鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

34年ぶりの思いを果たす

2006-10-31 | Weblog
母親が亡くなって34年ずっと遺品代わりに保管してきたのが、サマセット・モームの文庫本で、本箱の片隅に埃をかぶったままだった。昭和30年代の発行で、紙も黄ばんでいるうえ、活字も小さいので、読む気がしなかったのだ。それがどういうわけなのか、よくわからないが、突如読む気になり、20冊くらいあったのをすべて読み終えてしまった。20冊のなかに1冊、なぜかモーパッサンの短篇集があった。モームの本のほとんどは短篇集で、長編は「月と六ペンス」、「剃刀の刃(上下)」、「劇場」の4冊であった。
母は昔から本が好きだった。母は暇さえあれば本を読んでいて、いつも本箱の1段か、2段は母の本で占められていた。ノーマン・メイラーの「裸者と死者」や、レマルクの「西部戦線異常なし」などかあったのをよく覚えている。母から「本を読みなさい」と言われた記憶は一切ないが、母が本を読んでいる姿を見て、いつしか本に親しむようになったのは確かだ。
その母も52歳で亡くなった。で、葬式の時に遺品を整理して、なぜかモームの文庫本だけを残した。母からモームがいい、と聞いたわけではないが、たまたま揃っていたから遺品として取って置く気になったのか、よくわからない。ただ、高校三年生の夏休みに英語の先生から「なにか一冊、英語の原書を読破するよう」薦められ、モームの「人間の絆」を選んで、英和辞書を片手に読み切ったことがある。その時に母のアドバイスがあったのか、記憶にはないが、本箱にモームの本があったことと無縁ではない。その意味では母の影響がなかった、とはいえないだろう。
 今回、モーム短篇集(第1~14集)はじめ諸作品を読んで、モームが大変な皮肉屋であることが改めて分かった。また、短篇集のタイトルにアシェンデンとあるのが主人公の探偵の名前であることが初めて分かった。大概は英国の植民地でのイギリス貴族のふとしたきっかけで落ちぶれてしまい、ある人は死に、ある人は最愛の奥さんに逃げられてしまう、などといった話をあの手この手で綴っている。ただ、長編となるとやや趣きが違う。たとえば、「月と六ペンス」は画家のゴーギャンをモデルにモームなりの芸術家の狂気を浮き彫りにしている。「剃刀の刃」は求道者の幸福とは何かを考えさせてくれた。丁度、「剃刀の刃」を読んでいる時にWOWOWで放映され、長編ビデオに収録して、途中まで見て止めてしまった。映画ではタイロン・パワー主演でイメージが固定されてしまう、と思ったからだ。
 また、新聞の書評欄で誰かがモームのスペイン滞在記「ドン・フェルナンドの酒場で」を褒めていたので、早速、インターネット書店から取り寄せて読んだが、あまり感激しなかった。
 モーム短篇集第8集の「この世の果て」の巻末の本の案内の欄にレニエの「燃え上がる青春」とモーパッサンの「死のごとく強し」に鉛筆で印がつけられているのが目についた。おそらく、母がそのうち買おう、と思って印をつけたのだろう。思わぬ所に亡き母の痕跡を見つけて、しばし胸にジンときた。長年の思いをやっとのことではたせ、いまはほっとしている。
 母が何を考えてこれらの本を読んでいたのか、いずれ考え、追憶してみたい。

追記 一年を過ぎ、そろそろ61歳になるので、タイトルから還暦をとることにした。そして、元ジャーナリストとはいっても一次情報の入らないジャーナリストは陸に上がった河童、といった感じで、大した説得力もないことしか、書けないことがよくわかった。で、ジャーナリストの看板も下ろすことにした。代わりに「何にでも興味を持つ一介の市井人」とした。残念だが、一年やってみて実感したことだから仕方ない。これで、肩肘張らず、本当に気儘に書けることだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識の低いマンション理事会

