鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

涙と感動の「タイヨウのうた」

2006-07-31 | Weblog
 長男がどこかでもらってきた招待券で、東京・渋谷のアミューズCQNで「タイヨウのうた」を観賞した。PXなんとかという太陽の日差しにあたれない病気におかされている女の子がギターを弾きながら夜中に路上でライブをしている。抜群に歌がうまく、彼氏の案内で横浜で路上ライブを開くと黒山の人だかりで、時間を忘れて、歌うのに熱中する。単なる青春ものかな、と思って見に行ったが、久し振りに見る純情な映画で、感動した。 
 映画は鎌倉・七里が浜のとあるバス停から始まる。時刻は早朝、日が明けるちょっと前、高台の住宅のガラス窓越しに少女がバス停を見やっている。そこへサーフボードを荷台にくくりつけた男子高校生がやってきて、自動販売機でジュース缶を買い、ベンチに腰をおろしてうまそうに飲む。丁度、バス停の看板が邪魔になって顔がよく見えない。そのうちにジュースを飲み終えた青年は海岸の方へ立ち去ると、少女はベッドに潜り込んで寝る。そして、日が暮れた夕方になって少女は目を覚まし、家族と夕食を摂ったうえで、出かける支度をする。駅前かの公園で蝋燭に火をともした前で、路上ライブをする。だれも聞いている人はいないのにギターを奏で、自分で作詞作曲した歌を哀愁をこめて歌う。
 家族とのやりとりで、どうやら少女はPX‥‥症とかで、太陽に当たると皮膚が患されてしまう難病に罹っていることがわかってくる。だから、普通の人と逆の昼間寝て、夜活動する生活パターンになっているのだ、とわかる。明け方に家路に着く
。途中で、冒頭に出てきたバス停にさしかかると、青年と同じように自動販売機でジュースを買い、ベンチに座って飲み干す。そして、高台の家かrよく見えるようにバス停の看板をベンチの脇に移動する。
 そうこうするうちに偶然、青年と知り合い、夏休みに入り、いつもの路上ライブの場所が変なおじさんに占拠されていたので、青年のオートバイに乗っかり、横浜まで遠征し、横浜駅前でライブをすると大勢の観客に受けた。このあたりがこの映画のクライマックスである。映画を見ながら、この少女は死んでしまうのだろうな、と思うと自然と涙が出てきた。
 喜んでいるうちに夜明けの時刻が迫り、走りこんで家にギリギリたどり着く。ここから病気が一気に進行していく。彼氏に病気のことを伝えられなくて、折角実った恋も自分から閉ざしてしまう。心配した両親が彼氏を家に呼んで、2人を引き合わす。歌に感動した彼氏は好きなサーフィンもやめて、アルバイトに精うを出し、少女にオリジナルCDを作るように勧める。
 少女の右手に麻痺症状が出るようになり、ギターが思うようにひけなくなり、路上ライブはできなくなる。それでも声は出るからと、声だけで念願のCDをつくる。そして、彼氏がサーフィンするのを完全防護服を着て、海岸で見守り、それからしばらくして少女は息を引き取る。少女は太陽に帰って行った。
 実話に基づくのか、全くのフィクションなのか、わからないが、主演のシンガーソングライターのYUIも好演で、なかなかいい映画であった。テレビでも連続ドラマとして放送しているようで、まさに涙と感動であった。映画が終わって、タイトルバックが続き、明るくなるまで誰も席を立たなかった。
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感激と悔し涙の高校野球

2006-07-30 | Weblog
 昨29日はかみさんと横浜スタジアムへ全国屈指の激戦区、神奈川県高校野球の決勝戦の応援に出かけた。3男が東海大相模高校の野球部に所属していて、かつて甲子園をめざしたことがあったので、その父兄として、母校が決勝戦に進出する際には横浜スタジアムに応援に行くことにしている。相手は宿敵、横浜高で、両校とも準決勝戦はコールドゲームで勝っている。横浜高は春の選抜大会で優勝しており、全国ナンバーワンの実力校。ただし、春の神奈川県野球大会では東海大相模高が勝っているので、現チームとしては1勝1敗で互角。勝てば、30何年ぶりの夏の甲子園大会出場となる。
