鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

世界初演の「夜叉ケ池」の完成で、海外に誇れる和製オペラがようやく出現した

2013-06-30 | Weblog
 29日は東京・初台の新国立劇場中劇場で、泉鏡花のオペラ「夜叉ケ池」を観賞した。新国立劇場の芸術監督尾高忠明が年に1回、国産のオペラを上演しよう、と取り組んでいるもので、原作から脚本、作曲、美術、衣装はもちろん出演者もすべて日本人の手によっており、冒頭の夜叉ケ池に鐘の音が鳴り響くシーンから最後まで見ごたえのある出来栄えであった。ことしは泉鏡花生誕140周年、戯曲「夜叉ケ池」が発表されて100年の記念すべき年で、その記念すべき年に世界初演のオペラ「夜叉ケ池」が好評のうちに幕を閉じ、満場の観客から盛大な拍手を受けていたのが印象的だった。
 「夜叉ケ池」は岐阜県と福井県の堺にある標高1100メートルのところにある神秘的な雰囲気の池で、昔から水が涸れたことがないとされ、それにまつわる伝説で、池に棲む龍がふもとの村の雨乞い祈願に応えた代償として、長者の娘を連れ去ったとされている。泉鏡花はこの伝説をもとに戯曲を書いた。
 オペラ「夜叉ケ池」は幕が開くと、洞窟のようなところに棲む夜叉ケ池の主とされる白雪が鐘の音に自由を奪われて好きな人のもとに行けないと姥はじめお付きの腰元たちに怒りをぶちまける場面から始まる。洞窟はいかにも池の底にある造りで、壮大な物語が演じられることを予感させる。
 次いで池の水が流れてくる琴弾谷に蛇女と言われている百合が旅人で鐘撞きのため住み着いた晃と仲良く暮らしているところへ、行方不明となった晃を探して学円がやっててきて、百合に所在を尋ねる。百合は知らぬと突っぱねるが、晃は自ら名乗り出て、鐘撞きとなった理由を話し、学円と一緒に夜叉ケ池を見にいく。一人残された百合は晃がそのまま東京へ帰ってしまうのではないか、との不安にさいなまれながら、人形相手に子守唄を歌って寂しさを紛らわせる。
 第2幕で鯉七や蟹五郎らが登場し、白雪が恋に夢中で、日照りのことなど眼中にないなどと噂し合う。そこへ鯰の鯰入が剣ケ峰の若者から白雪への手紙を持参し、開けると出てきたのは水ばかり、そこへ現れた白雪が文を読み、剣ケ峰へ行くというので、姥が鐘の約束を思い出させると、白雪は鐘を砕くよう腰元らに命じる。一方、雨乞いのため必死になっている村人らは百合を見つけ、生贄になれ、と迫る。そこへ現れた晃と学円は百合を助けようと村人たちともみあううちに、鐘を撞くべき丑満時なり、黒雲が立ち昇り、雷鳴がとどろき、大波が押し寄せ、村も人々も鐘も水に沈む。白雪は喜び、この鐘ケ淵を晃・百合夫婦の住居にしよう、と言って剣ケ峰に発つ。水没した琴弾谷に生き残った学円が手を合わせて合掌するところで幕となる。
 歌はすべて日本語で、舞台の両袖に掲げられた幕に表示されるのが奇妙な感じで、一体だれに対して表示しているのだろうか、と思われた。あと、日本語を歌う場合、疑問符で終わる時には最後は高い音で終わるのだが、歌にすると高く終わるのは歌いにくいのか、聞きづらいのか、スムーズにいかないのが気になった。
 日本のオペラはこれまで天守物語、沈黙などを観賞してきたが、ようやく和製オペラと胸を張って海外に誇れるようなものができた、という感じがした。泉鏡花の戯曲という選定がよかったのと、いままでにない豪華な舞台装置で、ドイツ、イタリアのオペラに比べ遜色ない出来栄えとなったことは大いに喜ばしいことだ。作曲の香月修はじめ関係者の努力が実った、いえる。
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安倍首相よ、小泉元首相が「原発ゼロ」を公然と口にするのをどう考えるのか

