鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

安倍改造内閣の実態は首相ごっこの”X”内閣

2007-08-31 | Weblog
 安倍改造内閣が決まったが、よくよく考えると自民党が党挙げて作った内閣であり、安倍首相では持たない、と広言した舛添要一議員が厚労相に起用されたことに象徴されるようにトップの首相が安倍晋三であれ、他の人であれ、とにかく大臣として全力を尽くそう、と思っているに違いない。まさに安倍空洞内閣である。半年以内に行われるであろう衆院の総選挙を安倍首相の下では勝てない、と思っているのは確かで、となれば本人がやりたい、と言っているのだから、ここは首相ごっこでもやらせておこう、ということなのだろう。
 会社のなかでもそうだが、無能な上司を持った場合は、最初こそ指示を仰ぎに行くが、その意味がない(上司に意志決定能力がない)ことがわかれば、もう聞かずに自らの判断でことを進めるようになる。あとで、報告すれば、済むことでもある、と思って業務の推進を図ることだろう。仮に中間管理職の上司であれば、その上の管理職の指示をこっそり仰ぐことになる。つまり、上司を無視して仕事を進めていく、ということになる。社長が無能の場合にはちょっと困るが、その場合は社長を操っている会長とか、実力副社長が必ずいるはずだから、そのあたりの感触を探って、表面は社長を立てるが、実質は社長無視でいくことになるだろう。そうしないと、会社の存立が危くなり、自身のみならず部下までを路頭に迷わすことになるからだ。
 さしずめ、いまの安倍内閣も同じだろう。閣議も表面的なものでしかなくなるだろうし、安倍首相のところには重要な情報も集まらなくなるだろう。報告しても、責任をとってくれるわけでもないし、指示してくれるわけでもないのなら、時間の無駄というものだ。閣僚たちは首相ごっこをしている御仁がいるわいな、と醒めた気持ちでいることだろう。
 そんな雰囲気は近くにいる首相番の記者たちにもすぐに伝わることだろう。そうなると、肝心なことはもう首相には聞かない、当の閣僚に直接聞いた方がいい、ということになるだろう。昨日、おとといあたりの救急車の妊婦流産事件、元厚労省局長の収賄問題では舛添大臣しか登場していない。
 当の安倍首相はそんな事情を知ってか、知らずか、またぞろ憲法改正を言い出した。内閣改造で安倍カラーがない、と批判されたことと、新聞各社の内閣支持率が若干アップしたのを見て、頃はよし、とでも思ったのだろう。いまはそんな時期ではない、というのが全くわかっていない。本当にKY(空気が読めない)である。省庁の本格的な大臣をしたこともなければ、派閥の長も務めたことのないボンボンに空気を読め、というのは所詮無理なのかもしれないが、余りにもお粗末である。指南役と目される中曽根元総理よ、なんとか、してやった方が本人のためでもありますよ、と言いたい。
 こんな”X”内閣を抱くのは国費の無駄であり、国民にとって大変迷惑な話である。でも2年前にそうなることがわかっていて、自民党を選んでしまったのだから、自業自得でもある。しかし、こんなことが長続きするわけがない。このまま続けば自民党に不利な状況となっていくからだ。そのツケは来る総選挙できっちりと払うことになるだろう。
 ”X”内閣の寿命もそれまでである。
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物足りない「ミヨリの森」

2007-08-30 | Weblog
 数日前にテレビで放送していたアニメ「ミヨリの森」をビデオ収録し、観賞した。新聞のテレビ欄で誉めていあたので、期待していたのだが、アニメそのものは楽しめたものの、基礎となるストーリー展開が弱く、見終わってももうひとつ胸に響いてくるものがなかった。アニメといえども基本はきちんとしたストーリー展開に尽きる。
