鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

創立140年を迎える日本経済新聞社にとって禍根を残すことになりかねない英FTの買収劇

2015-07-25 | Weblog

 日本経済新聞社が英国の有力経済紙、フィナンシャル・タイムズ(FT)紙を発行するフィナンシャル・タイムズ・グループを8億4400万ポンド(約1600億円)で買収することが本決まりとなった。23日に日本経済新聞社の喜多恒雄会長と岡田直敏社長が記者会見して、「日経はデジタルとグローバルを軸に成長していく」戦略を語ったただ、記者会見の内容を聞いていてもどうして1600億円もの大金を投じてFTを手中に収める必要があるのかはっきりとしなかった。単に電子メディアで協調するのなら、もっと簡便な手法があったのにと思われた。斜陽産業である新聞社の買収にかくも多額な金額を投じるのはどう考えても危険な賭けとしか思えない。

 23日付けの夕刊フジは「日経の大バクチ」と見出しをつけたが。まさに賭けである。FTは紙の読者23万、電子版50万で合わせた読者数はわずかに73万に過ぎない。買収金額で読者数を割ると1部当たり22万円にもなる。日経が魅力を感じている電子版の読者数50万人に日経の有料電子版の読者数43万人を合わせると93万人となり、世界トップになるとしているが、あくまでも新聞業界に限っての話で、ネット業界からみればちょっとした規模としかいえず、とても世界一などとは言えない。

 日経がFTの電子メディアに興味があるのだとすれば、買収するのではなく、もっと効果的な提携の仕方があったのにと思われる。それに英語と日本語の電子版をどうやって統合していくのか、という問題も残る。23日の記者会見の席上では記者からの質問に答えて「FTの編集人事、内容については日経は介入しない」{岡田社長)と言明したが、編集権を尊重しているのはわかるが、ならばなぜ買収にまで及んだのか、という疑問が湧いてくる。

 それに買収に際しては直前までドイツのアクセル・シュプリンガー社が先行していて、FTの株式を所有している親会社のピアソンが日経への売却を発表する7分前になって、日経が破格の買収金額を提示して、それにピアソンが同意した、と伝えられている。ピアソン側と日経は2回程度話し合いしたようであるが、買収金額について妥当であるか、FTの財務内容に応じて詰められた形跡はない。しかも日経は買収にあたって第3者にようるFTの財務内容のチェックうを受けたのかも定かではない。

 23日の記者会見で専ら記者の質問に回答していたのは岡田社長で、買収を決めた当事者であると思われる喜多会長はあまり発言はしなかった。ことし3月に社長に就任したばかりの岡田社長は喜多会長の言うがままにFTの買収劇に賛同したようで、必死にその後処理に苦心惨憺しているようにうかがえた。

 翻って、年間売上高の過半になものぼる多額な買収劇を決めたのだろうか。喜多社長は7年間にわたって社長の座にあり、この春に岡田社長にバトンタッチしたものの、実権は握ったままだった。過去7年間は経費節減にあい務め、一応は無難な数字的な業績は残してきたものの、特筆すべき業積をあげるには至らなかった。なかであげるとすれば、わずかに電子メディアで有料の会員が43万人に達したことことくらいである。それも売り上げ金額的には50億円前後で、全体の2%弱を占めるにしかならない。採算的にはとても合っているとは言い難く、とても今後の基盤を築いたともい言えない。喜多会長はこれをなんとかしたい、と思っていたのだろう。そこで、たまたま巡り合ったFT買収ということを考え付いたのだろう。

 ただ、それがコストパーフォーマンスに合ったものであるのかどうか、という検討を重ねるには至らなったようだ。増して第3者の声を聞くことも¥せずに一挙に走ってしまったようだ。電子メディアをなんとかとの思いはあせりを生んだようだ。このことがどんな結果をもたらすか、神のみぞ知るところだろうが、長らく日経を愛読してきた鈍想愚感子とすれば、まもなく創立140周年を迎える日本経済新聞社にとって禍根を残すこととならないことを祈るのみである。

