鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

07年末年始京都雑感その1

2007-12-31 | Weblog
30日は年末年始恒例の京都旅行に出かけた。休み期間が短いのと、特に行ってみたいところを思い付かなかっためで、正月の準備を万端にして8時50分の新横浜発の新幹線に乗るべく家を出た。バス停に来て、時刻表を見ると、「12月31日から1月3日までは休日スケジュールで運用します」と出ている。すわっ、間違えた、と一瞬思ったが、程なくバスが時刻通りに来て、改めて今日は日曜日であることに思い当たった。予定通り新幹線に乗って窓の外を見ていると、新横浜を出た時は晴れていたのに、名古屋を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなってきて、関ケ原では強い雨となってきた。日本列島に寒波が襲来しているのを思い出させてくれたが、京都に着いたら、すっかり晴れ上がっていた。代わりに、足元から底冷えが伝わってきて、京都へ來たのを実感させてくれた。
いつも京都へ来ると、真っ先に清水寺へ行くにしている。五條坂の途中に必ず覗く暖簾屋や和装小物、陶器のお店があるからでもある。もちろん、清水寺にもお参りする。年末は清水寺の森清範貫主の書いた今年の世相を表す文字を見る楽しみがある。
07年を象徴する漢字は「偽」で、日本漢字能力検定協会が全国公募で9万816通のうち1万6550通と圧倒的に1位となった。清水寺本堂の鐘の横に立掛けられた「偽」の額は見る人に苦々しい07年を思い出させてくれる。ちなみに2位は「食」、3位は「嘘」であった。2位の食も偽装がらみであるから、07年は散々な年であったことを物語っている。
「偽」といい、偽装といい、企業なり、人が長期的にあり方を考えずに、儲かりさえすればいいとの短期的思考に走ってしまっているためで、企業や人のあり方が失われている証拠であろう。
どの世界でもプロフェッショナルが少なくなってきている。プロフェッショナルなら食材を誤魔化したり、賞味期限を偽ったりはしないだろう。少なくとも最高のものを最も美味しく食べてもらおう、との料理人のブロの思いに偽装の入る余地はない。料理人でなく建築家のそれが昨年の耐震偽装であったし、政治家や警官、教師、医者などの偽装はいまや日常茶飯事的に起きている。それこそ、日本列島偽装だらけで、それだけプロフェッショナルがいなくなっていることを示している。
 そんなことを思いながら、大混雑の錦市場で夕飯用の食材を買い込み、早めにホテルに入り、お風呂に入り、旅の疲れを取った。
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子供と同じ朝青龍

2007-12-30 | Weblog
先日、朝青龍がまたぞろ騒動を起こした。北島三郎のディナーショーにゲスト出演した際に「正月休みにモンゴルに帰りたい」と語って、テレビのワイドショーやスポーツ新聞に大きく取り上げられたが、朝青龍本人はこのことの意味がまるで判っていない。報道陣がどうして大騒ぎするのか、不思議がっているのだから、この夏以来の一連の朝青龍騒動が一体何だったのか、と思えてくる。反省のかけらどころか、そもそもなぜ反省しなければならないのかさえも判っていない。まるで小学生以下の子供である。そんな朝青龍をコントロール出来ない日本相撲協会もお粗末である。
この夏にモンゴルで病気休養中の朝青龍がサッカーに興じていたことが発覚して、秋・九州場所を欠場し、謹慎処分となった朝青龍が日本へ戻って初場所で再起を図ろうとしているはずなのに、連日朝青龍をめぐる話題が尽きない。先週も週刊文春が「ルイ・ヴィトンの帯と草履を身に着けた朝青龍が銀座ホステスとメールアドレスを交換していた」と報じた。その前にも夕刊紙にセクハラ行為や自動車での事故を報じられたり、つい先日は内館牧子横綱審議会委員が抜き打ち的に高砂部屋を視察したら、初場所前に毎日稽古しているはずの朝青龍がいなかったことが判明した。あげくの果てに立浪部屋から出稽古を断られる事態まで出現した。