 みなとみらい線元町中華街駅で降り、12時半頃に地図を片手に横浜スタジアムへ行くと、球場の周りは大勢の人でいっぱい。係員が「満員で、入場できなくなる恐れがあります」とマイクでがなり立てていて、いやがうえにも熱戦ムードが盛り上がる。中華街でのんびりランチを摂らずに中華饅頭を買ってきてよかった、と思って、入場券購入の列に並ぶ。ようやく、1枚500円也の入場券を買い、休場に入ると、内野席はもういっぱいで、仕方なく外野席へ行く。それでも前の方の席は満席で、すり鉢状の上の方の席に陣取り、買ってきた中華饅頭を昼飯代わりに頬張る。見渡すと、外野席もほぼ満員で、フランチャイズの横浜ベイスターズの試合でもこんなに入ることはないのに、と思う。翌日の新聞を見ると、試合開始の13時5分過ぎに満員札止めになった、という。
 試合開始前のシートノックが始まり、便りの東海大相模高校のシートノックを見ていると、7分間もあるのに何かあせって練習しているような感じがした。門馬敬治監督は決勝戦初めてではないのに、舞台慣れしていない感じがした。一方の横浜高校の渡辺元智監督は7分間のシートノックの時間いっぱいをたっぷり使って、余裕綽綽といった感じであった。この差が試合に出なければいいのに、と思った。
 横浜高先攻の1回表、先頭打者がいきなりのセンター前ヒット、バンドで送って、次打者を三振にとったものの4番に2塁打を浴び、あっさり先制されると、次も2塁打で2点計上、2回もいきなりの2塁打2本にエラーもからんで4点、3回は8番打者に片手でレフトホームランを打たれ、投手はまるでサンドバッグ状態。片や、東海大相模は3回までいずれも3者凡退。シートノックの時の予感が現実のものとなってしまった。4回にも安打を連打され、3点計上し、なんと10対0となってしまった。
 4回裏2死で、やっと初安打の2塁打が出たが、得点にならず、まさにコールドゲーム状態。雨も激しく降ってきたので、もう勝負あった、と見て、球場をあとにした。悔しいと思う前に実力の差の前に兜を脱いだ、という感じであった。ついでに久し振りの横浜・元町をぶらぶらして、家路についた。
 家に帰って、新聞で確認したら、横浜高の川角投手は準決勝でも完投しているのに対し、東海大」相模の高山投手は準決勝では投げていなくて、決勝戦のために温存していた。にもかかわらず、片やメッタ打ちされ、片や完璧の投球。この差は一体何なのか。
 同様に応援に行って、夜になって帰ってきた3男に結果を聞くと、15対7となったというが、エースが退いたあとで点を入れたもので、焼け石に水だ。3男が在学中から、春の大会につながる秋の大会で横浜に勝ったことはあるが、本番の夏の甲子園大会では横浜高校に一切勝てなかった。秋にはこれが横浜高校か、と思えるようなチームが夏になると、ガラッと姿を変えてくる。入学前からのスカウトで実力のある素材が集まってくるのだろうか、横浜高校の力は神奈川県ではずば抜けている。野球というのは選手の実力もあるが、やはり監督の指導によるところが大きい。東海大相模の門馬監督が「優勝できなかったのは自分の責任」と語ったが、まさに監督の差だろう。
 でも正直言って、悔しい。なんとか、横浜高を負かして甲子園に行ってもらいたかった。何年経ってもこの思いは変わらないだろう。3男が野球をして、父兄として3年間、ずっと応援してきたが、負けると我がことのように悔しかったのを覚えている。ことに夏の甲子園大会での敗戦は悲しいものだ。野球部の寮にいたが、3年の時の大会では負けたその日に寮を出ていくことになる。負けて、学校へ帰って、応援団とひと気のなくなった野球場前で最後の応援歌をがなり、夕暮れに荷物を車に積んで、寮をあとに家路についた。あの思いはいまだに忘れられない。
 今年も4000を上回る高校の野球部で同じ思いをする野球部員、および家族が同じ思いをすることだろう。毎年、甲子園大会が始まると、勝利の感激の裏で苦やし涙を流す人々に思いをはすることになる。
