鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

海外から日本へ電話を掛ける際には発信時点から通話料をチャージされることがある、と初めて知った。相手が出なくて発信音だけでも課金されることに注意が必要だ

2019-09-08 | Weblog

 先月末に10日間、欧州を旅してきたが、この7日に旅行中持参した携帯電話の8月分の携帯電話の料金が7日判明した。1日にauのホームページで海外での料金は確かめてあったので、金額の780円については驚かなかったが、その詳細を見てびっくりした。というのは国際電話の通話料として3件あがっており、うち1件は日本から掛かってきた電話料であるのはいいとして、残り180円と380円の2件についてはいずれも発信したものの2件とも発信はしたものの通話には至らずベルをならしただけのものに課金されていたからだ。これまで何回も海外へ行っているが、単に電話を掛けて発信音を鳴らしただけで課金されるとは聞いたことがなかったし、国内で発信音だけでチャージされるとはありえないことだったからでもある。

 昔から海外で電話をかけると高額になるとは聞いており、海外旅行に出かけると国内への電話はなるたkぇしないように心がけてきた。それが携帯電話の普及により、身近なものとなり、気軽に掛けるようになったものの、料金が」高いことは少しも変わっていない。それでも海外へ行った場合に手持ちの携帯電話からきちんと掛けられるかどうか、不安な気持ちになる。だからセットアップが完了した後に果たして日本へ掛かるかどうか、確かめるためにまず自宅に掛けてみて、きちんと発信音がなるかどうかを確かめるのを倣いとしている。もちろん、自宅は留守なのでだれも出ることはないし、せいざい10秒くらいで切って、自動音声に切り替わる前に電話を切る。今回もそうした倣いを2、3回行ったことは事実であるが、まさかそれが課金されるとは思ってもみなかった。

 そんな通話に関する常識が覆されるような事態に遭ったのは前代未聞のことである。不思議に思ってauお客様センターへ問い合わせてみた。窓口に出た若い男性は「専門外のことなので」と言って何回も担当部署へ聞きに行ったうえで、「国によって発信されるだけで課金されることがある」と答えてくれた。ちなみに今回課金されたのはパリから13秒の発信音、それとブカレストから7秒の発信音で、いずれも1分間の料金がかチャージされていた。「発信だけで課金されるのは聞いたことがない」といって、「そのことはどこかに明記されているのか」と聞くと、auが四半期ごとに発行している総合カタログの「国際ローミングau世界サービス」の下段の注に赤字で「国・地域によっては発信ボタンを押した時点から通話料がかかる場合があります」となっている。確かにそう書いてあるが、発信音だけで課金されるとは明記されていない。

 重ねて一体どの国・地域が発信した時点から課金することになっているのか、を聞いたら「そうした質問には答えられない」という。さらに今回徴収した料金は日本のauと相手国(今回はフランスとルーマニア)との間でどのようにシェアするのか、と聞いても答えてくれなかった。

 これまで海外へ行った場合、日本へ電話を掛けてその料金がどのくらいになるのかはチェックしても、まさか発信した時点から料金が発生するなんて思いもしなかったし、通話時間をそこまで計っているような人はいなかったことだろう。こうして携帯電話が普及して料金の明細が詳細に明らかになったことによって電話会社のからくりが明確なものとなったわけである。こんな実態を知って海外に出かけた際には安易に日本へ発信しないように気を付けるべきだろう、強く思った次第である。

 追記 気なってau以外の携帯電話会社、つまりドコモとソフトバンクについても国際電話の発信音だけで課金されるかを両社の総合カタログで調べたところ、ソフトバンクは「世界対応」ケータイ」の注記で「相手につながらない場合も、通信事業者によっては通信料が発生する場合があります」と記載されていたが、ドコモは一切その件について触れていなかった。auはもともと国際電話に強いKDDを母体といsているだけにそれなりの表記をしていることが判明した。しかし、総じてこの件に関しては表記があいまいで、ユーザーへ正しく告知している、とは言い難い状況であると言わざるを得ない。昨年、携帯料金については官邸筋から注文がつき、諸外国並みの料金へ追いつくことが始まったが、まだまだメスの入れ方が甘い、と言わざるを得ない。

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演劇「骨と十字架」は開演してから主役が交代していたのが判明したが、こうしたことは事前に告知しておいてもらいたい

2019-07-07 | Weblog

 6日は東京・初台の新国立劇場で野木萌葱作の演劇「骨と十字架」を観賞した。28日まで20回公演されるが、この日は2回あるプレビュー公演の初日で、開園前に演出の小川絵梨子が「プレビュー公演は新国立劇場としては昨年の『スカイライト』公演に次いで2回目の公演で、みなさまの声を13日からの本公演 に生かしていきたい」と挨拶した。演出家がお客の前で挨拶するのは珍しいことだと思いながら聞いていたが、なぜわざわざ演出家がそういったのかあとでわかった。入場時にはプレビュー公演の趣旨が書かれた一枚の紙を渡されただけで、いつもの演劇界の今後の公演パンフレットの束は手渡されなかったのもあれっと思わせた。

