鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

時には日常の生活を離れて習慣などを変えることも必要

2012-08-31 | Weblog
 この5月連休明けからお盆過ぎまでかみさんと世界一周のクルーズに乗っていた。旅そのものは世界遺産から北極圏までとスエズ運河、パナマ運河を通る楽しいものであり、一緒に行った900人の仲間とも親しくなれて面白かった。旅の内容、感想などについてはいずれ明らかにするとして、まずは家を102日も空けて帰ってきての思いから始めたい。夏場をほぼ閉め切った状態で行ったので、どんなに荒んでいるか、と思ったが、意外ときれいになっていた。心配したタンスのカビも発生していなくて、ほっと胸をなでおろした。息子に定期的に郵便物の処理を頼んでいたのが幸いしたようだった。
 3カ月の郵便物などの整理はかなりしんどかった。中元の配達預かりのようなものもあり、かろうじて受け取り手配が間にあった。行く前に郵便局に問い合わせたら、1カ月しか局に留め置きしない、と聞いていたので、息子にちょくちょく覗くように頼んだのだが、中元品の受け取りまでには手が回らなかったようだ。留守番電話の着信は25件入っていたが、行く前には20人分くらいしか容量がない、と聞いていたので、ほぼ予想通りだった。26人目からは受け付けなかったのだろう。
 問題はメールだった。開いてみると、さかのぼって受信するのだが、4週間前まで約800件で、それ以上受信しなくなってしまった。プロバイダーのイッツコムに問い合わせてみたら「4週間以上受信しないと、自動的に削除してしまう。そうしないと、サーバーがパンクしてしまう」とのことだった。他のプロバイダーもそうか、と聞くと「多分そうだ」と答えた。いままで4週間もメールをチェックしなかったこてゃないので、初めての経験であるが、事前にそうしたことを確認しておかなかった当方のミスといえばミスかもしれない。ただ、契約の時にどこにもそうした規定があるのを見かけなかったのはプロバイダー側にも責任を問えるのかもしれない。個人的なものばかりなので、法的な問題にはならないが、会社関係のビジネスだったら、機会ロスで訴えられるかもしれない、と思った。
 あと、些細なことだが、家の中なり、自分なりに決めていた約束事を忘れてしまっていた。たとえば、パソコンの操作手順がすぐに思い出せなかったり、ビデオの録画操作がわからなかったり、ハンカチの置き場所を覚えていなかったりした。しばらく経って気がついたのだが、自分のメールアドレスを間違えていて、かかってきた電話に間違えたまま伝えてしまった。かみさんのメールアドレスとゴッチャになっていたようだった。
 あと身体的には体重が3キロばかり減っていた。船の中に体重計はあって計ってはいたが、絨毯の上にあったため正確には計測できなかったようだ。2週間経っても元には戻ってはいない。食べ物に関しては船のレストランでの食事はそれなりにカロリーはあるのだが、決してうまいとはいえない。それしかないから食べるものの、独特の味付けがあって、最後まで馴染んだとはいえなかった。だから、日本に帰ってきてから、日本食が食べたたくて仕方なく、まず天ぷらを食べたら、すごく美味しかった。次いで日本そばを食したが、これもすこぶる美味しかった。家でかみさんの作ってくれる食事がすべて美味しく感じられ、かみさんが喜んだほどだった。
 船のなかでは日本の新聞、テレビは全く見られない。生涯で100日余もリアルタイムでの新聞、テレビを見なかったのは初めての経験だろう。帰ってきて、新聞は図書館で綴じこんだのをざっと見たし、テレビは行く前に録画しておいたのをざっと見たが、テレビはほとんど見る気がしなかった。新聞も毎日見なくても、スクラップであとから見ても十分だな、と思った。リアルタイムで見ている分には臨場感や、迫力はあるのかもしれないが、あとになって振り返ってみれば大したことないことがほとんどで、時間のムダとも思えることが多いことがよくわかった。それと、なぜ以前はこんな番組を喜んで見ていたのかな、と冷静に考えることもできた。
 さらには生涯で100日も競馬から離れたのは初めてのことで、帰ってきてテレビで競馬を見ても以前ほど熱中しなくなった。競馬場には行くことになるかもしれないが、場外でのテレビ観戦はぐっと減ることだろう。
 実際100日余も生活の場を離れると、それまで営んできた生活がどんなものだったか、をじっくりと振り返ることができ、改めて生活の習慣なり、手順を考え直すことができるいい機会ともなる。100日余も離れるとちょっとした”浦島太郎”であるが、いまの生活を変えるのはいい機会でもある。こんなことでもない限り、毎日なり、日ごろやっている趣味などを見直してみることなどできないだろう。
 人間、時にはしばらく日常を離れて己の生活のあり方を点検することも必要だ、としみじみ思った次第。 
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小さな生物の警鐘にささやかな弔いをした

