鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

500億円もの巨大なランドセル市場に群がる蟻たちが常識を作っている?

2014-09-28 | Weblog

 孫が来年小学校に入学するため、ランドセルをプレゼントしよう、と溝の口のマルイへ出かけ、見てみて驚いた。来年4月に要るというのにズラリと商品が並んでいて、いずれも結構な値段がするのだ。いままでランドセルになど目が向かなかったのでよそ事としか思わなかったが、いざ自分の身にふりかかってくると、大変な商戦であることがわかった。小学生がランドセルを背負って通学する風景はよく見ているものの、一方ではランドセルでなければならないとは一体だれがどこで決めたものなのか、と疑問に思った。

 ランドセルを買わなくてはと思ったのはかみさんの妹も同じ年の孫がおり、電話で話していて「もう注文した」と聞いて、「うちでも買わなくては」と思った次第である。わが孫はディズニーのキャラクターが好きなので、ネットで調べてみると今年から新たにディズニーのミニーちゃんをあしらったランドセルがあるようだった。それで、まずマルイでどんな商品ラインがあるのかを実際に目で見て、触れてみよう、ということになった。まず価格帯が3万円から10万円まであり、ちょっと見ただけではどうしてそんなに価格差がるのか、わかりにくい。店員に聞いてみると、素材、および堅牢さによって異なるということだった。

 で、5万円くらいのもので十分というアタリをつけておいて、ネットで検索してみると、大阪のシブヤというメーカーがディズニーのランドセルを製造していることが判明したので、電話で問い合わせてみたところ、「もう内覧会は終了していて東京で商品を見る機会はない」とのことだった。そのシブヤによると、他にディズニーのランドセルを販売しているのはディズニーランドとスーパーのイオンの両社しかない、という。ディズニーランドに行くわけにはいかないので、イオンのチェーン店でランドセルを扱っている店舗を探したところ一番近いのは田園都市線のつきも野店だった。ついでに安くていいものがありそうなニトリのチェーン店を探すと、港北ニュータウン店が見つかったので、その両店舗に出かけた。

 ネット検索では他に百貨店系のランドセルを探してみたところ、高島屋はほとんどの商品が完売となっており、もうランドセル商戦は終盤にさしかかっていることが判明した。体面を気にする上流階級ではやはり高島屋のブランドが圧倒的に強いのだ、ということがわかった。

 イオンでは肝心のディズニーのランドセルはお目にかかれず、イオンでは特に気に入ったランドセルはなく、結局、最初にマルイで目をつけていたピンクの約5万円のものを注文して、一件落着した。

 ランドセルを買ってみて、思ったのは単一の商品で、これだけの数のメーカー、お店が力を入れて商戦を繰り広げているのは他にないのではないか、と思ったことだ。ざっと100万人の小学生が単価5万円のランドセルを一斉に購入することになれば、市場は500億円の規模となる。にもかかわらず価格が高い水準に保たれているのは実際にユーザーである小学生自身が買うのでなく、おじいちゃん、おばあちゃんという豊かな高齢者のポケットがあるからだろう。そこには見栄や体面といった要素が入り込んできて、価格を高位に保つ力が働くであろうし、ランドセル以外のものを使おうか作ってという意志も排除してしまうのだろう。

 

 

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米国南部の逞しく生きる庶民の姿を描いた演劇「インポッシブル マリッジ」

2014-09-27 | Weblog

 26日は東京・六本木の俳優座劇場で演劇「インポッシブル マリッジ(ありえない結婚)」を観賞した。米国の女流作家ベス・ヘンリー原作の作品で、30歳も年上の作家と結婚することになった娘の結婚式を明日に控えた一家の物語で、花嫁の姉が画策する作戦をめぐって家族全員が右往左往する有様が面白おかしく描かれるまさにありえない結婚で、わずか7人の登場人物がそれぞれ問題を抱えて結婚式に臨む。一体この結婚式はどうなるのだろうか、とハラハラしながら休憩なしの100分を楽しく見ることができた。