 「ミヨリの森」は祖父、祖母の田舎で花見をしている一家がふと、孫のミヨリが居なくなっていることに気付き、大騒ぎして探し回り、ミヨリがどういうわけか、雷に打たれ、折れ曲がった桜の木に登ってしまっていることを発見する衝撃的なシーンから始まる。ミヨリが魔女的な素養を持った子供であることと、森の妖精たちがミヨリを仲間として認めていることが語られる。
 それから十年後、ミヨリは父母の離婚騒動で、祖父、祖母の田舎へ預けられることになって、父と一緒にその田舎に戻ってくる。不良少女の一歩手前のひねくれたミヨリは田舎に馴染もうとせず、転校先の小学校でも仲間はずれにされかかる。ところが、森の枯れかかった桜の木の下にきて、かつての体験を思い出し、森の妖精たちとも親しくなっていく。
 そして、持ち前の負けん気から、泉に住み着いていた魔女をやっつけてしむとともにガキ大将を救い出し、一挙に人望を得ることになる。ミヨリも森が好きになり、小耳にはさんだダム化計画を葬り去るため、イヌワシの見つけよう、ということになる。
 そこへやってきたダム化計画の調査隊を森の妖精たちや仲間と一緒になって、懲らしめる策を練り、化け物を繰り出してやっつける。で、ダム化計画はなくなり、ミヨリの森がダムの底に沈むこともなくなり、めでたし、めでたし、となる。ミヨリの両親も離婚を思いとどまり、親子3人仲良く暮らすこtになる。
 不良少女のミヨリが心を入れ替えて目覚めていく、と解説があったので、そのあたりを頭に置いて見ていたが、そのきっかけらしきものがよくわからなかった。山本二三監督作品というが、ミヨリがなぜ魔女的な要素を持つに至ったのか、なぜ森の妖精たちと親しいのか、の裏づけが乏しい感じがした。これではアニメだけを楽しむ子供には受けるかもしれないが、大人一般に受けるには至らないだろう。
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重厚な滋賀直哉全集

2007-08-29 | Weblog
 3年前に買った岩波書店版「志賀直哉全集」をようやく読み終わった。以前に誰かが「1人の作家の全集を読み切ることが読書のあり方の正道だ」と書いていたのを読んで、そうしたものか、と思っていたら、たまたま訪れた秋の読書週間の東京・神田の神保町の青空古本市で、「志賀直哉全集」を7000円、しかも送料込みで売っていたので、買ったのだ。以来、家にいる時にチョコチョコ読み進み、代表作の「暗夜行路」から短編「小僧の神様」などの小説、日記、書簡の全15巻、総ページ数にして1万3000ページくらいを読了した。
 その「志賀直哉全集」は岩波書店が昭和48年から49年にかけて刊行したもので、1冊2400円~3200円だから、ざっと計算しても4万円にのぼる。クロスをかけたハードカバーで装丁がしてあり、いかにも大家の作品集といった感じのつくりである。それが7000円というのだから、驚く。神田の古本屋で先日、3冊で500円の棚にバラで置かれていた。古本の価格は需給で決まるものなので、刊行当時、相当に売れたのだろう。だから、多くの人も持っていて、少なくとも稀少価値がない、ということなのだろう。
 志賀直哉の作品は昔から断片的に読んではいた。ただ、こうして一貫して読んでみると、改めて読みやすい、優しい日本語で書かれた作品が多い、ということを実感した。そして、何よりも日記、書簡をこれだけ克明に残していて、全集として刊行されたことに驚く。日記で太平洋戦争の末期でも庶民と違って優雅に暮らしていたことがうかがえて、食料の調達に苦しんだような記述はなかった。昭和20年はじめには息女の結婚式を行っていて、一流の文士の生活はいあkにも上流階級であったことがわかって面白かった。