2012-08-30 | Weblog
 先日の朝のことである。毎朝5時ころに起きて、自宅周辺をジョギングしているが、溝の口駅前の道路を走っていたら、歩道に雀が羽根を閉じた状態で横たわっていた。林の中ならともかく、都会の眞っただ中でそんな状態で雀がいるのは明らかにおかしい。そっと触ってみると、もう息はなく死んでいるようだった。さすがに暖かさはなかったが、まだ、身体は柔らかく、いまにも飛び立ちそうな感じだった。死んでから時間が経っていないのか、蟻なり、他の虫が蝕んでいる様子もなかった。
 雀がこのように道路に横たわっているのを見たのは初めてのことで、暑さでやられたのか、それとも飛んでいる最中に人間でいえば脳卒中のような症状になってしまったのか、なんとも痛ましいことだった。普通、鳥は自らの命を悟ってか、林の中の祠か、人が来ないような人里離れた場所でそっと旅立っていくのだろうに、図らずも都会の喧騒の中で昇天するなんて当の雀も思ってもみないことだろう。
 そういえば、子供が小さいころ、なんかのきっかけで子供が全く話さなくなり、そのうちに体調を崩して入院することになり、病院でも原因がわからずに困っていたことがあった。その過程で、その子供がどこかの野原で拾ってきた雀の子を大事そうに両手で抱えていたわっていたことがあった。家族とのコミュニケーションを閉ざしているのにどうして雀なんかを大事にするのだろうか、と思ったことがあった。入院にその雀を持っていくわけにはいかないので、預かってしばらく面倒をみていた。その雀がどうなったのかはとっくに忘れてしまったが、雀というとその時のことを思い出す。
 で、舗装道路で死んでいた雀はそのまま放り出していくわけにいかないので、脇の生垣のなかに入れて、人目につかないような形で弔った。般若心経こそ唱えなかったが、心のなかで成仏をお祈りした。雀に意志があるとは思わないが、人間世界へなんらかの警鐘を鳴らしているような気もした。




