鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

一瞬、オレオレ詐欺団を捕まえられる、と思ったが、彼らもそこまでドジではなかった

2013-04-26 | Weblog
 24日午後10時ころのことである。そろそろ寝ようかな、と思っているところへ電話がかかってきた。かみさんが出ると、男の声で「オレ、オレ」と言い、3男の名前を名乗った。かみさんは息子の声と違うので不審に思い、「なんでしょうか」と言うと、電話は切れてしまった。我が家の黒電話はかかってきた電話の番号が携帯電話に転送されるようになっているので、直後に相手の電話番号が表示された。その番号は市外局番の0426で調べると、藤沢のもので、下3ケタは001で比較的大きな組織のようだった。
 我が家に「オレオレ詐欺」の電話が掛かってくるのは初めてのことで、3男とはつい2時間前に話したばかりで、いつもは3男とは携帯電話でやりとりしているので、おかしいな、と思った。3男の会社は湘南台で藤沢市の隣なので、3男がレストランにでも行って、そこから掛けてきたのかな、とも思ったが、いつも携帯電話なので、それもおかしい、と思って、警察に通報した。直接、相手の電話に掛けることも考えたが、警察に委ねた方がいい、と思ったからだった。翌日夕刻には3男と会うことになっていたので、本当に掛けてきたのか、改めて確認してもいいかな、と思ったが、警察には早めに連絡した方がいい、と思ったからだった。ただ、通報を受けた警察は「そうですか」と言って、一応事情を聞いてくれたが、すぐに動くような気配は感じられなかった。
 ところが、翌日になって、警察から電話があり、「昨晩は他にもそうした電話が掛かってきたようだ。改めて携帯電話への着信記録を確認したい」と言ってきて、2人連れの刑事が我が家にやってきた。で、改めて携帯の着信記録を見ると、問題の着信時間が午後10時ではなく、19時58分となっていた。かみさんに確認すると、その時間にブライダル関係のセールスの電話があった、という。その時には詳しく聞いていなかったので、勝手に19時を午後9時と思い込んだようだった。刑事さんに着信記録を見せると、自分の携帯電話を取り出して、黒電話に掛けて携帯に着信記録の出る状況を見たうえで、今度は非通知にして掛けてみて、着信記録に出ないことを確認した。で、藤沢の番号はオレオレ詐欺をやるような会社ではないことが判明したし、詐欺団が記録に残るようなことはしないだろう、と言うので、着信時間を勘違いしていた旨を伝えると、納得しような顔をしていた。
 考えてみれば、詐欺団もそんな簡単に捕まるようなドジな手は使わないだろう。刑事さんも携帯に着信記録が残るようなことは知らなかったので、見たかったのかもしれない。でも帰りがけにその刑事さんは3男が通っていた高校の名簿が使われているようだ、と話していたので、多少は捜査の進展の役には立ったようだった。確かに高校の名簿には実家の住所が載っているので、オレオレ詐欺の対象にはなりうるというのだろう。我が家に掛けてきたというのは3男が別居していると知って掛けてきたわけで、それなりの事情聴取はしていることになり、周辺に詐欺団がいるというのは怖い気もする。
 それにしても孫でなく、息子をねらうようになってきたようで、オレオレ詐欺の手口はますます広がっているようで、くわばらくわばら。
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いまの日本の安全保障の枠組みのなかでは周辺国に協力を求めていかざるを得ない

2013-04-25 | Weblog
 閣僚はじめ国会議員の靖国神社参拝がまたぞろ韓国、中国からの反発を招く事態となっているのを聞いて、国会議員というのはなんと頭の悪い者ばかりそろっているのかとあきれかえる。維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が「戦没者に対して敬意を表する問題と外交の問題をきちんと分けなければならない」と言っているのに全く同館で、日ごろの橋下代表の言動には必ずしも賛意を表しないが、今回のこの発言はなるほどと思わせた。靖国参拝問題は毎年のように繰り返されることで、こうして表立って行動されば、中韓の反発を招くとわかりきっていることをなぜすすのか全く理解できない。