協会や親方から横綱としての自覚を持つように厳しく指導されたはずなのに、それが窺えないから、テレビなどは面白がって取り上げるのである。その最たるものが、今回のモンゴル里帰り騒動である。これで、朝青龍本人が一連の騒動で少しも反省していないことがはっきりした。しかも、朝青龍が親方の了解を得られる、と思っているのがわかって唖然とした。
もちろん、親方の朝潮が認めず、朝青龍のモンゴル帰国はなくなったが、こんな調子ではまたぞろ同じことが繰り返されることは火を見るより明らかである。
仮に朝青龍が来る初場所で優勝しても問題は解決しない。朝青龍はひょっとして漢字が読めないのだろうか。そうとしか思えないが、仮に読めたとしても知能が小学生以下ではなかろうか。29日あたりのテレビ、スポーツ新聞の報道を見ていると、今年の騒動どこ吹く風といった面持ちで朝青龍が笑顔で「来年は健康に気をつけて頑張りましょう」などと殊勝なことを言っているのが掲載されているが、これくらいのことはできる、ということだけで、朝青龍の本質は少しも変わっていない。普通の人は笑顔と強さに騙されてしまうのだろう。
いままでは協会と親方が悪いと思ってきたが、やはり朝青龍本人の問題であったのがはっきりした。まさに「KY(空気が読めない)」以下である。このうえは相撲界から追放して、一刻も早くモンゴルに帰ってもらった方がいいだろう。
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さらば、もう1人の企業戦士、Sさん

2007-12-29 | Weblog
2日前のことである。昼休みを終えて会社に戻り、エレベーターに乗り込むと、後ろから名前を呼ぶので、振り向くと関連会社の社長のTさんで、「Sさんが間月末で退社しました」という。続けて「最後の日だったので、『誰かに挨拶しますか』と聞いたら、『いや、いいです』と言ったのですが、『鈍想愚感子さんだけにはお世話になりました』と言ってました」という。それで、伝えてくれたわけがわかったが、言われた本人はそうだったかな、と思う程度で、どうも思いあたるふしがなかった。そういえば、数日前にSさんが珍しく地下1階の日本茶のお店のテラスに座っているのを見かけ、あれっと思ったのを思い出した。T社長によると、最終の退社手続きに来たのだ、という。
 Sさんは入社は2年違いで、30年来の知り合いである。かつては持ち場は違うが同じ職場にいたことがあった。その後、Sさんはエリートの集まる部へ替わっていって、ある時に全社横断的なプロジェクトチームで一緒になり、華々しく活躍する姿を目の当たりにしたことがあり、驚いたことがあった。ただ、そのエリート職場も間もなく去り、今度が関連会社で一緒になり、Sさんは雑誌の編集長などをしていた。
 その後、Sさんは著しく体調を壊し、脳梗塞を患い、長期休養するようなことがあり、復帰してからは身体障害者として会社に勤めるようになっていた。丁度、いまのT社長の2代前の社長をしていた時に本社の人事部長から「Sさんを引き取ってくれないか」との打診があり、どうせどこかが面倒をみなくてはいかないのなら、と応じ、若い人の書く原稿の校閲作業をしてもらうことで引き取った。その時にSさんの実家のお母さんから「うちの息子は健在でしょうか」と電話がかかってきて、驚いたことがあった。
 以来、Sさんは7年近く、いまの会社に勤めたことになる。Sさんが感謝しているとしたら、7年前に引き取ったことを言っているのかもしれないが、当時は小さなビルの一角を間借りしていて、死角のようなところにいて、Sさんは目立たなかったが、2年前に新しいビルに移って、Sさんが何をしているか一目瞭然となって、T社長がよく「周りに示しがつかない」とよくこぼしていたのを聞いて、その分は帳消しとなったのかもしれない。
