日本サッカー協会は30日、次期サッカー日本代表監督にイタリアのアルベルト・ザッケローニ氏を招く、と発表した。この日のスポーツニッポン紙に1面トップで大々的に報じられたのだが、同じ日のライバル紙の日刊スポーツには元アルゼンチン代表監督のホセ・ペケルマン氏が日本代表監督に就任する、とこれも1面トップで報じられていたため、一体どちらが本当か、と話題を呼び、フジテレビの「とくダネ!」でも冒頭、司会の小倉智明アナウンサーが「2人の監督が決まりました」と皮肉っていたほどだった。
ザッケローニ氏はイタリア1部(セリエA)のACミランの監督として98年にリーグ制覇し、その後インテル・ミラノやユベントスの監督を務め、攻撃的な采配をすることで知られている。岡田武史監督が辞意を表明して以来、原博実強化担当技術委員長が中心となって外国人に絞って交渉を進めてきた結果、ザッケローニ氏との間で合意した。イタリア紙によると、契約は236万ドル(約2億円)の年俸で、期間は2年で、2年間延長のオプション付き、という。
サッカー日本代表の監督は1951年以来これで24人目となるが、外国人監督はオフト、ファルカン、トルシエ、ジーコ、オシム氏に次いで6人目となる。前任の岡田監督がオシム氏の急遽辞任の後を受けてのリリーフだったにもかかわらず、事前の予想を覆して、第1次リーグ突破の偉業を成し遂げた。
それなのになぜまた外国人監督を招聘しなくてはならないのだろうか。サッカーそのものの起源はイギリスにあり、いまでも欧州が圧倒的にリードしているので、サッカー先進国の欧州や南米から学ばなければならないことが多いことはよくわかる。しかし、だからといって、日本代表の監督を海外から招くという発想に結び着くのはよくわかからない。
サッカー先進国の技術なり、ノウハウを学ぶというのなら、外国人コーチを雇うなり、スコアラーを海外の派遣して相手チームの戦法を事前に把握しておけば済むことである。監督を外国人にすれば、通訳を交えて指揮しなければならないし、協会の幹部との意思疎通にもややこしい問題が派生しかねない。
それに指導者として日本代表監督を務めるということはサッカー界の重職を務めるうえで欠かせないことである。いまの日本サッカー協会の幹部がかつて日本代表監督を務めていた頃はワールドカップの予選で負けていた頃で、ワールドカップの国際舞台を踏んでいるのと、踏んでいないのでは雲泥の差がある。
いまの日本サッカー協会の幹部はいずれもローカルな試合の指揮を採った程度の経験しかない。だから、大舞台での指揮となると、外国人の監督に任せよう、との気持ちになってしまうのだろう。こんなことではたとえ、ワールドカップのベスト8なり、ベスト4へ進出するような快挙を成し遂げても、そのエッセンスは外国人監督の頭の中にしか蓄えられず、日本サッカー界の資産となってはいかないことだろう。
この6月にワールドカップは終わり、すでに4年後のブラジル大会へ向けての戦いは始まっている。来月4日には日本代表はパラグアイと、7日にはグアテマラと試合をすることになっている。その指揮は新しい監督ではなく、原技術委員長が代行する、という。すでにしてこのことからして協会の振る舞いは狂っている。
ザッケローニ氏はイタリア1部(セリエA)のACミランの監督として98年にリーグ制覇し、その後インテル・ミラノやユベントスの監督を務め、攻撃的な采配をすることで知られている。岡田武史監督が辞意を表明して以来、原博実強化担当技術委員長が中心となって外国人に絞って交渉を進めてきた結果、ザッケローニ氏との間で合意した。イタリア紙によると、契約は236万ドル(約2億円)の年俸で、期間は2年で、2年間延長のオプション付き、という。
サッカー日本代表の監督は1951年以来これで24人目となるが、外国人監督はオフト、ファルカン、トルシエ、ジーコ、オシム氏に次いで6人目となる。前任の岡田監督がオシム氏の急遽辞任の後を受けてのリリーフだったにもかかわらず、事前の予想を覆して、第1次リーグ突破の偉業を成し遂げた。
それなのになぜまた外国人監督を招聘しなくてはならないのだろうか。サッカーそのものの起源はイギリスにあり、いまでも欧州が圧倒的にリードしているので、サッカー先進国の欧州や南米から学ばなければならないことが多いことはよくわかる。しかし、だからといって、日本代表の監督を海外から招くという発想に結び着くのはよくわかからない。
サッカー先進国の技術なり、ノウハウを学ぶというのなら、外国人コーチを雇うなり、スコアラーを海外の派遣して相手チームの戦法を事前に把握しておけば済むことである。監督を外国人にすれば、通訳を交えて指揮しなければならないし、協会の幹部との意思疎通にもややこしい問題が派生しかねない。
それに指導者として日本代表監督を務めるということはサッカー界の重職を務めるうえで欠かせないことである。いまの日本サッカー協会の幹部がかつて日本代表監督を務めていた頃はワールドカップの予選で負けていた頃で、ワールドカップの国際舞台を踏んでいるのと、踏んでいないのでは雲泥の差がある。
いまの日本サッカー協会の幹部はいずれもローカルな試合の指揮を採った程度の経験しかない。だから、大舞台での指揮となると、外国人の監督に任せよう、との気持ちになってしまうのだろう。こんなことではたとえ、ワールドカップのベスト8なり、ベスト4へ進出するような快挙を成し遂げても、そのエッセンスは外国人監督の頭の中にしか蓄えられず、日本サッカー界の資産となってはいかないことだろう。
この6月にワールドカップは終わり、すでに4年後のブラジル大会へ向けての戦いは始まっている。来月4日には日本代表はパラグアイと、7日にはグアテマラと試合をすることになっている。その指揮は新しい監督ではなく、原技術委員長が代行する、という。すでにしてこのことからして協会の振る舞いは狂っている。