 開演となって、主演の司祭、ピエール・ティヤール・ド・シャルダンが座っているところへお付きの神父が現れ、なにやらバチカン法王庁からシャルダン司祭が信仰の傍ら取り組んでいる古生物学者としての行いについて相応しくないとの叱責を受けていることへの対応について相談している。そこへ法王庁の総長ら3人は登場し、改めてシャルダン司祭に信仰の道か、学問の道を選ぶか、決断を迫る。神への仕えの誓約書を書けと迫る神父と遥か北京から説得に来た神父がシャルダンに入れ変わりに説得し、お付きの神父と合わせて5人の男性が舞台上を駆け回る。事前に読んでいた新国立劇場から送られてきた会報で主演のコメント、パンフレットの出演者の写真でシャルダン役の出演者を眺めてみるが、どうもしっくりこないし、演劇の中へ入り込めなかった。

 舞台ではシャルダンは信仰の道へ専念するという誓約書への署名を拒否して、バチカンの命で北京へ赴き、北京から説得に赴いてきた神父とともに古代遺跡の発掘に加わり、北京原人の頭蓋骨を発見するという偉大な業績を挙げ、ヨーロッパに遠征し、脚光を浴びることとなる。

 そこで休憩となったので、会場の受付にあった出演者5人の写真と役を掲載したチラシを手にして座席に戻って予めもらっていた公演パンフレットと照合した途端、主役のシャルダンを演じていた俳優が事前の発表していた役者,田中壮太郎から紙農直隆に変わっていることが判明した。それで開演してからずっと抱いていた違和感がスーッと溶けていく感じがしてきた。公演パンフレットにあった主役を演じる顔写真の役者を求めて舞台を眺めていたが、どの役者にも当てはまらず、主役は一体だれなのか、と思いながら、舞台を見ていたのだ。

 「骨と十字架」の後場となり、改めてシャルダン司祭は法王庁から信仰と学問の道の2者択一を求められるが、断固として学問の道の断念を拒否し、総長、仲間の神父との再三の説得にも応じようとせず、最後には席を立ってしまうところで幕となる。信仰の道と人類の骨を触れることが信仰の道に悖るのか、という問題は明らかとされないまま、観客にも疑問が残る。原作は日本製なので、そこまで踏み込んでいないのかもしれない、とも思った。演劇の意味を考える苗に今回は知らない間に主役が交代していたことが強烈で, そこまで考えるゆとりがなかったというのが正直な感想であった。

 公演が終わってから係の人に聞いたら、3週間前に主役の演者の交代が決まった、という。入場料の高額なオペラの場合はオペラ歌手の交代は公演前にお知らせが届くが、演劇の場合はそこまでする習慣はないのだろうか。主演の交代は演劇そのものの価値を左右するものなので、少なくとも会場入り口にでも「お知らせ」を掲示するなどして観客が観る前に告知してもらいたかった。入場前にどこかにこっそりと掲示されていたのかもしれないが、当方には目につかなかった。

 開演前に演出家の小川絵梨子が丁寧なあいさつをしていたのも主役の交代があったからだ、納得した。係員になぜ主役の演者が交代したのか聞き忘れたが、あまり大っぴらに理由がいえるような事情ではないのかもしれない。これまで公演の直前に主役が交代したようなことに遭遇したことがない。かつて黒沢明監督の映画「乱」の制作途中はそれほどで、主演の勝新太郎が降板して仲代達矢に交代したことがあったが、今回はそれほどの作品ではないとはいえ、チケットを購入したお客に対しては公演前になんらかの手段で主役交代の告知をすべきだった、と思われた。

 

 

 

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安倍首相よ、「今後10年、消費税のアップは必要ない」といった思い付き発言はやめてもらいたい

2019-07-05 | Weblog

 参院選が4日公示となり、その前日に日本記者倶楽部で開かれた党首討論で今年10月に予定されている消費税の10%への引き上げについて、安倍首相は「今後10年間は消費税を上げる必要はないと思う」と発言した。いくら安倍首相自身が10年先には関係なくなっているからといって、無責任に10年先のことを断言するとは国政を預かる身として許せない発言である。これに対して野党から糾弾の声が出てこないのも不思議なことであるが、いまの日本が置かれた財政事情から見て消費税アップに頼らずにプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を果たす道を見いだせないのは明らかで、単なる人気取りだけの発言はよしとしてもらいたいものである。

 今回の参院選では年金と並んで消費税アップが大きな焦点となっており、自公の与党が予定通り10月から消費税を2%アップして10にすることにしているのに対し、野党および日本維新の会もこぞって消費増税には反対している。個人消費が振るわないうえ、与党が導入しようとしている軽減税率やキャッシュレス化による還元制度が複雑で特にシニア層がなじめないことなどがその理由である。だからか、安倍首相は「向こう10年間は消費税のアップは必要ないと思う」といままで踏み込んだことのない発言をあえてした。その根拠は明らかにせず、いかにも個人的な感想の形であはあったが、国政を担う者としていかにも軽率な発言であるのは間違いない。

 いまの我が国の借金は1062兆円を超え、国民1人当たり885万円と莫大な負債を抱えており、消費税アップをはじめあらゆる手段を講じてプライマリバランスの改善を図らなければならない状況にある。以前の閣議では2025年度の国と地方を合わせたプライマリーバランスの黒字化を決定していたが、2018年7月の試算では2025年度のプライマリーバランスは4兆円の赤字となり、2027年度にPBの黒字化を果たすとされていた。それが2019年1月の試算では2025年の赤字は1.1兆円となり、1年前倒し、2026年に黒字化される見通しとなった。このなかにもちろん消費税のアップは織り込まれてはいないだろうが、いまの景気情勢からみて、いつなんどき消費税アップが再度打ち出されないとも限らない。諸外国の消費税はハンガリーの27%を筆頭にアイスランド25%、イタリー21%、英国20%と軒並み高く、日本の10%は高い方ではない。