 だから、毎年、夏が来ると悲しみが思い出され、高校野球は悲しいものだとの記憶が蘇えってくる。
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笑わぬ愛子内親王

2006-07-29 | Weblog
 いつだったか、週刊新潮が特集で「笑わぬ愛子さん」という記事を書いていた。買って読んだわけではばいが、どこか見出しのすごさが気になっていて、先日那須の御用邸に皇太子一家が出かけた際のテレビ映像をじっと見ていたが、確かに愛子さんから笑顔が消えている。かつては愛敬を振りまいているような感じがあったのに全然なくなっている。しかもその表情がゆがんで見えた。なにか心の病でもありそうな、ふつう成人でもしないような変な表情をしていた。週刊誌に書くような記者はずっと皇太子一家を追っかけているような人なのだろうから、何か異変が起きている、その象徴が”笑わぬ内親王”ということなのだろう。
 男子の場合は笑わぬ殿下で、ブラックユーモア的なニュアンスが出てこようが、内親王の場合はブラックユーモアを通り越して、悲劇に近くなってくる。しかも笑顔が当たり前の年端もゆかない幼い子である。愛子さんを取り巻く環境に一体どんなことが起きているのか、庶民には窺い知れないが、いまはおさまっている皇位継承問題が影を落としているのではなかろうか。
 そういえば、秋篠宮妃殿下の紀子さんの第3子の誕生が間もなくとなった。帝王切開せざるを得ないようであるが、もう直系の男子誕生が確実視されている。紀子さんの顔付きもきつくなってきている。男子誕生となると、皇位継承問題はケリがつくことになるのだろうか。もともと、秋篠宮に疑問があることから皇位継承問題が出てきたわけで、紀子さんに男子が誕生したからといって、問題が解決されたわけでもなんでもない。愛子さんに皇位継承権を付与しよう、つまり女性にも皇位継承を認めよう、ということから女系天皇容認論が出てきたのだ。しかし、当の愛子さんに何らかの障害が出てくるようでは皇位継承どころではない。もちろん、愛子さんがこうした複雑な世間の思惑など承知しているとは思えない。それにしても気になる愛子さんのゆがんだ表情である。
 たまたま、今月はじめから東京・目黒の東京都庭園美術館で、「旧朝香宮邸のアールデコーー小客室新規公開」展が開かれ、先日行って見てきたが、都心の閑静な森の中に瀟洒なつくりの宮邸は一見に値する。会場のなかに天皇家につながる朝香宮家の家系図が表示してあるが、それを見るといかに天皇家は近親間の婚姻が多いかよくわかる。こんなにつながっているのでは昭和天皇のような天才や、大正天皇のようないささか出来のよくない人が生まれてくる理由がよくわかる。だから、皇太子、秋篠宮と生まれてくるのだろう。
 なぜか、8月が近くなると、戦争、天皇に関わる話題が出てくる。先日の日本経済新聞の昭和天皇のメモもそのせいかもしれない。
 笑わぬ皇族は夏のミステリーでもある。
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楽しいトリプルピアノ

2006-07-28 | Weblog
 昨27日は出光興産提供の「題名のない音楽会21」の収録に行った。いつも2回分の収録をするが、昨日は前後半とも司会の羽田健太郎が結成する3人ピアニストによるトリブルピアノの演奏会に終始した。3台のピアノがTの字に並べられ、3人が揃ってピアノを弾く、という趣向で、これだけ弾ければさぞかし楽しいだろうな、という感じで、前後半とも楽しい演奏会であった。
 トリプルピアノの3人とは前田憲男、佐藤允彦、羽田健太郎の3氏で、ピアノ演奏ではわが国でもトップクラスの実力を持つ。とはいっても1人でピアノソロ演奏会をしても客を呼べるほどではないので、1988年に3人でトリオを結成して、以来世界でも珍しいピアノトリオ演奏をしている。単なる演奏だけでなく、3人3様にキャラクターが違っていて、掛け合いも面白く、独特の味を出している。