2006-10-30 | Weblog
過日、鈍想愚感子の住むマンションの臨時総会が開かれ、出席した。大規模修繕工事の発注業者を決め、工事スケジュールなども決めてしまおうというものだが、総戸数70戸のうち出席はわずか8戸と極めて少ない。それでも委任状が半分強集まっているので、議事進行には差し支えない。議長の理事長が開会を宣し、横を見ると管理サービスを委託している会社のHさんがチャッカリ鎮座ましましているではないか。というのはHさんは今回の大規模修繕工事の応札企業の関係者なのである。だから、この席に居ることはまずいのである。そんなことも知らずに入札を進めてきたわけで、民間の工事とはいえ、不公正競争の非難を受けても仕方がない。直にHさんには退出願った。
もともとこの大規模修繕工事はこの春の定例総会で、前理事長が住民の了解を得ずにマンション管理会社を元請けとし、同じグループの企業から見積もりをとり、大規模修繕工事計画をまとめ、理事会案として提出してきたから、住民から「入札もしないなんてとんでもない」と総スカンをくった。で、新しい理事会に旧理事長が加わり、改めて大規模修繕工事の入札が3社参加して行われ、理事会案としてまとまり、臨時総会開催の運びとなったのだ。
それでも結局は管理会社のグループが再入札のうえ、一番札となったようで、管理会社お得意のつじつま合わせが行われたふしが強かった。その証拠に入札にあたっての仕様書の所在を聞くと、「手元にない」とのこと。近くで待機していた管理会社のHさんを呼ぶとあったが、よくよく見ると、管理会社のグループ企業の工事進捗体制がご丁寧に名前まで入っている、およそ仕様書といえるようなものではない。'出来レース'と言われても仕方がない。しかも肝心の入札をどうも管理会社に情報が筒抜けの状態で入札した可能性が高そうだ。ひょっとして、管理会社のHさんが先導して入札作業を進めたふしもみられる。まさか、残りの2社が「不公正競争だ」と訴えるようなことはないだろうか、仮に訴えられた場合、勝てる見込みはなさそうだ。理事長以下理事会メンバーはおよそ、そうした意識は持ち合わせていない。
 住民にしてみれば、入札を実施したことで、大規模修繕工事の工事金額は定例総会の時に比べ220万円下がったのだから、結果良し、ということかもしれない。が、総工費は5000万円を超えるし、鈍想愚感子のマンションはいま流行りのタイル貼りで、5000万円という金額が高すぎるのではないかということと、果たしていま大規模修繕工事をしなくてはならない時期なのか、いまひとつわからない。
どうも管理会社にうまくしてやられている気がしてならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

配役に疑問も面白い「イドメネオ」

2006-10-29 | Weblog
 28日、東京・初台の新国立劇場で、モーツアルトのオペラ「イドメネオ」を観賞した。なぜか20分前に入口で列をなすほどで、中へ入っても端っこの席まで超満員で、主演のジョン・トレレーヴェン、エミリー・マギーが有名なオペラ歌手なのか、最後までわからず仕舞いだった。第一幕は出演者も声が乗ってなかったのか、眠くて仕方なかったが、第二、三幕になって盛り上がってきて、最後はハッピイエンドで終了し、面白かった。
 「イドメネオ」は紀元前のギリシャ、クレタの王で、王宮にトロイアの王女イーリアが囚われの身となっているところから幕が開く。イーリアはイドメデオの息子、イダマンテを愛し、イダマンテもイーリアに愛を告白する。それを知ったアルゴスの王女、エレットラもイダマンテを愛しているので、激しく嫉妬する。トロイア戦争に勝利したイドメネオ王は帰国の途で、嵐に遭うが、海神ネプチューンに助けられる。その代償として、上陸して最初に会った人物を生贄として捧げることを約束させられる。
 そして、事もあろうに子息のイダマンテに最初に会ってしまう。困ったイドメネオは従者と相談し、イドメネオをエレットラとアルゴンに逃がすことを画策するが、いざ出発しようとすると、海が荒れ狂い、怪物が出現し、イドメネオは誓いを破った罪は己れにある、と告白する。
 イドメネオは怪物と戦うことを決意し、退治にでかける。一方、民衆から生け贄は誰かと迫られたイドメネオは遂にイダマンテであることを告白し、怪物を退治して戻ったイダマンテにその旨を告げ、まさに生け贄にしようとすると、イーリアが身代わりになることを訴えた。その瞬間、イダマンテとイーリアの愛を祝福する神の声が現れ、めでたしめでたし、となり幕となる。
 要所要所で出てくる二期会の群集が演技も含め、効果的な彩りを添え、オペラであることを感じさせてくれる。それと、舞台装置がうまく出来ていて、紀元前の王宮の雰囲気をうまく伝えてくれている。
 イダマンテ役はメゾソプラノの藤村実穂子をもってきているのがよくわからない。宝塚であるまいし、どうして女性が王子役をしなくてはいけないのか。主役4人のなかで最後まで独唱の部分で拍手が出なかったのは彼女だけだった。イーリア役の中村恵理はオペラ研修所出身で、堂々とソプラノを披露していて、他の3人にひけをとっていなかったのは立派。段々と美しくなっていくような感じがした。
 まずはお薦めのオペラである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珠玉の静嘉堂文庫美術館

