鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

あのⅩ-JAPANを見かけなくなった裏で繰り広げられていた泥試合

2013-01-31 | Weblog
 30日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後2時からの708号法廷での損害賠償請求の民事事件を傍聴しようと、傍聴席に入ると見慣れない男女数人が陣取っていた。ちょっと崩れた風体の若者たちで、被告席を見るとサングラスをかけた年のわからない男性がいて、原告席にはやくざ姿の坊主頭の原告が突っ張ったように座って、証言席のケバい女性を眺めていて、一種異様な雰囲気が漂っていた。トウエンティ・フォー・ジャパンなる会社が出山利三を訴えている事件で、どうやらⅩーJAPANの出演料の支払いをめぐる案件のようだった。
 トウエンティ・フォー・ジャパンはⅩ-JAPANのプロダクションで、被告のトシと呼ばれたメンバーが原告の前経営者が暴力団関係者と付き合いがあったことから、距離を置くようになり、Ⅹ-JAPANとしての公演に加わらなくなったことにより損害を受けたと訴えたようだ。しかし、やりとりを聞いているううちにどちらが被害者か、加害者かわからなくなってきた。いまだに暴力団関係者と付き合いのある原告はそこを突かれると、途端に口が渋くなり、聞いている裁判長らもほとんど無表情で裁判の進行を促すだけで、淡々と証人尋問が進められた。
 被告尋問になって、トシ氏は平成20年3月から21年5月にかけて東京ドームを皮切りに香港、台湾などで行われたⅩ-JAPANの公演の出演料をギャラもろくにもらっていないうえ、公演の収支明細を再三にわたって明らかにするように要望したのに出してもらえなかった。途中で、暴力団との関係が明らかになって、要望するのを諦めた、と語った。また、平成22年1月に米ロサンゼルスで撮影されたパチンコSANKYOのプロモーションビデオの収録で原告に約5000万円の出演料が支払われた、と聞いているが、一銭もらっていない、とも語った。さらに、原告の事務所には住吉会の会長からの花が飾ってあったし、イベントのお客に明らかに暴力団と思われる人が招かれたりしていた、とも証言した。
 最後に代理人から促されて、トシ氏は「マネージャーというのはタレントが主演するのに陰でサポートしたり、世話をsうるのが本来の仕事であるのに、原告から舞台へ出るのにそうしたサポートを受けたり、身体面や健康についてのケアをしてもらったことは一切ない、精いっぱい歌を歌って疲れ切っても水を用意したり、足腰を労わったりするのはすべて自分でやってきた。原告はそうしたことを一切してくれなかった。50歳を前に身体がボロボロで、Ⅹ-JAPANの公演ももうないだろう」と心情を吐露していたのが注目された。
 最近Ⅹ-JAPANを見かけなくなったと思っていたら、裏でこんな泥試合が繰り広げられていた、というわけだ。裁判そのものは即刻却下されることとなるのは間違いないだろうが、トシ氏の最後の言を聞いていて、トシ氏は「トシオフィス」なる会社を設立しており、その会社のもとで芸能活動しているのだから、トウエンティ・フォー・ジャパンばかりだけでなく、自らがタレントである自身をケアする責任があり、言っていることの半分は自らに降りかかってくることでもある、と思った次第。どっちもどっちだ、とも思った次第。
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最高の席で念願の八代亜紀のジャズを聴けるなんて幸せな一日でした

2013-01-30 | Weblog
 29日は東京・後楽園の文京シビックセンターへ「題名のない音楽会」の番組公開収録に行った。八代亜紀がゲストとあって行くことにしたのだが、それ以外にもいつもなら200番台の受付番号が29番となっていたので、一体どんな席がもらえるのか、との期待もあった。やはり、いつもよりかなり多めの観客で、早くから会場入り口周辺は混んでいた。交換いてもらったチケットは19列21番と舞台と平行の中央通路のすぐ後ろ、しかもその中央といままでにない特等席で、まさに期待通りだった。
