鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

実力派弁護士のもとではマスコミは当分名誉棄損裁判では勝てないことがよくわかった

2015-01-28 | Weblog

 28日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午前10時半から415号法廷で長嶋一茂氏が新潮社に対し、2年前に週刊新潮誌が掲載した記事「長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞の光と影」で名誉棄損を受けたとして損害賠償請求している民事裁判の証人尋問を傍聴した。記事は長嶋茂雄氏が国民栄誉賞を受賞してもそれで家族がお祝いをすることもなく、家族はバラバラだ、というもので、こうした週刊誌報道に対する裁判と同じく被告の新潮社側は記事を執筆したデスクと取材記者を証人に立てた。

 まず証人台に立った週刊新潮の担当デスクは代理人の質問に答え、取材の一部始終を語った。過去に同じ週刊誌である週刊文春や週刊ポストも取り上げていることを言い、20年来長嶋茂雄氏と親しい人から「『国民栄誉賞を受賞しても家族そろってお祝いをすることもなく、一茂氏が茂雄氏保有の数々の記念品を無断で売ってしまっていることなどから家族間が対立している』と聞いたことから記事を作成した」と証言した。記念品を買った福井県の資産家、山田氏や記念品を保管・運送した運送会社、それに茂雄氏や娘の三奈さんや一茂氏に取材した経過やその内容も証言した。

 これに対し、反対尋問に立った弘中惇一郎弁護士はまず「他の週刊誌に書いてあることに依拠したのか」と切り込み、「そうした週刊誌がどのように取材して記事を書いたのか調べたのか」と証人に迫った。そして週刊文春はその該当記事で名誉棄損で訴えられ、最高裁までいって500万円の支払いを命じられ、敗訴しているうえ、週刊ポストも現在係争中であると言い切った。そして、「一茂氏への取材はどうようにしたのか」と問い、携帯電話であることを聞いて、「その録音は録っているのか」と聞いたら、デスクは「回答を控えたい」と答えたのみだった。さらに弘中弁護士は「長嶋家では昔から家族そろってお祝いごとをするような習慣は一切ないと聞いているが、他の国民栄誉賞受賞者で家族そろってお祝いするような人がいるのを聞いているのか」と畳みこんだ。これには証人のデスクは「調べていない」というしかなく、これらを聞く限り、すでに勝負あったという感じだった。

 弘中弁護士は小沢一郎代議士の政治資金問題でも小沢代議士の弁護をし、見事無罪を勝ち取るなど他にも数々の有名な裁判で名をあげている名うての弁護士で、その実力ぶりを如実に目にした。最近の週刊誌相手の名誉棄損裁判ではほとんどマスコミ側が敗訴している。実際に取材の際に裁判になることを想定して録音を残したり、きちんと取材メモを取ったり、掲載について取材相手から掲載の了解を得るなどのようなことはまずしていないし、それを文書に残るような形で保存は十中八、九していない。だから裁判になったら、まず負けてしまう。まして弘中弁護士のような実力派が出てきてはますます勝ち目はないだろう。

 この裁判については続いて証言に立った週刊新潮の記者もそれほど重要な証言をしなかったうえ、最後に原告の長嶋一茂氏が証言台に立ち、「茂雄氏の記念品処分については茂雄氏が脳梗塞で倒れた際に某風水師から『地下にある物品が悪いものをもたらしていて、早く処分しないと茂雄氏の命に係わる』と宣告を受けて、茂雄氏了解のもとに処分に踏み切った」との爆弾発言をして、傍聴席をアッといわせた。そのあと長嶋家のありのままの現状を約1時間にわたって延々と語った。これには傍聴席はしんとい静まり返った。さらに新潮社側の弁護士も唖然とした感じで、反対尋問も精彩を欠くもので、ここでも勝負あった感はさらに深まった。