 もちろん、仕事納めの日までにSさんが退社の挨拶に来たわけではないし、聞かれてちらっとそう思っただけのことかもしれない。
 それでも、Sさんの今後にエールを送りたい、いつまでもお元気で、Sさん。
 
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突っ込みが足りない「トヨタの闇」

2007-12-28 | Weblog
 ビジネス社刊「トヨタの闇」を読んだ。日本経済新聞が広告の掲載を断ったというので、どれだけトヨタの暗部に迫ったものか、と思って買ったのだが、期待したほどの内容はなかった。本の帯に「あなたはまんまと騙されている!」と書かれているがので、よほどショッキングな内容があるか、と思いきや、すでに新聞などで報道されているものばかりで、騙されたのは買った読者であった。それよりも広告掲載を断るほどの内容ではないのに、トヨタ自動車の意向を忖度したであろう日本経済新聞のスタンスに疑問が残る。
 「トヨタの闇」冒頭は新聞、雑誌がこぞってトヨタ自動車の欠陥車などの報道を控えているかが書かれ、ドキッとさせられる。そして、この「トヨタの闇」が東洋経済新報社に持ちかけられたが、最終段階で見送られ、日本実業出版社、KKベストセラーズ社、草思社でも断られた、という。いずれも広告収入の兼ね合いでトヨタ自動車に気兼ねした、としているが、内容、マ-ケティング面での検討か理由であった可能性もあったことはそれほど強調していない。
 以下、30歳で過労死した内野健一さんのことと、2つ目の労働組合、全トヨタ労働組合の活動状況、さらには欠陥車、フィリピンでのトヨタ社員の解雇騒動などを取り上げている。最初の過労死はつい最近、名古屋地裁で内野健一さんの奥さんの過労死を認めろとの申請が認められる判決があったばかりで、広く世間に知られるところとなったし、あとのことは確かにそうした事実はあるかも知れないが、どうも一面的な捉え方に思えて仕方がない。
 筆者の1人の渡辺正裕氏は皮肉なことに日本経済新聞記者を経て、現在はニュースサイト、MyNewsJapanを主宰している。経済記者の割にはトヨタ自動車の経営面からの計数的な分析がないのが不満である。あとはトヨタの工場立地の戦略の裏とか、自動車開発の実態、それに設備投資の実態などにも切り込んで欲しかった。
 ともあれ、この「トヨタの闇」はそのMyNewsJapanのサイトに掲載されたものを本に収録したもので、いまでもほとんどの内容をサイトで読めるようになっている。サイトに掲載されているものを単に本にしただけで、その本の広告掲載を断るのはトヨタ自動車に対する気兼ねとしか思えない。もし、内容に疑問があるのなら、直接サイトの主宰者に抗議すればいいのだろうが、そうした事実はなさそうだ。
 サイトに書かれたことは一過性のものだし、個人の見解だから大概のことが許されるが、活字になって出版されるということはより公共のものになる、ということなのだろうか。出版社が公共的なものとか、ISBNなる国際図書標準番号や取次ぎがが公的なものなのか、全国に2万6千店ある書店が公的なものなのか。サイトを閲覧する読者数と全国の書店で本を目にする人とどちらが多いかを論じても始まらないだろう。ただ、単なるイメージを超えた何か重要なことがありそうな気がする。
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いつになく気合入ったN響第九演奏会

2007-12-27 | Weblog
