鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

贔屓の東海大相模高校の圧勝に気分よく観戦できたが、もうひとつの楽しみがなくなって淋しい

2014-07-31 | Weblog
 30日は横浜球場での高校野球神奈川大会の決勝戦、東海大相模対向上戦の応援に出かけた。昨年は確か準決勝戦が満員で入場できなかったので、今回は早めに、といっても1時間前に球場に着くと難なく3塁側の東海大相模の応援席の後ろに席を取ることができた。今年は東海大相模高校は宿敵の横浜高校を昨日の準決勝で打ち破っており、余勢を駆って決勝も突破といきたいところで、応援も力が入るというものだ。試合開始30分前に始まった両軍のシートノックを見ていたら、向上は野手がポロポロと球をこぼしてばかりで、一方の東海大相模は率なくこなし、シートノックを見る限り、東海大相模の圧勝とうかがえた。
 で、午後1時のプレイボールで、いきなり先攻の東海大相模は2番の杉崎選手のライトへのホームランで1点を先取した。その裏の向上は足をからめた攻撃で2死ランナー2、3塁で得点機を迎えたが、ここは東海大相模の吉田投手が5番打者を4三振に打ち取り、無事に防いだ。その後は9人の打者のうち7人を左でそろえた向上をバッタバッタと三振に打ち取る快投で、打線もその好投に応え、4回には1点、6回には2点ホームランに吉田投手のタイムリーも出て4点を加え、その後も攻撃の手を緩めず、終わってみれば19安打13点の猛攻で、わずか3安打20三振の向上を圧倒する大楽勝となった。
 東海大相模の高校野球は毎年のようにここ横浜球場へ応援に駆けつけているが、こんなに安心して、試合を眺められてのは初めてのことだ。東海大相模が甲子園夏の大会に出場するのは4年ぶり9回目ということだが、4年前の決勝戦を応援に来ていなかったので、とんと記憶にないが、今回ほど楽な戦いではなかったことだろう。打つ手がこれほど見事に決まった試合を見るのは本当に気持ちがいい。途中で、こんなに投打に圧倒して試合を進めていて、さぞかし相手チームに応援はやりにくいことだろう、と同情したくなるほどだった。
 それでも東海大相模の門馬敬治監督は試合が決まった瞬間は目に手をやるほど感激していて、司会後のインタビューでも声をふるわせていて、甲子園夏の大会に勝つということは何回成し遂げても感激もひとしおというものなのだろう、と思わせられた。
 表彰式も見て、午後4時ころ、横浜球場に外へ出たら、主催者の朝日新聞が号外を配っていたので、1部もらって見てみて、東海大相模のメンバー9人にうちなんと6人までが2年生であったことを発見して驚いた。昨年秋の大会では準決勝で向上に負けているのに今回、その向上に圧勝したのは今回ほぼ9回を投げ切った吉田投手はじめ新戦力の2年生が成長したことによるところが大きいようだ。高校野球界の神奈川県では横浜高校が圧倒的な存在であるが、新鮮な2年生ではそれを身体で感じることもなく、無心で戦えたことが栄冠を勝ち取ることとなったのだろう。いまの2年生は来年の夏にも活躍できるということで、しばらくは東海大相模高校の天下ということとなることだろう。永年東海大相模を応援してきた者としてはこれほどうれしいことはない。
 
 試合を見終わって、JR関内駅の桜木町寄りのところにある伊勢佐木町をぶらついて、いつも立ち寄る古本屋を探したが、いくら探しても見つからなかった。毎年、こうして高校野球観戦に横浜球場に来るのもひとつには伊勢佐木町の古本屋に寄る楽しみもあった。その楽しみをそがれたいまはとってもさびしいものを感じている。
 先日もJR中野駅北口をぶらついて古本屋を探したが、1軒も見つからなかった。考えてみれば、いまはインターネットで本の売買が行われており、わずかの売り上げしかない古本屋が街なかから消えていく運命なのかもしれない。これも時代の押し寄せる波のなかの出来事といえばそれまでだが、本を」こよなく愛してきた世代の者としてはさびしい限りである。
コメント