 ただ、日本のPBの見通しの中身はそれほど詳細に伝わっているわけではない。安倍首相が単なる思い付き発言で向こう10年間消費税アップをしない、というのならその根拠をはっきりと国会に出して、国民の目の前に示してもらいたい。年金受給世帯はの2000万円の預金が必要だと国会で問題となった際に5年に1度明らかとされる年金財政の検証を早々に国会に提出してもらって、合わせて消費税のアップが今後10年必要ないのかも明らかにしてもらいたい。安倍首相の思い付き発言に振り回されるのはごめんだ。

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40代美女同士ががっぷり組んだ不倫の損害賠償裁判はあっさりと棄却される可能性が強そうだ

2019-06-20 | Weblog

 20日は東京・霞が関の東京地裁へ行き、午後2時からの616号法廷での神奈川県在住の40代の女性が夫の不倫相手に損害賠償請求した裁判を傍聴した。夫はラーメン店のチェーンを都心に出店したため、平成16年以ほとんど家に寄り付かなくなってしまい、家事や相次いで患った義父母の面倒を原告に任せきりにしている間に東京に別の家庭を築いていて、子供まで作っていたことが判明し、夫とは離婚する意思を固め、こんな事態に追い込んだ不倫相手にその責任を問いたい、という週刊誌の記者なら飛びつきそうな不倫裁判。40代の美女ががっぷり4つに組んだ応酬に続いて渦中の夫も証人に立つ展開となった。

 まず証言台に立った原告はいまは19歳と21歳になった子息を抱えて夫の留守を守って悪銭苦闘してきた日々を語った。子育てしながら夫のラーメン店の材料仕込みなどの後方部隊としての苦労、それに加えて夫の両親が相次いで脳梗塞、認知症になり、平成18、9年に亡くなったことを訴えた。その間、夫は週末には帰ってくるものの子供の面倒を見るくらいで、基本は仕事中心の生活を変えようとはしてくれなかった。そんなときに夫の弁護士から手紙を送られてきて、実は東京にいる隠れ妻との間に男の子がいて、その養育費をめぐって交渉が行われていることが書いてあり、ずっと別宅に一緒に住んでいたことが判明した。そんな夫とは離婚することを決めており、それでケリをつけようと思っているが、許せないのは相手の女性ということで、提訴に踏み切った、という。

 続いて証言台に立った被告は原告の夫とは平成17年4月以来の知り合いだ、と打ち明け、22年から六本木のクラブに通い始めた原告の夫に熱心に口説かれ、割りない仲となり、数か月後には子供ができた、という。それで仕事を辞め、高輪のマンションで同居することとなった。後日「実は結婚している」と打ち明けられたが、「妻とは離婚するつもりだ」といも言われ、それならと同居を続けることにした、ともいう。その後、相手が会社の秘書と浮気していることを知り、別れることを決意したが、子供のためには養育費を払ってもらうことを持ち出し、弁護士を通じて交渉を進めた、という。

 最後に原告の夫が証言台に立ち、被告に子供ができたとき、被告から「1人で産んで育てる」と言われたので、なにか助けにんることでもできればと思った、と語った。被告に経済的余裕があるからできるのだろう、とも言った。また、被告は理解ある女性だと思っていた、とも語った。また、原告側の弁護士からの質問で、東京・銀座には多くのお店で飲んでおり、被告と同じように付き合った女性はほかにも複数いる、とも答えた。ただ、被告には「妻と別れる」とは言ってない、とも言明し、被告と食い違いを見せたのが気になった。

 原告の夫は最後には「どうしてこんなことになっているのかわけがわからない」と言明していたのは疑問が残った。今回の事態を招いたのはどう見ても原告の夫の軽率な行いなのに、当の本人が少しも反省していないからで、証人尋問を終えて裁判長は原告、被告双方の弁護士をみて、いずれも和解に応ずる構えがなさそうな様子から、直ちに判決のスケジュールを伝えたところからして、原告の訴えはあっさりと棄却される可能性が強そうだ。

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渦中の栗を拾いにイランへ行った安倍首相はタンカー爆撃で改めて世界に米国追随外交を見せつけることとなった

2019-06-16 | Weblog

 安倍首相がイランを訪問して最高指導者ハメネイ師と会談したが、その直前に日本のタンカーを含む2隻がそのお膝元のホルムズ海峡で爆撃を受け、注目の米国・イラン関係はさらに炎上することとなった。渦中の跳んだ会談となってしまい、安部首相はすっかり「中東関係の初心者」と世界中の笑い者となってしまった。もともと大した実績もないのに米トランプ大統領の”ポチ”として使いっ走りしただけなのに思わぬ事態に追い込まれてしまったわけで、外交の安部の看板もすっかり色おちてしまった。そんな安部首相を韓国の朝鮮日報も「安倍首相、手ぶらで帰国」と皮肉まじりで伝えている。来週から日本で開かれるG20で各国首脳からどんな迎え方をされるのか。