2006-10-28 | Weblog
 毎日新聞のローカル版に紹介されていたので、二子玉川の静嘉堂文庫美術館へ行ってきた。「インペリアル・ボースレン・オブ・清朝ーー華麗なる宮廷磁器ーー」展で、景徳鎮などの清朝の宮廷陶器94点が展示され、見事な出来栄えのものばかりで、同美術館が所蔵する400点くらいのなかから選りすぐっての展示というが、民間の美術館としては立派なものだ、と感心した。
 東急二子玉川駅から歩いて、20分くらいのところに位置する静嘉堂文庫はうっそうと茂る森の中にある。門を入って、しばらく坂を歩いて行くと、忽然と現れる。途中にトンボが生息する、という小さな池もあり、都会の真ん中にこんな森がどうして、と思わせる。ウイークデイなのに美術館の中には結構、人が入っている。行ってみてわかったが、前に来たことのある松本記念音楽堂と隣り合わせに位置していた。
 静嘉堂文庫は三菱財閥の二代目総帥、岩崎弥之助が1907年に清の集書家、陸心源の蔵書4万数千冊を購入してつくったもので、その後四代目小弥太が5000点の東洋美術品を収集し、美術館をつくった。なかには国宝7点、重要文化財82点が含まれている、という。
 展示されている青花氷梅文瓶など94点の陶磁器は形といい、色といい、時代を思わせるもので、清朝の豪華さを偲ばせるものばかりで、一見の価値がある。なかには柿右衛門を思わせるような色合いのものもあり、こんな作品が1つでも我が家にあれば、と思わせる。
 美術館の周りは森で、門のところまで、散策すれば、ちょっとした公園にもなっていて、暑い夏んらいい涼をとれることだろう、と思わせる。駅からバスだと5分くらいで来られるが、バスの運行は必ずしも時刻表通りでなにのが難。到着時間を10分くらい舞っても来ないので、行きと同じく歩いてしまった。受付の無愛想さと足の便の悪さはあるものの、それらを割り引いても一級の美術品が見られる喜びには変えられないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何か変だよ、朝日新聞

