鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

わずか1円でも領収書は必要なことを思い知った。”1円を笑う人は1円に泣く”ということなのかもしれない

2024-10-08 | Weblog

 7日は先月に頼んでおいたメガネのフレームの修理が出来上がったので、二子玉川の高島屋へ行った。永年使用していた金縁のメガネフレームが鼻の側のところからポッキリと折れてしまったので、修復を頼んでいたのだった。電話が掛かってきた時に「百貨店券で支払いができるか」、と聞いたらいいということだったので、千円券を8枚持参した。代金は7700円だったので、一応8枚持参し、現金でのお釣りが出せないと言うので、千円券7枚と現金700円を足して、代金を支払った。帰りに本屋で立ち読みした後に、地下の食品売り場に行き、いつも行ったら寄る中華料理の弁当を売っているコーナーに行き、999円の弁当を購入し、持参した1000円の百貨店券で支払い、「お釣りが出ないのなら、1円はいいよ」と言おうとしたら、ここでは1円のお釣りを払ってくれた。たかが1円だから、そうしてくれたのか、わからないまま家路に就いた。

 1円といえば、つい先日にもこの1日から郵便料金の値上げがあり、封書が84円から110円に、ハガキが63円から85円にそれぞれ26円、22円値上げとなった。書棚にはまだ使っていない84円、63円の切手と官製はがきが結構あったので、残った枚数分の22円、26円切手を2週間くらい前に購入してあった。ところが、かみさんが友人に重さ55グラムの封書を出す際に料金180円の切手を貼ったところ、切手が1円足りない179円しか貼ってなかった。それで、その封書を持って近所のコンビニに行き、「1円切手を下さい」と言って、1円出したら、封書を持っているのを見て、「ここで貼りますか」と言って、切手の裏を湿らせて貼るための文具を出してくれ、さらにはレジを打った際に1円のレシートをくれた。

 わずか1円の切手を売るためにレジを打って、その領収書をくれるなんて、こんなことがあるなんて、全く思いもしなかった。決まりだからといって、そんな不経済なことをしてくれるとは全く思いもしなかった。1円の収入をレジで打って、その1円のレシートを発行してくれるのは決まりといえばそうだが、コスト的には不経済なことである。お客が「下さい」といえばそうせざるを得ないことだろう。日本で日に数千億円もの商取引が行われるのに、こんな不経済なことが随所で行われている、それも取引を成立させるうえで欠かせないことなのだろう、と納得した。企業の決算でわずか1円足りないために何回も計算をし直すと言うことは聞いたことがあるし、銀行の支店では閉店の午後3時過ぎに集計した際に収支が合わなくて何回も計算し直すということを聞いたことがある。

 いつだったか、財務省が1枚の1円硬貨を作るのに3円のコストがかかる、と聞いたことがある。デジタル化が進行しているいま、実際に1円硬貨が使われる場面はそれほどないかもしれないが、1円硬貨が必要なことは言うまでもない。小さい頃、近くの神社を初詣でした時に、財布に入っていた1円硬貨を数枚、地面に落としてどのくらい他人が拾うものなのか、を試したことがあったが、混雑していることもあって、ほとんど拾う人はいなかった。1円がいかに価値がないかを実証した積もりだったが、だからといって1円硬貨が要らないことにはならない、ことにまで思い至らなかった。ともあれ、”1円を笑う人は1円に泣く”ということが結論ではなかろうか。

 

 

 

 

 

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