2013-06-29 | Weblog
 毎朝配達される新聞の折り込み広告に混じって、「タウンニュース」なる4ページ建てのミニコミ紙が週末になると入っている。28日にそのミニコミ紙を見てみると、川崎市中原区の中堅土建会社、織戸組が90周年を迎え、その記念式典に小泉元総理も駆けつける、との見出しが出ていたのが目を引いた。こんなところに元総理が顔を出すのだ、と思いながら、本文を読んで驚いた。小泉元総理が「日本は原発をゼロにして将来のために自然エネルギーへの取り組みに向けて努力しなければならない」と発言していたのだ。
 小泉元首相も安倍首相が原発再稼働をめざしていることを知らないわけではない、と思われるのにこの発言は一体いかなる意図のもとに行われたのか、わからないが、少なくとも自民党の総理経験者としていまの執行部のめざす方向と違う発言をするのはいただけない。小泉元総理としては私的な集まりの場で、個人的な見解をポロッと漏らしただけで、公式なものではない、ということかもしれない。
 小泉元総理のこの日の講演によると、この織戸組とは駆け出しのころからの付き合いで、川崎の拠点であった、という。川崎と横須賀が同じ選挙区だったとは思えないが、政治家と支援者とはいろいろなつながりがあるのだろう。人には言えない付き合いがあり、懐かしさもあって、日頃は口にできないことも思わず発言してしまうことはよくあることだが、原発ゼロ発言は小泉元総理の持論を披露したもので、そうしたこととは関係ないことだろう。
 織戸組の記念式典への出席にあたってはマスコミの取材はやめてくれとは要請したかもしれないが、どっこいこのミニコミ紙の記者が紛れ込んでいて、活字になるとは本人も思いもしなかっただろうし、織戸組の関係者もどこまで報道規制をしていいものか、わからなかったのだろう。このミニコミ紙「タウンニュース」は川崎市の北東部の各家庭に配布されており、発行部数は2、30万部程度しかない、と思われ、読んでいる人はさほど多くはないので、小泉元総理が「原発ゼロ」発言してもそれほど影響力はないことだろう。
 ただ、元総理である限り、いかなる場所で発言しようと、その発言したことは元総理としての発言として重みを持ってとらえられる、のは仕方がないところである。いまの自民党政権の政策なり、安倍首相のめざす方向がどんなものであるか、は頭の隅にでもとらえられており、それらをふまえて自らの見解を述べるのが元総理としての宿命である。マスコミに限らず、人々がそうとらえているのは当然のことである。
 そうした観点から、この原発ゼロ発言を考えると、ある意味では安倍政権に対する批判とも受け取られても仕方がない発言である。安倍首相はじめいまの自公政権は原発再稼働へ舵をとっており、あまつさえ東南アジア、東欧諸国への原発の技術強力を打ち出し、日本の輸出の核にさえしようとしている。それなのにお膝元の小泉元総理、それに安倍首相の奥さんである昭子夫人さえも原発ゼロを口にしている、という。安倍首相の家庭内、それに自民党内さえまとめきれないのに、外に向かって原発技術協力を公然と言うのはいかがなものか、いつかこのことが安倍首相の命とりになるような気がしてならない。
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株主総会に出席してこの会社の株式をずっと保持していよう、とはとても思えなかった