 前半の収録では日本の童謡をアレンジしたのを演奏した。羽田健太郎が浜辺の歌をショパン風に、佐藤允彦が小さい秋見つけたをバルトーク風に、前田憲男が故郷をバッハ風にそれぞれアレンジして、聞き慣れた童謡がアレンジでこんなにの変わって聞こえるのか、との驚きもあった。もうひとつ20世紀の歴史的映像のBGMをつくる趣向もあり、アポロ月面着陸、ベルリンの壁崩壊、大阪万博開催の映像に合わせて音楽をつける試みも面白かった。みんなが知っている事実をこうしてオリジナルな音楽をつけて見ると、また違った感動がよみがえってくる。72歳という高齢のせいか、前田憲男が自身も認めているようにやや手抜きをしたのがちょっと惜しまれる。
 後半トリプルピアノが選ぶJAZZ名曲30を次ぎから次ぎへと演奏した。JAZZそのものにそれほど詳しくないし、時間の関係でほんのさわりだけのので、最初の20曲演奏中はついつい眠ってしまった。JAZZの曲目はそれこそ5万とあるだろうから、そこから30曲を選ぶのは大変なことだろうし、JAZZの素人にとってはチンプンカンプンだろう。家に帰ってから主婦の友社が20年くらい前に出版した「TASTE OF JAZZ」でJAZZ歌手のマーサ三宅がベストJAZZ20曲を選出しているが、それと比べたら5曲くらいしかダブっていなかった。JAZZの好みは百人百様ということなのだろうか。
 終わって、駅への道を歩いていると、だれかが横のかみさんだかに向かって「もっとじっくりと演奏してほしいね」と言っていたが、所詮無料の演奏会でそこまで望むのは虫が良すぎる、というものだ。
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意気地のない福田康夫

2006-07-27 | Weblog
 安倍晋三官房長官が森派を脱退したのを聞いて、唖然とした。これまで森派から安倍と福田康夫氏の2人が総裁選に名乗り出るのは森派としてはまずい、一本化しなければ、と言われていたのに派閥を脱退するのでは単に派閥の代表である森喜朗元総理だけが懸念していたことに過ぎない。大体、元総理でありながら、およそ政治的影響力のない御仁をマスコミはどうしてさもご意見番みたく扱うのだろうか。それにしてもそんな派閥脱退という手があるのなら、福田康夫はいち早く総裁選から退いたのだろうか。政治家を志す以上、だれしも総理大臣を夢見る、というのはうそだったのだろうか。いま一度、福田氏に日本の政治のために立ち上げって欲しい、と言いたい。
 基本的には小泉首相のあとはだれが総理大臣をやっても日本のためにはいいことだ。ビジョンも使命感もない小泉では日本はダメになる、とずっと思ってきた。その場限りの政策、措置ばかりで5年間やってきたそのつけは大きい。総理大臣になる筈のない人が瓢箪から駒でなってしまって、びっくりして思い付きの政治をコテコテしてきて、気がついたら5年も経っていた。早く退場して、後任にバトンタッチしてもらいたい。
 で、後継総裁であうが、いまの情勢では森小泉の信任厚そうな安倍晋三が断然リードしている。新聞各紙の世論調査では毎回、断トツの人気である。2001年9月に官房副長官として小泉首相とともに北朝鮮に行った際に対する対抗的な姿勢が受けたのと、長身でスラリとした見た目のよさ、それに3代にわたる政治家の血筋、あとは47歳という若さがその理由である。
 このままいけば、10中8、9安倍晋三氏で次期総理大臣は決まりだろう。ずっと対抗馬と目されてきた福田康夫氏が70歳という高齢を理由に総裁選に出馬しない、と言い出したからだ。総裁選に出馬する、と言ったことはない、とも言っているのだから、もう負け犬根性丸出しでもある。かつて、福田氏と同様に総理大臣の有力な候補といわれていた河野洋平氏が総理大臣の椅子が目の前にあるのに断ったことがあるが、どうもそれに似ている。
