はどんどん積み上がっていき、税金の無駄遣いと言われても仕方ないだろう。その責めは明らかに小池知事になる。

 ただ、石原知事の「交渉の場に臨んだことはない」との言は納得がいかない。すべてを下の者に任せている天皇陛下であるまいし、人が生まれてこの方交渉事に臨んだことがないような言い方は通らないだろう。作家として原稿料をいくらにするか、少なくとも売り出しのころは自分でやってきたに違いないだろう。それにいくら天の上に鎮座する知事とはいえ、重大な場面では相手方に乗り込んでいって、交渉をするのが当たり前ではないだろうか。そうしないと下の者だってすべてを任されていたのでは不安で仕方ないことだろう。この意味では今回の会見は痛み分けとみるのがいいところだろう。
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