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ピース又吉の芥川賞受賞には異議あり、明日の芥川賞受賞者の意欲を損なったのは否定できない。

2015-07-21 | Weblog

 先日、ことし上期の芥川賞に漫才のピースの又吉直樹の「火花」が受賞することに決まった。漫才師が受賞するのは初めてのことで、意外であるとともに快挙でもある、と広く話題になっている。鈍想愚感子はまだ作品を読んでいないので文学的なことは言えないが、日が経つにつれ、不愉快な気持ちになってきた。小説「火花」はことし2月の文芸春秋社の雑誌「文学界」に掲載され、記録的な売れ行きを示したとしてちょっとした話題になっており、ことしの三島由紀夫賞の候補にあげられていた記憶がある。

 そこまではいいとして、それが一挙に文壇の登龍門である芥川賞をとるとなると、いかにもやり過ぎの感がぬぐえない。芥川賞は少なくとも一度でも作家をめざしたことにある人々にとって最高の栄誉である。苦節何十年もその栄誉をめざして研鑽の道を歩んでいるひとがいっぱいいる。なのにいくら優れているとはいえ、ポッと出の漫才師が栄に浴すというようなことがあっていいものだろうか。芥川賞を選考するのは選考委員会のメンバーである先輩作家の先生であるとはいえ、その背後には主催する文芸春秋社の意向が大きく影を落としている、とみるのはうがち過ぎなのだろうか。このところの出版不況のなか、少しでもベストセラーの匂いのある作品を芥川賞にして、書籍の売り上げを増やしたい、と思うのあh無理からぬところである。

 いままでもここまで露骨な作為はなかったかもしれないが、これに近いような受賞はいくつも見受けられた。過去の芥川賞受賞作家のなかには芥川賞を受賞して以降はさっぱり活躍しなくなった人もいないわけではない。毎年2人、もしくは4人もの芥川賞作家が生まれるのだから、実は受賞した時がピークだった作家もいたこともありうることである。ほとんどが受賞まで無名だった人がいきなり、世間の脚光を浴びて道を踏み外すような人も出てくることだろう。

 今回のピース又吉氏の受賞を受けて、ワイドショウの司会の宮根誠司氏が「芥川賞と書店の店員が選ぶ本屋大賞との差がなくなった」と語ったり、和田アキ子が「火花のどこがいいのかよくわからない」と語ったことが報道され、一部の顰蹙を買っているといわれているが、もともと芥川賞が一商業出版社である文芸春秋社の選出するものなので、いろいろな思惑が込められるのは否定できないだろう。逆に芥川賞の選出に国や第三者である学者が関与するなどして、文学に公平中立的な要素を求めるのも筋違いだろう。

 芥川賞は純文学作品に、直木賞は大衆小説作品に授与されるというが、時にその区分けが不分明なことがあるうえ、毎半期の芥川賞は一読してみても「なぜ、この作品が芥川賞なのか」と思わせる作品が多いのも事実である。それでも時期がくると注目されるのが芥川、直木賞なのである。毎期、こうした毀誉褒貶を受けながら受賞が繰り返されてきたのが芥川、直木賞なのである。でも今回だけはいかにも文芸春秋社の商魂が目立ち、芥川賞受賞に向けて日夜努力している明日の芥川賞受賞者の意欲をかき乱したのは否定できないことだろう。