 米国南東部のジョージア州サバンナのキングスリー家の中庭で、明日の結婚式を心待ちにする花嫁のパンドラに出産を控える姉のフローラが花婿のエドワードが30歳も年上であることが気に入らない。それで、パンドラになんとか結婚を取り止めさそうと持ちかけ、花びら占いをさせて「取り止める」ことに同意させてしまう。早速、パンドラがウエディングケーキの解約に出かけたのを見て、母親のカンドールにその旨報告するが、母親は納得せずに着々と結婚式の準備にとりかかる。

 それで一件落着かと思っていると、フローラの夫であるハンサムなジョンジーが「妻のフローラとは1回もセックスしたことがない」と打ち明け、それではフローラのお腹の中の子は一体誰の子かと思わせる。それに挙動不審だったローレンス神父が「明日の結婚式を執り行うことができなくなった」と言いに来る。そうかと思うと、突如花婿の息子であるシドニーが現われ、父親に「明日の結婚式を取りやめないと母親が自殺すると言っている」と言って、エドワードに結婚を思いとどまるように説得に乗り出す。それでもエドワードは結婚を諦めることはせずに「なんとしでも結婚する」と言い切る。そこで、シドニーは「母親が死ぬのなら、俺も死ぬ」と言うが、それでも効き目がなく絶望に陥る。それを見たカンドールがシドニーを慰めに入る。

 で、結婚式当日を迎え、いざ結婚式に入ろうとすると、シドニーが拳銃を持って現れ、父親のエドワードを撃とうとして、手元が狂って自分の足を撃ってしまう。予定が狂ってもパンドラとエドワードは結婚式を挙げることとなり、フローラとジョンジーは話し合いの結果、別れることとなる。フローラのお腹の中の子の父親であると告げられた神父のローレンスはフローラと結ばれることtなり、カンドールはシドニーといい仲となったとこおrで幕となる。

 純愛を謳った演劇であるかと思いきやドタバタの山あり、谷ありの人生で、逞しく生きる米国南部魂を高らかに謳い上げた楽しい演劇であった。こんな結婚式があるわけがないという意味で、あり得ない結婚式でだと思わせた。

 

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自民党の体質をみせつけた安倍首相と右翼の在特会幹部とのツーショット写真

2014-09-26 | Weblog

 26日付け日刊ゲンダイに安倍首相が右翼グループの元関西支部長と仲良く写真に写っているとの報道がなされ、その写真が掲載されていた。問題の人物は先に高市早苗総務相らと一緒に写真に写っていた人物と同じか、同一グループのようで、安倍内閣がこぞって問題にグループと親しかったとは言い逃れできない内容をはらんでいる。今月末に開会する臨時国会で、野党がどこまでこの問題を追及するのか見ものとなってきた。日本経済の雲行きがおかしくなってきたこともあって、アベノミクスそのものにも批判の声が出ており、安倍おろしの声が一段と高まってきそうだ。

 安倍首相とのツーショット問題をネット上に公開したのは在日韓国人らにヘイトスピーチを繰り返している「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の関西支部長を務めていた男性で、撮影日時は09年8月17日で、自民党が大敗を喫した「政権交代選挙」の公示前日で、この日安倍首相は大阪7区の自民党候補の応援演説のため、豊中市の千里中央駅を訪問、写真はその時に撮られたものという。問題に人物は小学校校長を脅したり、街宣車の排ガス規制で違反をしたり、休業損害金を騙し取った詐欺容疑で何度も逮捕歴のあり、先に山谷えり子国家公安委員長との親密写真で問題視された在特会関係者でもある。

 安倍首相は当時、体調不良で総理を退いて失意のうちにあり、遊説先で歓迎の声をかかけられて舞い上がってしまったようだが、お付きの自民党関係者を含め、なんとも脇の甘いところを見せ付けたものである。在特会は問題の人物か、他の人物かわからにが、他にも高市総務相と西田自民党国会議員と仲良く写真に収まっている件で話題となったことがあり、これで安倍内閣の3閣僚が在特会と親しい仲であることが世間に明らかとなった。

 ヘイトスピーチを問題視している国連が日本に対して早期是正を求めるように迫っているなか、現在その国連を訪れている安倍首相の足元でこんなことが暴露されているのでは国際社会での日本の信用が台無しのいなるばかりでなく、自民党の体質についても疑問を持たれることにもなりかねない。