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コーポレート・ガバナンスの欠如した日本経済新聞社

2012-08-29 | Weblog
 昨日知人と話していて、永らく日本経済新聞社のトップの座におり、この3月に会長を退任した杉田亮毅氏が6月に傘下の日本経済研究センターの会長に就任した、と聞いて驚いた。日本経済研究センター会長には3年後輩の元部下がいたのを追い出しての就任で、前任者の悪名高き鶴田卓彦氏が永く日経のトップの座に居座り、老害を云々されて自らのスキャンダルで社を去った記憶も冷めやらぬのにさらに恥の上塗りをするような人事をするとはまさに空いた口がふさがらない。
 杉田亮毅氏は22年間日経の役員を務め、うち最後の9年間は社長、会長を務めた。前任の鶴田氏が日経の紙価を貶めたので、挽回を図ったが、リーマン・ショックによる景気低迷も影響してかさほどの改善には至らなかった。それでも潔く退任を決意したことで、3月末の株主総会ではその労をいたわる発言も出たほどだった。退任後は経団連の要職に就くとの噂もあったが、「日本経済新聞は企業の広報掲示板」との声も出るようになって、その話は消えたようだった。
 ところが、6月になって、杉田氏はなんと日経グループのシンクタンクである日本経済研究センターの会長にチャッカリおさまってしまった。しかも4年前に日経のナンバー2だったA氏を日経研究センターの会長に押し込んだ当のその本人が年次を逆転する人事をやってのけてしまったのだ。A氏が日経研究センター会長に就任した時も1年後輩を押しのけての就任で、やり過ぎとの批判が出たほどだった。それも今回の自らの会長就任人事への布石だった、とのうがった見方もでている。杉田氏は当年とって75歳で、世間的にはもう隠棲してもしかるべき年齢である。
 産業界ではよくホールディングカンパニーを新たに設立して、従来の社長なり会長がそのトップの座に就いて現業の経営は後輩に任せる、という手法がとられるが、今回の場合はそれでもない。日経は数年前にホールディングカンパニーへの移行を華々しく打ち出したが、経営の実態がそれほどのものでもなかったのか、その後の景気低迷もあってしりすぼみに終わってしまった。
 だからといって、本社の経営トップを務めた人が傘下のグループ会社のトップに再び返り咲くようなことがあっていいものだろうか。日経グループは広告不況の直撃を受けて経営はグループあげて芳しくない。そんな中で、自らの保身だけのための人事をチャッカリやってのけるのは不見識以外のなにものでもない。日経グループの誰しもがそんなことありか、と憤然たる思いをもっていることと思われる。
 幸いにもか、産業界では今回の人事に関して表だって批判するような声は聞こえてこないようだ。一企業内の人事をあれこれ詮索するような余裕はないのかもしれない。が、企業の動向を逐一報道している日本経済新聞社が社内ではこんな恥ずかしい人事をやっているのでは記者の満足な取材活動にも差し支えるのではなかろうか。そんなおかしな人事を止められないほど日本経済新聞のコポレート・ガバナンスは腐って7しまっているのだろうか。そんな新聞は2031年を待たずに消滅するしかないだろう。
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高い代償についたメール会員登録に反省しきり

2012-08-28 | Weblog
先日買い物に行った帰りに溝の口のドンキホーテ1階にある小出カメラに寄り、この夏に旅行したデジタルカメラの現像をすることにした。最近はすっかりデジタルカメラばかりで、店頭にあるパソコンにSDメモリーを差し込み、必要な部分だけを画面に呼び出し、気に入った写真だけを現像依頼する。かつての36枚撮りのフィルムではベタ焼きにしないとどんな写真があるのかわからず、ベタ焼きから改めて現像依頼する写真を選ぶという手間のかかることをしていたのに比べ、スピーディ、かつ安く写真を現像することがあできる。コンピュータ、およびIC技術の進歩で多大な恩恵を蒙っているわけだ。
 ただ、画面に10枚づつ映し出される写真を見ても直ちに現像依頼するわけにはいかず、拡大して映り具合いをチェックしたうえで、決断することになる。かみさんと2人でチェックしながら、作業うを進めているとやたら時間がかかる。買い物した荷物を隣の椅子の上に置き、まだ暑いので扇子を煽ぎながらの作業で、なかなかしんどい。あっという間に1時間くらい過ぎてしまい、そううちに草臥れてくる。
 で、ふと手前の棚にチラシが置いてあり、見ると「100枚以上現像した場合は1枚19円と16円も安くなる」と書いてある。ただし、小出カメラのメール会員になることが必要で、そのためのホームページのアドレスがイメージ読み取りの画像で印刷されてある。ざっと依頼する枚数を数えると200枚近くになるので、これは会員登録をするべきだ、と思いながら、なんとか作業を終え、現像依頼書の紙を打ち出し、レジに持っていき、会員登録をすれば安くあんるのか、と聞くと「そうだ」という。
 現像出来上がりまで時間があるので、かみさんと荷物を抱えて隣のカフェテリアでお茶を飲みながら、早速小出カメラの携帯電話での会員登録の作業にとりかかった。やっと終えて一段落し、扇子で煽ごうとしたら、その扇子がない。さては小出カメラに忘れてきたか、と戻って元いた座席のあたりを探したがない。係りの店員に聞いても見当たらない、という。
 買い物の際に立ち寄った蕎麦屋に置いてきたかもしれない、と思って問い合わせたが「ない」という。もう一度かみさんに小出カメラに行かせたがやはり結果は同じだった。パソコンの台の脇に置いて、そのまま出てきてしまったようだ。
 当の扇子は息子から父の日のお祝いにもらったものだが、どう見ても3、4000円はする代物だった。中国の古い時代を思わせる格調高いもので、一番気に入っていたものだった。ついつい、メール会員登録に気を取られて疎かになってしまったようだ。扇子など名前が入っているわけでもなく、そこらに転がっていれば、気軽に持ち去られてしまうのだろう。
 わずか3000円を惜しんで、貴重な扇子を失くしてしまうのだから、世の中うまくできている、というべきののだろうか。反省しきりのある日の出来事でした。
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日本で新聞が消滅するのは2031年