 尋問を終えて裁判長は次回の法廷に日時を決めたうえで、双方に和解を打診したが、弘中弁護士はきっぱりと否定したあたり、実力派の片鱗を見せつけた。ちなみに敏腕の弘中弁護士の隣に座って、原告一茂氏への主尋問を担当した多分弘中弁護士の娘であろう弘中絵里弁護士のサポートも素晴らしく、2人の息がピッタリ合っていたことも付記しておきたい。 

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人質救出に全力をあげる、といっていたのに何もしてこなかった日本政府の無策ぶり

2015-01-26 | Weblog

 イスラム国から期限付きで身代金を要求されていた後藤健二さんと湯川陽菜さんのうち湯川さんが殺害されたことがイスラム国側の公開したビデオ映像によって、25日明らかとなった。っそれによると、後藤さんが湯川さんの殺害された写真を手に今度は身代金でなく、ヨルダンの死刑囚として収監されている女性テロリストとの交換を申し出ている。これまであらゆる手段を講じて人質の解放に向けて努力している、としてきた日本側の試みがすべて効果がなかったことが明白となった。今後はヨルダン政府とイスラム国との間の交渉に委ねられることとなったわけで、日本政府の無策はさらに続きそうだ。

 事件発生以来、日本政府は一貫して人質の解放に向けて全力をあげて努力をしている、と関係者一同口にしていたが、その内容については一切明らかにしてこなかった。国内でも誘拐事件が発生した際には報道協定で、新聞テレビが捜査状況を伏せるということはあるが、今回は世界一斉にそうした行動はとれず、日本政府としてもイスラム国に手のうちを明かすわけにはいかないので、そうした言動をとることは十分に理解できる。ただ、人質2人のうち1人が殺害されたいまとなっては一体どんな手段を取られたのか、その内容を明らかにすべきだろう。そうすることがあっさりと殺害された湯川さんの家族に対しては説明すべきだろう。

 ところが、後藤さんが湯川さんの殺害を表明した映像の公開を受けて、記者会見した菅官房長官は記者からの「映像意外にイスラム国とのコミュニケーションはありましたか」との質問に対し、にべもなく「何もありません」と一刀のもとに切り捨てた。多少でもコミュニケーションがあれば、その一端を少しでも言うべきか、言い淀むようなことがあるのだろうが、菅長官はそうした素振りもなく、直ちに「ない」と言い切った。

 ということは日本側がこれまでイスラム国側となんらかの接触をしよう、と努力してきた行為がすべて無駄だったことを表している。25日の午前1時に人質問題で緊急閣僚会議を開いていかにも国をあげて対策会議に邁進しているような姿を国民の前に見せてはいるものの、肝心な情報はほとんど入っていなかったということを如実に示している。

 これまで人質殺害について政府の対応を追及する声は出ていないものの、日本政府の無策は明らかで、今日からの通常国会でその点をぜひとも追及してほしいものだ。25日の映像で人質交換を説明した後藤健二さんは「My last hours in this world」と締めくくり、時間は残されていないと悲痛な表情で語った。後藤さんが湯川さんの二の舞いとならないために日本政府は何をなすべきか、とくと考えてほしい。

追記 後藤さんの救出は専らヨルダン政府の意向に任せられ、日本政府の打つ手はなくなったことから、これまでの日本政府の人質事件への対応について忌憚のない意見が出てくるようになってきた。湯川さんが拘束されたのは昨年の8月、後藤さんは昨年の10月で、以来イスラム国との交渉は水面下で行われていたのだ、という。後藤さんの家族のもとには身代金20億円を払え、という文書まで届いていたのいう。にもかかわらず外務省は危険なこの時期に安倍首相のイスラエルなど中東諸国への訪問を決め、さらにイスラム国へ対抗する諸国への2億ドルの援助を敵中のイスラエルで表明することを許してしまった。安倍首相、および外務省のミスといわざるを得ないだろう。さらには安倍首相が2億ドルの身代金要求に直面して直ちにヨルダンに現地対策本部を設けたことにも疑問fが出ている。ヨルダンでなく、トルコに置いておけば、今日のヨルダンを巻き込んだ事態を招かずに済んだ、というのだ。

 

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火中の栗を拾うような形で中東訪問した安倍首相はイスラム国の術にはまった