 そもそも靖国神社には東京裁判でA級戦犯とされた14人(刑死は7人で、病死7人)が合祀しれており、それを国を代表する閣僚、国会議員が参拝することは太平洋戦争で中国はじめアジア諸国に与えた戦争犯罪を美化するものだ、というのが中韓の言い分で、少しも反省していないことになる、という理屈である。合祀されたのは1978年10月17日で、その後歴代の大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘首相が名年参拝したが、中韓両国はなんの反応も見せなかった。ところが、1985年8月7日に朝日新聞が「特集靖国問題 アジア諸国の目」を掲載し、「中国は靖国問題でw日本の動きを注視している」と書いたことから、中国側も反応を見せるようになった、という。
 靖国問題に火をつけたのは敢然と終戦記念日に靖国神社を参拝した小泉純一郎首相で、以来時に首相が靖国神社に参拝するかどうかは常に注目を浴びてきた。今年は自民党が政権に復帰したことと、数年来の尖閣諸島の領有で、日中間に緊張が走っているので、よりその動向が注目を浴びていた。
 そんななか、麻生副総理が春の例大祭に靖国神社に参拝したのに続き、23日には「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という初めて聞くような名前で168人もの国会議員が参拝して、案の上、中韓両国から強烈な反発を招いた。韓国は月末に予定していた日韓外相会議を中止したし、中国は国会議員団の訪中を取りやめるよう申し入れてきたし、尖閣諸島周辺での攻防は一段と激しさを増している。
 考えるに国会議員ともなると、その動静は常にマスコミの監視を受けている。本当に戦没者を慰霊したいのなら、全くの休日に私服で靖国神社に参拝してもいいようなものだが、そうすると参拝したことにならない気がするのだろう。靖国神社に行かず、千鳥ケ淵の戦没者墓苑にでもお詣りすればいいとも思われるが、それも哀悼の意が伝わらない、とでも思うのだろうか。わざわざやくざの出入りのようなものものしい集団で参拝すれば却って目立つとは思わないのだろうか。マスコミに報道されれば、すぐに中韓両国に伝わり、反発を招き、外交にいい影響を与えない、とは思わないのだろうか。
 頭が悪いというのはこのことである。いまの日中両国の関係に思いをはすれば、ここで靖国参拝すれば、どんな跳ね返りが帰ってくるのか、予測がつかない、とすれば政治家失格である。こんな輩に日本の舵取りを任せておけない、ということになるだろう。
 橋下代表は「いまの日本の安全保障の枠組みのなかでは北朝鮮の問題を自分たちだけで解決できるだけのポジションに立っていないので、周辺国に対して協力を求めていかなければならない」と言っている。今回、靖国神社に参拝した議員はこの言葉をじっくりとかみしめてもらいたいものだ。
 
 
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けばいファッションで法廷の雰囲気にそぐわなかった代理人が傍聴席の失笑を誘った

2013-04-24 | Weblog
 23日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後1時半からのAKSが文芸春秋社を名誉棄損で訴えている709号法廷の民事裁判を傍聴した。2010年2月11日の週刊文春で「AKEの窪田康志社長がAKB48メンバーの篠田麻里子と不健全な関係にある」と書かれた記事にAKEが文芸春秋社に対して損害賠償と名誉棄損で訴えているもので、まず記事を書いた週刊文春の記者が取材元の名前は明らかにしなかったが、記事を書くに至った経緯と根拠を述べ立てた。
 これに対して見るからにけばいファッションで反対尋問に立ったAKEの代理人は執拗に取材元であるAKE関係者の名前を聞き出そうと迫ったが、その口調と態度はまるで法廷の雰囲気にそぐわないもので、傍聴席の失笑を誘うものだった。窪田社長はクレジットカードを篠田麻里子に与えて自由に使わさせている、との内容の記事に対しても「クレジットカードの使用状況をすべて公開して、事実でないことを明らかにできる」と方向違いの弁明で反証しよう、とした。