 前半はバイオリニストの宮本笑里とジャズ作曲家の狭間美帆げゲストで、「アヴェ・マリア」や「ジャーニー・ツウ・ジャーニー」などを聴かせてくれた。狭間美帆はかつて題名のない音楽会に山下洋輔が出演した時に国立音大の学生でジャズ・アレンジャーとして出演し、堂々と振る舞っていたのを覚えているが、そのまま米国留学して日本でも珍しいジャズ作曲家として一家を成すまでになっているのに驚いた。一方の宮本笑里はこの収録で何回もお目にかかっているが、昨年結婚したとのことだったが、マスコミで一切騒がれなかったところを見るとこうしたミュージシャンはプライベートでは一般人と全く同じなのだ、と妙な感心をした。逆に言えば、芸能人の世界だけが特殊なのだろう。
 休憩となってロビーに行くと、最近はコーヒーなど飲み物の販売はないのにシビックセンター1階のエクセルシオールカフェが出店を構えていて、大勢の人が列を成していた。そういえば、いつものこの会場での「題名のない音楽会」では1階の真ん中より上の両サイドは空いているのに、今日はぎっしり満員で、八代亜紀人気を思わせた。それでも休憩時のロビーのCD販売では八代亜紀のCDは置いてなかった。街のCD販売店で購入して下さい、ということなのだろう、と思った。
 さて、後半の八代亜紀は黒いドレスに大きな胸飾りをつけて、ジャズシンガーとして颯爽と登場した八代亜紀はまず憧れのジュリー・ロンドンの持ち歌の「クライ・ミー・ア・リヴァー」を歌った。2000人も入る会場ではバンドの狭間美帆mユニットの音にかき消されて、さすがの八代亜紀のだみ声もかすんでしまう。やはりジャズはせいぜい100人くらいのクラブで聴いた方がいいのかな、と思わせた。
 しかし、次の松永貴志のピアノに乗せた「サマータイム」ではそんなことは少しも感じさせない音色を会場いっぱいに響き渡せて、観客を魅了させてくれた。さらに狭間美帆編曲による演歌の「おんな港町」と「雨の慕情」のジャズバージョンは八代亜紀ならではの歌いっぷりで、今度はうっとりとさせてくれた。そして、最後は再びジュリー・ロンドンの「スウエイ」で締めてくれた。歌い終わって、しばらく拍手が鳴りやまず、他のゲストらと引っ込んだ後に、司会の佐渡裕とカーテンコールに現れたのにはびっくりした。入場料を払ったコンサートではないので、アンコールはないが、カーテンコールだけがあって、さすが八代亜紀といった感じだった。
 演奏の合い間に佐渡裕らと話をして楽しませてくれたが、八代亜紀は明るくて、冗談もうまくて聞いていて、楽しくなってくる。テレビではよく見ているが、本物の八代亜紀を見たのはこれが初めてで、まさに念願がかなった思いだった。見やすくて、音の伝わりもいい最高の席で、八代亜紀のジャズが聴けた今日の題名のない音楽会は忘れられないものとなった。
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「家族に乾杯」で、チラッと垣間見えた笑福亭鶴瓶の嫌みな部分

2013-01-29 | Weblog
 28日夜、NHKの笑福亭鶴瓶の「家族に乾杯」にチャンネルが合い、珍しくグルメの旅となっていたので最後まで引きずられて見てしまった。ゲストの唐沢寿明がラーメン好きで、栃木の佐野を訪れることとなり、佐野市内の公園で通りがかったおじさんなど4人にラーメンの推奨店を聞き取り調査し、「おやじの店3号店」をめざすこととなった。なんでも佐野市内には200ものラーメン店があり、唐沢寿明はネットで旨そうな店を調べてきていたが、地元の人らが推す「おやじの店3号店」に行くこととなった。
 あたりをつけて近くの人に教えてもらった店は「おやじの店」ではあっても2号店で、その店の経営者の弟さんがやっている店が3号店ということだった。ようやくたどり着いて、行くと行列ができているわけでもなく、店内にままのお客が入っている。カメラをクルーを引き連れ、店内に入っていくと、ブスッとした店主が不機嫌そうにカメラはダメというので、カメラクルーは一旦店の外に出ることとなる。残った鶴瓶と唐沢寿明が店内で目当てのラーメンを食べることとなる。途中でラーメンの入った丼を持って、鶴瓶が店の外に出てきて、「旨い」を連発する。地元の人が推奨するだけのことはあるようだった。