2013-06-28 | Weblog
 27日は1100社の株主総会が開催され、そのうち午前10時から東京・赤坂の赤坂BLITZで開かれたTBSホールディングスの株主総会に出席した。これで、今期は18日の日本航空から始まって、曙ブレーキ工業、新日鉄住金、JXホールディングスと計5社の株主総会に出席した。これだけの株主総会に出席しただけでは、とても総括的なことはいえないが、確実に感じたことはかつての総会屋らしき株主は全く姿を消したことと、その代わりに物言う株主が少なくなり、会社側のペースで株主総会が運営されているということだった。
 変化のうえで目立ったのは、各社ともホールディングカンパニーに移行しているせいか、連結貸借対照表のなかで、少数株主持分とか、少数株主利益といういままで見慣れない表現があり、なかには配当総額より多い会社もあるほどだった。気になって、調べてみたら、少数株主持分とは連結子会社でホールディングカンパニーの持ち株でない株式のことを言い、配当をしている場合はその分の利益が外部に流出するので、ホールディングカンパニーの利益から除外されることになるようだ。
 あと決議事項としてかつては役員賞与の支給を上程している会社がほとんどだったのに今期、役員賞与支給の議案を上程していたのはわずかにTBSホールディングのみで、あとは事業報告のなかで役員に対する報酬総額を織り込むことで対処しているようだった。多くの会社が社外取締役を委員長とする報酬委員会を設置していて、外部の目から見た適切な報酬水準を決めている体制を採っていることも預かっていることと思えた。
 あと、多くの会社が冒頭に常任監査役による監査報告を行っているなかで、JXホールディングスは社長が事業報告を行うなかで、監査報告も行ってしまい、その時はそんな方法もあるのか、と聞き流してしまった。あとで考え、本来監査されるべき側が監査の内容を公式の場で陳述してしまっているのはおかしいことに気がついた。どう考えてもコーポレートガバナンス上、あってはならないことであるのに、株主のだれ一人指摘しなかったのは残念なことだった。
 総じて株主からの質問は経営の核心に触れるようなものは少なく、それでもありがたく拝聴して、丁寧に回答していた。日本航空は再建後初めての株主総会とあってか、質問者を前方のワイドスクリーンに映し出す方式を取って、質問を1人3問以内に限らせたり、多くの会社が質問の数に制限を加えていた。
 会社のヴィジョンともいえる「今後の対処すべき課題」ではなかには中長期経営計画を掲げるような会社もなくはなかったが、多くは抽象的なも文言だけのもので、質問されて渋々開示するような会社もあり、まるで会社の将来をうかがわせるようなものではなかった。TBSホルディングスの株主総会でも「対処すべき課題」の説明では「総合メディア戦略の充実」や「企業価値の向上」といった理念的な言葉だけで、一切数字的な目標らしきものがなかったため、その旨質問すると、中期経営計画はるといいながら、開示したのは25年度の売上高、利益だけで、とても中期経営計画といえるものではなかった。
 従来と違った点は終わったあとで、お菓子を配っていた会社も2、3見受けられたが、そんな小手先のことではなく、会社の目指すべき方向をはっきりと指し示すことで、株主総会に臨んでほしい、と思った。株主総会は年に1回の貴重な機会であり、その場で会社がどちらへ進もうとしているかを示すのは重要なことである、と思われる。なのに適当に流しているような感じしか持てなかった。少なくともこの会社はいい会社だから、ずっとこの会社の株を保持していよう、と思わせた会社はなかった。日本経済を支えているはずの会社の実態はこんなものか、と思うとさびしくなってきた。
 
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こんなお粗末な国会運営をしていて、ノウノウと歳費をもらっている国会議員など要らない

2013-06-27 | Weblog
 国会がまたまた機能停止となった。参院選を前になんとかプレゼンスを高めようと党利党略の限りを尽くして、お互いに相手をののしって閉会となってしまった。おかげで、電力システム改革を進めようという電気事業法改正案や生活保護の不正受給をなくそうという生活保護法改正案など重要法案は廃案となった。政治家がいかに国民のことを考えていないかの証拠であり、こんな無駄な戦いにエネルギーを費やしている政治家はうんざりで、ますます政治不信を助長するだけであることに早く気がついてほしい。
 事の発端は衆院第1党である民主党が衆院小選挙区を「0増5減」する公職選挙法改正案の採決を見送ったことにある、とされているようだが、そもそも半年前に自民、公明、民主の3党で国会会期中に定数削減を含めた衆院小選挙区の改正法案を通過させようとの合意を自公の与党が破ったことにある。そのことをはっきりと言わない民主党にも呆れるが、都議選で民社党と同じく獲得議席ゼロの生活の党を率いる小沢一郎一流の巧みな戦術に乗せられ、安倍首相ら政府側と与党が24、25両日の参院予算委員会を欠席したことを憲法違反として、安倍首相の問責決議案を提出、民主党は最後には同意し、可決してしまった。
 安倍首相は国会終了後の記者会見で、「問責決議こそがねじれの象徴。重要な法案が廃案になった」と半ば自らの出方が撒いた種であるのを認めず、もっぱら野党側の対応を非難した。安倍首相の頭には原発再稼働にもっていくうえで、発送電分離を含む電気事業法改正案の成立を疑問視する考えもあることから、このことだけから見れば、結果的にはこれでよかった、と胸をなでおろしている、とする見方もあるが、大局的に見て、強引な国会運営はいかにも政治に慣れていない甘さをさらけ出した、ともいえそうだ。
 野党側は都議選で自民・公明の野党に圧勝され、その流れをなんとか取り戻そうと安倍首相に対する問責決議に持ち込んだようだが、いかにも古い昔ながらの政治手法は国民に目には単なる暴挙としか映らなかったようだ。参院における問責決議がいかなる法的拘束力を持つものなのか、よくわからないが、当の安倍首相が記者会見でなんらの謝意も見せなかったことからみて、不発に終わったのは明らかで、却って野党側が姑息な政治手法を採った、としか映らないことだろう。
 問題はこの結果、電気事業法案はじめ12の法案・条約が廃案となった。生活保護法とともに廃案となった生活困窮者自立支援法案は失業者らの就労・自立を促すもので、連合からも「極めて遺憾」との声が出ている。国民のだれしもが、こんなお粗末な国会運営をしていて、ノウノウと歳費をもらっている国会議員などもう要らない、と思うのは当たり前で、参院選どころではないだろう。いま一度国会議員の職務とは何なのか、胸に手をあてて、よく考えてほしいものだ。
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新日鉄住金の株主総会で、肝心のことをいわずに甘いもので誤魔化そうとするその心根が憎い