 わずかに裁判官が記者に対し、関係者の前歴を尋ねた際に、記者は「金融関係にいた」と答えたことが原告側に大きなヒントを与えたようで、文芸春秋側もそこまで考えていなかったようだ。AKEに在籍する者で、元金融関係ということになればすぐにだれだかわかってしまうことになり、今後に尾を引くこととなりそうだ。
 次いで証言台に立った原告の窪田社長は「記事は全くの事実無根であり、私と性的関係にあったとされる元AKB48メンバーを侮辱するものであり、父の会社も含めて名誉が棄損された」と述べ立てた。こうした事件で暴露された男女の関係を本人が法廷の場で公然と認めるケースはまれで、大概は否定する。問題はその否定の周辺の証言が合致しているかどうかで、「AKB48メンバーに自分から誘ったことはない」と言いながら、「一緒に食事をしたりしたことはある」とか、篠田麻里子が名古屋のホテルに泊まったことを聞かれて、「個人的に行かれた」と尊敬語で表現していたことに違和感が残った。こうした証言内容を裁判官がどう判断するかだが、全くのシロではない、との印象を持った。
 文芸春秋がこうした名誉棄損で訴えられる裁判はいくどか傍聴しているが、今回は代理人と証言に立った記者との打ち合わせが細部まで詰めていたような感じがなく、そのせいかいつもの代理人らしいさえがみあられなかった。
 裁判は次回7月9日の最終弁論を経て、判決ということになったが、和解という気配はこれっぽっちも出ていなかった。全くの棄却ということは考えにくく、さりとて原告の名誉棄損を認め、言い分通りの損害賠償額を認めるとも思えない。となると、少額の損害賠償額の支払いが言い渡され、それに納得しない原告側が控訴し、さらに裁判が続くということになることだろう。AKB48の人気に差し支えると判断されれば、どこかで第3者が仲介して手打ちが行われることとなるのかもしれない。
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仲間由紀恵の写真を飾って、「奥さんとそれほど違わない」はないだろう

2013-04-23 | Weblog
 家の近くのJR南武線の線路沿いのビルの1階に昔ながらの八百屋「八百鉄」がある。溝ノ口駅周辺には丸井やイトーヨーカドー、オーケーなど大手のスーパーが乱立し、幾多のお店が消えていくなかで健闘している。我が家もたまにその八百鉄で買い物をしているが、JRの踏切を渡って、さらに幹線道路を渡らないといけない不便さもあって、それほどのお客ではない。で、昨晩の夕食の後にかみさんが「今日、八百鉄に行ったら、壁に女優の仲間由紀恵の写真が飾ってあったので、『どうしたの』と聞いたら、『映画のロケかで店の前を何度も通ったので、撮った』と言っていた」という。
 話を聞いてみると、ことしの2月に八百鉄の隣の有隣堂書店で映画か、テレビドラマの撮影があり、それに仲間由紀恵が出演していて、何度も八百鉄の前を通るので、カメラでスナップ写真を撮ったのだ、という。そんなことがあったとはちっとも知らなかったので、残念なことをしたと思って、その写真をじっくり見ると、確かに仲間由紀恵である。で、かみさんは店の主人に「どうだったか」と聞いてみたら、「それほど大きくなかった。むしろ小さかった」とのことだった。映画やテレビに出てくる俳優は画面で見ているよりも意外と小顔で、ほっそりしていて、しかも小さく感じることが多い。
 それでも仲間由紀恵はいまや日本を代表する美人女優なので、かみさんは「きれいだった?」と聞いたら、八百鉄の主人は「そうでもないや。奥さんと同じようなものだ」と言ったという。商売上のお世辞であるのはもちろんだが、さらりとそんなみえすいた嘘が口にできるというのは相当なものである。それを聞いたかみさんは満更でもなく、それから数時間経ってもニコニコしていたので、八百鉄の主人の放った一撃は相当なものだろう。