 このことは書簡集からもうかがえた。仲間の武者小路実篤、梅原龍三郎らとの行き来を読んでいると、天才同士の付き合いはこういうものか、とうかがえて面白かった。
 何よりも驚いたのは滋賀直哉が受け取った手紙が生涯3400通くらいあり、そのうち1200通を別巻に収録したことだ。普通、もらった手紙など1年も経てば捨ててしまう。ところが、一流の人はこうしてとっておくものだ、ということがよくわかった。もらった人ごとに整理して、年ごとに編集しているのは素晴らしいことだ。これにはからくりがあって、滋賀直哉の長男かが岩波書店に勤めていて、全集の編集にあたったということで、そうでなければこうはいかなかっただろう。
 で、作家の全集をまとめて読むということは確かにその作家の全貌を知れることになる。作家の生い立ちから処女作、そして代表作が生み出されるもでの経緯らしきものもうかがえて、作家により近づいたような気持ちになる。それを作家の理解が進んだ、というのだろうか。
 以来、他の作家についても全集を購入して、順次読み始めた。これには、子供が独立して、家の書棚のスペースが増えたのと仕事に追いまくられることがんかうなったことも作用している。いずれにしろ、全集で作家を理解する道を開いてくれたのは「志賀直哉全集」であったのは間違いない。
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もともと借り物の安倍カラー

2007-08-28 | Weblog
 安倍改造内閣の顔ぶれが27日決まった。顔ぶれは自民党の各派閥の長をズラリと並べ、それに古参議員をちりばめた総花的なもので、党挙げて組閣した感じはあるが、これで一体何をしようというのか、安倍首相の意図は少しも伝わってこない。鳩山由紀夫民主党幹事長が言っていたように「サプライズのないのがサプライズ」だし、福島瑞穂社民党党首が「PTA内閣」と断じていたが、予想通りの内容となった。党内の人事事情に疎い安倍首相にとってこれが限界だろう。
 組閣の終わった午後9時から安倍首相の記者会見をざっと聞いていても参院選の敗北の反省らしき言辞はあまり聞けなかったし、はっきりとした今後の抱負も伝わってこなかった。とにかく、”お友達”内閣の評判があまりにも悪かったので、党内から大臣候補のカードを集めて、適当にシャッフルしただけの組閣である。安倍カラーはどこにも見えない。もともと安倍カラーというのはだれかの受け売りなのだから出せ、というのが無理な注文なのかもしれない。記者団の質問にも正面から答えようとせずに相変わらずのあさっての答弁に終始し、挙句の果てに時間がないからと質問を打ち切った。
 安倍首相のKYぶりは依然として改まっておらず、何か事が起きれば、またリーダーシップのなさ、見識のなさを見せるのはまず間違いのないところで、せいぜいこの改造内閣はもって3カ月だろう。大臣に任命された派閥の長は口では「全力をあげて」と言っているが、心の中では「いつまで持つのか」と醒めた気持ちでいることだろう。
 今回の大臣の平均年齢は60.44歳と以前と比べ0.5歳若返ったというが、とてもそうは思えない。安倍首相をはるかに超えるベテランの多い内閣で、とても安倍首相が引っ張っていける、とは思えない。官房長官となった与謝野馨氏は69歳で、がんの手術から復帰して4カ月のせいか、声が濁ってよく聞き取れない。老人内閣の象徴でもあるが、絶えず前面に出て指揮を取らねばならないが、激務に耐えられるのだろうか、と疑問が残った。
 自民党幹事長、総務会長、政調会長の党三役の麻生太郎、二階俊博、石原伸晃の3人は参院選後、いち早く安倍首相の続投を表明した人だという。論功行賞人事がここでも行われていた、というわけだ。珍しく、3人の所信表明がNHKテレビで中継されていたが、3人とも小泉前首相のツケを払うのだ、苦しい弁解に終始していた。昔からよく弱将のもとには弱卒しか集まらない、と言われるが、今回は弱卒ではなく、強卒も入っているが、強卒も強将がいてこそ手腕を発揮する。弱将では部下の方から三下り半を突きつけてくることだろう。いまにも、そうした場面が展開されることだろう。