 26日は東京・渋谷のNHKホールでのN響第九演奏会を聴きに行った。高校時代からの友人、K君が一度聞いてみたい、と言ってきたので、電話で予約したもので、K君はこのために奥さんと名古屋からやって来た。ミシュランの3つ星レストランの定義は旅行してでも食べに行きたくなるお店であり、N響の第九演奏会はまさに音楽の世界における3つ星コンサートといえるものであることを立証した。早めに食事を摂り、NHKホールへ歩を進めると開演10分くらい前なのにえらく人が少なく、本当に演奏会があるのかな、と思わせる。第九演奏会とあって早めに会場へ入ってしまっているのだろう、と思われた。席につくと、予想していた1階の中央よりやや後ろと違って、一番後ろの席であった。
 着席してまもなく午後7時5分過ぎに合唱団が入場した。いつもは右に男声、左に女声が壇上に並ぶのに前に女声、後ろに男声を配している。続いて楽団メンバーが入場し、まもなく演奏が始まった。昨年の前回は1階中央だったのが、今回はそれより後ろなので、壇上の演奏者がよく見える。
 指揮者はノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督のアンドリュー・リットン氏で、小気味いいタクトの振りで、団員の弾く音もきびきびして気合いが入っている感じがした。第2楽章のあとにソプラノの角田祐子、メゾ・ソプラノの石津なをみ、テノールのカン・ヨセブ、バリトンのキム・テヒヨンが入場した。いずれも今回、N響に初登場とあって緊張した面持ちで出番を待っていた。
 ハイライトの第4楽章に入って、バリトンのキム・テヒョンが立ち上がり、朗々と喜びの歌を歌い上げた。続いて歌った背後の国立音楽大学の合唱団も見事で、演奏が終わった後に指揮者が褒め称えたほどであった。
 第3楽章の途中で、会場内から立ち去った女性がいたのと、合唱の部分が始める前に女声メンバーの1人が退場したのがあれっと思った程度で、全体を通じてとてもいい演奏会であった。これで、一昨年の読売交響楽団、昨年のN響と今回と3年連続で年末の第九演奏会を聴いたことになるが、今回が一番良かったような気がする。
 遥々名古屋から聴きにきたK氏夫妻は「少し前に名古屋フィルの第九演奏会を聴いたが、こちらのが音がよく出ていた。名古屋フィルを聞きたくなくなってしまった」と苦笑いしながら感想を語ってくれた。こちらに来る直前に風邪を引いたこともあって、演奏会後のお茶飲みもせずに品川発の新幹線で帰っていった・まさにミシュラン3つ星並みのN響第九演奏会であった。
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余韻残る「四月の雪」

2007-12-26 | Weblog
ペ・ヨンジュン主演の映画「四月の雪」を観賞した。WOWOWで放映したのをビデオに録って見たのだが、見ている途中で間違えて上から他の番組を録画してしまい、肝心の主役の愛を深める場面が見られなくなって類推するしかなかったが、それでもストーリー展開は追えた。韓流映画らしい愛を歌い上げたドラマで、日本映画が忘れてしまったものがある。
一組の男女が高速道路で交通事故に遭って押しつぶされた車を代わりばんこにのぞき込んでいる。男は照明技師で、仕事中に妻が事故に遭ったとの連絡を受けて、やってきた。どうやら、夫の知らない男性とドライブに出かけたらしい。ソン・イェジン演じる相手の女性も同じ状況に追い込まれているようだ。いずれも意識不明で病院に運ばれ、ICU(集中治療室)に入っている。まずいことに事故を起こしたのはこちらで、相手の被害者は亡くなった、という。本人になぜか、と聞けないまま、お互いに気まずい思いをしながら、ホテル住まいを続け、感情をぶつけ合ううちにお互いの置かれた状況に同情するようになり、いつしか愛が芽生える。
親しくなって、二人で海岸を歩くうちに主人公が「季節はいつが一番好きか」と尋ねると、ヒロインが「春がいい」と答え、「雪の降る季節もいい」という。二人でお詫びしようと、被害者の葬式に出掛けるが、最初は友人と思われ手厚くもてなされるが、加害者の連れ合いと名乗ると途端にすげなく追い返される。そして春に雪が降れば一番いい、との結論となる。