 それを聞いた当方としては「それはないだろう」とは言えないので、「少なくとも30年前のと言ってほしかったねえ」と混ぜっ返したが、かみさんは聞く耳を持たなかった。
 八百鉄が扱っているものは野菜と果物だけなので、どうしても肉から乾物。お菓子などすべてのものがそろっているスーパーには適わないので、どうしても足が遠のき、月に1回か、2回くらいししか買い物に出かけないこととなる。時に美味しい果物を安く買えることがあったり、以前に贔屓にしていた豆腐屋さんの豆腐を直接その豆腐屋さんより安く売っていたことがあったので調法したことがあったが、いまはそれほどでもない。それでもお客とのちょっとしたコミュニケーションが図れるのが最大のメリットといえるのかもしれない。今回のようなことがあると、ちょっとした井戸端会議の話のネタともなることだろう。それに今回のように嘘と分かっていてもうれしくなるようなことを言われれば、本人も悪い気はしない。しばらく、かみさんの八百鉄通いが続くのは避けられそうもない。昔ながらの商店がしっかり生き残っている秘訣は案外、こんなところにあるのかもしれない。
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夢幻花という表現を一挙に広めることとなったのは作者、東野圭吾の筆の力である

2013-04-22 | Weblog
 東野圭吾の最新作「夢幻花」を読んだ。ネットで注文したところ、到着するまで2週間かかったので、制作上でなにかトラブルがあったのかと思っていた。奥付けを読むと、「歴史街道」に掲載されたのが2002年から2004年にあっけてなので、ほぼ10年前で、その後起きた3.11の東日本大震災のことが織り込まれているので、かなり書き直しが加えられているようだ。それで刊行が遅れたわけではないだろうが、東野圭吾にしてはいつものテンポの良さが伝わってこず、どこかぎこちない感じがしてならなかった。ただ、ミステリーとしては面白かった。
 「夢幻花」は幼少時代に浅草の朝顔市に家族全員で毎年連れていかれていた少年、蒼太と同じように家族連れで来ていた少女と知り合い、付き合いを始めたら、親に知られて進学に差し支えるということで少女と別れてしまうところから始まる。その後、大きくなった少年は大学の工学部原子力工学科に進み、3.11大震災が起きたことで、就職先を含め進路に悩む。もうひとりの主人公の梨乃は大学に学ぶ水泳選手でオリンピック出場を嘱望されていたが、突如泳ぐのが嫌になり、泳ぐのをやめてしまっていた。そんな折り、梨乃の兄が突如、自殺してしまう。
 その理由がわからないまま、梨乃は祖父の秋山周治のところへ顔を出すようにしていたら、今度はその祖父が殺されてしまう。祖父は生前、黄色い花を咲かせ、喜んでいたが、亡くなってその花が失くなっていることに気が付き、警察に訴えるが、最初は見過ごされてしまう。その花こそが幻の花と言われる夢幻花というわけで、植物愛好家の間で密かに取り沙汰されていた奇跡の花だった。朝顔の一種で、黄色い花をつけ、江戸時代には貴重な品種としてもてはやされたことがあった、という。
 ところが、物語の最後になってこの花の種を食べれば幻覚症状を起こし、一種の麻薬ともなることがわかり、一挙に自殺した蒼太の兄のバンド仲間が犯人であることになるが、この間、蒼太の兄が実はずっと前からこの謎の花を追っていた警察官で、蒼太の家は代々そうした使命を負っていたことや、少年時代に知り合った少女の家もその関係の医者の家だったこと、それに蒼太の母親がかつてその花の種を常用して幻覚症状を起こし、殺人事件で死んだ両親の残された唯一の生き残りだったことなどが判明するなど物語は一挙に暗転明転する。
 最後に主人公の蒼太が原子力工学の分野で働いていくことを決意したことと、兄の遺書のなかで励まされて梨乃までが再び水泳を始めたのはいつもの東野圭吾にしてはハッピーエンド過ぎて逆に違和感を感じさせた。それと、作者は3.11大震災が起きたことで、大幅に修正、書き足したことがいつもの快調なテンポを狂わせたことだろう、と思った。夢幻花云々は多分、作者、東野圭吾の創作なのだろう、いくらネットなり、辞典で検索してもそれらしい表記には見当たらなかった。それにしても夢幻花という単語をこれだけ広めた東野圭吾はすごい、とも思った。