2006-10-27 | Weblog
 夕刻、会社の帰りで、いつものように田園都市線溝ノ口駅に降り、駅前広場に出ると見慣れない「朝日新聞」と書いた赤いノボリが立てかけてあり、側でポケットティシューを束にして持っている女の子が2人立っていた。多分、朝日新聞の新聞拡張のためのチラシをまこう、というのだろう。それにしてもあの天下の朝日新聞が増紙のためにキャンペーンをする、なんていままでついぞ聞いたことがないし、見たこともない。以前、25年間ずっと朝日新聞を購読したことがあるが、一度として景品をもらったり、何かのサービスを提供されたことはなかった。読みたければ、読ませてやる、という態度で終始していた。それが、一体、どうしたというのだろう。最近の朝日新聞は何か、変である。
 そういえば、過日、某団体の監事をしているとかいう人の講演を聞いたが、朝日新聞の拡張員がやってきて「6カ月ただにするから購読してくれ」と言ってきた、という。その拡張員によれば、朝日新聞はこのところ、購読中止が相次いでいて、前年に比べ30%も部数が落ちていて、全社あげて必死なのだ、という。駅前のノボリを見て、なるほどと思った。
 26日の朝日新聞の朝刊に読売、毎日、日経各紙は全面1ページなのに朝日新聞だけは見開き折り返しの全面4ページでソヅトバンク携帯の広告を掲載していた。その前日に通話料とメール代無料、かつ基本料を70%引きと価格破壊の爆弾発表をしたソフトバンクの孫正義社長のメッセージを大々的に載っけているのだ。ボーダーフォンからのユーザーを引き継いだことを訴えるためか、北欧美人を前面に出しての異例の公告である。孫社長はあの糸山英太郎氏でさえ警告するいわくつきの経営者である。経営者というより、マネーゲーム屋である。そんな御仁の提案にすんなりと乗ってしまう朝日新聞はやはりおかしい。
 先に週刊新潮が朝日新聞が企画したオペラで主役のドタキャンが相次いだのを批判した記事を載せたら、いつも載せている発売日の広告掲載を拒否したこともあった。自社に都合の悪い記事が載っているから、掲載を拒否したのでは天下の公器が泣く、というものだ。広告はきちんと掲載して、言い分があれば別の場で白黒をつけるべきだろう。
 新聞の部数の減少もさることながら、広告が大幅に減っていて、経営の土台を揺るがしているようだ。広告はまさに新聞社にとってミルクのようなもので、減ればそのまま利益が減少する。そんな状態で、孫社長のような御仁が現れれば、ほいほいと乗ってしまうのだろう。成り上がり経営者にとっては、朝日新聞は腐っても鯛、ということなのだろう。孫正義社長にいまの朝日新聞はお似合いなのだろう。ともに泥舟に乗っているのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝てない落合竜の裏にあるもの

2006-10-26 | Weblog
 片や球団創立初の、片や52年ぶりの優勝を賭けた中日対日本ハムの日本シリーズは大方の予想を裏切って、日本ハムが第4戦も3対0で勝ち、制覇まであと一勝となった。初戦こそ、固さからか、落としたものの第2戦以降は普段着の野球をしている日本ハムに勝運は傾いており、26日の第5戦も日本ハムの勝利となる公算が強い。激戦のセリーグを制した中日の強さは一体どこへ行ってしまったのだろうか、ベンチで采配を振るう落合博満監督の顔もどことなくさえない。昨25日の第4戦も二死満塁で、井上選手の放った右翼線打球がほんのわずか右へ反れ、ファウルになった不運もあったが、勝利の神から完全に見放されている。
 2日前の夕刊フジによると、中日は早くも来年の年俸交渉が始まっており、ウッズ選手をつなぎとめるために予定していた増額分のほとんどをつぎ込んでしまうため、他の選手にまわす金額がほとんどない、という。首位打者となった福留選手は据え置きを言われ、やる気をなくしている、ともいう。こんな話は他の選手にもすぐに伝わるだろうから、日本シリーズを勝とうという気も失せてくることだろう。大事な時期にこんな話が出てくること自体、おかしなことだ。事実とすれば、球団フロントが日本シリーズに負けて、年俸交渉が楽になることを考えている、としか思えない。あきれた球団といわざるを得ない。こんなことではファンの心も離れていくことだろう。
 でも冷静に考えてみれば、年間売上高1兆円の日本ハムと中日新聞社ではふところの深さが違う。いまやプロ野球の球団経営は赤字であるのは常識で、宣伝料をどう考えるかだけの問題となっている。中日新聞社はかつて同じ球団経営の読売新聞社と名古屋で壮絶な部数獲得競争をしたことがあり、そのことが対巨人に対しては何が何でも勝て、との指令がでてくる。だから、巨人以外にはあまり対抗心を燃やさない、首脳陣は内心、日本シリーズなんてもうどうでもいい、と思っている。
 それに新聞産業はもう数年前から斜陽産業である。全国での新聞販売数は減少しているし、インターネットの普及でますます新聞離れ現象を起こしている。加えて少子化である。そんな企業が球団を持つということが最早理に合わなくなっている。名古屋に本拠を置く、例えばトヨタ自動車なり、名古屋鉄道あたりにでも身売りしたらいいのかもしれない。
 中日がセリーグ優勝を果たした時に落合監督が涙を見せたが、そこまで考えたうえでの涙だったのか、鈍想愚感子にはわからない。勘のいい落合監督だから、球団首脳とのやりとりのなかで、そうしたものを感じとっているのかもしれない。だとしたら、日本シリーズで負けた段階で、辞表を出すくらいのことを自らのシナリオですでに書いているのかもしれない。週刊誌などの情報によると、落合監督はセリーグ優勝時点で7億円の報酬を得た、ということで、お金には聡い落合監督がそのあたりをどう算盤勘定しているか、にかかっている。3年で2回もリーグ優勝した実績があれば、他球団から十分にお呼びがかかることだろう。
 いずれにしろ、日本シリーズに勝つ前に涙を見せたのは落合監督にはもう勝つ意志がなかったのだ、と判断せざるを得ない。涙の裏に高い算盤勘定があった、ということか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥入瀬紅葉狩り旅行その3