 もし仮に負けるからやらない、と福田氏が思っているのなら、そんな人生を歩んできたのかと問いたい。男子たるもの勝ち戦ばかりしているわけにはいかない。心の中で負けるかもしれない、と思っていても四囲の状況から戦いを挑まなければならないことだってある。織田信長の桶狭間の戦いだって戦前の予想はだれしも今川義元の大勝と踏んでいた。それを見事、ひっくり返したではないか。
 福田氏も派閥離脱という手があるのだから、いまからだって遅くない、70歳の老骨に鞭打って、総裁選に馳せ参じてもらいたい。仮にそれでも安倍晋三氏が総裁になっても組閣、その後の政策にかなりの変化をもたらすことになるだろう。すんなりと安倍晋三氏に勝たせることだけは止めてもらいたい。
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意図わからない三菱商事

2006-07-26 | Weblog
 製紙最大手の王子製紙が同6位の北越製紙に対しTOB(株式公開買い付け)を実施して経営統合する、と発表したが、当の北越製紙は三菱商事と資本・業務提携し、拒否する構えを取っている。経済合理性が重んじられる経済の世界で、当事者の思惑が食い違う珍しい事態が起きているが、どうも総合商社ナンバーワンの三菱商事の情報収集力に問題がありそうだ。王子製紙には野村證券が財務アドバイサーについており、客観的に見て王子製紙側の言っていることに分がありそうだ。
 世界の産業界の動きを見ていると、巨大企業が続々と形成される傾向にある。設備投資にお金のあっかる業界とあればなおさらのことだ。ただ、北越製紙の新潟工場は印刷・情報用紙では国内最大で、効率のいい最新鋭設備を持ち、首都圏にも近い好立地条件にあり、王子製紙が統合を持ちかけた最大の理由はそこにある。
 逆に吸収されるのを嫌って、北越製紙は三菱商事に資本・業務提携を持ちかけたふしがあるが、三菱商事は王子製紙の動きを全く感知しなかった、総合商社としてはお粗末なていたらくにある。三菱グループには業界再編成に乗り遅れた三菱製紙があり、今回の北越製紙との提携を機に大三菱製紙への青写真を描くこともできたのにそんなものがあるわけではない。単に北越製紙から持ちかけられた案に乗っかったに過ぎないようだ。 
 大体、総合商社というのは便利なようで、便利でない得体の知れないところがある。企業が初めて海外へ進出したり、異業種分野へ出よう、とする場合は利用価値がある。しかも手元に余裕資金がないような場合にはファイナンスもしてくれるから都合がいい。しかし、ある程度事業が軌道に乗り始めると、もう総合商社に頼まなくてもやっていけるようになる。だから、専門家から見ると、総合商社は要らない、ということになる。かつて商社不要論が出た、のもこのためだ。それと、新しい分野には総合商社も活躍の余地がない。自動車、コンピュータ分野ではいまだに総合商社の活躍は少ないままだ。
 つまり、素人、半素人の世界では総合商社は大いに活躍できるが、専門家集団のいるところでは活躍できない。
 鈍想愚感子の所属した会社で某総合商社と合弁で会社を設立したことがあった。社長にはその総合商社の若手が就任した。出資している手前、株主総会に出席して、いろいろ質問してみて驚いた。というのはどこの会社でも作成している中期計画、予算の類が全くなく、その日暮らしの経営をしていたのが判明したのだ。その総合商社に入社して20年くらいは経っている人なのに、本当にびっくりした。それまでその総合商社はいい会社だ、と思っていたのにすっかり見方を変えた。
 日本の経済をある意味でリードしているはずの某総合商社がこんな程度では三菱商事も似たようなものだ、と思う。総合商社はいずれも何百という子会社を持っているが、ほとんどが赤字会社だ、という。その理由もよくわかった。
 こんな体験があるので、どうしても総合商社に経営を任せておけない気持ちになるのはやむを得ないことだろう。
 
 
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凶悪犯罪流行の陰になにがある