 安倍首相の突然のイラン訪問は先月のトランプ大統領との日本での会談に発する。具体的にどんなやり取りがあったのかは明らかとなっていないが、トランプ大統領との親密さを内外にアピールしたい、との安倍首相の方から持ち掛けたのだろう。当事者間でにっちもさっちもいかなくなっている米イラン関係の間に日本が入っていって、米国とイランの間を取り持つようなことができるとしたら、それは素晴らしいことだが、そんなことができるだけの背景、もしくは実力が日本にあるのか、というと専門家でなくとも首をかしげることだろう。それをおだて屋でもあるトランプ大統領から言われてホイホイと乗せられてしまう安倍首相の頭の中は一体どうなっているのか、見てみたい気もする。

 それより所詮政治家なんて存在はなんでも首を突っ込みたがる輩であるから、なにかやろうとする時には周りの専門家に状況なり、ことの背景を聞きただしたうえで、実現性を確かめようとするだろう。直下の外務省にはその道のプロフェッショナルが複数人はいるはずだから、聞くことはできるはずである。それをせずに自らの判断だけでイランに乗り込むことを決めたとしたら、それだけで安倍首相は首相失格である。外務官僚のなかにはこれ以上安部首相の下でこき使われるのはごめん、という人が出始めているのかもしれない。官僚や周囲の取り巻きから敬遠されているのは安倍政の末路を示しているのだろう。少なくとも今後は外交の安倍の看板は外した方がいいだろう。

 そして外交のプロに意見を聞いたうえでイランに行くことを決めたとしたら、いかようにその決断に至ったのかを明らかにすべきだろう。外交のプロから何と説明を受けたのか、成否の可能性はどのくらい見込めたのか、で行くと決めた理由は何だったのかも明らかにすべきだろう。

 日本の首相としての訪問は41年ぶりのことで、ハネメイ師との会談は初めてのことという事実にまず飛びついたのだろう。とにかくパフォーマンスをすることだけが重要、との思いが優先したのだろう。あとはG20を前になにか諸外国首脳をうならせる材料になる、との夢でも頭をよぎったのだろう。安倍首相が小人であることの証左でもある。確かにハメネイ師は「核兵器を製造も、保有も使用もしない」」と言明した。しかし、そのあとで「トランプ大統領はメッセージを交換するに値しない」と会談を姜妃することもはっきりと言明したと外電は伝えている。当初、安倍首相は肝心なそのことを伝えていなかった。それだけでも安倍首相は外交マンとしても失格である。

 政府専用機でテヘランに乗り込み、早々に帰国したようだが、今回のイラン訪問にどれだけの国費を使ったのだろうか。財政事情が厳しい折り、そんなことにも目が向くのは仕方がないところだろう。今回の2隻のタンカー襲撃は一体どこが行ったことなのか、真相も明らかにしてもらいたい。米国は「イランの仕業」としているが、イスラエル、もしくは他の中東国が仕掛けた、との説もあるようだ。安部首相が訪れているのにイランがそんなことをするとは考えにくいし、改めて米国の追随外交だけをしている日本の醜態をこれ以上見せつけられたくもない。

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G20で安部首相は「Trumpochi(トランプ大統領のポチ)」であることが明らかとなり、世界に恥をさらすことになる

2019-06-01 | Weblog

 先月25日から28日までの米トランプ大統領の訪日は滅茶苦茶のスケジュールで、安部首相が先頭に立ってまさに国をあげての歓迎ぶりを示した4日間であった。テレビは毎日トランプ大統領と安部の満面の笑顔を画面いっぱいに写し出し、まさにトランプ狂騒曲を奏でたといった具合いであった。たまたま令和元年最初の国賓とあって、新天皇がお迎えする初めての国賓と触れ込みで、天皇主催の晩餐会に」主賓としてお招きしたのをはじめ、国技である大相撲の土俵際の升席に応接セットの椅子を持ち込んで観戦し、土俵上にスリッパ履きで上がり、優勝力士に米大統領杯を手渡すなど前代未聞のことまで行った。国をあげてのトランプ様々のおもてなしは作家の池澤夏樹氏がいう「Trumpabe(トランペイブ)」ならぬ「Trumpochi(トランプのポチ)」ではなかろうか。今月末の大阪でのG20で海外の首脳のいい笑いものとなるのは避けられないことだろう。

 今回、米トランプ大統領は安部首相と事前に約束していたかのように「8月には貿易交渉でおおいなる前進が図られるだろう」といかにも米国農産物に対する関税引き下げが行われるだろうとの観測をぶち上げた。トランプ大統領はお得意のツイッターでそのことを暴露し、そのなかで7月の参院選の後の8月に明らかにされる、と書き込み、そのなかで選挙を表す「election」の綴りを複数形のsをつけた「electionns」と表記し、安部首相がトランプ大統領に衆参同時選挙を行うことを事前に打ち明けたのではないか、との憶測まで呼んだ。トランプ大統領の言うこと、成すことに一切の反対はしない、唯々諾々と従って追随する安部首相らしいパーフォーマンスであると見る向きが多かった。