2013-06-26 | Weblog
 25日は東京・紀尾井町のホテルニューオータニで午前10時から開催された新日鉄住金の株主総会に出席した。新日鉄は日本一株主数が多い企業で、昨年住金と合併して、59万2291人とさらに大きい株主数となった。鈍想愚感子は株主総会に臨んでも事業報告などはその場で聞くことにしているので、行くまで、まさか合併の新会社が赤字決算だったとは思いもしなかった。平成24年度の連結売上高は4兆3809億円に対し、経常利益は769億円となったものの、広畑、堺製鉄所等における減損損失が1328億円、そして住金との合併に伴い有価証券売却損があり、2189億円の特別損失を計上し、最終的には1245億円の当期損失となった。これに対して議長を務めた宗岡正二会長は一言もお詫びの言葉もなく、配当を1株1円とするからいいだろう、といったニュアンスだった。
 それで、事業報告の結びとして今後の経営課題で、友野宏社長から25年度っを初年度とする中期経営計画の説明があった。「技術先進性の発揮や、グローバル競争を勝ち抜く世界最高水準のコスト競争力の実現、自動車向け高級鋼、資源エネルギー、鉄道土木等インフラ関連の戦略3分野でのグローバル供給体制の構築などで、「総合力世界アンンバー1の鉄鋼メーカー」をめざし、売上高経常利益率5%程度を目標とする」と説明されたが、世界ナンバー1といっても具体的にシェアで示されたわけでもなく、作文的な美辞麗句を並べ立てただけで、説得力に欠けた。よくもこんな内容で、経営会議を通り、取引銀行を説得できたももだ、と思われた。
 それでいながら、次期の見通しについては「主原料価格および鋼材価格ともに交渉が未決着である」ことを理由に未定としていて、何も言及されなかった。すでに新年度に入って3カ月も立とうとしているのに、今期の見通しが立たない、ということで、済まされる、とは考えられない。
 株主からの質疑応答は鉄鋼製造技術からアスベスト問題、韓国人労働者の裁判など多岐にわたり、約1時間強行われ、最後に「新日鉄住金は鉄鋼中心でいくのか」との質問が出され、これには宗岡会長自ら「米モルガンスタンレー証券が鉄鋼アナリストからのヒアリングをもとに世界の鉄鋼業界の見通しを発表している。それによると、鉄鋼業界は世界的に需給ギャップがあるが、地域的には欧州、中国、ブラジルが危機に直面しているのに対し、有望なのはインド、米国、それに日本だ、としている。個別の企業として、今後の推奨銘柄としてまず新日鉄住金を挙げており、次いでインドのタタグループ、それに米国の2社を挙げている」と答えると、いかにもサクラらしい株主から一斉に拍手が湧き上がったのにはいささか驚いた。自らの手による調査でなく、米国の証券会社の調査を我田引水的に披露しただけで、天下の新日鉄ともあろう会社が情けない、と思えるのに、日本の株主はやさしい、と思った。
 株主総会が終わって、外に出よう、とすると、会場の出口が混雑していて、なかなか前に進まない。どうしてだろう、と思っていると、どうやら出口で手提げ袋に入ったお土産を手渡ししていて、それを受け取るために渋滞が起きているようだった。いつもは何のおみやげもなかったのに、今回は住金との合併記念ということか、もしくは配当が少なかったお詫びかの積もりもしれない。家に持って帰って開けてみたら、ホテルニューオータニ製のリーフパイが7枚入っていた。せいぜい1000円程度のもので、この程度でご機嫌が直ると思えないが、せめて甘いもので誤魔化そうとするその心根が憎い。
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ネット通販の楽天が取次大手の大阪屋を傘下に収めた意味は大きいものがある