2006-07-25 | Weblog
 またぞろ岩手県洋野町で52歳と25歳の母娘2人が惨殺され、山奥に埋められる、という凶悪事件が発生した。詳細は犯人の自供を待つしかないが、山間の一軒家に住む2人暮らしの住まいに若い男が押し入り、相次いで2人を殺したのは事実のようで、事件の背景にどんな事情が隠されているのか。最近、秋田で我が子を含む幼い児童を殺害した事件といい、奈良、栃木、広島で続発した幼女の誘拐殺人事件、保険金目当て、もしくはうらみ、つらみからの放火殺人事件の多発などなど以前にはなかったような凶悪事件が連続して起きている。世の中が工業化社会に入り、何事も瞬時のうちに処理されるようなコンピュータ社会にあんると、犯罪も都市型、米国型されてくるが、最近の凶悪犯罪は必ずしも都市型ではなく、むしろ地方で起きている。
 情報化、工業化の進展などすざましい勢いで変化している日本の産業、社会のなかで地方は取り残され、疎外感を味わっている。昔ながらの村、コミュニティが崩れるようで崩れない、景気も中央ほどよくはなく、貧富の差も拡大している。ところによっては外国人も移入してきて、地域と必ずしも融和していないこともあるかもしれない。歳出を極端に切りつめているローカルの自治体も様々な問題に適切に対応できなくなってきている。
 かつてなら村なり町のコミュニティで隣にだれが住んでいて、どういう家族構成で、いまどういう状態で暮らしているか、お互いわかっていて、お隣同士困ったことがあれば助け合い、話し合うような形が出来ていたのが、どこの家も東京へ出て行ったり、外へ働きに出て行ったりで、自分の家の中ですら面倒を見られないような状態になってきて、極端なことを言えば、隣に誰が住んでいるのかもわからないようなことになってきてしまったのではなかろうか。世話役といったことをするような余裕のある人がいなくなった。いまや、世話役といった言葉すら死語になっている。
 地方がというか、どこの家庭もよその家庭を考慮するだけの余裕がなくなってきたのだろう。それだけ地方も都市化してきているわけだ。それでいて、その間隙を埋めるだけの行政の措置がいっていない。行政サイドも中央からの指示基づいて事務をこなすだけで精一杯ということなのだろう。
 小泉首相の推し進めた小さな政府、地方のことは地方でという行政改革のもたらした結果とも言える。北海道夕張市が500億円にものぼる債務を抱えて破産したが、人口1万5千人で長年にわたり10万人クラスの都市並みの大盤振る舞いをしてきたつけであるが、人口3万人を切った段階で市から町へ降格させるべきだったのだろう。丸投げで指示したあとは何が起きても我関せずのスタンスを取る小泉首相が地方にもたらした禍根、歪みは大きい。
 地方自治体で地域住民の心に巣くう闇にメスを入れて、そこから地方自治体として何を為すべきか、を問うことから地方行政を始めてほしい。
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一日遅れの誕生日パーティ

2006-07-24 | Weblog
 23日はかみさんの一日遅れの誕生日パーティで、家族5人が集まって、ささやかなパーティを開いた。本当は22日で満54歳の誕生日だったのだが、友人の妹の一周忌とぶつかったため、一日遅れとなった。小田原まで行ったので、帰りにJR小田原駅の近くに鈴広の魚の干物を売っているお店があり、旬のトビウオを売っていたので、金目鯛と合わせて買ってきて、誕生日パーティのメインディッシュにした。かみさんは当初、土用丑の日なので、ウナギにしよう、と考えていたようだが、急遽飛び込んできた食材にあっさりと献立を変更した。かみさんの誕生日パーティとは言いながら、裏方はいつものようにかみさんが務めるので、だれの誕生日パーティなのかよくわからないところがある。