 で、2人はさっきの2号店なるものへ戻り、再度ラーメンを注文し、食べたところ、こちらのラーメンも悪くはない。それにしても兄弟がなぜ別々のラーメン店をやっているのか、と疑問を抱いたまま、店を出よう、とすると、経営者が「おばあさんがいるから会っていってくれ」と言われ、案内された奥の間に、寝たきりの老婆がベッドに横たわっていた。聞けば、兄弟のおばあさんで、もともとラーメン店を始めた兄弟の父母を手伝ってラーメンを作っていた創業者だ、という。今年92歳になる酉年のトリさんは寝たきりでベッドに横たわったまま、鶴瓶と唐沢寿明が訪れてきてくれたことを喜んでいた。
 ここでやっと家族に乾杯らしい趣きが出てきたが、鶴瓶が盛んに「生きていてよかっただろう」とトリさんに話しかけ、2人で抱き合って喜んでいるようなのを見ていて、待てよ、と思った。トリさん自身がそう言うのならともかく、鶴瓶からそう仕向けるのはいかにもおかしい。確かに鶴瓶は芸能人で有名人で、一般の人が会うのは難しいかもしれないが、自らそういう姿勢をとるのはおこがましいというものだろう。芸能人はいくら有名になってもたかが芸能人でござい、という謙虚な姿勢が大事なのではないだろうか。俺は芸能人だ、偉いんだぞなどというところが見えたら、誰も見向きもしてくれなくなることだろう。芸達者な鶴瓶なら世の中のことをわかっていると思っていたのに、ちらっと驕り高ぶったところが垣間見えてしまったのが嫌みだった。NHKのスタッフも編集段階でそこまで配慮せずに流してしまったのだろう。
 この番組は鶴瓶のキャラクターで持っているようなところがあり、思わぬハプニングを期待しながら、最初から最後まで鶴瓶のペースで作っているので、鶴瓶の嫌なところももろに出てしまうのだろう。今回はゲストの唐沢寿明が鶴瓶に負けず劣らず舞台回しを務めていたのが光っていた。先日もNHKの家電メーカーのリストラを扱った番組に主演していて、若いと思っていたのにもう50歳であるのに驚いたが、それなりに成長しているところをうかがわせてくれたのももうひとつの収穫だった。
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自称「花折り人」の楽しみが意外なことに、人間万事「塞翁が馬」か

2013-01-28 | Weblog
 このところ、毎朝起きるとジョッギングをしている。以前は土日の朝だけジョギングをしていたが、毎日が日曜日となったので、特にすることがない限り毎日の日課となってきた。曜日ごとに走るコースを変えているが、いずれもせいぜい3キロくらいのもので、マラソンというより、ゆうくりとしたジョギングである。時々遭う元気のいいおばあさんにも軽く抜かれてしまうし、足の速いサラリーマンにも追い抜かれてしまう。昔からマイペースで走ることを持論としているので、遅れようが、抜かれようが一切気にしない。
 健康のためではあるが、ちょっとした楽しみもある。それはコースの途中で公園の生垣などに咲いている花の蕾をもぎ取ってきて、家に帰って花瓶に挿しておくと、2、3日して満開となる。いまの季節はさざんかが花盛りで、道路脇とか、マンションの囲いなどに群生しているなかから、蕾を選り分けて幹を5、6センチ残して手折る。当初はトレーニングのポケットに入れていたが、そうすると肘のところやポケットが真っ黒になって、かみさんが嫌な顔をするので、最近は紙袋を持参して、その中に入れるようにしている。さざんかの盛りが過ぎるとと、椿が満開となってくる。さすがに桜を手折ることはしないが、道端に咲いている黄菊コスモスや雑草のような花もあって、年中楽しめる。自称「花折り人」の心境である。