2013-06-25 | Weblog
 先日、楽天が出版取次3位の大阪屋(本社大阪市)を傘下に収める、との報道がされていた。ネット通販大手の楽天が本格的に書籍の販売に乗り出したわけで、このことの意味するものは大きいものがある。出版業界は長らく取次なる業態の企業が流通を牛耳っていて、近代化のガンとなっていたが、大阪屋に限らずトップの日本出版販売、トーハンもいずれ他企業に母屋を明け渡すことになるのは必至の情勢で、出版業界の地図が塗り替わる先駆けともいえそうな動きである。
 楽天は7月にも大阪屋が実施する第三者割当増資を10億円前後で引き受け、3割超を出資する筆頭株主になる。これにより、大阪屋と取り引きのある全国約2000の書店で、仮想商店街(楽天市場)で購入した書籍・雑誌を消費者が受け取れるようになる、という。書店はこの15年で約1万軒減少したとはいえ、まだ1万4241軒あり、今回楽天が経営権を握ったことにより、さらに多くの書店と取り引きすることが考えられる。また、書籍・雑誌の流通はいまや書店だけでなく、コンビニエンスストアでも手がけるようになっており、楽天はこれまでサークルKサンクスで書籍が受け取れるだけだったが、今後は書店で書籍以外のものも受け取れるようにする、という。
 出版業界では印刷大手の大日本印刷が4年前に書店大手の丸善、それにジュンク堂、さらには図書館流通センター(TRC)を傘下に収め、出版コングロマリットを形成するものとして大いに注目を集めた。10年連続して出版販売額が減少していくなかで、新たに出版分野の覇権を握ろうとする動きとして、いずれは出版社、そして取次にまでその矛先が向かうのではないか、とも噂されていた。
 その先駆けとなったのが今回の楽天の大阪屋への出資と見ることができる。取次は出版社と書店の間に入って、流通業務を行ういわば問屋のような存在だが、その実態は返品が可能なシステムで、売れただけを売り上げに計上する、いう前近代的なもので、このことが書店に自立した経営の確立を遅らせ、書店を単に右から左へ書籍・雑誌を並べて置くだけの機能にさせてきた。
 大阪屋に限らず、日本出版販売、トーハンも経営は必ずしも芳しくなく、いずれ、楽天のようなネット通販、もしくは大日本印刷のような印刷会社の傘下に入ることも十分に考えられ、出版業界も様変わりすることとなりそうだ。
 楽天が最大のライバルとしているのはアマゾン・ドット・コムで、ネット通販のみならず書籍流通でも我が国トップの位置にある、という。アマゾン・ドット・コムの最大の強みは米国仕込みの徹底した合理性とネットにアkンするノウハウで、書籍流通に限らず、他の商品分野でも攻勢を強めてくることは十分に考えられる。
 
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都議選の結果に一喜一憂するより、異常に低い投票率の持つ意味を考えてほしい