金庫が開かなくなって思い知った、文具メーカー、プラスの”おもてなし”の心

2014-07-28 | Weblog
 28日朝、出かけるのでお金を出そうと、手提げ金庫を開けようとしたら、突如開かなくなってしまった。いつもはシリンダー錠の鍵を掛けるだけで、レバーを下げると開いていたのが、うんともスーとも言わなくなり、全く機能しなくなってしまった。いつも手提げ金庫には当座のお金や印鑑、その他外貨、金貨などが入っていて、ちょっとした我が家の貴重品を入れている。ざっと数十万円は入っていて、それが開かないとなるとちょっと困る。20年近く使ってきてこんなことは初めてのことだ。
 最悪、叩き壊すしかないか、と観念して、ふとネットで調べてみよう、と思い立ち、メーカーのプラス、それに金庫をキーワードで検索すると思いのほか、同じように困っている人が多いのか、金庫の開け方を教示するページが数多く見つかった。ダイヤルをゼロにし、右に2回回して再びゼロにするとか、修理を受け付けるとかいったことが書いてあったがので、支持通りにダイヤルを回したが、金庫は開かない。いま使っている金庫の機種は古いので、ネットの上には出てこないこともあった。ただ、プラスにはお客様窓口なるものがあり、0120以下の電話番号が書いてあったので、そこへ問い合わせることにした。
 すると、「新人のだれだれです」と名乗って、女性が対応に出て、金庫の機種と製造番号を聞き、当方の名前と住所を聞いてきた。そして金庫の開け方は秘密なので、「FAXでお客様であることを確認したうえで、お教えする」とのことだった。たかが数千円の手提げ金庫なのに慎重なやり方だな、とは思ったものの、いまはなんとか金庫を開けてもらいたい一心で、向こうから来たFAXに再度、こちらの金庫の機種、製造番号を書き、運転免許証のコピーを貼り付け、FAXで送り返した。
 すると、数分で電話がかかってきて、ダイヤルの合わせ方を電話で指示してくれた。ネットで紹介してあったゼロへ2回回す先にさらにある数字まで右へ回し、今度はもうひとつの数字まで左に回すというものて、その通りにやったら、見事、金庫は開いた。ひょっとしたら、金庫をプラスに送って、修理してもらったうえで、送り返してもらうのかと思っていたので、意外に簡単に事は進んだ。教えてもらったダイヤルの合わせ方は最初に金庫を買った際にメモ用紙みたいな紙に書いてあったような気もしたので、件の女性に聞いてみたら「そうだ」という。ただ、毎回ダイヤルを回して開け閉めするのも面倒くさいと思ったので、ずっと鍵をかけることだけで開閉してきた。だから、肝心のそのメモなる紙もどこかへいってしまって、すっかり忘れてしまったようだ。
 それにしてもプラスという文具メーカーは自社で販売した製品について、これほど完璧にアフターサービスをしている、とは素晴らしい会社だな、と感心した。消費者に製品を提供しているメーカーはすべからくかくありたいものだ、と心底思った。お客様がどういうトラブルに遭うかをきちんと把握し、そのための対応マニュアルを整備しているからこそこうした対応が取れるのだろう。昨秋、東京オリンピック誘致で話題となった”おもてなし”とはこういうものをいうのだろう。
コメント