 そうしたさなか、先日、風呂に入っていたら、突然、右の人指し指の爪と皮膚の間が痛むような感じがした。特に熱いお湯がしみるようである。放っておいても軽い痛みがする。寒い冬にはアカギレがよくできることがあるが、そんなものの一種かな、とも思い、1、2日オロナインを塗ってバンドエイドで保護していたら、治った。そして数日したら、今度は右の中指がまた同じ症状を呈してきたので、同じような処置を施したら、これも1、2日でほぼ治った。人差し指から中指とまるで伝染しているような感じで、次は薬指かなと思った。
 いままでにないことだったので、かみさんにふともらしたら、かみさんは即座に「花を取ってくる時に汚いところに触わるので、それで黴菌が入ったのでしょう」といともなげに言った。なるほどいまの生活圏を振り返ってみても、黴菌が入り込むようなことはまず考えられない。あるとすれば、毎朝行っているジョギングの途中での花折りの行為の時である。さざんかの花などをもぐ時に右手で茂みに手を入れて、幹のあたりを触り、手折る。その時に黴菌があれば、指の爪と皮膚の間に飛んでくることは十分に考えられる。かみさんによると、「年とると抵抗力がなくなるので、以前ならならなかったことが起こり得る」とのことで、なるほどと思った。
 自称「花折り人」も意外な落とし穴があったわけで、人間万事「塞翁が馬」ということなのだろうか。何事もほどほどにしなさい、ということなのだろうか。
 
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国民の生活から生み出された税金を使って、目に行き届いた制度設計をしてほしい

2013-01-27 | Weblog
 全国各地で教員、警察官など公務員の早期退職が問題となっている。国が公務員の退職金を切り下げるため、退職金制度を2月1日から改定することにしたため、今月中に退職すれば退職金が従前通りにもらえる、という考え方によってはせこい考えからのようで、特に教員の場合、受験、卒業式を控えるこの時期に退職してしまうことに対する職業意識の欠如が問題とされているわけだ。退職金制度をこの時期に改定すること自体おかしいのだが、そもそも自己都合退職なのに満額の退職金を支給する制度もおかしい。
 公務員の退職金は民間企業に比べ高すぎるとのことから、退職金の金額が切り下げられることになり、この2月から新しい退職金制度が実施されることになっている。平均で200万円くらい切り下げられるが、1月末で退職した場合は従前の退職金を手にすることができ、3月まで務めて2月と3月の給与をもらってもトータルでは多くの金額を手にすることができる、という。警察官はともかく、教員の場合は年度末は年間の行事が集中して、特に忙しい時期であり、これを前に退職するということは敵前逃亡に等しいこととなる。クラスの担任などを務めている場合は生徒、父兄から非難を浴びることとなりかねない。
 それでも市民として1円でも多くの生涯賃金を手にして老後の生活に備えたい、との気持ちは代えがたいものがある、ということなのだろう。それだけいまの生活が厳しいという現実なのかもしれない。
 公務員の場合、仕事のサイクルが年度ごとに決められているので、退職金の改定そのものも年度の区切りのいい3月末か、4月1日から始まるということにしていれば、何の問題も発生しなかったのではないだろうか。それに民間企業の場合は自己都合退職の場合は規定の退職金からなにがしか差し引かれるような制度となっている。公務員も同じような規定にすれば、こんな問題は発生しなかったのではなかろうか。
 すでに2月から新しい退職金制度が実施されることとなっているのだから、いまさら変更は難しいことだろう。学校ごとに不足する担任についてはなんらかの形で手当てするしかにだろうが、規定を超える退職金の支払いについては行わざるを得ないだろう。そのツケは税金が不当に使われたこととして、回り回って広く国民が負担せざるを得ないこととなる。