 在特会の問題の人物はある新聞社から取材を受けたことから、数日前に自らのホームページに掲載さていた写真を削除した、というが、5年間にわたってネット上に公開していたのは事実で、これまでなんら問題とされていなかったのが不思議といえば不思議なことである。

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戦後の歴史のなかで、一区切りとして「東日本大震災」を位置付けるべきだ

2014-09-23 | Weblog

 22日は武蔵小杉へ川崎市民アカデミーの受講に出かけた。この日から26年度下期の講座が開講し、新たに「戦後日本外交の主要問題」を受講することとした。講師は上智大学の宮城大蔵准教授で、1968年生まれと川崎市民アカデミーの講師としては比較的若く、どんな講義内容になるか注目して聞いていたところ、この日は初日とあってタイトルの「戦後」について、「いつまで経っても戦後と言い続けるのはいかがなものか」とふったうえで、自らの研究拠点である1955年のインドネシア・バンドンで開かれた非同盟諸国のバンドン会議の政治史における歴史的意義について述べたて、骨のあるところを見せてくれた。

 川崎市民アカデミーで硬派分野で、1人の講師が連続して講義する講義を受講するのは初めてのことで、その初日にいかなる話をするのか興味を持っていただけになるほどと感心させられた。講師の人となりを理解するうえで、講師がどんなことに関心を持っているかをさらりとふれながら、学界における自らの立ち位置を語るあたりなかなかのものと思った。特に自らの博士論文を書くうえで、東京・六本木の外務省外交史料館の外交史料が戦後の日本外交をひも解くうえで貴重な資料であると語ったり、国が進めている外交回顧録の作成に携わって、故橋本龍太郎氏の取材に立ち会ったりしたことを語ることで強烈な印象を与えてくれた。

 あとで考えて、なかでも一番心にきたのは「戦後という言葉に代わるものはないか」ということだった。聞いていて、戦後まもなくの食べるものにも事欠く時代とバブル時代を経たいまを比べるだけで、ひとくくりに戦後といってしまうのはやはりどこかおかしいものがある。宮城教授は日本外交という観点から言っているのだが、それだけでなく経済、文化、社会の変遷を考えてみると新しい呼称が用いられてもいいのでは、と思った。

 それで、思ったのは3年半前の東日本大震災がまず頭に浮かんだ。東日本大震災で政治はもちろん、経済、社会、文化などあらゆる面で大きな変化をもたらした。死者こそ3万人弱でしかないが、東北6県で200万人以上の人が罹災し、わが国の政治、経済などインフラストラクチャーはもちろん社会、文化などを根底から覆した。地震、および津波そのものはもちろん、その後に起きた福島原発の放射能汚染事故は日本が壊滅するのではないか、との恐怖すら呼び起こした。1000年に一度の地震であったことから当然といえば当然のことだが、それまで全く予期していなかった原発事故を引き起こしたことが未曽有の事故につながった。

 東日本大震災が起きてからからまだ3年半しか経っていないので、いまだに避難生活を続けている被災者が大勢いらっしゃることや、原発の放射能汚染が鎮静化していないことから、まだ歴史として振り返るには生々し過ぎるので、とても戦後の一区切りとして位置づけるには至っていないが、遠からず「東日本大震災後」(字数的に長すぎるので震災後か)と言われるような日が来るだろうし、そうなるのが自然だという気がしている。

 東日本大震災はすべての日本人の生活を一変させることとなったし、それまでいいことだとされてきた原子力発電を唾棄、廃棄すべきものに変えてしまった。歴史的なものとして震災時の記録を残すことが始められているが、今後東日本大震災をテーマとした文学や音楽、絵画など文化的作品が続々と登場することだろう。まずは日本人の誰しもがなによりも東日本大震災の前と後とでは日本の風景が一変してしまったことを冷静に見つめるべきだろう。

 

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政府・自民党は熱海に都心並みの大型スーパーを築いたイオンの経営手法を学んでほしい