2012-08-27 | Weblog
ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏の「本当のことを伝えない日本の新聞」(双葉新書)を読んだ。日本独自の記者クラブの存在を足がかりに日本の新聞の前近代的な側面をばっさり切って捨てている。ファクラー氏自身、昨年の東日本大震災の現場を自ら歩き回り、日本のマスコミが報じなかった数々の断面を報道し、ジャーナリズムのあり方を身をもって示してくれただけに説得力がある。日本のマスコミは政府・官庁の広報になりさがっている、との指摘は他の多くの識者も指摘するところで、関係者にとっては耳の痛いことだろう。
 特に日本唯一の経済紙である日本経済新聞は「企業広告の掲示板」であると切って捨てているところは誠に手厳しいところがある。確かに企業広報の言いなりに報道するきらいのある日本経済新聞にはその側面があるのは否定しがたい。記者クラブに座っていて、企業の広報が持ち込む発表記事ばかりを報道していれば、そういわれても仕方がない。ジャーナリズムである以上、競合他紙が報道しないニュースや事実を追いかけるのが使命であり、権力や支配者の不正や腐敗を厳しく指摘するのが存在理由であるのは筆者の言う通りである。
 ただ、日本の新聞社の社員採用のあり方が大卒者の一斉入社試験を経てのものであることを断じて、官僚、企業と同期意識を持って社会に君臨しているさまを批判するのは日本のマスコミというより、社会の成り立ちを批判しているようで、行き過ぎの感がある。米国はじめ諸外国は終身雇用制でなく、転職により専門技量を磨き、より高位な仕事に就いていくのが一般的であり、ジャーナリズムもその例にならっているに過ぎない。日本もいずれ、海外のような生涯いくつかの会社なり、仕事を積み重ねていくことで、人生を歩むようなスタイルに変わっていくときがくることで、そのなかでジャーナリズムの世界も変わっていくことだろう。
 マーティン支局長の指摘を待つまでもなく、日本の新聞じはじめマスコミは一大変革を自ら遂げない限り、未来は開けない。インターネットに押され、紙の新聞が売れなくなっている以上に広告に依存じた経営自体が成り立たなくなっている。社会で情報が求められているのは事実で、その情報をいかに獲得し、提供していくかの根本に立ち返って、経営を抜本的に変えていくこおtが求められている。
 世界的にいずれ新聞がこの世からなくなる、というのは定説になっており、ある機関が推定したところによると、米国では2017年には新聞が消滅し、韓国ではそれが2026年、そして日本では2031年になる、と予測されている。国によって新聞消滅までの期間が異なっているのはそれぞれの国でのインターネットの普及度や、国民の活字に対する慣れ親しみ度、代替のメディアの進捗度に差があるからだ、と言われている。
 仮にその通りに日本から新聞がなくなるのは2031年だとすると、あと20である。あと20年とみるか、まだ20年とみるか、関係者にとって残された期間はそれほどあるわけではない。 
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ハードウェア偏重の思考を改めよう