 総じて、こうした各種の制度設計にあたって、国民の乏しい生活のなかから生み出された税金を使っているのだ、という意識が薄いというのが政府、ならびに中央の官僚の特徴である。自分たち自身が仕事をして得ている報酬そのものから仕事をした結果、使われるお金がすべて国民から徴収した税金である、という意識を常に持ってもらい、その運用にはかゆいところまで目の行き届いた設計をしてもらいたいものだ。
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最初から最後まで隠密裡にことを進めようとする日揮のスタンスはおかしい

2013-01-26 | Weblog
 アルジェリアの日揮社員の一行を乗せた政府専用機が25日早朝、羽田空港に到着した。日揮、および政府関係者が花を持って厳粛に出迎えた。このあと日揮は横浜本社で川名浩一社長らが記者会見し、同じころ安倍首相も対策本部で報告を受け、両者とも「痛恨の極み」と哀悼の意を表した。政府はこの段階で亡くなった10人の氏名を公表したが、すでにマスコミには名前が知れわたっており、何をいまさらもったいぶった公表をするのか、と訝しい感じがした。さらに生存者7人のうち誰一人として登場せず、事件の様子を日揮の広報担当者を通じての報告で済ませたのは解せないことである。
 川名社長はアルジェリアでの武装勢力乱入事件で日本人7人と外国人54人が生存し、10人の日本人と6人の外国人が死亡し、いまだに1人の安否が不明である、と報告した。天然ガス開発施設で働く人は数百人いると思われるが、日揮が受け持っている業務に携わっている関係者が78人いたことになるが、日常業務の運営なり、安全確保のうえでどういう体制となっていたのかがさっぱりわからない。施設の警備は厳重で、アルジェリア軍が警備にあたり、ミリタリーゾーンとなっていた、という。そのなかで日揮がいかなる組織、体制のもとで運営にあたっていたのかが、この段階に至っても明確にされていないのはおかしなことだ。
 亡くなった10人の日本人のうち5人が日揮の社員で、残り5人が派遣会社からの派遣、もしくは短期の契約社員であったようだ。契約の内容もそれぞれ違うようで、今後の補償金の支払いについても微妙な問題をはらんでいるようで、最後の最後まで名前を公表しなかった理由もどうもそこにありそうだ。
 25日付けの毎日新聞のコラム「発信箱」で論説室の福本容子委員が「日本の報道は何人だけ」と揶揄していたが、これ以外にも日本のマスコミの報道の仕方は海外では異様に映ることがるようだ。海外でこうした事件があると日本のマスコミは事件そのものの全容なり、背景より、専ら日本人の死者は何人とか、日本人の動向なかりを追いかける。今回はこれに日本政府と日揮が輪をかけたように匿名報道に徹したことが異様な感じを与えたようだ。
 それと生存して帰還した7人のいずれもが一切新聞、テレビなどマスコミの前に姿を現さなかったのは解せないことである。日揮の広報担当者が生存者の手記を読みあげていたが、なぜ本人自身が出てこないのだろうか。刑事事件で裁判に影響があるから発言しない、というのなら、わかるが、無事に帰還したのだからなんらかの形で肉声を伝えるべきだと思う。また、アルジェリアに戻って仕事を続けるので、正体をさらすと再び危険にさらされる惧れがある、とでもいうのだろうか。国民の税金で運用している政府専用機を使って帰国しているのだから、少なくとも国民の前で事件の実態を報告する義務がある、と思うがいかがなものだろうか。今回の事件を精査して、今後の教訓なり、対応を考えたい、としているのだから、ここは何が起きたのか、リスクに対する備えは万全だったのかなどを総ざらいして、国民の前にすべてを公開すべきではないだろうか。そうしないと、社員の理解すら得られないことになりはしないだろうか。国際社会にテロというのがいかに悪辣で、悲惨なものかを訴えるべきで、そのためには具体的に起きたことを明らかにすべきだろう。
 今回のアルジェリア人質事件は発生して以来、隠密裡にことを進めよう、とする日揮のスタンスが気になっていたが、こうして最悪の結果が出たいまの段階になってもそのスタンスが変わらないのは不自然なことである。エンジニアリング会社というのが世間的には一体どんなことをしているのかわかりにくい業態であるが、こんなことでは今後、日揮が進めようとする海外でのプロジェクトに協力しようと思う企業なり、人はでなくなることだろう。海外の企業でも同じことであろう、と思う