 そんな観測が出るのも無理からぬ統計が1日明らかとなった。2018年度の貿易統計がそれで、輸出額が156奥円で前年比2.9%増なのに対し、輸入額は91兆円で同11.2%も増えている。なかでも原油は409万リットルで前年比50.9%増、金額に梅雨して前年の2.25倍に、LNG(液化天然ガス)は282万トン前年の2倍強、金額でも1704奥円で同1.95倍となっている。石炭も同じような伸びを示している。原油とLNGは明らかに米国からの要請で増えたもので、対米貿易収支を是正するように求められたのは間違いない。このほかにも防衛省が購入する戦闘機を大幅に購入しているのも米トランプ大統領からの要請うお受けて、莫大な金額にのぼっているのは周知の事実である。

 安部首相はトランプ大統領とのこうしたやりとりについてはほとんど明らかにしていない。国会でm追及されても森友学園や加計学園問題についての国会での追求」の際に安部首相はAについて問われるとBと答え、B]について問われるとCと答える、といった具合いで、常に論点をずらし、関係のないことをダラダラとまくし立てることで、逃れてきた。そんな首相を菅官房長官はじめ官邸の輩があの手この手を使ってなんとかしのいできたのが実態である。

 安部首相が新天皇の就任のお言葉を述べる重大な場面で、官僚が書いたお祝いの言葉のなかに「云々」という言葉があるのを「でんでん」と発音し、「已む(やむ)」というべきところを「いむ」と全く反対の意味と聞こえるように発音してしまい、麻生財務相が首相のころ初歩的な読み間違いを連発し、顰蹙を買ったのと同じ間違いを犯した。麻生財務相のような大々的な取り上げ方をされなかったようで、ひそかに伝わっただけであったようであるが、基本的には麻生財務相とどっこいどっこいであることが改めて認識された。

 こんな安部首相がまもなく史上最長の総理大臣になる、というのだからなんとも不思議な現象である。安部首相頼みのアベノミクスも目標の」成長率2%は一体いつになったら達成されるのか、アベノミクスの失態は公然の事実である。そんな首相が取り仕切る今月末、大阪でのG20が安部首相の偽りの実像が明らかにされるのは間違いないところだろう。

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すっかり令和祝賀モードのなか、5月1日のメーデーのメの字もなかったこの十連休はどこかおかしい

2019-05-02 | Weblog

 4月30日の平成天皇の退位礼正殿の儀に続いて昨5月1日は新たに令和時代の幕開けで、旧皇太子が新たな天皇に即位する朝見の儀、および剣璽等承継の儀が皇居・宮殿「松の間」で執り行われ・テレビ・新聞各社は朝から晩まで連日、皇室がらみのニュース、」回顧、特集で埋め尽くされた。おかげで4月27日から5月6日まで十連休と我が国始まって以来のお休みで、国中あげて祝賀モードに入っていて、世界で何が起ころうが我関せず」といった感じで、なにか大事なことが抜けているのではないか、といった感が強い。毎年5月1日は労働者の祭典であるはずのメーデーのメの字は一切お目にかからず、日本中が十連休に酔いしれている。

 確かに新たな天皇が即位するのは国民としてお祝いしなければならないのだろうが、こんな事態を一体だれが仕組んだのだろうか、と思いいたると粛然とせざるを得ない。天皇の生前退位という史上あまり例をみないことが起きたことがこうした事態をもたらした発端ではあるが、だからといって十連休のさなかに天皇の」退位と新天皇の即位を行うというのはどう考えても行き過ぎではなかろうか。4月1日という新年度のスタートならやむを得ないが、5月にずれるのなら何も連休の間の4月30日と5月1日に退位と即位の日をもってくる必要はない。それが4月27、28日、もしくは5月3、4日であってもなんら差し支えない、現に前回の平成の時は昭和天皇が崩御したこともあって、確か1989年1月7日を以て元号が変わった。

 ということは明らかにいまの政治の中心にいる安部首相がなんらかの意図」を以てかくなるように仕組んだ、ということができるのではなかろうか。いまの政治情勢から見て、ここはひとつ国民の関心を自民公明の与党が劣勢に立っている政局から国民の目をそらすのに格好の話題が元号の転換ではないか、と判断したのだろう。いまの与党が置かれて状況は直前の衆院補選で沖縄、大阪の地方区選で敗退し、頼みの景気も中国市場の成長率ダウンや日米貿易摩擦で一向に上向かないし、外交も北方領土返還も遠くなっているし、安部政権の約束である北朝鮮の拉致家族生還も宙ぶらりんといった感じでまさに八方ふさがりである。だからここは新元号の令和、そして新天皇の即位でなにか新しい時代がやってくる空気を醸し出す絶好の機会とでもとらえたのだろう。

 テレビ、新聞の報道を見る限り、国中あげて令和時代の到来で、すっかり祝賀モードに入っており、安部首相の目論んだ通りの展開となっているようである。テレビのチャンネルをひねれば正に祝賀ムードに浸っている感じである。しかも十連休で国中がのんびりといった感じである。

 しかし、冷静にみると、日本で十連休を休めて楽しめる人は全体の30~40%に過ぎない、という。休めるのはリタイヤーしているシニアと学校が休みの子供たち、それに月給制で賃金が約束されている大企業のサラリーマンと官庁務めの公務員くらいで、あとは交代で休みを取らざるをえない外食・サービス業、中小企業の従業員で、パートタイマー人は休めば賃金がもらえないし、病院務めの看護婦さんたちは休みたくて休めないだろう。役所は休みでも教育委員会のもとにある図書館の従事者はほとんど休めない状況にある。