2006-10-25 | Weblog
 楽しかった奥入瀬旅行も今日24日が最終日。朝5時半頃起きると、まだぐずついた天気で雨模様。前日決めていた朝の散歩をどうしようかな、と思案しながら、露天風呂へいく。熱めの露天風呂に浸かっていると、ポツリと雨があたる。前日と同じように肩に温水シャワーをかけ50肩治療を施す。
 なんとか雨も上がったようなので、予定通り、ホテル周辺を散策に出かける。ホテルで用意してくれた地図に沿って、国道102号線沿いの遊歩道から奥入瀬渓流館、奥入瀬湧水館を経て、緑の中を歩く。雨で汚れが落ちたか、瑞々しい緑の中に色づいた紅葉の木が強烈に目に飛び込んでくる。楓橋を渡り。木道を進むと、出会い橋にたどり着く。蔦川が奥入瀬川に合流することから出会い橋と名付けられたのだ、という。
 そして奥入瀬渓流温泉ホテルと足湯を通り、十和田橋を渡って、ホテルへ戻ってきた。約40分であったが、朝食前の散歩といsては」最高だった。奥入瀬渓流グランドホテルの手前に立派なおいらせ渓流観光センター、ターミナルがあり、一大観光地であることが改めてわかった。
 朝食を食べた後、簡単な身づくろいをして、チエックアウトしたが、すでに宿泊客はほとんど引き払った後のようで、従業員は模様替えにてんてこ舞いの様子。洋室のベッドを上げて、布団も総入れ替えの感じで、フロントに聞くと、曜日を問わずいまは毎日こんな状態だ、という。年間を通じて、最盛期のようで、彼等にとってはまさに戦場なのだろう。
 奥入瀬渓流グランドホテルは八戸駅はお客の送迎用大型バスを一日三往復も出すほか、2つの系列ホテルを持ち、専用の大型露天風呂を設けるなど一大コンツエルンを形成しているようだ。年間通じて決して気候条件のよくないここ津軽では観光は大産業なのであろう。自然の恵みともいうべき景勝を最大限に生かして、観光立地しているのは誰が考えたのか、優れものがいたものだ。
 会社の同僚3人でこの年になって夫婦連れで旅行ができるなんて考えたこともなかった。第一回目として、奥入瀬へ来られたのは良かった。3日間、よく動き、話し、笑い、そして食べて、愉快な時を過ごすことができた。いつもはかみさんと行くが、こんなには話さないし、また、食べられない。たまには心許した仲間との旅行もいいものだ。また、一緒にどこか行きたいものだ、と思っている。

追記 鈍想愚感を始めて365回を迎え、丁度1年経った。実は始まったのは昨年の10月22日で、最初は毎日でなかったので、ややずれて365回となった。いつまで続けようか、と思いながら、ある時、まずは1年365回やってみよう、と思い立った。これで、目標は達成したので、次はどうするか、ちょっと考えながらいきたい。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥入瀬紅葉狩り旅行その2