で、季節はいつしか春になり、二人は因縁のドライブに出かけると雪になる。フロントに積もる雪をワイパーでぬぐいながら、「どうしましょうか」、「どこへ行きましょうか」と言葉を交わし、いつしかホテルの部屋で睦み合っている。
すると意識不明だった主人公の妻が蘇生したのに対し、ヒロインの夫は死亡する。妻にいろいろ問い正したかった気持ちも失せ、新しい彼女にも去られ、茫然と職場に戻った主人公はコンサートの終わった会場の跡かたずけをしているところへ雪が降ってきて、思わせぶりに二人がドライブにでかけ、「どうしましょいか」、「どこへいきましょうか」と言葉を交わす場面で映画は終わる。
この後、二人はどうなったのか、暗示的な終わり方で、観る人になんとでも解釈できるう余韻の残るうまい幕切れである。
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織田裕二の熱演で面白い「椿三十郎」

2007-12-25 | Weblog
 24日は東京・渋谷の渋東シネタワーへ映画「椿三十郎」を見に行った。先週発売の週刊誌に角川映画期待の新作も期待ほど当たらず、失敗作と書いてあったので、逆に本当にそうなのか、確かめたくなって、見に行くことにした。渋東シネタワーの地下で上映しているし、休日にもかかわらず上映前に並んで列を作ったのはほんの10人くらいで、やや淋しい感じ。中へ入って、観客席を見渡しても入りはせいぜい半分程度と週刊誌の書いている通りであった。しかし、映画としては面白かったし、主演の織田裕二も熱演で、出来も悪くない、と思った。
 「椿三十郎」は黒澤明監督の作品を45年ぶりにリメイクしたもので、城代家老の汚職を掴んだ若手侍9人が掣肘を加えよう、と密議を凝らしているところへ織田裕二扮する浪人、椿三十郎が現れ、黒幕である大目付とやりあって、捕らえられた正義派の家老を無事に救い出す物語である。45年前に見ているのだが、ほとんど忘れてしまっているので、最後の結末は予想がつくが、そこへ至るまでどうなるのかな、とワクワクしながら見た。
 45年前には浪人役は三船敏郎が演じたが、三船敏郎は大きな声でわめくような科白で、動作も大ぶりで決して演技のうまい方ではない。その点、織田裕二はやや貫禄では落ちるが、演技力では三船敏郎より上で、若いといっても松山ケンイチら若手9人組よりは年いった浪人役を見事にこなしていた。世間に通じていて、それでいてユーモアセンスのあり、腕っぷしも強い浪人の味をよく出していた。考えてみれば、織田裕二ももう40歳で、こうした役をやって不思議はない年である。
 相手方の黒幕の用心棒役の豊川悦司や、食えない家老の藤田まこと、その妻の中村玉緒、悪徳城代家老らに小林稔侍、西岡徳馬、風間杜夫と脇役陣を固めているのが映画に深みを与えている。若手9人組に拉致された侍役の佐々木蔵之介がオリジナル版にはなかった役でいい味を出していた。
 最後に黒幕の用心棒と椿三十郎が切り合って用心棒が負けるシーンはオリジナル版にあったかどうか全く記憶にないが、お互い相手の刀を抜き合って、一瞬の差で胴を払うのは迫力ある場面であった。
 全体としてはよくできている映画である、と思った。でも当たらないとしたら、織田裕二もかつてほどヤング層を惹きつける魅力がなくなってきていることなのかもしれない。ただ、帰って家でテレビを見ていたら、今頃になって「好評、大ヒット中」と椿三十郎のTVコマーシャルをやっていた。角川映画としては前宣伝が少なかったのではないだろうか。
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逆転ホームランとなるのか、薬害肝炎の議員立法

2007-12-24 | Weblog
