この5月連休明けからお盆過ぎまでかみさんと世界一周のクルーズに乗っていた。旅そのものは世界遺産から北極圏までとスエズ運河、パナマ運河を通る楽しいものであり、一緒に行った900人の仲間とも親しくなれて面白かった。旅の内容、感想などについてはいずれ明らかにするとして、まずは家を102日も空けて帰ってきての思いから始めたい。夏場をほぼ閉め切った状態で行ったので、どんなに荒んでいるか、と思ったが、意外ときれいになっていた。心配したタンスのカビも発生していなくて、ほっと胸をなでおろした。息子に定期的に郵便物の処理を頼んでいたのが幸いしたようだった。
3カ月の郵便物などの整理はかなりしんどかった。中元の配達預かりのようなものもあり、かろうじて受け取り手配が間にあった。行く前に郵便局に問い合わせたら、1カ月しか局に留め置きしない、と聞いていたので、息子にちょくちょく覗くように頼んだのだが、中元品の受け取りまでには手が回らなかったようだ。留守番電話の着信は25件入っていたが、行く前には20人分くらいしか容量がない、と聞いていたので、ほぼ予想通りだった。26人目からは受け付けなかったのだろう。
問題はメールだった。開いてみると、さかのぼって受信するのだが、4週間前まで約800件で、それ以上受信しなくなってしまった。プロバイダーのイッツコムに問い合わせてみたら「4週間以上受信しないと、自動的に削除してしまう。そうしないと、サーバーがパンクしてしまう」とのことだった。他のプロバイダーもそうか、と聞くと「多分そうだ」と答えた。いままで4週間もメールをチェックしなかったこてゃないので、初めての経験であるが、事前にそうしたことを確認しておかなかった当方のミスといえばミスかもしれない。ただ、契約の時にどこにもそうした規定があるのを見かけなかったのはプロバイダー側にも責任を問えるのかもしれない。個人的なものばかりなので、法的な問題にはならないが、会社関係のビジネスだったら、機会ロスで訴えられるかもしれない、と思った。
あと、些細なことだが、家の中なり、自分なりに決めていた約束事を忘れてしまっていた。たとえば、パソコンの操作手順がすぐに思い出せなかったり、ビデオの録画操作がわからなかったり、ハンカチの置き場所を覚えていなかったりした。しばらく経って気がついたのだが、自分のメールアドレスを間違えていて、かかってきた電話に間違えたまま伝えてしまった。かみさんのメールアドレスとゴッチャになっていたようだった。
あと身体的には体重が3キロばかり減っていた。船の中に体重計はあって計ってはいたが、絨毯の上にあったため正確には計測できなかったようだ。2週間経っても元には戻ってはいない。食べ物に関しては船のレストランでの食事はそれなりにカロリーはあるのだが、決してうまいとはいえない。それしかないから食べるものの、独特の味付けがあって、最後まで馴染んだとはいえなかった。だから、日本に帰ってきてから、日本食が食べたたくて仕方なく、まず天ぷらを食べたら、すごく美味しかった。次いで日本そばを食したが、これもすこぶる美味しかった。家でかみさんの作ってくれる食事がすべて美味しく感じられ、かみさんが喜んだほどだった。
船のなかでは日本の新聞、テレビは全く見られない。生涯で100日余もリアルタイムでの新聞、テレビを見なかったのは初めての経験だろう。帰ってきて、新聞は図書館で綴じこんだのをざっと見たし、テレビは行く前に録画しておいたのをざっと見たが、テレビはほとんど見る気がしなかった。新聞も毎日見なくても、スクラップであとから見ても十分だな、と思った。リアルタイムで見ている分には臨場感や、迫力はあるのかもしれないが、あとになって振り返ってみれば大したことないことがほとんどで、時間のムダとも思えることが多いことがよくわかった。それと、なぜ以前はこんな番組を喜んで見ていたのかな、と冷静に考えることもできた。
さらには生涯で100日も競馬から離れたのは初めてのことで、帰ってきてテレビで競馬を見ても以前ほど熱中しなくなった。競馬場には行くことになるかもしれないが、場外でのテレビ観戦はぐっと減ることだろう。
実際100日余も生活の場を離れると、それまで営んできた生活がどんなものだったか、をじっくりと振り返ることができ、改めて生活の習慣なり、手順を考え直すことができるいい機会ともなる。100日余も離れるとちょっとした”浦島太郎”であるが、いまの生活を変えるのはいい機会でもある。こんなことでもない限り、毎日なり、日ごろやっている趣味などを見直してみることなどできないだろう。