 我が家には成人した息子が3人いて、上2人はもう家を出て、電車で3,4駅ばかり遠くに住んでいる。一番下ももうまもなく独立して出ていくことにしている。1人暮らしだと栄養に偏りが出かねないということと、元気に暮らしているかを見るために時々、家族5人で集まって食事会をしよう、ということで始めたのが誕生日パーティだ。あと、親の結婚記念日、母の日、父の日、新年パーティ、花火大会などなんとか口実をつけて、月に1回くらい集めるようにしている。パーティといっても寿司やピザをとったり、赤飯を炊いたりで、シャンペンか、ワインで乾杯をし、最後にケーキを食べる、というのがコースとなっている。
 かみさんの誕生日はもう50歳を過ぎたら、ずっと50歳の誕生日でいくことにしている。長男がシャンペンとケーキを差し入れし、次男が小粋な汗ふきのハンカチをプレゼントといって持ってきていた。三男は来月に独立するので、そちらで大忙しで、誕生日パーティがあることすら昼まで忘れていて、おかげで午後7時半過ぎにした開始時間にも遅れてきた。
 鈍想愚感子のかみさんへのプレゼントは日頃、なにかと洋服など買っているので、この日は省略。先週も玉川高島屋で思いがけず買い物をして、これらが実質的な誕生日プレゼントであった。
 こうした食事会をすると、いつも食べ過ぎてしまう。久し振りに家族5人がそろうとうれしいらしく、かみさんは張り切って昼過ぎから仕込みに入り、いつもになく品数も多く、美味しいものをつくる。だから、ついつい箸がすすみ、食べ過ぎてしまうことになる。昼に軽くソバでもと思って、最近溝ノ口駅前に出来た蕎麦屋へ行ったら、閉まっていたので、中華料理屋で比較的重いランチ定食を食べてしまったので、昼も夜も重い食事となってしまった。
 年をとったら、美味しいものを少しづつ摂る、ということでいかないと体調を崩すことになりかねない。用心、用心。
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小田原での青春への回帰

2006-07-23 | Weblog
 昨22日は小田原で去る人の1周忌に招かれ、朝早くから小田原へ赴いた。大学生時代からに友人の妹、T子ちゃんが昨年夏亡くなり、その法要に招かれたのだ。その友人宅は東京・板橋にあり、大学生時代にはよくお邪魔して、ご馳走になり、家族ともよく顔を合わせ、家族同様に可愛がってもらった。T子ちゃんは6人兄弟姉妹の末っ子で、一番明るい子であった。それが乳がんで、一番早く亡くなってしまったわけで、昨年末に友人から喪中のハガキをもらい、初めて知り、機会があれば線香の一本でもあげたい、と思って弔意を伝えていた。
 T子ちゃんは初めて友人宅にお邪魔した際にお酒と議論好きの友人のお父さんが焼酎を飲ましてくれ、そこに当時女子中学生だったTさんが現れ、にこにこしてペロッと焼酎のチョコを空けてしまったことをいまでも鮮烈に覚えている。友人は6人兄弟姉妹の次男であり、下から3番目であった。家族全員が明るい人ばかりであったが、なかでもT子ちゃんは底ぬけに明るかった。よく友人宅を訪れ、家族同様に談論した。会社に入り、名古屋へ赴任したのでやや足は遠のいたが、友人との交友は続き、T子ちゃんの消息はその都度友人から聞いていた。
 法事は大抵暑い夏か、寒い冬と決まっているが、幸い昨22日は曇り空でそれほど暑くもなく、懸念された梅雨も一休みの気候であった。小田原の駅に降り立ち、街なかを歩くのは初めてのことだ。駅のすぐ側に小田原城があるせいか、駅前から風情のありそうなお店が連なっている。お堀端通りを歩いて行くと、城跡の遺跡を掘り起こしている箇所があったり、たまたま小田原ちょうちんまつりで蛇腹のちょうちんが飾り付けてあったりと歴史を感じさせるたたずまいである。
 通りを抜けたところに1周忌を営む無量寺についた。若干場違いではとの思いが消えず、広間で法事の開始を待つ親族一堂に入りこむと、どっと汗が吹き出した。平服でいい、と聞いていたので、紺地の背広に濃紺のネクタイを着用に及んだが親族はいずれも黒でビシッと決めている。似非親族ではないのだから、と自らに言い聞かして、じっと大人しくしていた。友人の兄弟姉妹は年こそとったが、昔通りの気安さで受け入れてもらって、ようやく落ち着きを取り戻してきた。