2015-01-20 | Weblog

 安倍首相の中東諸国訪問のなか、イスラム国が日本人2名を人質にとって、「72時間以内に2億ドル(日本円で236億円)払わなければ人質を殺害する」とネット上で通告してきた。17日に安倍首相が中東諸国に2億ドル支援すると表明したことがイスラム国を刺激したようで、こんな時期に中東諸国を訪問した安倍首相はじめ官邸のセンスのなさが問われることとなりそうだ。先週フランスパリでイスラム国のテロリストがフランスの新聞社などを襲撃して17人を殺害したばかりで、いかにも中東の平和を願う立場からの安倍首相の言動がイスラム国の反発を招いたのは否定できない。

 20日午後、イスラム国がインターネット上に公開した映像によると、銃とナイフを持った黒ずくめのイスラム国の兵士が両側に拘束されて膝まづいている日本人2人にナイフをかざし、いまにも首を切ろうとしている。2人は昨年8月にシリア北部でイスラム国に拘束された会社経営の湯川遥菜さんと昨年末に行方不明となっていたフリージャーナリストの後藤健二さんの2人と見られる。英語で流された音声で「安倍首相がイスラム国に対抗するため中東諸国に2億ドルの支援をすると表明したのは明らかにイスラム国に対する挑戦であり、72時間以内に日本人1人につき1億ドル、計2億ドルの身代金を払わないと処刑する」と言明した。日本は中東から8500キロも離れているのにイスラム国に対し、挑戦しているのは遺憾だ、としている。

 これに対し、同日夕、イスラエルで記者会見した安倍首相は「テロ行為は最も許し難い行為で、諸外国と連携をとりながら全力をあげて人質の救出にあたりたい」と言明し、前日に2億ドルの援助を表明したのは中東諸国で避難民となっている方々に最も必要な医療、食糧などのサービスを行うということで、あくまでも非軍事的なものだ」と語り、イスラム国にあくまでも無条件釈放を呼び掛けたものだった。記者の質問の「日本はかつて人質の身代金をはらったことがあるが……」に対し、何も答えなかった。

 イスラム国が安倍首相の中東訪問の時機をねらって処刑の映像を流したのは明らかで、これまで日本は中東問題については理念的に平和を訴えるだけで、具体的な問題に踏み込むことを避けてきた。中東諸国から輸入原油のほとんどを輸入していて、中東のどこの国とも対立したくない、とも思惑があった。ただ、ごく最近はイスラム国という摩訶不思議な存在が出来上がり、中東問題をさらに複雑怪奇なものとしていた。しかもイスラム国はフランスやベルギーでテロを起こし、単にテロ撲滅を標榜しているだけでは国際的な外交を果たせなくなっていた。

 そんな時機に安倍首相はまさに火中の栗を拾うような形で、中東諸国を訪問し、経済を中心に外交関係を築こうとしたわけで、まんまとイスラム国のねらっていた術にはまってしまった。もともと、中東諸国にはこれといった交渉ルートを持たない日本としてはイスラム国ときちんとしたコミュニケーションを取れないのが実情だろう。となると、公表しないことを前提にイスラム国が要求する2億ドルを支払って、人質の釈放を求めるしかないことだろう。

 日本政府は公式には「決してテロの脅威には屈しない」(菅官房長官)と言っているが、この字義通りに振る舞った場合、どのような結末が待っているのだろうか。結果的に人質2人を殺されるようなことになったら国民の失望を買うだろうし、身代金を払って人質を救出したら国際社会の信用を失うことになりかねない。いずれにしろ、安倍首相自らが蒔いた種の代償は大きい。

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不愉快な女店員の対応で2度と行かないと決めた東京・新宿のレストラン「Granna」