2013-06-24 | Weblog
 23日、注目の東京都議選の投開票が行われ、いまでも民主党支持の鈍想愚感子としては思わぬ結果となった。与党の自民党は連立を組んでいる公明党ととも史上初めての立候補者全員の当選を決め、都議会の過半をはるかに上回る82議席を獲得した。これに対して民主党は公認を前回より14人少ない44人に絞ったものの、当選はわずかに15人で、共産党にも抜かれ都議会第1党から第4党という不様な結果と相い成った。4年前から政権を担当し、鳩山、菅と国民の期待を裏切る政治を行ったことがいまだに国民の脳裏に残っていて、非民主の投票となったものと思われる。
 民主党は前回2009年の都議選で千代田区、中央区など7つの1人区で6勝1敗だったのが、今回はすべて自民党に敗れ、全敗となった。象徴的だったのは菅元総理のお膝元である武蔵野市で、過去2回当選を果たしてきた42歳の女性候補が自民の新人に敗れたことで、菅氏が当の女性候補と唇をかみしめて写っている写真が24日付けの各紙に掲載されていた。民主と自民がそれぞれ2人以上の候補者を擁立した選挙区でも自民党が全員当選を決めたのに対し、12人を擁立した民主は現職9人を含む11人が敗れた。
 公明党全員当選で第2党に躍進したほか、共産党が民主党を抜いて第3党になったのは投票率が前回の54.49%から大きく下回り、過去2番目に低い43.5%になったことが効いている。組織政党である公明、共産両党は党員に大々的に動員をかかえるため、投票率如何にかかわらず、一定の票数を確保できる強みがある。投票率が高ければ、得票率は下がり、逆に投票率が低くなれば、相対的に支持律が上がる、ということになる。昨年末の衆院総選挙でも投票率が上がらず、同じような現象が起きたことを思い出す。
 昨年末の総選挙での開票を受けての新聞の見出しは「自公320超、安倍政権 民主50台壊滅的敗北」となっており、流れはまだ続いているものの、この時に比べれば民主党の退潮はまだまし、といえるかもしれない。今回、かろうじて、自公合わせて都議会の3分の2を上回らなかったことがせめてもの救いである。自民党のなかにはこの都議会選挙の結果を受けて、参院選でも自公の圧勝を目論む向きがあるようであるが、都議会選挙は前回衆院総選挙と同じように民主党に対するお灸が据えられているということで、必ずしも自公への支持が高くなったわけではことを胸に明記すべきだろう。
 それよりも選挙に行かない人が増えていることにもっと着目すべきだろう。あれだけ新聞、テレビで騒ぎ立てても投票に行かない若者のみならず大人が増えているのは民主主義にとって大きな問題だろう。投票率43%ということは5人のうち2人強しか投票に行かない、ということであり、そんな低い投票率で過半を獲得した、といっても少しも自慢にはならない。新聞各紙は「対立軸の不在」や「政策論争がなかった」ことを低投票率の理由にあげている。都議会そのものの政策はオリンピック誘致くらいしか考え付かないが、各党とも猪瀬直樹知事へのスタンスで明確な政策論争をしかけなかったが、その根本に長い間に培われてきた政治に対する不信が横たわっている、と思う。
 政治に期待しない層が増えている。このことの意味するものは何なのか、識者はじめ関係者はもっと深刻に考えるべきだろう。政治に期待しても生活は少しもよくならないし、未来は開けてこない、というのなら、それを打開するために何をすべきか、を真剣に考えてほしい。

追記 新聞テレビの都議選結果の報道を見ていて、社民党に関する報道がなにもなくなってしまったことに気がついた。調べてみたら、社民党は現有議席も獲得議席もゼロとなっており、今回わずかに世田谷区に1人候補者を立てただけで、開票の結果14人の立候補者のうち下から2番目の1万2948票の得票数で、あえなく落選していた。これでは政党の名にも値しない、というわけだ。福島瑞穂党首の怪気炎が聞けなくなるのは少しさびしいが、来月の参院選次第では党の消滅もありうるかもしれない、と思えてきた。
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この悲しみを一体どこへやったらいいのか、宙に浮いたK君への弔意