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懐の深い米国の外交の思想、精神を日本政府も見習うべきではないか

2013-01-25 | Weblog
 国際政治学者の藤原帰一東大教授が先日、朝日新聞ノコラム「時事小言」に米国マンスフィールド財団によるマンスフィールド・フェローシップなるものを紹介していた。米国の公務員が日本の政府で1年働くというもので、給与は米国政府が支出するが、勤めている機関が出向中の給与を負担しない場合はマンスフィールド財団が支給する。日本政府での配属は本人の希望と日本側部局の意思によって決まる。米国連邦政府に2年以上続けて働いている米国民ならでれでも応募っできる、というものだ。
 日本語がまるでダメな人でも、日本の公務員と同様に議論に加わって書類を作成する能力をたった1年で身につけなければならない。このためにフェローに選ばれた最初の1年は徹底した日本語の語学研修を受けなければならない。米国での研修を終えた後は日本でホームステイを経験したのち、希望する日本官庁の配属先で、日本の公務員と交って仕事をsうる。インターンみたいなものというが、なかには50歳を超える人もいる、という。
 この制度は1990年代初め、日本経済の急成長とともに日米間系は規制緩和を求める米国政府の要求もあって緊張関係にあった。米国政府のなかに日本についての知識が乏しいと考えたマンスフィールド元駐日大使は時のモンデール大使などの賛同を得て、米国の公務員に日本語の特訓を与え、日本政府内で働かせる、という計画を立てた。以来、毎年4、5人の日本の実情をつぶさに知る米国人官僚を輩出してきた。彼らが日米の外交関係の表舞台、もしくはその裏で多大な貢献をしてきたのは間違いないところだ、という。たとえば、危機管理の専門家、レオ・ボスナー氏はこのフェローシップを終えたのちも日本関係のい職務を続け、在日中に東日本大震災を経験すると救援活動に関わり、その後も日本側関係者と協力しながら災害復旧活動を続けている、という。ボスナー氏以外にも米国財務省や国務省でマンスフィールド・フェローは数多くいるといわれており、陰になり、日向になりかれらが良好な日米関係の力になっていることは疑いない。
 日米間のこうしたものとしては1946年に当時の米上院議員、Jウイリアム・フルブライト氏が「世界各国の相互理解を深める」目的ではじめられたフルブライト奨学生制度があり、これまでの60年間に日本から6300人もの奨学生が米国での留学を行ってきている。引用した藤原帰一教授もその一人であり、マンスフィールド・フェローシップは逆に米国から日本へ学びにくるものであるが、発想は同じものである。大国のアメリカにはキリスト教の思想から来るのか、ともに世界で生きる人々を理解し、ともに生きていこう、との考えがあるようで、懐の深い思いを感じさせてくれる。しかも相手は第2次世界大戦で戦いを挑んできた日本である。日本の外交もこんな思想、精神をもって行うことがいま求められているのではないか、と考えさせられる。
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日本ハム首脳陣よ、大谷翔平選手の2刀流挑戦はやめるべきだ

2013-01-24 | Weblog
 日本ハム入りした大谷翔平選手の2刀流挑戦が話題となっている。米大リーグを志望していたのに一転して日本ハム入りしたことで、日本ハムの英断は絶賛されるものだが、その裏で投手と打者との2刀流挑戦が約束されていたとしたら、日本ハム首脳陣に対する評価を取り下げたい気分である。マスコミ報道によれば、本人は打者として大成することを希望していると伝えられているようだが、そうした本人の希望を受け入れながら、育てていくのが球団の使命なのに、このままではみずみす有望な選手の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。