2015-01-18 | Weblog

 18日、かみさんが東京・新宿の中村屋へカレーを食べに行きたい、というので、出かけた。中村屋のインドカレーは値段はやや高いものの、それなりに旨く、年に1、2回は食べに行っていた。しばらく新宿駅前の本店はビル改装中で、隣の新宿高野の仮店舗で営業していて、いけばしばらく待っていれば、中へ入れて、食べることができたので、そのままだろう、と思って予約もせずに出かけた。考えてみれば、昨年だかに中村屋の本店ビルが新たに完成してから行っていないことに気がついた。

 正午過ぎにJR新宿駅を降りて、中村屋へ行くと、最上階の8階がレストラン「Granna」となっていて、どうやらその「Granna」がインドカレー専門のレストランのようだ。エレベーターを降りると、狭いスベースに椅子が10脚くらい並んでいて、順番待ちか、人待ちかわkらないが、5、6人座っていて、意外と客が少ない。真ん中が空いているので、順番待ちではなさそうである。入口のカウンターを見ると、クリップで止めた用紙らしきものの束が置いてあるが、順番待ちの名前を書くようなものでもない。そんなものは見当たらず、どうしたものか、と中を伺っていると、中年の女性ウエイターらいsき人が現われたので、「書けばいいですか」と聞いてみた。

 すると、件の店員は「満員で、1時間近く待つことになります」と言い、さらに「こちらはコース料理ですから」と、いかにも高級料理であるかのように言う。で、近くにあったメニューをめくってみると、価格は1人3000円からとなっており、それほど高級でもない。一応、かみさんが望んでいるので、「名前を書いて、1時間くらいしてから来ればいいですか」と言うと、「1時間かかるか、それ以上かわからない」といい、その間に新たな客が来て「〇〇です」と名乗って、中へ入っていく。そのうちにもうカレーなど食べたいという気も失せてきて、「もう今日はいいです」と中村屋をあとにした。

 考えてみても中村屋の女店員の応対には不愉快のものがあった。いかにも今日は満員なので、これ以上のお客さんは要らない、という考えが見え見えだった。一女店員の考えなのか、お店の考えなのか、はっきりしないが、フリーのお客をどう扱うのか、という基本姿勢ができていない。予約を受け付けるにしても店内のスペースのどのくらいを予約にし、フリーのスペースがどのくらいなのか、よくわからない。いずれにしろ、予め予約しておけば、祝祭日といえど全く待つ必要がない、ということになる。でも女店員は完全予約制であるとも、フリーのお客を受け入れているとも言わない。単に「コース料理で、2時間を要する」と説明するだけで、要領を得ない。こんな曖昧な接客態度ではまた来るような気にもなれない。かみさんが気に入っている料理ではあるが、もう中村屋に来てカレーを食べようという気にならない。今後は中村屋のカレーが食べたければ、缶詰でも買って食べることとしたい。

 

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ホワイトカラー・エグゼンプションなどなぜ国が民間企業のなすことにあれこれ指図するのか

2015-01-08 | Weblog

 8日付けの日経の1面トップに厚生労働省が働く時間でなく成果で賃金を支払う「ホワイトカラー・エグゼンプション」の制度案をまとめたとの報道があった。それによると、年収1075万円以上の専門職に限り、週40時間を基本とする労働時間規制から外す考えのようだが、官公庁の公務員を対象としたものならともかく民間の賃金制度の中身について国が介入するようなことが果たして経済活性化につながるものなのか、極めて疑問が残る。

 安倍首相は2007年の第1次安倍内閣当時にもこのホワイトカラー・エグゼンプションの導入をめざしたが、一部労組などから反発を招き、挫折した経緯がある。日本経済の再生を掲げ、経済活性化の一環としてホワイトカラー・エグゼンプションを掲げたが、公務員ならともかく民間企業の労務制度についてなぜ国があれこれ指図するのか、よくわからない。労働者の基本的人権にかかわることでもないのに年収1075万円以上を対象とするなどあたかもいかにも合理的な水準を打ち出しているようにみえるが、何の根拠もないことだろう。