フジテレビのワイドショー番組、「とくダネ!」に出演している御殿女中のような人がうざい

2014-07-21 | Weblog
 フジテレビの朝のワイドショー番組、「とくダネ!」にこの1カ月、キャスターの小倉智明の右隣に変なおばさんが座っていて、画面で左隣の菊川伶と3人並んでいるシーンはなにか異常さを感じる。変なおばさん、ネットで調べたらどうやらフジテレビのアナウンサーで梅津弥英子という人らしいのだが、座っていて何かコメントするでもなく、司会らしきことを言うのでなく、ほとんど黙って座っているだけで、視聴者に「この人、一体何者か」と思わせるだけなのだ。視聴者が感じる異常さを小倉、菊川両キャスターも感じているのか、以前のような両者の程よい掛け合いは全くといっていいほどみられなくなってしまい、逆に両者が反目しているようなやり取りが目立っているから、明らかに異常事態といっていいだろう。
 問題の梅津アナウンサーは2000年入社の30代のアナウンサーで、これまで美人であるとか、話題が豊富であるとかでこれといって取り上げられたことのない普通のアナウンサーで、そんな人が少なくともフジテレビの看板番組のメインの位置についたこと自体が不思議といえば不思議なことである。たまにチャンネルをひねって拝見するが、梅津アナウンサーは時にどうでもいいようなコメントをするが、キラリと光るようなことは全くといっていいほどない。最初は「この人一体、だれ?」と思って見ていたが、全然理解できないいまま番組が終了することが多かった。はっきりいって目障りであるし、明らかに菊川伶などは迷惑がっているとしか思えない。
 一般にワイドショー番組である以上、画面に登場する人はなんらかの特技なり、特定の分野についての専門家であることが求められる。単なる舞台回しのキャスターは小倉、菊川両キャスターで十分である。それを3人にし、しかもそれが局の社員であるのなら、付け加えただけの理由が視聴者にわかるようでないと公共放送の名前がすたることになる。
 仮に独裁国の国営テレビ放送なら、独裁者の意のままにキャスターが決められ、国営放送の原稿を読むようなことがありうるのだろうが、フジテレビはれっきとした民間企業である。とかく手腕に問題があるといわれている亀山千広社長なり、その側近のお声がかりで梅津アナウンサーの起用が決まったとしたら、梅津アナウンサーはどういう素性の人か、と言われることだろう。昔、某映画会社のワンマン社長のお気に入りの女優の主演映画が制作されたという話があったが、梅津アナウンサーの場合、そう勘繰られても仕方ないことだろう。もっともこの場合はどうみてもせいぜい御殿女中しか務まらないのが悲しいところではある。
 それにしてもフジテレビの首脳部に視聴者の声は届いているのだろうか。かつては民放テレビ局のなかで視聴率競争に打ち勝ってきたフジテレビが最近はこれといったヒット番組もなく、内紛が取りざたされている、と聞くが、そんな経営の迷走ぶりが看板番組の編成にも影響しているのだろうか。一刻も早く、この異常な状態を改善してもらいたいものだ。
コメント (6)

評判通りの「アナと雪の女王」に感動。近くの女の子がクライマックスシーンで本当に泣き出した

2014-07-20 | Weblog
 19日は東京・渋谷で遅ればせながら、評判の映画「アナと雪の女王」を観賞した。チケットを申し込んだ2日前ではガラガラだったのに行ってみたら、ほぼ超満員で相変わらずの人気ぶりに驚かされた。映画はアナと雪の女王、姉のエルザとの感動の物語で、何よりも音楽が素晴らしく、公開後半年も経っているのにヒットを続けている理由がわかった。世界の興業成績では歴代5位につけているとかで、米国ディズニーの底力を感じさせられた。アニメというよりミュージカルで、ストーリーもしっかりと作りこんであり、大人も十分に楽しめる内容だった。
 「アナと雪の女王」はアレンデール国の王女エルサとアナの姉妹は仲睦まじく育つが、ある日遊んでいるうちにエルサが意識不明の重態に陥り、ほうほうの態で回復するものの、外部との接触を断たれ、アナはずっと会えないままとなる。長じて国王夫妻は遠出した際に不慮の事故で亡くなり、エルサは女王となることを宿命づけられる。そして、エルサは戴冠式に臨むこととなり、開かずの間から外へ出てくる。エルサは手に触れたものが凍りつくという魔法を身につけているので、手袋をして戴冠式に臨む。
 そんなことも知らない妹のアナは会ったばかりの異国の王子、ハンスと意気投合し、結婚することを決め、女王のエルサに申し出る。が、エルサは一切、認めようともせずに外へ駆け出す。その際に手袋が抜けて、女王が手にするものはすべて凍りつくことになってしまい、国中を寒さの雪に覆わせ、エルサはそのまま山の中の氷の城に閉じこもってしまう。アナはエルサに氷を溶かしてもらおうと単身出かけ、途中で知り合った青年、クリストフの助けを得て、共に氷の城に乗り込んでいく。
 しかし、アナはエルサの返り打ちに遭った形で瀕死の状態になる。実はエルサ自身も氷ついた世界を元に戻すにはどうしたらいいのか、知らずに自ら築いた氷の世界に閉じこもっている。凍りついたアナを助けるには思う人に愛を打ち明けることだ、と教えられたクリストフはアナを抱きかかえて、アレンデールのいまや執政官となっているハンスのもとに送り届ける。しかし、ハンスはアナを愛しているのではなく、本当のねらいはアレンデールを乗っ取ることにあり、アナを助けることはしなかった。
 それに気づいたクリストフは急いでアレンデールの城へ戻ろう、とする。一方、ハンスはフィヨルドに降りてきたエルサを見つけ、アナが死んだことを伝えると、エルサは気絶し、ハンスがとどめと差そうとするのをアナが見つけ、身を差し出し、ハンスの剣を跳ね飛ばす。救われたエルサは凍ったアナを抱きしめると、アナはたちまちのうちに生き返る。エルサは魔法を打ち破るのは相手を心から思いやる「真実の愛」だと思い知る。同時に凍りついていたアレンデールの街に春が訪れ、平和を取り戻し、喜んでダンスに興じる人々の姿が映し出されたところで幕となる。
 ディズニー映画お決まりのハッピーエンドではあるが、見ている人を本当に良かったと思わせる内容で、感動した。すぐ近くで見ていた小さな女の子がアナが凍りついた場面で、泣き出してしまいそのあと生き返った場面で機嫌が直ったあたり、本当に画面に惹きつけられ、感情移入していたのだ、と感心させられた。アナがエルサの城へ行くシーンで、山の中にある小屋の看板が「オーケン山荘」と日本語で書いてあったのに驚いた。日本語飯政策で、画面の文字を日本語に書き換えるなんてことをしているのは初めてお目にかかった。それだけ手をかけているということで、日本でヒットすることを見越してのことなのだろう、とも思った。
 終映後に流れる音楽でMay Jが歌う主題の「レット・イット・ゴー(ありのままで)」が素晴らしいし、全編を通じて流される音楽もよかった。今回観たのは吹き替え版だったが、英語バージョンだとどう聞こえるのか、機会があったら見てみたい、と思った。
 あと、最初にディズニ-の短篇アニメが出てきて、最後にも同じようなアニメが映ったが、これが本編とどういう関係にあるのか、最後まで理解できなかった。
 