 法事が本堂で始まり、末席に座り、お尚さんのお経を聞く。よく通るお経で、ふと本堂を見ると、ご本尊の横にグランドピアノが置いてある。聞けば、お尚さんは音大出で、ピアノも弾くという。音楽付きの法事もまた楽しいことだな、とも思う。
 墓参りも済まし、無事法事も終わり、近くの料亭で食事会の運びとなった。お酒好きの故人の一家が勢揃いで、最初からビールびん、お燗が飛び交う、次から次へとお酌に来る、とまるで結婚式の披露宴みたいな様相となり、T子ちゃんを偲ぶにふさわしかった。T子ちゃんの3人の残されたお子さんも陽気で、お酒好きで、座を盛り上げた。黒い喪服を着たT子ちゃんそっくりの年の頃20歳くらいの次女が目の前に座って、一気にビールの入ったコップを空けてケロッとしているのを見ると何やらタイムマシンに乗って40年前に戻ったような妙な感覚に捕らわれる。過ぎ去った40年の様々な出来事が一挙に取り払われて、T子ちゃんと面と向かっているような錯覚に陥る。神様も時に気まぐれな演出をするものだ。
 後味のいい法事で、しばし40年前に戻ったような気分に浸った。
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すざまじきものバーゲン

2006-07-22 | Weblog
先日、東京・二子玉川の玉川高島屋へ行き「スペシャルバーゲン」なるものを覗いてみた。まだ梅雨時なのにもう夏物のバーゲンで、評判通りの人、人、人で、こんなにたくさんの人が来るとは思いもよらなかった。その少し前に新宿の伊勢丹に行ったら、丁度セールをしていて、男の新館がごったがえしていたことを思い出した。バーゲンが人気があるのはいいが、バーゲンが定例化して、通常時に売れなくなることはないのだろうか。百貨店の売り上げが伸び悩んでいるのもバーゲンばやりに原因がありそうだ。競争上、一社だけやらないわけにはいかないのだろうが、百貨店自らが自分で自分の首を締めているのは確かである。
とはいえ、消費者にとって、いいものが安く手に入るの有難いことだ。一緒に行ったうちのかみさんは早速、南館地下1階のお気に入りの「ヨーク」というタータンチェックのお店に飛び込み、いつもなら1万5000円のスカートが30%引きだったので、ゲット。次いでブランドもののタオルが捨て値のような価格で売っていたので数点購入した。
  その後、店内をぶらぶらウィンドーショッピングしているうちにエスカレーターを降りたところで、婦人服のワゴンセールをしていて人だかりしているのにぶつかり、かみさんが掘り出し物を見つけ、ブランドもののシャツを購入した。で、引き上げようとしたら、店員が今度はバッグのワゴンセールをする、という。広告にも出していたブランド物も含まれているとかで、ワゴンが来る前から黒山の人だかり。連られて、赤と黒のやや派手めのバッグを買ってしまった。
これくらいでもういいだろう、と馴染みのケーキ屋さんに向かうとちゅう、これも馴染みの婦人靴屋のヨシノヤも当然の如くセールしており、さっと店に入り、品選びした。かみさんに合いそうな靴が見つかったのだが、サイズもデザインも合うものとなるとなかなかない。店員曰く「いいものはやはりバーゲン初日に売れてしまう」とのことだ。バーゲン慣れしていないので、そんなものかと納得した次第。
喉も渇き、小腹も空いたので、お楽しみのケーキ屋、キルフェボンへ行ったところ、いつもならケースに一杯並んでいるケーキがほぼ品切れ状態。バーゲンで客が大入りのため、ケーキ屋さんにまで影響している、というわけだ。 レストランなど飲食店にとってはバーゲンは書き入れ時というわけがよくわかった。
 バーゲンは百貨店にとっては自殺行為なのかもしれないが、ここまで定着すると、もう後戻りできないだろう。夏物にしろ、冬物にしろ、いまやバーゲンは本格的な季節の訪れの風物詩といっていいだろう。
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