 あと、途中でMM事件という表現が出てきて、米国の女優、マリリン・モンローであることが書かれていたが、マリリン・モンロ-が死んですでに50年が経過したことに改めて驚いた。
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駅の自動改札機を平然と通過する不正乗車者を掣肘すべきだ

2013-04-21 | Weblog
 先日、東急田園都市線の溝ノ口駅を降りて、改札にさしかかったところ、前を行く男性の老人が自動改札にスイカか、定期券かをかざしたところ、赤いランプが点き、区間が合ってないことを告げているにも拘わらず、当の老人は改札機の黒い開閉式のゲートを身体で押し開けて、そのまま通って、行ってしまった。溝ノ口駅の自動改札機は4、5台あるが、駅員は10メートル以上離れた駅務所にいるため、赤いランプが点灯したからといって、すっとんでは来られない。老人はそれを見越してか、スタスタと行ってしまった。
 普通なら、赤いランプが点けば気になって、戻り、定期券なり、スイカをチェックするため、駅員のいるところに行って清算するのだろうが、件の老人は一向にそんな気配を見せずに「赤いランプが点いたのは機械がおかしいのだろう」とでも言いたげに平然と改札機を通過してしまった。明きらかに確信犯的な行動である。赤いランプが点くと多少の音もするし、後から来る人がその自動改札機を通れなくなるうえ、一瞬注目を浴びることになるので、恥ずかしい思いをする。それを平然と通過して行ってしまうというのは度胸もいるし、犯罪を犯したような罪悪感も伴うことだろう。その老人は身なりも普通だし、耳が遠くて身体障害者のような感じもなかった。仮に見とがめられた際に「考え事をしていて、気がつかなかった」と謝るような風情も感じられなかった。
 そのことがあってから、しばらくして他の駅で今度は若い女性が同じように自動改札機で赤いランプが点いて警告しているのに、同じように平然と立ち去って行ってしまった光景を目にした。年金生活の老人の場合ならさもありなんと理解もできようが、若い女性がそんな確信犯的なことをするとは考えにくい。他にもこんな光景を見たことがないわけでもない。世の中不況で、生活に困るような人が続出している時期ならともかく、いまのような状況で、キップ代を踏み倒す人が輩出するのは嘆かわしいことである。
 昔、まだ駅務が自動改札となっていなかった時代に、会社の同僚と横浜まで出かけたことがあったが、横浜・関内の駅を通る時に切符を出したら、同僚はいつも通勤に使用している定期券を見せてなんなく改札を通過したので、驚いて「よくそんなので通過できるね」と聞いたら、「駅員はそんなに目がいいわけではない。これでどこでも通過できるよ」と平然としていたので、驚いたことがあった。その同僚は親父さんが会社の経営者でいわゆるお坊ちゃんだったので、お坊ちゃんはすることが違うと思ったものだった。却って堂々としていると駅員はついつい見逃してしまうのだろう、と思った。
 しかし、いまは目視でなく、機械でチェックすることになっており、一発でごまかしはわかってしまう。やはり、そうした手合いが横行することは社会風紀上問題であり、正直に勤労していることが馬鹿らしくなる風潮を生むこととんりかねず、どこかで掣肘を加えるべきだろう。警察なり、鉄道の専門官が事情聴取すれば、常習犯なのか、うっかり犯なのか、一目瞭然で判別できる。駅務で、常時取り締まるようなことはできないにしても、たまには駅頭で立ち会いによる取り締まりをし、摘発すべきだろう。
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景気が上向いたせいで、ファーストフード業界にも異変が起きているようだ

2013-04-20 | Weblog
 このところ、外出する機会が増えて、外食することが多くなった。大抵は一人で、安くて旨くてのんびりできるところを物色するが、どちらかといえば洋食派なので、パンを食べられ、コーヒーが飲めてゆっくりできるところを選ぶことが多い。渋谷や新宿など大きな繁華街だとより取り見取りで迷うこととなるが、小さな街だとなかなかこれといったところを見つけるのにひと苦労する。先日も武蔵小杉の駅前をぶらついて物色したが、結局馴染みのマクドナルド店に足を運ぶこととなった。