 
コメント

当方のミスで間違った商品をネットで注文してしまったが、難なく交換することができてホッとした次第

2014-07-19 | Weblog
 先日のことである。ずっと愛用している浄水器、ブリタのカートリッジがなくなったので、いつものようにネットの楽天市場で探し、3プラス1の4個入り2セットで6640円というのを見つけ、注文ボタンを押してみたが、何O反応もなく、しばらくしたら画面に「「売り切れ」との表示が出た。夏場に入り、需要が増えているのだろう、と思い、それでは他の業者を見つけよう、といろいろやったところ、同じ値段で出ていたので、「しめた」と思って、即注文した。ネット市場というのはなかなか目当ての商品を手に入れるのには厄介なものだ、とも思った。
 それから2日して、注文の品が届いた。封を開けたかみさんが「いつものものと違う」と言い出したので、「えっ」と答え、見てみると届いた商品は「ブリタ カートリッジ クラシック」となっており、いままで使っていた「ブリタ カートリッジ マクストラ」とは違っていた。パソコんで注文した内容を確かめてみると、やはり間違って注文していたことが判明した。画面で商品をきちんと確認せずに「マクストラ」でなく「クラシック」を注文してしまったのだった。これだと、また違うタイプのポットを用意しなくてはならない。8個も無駄にするのは勿体ないと思って、かみさんとイトーヨーカ堂へ行き、ブリタのコーナーを探し、「クラシック」タイプのポットがあるか、店員に聞いてみたところ、「その商品はブリタの最初のタイプで、もうポットは扱っていない」とのことだった。店員は「交換してもらえばいい」とも言っていた。
 それで、家に帰って、ネットで注文を受け付けた業者にまずメールで「当方のミスで間違って注文してしまいました。クラシックをマクストラと交換したいのですが、いかがしたらいいのでしょうか」と問い合わせた。ネットの画面に電話番号も出ていたので、そこへ電話してみたら、店舗運営責任者なる人が出てきて、「いまメールを読んだ」とのことで、「商品に手をつけていないのなら、送り返す送料と再度の送料を負担して送り返してもらえば交換可能」という。商品全体がムダになることを考えたら、1000円程度の支出で希望の商品に交換してもらえるのなら、とすぐにそうすることにした。
 ということで結局、ブリタ マクストラ1個当たり900円強についたが、なんとかいい形で決着をみた。不幸中の幸いとでもいうことに落ち着いたわけだが、鈍想愚感子にはネット販売に対する不信感のようなものがあり、一旦購入した商品はいかなることがあっても取り替え不可という抜きがたい先入観があった。だから、当初から購入したものをなんとか活用するしかない、と思い込み、最悪捨てるしかない、と思い込んでいた。だから、まず新しいポットを購入して使ってみるしかない、と考えたわけである。
 ネットでは売る方も買う方もお互い顔が見えないので、腹のなかでどう考えているのか判断のしようがない。目に見えるのは画面に表示された写真だけで、あとはマーケットの主宰者なり、当該業者を信用するしかない。ネットの購入でそれほどひどい目にあったわけではないが、一部のあくどい業者のニュースを耳にすることで、ネットの業者に対する悪いイメージが刷りこまれていたのだろう。
 ただ、今回、正直に意を伝えることで、真面目に対応してもらったことで、この悪いイメージがやや改善されたのは事実だ。要はネットでの購入にあたっては注意深く、画面の表示をチェックすることが肝心ということがわかった。
コメント