 昨春の春闘の際にも安倍首相は経団連トップに対して、賃上げをするように要請し、この正月の経団連など財界の新春パーティででも同様な要請をした。企業が利益を上げているので、その一部を労働者にも行き渡るようにし、国内消費を盛り上げるのに一役買ってもらいたいとの趣旨であるのだが、企業が賃上げをするのには経営側と労組側の交渉の過程で決まるもので、それぞれの企業においてそれなりの事情を抱えており、いますぐに賃上げをする前に片づけておかなければならない交渉テーマを抱えている。それなのに関係ない国のトップから「賃上げを」と言われてもおいそれとは従えない企業も数多いことだろう。企業として国に対して負っている義務は所得税をきちんと納めることで、それさえ怠りなくやっていれば、何も国からあれこれ指図を受けたくもない、というのが経営者の心境だろう。

 もともと企業経営は自由に企業家精神を発揮できる環境に置かれていることで、世のため人のためイノベーションを尽くし、最大限の業績を上げて、働く従業員の生活を守ることに日夜努力する。それを社会主義国家のように手取り足取りあれこれ指図されるのは国のなすべきことではない。安倍首相の頭の中の一体なにがそんなことをさせるのだろうか。周りにいる経済学者がなぜそんなことは自由な経済活動を妨げることになる、とアドバイスしないのか、不思議でならない。アベノミクスそのものがいまや失敗に終わろうとしているのはこんなところに原因がありそうだ。 

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戦争の悲惨さを訴えたブラッド・ピット主演の映画「ヒューリー」に感動した

2015-01-07 | Weblog

 7日は東京・銀座のマリオンでブラッド・ピット主演の映画「ヒューリー」を観賞した。昨年秋から見てみたいと思っていた映画で、たまたま東京地裁へ裁判の傍聴に出かけたが、さすがに新年早々で開廷している法廷が少なくて、ちょっと覗いてすぐに映画観賞に切り替えた。第2次世界大戦の連合軍のノルマンディ上陸後、ドイツに侵攻するアメリカ軍の戦車の活躍を追った作品で、徹底抗戦するドイツ軍との決戦で最後は敗れてしまい、たった1人だけが生き残るのが救いとなっている。本年度アカデミー賞の有力候補作というのもうなづけた。

 1945年4月ノルマンディに上陸した連合軍はドイツを追い詰めていくが、そのドイツはドイツ国内に退却しても最後まで戦う姿勢を崩さず、連合軍は決死の意気込みで追い込んでいく。世間的には連合軍は勝利を収めるわけであるが、その陰で兵士は命をかけてドイツ軍と死闘を繰り広げていく。「ヒューリー」はそんな連合軍の戦車の活躍を描いた作品で、ブラッド・ピッドが演じるコリアー軍曹が車長を務める戦車の愛称がそのまま映画のタイトルとなっている。映画を見る前は戦争そのものがヒューリー(狂気)であるから、タイトルはその意味だろうと思っていたが、冒頭に登場した戦車の砲筒に英語で「HURY」と書かれてあって、なるほどと思った。

 ドイツ軍との戦いに唯一生き残った戦車ヒューリーが連合軍のもとに戻ってくると、 亡くなった副操縦手の代わりにそれまでタイプを習っていた若いノーマンが配属された、と言ってコリアーのもとにやってきた。信仰心篤いノーマンに不安を抱きながら、次の戦闘に乗り出していくと、4台の戦車を繰り出した軍団のリーダーがドイツ軍の攻撃で殺されてしまい、コリアーは軍団のリーダーを務めることとなる。敵の包囲のなか、なんとかほぼ敵を殲滅させるに至り、コリアー軍曹は捕虜としてとらえたドイツ兵をノーマンに殺すように命じるが、ノーマンは頑として応じず、やむを得ずノーマンを羽交い絞めにして、ピストルを無理矢理握らせ、引き金を引いてドイツ兵を殺すこととなる。

 その違和感を引きずったまま、ドイツのとある街に侵攻し、そこでコリアーはノーマンと2階に潜むドイツ人の伯母と姪と親密な時を過ごすに至り、2人のわだかまりが溶けていく。ただ、そこへ戦車の仲間が現われて一瞬険悪な雰囲気となるが、すぐに出撃命令が出て、戦車に乗り込んだ途端、ドイツ軍の空襲があり、ドイツ人女性はあえなく戦死を遂げてしまう。