 26日朝の日曜討論に出ていた塩川正十郎元財務相がいまの自民党衆院議員306人のうち当選5回以上は81人、参院でも6年以上の議員は84人のうち20人とほぼ4分の1しかいない。ベテラン議員がいかに少ないか、を嘆いていた。議員も素人が跋扈しているわけで、政治資金にルーズだし、不祥事を度々起こす議員があとを絶たないのはこのせいでもある、とも言っていた。そんな議員を選んだのは国民なので、責は国民にあるとも言えるが、政治も素人の時代に入った、のかもしれない。

追記 夕刻、テレビ朝日を見ていたら、コメンテイターの大谷昭宏氏が今回の改造内閣を「リフォーム詐欺内閣」と命名していた。年金、地方、防衛の要所に適材を置いたように見えるが、土台(総理大臣)は変わっていないのだから、詐欺である、との言いである。言い得て妙である。
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軽井沢24時間

2007-08-27 | Weblog
 26日は朝5時半頃起きて、朝風呂にゆっくり浸かり、心身を伸びやかにしたあとで、ハーベスト旧軽井沢のあたりを散歩した。空気が澄んでいて、清々しい。通りの向こうから子犬を連れた妙齢のご婦人がやってきた。京マチコ風のご婦人で、なにか、様になっている。シロガネーゼならぬカルイザーネといった感じで、目が合うと、軽く微笑んで会釈をしてくれた。こんなところに別荘を持てば、気分はいいことだろう、と思った。
 ハーベスト旧軽井沢に今年5月にアネックスが完成し、そちらのレストランでも朝食を摂れる、ということなので、行ってみると、まるで少女雑誌のヒロインのような女の子がウエイトレスといsて出迎えてくれた。バイキング形式の軽い朝食を、窓越しに眺める庭を見ながら、味わった。そして、売店をのぞいたところ、仮設の店舗で、フランス製のテーブルクロスとスカートを買った。クレジットカードは使えず、現金のみというので、払うと財布にはあと1万円強しか残らなくなってしまった。
 軽い財布で心細い気持ちとなって、軽井沢銀座へ出かけた。ハーベスト旧軽井沢を出た際に、型絵染美術館なるものがあったので、入場料200円也を払って観賞した。地元の小林今日子さんが制作した西洋風の型絵染めの作品が小じんまりとした2階家に飾ってあった。あとは小林さんが個人的に収集した置物などが展示してあった。
 万平ホテルまで歩いていくと、深緑のなかの道を結構、車が行き交う。さすがいまが盛りの軽井沢、といった感じで、万平ホテルもいつになく人が多い。いつも通り、売店を覗いて、出ようとすると、東京・永田町のギャラリー明治が絵画の展示即売会をやっていた。中にはだれもいなかったが、冷やかしのつもりで、中へ入ると、東山魁夷、平山郁夫などお馴染みの絵が並んでいて、正札の50%引きと貼り出してある。もうお金もないので、相場はどんなものか、を見るために入っただけだったが、人の良さそうなおじさんがしきりとあれこれ、説明し出した。適当に聞き流していたが、ふと赤富士のリトグラフに目は行ったのを見透かされて、いろいろセールストークを連発し、そのうちにどやどやお客は入ってきて、とうとう根負けして、正札の半値のやや下の価格で買うことになってしまった。家に帰って、ネットで調べてみると、当該作家の赤富士のリトグラフは粗製乱造といった感じで、必ずしもお買い得ではなかったことが判明した。
 軽井沢の万平ホテルという雰囲気に呑まれた、としかいいようがない。万平ホテルでは以前にも売店で中国製の銅の花瓶を買ったことがある。売店の一角に骨董品の類が陳列してあるコーナーがあり、そこに置いてあったのが気に入ったのだが、いまでは押し入れの隅に眠っている。万平ホテルという由緒さるホテルにあると、それなりに見えてしまうのだろう。