2006-10-24 | Weblog
朝起きたら雨がザーザーと降っている。今日は雨中の散歩か、と思いながら、まずは朝風呂に入る。露天風呂にも容赦なく雨が降り注ぐ。昨日見た奥入瀬温泉の効能書きによると、五十肩にいいとあったのに気をよくして、右肩に温水シャワーを10分ばかりかけるといく分か効いたような気がしてきた。たっぷりと侵り、温泉気分を満喫する。朝食は温泉旅館に似合わないバイキングで、比較的早い時間に行ったにもかかわらず、もう満員状態。窓の外を見やると、林の中をトレッキング姿の傘の列が通り過ぎていく。
10時30発のジャンボタクシーに乗り込み、運転手に聞くと、予定していた八甲田山、蔦温泉へのドライブは視界不良ということなので、変更して、十和田湖ルートにした。
まず女盗賊が旅人を襲った、という石ケ戸で降りて、奥入瀬渓流を散策する。雨足が強まるなか、人出は一向に減らない。修学旅行生の一団も加わって、ますます混雑の度を増してくる。観光バスが列を成し、道路も渋滞してきた。寒さもしてきて、景色を楽しむ余裕もなくなってくる。それでも雨に濡れる紅葉は見ごたえがある。
我々もそうだが、早くから奥入瀬への旅行を計画していて、雨だからといっていまさら変更がきかないのだろう。専門家によれば、奥入瀬の紅葉のピークは来週あたりだというが、都会の粉塵で汚れた紅葉しか知らない御仁にとっては目に新鮮に映る。渓流を流れる川のなかに自然に削りとられた岩石があちこちに散在し、対岸には切り立った断崖が迫り、要所要所に天然の滝が流れている。原始時代を感じさせる樹木が生い茂り、たまに折れ曲がって川に幹が垂れ下がっている木があり、人里離れた雰囲気を醸し出す。それにしても台湾、韓国人など東南アジア系の人が多い。韓国はともかく台湾には紅葉はなく、珍しいのだ、という。
いくつかの滝を見たうえで、十和田湖畔の子の口から遊覧船で休屋まで行く。湖畔に映る島の紅葉がまた美しい。十和田湖には39年前に北海道旅行の帰りに来て、乙女の像の横で泳いだことがあるが、ほとんど記憶に残っていない。休屋にこんなにたくさんのお店があるなんて思いもよらなかった。多少お客の入っているみやげ物で昼食をとった。雨による寒さで、視界も不良のため、運転手さんの薦めもあって十和田ビジターセンターで、「十和田の四季」と題するビデオを15分くらい観賞し、不足を補った。
 で、寒さの増すなか、十和田展望所で雨の十和田湖を一瞥した後、一路、奥入瀬渓流グランドホテルへ渓流沿いの道を戻り、再び温泉に浸り、一息ついた。奥入瀬渓流グランドホテルのフロントロビーにある大型の喫茶店で十和田の名水を用いたコーヒーを飲んで、しばし談笑し、展望風呂に入った。
 夜はホテル定番のバイキング料理で、地元の名産品を中心に満腹にし、隣のホール」での「民謡と津軽三味線の夕」コンサートを観賞した。津軽三味線は思いの外、若い女性が演奏し、習って3年の腕前を披露した。三味線をよく知る人かr見ると、まだ未熟とのことだったが、津軽三味線の音を直に聞いたことのない人にとっては新鮮で、津軽に来て津軽三味線を聴くのはいいものだ、と思わせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥入瀬紅葉狩り旅行