 安部首相は労働組合が行う5月1日のメーデーをつぶすのがならいだったのではなかろうか、と勘繰りたくなる。安部首相は引き続き米トランプ大統領を」国賓に迎え、新天皇との会見を仕組み、外交でも皇室カードを切るような計画を進めているが、自らの立場を固めるにに皇室を利用するようなことはやめてもらいたい。でなくても十連休の間にグローバルでも国内でもなにか大変重要なことが進んでいるのに日本だけがおいてきぼりにされているのではないか、と心配である。お祝いで受けれるのはせいぜい2日くらいで打ち止めにしてほしいものだ。

追記 十連休中の新聞はすべて夕刊はないものと思っていたが、4月30日と5月1日は朝日、日経とも夕刊が発行されており、昨5月2日もあるだろうと思っていたら、結局発行されなかった。事前の4月26日にはです「十連休明けの5月7日は休刊日です」との折込ちらしでの通知はあったが、こと夕刊についてはなんの通知もなかった。常識的には十連休」なのだから当然4月30日から5月2日までの3日間の夕刊」はお休みだろうと推測されたが、4月30日と5月1日の夕刊は発行され、5月2日の夕刊はお休みというイレギュラーな結果とあいなった。夕刊を発行した2日間は上皇陛下の退位と新天皇の即位となり、どこかで号外を発行したのでついでに夕刊も発行してしまえ、という”決断”が下されたのだろう。それならそれで事前に読者にお知らせすべきだ、と思うのだが、新聞社経営者の中途半端な決定は理解できない。

 

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出演者13人全員をオーディションで選んだチェーホフの演劇「かもめ」の力あふれる熱演ぶりに感動した

2019-04-13 | Weblog

 13日は東京・初台の新国立劇場でチェーホフの演劇「かもめ」を観賞した。開演直前に読んだ演出の鈴木裕美のインタビュー記事を読んで、出演者13人全員がオーディションで選ばれたと知って俄然興味が沸いてきた。我が国演劇界で出演者全員をオーディションで選んだのは初めてのこおとだそうで、今回は3396人もの応募があり、うち860人を6週間かけて面接し、選考した、という。だからか、幕開け早々から役者の力が入っているようで、客席にもその迫力がビンビンと伝わってきて、幕が下りるまでその迫力は続いていた。最初は一体だれが主役かわからず、どこにポイントを置いて見ればいいのかもわからないような感じであった。約3時間の熱演に圧倒されたこともあって、見終わって演劇とはこんなにも面白いものか、と実感させられた。

 「かもめ」は大女優アルカージナが愛人の小説家トリゴージンを連れてモスクワ郊外の保養地にある湖脇にある兄ソーリンの家にやってきて、アルカージナの息子の劇作家の卵のコンスタンティンが近くに住むニーナを主演させる劇をみんなに見せようとする場面から始まる。幕が開き、ニーナが長いセリフを語りだすが途中で詰まってしまったこともあり、コンスタンティンは劇を中断してしまう。それでもアルカージナはニーナには女優の素質があるほめたたえ、コンスタンティンがニーナに惚れていることを知ってか知らずか、こともあろうに小説家のトリゴージン紹介してしまう。それから2、3日滞在するうちにニーナはトリゴージンと小説の話をするうちにすっかりトリゴージンに魅惑され、2人は恋仲となってしまう。

 それを知ったコンスタンティンはトリゴージンを嫉妬し、遂には決闘を申し込み、トリゴージンに傷つけられてしまう。それを知ったアルカージナは田舎暮らしに嫌気がさしたこともあって、早々にモスクワへ帰ることを決め、荷造りを命じる。トリゴージンはニーナに別れを告げるが、女優の道をめざすべきだと唆す。一方、アルカージイはトリゴージンとの仲や息子のコンスタンティンとの愛も醒めかけるがそのことを持ち出してなんとか元通りの鞘に収まったところで、兄の家を後にする。

 それから数年後、再びアルカージイの家兄ソーリンの家で、いつもの医者のドールンらを迎えて談論していると、いまやここにねぐらを構えて作家として売り出し中のコンスタンティンも加わって話に花が咲く。一息ついたところで、ド^ルンがコンスタンティンにニーナの近況を尋ねる。すると、コンスタンティンは「ニーナはトリゴージンを追ってモスクワに行き、女優稼業を続けていたが、そのうちにトリゴージンと結婚することになった。そして、家庭を持ち、子供を産んだが、ほどなくして子供が死んでしまい、トリゴージンとも別れてしまった。それでも女優稼業を続けていて、地方巡業に出かけている、という。そうした地方公演のチケットを手に入れ、何回か見に行ったこともある。ただ、楽屋に顔を出す気にはなれなかった。家には出入り禁止のようなことになっていると聞いているが、最近は帰ってきている、ということも聞いている」とみんなが驚くようなことを打ち明けた。

 その日は風雨が強くてとても外にでられるような状況ではなかった。みんなが食堂に食事に行ったのを腹が空いてないとの理由で、居間にコンスタンティンが一人残ったところへ外から扉を叩く音がした。「誰か」と声をかけても反応がないので、コンスタンティンが庭へ出てみると、なんとニーナがびしょ濡れになっていた。早速、抱きかかえて居間に入れた。最初はきまり悪そうにしていたニーナは苦しい心情を話し出し、コンスタンティンもニーナがいなくなってからの寂しい心のうちを打ち明け、2人はよりを戻しそうな気配が漂ったが、最後にニーナは「まだトリゴージンを愛している」といいながら立ち去ってしまう。残されたコンスタンティンは書きかけてあった原稿を破り捨て、何やら決意を見せて、外へ飛び出して行った。それからしばらくして、アルカージナらが居間に戻ったところ、一発の銃声が轟きわたった。医者のドールンが確かめに行って、戻って「瓶が爆発した」とのたまったが、脇の従者に小声で「アルカージナをどこかに連れて行って、コンスタンティンが自殺した」と伝えたところで、幕となった。

 喜劇が最後は悲劇となった「かもめ」は最後の最後までアルカージナ役の朝海ひかるはじめ出演者13人全員が力を振り絞っての熱演で、見るものを感動させてくれた。久しぶりに楽しくて、面白い演劇であった。セリフのほとんでない役者まで含めて全員をオーディションで決める、というかつてない試みをした芸術監督の小川絵梨子はじめ関係者の努力に喝采である。

 

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日銀短観の大幅な景気ダウンを払拭したかのような官邸とテレビ各局タッグの新元号の狂騒ぶり

2019-04-04 | Weblog

 4月1日はエイプリルフールであるが、昨日はそれにふさわしく来月1日からの新元号が決まって、異常ともいえる大騒ぎとなった。新元号は「令和」とあいなったが、テレビをみていると、午前11時40分からの菅官房長官の発表からまるで国をあげての祝賀ムード一色といった感じで、そこまでめでたいことなのか、まだ1か月先のことではないか、と思われた。首相官邸とテレビ各局が仕組んだ演出で、日銀が同日発表した全国企業短期経済観測調査(短観)で大企業の景況感を示す業況判断指数(DI)は前期から7ポイント悪化するという大幅なダウンで、あらかじめこの発表がわかっていたので、それを払拭しようと官邸が新元号の狂騒を仕掛けたのではないかと思った。日本中が浮かれている間に景気の腰折れが忍び寄ってきているのではなかろうか。

 そもそも新元号の「令和」は日本文学者の中西進氏の発案と言われており、万葉集から採ったといわれている。確かに万葉集の巻5の815にある「天地のともに久しく言ひ継げとこの奇魂しかしけらしも」の和歌の説明に「初春の令(よ)き月、気淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は琲の後の香を薫らす」とあり、ここから令と和の字をとって「令和」と名付けたのだろう。しかし、令という字と和という字は離れた個所で」記述されており、ここから「令」と「和0」を結びつけることは考えにくい。どう考えても先に「令和」を考案し、あとから万葉集のこの」下りを探し出して、こじつけた、と考えるのが至当と思われる。日本文学、万葉集に詳しい中西進氏ならいかにも考えつきそうなことである。 

 だから、安部首相が記者会見で言っていた「我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然、」こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでういくべきだ」との言辞は全くのこじつけであることがはっきりと認識すべきである。安部首相は中西氏の説明を聞いて、勝手に自らの所信を述べているに過ぎない。むしろ、忍び寄る不景気の風をなんとか吹き飛ばしたい、との思いから出てきた所信とみるべきだろう。それでもって新時代を切り開くのは自分だとでも言いたいのだろう。そんなムードに乗せられる国民こそいい迷惑である。

 もともと「令」という字は命令の令の字が思い出され、まずはおふれ、おきての意が強い。次いでおしえ、きまりがきて、県令の長の意、その次に「令夫人」の意であるよき意がくる。だから、令というのは真っ先に命じるという強権的な意がきて、和である平和に上の権力でもって民を従わせるという意味にとらえ、外人ジャーナリストの間では必ずしも評判がよくない。

 それに「令」は発音では数字の0、もしくは幽霊の霊にも通じ、必ずしもいい響きではない。レイという発音はきりっとした音ではあるが、冷たい感じがする。社名にしろ、商品名にしろ、新たに名づける際には最初は違和感が伴うもので、使っていくうちに慣れてくるので、本当にいい名であるかは多少、時間が経ってみないと判断がつかない面がある。この点では少し時間が経ってから判断したいが、4月1日の狂騒ぶりだけは異常であったのは間違いないことだろう。

追記 4日になって外務省が「令和」の英語表記を「beautiful harmony」とすることが伝わってきた。安部首相が盛んに日本の美しさや梅の花の咲くようにとこじつけで説明しているのに忖度しての訳語となったのだろう。しかし、和をharmonyとするのはともかく、令をbeautifulとするのはしっくりこない。令夫人には良き夫人という意はあるが、美夫人というのは行き過ぎだろう。そのままreiwaでいいのではなかろうか。ちなみにチベット語では「令和」は希望の意だそうで、せいぜいそこまでだろう。新元号で内閣支持率は3~10ポイントくらい上昇したといわれているが、塚田一郎国土交通副大臣の失言で元に戻ることだろう。 

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いまだに」なくならない黒人差別問題に大きな一石を投じた米アカデミー賞作品賞受賞の映画「グリーンブック」

2019-03-27 | Weblog

 27日は東京・日比谷の東宝シネマズで米アカデミー賞作品賞などを受賞した映画「グリーンブック」を観賞した。これまで毎年、米アカデミー賞を受賞した映画を見てきたが、大概はどうしてこんな作品がアカデミー賞受賞映画なのか、とがっかりさせられることが多かったが、この「グリーンブック」は1960年代のアメリカでまだ黒人差別が激しい米国南部を黒人ピアニストが白人の運転手兼マネージャーを雇って演奏慮旅行する様子を面白おかしく綴る映画で、見ていて楽しいうえ、風刺も効いていて、最後にホロっとさせてくれる心温まる一品であった。映画とはこんなに面白いものだったと実感させてくれる最高の映画であった。

 「グリーンブック」はニューヨークの高級クラブで主人公のトニー・バレロンガが暴れる客を一撃のもとに殴り倒し、店の外に追い出してしまう場面から始まる。腕の立つトニーはさながら用心棒みたいな役回りで重要な役を務めている。ところが、店の改装で一時的に職にあぶれてしまうことになり、愛用の時計を質に入れてしまう羽目に陥る。それでも昔のやくざな仲間の誘いにも乗らずにたまたま見つけた黒人ピアニストの南部への演奏旅行への運転手の募集に応募することにした。行ってみると、どうやら運転手兼雑用係で、週給も100ドルと希望より低いので、面談の席を立ってきてしまう。しかし、あとでそのピアニストのドクター、ドナルド・シャーリーから電話が掛かってきて、奥さんに代われ、と言われ、「旦那を8週間借りるが差支えないか」と問われ、トニーの希望の週給125ドルでいい、という。

 で黒人ピアニストとの8週間の旅が始まることとなった。最初はお互いに喫煙をしろとか、言葉遣いが荒いとか、音楽の趣味が違うことなどで言い合いをしたりして、旅を続けていく。トニーは最初の演奏を聴いてその素晴らしさに驚き、徐々にドクターに興味を持ち出し、いろいろ話しかけるようになり、時にはドクターが食べたことがないケンタッキー・フライド・チキンを食べさせることにも成功する。ただ、米国南部地域の黒人差別の実態はトニーの予想を超えるもので、ある日、ドクターが寄った酒場で3人の白人男性に取り囲まれ、迫害を受けようとしているのをトニーが割って入り、暴力沙汰になろうとしたことがあった。この時は店主が銃を構えて外に出るように怒鳴って事なきを得た。また、ドクターが町のテイラーに入って紳士服を試着しようとしたら、黒人だからか断れる一幕もあった。こうしたことから、トニーはドクターがどうして南部に演奏旅行に出かけるのか、不思議に思うがドクターには直接聞けなかった。

 旅を続けるうちに夜、雨の高速道路で突然パトカーに止められ、追及を受けるうちに後部座席にドクターがいるのを見つけられ、「ここでは黒人の夜間外出は禁止だ」と難癖をつけられ、挙句の果てにトニーの出自がイタリアでsるkとに及ぶと「イタ公」とののしられ、トニーは警官をぶん殴ってしまい、2人とも留置場に収監されてしまった。ドクターは檻の中から「弁護士に連絡させてくれ」と要求し、電話をかけて、実情を訴えた。数分してなんと時の司法長官ロバート・ケネディから署長に電話がかかってきて、2人は無事に釈放された。トニーはドクターの力を改めて見直した。

 そして最後の演奏地へ開始の1時間前に会場のホテルに着いたら、愛想よく出迎えられたが、ドクターが着替えに通された場所は物置だったし、食事をしようとレストランに入ろうとしたら、「ノー」と言われた。それでも押し問答を重ねたが最後まで入場は認められず、ドクターは」キレて「じゃあー、今日の演奏はキャンセルだ」と言い出し、2人はホテルを後にする。で、飛び込んだ黒人ばかりのクラブで食事をするうちにステージにピアノがあるのを見つけ、バーテンの要請で即席の演奏を始めると会場は一気にパーティ会場と変わった。最高に盛り上がったシーンであった。

 気分よく店を出た2人はいまから帰ればクリスマスイブに間に合うと言って、ドライブするこおとなるが、生憎の雪に見舞われ、おまけにトニーは連日の疲れからすっかりへたりこんでしまった。でも最後にはドクターがハンドルを握り、なんとかニューヨークの家までただりつき、トニーはクリスマスパーティに間に合った。ドクターも誘ったが一人で家に帰ったが、思い直してトニーの家に訪れる。トニーの妻はドクターの来訪に驚くものの、ハグで出迎え、ドクターの耳元で「お手紙ありがとう」と囁く。夫のトニーから何通も愛情あふれる手紙をもらっていたが、武骨なトニーにそんなことが4できるわけがない、と見破っていたのだ。そんなおちがついたところで、「グリーンブック」は幕となる。

 タイトルのグリーンブックとは黒人差別の激しい1960年代に黒人が南部を旅行する際に黒人が泊まれる各地のホテルを案内したガイドブックのことで、いかに米国の黒人差別が激しかったかを物語る証拠のものでもある。これは実在した2人の物語で、当時のドクターがなぜわざわざ南部を演奏旅行したのかは黒人がこうしたことをすることで、いつか人種差別がなくなる日がくることを期待していたのではなかろうか。事実、それから公民権運動が起こり、表面上は黒人差別がなくなった。それでもいまだに全米各地で黒人に対する偏見、差別は常にどこかで見られ、米国ではいまだに大きな問題となっている。その意味でこの映画は大きな意義があるといえそうだ。

 

 

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