 大谷選手が投手としてだけでなく、打者としても高校野球界ではナンバーワンの選手であることは疑いのない事実であろう。ただ、打者として一流とはいっても相手は高校野球レベルでの話である。その点、投手として時速160キロ級の球を投げた、ということはプロ野球の選手でも簡単には行っていないことである。投手として一番の生命はまず速い球を投げることであり、時速160キロを投げたということで、米大リーグのスカウトが目の色を変えて獲得に乗り出したのである。
 大谷選手本人は打者としてなら、毎試合出られるし、好きなのかもしれない。ただ、そうした希望を受け入れながら、本人の天分を指導していくのが栗山英樹監督はじめ日本ハム首脳陣の役割りではなかろうか。日本ハム以外のチームが大谷選手の米大リーグ志望を聞いて、獲得を断念したなかで、敢然とドラフト1位指名した日本ハムの英断は素晴らしかった。プロ野球の経営とはかくあるべきだ、と全国に知らしめた点で称えられるべきである、と思う。ただ、獲得後に栗山監督自らが説得に乗り出した時点で具体的にどんな話が取り交わされたのか、詳細はわからないが、打者と投手の2刀流で育てる、と約束されていたとしたら、お角違いだろう。
 確かに過去には川上哲治、榎本喜八選手などプロ野球界には打者、投手として活躍した選手はいるし、新人では1968年に近鉄に入団した永淵洋三選手がいる。新人で2刀流に挑戦すれば45年ぶりとなる、という。しかし、当時といまではプロ野球の技術は格段に進んでいる。投手としてダメなら打者で、と簡単に方向転換できるような時代でもない。最初から打者か、投手のどちらかに絞っていかないとどちらもダメになってしまうことは目に見えている。
 きわもの的に対戦相手の目をくらますために一時的に選手を2刀流で起用するような戦術はあっても悪くないと思うが、それは少なくともドラフト1位で獲得する大谷選手のような選手に対してではないだろう。ここは日本ハム首脳陣に大谷翔平選手には時速160キロの球速を生かすような起用をぜひともお願いしたいものだ。
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被告人尋問で尋問したのは女性の裁判員ばかりで、男性陣は1人も発言しなかった

2013-01-23 | Weblog
 22日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後2時から810号法廷で先週から行われていた裁判員裁判、傷害致死事件の判決があった。この裁判は昨年3月に都内のヤマダ電機の店内で言いがかりをつけられ、路地に引っ張り込まれ、暴行を受けた被告が逆襲して跳び蹴りなどを加え、死に至らしめた事件で、検察側は過剰な暴行があったとして、懲役7年を求刑したのに対し、弁護側は正当防衛を主張し、執行猶予とするよう求め、どうなるか注目されていた。判決は過剰防衛が成立する、として懲役3年6カ月の実刑を言い渡す穏当な結果となった。
 この裁判の最大の注目点は被告が身長163センチであるが、空手初段であることを被害者が見ぬけなくて、ヤマダ電機の店頭で些細なことから言いがかりをつけ、店裏の路地に引っ張り込み、暴行を加えたところ、逆に飛び蹴りを浴びて転倒してしまい、さらに胸部を踏みつけられるなどして心臓破裂を引き起こし、死亡するに至ったことにある。最初の飛び蹴りで心臓が破裂するに至ったか、第2の攻撃で胸部が圧迫され心臓破裂を起こしたか、で正当防衛が成り立つかどうかが争われた。
 検察側の決め手となったのは第2の暴行を目撃した通行人の証言と、検視官の証言で、それらの証言により最初の攻撃だけでは心臓破裂には至らないことが明らかとなり、第2の攻撃を通行人に目撃されたことが過剰防衛である、との結論を導き出すこととなった。弁護側は最初の飛び蹴りで心臓破裂を引き起こした、と主張したが、単に後ろへひっくり返るだけでは心臓破裂するには至らなかったということで、死因は第2の攻撃によるものと判断された。