2013-06-23 | Weblog
 1カ月前に自殺したK君のことがいまだに気に懸かっている。毎週のように武蔵小杉を訪れるとK君のことを思い出して、悲しい気分に襲われる。つい、この間までK君はこの道を歩いていたのだ、と思うと妙な気分にもなってくる。図書館でK君がJR南武線の武蔵小杉駅に飛び込み自殺した日の翌日の新聞を見てみたら、読売新聞の神奈川版のベタ記事で、「53歳の男性死亡」と出ていた。この記事を見て、改めて、死ぬ前になぜ、一言でも話してくれなかったのだろうか、言ってくてくれればなんとか救いの手も差し伸べられたのではないか、との後悔も湧いてきた。
 自殺の方法が方法だけに普通に行われる葬儀は難しい、と思っていたら案んの上、なんの連絡もない。葬儀を取り仕切る人もいないだろうし、参会者も呼び難いことだろう。なんともいえない気持ちをできれば、せめて位牌にでもお悔みの言葉でもかけることができたら、と思って、あれからしばらくしてK君の住所を手がかりに線香を携えて、武蔵小杉へ行ったついでにまず、K君のマンションを尋ねた。K君の住所はマンションの7階なので、町名からして7階建て以上の建物に目星をつけて、行ってみると、果たしてオートロック式のマンションの管理人に自動ドアを開けてもらい、住所を尋ねると、「そうだ」という。「住民の状況は個人情報保護もあって、さっぱり把握していなくて、わからない」というので、とりあえずインターフォンで部屋番号を押してもたが、何の反応もない。
 横手のドアに郵便ポストがあったので、のぞいてみると当該のポストには貼り紙がしてあり、「引っ越しました」と書いてあり、封印されていた。K君は結婚はしていたが、子どもさんがいる、とは聞いていなかったし、結婚生活が自殺の直前まで続いていたか、消息はまるでわからない。考えてみれば、奥さんとはとうに別れて、K君は1人さびしく暮らしていた可能性が強い。となると、新潟の実家のだれかが後始末をしたのかもしれない。
 そんなことを思って、郵便ポストを眺めてみると、ポストのすぐ上の家が同じ苗字となっていて、ひょっとしたら、残された家族がとりあえず隣へ引っ越したのかもしれない、と思われてきた。マンションの出入り口の脇に不動産会社が店を構えており、マンション住人の管理を行っているような感じもあったので、出てきた社員にK君の引っ越し先や、隣の同じ姓の人との関係などをそれとなく聞いてみたが、「わからない」とこちらもとりつく暇がなかった。
 仕方なく、再度、インターフォンで同じ姓の隣を呼び出してみたが、こちらは応答がなかった。それから毎週のように武蔵小杉へ出かける度にそのマンションを訪れ、時間を変えてK君と同じ姓の部屋の番号を押してみたが、いつも留守にしているのか、応答がえられなかった。K君の実家の住所を知っているわけではないので、これ以上K君を追跡することはできなくなってしまった。
 かくてK君に対する弔意は宙に浮いたまま、不本意な結果となってしまった。かくするうちに今度はもといた会社のかつての部下がK君と同じ53歳で病死する、という報に接した。こちらはK君ほどは接触の度合いは深くはなかったが、同じ53歳ということに奇妙な符合を見た。年間3万人を切った自殺者のなかで、50代の自殺は断トツに多い、という。
 再度、天に向かったてK君の御霊に弔意を表したい。
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市民講座の講義のレベルはこんなものか、と思い知らされ、さびしく思った次第

2013-06-22 | Weblog
 今週はじめのNHKの「クローズアップ現代」で光合成を取り上げていたので、たまたま先週にかわさき市民アカデミーの「「環境とみどり」講座で、光合成をテーマに受講したばかりだったので、その時の資料を取り出して、テレビに見入っていたら、話題は講座でが全く触れていなかった人工光合成を取り上げていた。講座では光合成そのもの研究についてはほとんど触れなくて、葉緑素内のCO2濃度とか、地球環境とかばかりで、少なくとも人工光合成の話は出てこなかった。
 かみさんにこんなことを教わっているのだよ、とでも言いたいと思って「クローズアップ現代」に見入っていたのにすっかり肩透かしをくってしまった。NHKによると、人工光合成がうまくいくと、自然の光合成よりエネルギー効率は10倍のものとなり、ノーベル賞ものfだ、とも報じていた。そんなにすごいことの一端を学んだのか、とちょっぴり気分がよくなったものの、肝心の講座ではその人工光合成についてはなにも触れてくれなかったことに不満を感じた。
 そこで、光合成の講座を受けた1週間後にかわさき市民アカデミーでテーマは変わるものの「環境とみどり」の講座があったので、講義が終わった段階で、受講者の世話役を務めている人を捕まえて、「NHKのクローズアップ現代で光合成を取り上げていたが、人工光合成が主題で、講義では少しも触れていなかったのがいかがなものか、と思った」とその旨を伝えた。怪訝な顔で聞いていた世話役の人は「いずれ、講座が終わる段階でアンケートを取りますので、そこに書いて下さい」とこちらの趣旨がわかったのか、わからないのか、よくわからない回答をした。そこで、「別に抗議しているわけではないのですが、一応だれかに伝えておいた方がいい、と思ったので」と言うと、「そうですか、わかりました」とにっこりしながら答えた。
 光合成の講座を担当したのは東京大学理学部の現役教授で、考えてみれば、依頼された市民講座で限られた時間で、どこまで話したらいいものなのか、実際には困ることだろう。数十年にわたって研究を続けてきていることをわずか2時間弱で話せ、と言われてもどの程度で、どこまで話したらいいのか、逆の立場に立って考えるとよくわかる。受講する方はまちまちのレベルの人で、どのレベルに標準を定めていいものか、レジュメを作るうえで、はたと考えることだろう。
 この「環境とみどり」の講座は東大名誉教授がチューターとなっているせいか、現役の教授クラスが毎回、登場してきて、初めて聞く分野の話をする。言っていることの半分ちょっとくらいしか理解できないが、聞いていて、こうした話は学生相手にしているのと比べてどんなレベルのものなのか、ということが気になっていた。理科系の話なんか、50年前の高校生の時に聞いて以来のことなので、何を聞いても新鮮で、初めて耳にすることばかりである。
 だから講義の中身はなんであってもありがたく拝聴しているのだが、たまたまテレビで取り上げている最新のトピック的な話があった場合、講義でもそうしたトピックな話題がなかった、となると、一体市民講座なるものはこんなものか、と受講していることがつまらないことに思えてきて仕方がない。だからといって、市民講座の受講を止めてしまおうとは思わないが、やり切れないさびしさを感じるのはどうしたものか。