人間、時にはしばらく日常を離れて己の生活のあり方を点検することも必要だ、としみじみ思った次第。
3カ月の郵便物などの整理はかなりしんどかった。中元の配達預かりのようなものもあり、かろうじて受け取り手配が間にあった。行く前に郵便局に問い合わせたら、1カ月しか局に留め置きしない、と聞いていたので、息子にちょくちょく覗くように頼んだのだが、中元品の受け取りまでには手が回らなかったようだ。留守番電話の着信は25件入っていたが、行く前には20人分くらいしか容量がない、と聞いていたので、ほぼ予想通りだった。26人目からは受け付けなかったのだろう。
問題はメールだった。開いてみると、さかのぼって受信するのだが、4週間前まで約800件で、それ以上受信しなくなってしまった。プロバイダーのイッツコムに問い合わせてみたら「4週間以上受信しないと、自動的に削除してしまう。そうしないと、サーバーがパンクしてしまう」とのことだった。他のプロバイダーもそうか、と聞くと「多分そうだ」と答えた。いままで4週間もメールをチェックしなかったこてゃないので、初めての経験であるが、事前にそうしたことを確認しておかなかった当方のミスといえばミスかもしれない。ただ、契約の時にどこにもそうした規定があるのを見かけなかったのはプロバイダー側にも責任を問えるのかもしれない。個人的なものばかりなので、法的な問題にはならないが、会社関係のビジネスだったら、機会ロスで訴えられるかもしれない、と思った。
あと、些細なことだが、家の中なり、自分なりに決めていた約束事を忘れてしまっていた。たとえば、パソコンの操作手順がすぐに思い出せなかったり、ビデオの録画操作がわからなかったり、ハンカチの置き場所を覚えていなかったりした。しばらく経って気がついたのだが、自分のメールアドレスを間違えていて、かかってきた電話に間違えたまま伝えてしまった。かみさんのメールアドレスとゴッチャになっていたようだった。
あと身体的には体重が3キロばかり減っていた。船の中に体重計はあって計ってはいたが、絨毯の上にあったため正確には計測できなかったようだ。2週間経っても元には戻ってはいない。食べ物に関しては船のレストランでの食事はそれなりにカロリーはあるのだが、決してうまいとはいえない。それしかないから食べるものの、独特の味付けがあって、最後まで馴染んだとはいえなかった。だから、日本に帰ってきてから、日本食が食べたたくて仕方なく、まず天ぷらを食べたら、すごく美味しかった。次いで日本そばを食したが、これもすこぶる美味しかった。家でかみさんの作ってくれる食事がすべて美味しく感じられ、かみさんが喜んだほどだった。
船のなかでは日本の新聞、テレビは全く見られない。生涯で100日余もリアルタイムでの新聞、テレビを見なかったのは初めての経験だろう。帰ってきて、新聞は図書館で綴じこんだのをざっと見たし、テレビは行く前に録画しておいたのをざっと見たが、テレビはほとんど見る気がしなかった。新聞も毎日見なくても、スクラップであとから見ても十分だな、と思った。リアルタイムで見ている分には臨場感や、迫力はあるのかもしれないが、あとになって振り返ってみれば大したことないことがほとんどで、時間のムダとも思えることが多いことがよくわかった。それと、なぜ以前はこんな番組を喜んで見ていたのかな、と冷静に考えることもできた。
さらには生涯で100日も競馬から離れたのは初めてのことで、帰ってきてテレビで競馬を見ても以前ほど熱中しなくなった。競馬場には行くことになるかもしれないが、場外でのテレビ観戦はぐっと減ることだろう。
実際100日余も生活の場を離れると、それまで営んできた生活がどんなものだったか、をじっくりと振り返ることができ、改めて生活の習慣なり、手順を考え直すことができるいい機会ともなる。100日余も離れるとちょっとした”浦島太郎”であるが、いまの生活を変えるのはいい機会でもある。こんなことでもない限り、毎日なり、日ごろやっている趣味などを見直してみることなどできないだろう。
人間、時にはしばらく日常を離れて己の生活のあり方を点検することも必要だ、としみじみ思った次第。