 軽井沢銀座もまるで東京の表参道のような凄い人並み。いつも閉鎖している源右衛門のお店も開店しており、シーズン真っ盛りの軽井沢は違う。軽井沢彫のお店で小さいテーブルを格安で売っていたので、購入し、駅まで歩いて、駅の休憩室で横川の釜めしを食べて、午後1時35分軽井沢発の新幹線で帰った。上野へ着いても軽井沢の気温でまる1日過ごしたせいか、いく分涼しく感じられた。軽井沢24時間の余韻なのだろうか。
 
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真夏の別天地、軽井沢

2007-08-26 | Weblog
ハーベストが夏のシーズンでもキャンセル待ちで、予約できることがわかったので、ハーベスト旧軽井沢に申し込んだら、なんと110番目。それでも可能性はある、と言われて、待ったところ、前日夕方に電話がかかってきた。早速、新幹線の切符を買いに行くと、午後1時30分上野発しか取れなかった。それでもシーズンの軽井沢は初めてなので、行くことにした。25日の昼下がり、軽井沢駅に降り立つと、駅の構内にある温度計が摂氏26度を示している。標高1500メートルなので、東京より10度くらい低くて丁度いいのだが、それにしても涼しい。温度だけでなく、湿度も低くて、過ごしやすい。まるで、別天地である。
軽井沢駅からハーベスト旧軽井沢に向かうと、手前の大賀ホールで人だかりがしホール横の売店で飲み物を売っている。コーヒーを頼んで、飲んだ後、正面に回ると、25日から「軽井沢国際音楽祭2007」が幕開けし、4時からガラコンサートが開かれ、「当日券あります」と掲示してあった。大賀ホールはソニー名誉顧問の大賀典雄氏が2005年に建築、寄贈したもので、いつか機会があれば中で音楽を聞きたい、と思っていた。早速チケットを購入し、荷物をホテルに置いて、大賀ホールへ戻った。
大賀ホールは六角形で、サントリーホールの一階席を半分にしたような感じで、中はすべて反響を考えてか、木造つくり。天井にはプラスティック製の円形の大きな反響パネルホールが3つも下げられており、サントリーに対抗してソニーの技術の粋を集めた感じである。ホールに足を踏み入れた瞬間、練習中の楽器の音が聞こえてきて、音響効果のいいホールであることが直ちにわかった。開演を知らせる合図も軽井沢らしく鳥の鳴き声と凝っていた。
幕開けは武満徹の「波の盆」を本名徹次指揮、国立音楽大学学生による軽井沢祝祭管弦楽団が演奏した。続いてオーボエ、ハープ、バイオリン奏者と小品を演奏したが、ホールの音響効果がいいせいか、立派な演奏に聞こえた。 休憩をはさんで、後半はソプラノの足立さつきによるオペラ名曲集。このホールで初めて歌う足立さつきも音響効果のよさは認めていた。演奏終了後、アンコールに応えて、「乾杯の歌」を足立さつきと国立音楽大学の男子三年生が見事に歌い切ったのには驚いた。
コンサートの後は駅南の軽井沢ショッピングモールをぶらつき、2、3買い物し、食事もしてホテルへ帰る途中、駅の温度計を見ると摂氏21度と信じられない温度。空を見ても真っ暗で、本当に別天地に來た気分に浸った。
 
追記 ハーベスト旧軽井沢の部屋の洗面所での水が冷たくて気持ち良かった。井戸水を使っているのか、と思われるほどの心地よい冷たさで、外の暑さにげんなりした手にヒャッとした感触は素晴らしい。思わず、手首や腕に水をかけたくなってくる。この水の冷たさは忘れられない思い出となろう。
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”腹心”にも蹴られた安倍首相

2007-08-25 | Weblog