 ただ、被害者にも攻撃を受けるだけのきっかけを作り、被告の我慢の限界を超えさせた非があるうえ、被告は前科もなく、反省の意を示しているとして、刑期の長さを決めるにあたって情状を酌量して、検察の求刑より軽いものとした。
 裁判では被害者の妻が検察官の論告のあとに弁護士を通じて、被告に重い刑を科し、間違っても執行猶予とすることのないように求める意見陳述があったのが異例であった。裁判員裁判では厳しい判決となるケースが多いが、弁護側の弁論を半分聞いたような形で、検察側の求刑の刑期の半分の実刑判決となったようだ。
 ひとつ気になったのは被告人尋問の最後で、裁判員の尋問が行われた際に裁判員が男女3人づつの6人いて、尋問したのはいずれも女性ばかり3人だったことだった。結構年配のひともいた男性陣の1人も尋問しなかったのは同じ男性として不甲斐ない。何日も裁判に立ち会ってきて、何も聞くようなことがないとは考えられないし、傍聴席で聞いていても聞いてみたいようなことは結構あるのにと思った。本当に最近の男性陣はだらしがない。街を歩いていても元気がいいのはみんな女性だし、つくづく女性の時代が来ていると思った。
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喪中のなかで新年の様々な対応に感動させられた

2013-01-22 | Weblog
 お年玉年賀ハガキの抽選が発表されたが、今年はかろうじて4等の切手シートが1枚だけ当たった。21日に早速、最寄りの郵便局に行き、当選した年賀ハガキを職員に差し出したところ、職員から「当選ですね。おめでとうございます」と言われ、切手シートを渡してくれた。一番下の4等に当選した程度で、職員から「おめでとうございます」と言われ、若干面はゆい気分がしたが、おそらく初めての交換に来たお客だったのかもしれない、と思った。日本全国で年賀ハガキは40億枚くらい販売されているので、4等の切手シートが当たるのは8000万枚あり、珍しくもなんともない。
 今年の年賀状は昨年1月に義母が亡くなっているので、「喪中につき年賀状を失礼させていただきます」との挨拶状を昨年末に発送した。これまでにも1、2回そうしたことがあったが、今回は受け取った人から早々に改めて「お悔み申し上げます」との丁寧なハガキをいただいたのには驚いた。これまでこうした年賀状欠礼のハガキをもらった場合は、こちらから年賀状はなんの手紙も出さないようにしていたので、こんな親切な対応の仕方があるものなのか、と勉強せせてもらった。本人も周りも年取って、それだけ年期が入ってきた、ということなのか、とも思った。
 だから、今年の年賀状は一切来ないだろう、と思っていたら、元旦からパラパラ年賀状が配達されてきた。喪中のお知らせが届いていないはずはないので、もらっても忘れてしまったのか、そうしたことを気にしないのか、喪中のお知らせのルールが必ずしも徹底していないようだった。なかには七草が過ぎてから寒中見舞いとして便りをくれる人もいて、なるほどこういう人もいるのか、と感心させられた。しかも寒中見舞いだけの印刷をしたうえでの近況を交えた内容を書き加えてくれていて、まさに文書の達人と思わせるような人もいて、本当に驚かされた。
 これまで、年賀状は機械的に印刷して、宛名だけをペン書きし、一言だけ書き添えて出していたので、今年はいろいろな対応があるものだ、と考えさせてくれた。一枚の便りではあるが、心のこもったものをもらうと本当に心が癒されるものである。これからはゆとりができたのだから、一枚一枚丁寧に書いていくべきだ、と思った次第。喪中での年賀状のやり取りにも厳としたルールなどあるわけがなく、いいと思った方法で対処していくのがいい、とつくづく思った。単にお酒を飲み交わすだけがお付き合いではないし、わずか一枚の手紙のやりとりにも伝えるべきメッセージなり、心の通い合いがあるものだ、とも思った。
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