 マクドナルド店の照り焼きマックバーガーがお気に入りのこともあるが、コーヒーとポテトフライのセットで450円と安いのが魅力で、いまどき500円以下でランチできるところはなかなかない。しかもゆうくりと読書を」しながら時を過ごせるのもいい。こうしてマクドナルド店でランチするのは今週で2回目である。ところが、その2回ともいやに空いているのが気になった。いつもなら、店頭のカウンターの前には列ができているのにだれもいなかったし、店内もそれほどお客も多くなかった。平均すれば月に1、2回マクドナルドを利用するが、いままでこんなことはなかった。
 そういえば、武蔵小杉の駅前には牛どんの吉野家があったが、牛どんの価格を280円に値下げしたばかりなのに店内はそれほど入っている感じがしなかった。マクドナルドと吉野家といえばファーストフード業界の両雄で、その2つともが低迷しているということになれば、異変といってもいいのかもしれない。
 そんなことを感じていたら、19日付けの毎日新聞にファーストフード業界が苦戦している、との記事が掲載されていた。それによると、新規店を含むファーストフードのことし1月の売上高は前年同期比5.3%減、2月も同3.6%減となっていて、不振ぶりを裏付けている。吉野家の既存店売上高は3月まで6カ月連続のマイナスであり、マクドナルドも既存店売上高は3月まで12カ月連続で前年を下回っている、という。両社の不振はパンや弁当など競合商品を強化するコンビニに顧客を奪われていることが主因だ、と分析している。確かにコンビニに行けば、吉野家やマクドナルドより安い価格でそれなりのものが買えるので、説得力がある見方ではある。
 これに対してマクドナルドは現在100円のハンバーガーを5月7日から120円に値上げするとともに新たに新商品を投入することにしている。アベノミクス効果で景気が若干上向いたこともあって、消費者はこれまでのように価格の安さだけでは満足しなくなっているのは確かで、多少の価格アップはあっても内容の新奇さや質の向上を求めているのだろう。この意味ではデフレ下で価格競争に明け暮れてきたファーストフード業界にも転機がやってきた、といえるのかもしれない。
 
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勉強熱心なかわさき市民アカデミーの受講者がいることに驚き、改めて日本を支えていることを実感した

2013-04-19 | Weblog
 18日は川崎・武蔵小杉のかわさき市民アカデミーへ行き、「環境とみどり」の最初の講義として、太田猛彦東大名誉教授「改めて”持続可能な社会”を考える」を聴いた。狭い教室に71人もの人がぎっしりと詰めかけているのと、開講にあたって大勢の世話人がいるのと緊急の場合の連絡網ができていたこと、それに講義のあとに自主的なワークショップなるものがあり、これにも多くの人が参加していることに大いに驚いた。そのほとんどがシニアで、日本のシニアはそこまで熱心、かつエネルギッシュであることを再認識させられた。
 太田教授の講義は森林の汚染問題が単に地域の自然破壊の問題にとどまらず農業、ひいては都市問題にまでつながってくる、と指摘し、土地利用をいかに図るかということと地下資源をいかに活用していくかが大きな課題である、という。そして、現代文明の問題として地球温暖化と生物多様性の減少があり、これに3.11の東日本大震災でエネルギー問題が大きくかぶさってきた、ともいう。日本の自然・社会の特徴として、プレートの沈み込みに形成された列島であることと、アジアモンスーン地帯にあること、それに先進工業国である宿命をあげ、こうしたことを考慮に入れて、持続可能な社会を考えることが必要である、と語った。環境問題をかくも広範にとらえた話を聞くのは初めてで、まさに目から鱗が落ちたような思いがした。