 政界の寝業師、小池百合子防衛相が24日、ニューデリーで記者団に対し、「27日に予定されている内閣改造に関し、「テロ対策特別措置法をしっかり実現してくれる人にバトンタッチしたい」と続投を望まない意向を表明した。守屋武次官の更迭をめぐり、防衛省内の人心把握ができていないことを専門家筋から指摘されていたのを先手を打って逃げ出したものと思われる。理由として、が海上自衛隊のイージス艦の情報持ち出しの責任を取る、としているが、この問題が起きたのは今年3月で小池大臣の就任以前で理由になっていない。泥舟ともいわれる第2次安倍改造内閣への参加を断った、とも受け取れる。
 その安倍首相はクアラルンプールで「すでに改造の骨格は固めた」と相変わらずのKY(空気が読めない)ぶり。お膝元では23日に開かれた自民党総務会で、先の参院選を総括して、敗因として安倍首相の「国民の側でなく、永田町の政治家の側に立っているイメージを持たれた」政治姿勢を指摘したほか、閣僚不祥事への首相の対応のまずさ、政策論戦でも首相の掲げる「美しい国」が浮いていたなど異例の首相批判が提出された。それを知ってか、知らずか、いまどきどうしてアジア外交とミスマッチなあさってのパフォーマンスを繰り返している。本当にノー天気な御仁である。足元に火がついているのに、本人はつくり笑いでテレビに登場している。一体、どんな教育を受けてきたのか、親の顔がみたい、と心底思う。
 こんなことでは27日の改造内閣がうまくいくはずがない。心ある人は打診されても断ることだろう。喜んで入閣するのは陣笠の無能な古参議員くらいのものだろう。沈むとわかっている船に乗り込む船員は馬鹿か、ゴマすり連中だけだろう。
 小池大臣はお得意の携帯電話にでも自身、防衛大臣のリストから漏れていることをだれかに知らされでもしたのだろう。そして、恥をかく前に先手を打って、辞任としゃれ込んだのだろう。記者の「他の閣僚に横滑りの場合は受けるのか」との質問に対して、「それは首相の判断」といなし、「その時にならないとわからない」といかにもありげに応えて、最後までしたたかなところを見せていた。
 もともと小池議員の防衛相指名は小泉前首相の指示とも言われており、いかにKYの安倍首相ももう付き合いきれない、と見限っていると思う。小池大臣にここまで馬鹿にされて、安倍首相が他の閣僚に起用するとは考えられないが、ポリシーも人を見極める力もなく、自分で決まられない安倍首相だけに頭の中は無茶苦茶だろう。これ以上、馬鹿にされないためには早く辞めるのが一番なのに、頼みの安倍洋子さんも、昭子さんも目が狂っているようで、ここはご意見番の中曽根康弘氏に引導を渡してもらうことを願うしかなさそうだ。
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ど迫力の和太鼓

2007-08-24 | Weblog
 23日は三軒茶屋の昭和女子大学講堂での題名のない音楽会の公開音楽番組に行った。いつも事前に出演者などを気にせずにいくが、やはり生で聞くオーケストラの音楽はいい。それに毎回、出演するゲストミュージシャンが音楽だけでなく、司会者とのやりとりで、音楽に対する考え方や生き方について話してくれるのも魅力である。普通の音楽会ではワンマンショーは別として、大体は単に音楽を聴いて帰るだけのものが多いが、題名のない音楽会ではミュージシャンの肉声が聞けるのが楽しい。