2014-09-21 | Weblog

 この5月に東急ハーヴェスト伊豆山の会員となって、熱海へ出かけることが多くなった。一時さびれていた熱海にまた活気が戻ったようで、いつ行っても多くの人が熱海駅周辺に集まってきている。何回も行くうちに多少の食品を購入してからハーヴェストへ行くのも悪くはない、と思って、先日行った際に駅周辺で買い物するのに適当なお店はないか、と思って、駅前のみやげ物店で、「この近くにスーパーはないか」と聞いたところ、歩いて20分くらいのとこおrに1軒だけある、とのことだった。

 で、教えられた通りに坂道を下って、商店街を歩いていくと必ずしも真っ直ぐな道ではないので、出てきたおばあさんに尋ねると、ずっと道なりに行った先にある、という。ついでに聞いたら、熱海には1軒しかスーパーしかなく、住んでいるみんなが買い物に行くお店だという。それならぜひ拝見しなくてはと思い、なおも進んでいったところ、熱海駅から30分ほど歩いたところにそれらしきピンク色の建物があるのが見つかった。確かめてみると、イオンの経営するマックスバリュー熱海店であった。

 店内に1歩足を踏み入れてみて、驚いたのは平日のお昼近くの時間にも拘わらず、店内には多くのお客がひしめいていた。それもほとんどがおじいさん、おばあさんで、家族連れは数えるほどしかいなかった。店内はおよそローカルなスーパーというよりは都心にあるスーパーといった趣きで、新鮮な野菜、果物からお惣菜、お菓子、飲料などの食品はもちろん家庭用品から雑貨まで取りそろえた本格的な品ぞろえであった。品物も新鮮で、価格もリーズナブルな水準であった。レジの一角にセルフコーナーがあり、お客が自分で買った品物をスキャナーにかけて自己申告する体制を取っていたことにも驚かされた。考えてみれば、熱海には1人暮らしのご老人が多いようで、そんな老人の生活を支えるのに必要な商品を取り揃えていて、この賑わいをもたらしているようだ。

 マックスバリュー熱海店がいつ開店したのかわからないが、来る途中に教えてくれたおばあさんが言っていたように「熱海の住人はみんなこのマックスバリュー店に足を運んでいる」というのがよくわかった。トイレには「いつでもバックヤードの見学を受け付けます」との貼り紙があり、イオンが地域に溶け込もうとしている姿勢であることも理解できた。

 イオンはいまやイトーヨーカドーと並ぶスーパー業界の雄で、全国にチェーン展開しているが、熱海のような観光地にも立地しているとは知らなかった。熱海市の人口は約2万1千世帯、4万人で、ここ40年くらいピークの5万2千人からジリ貧状態が続いている。そんなところに立地しているイオンの地域ナンバーワン戦略に敬意を表したい。内閣改造後、にわかに声高に地方創生を叫んでいる政府・自民党にイオンの経営者の爪のアカでも煎じて学んでもらいたいものだ。帰りに歩いてみたらマックスバリュー熱海店から熱海駅まで20分強かかったが、今度熱海に来る時には必ず立ち寄って美味しいものを購入してみたい、と思わせた。

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北朝鮮の作戦にはまって対北朝鮮の制裁を一部解除したのは早計だった

2014-09-20 | Weblog

 北朝鮮が日本人拉致被害者問題で、当初「夏の終わりか秋のはじめに回答する」としていた再調査の結果の報告を「1年後にする」と伝えてきたことが19日明らかとなった。当初から余りにも楽観的な見通しの多い日本側の観測に警告を与える向きが多かったが、どうやらその通りとなってきた。安倍首相率いる首相官邸が世論を親安倍に持ち込もうと誘導したもので、その路線に北朝鮮が乗ってこなかっただけのことだ。北朝鮮は四面楚歌のなかで、日本だけでも味方に引き入れようと嘘八百で塗り固めたシナリオを描き、それに安倍首相が側がまんまとひっかった、と見ることもできそうだ。

 今年7月の北朝鮮の日本人拉致被害者12人の安否確認などを行うために設置した特別調査委員会は金正恩第一書記の直属で、北朝鮮体制内の全機関を調査できる特別な権限を持つという触れ込みだった。12年前に当時の田中均外務省アジア大洋州局長がパイプを持つミスターⅩが北朝鮮側にいて、両者の緊密な連携のもとに日本人拉致被害者5人が生還し、今回はミスターⅩに代わる人物がいる、と噂され、そのルートのもとに12年前の奇跡の再現が図られるものと期待ばかりが高まっていた。