主演の中越典子の熱演に好感がもてた演劇「永遠の一瞬」

2014-07-13 | Weblog
 12日は東京・初台の新国立劇場で演劇「永遠の一瞬」を観賞した。米国の劇作家、ドナルド・マークグリーズの新作新国立劇場芸術監督の宮田慶子が本邦初演に持ち込んだ作品で、イラク戦争で瀕死の重傷を負った女性の戦場カメラマンが夫の伴われて帰国し、上司の編集者夫婦と交わることで、自らの使命について考察を深めていくという硬派の作品。新国立劇場初登場の中越典子が松葉杖をついて熱演するのに好感が持てた。戦場ジャーナリストの使命とか、結婚とか、人生など硬いテーマを登場する役者4人が激しく語り合い、やや理屈っぽいところがあるが、見る者を飽きさせなかった。
 「永遠の一瞬」は主人公サラが足にギブスを嵌め、松葉杖をつき、夫のジェイムスに支えられながら、やっとのことで米国ニューヨークの自宅に帰ってきたシーンから始まる。6週間ぶりに帰宅した我が家で一息ついて、早速明日からのリハビリ生活に入ることになる。翌日は上司の編集者、リチャードが新しい恋人のマンディを連れてお見舞いがてらやってくる。お互い紹介したのち、マンディはサラが負傷した経緯を尋ね、サラが戦場で撮影した写真を見せてもらい、負傷している少年を助けるのが先決だろう、と率直な疑問を投げかける。それに対して、サラは「どうせ助けても死に至ることは避けられず、それよりも世界にこの悲惨な事実を伝えることの方が大事だ」と力説する。
 リチャードとマンディが帰ったあと。サラとジェイムスは2人がイラクでなぜ離れ離れに至ったかを話し合ううちにサラが現地で通訳兼ガイドのタリクと男女の関係にあったことを認め合うことで、反目するに至り、話はこれまでの同棲関係を続けていくかどうかになり、結局はお互いが必要だ、との結論に至ることになり、二人はベッドのうえでもつれ合ったまま、前半は幕となる。
 後半は愛を確かめ合った二人が結婚することになり、マンディと結婚したリチャード夫妻を招いて自宅での結婚披露パーティから始まる。ただ、結婚したものの戦場ジャーナリストのような緊張したなかで仕事を続けていくことに反対するジェームスに対し、サラはカメラマンとしての仕事を辞めることは考えられないとして、リチャードが持ち込んできた女性刑務所の女囚の撮影の仕事を引き受けてしまう。しかし、仕事に赴いたサラの目の前に「写真なんかとるんじゃないよ」と凄んで敵意を露わにした女囚の妨害に遭って、イラクの戦場でも同じような目に遭ったことを思い出し、ほうほうの態で帰宅する。そんなサラに対し、ジェイムスは「そんな仕事は辞めてもっと楽に生きようよ」と持ちかける。
 それでもめげないサラは再び戦場カメラマンとして海外に行くことを決意し、安易な生活に生きようとするジェイムスと決定的な別れを決意する。
 大体のあらすじが読めた後半はさて、結末はどうするのかな、と思いながら見入っていた。再び戦場に赴いたサラが戦死するか、夫のジェイムスが交通事故にでも遭うのかな、と思いながら、米国の演劇では案外、戦場カメラマンが華々しく活躍することを暗示しながら終わるのかな、とも思っていた。タイトルの「永遠の一瞬」(原題Time Stand Still)とは戦場カメラマンの仕事そのものを象徴しているし、カメラで撮影することそのものが永遠の一瞬である、と理解した。その途端、サラがカメラを構えてシャッターボタンを押すことでもいいのかな、と思っていたら、その通りのラストシーンだった。その意味ではわかり易いストーリーだった。
 あと、場面の転換で、舞台の壁に据え付けられたテレビを通じて映し出される映像が映る同じタイミングで、舞台が真っ暗となり、その間に舞台のうえで黒子が舞台設定するという手法がとられていたのが新鮮に感じられ、こんな手があるのだ、と思わされた。上映中、それほど笑えるシーンはなかったが、それでも十分に楽しめたいい演劇であった。
 