 前半は「団塊世代への応援歌」をテーマとして、47歳にしてブレークしたというシャンソン歌手、クミコと71歳で奄美大島の民謡を歌う朝崎郁恵が登場して、「愛の讃歌」、「月ぬ美らさん夜」などを熱唱した。クミコは入場時に配布されたチラシで見るといかにもおばさんといった感じだったが、歌はハリがあって伸びやかな声で聞かせた。47歳でなぜブレークしたのかの説明がなかったのが不満だったが、歌を聴いて正直さもありなん、と思った。歌った後に司会の千住真理子らと話したが、歌う声と話す声がまるで違い、そのギャップが面白かった。朝崎郁恵も70過ぎとは思えぬ美声で、まるで中幸介のお母さんといった感じであった。最後に挨拶して舞台の袖へ引き込む時に、自ら追っかけをしていると広言していた三味線の上妻宏光の手をとっていそいそと退場したのには思わず笑ってしまった。女はいくつになっても女なのだ、と思わせた。
 後半は和太鼓の林英哲と三味線の上妻宏光の出演による「MATSURI」。最初は舞台中央に置かれた大きな太鼓を林英哲自ら作曲した「宴」を演奏した。裃姿で颯爽と登場した林英哲は上の紋付を脱ぎ、正面に背を向け、両手にばちを持って演奏を始めた。力いっぱいに太鼓を叩くと、その音は観客席にまで響いてきて、ホールいっぱいにこだまする。音楽会で太鼓を聴くのは初めてで、こんなに迫力があるものとは思わなかった。林英哲の背中は見る見る間に赤くなってきて、汗も浮かんできた。本人も言っていたが、筋肉というより回転する瞬発力が大事だ、というのはよくわかった。
 続いて演奏された和太鼓と三味線の競演による「蒼乱舞」、そして和太鼓とオーケストラによる「飛天遊」も素晴らしかった。「飛天遊」は林英哲とベルリンフィルとで演奏したこともある代表作ということで、オーケストラが束になっても和太鼓の迫力に敵わない、といた感さえしたほどだった。考えてみれば、オーケストラに太鼓はある。それなのに和太鼓になって、中央奥に陣取った林英哲がいくつかの太鼓を従えて、演奏すると、オーケストラが脇役みたく聞こえてくる。強弱、間の置き方で太鼓の音がいく通りにも聞こえてきて、千変万化である。それでいて、オーケストラとなじんでいる。演奏後、観客席の中央にいたこの「飛天遊」の作曲者,松下功さんが紹介されていたが、作曲者の腕によるのか、演奏者の腕によるのか判然としないところもあるが、いずれにしろどはずれた迫力であった。
 羽田健太郎氏が亡くなって4カ月くらい経つが、「題名のない音楽会」の趣向も以前と比べて広がりが出てきて、かなり変わってきたようだ。司会に意向がどの程度働くのか、よくわからないが、構成作家の考えが前面に出るようになってきた結果なのだろう。外から音楽世界のことを見ている人が構成すると、そうなるのかもしれない。羽田健太郎氏の番組もそれなりに面白かったが、素人に近い発想で幅広く音楽をとらえていくのもまた面白いものだ、と思った。
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下馬評覆した佐賀北高の優勝

2007-08-23 | Weblog
 22日行われた全国高校野球甲子園大会の決勝は強豪の広陵高が無名の佐賀北高に敗れる、という思わぬ結果となった。会議でずっと試合の模様が見られなくて、3時過ぎに部屋へ戻って、テレビを点けたら、佐賀北の選手が笑顔でアルプススタンドに向かって応えているシーンが映り、佐賀北高の優勝が判明した。続いての試合経過を振り返っての放送を見ていると、8回表まで4対0で負けていた佐賀北が8回裏に1点を入れた後に、3番副島の満塁ホームランで逆転し、そのまま5X対4で押し切って勝ったという劇的な勝ち方であった。
 そういえば、前日の準決勝を勝ち上がった両チームは夜のスポーツニュースを観ていたら、広陵の中村哲之監督が「ここまで来たら、選手に優勝をねらうよう言います」と3度目の決勝進出で気負っているのに対し、佐賀北の市丸主将は「明日も楽しんでやります」とリラックスしていたのが対照的であった。とかく、勝負事は意識した方が負けるというのが鉄則で、いかに平常心で臨めるか、がカギである。なのにそれを教えねばならない監督自らが入れ込んでは広陵の負けだろう、とその時思った。