 福田首相への非難が止まらない。23日のTBSのサンデーモーニングにパネラーとして登場した田中秀征氏は最近の政局を論じたなかで、「福田政権は運転手はいいのだが、車がガタガタで、それに手をつけようとしない。前の小泉、安倍政権は政治改革で車に改良を加えていた」と、うまいこと言っていた。また、同じTBSの時事放談に出演した寺島実郎氏は「テロ特措法の成立に党挙げて取り組むのはいいが、米国軍の駐留経費の70%を負担しているような国は日本以外世界中のどこにもない。単にインド洋での給油だけでなく、日本の防衛をどうするのか、という観点からも議論されるべきである」と、とかく近視眼になり勝ちな日本の政治家に警鐘を鳴らした。
 いずれも福田首相のリーダーシップを問うもので、支持率低下の理由はこんなところにもある、と思わせる発言であった。直近の薬害肝炎の問題についてはお膝元の公明党の太田明宏代表から「患者一律の救済をすべきだ」との発言が飛び出し、いよいよお尻に火がついた、とばかり、休日にも関わらず、23日に福田首相は「薬害肝炎一律救済」に向けて議員立法する、と発表した。
 救済の立法は今国会中に成立を期する、としているが、薬害C型肝炎の被害者の特定をどうするのか、そして国に責任をどこまで認めるのかなどといった点については今後、詰めることになっており、政治決断した割りには官僚に丸投げした姿勢に共通した側面が見られ、まだ紆余曲折がありそうな感じである。23日記者会見した福田首相は最後に「国の責任は明記するのか」と聞かれ、「責任というものを超越している。立法過程でどうするか、は立法にお任せしたい」と宇宙人的な発言をし、改めて不安を残した。国に責任を認めたからの議員立法なのではないのだろうか、リーダーシップに疑問符のつく会見であった。
 同日の時事放談のもう1人のパネラーの与謝野馨前官房長官は90年代の日本経済の失われた10年に触れて、「いまの日本経済にとって重要なことはプライマリーバランス(基礎的財政収支の均衡)を回復することと、日本経済の成長を維持していくことだ。これがないと、年金にしろ、薬害肝炎問題にしろ、きちんとしたことができない」と語った。その通りで、果たして福田首相はそのあたりを押さえて、薬害肝炎一律救済に乗り出したのであろうか。
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持つべきものは友達である

2007-12-23 | Weblog
 アラン・グリーンスパンの「波乱の時代ーー世界と経済のゆくえ」を読んだ。87年の米レーガン大統領にFRB(連邦準備制度理事会)議長に任命され、以来18年間の長きにわたってFRB議長を務めたグリーンスパンの回顧録で、米国経済を浮揚させ、好調を継続させた立て役者である。米国の政治経済のトップとの赤裸々なやりとりが綴られていて、面白かった。それと、61歳からを過ぎてから要職に就いて職責を立派に果たしたことと、老いらくの恋を成就させたそのエネルギーにも驚かされた。
 鈍想愚感子のこれまでの読書の範疇にこの手の本はなかったので、当初は買って読もう、とは思ってなかった。ところが、11月下旬の大学時代の集まりがあって、話が経済に及び、サブプライムローン云々となり、なかの1人が「グリーンスパンの本を読んで‥‥」とやり出した、上下2巻の上巻は読む必要がなく、読むべきは下巻の展望である、と振って話したその内容そのものは大したものではなかったが、それを聞いていて、なるほど経済を論じる輩としてはグリーンスパンの本を読むのは常識なのだ、と思い、早速読むことにした次第である。
 件の輩の言うように確かに上巻はグリーンスパン自身の自慢話半分で今後の世界経済を語るうえでは参考とならない。しかし、グリーンスパンなる人物が形勢されてきたことをうかがい知るうえでは結構面白い。1人っ子で、ジュリアード音楽学院で受講するほどの音楽家であったことや、ニューヨーク大を出てコロンビア大学博士課程に進んで、コンサルタント会社を興すが、新聞に論文を書いたりしていくうりに米国政財界の主要な人とめぐり会い、引き立てられるようになっていく。米国社会の実力主義の様子がよくわかる。