2012-08-26 | Weblog
 このところパソコンのプリンターの調子がおかしい。しばらくパソコンを使っていなかったので、そのせいかと思って、何度も印字を試みてみるのだが、黒色だけが印字しない。インターネット市場で安いインクカートリッジを買い、使ってみたのがよくなかったのか、インターネットのWEB画面は黒色でなく微妙にカラーがかっているので、なんなく印字できるのだが、ドキュメントの黒色だけの印字となると少しもプリントされてこない。思い余って、メーカーのエプソンのカラリオインフォメーションセンターに問い合わせてみたら、ノズルチェックとヘッドクリーニングを4回繰り返すことを勧められた。それでもダメだったら、と聞くと、「お客さんの使われている機種はもう製造中止となっているので……」と暗に買い替えを示唆された。
 それで、言われた通りにノズルチェックとヘッドクリーニングを4、5回繰り返したが、なんら改善は見られなかった。仕方なく、近くの家電量販店へ赴くと、なんとコピーと写真印刷機能付きのエプソンの最新プリンターが5480円で販売されている。しかも旧機種の下取りも無料で行ってくれる、という。見ていたら、若い女店員が寄ってきて、話しかけるので、ちなみにインクカートリッジは3980円する、という。ただ、プリンターの新規購入に際しては500円引きの3480円にする、という。ということはプリンターには当然インクカートリッジは付いているので、ハードウェアの代金は1000円程度ということになる。今回、旧機種のプリンターをなんとか使おうとインクカートリッジの交換をしようか、とも考え、黒色カートリッジを1050円で購入していたので、その代金で新しいプリンターが買えたことになる。
 即座に新規のプリンターを購入し、早速家に持ち帰ってセットアップしたが、わずか1時間足らずで鮮明な印字ができた。こんなことならゴチャゴチャ思い悩むこともなかったのに、と反省した。そういえば、3、4年前にプリンターの調子がおかしくなり、メーカーのインフォメーションセンターへ問い合わせて、相談料を結構取られたうえに結局、パソコンを買い替えることになり、プリンターのおかげで、高いものについたことを思い出した。
 メーカーにしてみれば、プリンターの本体ハサービスみたいなもので、回転のいいインクカートリッジで稼ぐ時代になっていることを改めて思い知らされた。とかく、古い大型コンピューターからITに馴染んでいる旧世代の人間はハードウェア偏重になっており、ついついハードウェアを大事にしがちで、肝心なことがお留守になっている。IC技術の急速な進展で、ハードウェアはどんどん高度、かつ安価になっており、メーカー間の差がなくなっている。勢い、メーカー間の競争はソフトウェア、そしてサプライ用品に移っているのだ、ということを心しておかなくてはならない。
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溝の口の”三菱地所”なるS組の末路や如何

2012-08-25 | Weblog
 鈍想愚感子の住む川崎・溝の口周辺にいま時ならぬマンション建設ブームが起きている。東急田園都市の溝の口駅から徒歩10分以内で、10カ所以上のマンション建設が進んでいるのだ。長らく田畑、もしくは駐車場として利用されてきたスペースが一斉に白いビニール布地で囲われ、マンション建設地と変貌しているのだ。ひと頃東京都心で盛んだった市街地でのマンション建設ブームが下火となり、郊外のここ溝の口に移ってきた感がある。その大半が地元溝の口に本拠を置く中小土建会社のS組の手になるものだから、驚く。
 このS組はずっとローカルの群小デベロッパー会社の造るマンションの建設を請け負ったり、建て売り住宅を請け負ったりしてきた純然たる建設請負業者であった。地場の土建業者としてあまり目立たない存在でもあった。数年前に鈍想愚感子の住むマンションのすぐ前の坂道にマンションが建つことになり、名もないローカルのデベロッパーが開催する周辺住民に対する説明会に請負建設業者として立ち会い、名前を聞いて、以来社名を見かけることが多くなった。その時にあまりにも強引な進め方が気になり、S組の社長宛てに抗議文の手紙を出したことがあったが、なしのつぶてだった。地元の業者としてもっと地元を大事にした方がいい、と物申したのだが、なんの効果ももなかった。あとで、聞いたら、S組の現社長は2代目のボンボンで、宜なるかな、と思わせた。
 それが、どういう加減か、S組がにわかに溝の口の”三菱地所”みたいに猛烈にデベロッパー業務に乗り出したのだ。どうせ、金融機関か、どこぞのコンサルタント会社の煽てに乗って、事業意欲を駆り立てられたのだろう。聞くところにとると、従業員100人程度の企業としては手に余ると思えるほどの急開発ぶりである。目につくだけでも一挙に7つのマンション開発に着手しつつある。建設にあたっては下請け業者を雇えば、できないことはないのだろうが、マンションは建設すれば終わり、というビジネスではない。完成前から売り出しをかけ、販売し、そのあとも管理業務がついて回る。販売にあたっては広告を出したり、DMを大量にばらまいたりして膨大な宣伝広告費をかけなくてはならない。いままで請負業者に専念してきたS組にそうしたノウハウがあるとはとても思えない。
 マンション建設にしても工事費の負担だけでもかなりの財政を圧迫することだろう。それに広告宣伝費も押しかぶさってくる。S組にこうしたファイナンスをすべて賄うだけの資金量があるとは想像しにくいことだ。外部のだれかが、S組の経営層に吹き込んで安易なビジネスモデルだ、と思い込ませたに違いない。日本経済のバブルははじけて20数年経つが、世の中にはバブルの実態を知らずに相手の言うなりにビジネスプランを描いてしまう企業が後を絶たないのだろう。
 はたして、S組がバブルの泡と消えていくのか、今後の推移を見守るしかないが、どう見てもその公算が強そうだ。
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ショッピングセンターの寿命も30年?