 
コメント

台風8号襲来のもたらしたものを政治家はじめ関係者はもっとかみしめてほしい

2014-07-10 | Weblog
 梅雨時の台風8号の襲来は日本列島を恐怖に陥れた。たまたま、つい1カ月前に沖縄を旅行し、沖縄に在住する知人2人と会い、楽しく歓談したこともあって、その沖縄を直撃するというので、「どうかな」と思っていた矢先、8日、火曜日の夕刻になって、沖縄から「朝から停電で、さっぱり状況がわからない。いま台風はどこにいるの」といった内容のメールが届き、急遽テレビをつけ、台風の位置を確認し、お見舞いの返信をした。丁度その時にはもう台風8号は沖縄を去りつつあるところだったので、ほどなくしてその知人から「もう暴風雨は収まった」との返信が届いた。
 で、その時に思ったのが、沖縄の県民130万人の半分弱にあたる59万人に対し、避難勧告をしたとの夕刊の報道だった。鈍想愚感子の知人は朝から停電で、仮に沖縄県サイドが住民に避難勧告をしたとしてもその勧告は届いていないし、停電で台風情報も入ってきていない。そんな状況にいる住民に対して一体どのようにして、避難勧告を伝え、避難誘導するというのだろうか。避難勧告というのがどういう仕組みで伝えられ、誘導がどのようにして行われるのか、詳細はわからないが、暴風雨にさらされているなかで、行政はどう対応しようというのだろうか、疑問に思った。知人にそのことを伝えると、知人は「そういうポーズを取っているだけのこと」とそっけなく返信してきた。
 台風8号は翌9日になって沖縄から遠ざかったので、気象庁は特別警戒を解除したが、朝になってテレビを見ていたら、沖縄は再び大雨に見舞われており、再度大雨注意報が出された、ということだった。これでは気象庁の天気予報に頼っている沖縄の人はたまったものではないだろう、と察しられた。
 今回の台風8号は異例の大型台風で、早くから史上最大級と囃子たてられ、盛んに警戒を呼び掛けていた。7、8年前に同じような時期に襲来した台風になぞらえ、それ以上の警戒をするように新聞、テレビで報道していた。政治家のなかには「あとになって過重だったとい言われてもいいくらいに警戒を呼び掛けることがあってもいい」と朝から停電で、予め予防線を張るような輩まで出る始末だった。この背景には昨年秋に集中豪雨で伊豆・大島で住民10数人が山崩れで死亡した重大な事故があり、その時に事前に警戒情報が出されなかった、との苦い反省がある。だから、今回はやたら警戒情報を流すようなことばかりが目立っていた。あとで、住民なり、マスコミから対応が遅いと非難されないように注意を促すような姿勢が目立った。
 だけど、警戒情報が出たからといって、住民の方ではどうしたらいいのか困ってしまうようなことも起きかねない。特に避難勧告といっても、この大雨、暴風雨のなかどこに避難したらいいのか、途方に暮れる人がほとんどではなかろうか。今回も避難勧告すら住民に満足に伝わっていなかったではないか。
 日頃から行政当局はこうした異常時に対する対応をしっかりと決めておき、それを住民に伝えておくことがなによりも肝心であることを明記しておくことだろう。政治家の人気取りだけを考えた施策に振り回されることなく、地に足のついた行政こそを望みたい。
 あと、もうひとつ気になるのは今回の台風8号の進路予報は日本列島を九州から、中国地方、近畿、中部、関東、それに東北地方を南から北までなめていくようなものとなっているが、いままでのい台風でこんな進路を取った台風を見たことがない。大抵はどこかで海にそれて、そのうちに熱帯低気圧となって消滅してしまっている。気象庁はもっと台風の観測に過去のデータを参考にして精密を極めてほしいものだ。
 
 
コメント