 それとFRB議長の97年4月、なんと71歳の時にアンドレア・ミッチェルと結婚するのは驚きであるとともに常識、世間体をものともしない、いかのも米国の自由闊達なさわやかさを感じさせる。と同時に頭の柔らかいグリーンスパン氏を物語っていて、楽しい。83年に当時NBCのホワイトハウス担当記者を務めていたミッチェル嬢から「大統領の予算案についていくつか質問がある」と電話がかってきたのがなれそめだ、という。6回目のプロポーズでようやくゴールインした、というから微笑ましい。
 問題の世界経済の展望についてグリーンスパン氏は「2030年には米国の経済規模は実質で現在より75%大きくなっている。さらに生産に占める知識部分が高まっている」ちお予想し、「適応力こそが人間の本性であり、この事実があるからこそ、将来に対して極めて楽観的である」と結んでいる。結論はありふれたものであるが、長く経済の舵取りをしてきた人の言として聞くと、それなりに重みを持って伝わってくる。
 持つべきものは友達である。
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落ちていた財布にたとえられた福田首相

2007-12-22 | Weblog
 21日付けの朝日新聞が1面トップで福田政権に対する支持率が31%と前回より13ポイントも低下し、危険水準の20%台まであと少し、と報じた。自民党の参院選での年金の公約について「そんな公約あったかな」とのとぼけた発言が大いに反発を買ったようで、小泉・安倍と子供の政治ごっこだったのを落ち着いた大人の政治にして、ようやくまともな日本になるかと思われたのに年金、防衛省汚職、薬害肝炎の3点セットで足元をすくわれた感じで、テロ特措法への対応次第では福田政権崩壊の可能性も出てきた。
 朝日新聞の世論調査はこの19、20日、無作為抽出方式で行われたもので、有効回答939人で、回答率は58%だった。福田政権を「支持しない」は48%と前回(今月1、2日実施)より12ポイントアップし、「支持する」を大きく上回った。福田政権が発足した9月時点での支持率は53%で、以来低下してきているが、支持しないが支持するを上回ったのは今回が初めて。仮にいま衆院総選挙をするとしたら、比例区はどの党に入れますか、との問いに「民主党」は38%(前回32%)で、「自民党」の23%(同32%)を大きく上回った。
 このところの福田政権の対応は年金問題だけでなく、薬害肝炎問題での対応にしても総務省の官僚の言うがままの対応ぶりで、同じ与党である公明党からさえも批判を浴びている始末で、もたもたしている。渡辺喜美行政改革担当大臣が行っている政府の独立行政法人の民営化についても官僚の抵抗にあって、なし崩しになろう、としている。
 先週末のTBSテレビに登場した福田康夫首相は年明けの通常国会には今後の施政について新たなヴィジョンを打ち出し、場合によっては内閣改造もするようなことを言っていたが、当面する問題を切れ味鋭くさばき切れないで、新たな味がだせるとは、とても考えられない。
 評論家の田原総一朗氏が某コラムで書いていたが、中曽根康弘元総理に「福田首相はどんな人か」と聞いたところ、中曽根氏は「たまたま歩いていたら、道に財布が落ちていたので、拾ったら、それが福田氏だった」と言った、という。三顧の礼をもって迎えたわけではない、とでもいいたのか、汚れきった財布だとでも言いたいのか、真意のほどはよくわからないが、発足まだ3カ月の政権に対してはあまりにも冷たい表現である。中曽根氏が仕掛け人の1人でもある大連立がうまくいかなかった腹いせもあるのか、政治家の評というのは残酷なところがある。
 いずれにしろ、福田政権のハネムーンというか、ご祝儀期間はもう終わって、政権としての成果が問われる時になっているのは確かなことである。それが、こんな体たらくでは自民党政権も終焉に近づいているのかもしれない。
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