 佐賀北は公立高校で、選手は地元の軟式経験者ばかり、しかも練習は1日に3時間というおよそ野球漬けの強豪高とはかけ離れたチームである。春の甲子園大会には佐賀県勢からは小城高が出場したが、1回戦で敗退したから、佐賀北は全くのノーマークであった。しかし、2回戦の対宇治山田商戦では延長15回引き分け、再試合で勝ちあがり、準々決勝の優勝候補の対帝京高戦も延長13回で破ってきて、戦うごとに力をつけてきた。決勝もその勢いで勝ち取ってしまった。
 高校野球をめぐってはつい先ごろ西武ライオンズのスカウトが早稲田大学の選手に支度金として金品を渡していたことが明らかとなり、アマチュア野球憲章違反として、選手は向こう1年間の出場停止、西武球団には罰金が課せられ、その余波で全国370余の高校が特待生制度を採っていることも判明し、日本高校野球連盟として、なんらかの改善を図ることを迫られていた。それがうやむやのうちに夏の甲子園大会が始まって、世間は問題があったことすら忘れかけてしまっている。そうした人間世界のいい加減さをあざ笑うかのような特待生のいない無名高、佐賀北の全国制覇で、”勝負の神”さまも時に味なことをするものだ。
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人は住まいに選ばれる

2007-08-22 | Weblog
 鈍想愚感子のマンションは東急・田園都市縁溝ノ口駅から歩いて7分くらいのところにある。駅から歩いて帰る時に、よく近隣の人が前を歩いていることがあり、親子連れ、夫婦、サラリーマン、OLなど様々だが、その着ているファッション、雰囲気、会話などから「これは前のマンションの人」、「これは先の一般住宅の人」、「同じマンションの住人」と思って、見ていると大体当たる。その立居振る舞いが醸しだす雰囲気から感じられるもので、不思議といえば不思議である。どこに住むかは人それぞれのはずなのに、結果として同じような人が集まってしまう、ということで、現代人の生態を分析するいい手掛かりといえるのかもしれない。
 当マンションは三井不動産がバブルの末期に経てたマンションで、元は鳥や虫が生息する自然保護区の山林であった、という。山林を切り拓いたもので、以前はけもの道だったのを自動車が通れるような急傾斜の道を造った。だれがつけたか、その坂の名前は「馬坂」となって、看板がかけられている。馬でも通れない急な坂ということなのだろうか。
 ともあれ、当マンションが完成した95年頃は三方が残された山林で、ベランダにカブトムシがやってくるようなこともあった。ところが、その山林も持ち主が順次売り払っていって、この10年でマンション地帯に様変わりした。急傾斜の道を嫌って、遠方の住民は回り道をして、元々ある緩やかな道を通勤経路としている。
 従って、元けもの道を通る人は近隣のマンションの人と近道をしたい遠方の住民に限られる。近隣のマンションは坂の右手が急傾斜に建てられた分譲マンションで、左手はワンルームの賃貸アパート。坂を登り切っていく人は従前から住み着いている人、そして当マンションの住人と、行き交う人は4つのタイプに分けられる。
 それが、大体、予想した通りの結果となるから面白い。同じような住居に住むと、風体や雰囲気が似てくるものなのだろうか。マンションなり、賃貸アパートを選ぶ時に自分では好みなり、立地条件で選んでいる積もりでもそうなることが宿命つけられているものなのか。それとも住んでいるうちに類は類を呼ぶ、ということで、似てくるものなのか。
 分譲マンションの購入はその人にとって、おそらく生涯最高の買い物であり、慎重の上にも慎重を期して万全の決断をすることだろう。それが、結果として似たような人の集まり、となるのだから、面白い。都市生態学の1ヒントっくらいにはなるだろうか。
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