 ところが、果たして北朝鮮のミスターⅩに代わる人物が本当に存在するのか、かつまた日本側の窓口となるのはだれなのかさっぱりわからない状況のなかで、日本が側の期待だけが増幅されていった。拉致被害者の家族がいずれも高齢となり、せめて生きているうちになんとか成果をもたらしたいとの人情からいやがうえにも期待は高まっていた。

 しかし、冷静に考えてみれば、過去12年間全く進展が見られなかった拉致被害者の救出、および消息の解明がなぜいまになって急に再調査されることになったのか考えてみるといい。北朝鮮はいまや核開発を独自に手掛けていて、米国はおろか中国、韓国、ロシアから敵視されるに至っており、核開発を止めるどころか、テポドンの発射を繰り返して国際世論の反発に遭っている。しかも国内は食料難で、国民は餓死寸前にあえいでいる、と言われている。そのため、なんとか日本からの支援を得たい、との思いから打ち出されたのが日本人拉致被害者の再調査である。この作戦に乗って、日本は再調査開始決定だけで、北朝鮮に対する経済制裁の一部解除を決めた。これについては再調査の結果が出てからにしたら、との声もあったが、北朝鮮拉致被害者救済で首相になった安倍首相としては政権の基盤を固めるうえで、譲れないとして強引に解除に踏み切った。

 その結果が再調査報告の先延ばしである。こんなことは当初から予想されたことである。19日午後9時からののNHKニュースによると、北朝鮮へ自らの意思で渡った日本人に対して「日本に帰りたいと思っているか」と北朝鮮政府から問い合わせがあった、と報じていた。日本側ではこんな調査など全く期待していない。あくまでも日本人拉致被害者の安否について知りたいのに、北朝鮮は北朝鮮に居住する日本人や行方不明者にまで広げてお茶を濁したい肚のようである。そんな北朝鮮のねらいは日本からなんとか経済援助を得たい、ということにあるのは明らかで、今後ともノラリクラリとした対応を続けることだろう。

 19日に都内で講演した安倍首相は「今後とも北朝鮮に対しては対話と圧力で対応していきたい」と述べたようだが、どこが対話で、どこが圧力なのか、もっとはっきりとした内容を明らかにしてみらいたいものだ。 

 

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政治献金再開とは、自民党の応援団長、もしくは飼い犬になったのか、榊原経団連会長

2014-09-15 | Weblog

 先に榊原定征経団連会長が会員各社に対し、政治献金を再開するよう表明しことが波紋を呼んでいる。榊原会長は会員各社に政治献金をするよう要請することにしているが、民主党政権の誕生時に政治献金をストップしたのに自民党政権になったから再開するのでは政策を金で買うことになるうえ、300億円もある政党交付金があるのに矛盾することになるというのが理由で、クリーンな政治をめざしている流れに棹さすことにもなりかねない。

 政治献金については1948年に制定された政治資金規正法で規定されており、外国人からの寄付について禁止されているほか、寄付や管理などについて細かく規制されている。特に1990年代にリクルート事件が起きた後に政治とカネの問題がクローズアップされ、1994年に政治改革論議のなかで政治改革四法として新たに政治献金についていまのように抜本的な改革が行われた。それによると、政治家個人への献金が原則として禁止され、政治家へ献金する場合は政治団体を通じて献金することと決められた。また、献金は個人のみ可能で、一政治団体に対して年間50万円までの献金が可能であり、企業献金は企業の意を受けた政治家によって政府の施策が歪められる原因となるため一切禁止されている。

 従って榊原会長が会員に呼びかける政治献金は個人献金ということになるが、それでも政治献金を厳しく規制する一方で新たに導入された政党交付金との祖語が問題となってくる。年間320億円にものぼる政党交付金があるのに政治献金を受け取るのはどう考えてもおかしい。谷垣禎一自民党幹事長は榊原会長が政治献金再開を表明した翌日に「歓迎する」と語ったようだが、政党交付金を返還するといったような発言は一切なかった。