追記 文芸春秋9月号の芥川賞発表で「花火」の全文が掲載されていたので、読んでみたが、やはり漫才芸人の一発芸という感じで、なぜこれが芥川賞なのか、理解できなかった。作者を思わせる漫才師の徳永が先輩の漫才師に漫才の弟子入りをして悪戦苦闘する様を描いているが、最後には漫才師を辞めてしまい、不動産屋に就職し、先輩も漫才界から足を洗って、漫才界のOBとなった2人が熱海に静養に行くところで、物語は終わっている。自らの体験をもとに書いた1回切りの作品であることは明らかで、それほど感動するには至らなかった。芥川賞選考委員会の作家のうち賞に値すると推薦しているのは宮本輝、川上弘美、小川洋子の3人だけで、あとはそれほど推しておらず、高樹のぶ子、村上龍、奥泉光は全く評価していない。テレビに出演している現役の漫才師が書いたというのがなによりも後押ししたようで、芥川賞の歴史に汚名となったのは間違いないようだ。

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潮目は変わった。安倍首相の強引な政治手法もそろそろ幕の引きどころを迎えた

2015-07-19 | Weblog

 ようやく潮目が変わってきた。19日付けの毎日新聞の1面トップにこの17、18日に実施した世論調査で安倍内閣に対する支持率が35%に急落し、前回調査(今月4、5日)から7ポイント低下した。逆に不支持率は前回より8ポイント増の51%となり、第2次安倍内閣発足以来初めて不支持率が支持率を上回った。共同通信社が同じ17、18日に実施した世論調査でも内閣支持率は37.7%で前回の6月の47.4%から9.7ポイント急落し、逆に不支持率は51・6%(前回43%)と過半に達し、ここでも初めて不支持率が支持率を上回った。衆院での安全保障法案の強行採決が国民の支持を失ったのは明らかで、国民が安倍内閣にノーを突きつけたわけで、安倍内閣の退陣への鐘が一斉に鳴らされることとなりそうだ。

 安倍首相は「安保法案に対する国民に理解が進んでいるとは言えない」ことを求めながら、衆院特別委員会、それに衆院で強硬採決を押し進めてきた。これに対し、国会周辺では安保法案に対する反対デモが連日繰り広げられており、その波は全国各地に広がりつつある。安保法案に対し、自民党と共同歩調をとる平和の党を自認する友党である公明党の内部にはこれに異論を唱える声が起きはじめ、愛知県下の地方議員のなかには公明党を抜けて無所属議員となる政治家まで現れ始めた。自民党のなかにも小泉進次郎議員のように「いまの自民党はおかしい」と公言する議員までいる。

 問題の安保法案は今後参院で議論されることになるが、安倍内閣に対する国民の厳しい目がある限り、これまでのような展開は許されないことだろう。自民党のなかにも疑問を呈する声が広まるだろうし、平和の党の公明党にも変化が出てくるほは避けられないことだろう。まず、大勢の憲法学者が違憲であるといっているうえ、国民の85%が反対しているのを押し切って可決するのは難しいのではなかろうか。

 安倍内閣は強引な政治手法を用いて日本を戦争国家へ導こうとしている姿が明らかとなってくるに従い、国民の支持を失い、とうとう不支持率が支持率を上回るところまでやってきた。今後、安倍内閣支持を標榜する読売新聞、産経新聞なども世論調査を行うことになるだろうが、安倍内閣をノー大勢は変わらないだろう。衆院での強硬採決の翌日にこれまた世論の反発の激しかった国立競技場の建設問題について安倍首相は急遽、これまでの経緯をご破産しにして、ゼロからやり直す、と宣言したが、このことを進言したのが今井善衛首相政策秘書官だ、といわれている。このまま放置すれば内閣支持率のさらなる低下を招くということで、唯々諾々受け入れてしまったというが、安倍首相の定見のなさが如実に現れている。

 安倍内閣をここまで持たせてきたのはなぜか高い内閣支持率と株価の2つであったことは否定できない事実である。そのひとつが見事に崩壊し、株価もおおっつけ下がるのが時間の問題だろう。となると、安倍首相の言うことに耳を傾けてきた自民党の幹部も改めて安倍首相の資質に目を向け、そろそろ首相交代を考え始めることだろう。早ければこの9月の総裁選で新たな総裁選びにことは及ぶことだろう。