2012-08-24 | Weblog
 先日、東京・新宿で沖縄に住む知人のSさんと待ち合わせし、7年半ぶりに会う恋人に会うかのように胸をときめかして、指定の西口交番前に約束の10分前に行った。ところが、時間になっても姿を現さない。どうしたのかな、と思って携帯電話を手にしながら待っていると、突然目の前に現れた女性が笑いながら、話しかけてきて、笑い顔を見て、Sさんだ、と納得した。当の女性は確か約束の5分前には交番前に佇んでいた。ところが、7年前にはもっと色が黒かったし、沖縄に住んでいるのだからもっと黒くなっている、と思って別人だ、と思っていた。それが当の本人だったとはびっくりした次第。1年も経てば男はよく変わる、と言われるが、女もそうなのだ、と実感した。
 Sさんとは中学生時代の同窓生で、卒業以来ずっと消息を絶っていて、10数年前にお互い東京に住んでいることが判明し、ちょくちょく会い始めたが、7年半前にSさんが沖縄に引っ込んで以来、手紙だけのやりとり、となっていた。それがこの夏、お互いに海外旅行をして帰国したばかりの時期に再会することなったのだ。早速、近くのビルの地下の焼き肉店で、ランチを摂りながら、お互いの旅の話を中心に会話ははずんだ。1時間半くらい経ったところで、お茶でもしよう、とかつての土地カンをもとに新宿の地下街をぶらつき、「そうだ。新宿住友三角ビルにでも行けば喫茶店くらいあるだろう」と思って行った。
 ところが、目当ての新宿住友三角ビルは平日の午後のせいか、人通りも少なく閑散としている。回転ドアを過ぎてエレベーターホールへ向かっても人と行き交うこともない。これでオフィスビルかといぶかるほどだった。最上階の52階のレストランに入り、「お茶でもいいか」と聞くと、お客がいるようでもないのに「ランチしか受け付けていません」という。下の51階の展望台もひと気はなく、他のレストランもお茶だけは受け付けてくれない。それなら、地下はどうかと、地下1階に降りると、これまたほとんでの店がシャッターが下りていて、まるでゴーストタウンのようで、およそ都心のショッピングセンターの雰囲気ではない。こんなことではテナントのオフィスも逃げ出してしまうのではないか、と懸念sれる。
 新宿住友三角ビルはいまでもはっきりと覚えているが1974年3月に新宿西口で初めての高層ビルとして華々しくオープンし、駅寄りの広場では絶えず派手なパーフォーマンスが繰り広げられていて、マスコミの話題を集めていた。最新の流行や、ファッションを知るには恰好のスペースでもあり、人出を集めていたっものだった。いまでも新宿高層ビルの草分け的存在でもある。
 それが昔の面影はさっぱりと消えて、閑散としているなんて考えられないことである。この春にも渋谷に東急ひかりえがオープンするなど都心の繁華街には新しいショッピング街が次々とオープンしており、日一日と既存のショッピングセンターは古くなっていく。
 よく会社の寿命は30年といわれるが、ショッピングセンターの場合にもあてはまるのだろうテナントを絶えず入れ替えて、最新の流行、ファッションを取り入れるほか、イベントを仕掛けて消費者の関心を惹くような努力が欠かせないのだろう。新宿住友三角ビルのデベロッパーは住友不動産7なのだろうが、そのあたりがお粗末といえそうだ。

 
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