 安倍首相は消費税をアップしながら一方では法人税の軽減を図って大企業優遇の措置を着々と進めており、榊原会長の発言はこうした動きに呼応したもので、まさに政治と企業の癒着と言われても仕方がないだろう。榊原会長は前任の米倉弘昌氏がアベノミクス政策を批判していたのに対し、逆に安倍政権寄りの発言を繰り返していて、政府に物申すというより、政府にゴマを擦っているようにしか見えない。そういう意味では経団連会長というより自民党応援団長というか、まるで自民党の飼い犬といった感じである。

 安倍政権というかいまの自公政権は最高裁判決も出ていて、かねて課題となっていた衆院議員の定数削減についていまだに手をつけていないし、東日本大震災の折りに導入した議員報酬の削減もことし春にあっさりと撤回し、元の水準に戻してしまった。消費税アップで国民に多大な犠牲を強いながら、自らは決められた報酬をもらってなんら犠牲を払うことなくノーノーと生きている。そのうえ、財界からは政治献金をしゃーしゃーとした顔で受け取ろうとしている。こんな姿勢では国民が許せない気持ちになるのは避けられれないだろう。

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3時間の長丁場を楽しく見ることができたブレヒト作の演劇「三文オペラ」

2014-09-14 | Weblog

 13日は東京・初台の新国立劇場中劇場で演「三文オペラ」を観賞した。ドイツ人劇作家のベルヘルト・ブレヒト原作の戯曲を新国立劇場芸術監督の宮田慶子が演出したもので、音楽劇を演劇風にあしらったもので、ブレヒトはを感情移入を基礎とする従来の演劇を否定し、出来事を客観的・批判的に見ることを観客に促す「叙事的演劇」を提唱し、わが国の演劇界に圧倒的な影響を与えた作家で、文学座はじめ戦後の演劇を長くリードしてきた。「三文オペラ」は代表的な作品であり、オペラ歌手が絶唱するオペラを演劇的な視点でとらえるとどうなるかを訴えた点で、ユニークな作品となっている。

 「三文オペラ」は19世紀のロンドンで、街の乞食たちに物乞いの服装から振る舞いまでも教え、あがりの上前をはねている総元締めのビーチャム社長のところへ弟子入りを願って男がやってくる場面から始める。男に作法を教えているところへ女房があyってきて、娘のポリーが稀代の大泥棒のメッキースにぞっこんとなっている事実を告げられ、ビーチャムは早速、メッキースの素性を調べ上ゲ、ロンドン警視庁のブラウン警視総監にひっ捕らえるように申告する。

 しかし、メッキースはちゃかりとポリーと街はずれの倉庫で、部下たちと神父を従えて結婚式をあげる始末で、おまけにブラウン総監とは大の親友とあって、結婚式にやってきたブラウン総監は取り締まるどころか、逆にお祝いを述べる体たらく。つまり、ビーチャムの望むような方向には進まず、メッキースはしたい放題にのさばっている。それに業を煮やしたビーチャムは女房に命じて、メッキースが出入りしている娼屈に目をつけ、そこへやってきたメッキースを捕えるように手配を頼む。

 そして、その通りに娼屈にやってきたメッキースはあえなく囚われの身となり、牢獄につながれる。牢獄に慰問に訪れたポリーはブラウンの娘のルーシーと鉢合わせし、どちらがメッキースを愛しているかを競い、お互いに罵り合う。が、最後はルーシーがメッキースの子を身ごもっていると偽り、ポリーを追い出すが、メッキースを救い出すには至らない。そこで、メッキースは牢番を騙し、まんまと脱獄に成功し、市中に舞い戻ってくるが、さらにメッキースを捕まえようと必死のロンドン警視庁の手に掛かり、再度牢獄に繋がれ、今度ばかりは吊るし首の刑を宣告される。

 で、メッキースは英国女王の戴冠式の日に処刑されることとなり、群衆の前に引っ張り出され、衆人環視の目の前で断頭台にのぼる。そこで、群衆にお別れの辞を述べ、まさに吊るされる目前に、突如、女王陛下の恩赦の手紙がもたらされ、メッキースは晴れて自由の身となり、幕となる。

 ここまで3時間の長丁場を楽しく見ることができたのは全員が歌手ではなく、演劇人がつたない歌を必死になって、オペラではない音楽劇を歌い、かつ演じてくれた賜物であろう。ずっと音楽が流れているわけではなく、時にはセリフをしゃべっているような場面もあり、一部ミュージカル、一部演劇というところがなんともいえず面白かった。主な配役のなかで、歌手と言えるのは石井一孝と島田歌穂くらいで、主役のメッキースを演じた池内博之はお世辞にも歌がうまいとhいえなかったのはやや不満ではったが、演劇としてみればこれも愛嬌といえなくもない。

 ブレヒトがどんな意図のもとにこの「三文オペラ」を創作したのかはわからないが、本格的なオペラだけでなく、演劇サイドからもっと面白くオペラを演じられるのではないか、との挑戦だったのではなかろうか。 

 

 

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安倍首相の思惑通りに朝日新聞は没落への道をたどりつつあるのではないだろうか

2014-09-12 | Weblog
 朝日新聞の木村伊量社長が11日、東京・築地の同社本社で会見し、朝日新聞が5月20日付け朝刊で「福島原発の所員の9割が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」との報道について、「その場から逃げだしたような間違った印象を与えた」として、記事を取り消すとともに謝罪した。同時に8月上旬の「慰安婦狩り」をしたとする故吉田清治氏の証言を取り消すとした記事を掲載した際に謝罪がなかったことにも触れ、「誤った記事で訂正は遅きに失したことを謝罪したい」と語った。会見の模様はインターネット中継され、約2時間にわたって行われた。
 これに先立ち、政府は同日、東電の吉田昌郎氏が福島第1原発事故の際に現場の対応を生々しく語ったいわゆる「吉田調書」を公開し、朝日新聞の報道が間違っていることを公に訴えた。この日、夕方のテレビ各社はこのことを報じ、朝日新聞の5月の報道を8月に産経新聞が真っ向から否定する記事を掲載したことを同時に伝えた。明らかに先の慰安婦問題に対し、世論の朝日新聞に対する批判が高まっているタイミングで、さらに朝日つぶしを画策する官邸筋の策略であることがはっきりとうかがえた。
 木村朝日新聞社長の会見はこれに応じたもので、安倍首相の思惑通りの展開となった。木村社長は吉田調書の報道について謝っているように見えるが、心中は慰安婦問題報道についての謝罪にあるのは明白で、自らの進退についても「編集部門の抜本的改革など道筋がついた段階で速やかに進退を判断する」と遠からず辞任することを表明した。朝日新聞社長が自社の報道に絡んで辞任するのは1989年に沖縄・西表島でサンゴに落書きがあることを報じたいわゆるサンゴ事件以来のことで、今回は海外にも関係ある事件での辞任となり、波紋は大きいものがある。
 鈍想愚感子の50年来の名古屋の親友から先日電話がかってきて、「60年以上購読したきた朝日新聞をとるのをやめることにした」と言ってきた。慰安婦問題で社長会見がなく、なんら謝罪しないのはおかしいと憤っていた。評論家の池上彰氏もイスタンブールで語っていたように今回の朝日新聞首脳部の対応はいかにも遅すぎる。8月上旬に慰安婦問題で吉田証言を取り消した際に同時に首脳部が会見し、その旨を伝えるべきだった、と思う。1カ月以上も放置していて、吉田調書の公開で記事の訂正を求められたから会見するのではなく、もっと自らの報道の内容について会社としてチェック機能が働いていることを証明すべきだった。
 一方ではいかに朝日新聞が影響力が大きいとしても、一新聞社の報道内容が世間を揺るがせるほどのものか、冷静に考えるべきではないか、という気もする。誤報する記事の内容、影響の度合いによっても変わるのだろうが、誤報するたびに社長が辞任していたら、社長の首がいくつあっても足りないことだろう。マスコミの果たす役割りが社会に影響力が大きいといえばそれまでかもしれないが、日本はまだ後進国といってもいいレベルにしかなっていないのではとも思えてくる。
 今回の事件ではっきりとしたのは朝日新聞に対する信頼性が大きく損なわれたことだ。多くの人々は朝日新聞を購読することをやめることになり、朝日新聞は経営的に行き詰まるよぷなことになるかもしれない。もともと朝日新聞は記者は優秀かもしれないが、経営はお粗末な会社である。新聞離れが起きているいま、部数が落ち込むことは新聞社にとって危機的な状況に追い込まれることを意味する。いまの朝日新聞の経営陣にとって、こうした逆境を跳ね返すだけの力はないだろう。このことは日本にとって大きなマイナスとなるのは間違いない。政府、官庁に対し監視役の役割りを荷っている一角が崩れることを意味するからである。
 
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安倍首相を嫌うわけ

2014-09-06 | Weblog
 安倍首相は成蹊高校を卒業し、成蹊大学に入学している。成蹊高校は三菱グループの子息が通う高校のようだが、関係者によると一学年の生徒数600人のうち半数の上位300人は早稲田、慶応など他の大学に進学してしまう、という。つまり、成績が半分以下の301番以下の生徒のみが成蹊大学に進学するという。安倍首相は成蹊高校では301番以下の成績だったことになる。父親が安倍晋太郎だったので、早くから政治家秘書となることに決めていたので、出身大学などどこでもいいと考えたふしはある。しかし、人にとってどこの大学を出たかは重要な問題である。安倍首相より14歳年上の麻生財務相でさえ、学習院大学を卒業している。
 一歩譲って、大学は浪人して勉強すればある程度のレベルの大学に入学できるものである。増して政治家の子息であれば、私立大学なら裏口入学という手などいくらでも使えただろうに、三流の成蹊大学卒というのは解せない。学歴など問題にしないという教育方針ならともかく、経歴を重んじる政治家にとって成蹊大卒はいかにも座りが悪い。そうした目で今回の改造内閣の顔ぶれを見てみると、私立大学出身者が目白押しである。望月義夫環境大臣は中大だし、江渡聡徳ぼ衛大臣は日大、菅羲偉官房長官は法大、山谷えり子拉致問題担当大臣は聖心女子大、山口俊一科学技術大臣は青学大などと成蹊大卒がそれほどおかしくないと思わせるほどの多彩な大学が並んでいる。東大卒は松島みどり法務大臣と塩崎恭久厚生労働大臣のわずか2人しかいない。安倍首相がみずからの出自を遜色ないものとするため、画策したのではないか、とも思えるほどだ。
 ただ、人にとって出身大学より、その人となりを物語るのにふさわしいのは出身高校である、と鈍想愚感子は思う。その高校でどのくらいの成績を上げたかはその人を推し量る重要な手がかりとなる。高校時代の状況がその後に人生を物語るといっても過言ではないだろう。18歳になれば、その人のその後の人性は見えてくるものだ。その伝でいけば、安倍首相が成蹊高校で301番以下の成績であったことは安倍首相の頭脳レベルを決定的に物語っている。安倍首相周辺がどう取り繕っても隠しようがないのがこのことである。安倍氏が総理大臣でなければ、だれもこのことを問題視しないことだろう。総理大臣になれば、その素養があるかどうかが問われるのは当然である。つまり、好き嫌いでいえば、どうしても安倍首相を好きになれない、嫌いなのである。
 そんな低いレベルの主が日本の将来を左右する政治、経済の動向を決める地位にいるというのは日本国民にとっては不幸なことである。そう思って、安倍首相の国会での答弁をテレビで見ていると、官僚、ないし内閣のだれかが作成した原稿を生読みしていて、頭のなかで自らの考えを追いながら発言しているようには全く見えない。いかにも頭の硬そうなそぶりである。討論していても予め決められた路線に沿った発言ばかりで、当意即妙なやりとりはまず見られない。
 アベノミクスの第1の矢なり、第2の矢にしても外部のだれかが作成した線に沿って発言しているだけで、およそ新味がない。肝心の第3の矢がいつまで経っても出てこないのもそこらあたりに理由がある。対中、対韓政策にしても自民党の長老あたりにご意見を拝聴したうえで、だれかの指示のもとに動いているようにしか見えない。いまの国際情勢や日本を取り巻く情勢を客観的に分析し、5年、ないし10年先のビジョンのもとに現在の政策を決めているようには見えない。
 いつまで経っても国民不在の政策ばかりで、どこを見て、どこへ国民を導いていこうとしているのかさっぱりわからない。安倍首相からはおよそ信念らしきものが感じられないのである。
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