 話を聞いていて、この講座が6、7年前から毎年開かれてきていて、講師の太田教授と受講者が、翌年の講座内容をどうするか話し合いながら決めてきた、と聞いた。いろいろな角度から環境問題を討議してきたようで、市民講座でそんなことがあるのだ、と驚いた。しかも講座と併行して、毎回講義が終わったあとに希望者が残ってさらに数時間ワークショップを開いて、議論をしながら勉強している、というのだかからすごい、と思った。 よく市民大学というが、まさに大学のような形で運営されているようで、勉強意欲の高いシニアがいるものだ、と感心した。開講式で、かわさき市民アカデミーは質量とも日本でもトップクラスの市民大学だ、と自慢されていたが、なるほどこういうことか、と思い知らされた。かわさき市民アカデミーには年間延べ6000人受講者がいるというが、1人で複数以上受講していると思われるので、実質は2000人程度とみられる。川崎市の人口は約100万人で、このうち4分の1がシニアとすると25万人で、受講者全員が川崎市民とすると、市民のシニアの1%が勉強熱心な人ということになる。
 そういえば最初に川崎市の職員が来て、地域環境リーダー養成講座があるのでと参加を呼び掛けていたが、すでにその養成講座を受講した人が数多くいたことにも驚かされた。まだ、かわさき市民アカデミーには数えるほどしか参加していないが、いずれの講義でも活発に質問が出て、その熱気にはいい意味でも刺激を受けていて、若干あおられてもいる。こうした熱心なシニア層がいることが日本の世論を形づくり、日本を支えているのだろう、と思った。
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進化した日本のディズニーランドが次代の夢の施設、ディズニーシルバーをつくってほしい

2013-04-18 | Weblog
 日本にディズニーランドがこの15日オープン30周年を迎えた。2012年の入園者数はディズニーランド、ディズニーシー合わせて2750万人と全世界のディズニーランドのなかでもっとも多いことにも驚いたが、15日にテレビを見ていたら、60歳くらいの男性が定期券を作ってディズニーランドに通っているというのを聞いてここまでのファンがいるのだ、と驚いた。世界のなかでここまで進化を遂げたディズニーランド
恐らく例をみないし、どこにその秘密があるのか興味深いところだ。
 鈍想愚感子はこれまでディズニーランドには4、5回行ったことがあるが、ビッグサンダー・マウンテインなど待ち時間が1、2時間以上かかる人気のスポットには入ったことがなく、それほど並ばずに入れるところしか行ったことがない。それでもなかの出し物はきめ細かく組まれたソフトで、十分に楽しめるものであり、大人も子供も同じように感激するものばかりであることに感心していた。それに園内にごみひとつ落ちていない清潔さと至れり、尽くせりのおもてなしの暖かい接待術にはほとほと感心させられた。
 日本のディズニーランドができた後に香港にもできたものの、香港はもちろん本国の米ディズニーランドにも行ったことがないので、日本のディズニーランドと海外のと比較はできないのが残念であるが、どうやら日本のディズニーランドは海外のものとは大分異なるようである。米国のノウハウを取り入れながら、日本的なサービスを随所に取り入れて、独特なものを生み出しているようである。具体的にそれがどんなところに生かされているのかわからないが、結構中国からも来ていることでも裏付けらている。
 中央公論の最新号で、コラムニストの天野祐吉氏が仙台大学の高成田亨教授と「アメリカ式マーケティングの抗えない僕ら」と題して対談しており、そのなかで「ディズニーランドの3つ目の施設としてディズニーシルバーを作る」ことを提案している。天野氏によれば、老人が集まって「しびれるような退屈さ」を楽しむような場があってもいい、としている。ディズニーシルバーには大掛かりな道具もエレクトリカル・パレードもなく、心地よい退屈さを感じさせるものさえあればいい、ともいう。