追記 支持率低下に悩む安倍首相はこのところ民放テレビに出まくっているが、20日の夕刻にフジテレビのみんなのテレビに出演し、やくみつる氏から支持率低下で「安倍首相はハダカの王様になった」と揶揄されて、安倍首相は「支持率で政治をやっていない」と公言した。そんなことはありえないし、腹心の若手議員たちが「メディアはつぶれた方がいい」と広言していたのにこうしてメディアのテレビに出まくっているのはいかがなものか。、との感がしてならない。支持率が低下したいまごろマスコミに頭を下げて(?)出まくる、その心情が汚いし、憎たらしい。

 

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「題名のない音楽会」の新たな司会者として五嶋龍がさらに羽ばたくことを祈念したい

2015-07-16 | Weblog

 15日は東京・初台の東京オペラシティへ「題名のない音楽会」の公開収録に行った。行ってみて初めて気がついたのだが、司会の佐渡裕が交代し、新たな司会者として五嶋龍が指名され、この日が初めての登板となった記念すべき日であった。そういえば佐渡裕は海外公演の合い間を縫って収録のため帰国するという慌ただしいスケジュールで、近いうちに交代するのではないか、と思っていたところだった。新司会者はまだ27歳とあってゲストを交えての司会ぶりはお世辞にもうまいとはいえなかったが、代わりに日本音楽財団より貸与されているストラディバリウスのヴァイオリンを駆使しての演奏はさすがと思わせるものがあり、観客をうならせた。

 「題名のない音楽会」はこの日からタイトルのある音楽会に変わるということで、まず第1回目は「バッハをめぐる音楽会」と称して五嶋龍がイザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番」第1楽章を演奏した。司会アシスタントのテレビ朝日アナウンアサーの松尾由美子が紹介したあと、舞台は真っ暗となり、バッハの音楽がヴァイオリンによって演じられ、五嶋龍が颯爽と登場する、という大仕掛けな舞台回しであった。演奏も見事なもので、終わったあと五嶋龍を小さいころから知っているという客席にいた黒柳徹子がヴァイオリンの練習で黒柳家に通っていた時代のエピソードを語っていた。

 続いては藤原道山の尺八、上妻宏光の三味線、山井綱雄の能舞に五嶋龍のヴァイオリンによるシャコンヌの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとバルティータ第2番BMW1004番」が演奏された。バッハの世界が和洋の楽器で再現された。さらにはこれも五嶋龍のストラヴィンスキーの「ヴァイオリン協奏曲」第4楽章カプリッチョが披露され、最後に「題名のない音楽会」のテーマ曲が作曲した久石譲によって演奏され、新しい司会者の門出を祝った。

 後半の収録は「コンクール優勝者の音楽界」と称して、2010年ジュネーヴ国際音楽コンクールピアノ部門で優勝したピアニストの萩原麻未、それに2009年の第9回ロストロボーヴィチ・テェロコンクールで日本人として初めて優勝した宮田大を迎えて、五嶋龍の3人でまず「ミッション・インポッシブル」を演奏し、続いて萩原麻未の「ラヴェル ト調のピアノ協奏曲」第3楽章、宮田大のドヴォルザークの「チェロ協奏曲」第3楽章、そして最後に3人の合奏によるメンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲 第1番」第1楽章が演奏されるという盛り沢山な内容で、訪れた観客はいずれも素晴らしい演奏ぶりに盛大な拍手を送っていた。

 新しい司会者として五嶋龍氏を担ぎ出したのは英断であったと思うし、それを見事にデビューさせた出光興産はじめ関係者の努力を讃えたい。五嶋龍という才能を見事に開花させ、この番組が半世紀を超えてさらに充実した番組であり続けていくように心から願いたいものだ、と強く思った。テレビでのお目見えはことし10月からとなるが、今後とも五嶋龍の活躍を応援していきたい。

 

 

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