 そんな感傷を抱いたまま、新たな出撃に乗り出したところ、ドイツ軍戦車と遭遇し、軍団の戦車3台が炎上し、ヒューリー号はたった1台だけ生き残ることとなる。それでも命令通りの場所に到着したところ、地雷を踏んで車輪を損傷し、立ち往生してしまう。そこで修理をしている最中、ドイツSS部隊がやってくるのを発見し、コリアー軍曹は敵を迎え撃つことを主張し、ノーマンはこれに同調し、残る3人も戦車内に乗り込み、300人もの敵と一戦交えることとなる。最初は目論み通りの成果をあhげるものの、そのうちに砲弾が尽きて、最後はあえなくほぼ全員は討ち死にすることとなる。ただ、ノーマンは脱出口から外に抜け出し、気がついたら翌朝になっていて、味方に「英雄だよ」と言って救い出されていた。

 栄光の勝利の裏にこんな悲劇があったという実話に基づいた作品で、最後まで手に汗握る展開の連続で、2枚目俳優のブラッド・ピットが薄汚れた兵士役を見事に演じきっていた。SWATなどを監督したデヴィッド・エアーという軍隊上がりの監督・脚本になる、というが、戦争の悲惨さを訴えた作品といえそうだ。

 

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世代交代を印象づけた初春大歌舞伎だが、どこでも拍手が出てやや閉口した

2015-01-06 | Weblog

 6日は東京・銀座の歌舞伎座へ初春大歌舞伎を観賞に行った。午前11時からの昼の部の幕開けは「祇園祭礼信仰記金閣寺」と題した戦国時代の松永大膳が将軍足利義輝の母の慶寿院尼を金閣寺の最上階に幽閉し、さらに思いを寄せる雪姫をも閉じ込め、天下を狙う野望を果たそうとする一幕だが、大膳に味方すると偽って金閣寺に入り込んだ此下東吉の活躍によって見事に裏切られる。きらびやかな金閣寺を舞台に華やかに着飾った武将が入れ替わり所作を披露してくれ、正月気分に浸らせてくれた。

 松永大膳を市川染五郎、此下東吉を中村勘九郎、雪姫を中村七之助が演じ、いまや歌舞伎界はすっかり若返ってしまい、中堅から若手が主役級を務めている。時代は変わったことをつくづく感じさせた。「金閣寺」ではこの3人が堂々と主役を演じ切って、観客をうならせた。大膳を囲碁で打ち負かした東吉が井戸を覗いて碁盤の上に鼠らしきものを登らせ、たたらを踏んで大膳に献上したり、縛られた雪姫がサクラの花びらを集めて足で鼠を描き、その鼠が綱をかみ切ることで、解き放たれ、囚われた夫のもとに駆けつけるあたり、大きな拍手を浴びていた。

 続いて公演された「「蜘蛛の拍子舞」では染五郎、勘九郎、七之助に坂東玉三郎が加わってさらに華やかな演し物となった。「金閣寺」では雪姫を演じた七之助が今度は得意の女形でなく源頼光を演じ、女形では大先輩の玉三郎を目の前に自ら演じる女形との差を感じながら演じるという役回りとなった。妖艶な玉三郎には及ばないと感じたのか、葛城山女郎蜘蛛の精を演じた玉三郎に一歩引いて迫っている感じがした。染五郎が最後に坂田金時役で登場し、わずか3分ですっかり主役の座を奪ってしまった。

 最後の演し物は長谷川伸作の「一本刀土俵入り」で、若い褌担ぎの相撲取りを松本幸四郎が好演した。水戸街道の宿場町、取手の宿場で地元の暴れん坊に絡まれた取的の駒形茂兵衛が頭突きで倒してしまい、それを宿場の2階から見ていた酌婦のお蔦が茂兵衛の身の上話を聞いて、「横綱になるんだよ」と諭して金品を恵んでやる。それを一生、恩にきて、10年後に取手の宿場にやってきた茂兵衛がやくざに追われる男の女房となっているお蔦に恩返しをする。原作通りなのか歌舞伎風にアレンジしているのかよくわからないが、わかりやすく楽しめた演目であった。