 
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国際的な化け物である金融資本の跋扈を防ぐために金融取引税は有効な手段である、と思った

2013-06-21 | Weblog
 消費税論議が再び起きてきたせいか、新潮新書の「私たちはなぜ税金を納めるのか」(諸富徹著)を購入して、読んでみたら、後半の「近未来の税制」の下りで、「トービン税」なるものが紹介されていて、興味を引いた。ジェームス・トービン教授が1972年に提唱したいわゆるトービン税は「ある通過と他国通貨との現物交換のすべてに、たとえば1%といった国際的に合意された一様な税を課す」というもので、いわば金融取引税のことである。過大で化け物的規模となって、世界経済をわが物顔で闊歩する金融取引をグローバルで把握し、コントロールするのは格好のアイデアである、と思い知らされた。
 「私たちはなぜ税金を納めるか」によれば、トービン教授が国際通貨取引税の構想を本格的に展開したのは1978年の「国際通貨改革への提案」と題された論文においてである。そこで、トービン教授は問題は「変動相場制か固定相場制か」ではなく、国境を超える民間金融資本の過剰な運動そのものにある、と指摘し、もはや一国の金融・財政政策だけではグローバル化してダイナミックに動く金融資本をコントロールすることは不可能になる、という。
 その解決策として、トービン教授は国際的な共通通貨を創出することと、もうひとつの策として「あまりにも効率的な国際金融市場の車輪にいくらかの砂(つまり税)を撒くことをあげている。国際通貨のすべての直物取引に対して一律で課税するもので、特徴は短期取引に対して重い負担を課すことにある。取引による利益の有無にかかわらず、1回ごとの取引に課税する仕組みで、たとえば国際通貨取引税が取引1回あたり0.2%の税率で導入されたとすると、週5日の毎営業日に1回の取引を定額で行うと年率では48%になるが、週1回なら年率10%、月1回なら2.4%の負担となる。トービン教授の国際通貨取引税構想のねらいは投機の抑制にある、というわけだ。
 折りしも、EU「欧州共同体)は2014年からこのトービン税を体現した「金融取引税」を導入することにしている。その理由として、リーマン・ショック以降の金融危機への対処費用のうち、その公平な割合を金融機関に負担させ、他の経済セクターとの課税の公平性を回復することと、金融市場の効率性を阻害する投機的取引を抑制するための適切な政策手段を創出することにある、としている。
 EUだけの金融取引税の導入が他の地域へどのような影響を及ぼすのか、また世界の1地域だけの金融取引税の導入がグローバルに効果をもたらすものなのか、壮大な実験であり、日本はじめ各国がどのように反応していくのか興味は尽きない。国際金融市場における金融資本の跋扈ぶりは目に余るものがあり、金融取引税の導入はその投機的な動きを抑制するのに効果的なものといえ、日本もいずれ導入せざるを得ないことだろう。
 EUはすでにトービン教授が提唱したもうひとつの解決策の共同通貨もユーロ貨を導入しており、その先進的な試みについては高く評価できる。
 金融取引税以外のグローバルなものとしては温室効果ガス抑制のために提唱されている環境税があるが、今後グローバルなものが増えてきているので、こうした動向に対応したグローバル・タックスが増えてくることだろう。
コメント
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