2006-10-23 | Weblog
22日から2泊3日の日程で、会社の同僚S君と某大学の教授であるY氏のそれぞれ奥さんを伴い、総勢6人で奥入瀬へ紅葉狩りに繰り出した。2人とは会社で同じ分野を担当した仲間で、かねて酒を飲む度に「年とったら、のんびり旅でもしたいね」というのが口ぐせで、行くなら秋の奥入瀬ということになっていた。ところが、こうしたことにありがちな話には出るが、いつも酒飲み話に終わっていた。いつも日程が合わないとか、幹事が連絡を忘れたりなどで実現しなかった。ところが今春、一番忙しかったS君が退職し、時間が取れるようになったため、4年越しに実現した。
午前9時56分発の東北新幹線はやて13号に乗り、東北路をめざした。東北新幹線に乗るのは初めてのことで、車内を見ると思いの他超満員。6人掛けの座席を向かい合わせにし、まずは長年の思いが叶ったことにコーヒーで乾杯した。親戚のご不幸と約束していた原稿の締め切りが重なってなんとか間に合わせたY教授がいつになく饒舌で、上機嫌だった。予定通り12時59分に終点の八戸駅に到着した。気温摂氏14度とかで、チョッピリ寒い。
宿泊の奥入瀬渓流グランドホテルのお迎えバスを探す。小型のマイクロバスかと思いきや大型のバス。流石、行って楽しい紅葉の名所ナンバーワン(日本経済新聞10月7日号ランキング)の奥入瀬である。バスの運転手が「ホテルの周辺はいまが最高の見頃の紅葉です」と絶叫する。いつもそういうのだろう、とは思いながらも嬉しくなる。
1時間くらいで奥入瀬川沿いの奥入瀬渓流グランドホテルに着く。道中、川沿いの林は紅葉がかって、秋の深まりを感じさせる。ホテルへチェックインして、庭を見ると見事な紅葉に思わず見とれる。6人で和室1部屋と洋室2部屋をとったが、和室に比べ洋室がやや狭い。洋室はいつも行っているハーベストより快適ではなさそうだ。
ホテル付属の新設の屋外露天風呂、「八重九重の湯」へシャトルバスで繰り込む。目の前に滝と紅葉が始まったばかりの林を眺めながらの露天風呂はなんとも言えない気分で、まさに天国である。遥々東北まできた甲斐があった、というものだ。たっぷり1時間強つかって、あがり、やや遅めの夕食をとった。
ホテルに結構韓国人が目立ったので、聞いてみると、韓国から直行便でやってくるのだ、という。韓国人も豊かになったものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水準をいく「あのやさしい夜のなかへ」

2006-10-22 | Weblog
 21日は東京・新宿の紀伊国屋サザンシアターで演劇「あのやさしい夜のなかへ」を観賞した。製作のRUPの芝居を一度観たことがあり、それから公演の度にDMを送ってきて、今回は芸術監督山崎正和の名前があったので、観ることにした。出演は水谷貞雄と倉野章子と中堅どころで、それほどビッグでないせいか、明日が最終日だというのに入りは8分程度で、やや淋しい感じがした。が、演劇そのものは味のある面白いもので、水準をいく佳作であった。
 主人公はロンドン郊外の別荘に住む老小説家夫婦で、そこへテレビのプロデューサーの息子が恋人を連れてやってくるところから始まる。小説家は医者からあと半年の命と言われ、なんとか前妻の息子と疎遠だった仲をなんとか取り戻したい、と思っているが、口をついて出てくるのは憎まれ口ばかりで、息子の恋人にも嫌われてしまう。喧嘩別れした後に最後の作品となるかもしれない書きかけの小説について妻と話し合うが、理解を得られなく、妻が買い物に出た隙にかねて依頼していた殺しの請負人を招き、薬で安楽死させてくれるようにしてもらう。
 そこで、休憩となり、買い物から帰ってきた妻が死んだように眠っている小説家を揺すって起こすと、小説家は眠りから目を覚ます。地獄から甦った小説家は殺しの請負人に騙された、とつぶやきながら、助かった命に胸を下ろしながら、残された短い人生をどう生きようか、と考える。そこへ、スーパーへ買い物に行った妻が仲直りさせようと連れてきた息子と話しているうち、初めて親子の愛情を感じ、息子から孫ができ、結婚することを打ち明けられ、孫の顔を見るまで生きることを決意する。そして、恋人を呼んで一緒にディナーを食べることにして、毎日の日課となっているプールでの水泳をする。が、張り切り過ぎて、心臓麻痺を起こして死んでしまう。死ぬことを決意してお別れをしたのに出来ず、思いがけなく親子の愛情を実感した途端に死んでしまう人生の皮肉を浮き彫りにした。
 登場人物はわずか5人で、知っていたのは主人公の妻役の倉野章子だけだった。前回、新東京国立劇場での出演の時は登場したシーンでは拍手がでていた。今回は幕開け早々から出ていたので、そうしたことはなかった。あとは恋人役の佐古真弓がきれいだったのが印象に残った。原作はノーマン・クリスプと、日本ではそれほど有名ではない劇作家だが、脚本がしっかり出来ているので、中だるみすることもなく、最後まで見ごたえのある演劇であった。前回の「アジアの女」でがっかりしたが、今回「あのやさしい夜のんかへ」を見て、やはり演劇はいいもんだ、と思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする