鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

100年後の大作家に会えた気分

2008-02-26 | Weblog
 過日、東京・千駄ヶ谷の佐藤美術館へ「諏訪敦絵画作品展」を見に行った。数週間前に読売新聞かに紹介されていたのを見てなにやら面白そうな感じがしたので、出かけた。ネットで会場の佐藤美術館を検索し、都営地下鉄大江戸線の国立競技場駅を降りて、長い駅のコンコースを通って地上へ出ると住宅地とオフィスの混在した人通りのないところに出た。こんなところに美術館がるのかしら、と思って歩いていくと、看板が出ていて、ビルの1階のエレベーターの前で折り畳み机の上で男性が入場券を販売していた。500円也を払って、5階へ行くと、意外とお客が結構いた。
 5階は工房みたいなところで、実際の展示会場は3、4階なので、外階段で降りていくと、写真かと思わせるような諏訪敦の作品が展示されていた。前衛舞踏家の大野一雄の老人にしては筋骨隆々の裸体画、「SLEEPERS」と題したベッドに横たわる裸婦、それに「どうせなにもみえない」と題した左目を石膏の破片でふさいだ少女、真正面から見る人を見つめる裸婦などの作品が圧倒的な迫力でもって迫ってくる。
 諏訪敦は武蔵野美術大学出身の若手画家で独特の画風には少なからずファンがいるようで、平日の昼間にも関わらず、まずまずの人が食い入るように作品を見つめ、その前にじっと佇んでいた。サブタイトルに複眼リアリストとついており、単に描いただけでなく裏に作者のメッセージが秘められている、ということなのだろう。
 会場備え付けのパンフレットによると、佐藤美術館は財団法人で、若い作家たちへの援助を旨として活動をしているようで、そのファンドはだれかの遺産か、篤志家の寄付で賄われているようだ。ネットで調べたところ、24日に終了した今回の諏訪敦展は幸い、過去最高の観客を動員した、という。知る人はすでに誌っているのだろうが、一般に有能な作家を知らしめるにはこうしたスポンサーは欠かせない。諏訪敦が50年後、100年後に大作家の仲間入りをしているかどうかは神のもぞ知ることではあろうが、その候補の一人であるのは確かで、そう思うと貴重な一時を過ごした感じになってきた。
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