 果たしてそんなものがディズニーランドの経営者であるオリエンタルランドに描けるものなのかはわからないが、発想としては悪くない。京都には年間5000万人の観光客が訪れる日本では最大の観光地であり、都市でなく一施設として年間2750万人ものお客が集まるディズニーランドは考えてみれば化け物的な観光施設である。そのほとんどが若い人ばかりであることを考えると、その先はシニアーが楽しめるものしかない、ということなのかもしれない。ディズニーランドができた後に全国各地にできたレジャーランドはことごとく閉鎖され、撤退の憂き目に遭っている。ひとり生き残って怪物的な栄華を謳歌しているのがディズニーランドであることを考えるに、次代の”憩いの場”を作ることができるのはディズニーランドしかないのかもしれない
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ネット売上高日本一の底力をみせつけられた思いのアマゾンのネットの使い勝手の良さ

2013-04-17 | Weblog
 16日に御茶ノ水の歯医者に行った帰りに御茶ノ水の坂下にある文庫本専門の古書店を覗いたら、ここ半年くらい本屋で探しまわっていた加賀乙彦著の「永遠の都」7巻本が2100円で売っていたので、即購入した。加賀乙彦は「宣告」を読んだ程度で、それほど熱心な読者ではないが、ある時池澤夏樹の父親であることを知り、代表作の「永遠の都」が面白いと紹介されていたので、ずっと読んでみたい、と思っていた。大手の書店で探し歩いたが、どこにも並んでいなくて、もはや絶版ではないか、と諦めかけていた。そんなあこがれの恋人に巡り合うようなことが思うものだ、と感激した。
 で、早速、家に帰って読み始めたら、昭和の初めから始まる大家族の大河小説のようで、期待通りの面白そうな感じで、しばらく楽しめそうだ。さらっとページをめくってみると、タイトルの違う3つの単行本を文庫本に収録するために新たに「永遠の都」と書名を統一したようだった。加賀乙彦はすでに80歳を超えており、マスコミに登場することもまれとなって、ファンも少なくなり、本も売れなくなっているので、絶版になっているのだろう、と推察された。
 でも気になって、ネットで検索してみたら、確かに文庫本としての「永遠の都」は扱われていなかったので、絶版といっていいのかもしれない。それで、探しているうちにアマゾンのサイトにいきつき、加賀乙彦のキーワードで検索してみたら、新刊本では見当たらなかったが、アマゾンが扱っている古本で、「永遠の都」の文庫本がなんと1冊1円の値段で購入できるように表示されていた。1円とは送料の方が高くついてしまうことになるので、妥当な価格とは思われないが、理論的にはありうる価格である。
 「永遠の都」7巻のうち1円で売られていたのは6巻で、7巻すべてが揃うわけではない、と変な安心をしたが、それにしてもアマゾンのマーケティング力は素晴らしいと思い知らされた。もともとアマゾンは書籍の在庫では日本一を誇っており、ロングセラーの書籍をたくさん販売する企業として有名で、我が国の昨年のネット売上高で、楽天を抜いてトップに躍り出た。
 今回は街の書店で欲しかった本をたまたま見つけたが、これからは欲しい本があったら、まずアマゾンのサイトで探すことにしよう、と思った。そう思って、ここ10年くらい遠ざかっていたアマゾンのサイトに登録したら、通常のサイトのように入力したアドレスに返信してもらい、再入力することなしに直ちに登録が完了し、画面に直ちに名前がフルネームで打ち出されてきたのにはびっくりした。先週末に発売となった村上春樹の3年ぶりの新作「色彩を持たない多崎つくると 彼の巡礼の年」はすでに50万部の発売が決まっているが、その大きな要因となったのがアマゾンネットだけで2万部を超える予約があったため、というから恐るべしアマゾンである。
 いままでは書籍の購入にはbk1を引き継いだhontoサイトを利用してきたが、最近東野圭吾の新刊本を購入したところ、2週間経ってもウンともスーとも言ってこないサービスの悪さにうんざりしているので、この際、アマゾンに乗り換えようか、と思っている。
 アマゾンは米国生まれなので、ネットの使い勝手に関しては日本企業にはない優れた機能、ノウハウがありそうで、ネット売上高日本一の秘密はどうやらそこにありそうだ。
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