 ただ、全体に幕が開いたり、閉まったりするだけで拍手が湧くなどいつもの歌舞伎座らしくない場の雰囲気には最後まで違和感が残った。正月なので、歌舞伎を初めて見るような客が大勢いたのかもしれないが、折角いい場面で拍手したいと思っても、そう簡単に拍手が出るようではこちらの意向が伝わらない不満が残った。

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ソニーのウォークマンの消費者対応に疑問あり、携帯電話のそれを見習うべし

2015-01-05 | Weblog

 年末にフィリピンへ行くに際し、ソニーのウォークマンがあることを思い出して4年ぶりに充電し、向こうで暇なときに聞けるように持参した。ところが、現地でスイッチを入れてみたら、もう電池切れで、ウンともスーとも言わず全く聞くことができなかった。当然パソコンも持参しなかったので、フィリピンでは全くウォークマンを聞くことができなかった。だから、トランクに入れて持参はしたものの、そのまま持ち帰ってきてしまった。確か、マニュアルには「長く使っていないと最初に充電では充分ではなく、何度も充電して使うように」と書いてあったような気がして、全くその通りになってしまったわけだ。

 そのウォークマンは子どもたちから数年前の誕生日プレゼントにもらったもので、もらった当初は好きな歌手の曲を入れて、重宝していたのだが、耳にイヤーフォンをかけていると耳の中を痛めるようなことがあって、ずっと遠ざかっていた。最近は耳の具合いもよくなってきたし、旅先で時間を持て余すようなことも出てきそうな感じがして、またウォークマンに親しんでみよう、という気になってきた。

 それでフィリピンから帰国した日に改めて当該ウォークマン、ソニーの「NW-S636F」の取扱説明書を取り出して見てみると、充電の方法については書いてあるが、電池(バッテリー)の寿命とか、取り替え方法についてはなんの説明もない。で、取扱説明書の巻末に使い方相談窓口が記載してあったので、そこへ電話すると、「電池が劣化している可能性がある」という。で、対処方法を聞くと、修理を依頼するしかない、という。つまり、電池の取り替えである。ただ、当該機種はもう生産していないので、電池交換は5800円と買い替えの半分近くになるという。

 電池の価格がそんなに高いのは合点がいかないが、もう生産していない機種であるとなれば仕方のないところかもしれない。ただ、電池交換については購入者がもっと手軽に交換できるような仕組みにしておいた方がいいのではなかろうか。携帯電話の電池は1500円くらいで購入でき、簡単に交換できる。携帯電話の普及台数とウォークマンのそれとでは圧倒的に異なるので、携帯電話並みにはいかないのだろう。

 買い替えとなるとそれまで好きな歌手の曲をパソコン経由でインストールしていて、ちょっとしたコンサートが開けていたのがパーとなる。クラシックから演歌までざっと2、300曲は入っていて、その入力にどれくらい時間がかかったのか記憶がないものの、いざ再度そうした手間をかけるのにうんざりする。それで、再度使い方相談室に電話して、尋ねたところ廃棄するウォークマンのデータベースをそのまま新しいウォークマンに移設できるということだったが、パソコン経由でしかも自分でやるのだ、という。その手順を聞いたが、ちょっと面倒そうで、ここでも携帯電話の電話帳を移設するような具合いにはいかないようだった。

 ウォークマンそのものは市場に登場して以来、圧倒的にソニーが支配しているが、対消費者についてはそれほど親切とは言えないようだ。ソニーがかつての栄光からすっかり落ちぶれているのもこんなことろに原因がありそうだ。

 

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フィリピン人の逞しい生活力に圧倒され、格段に開発が進む姿に目を瞠らされた

2015-01-02 | Weblog

 年末の22日から10日間、縁あってフィリピンへ行っていた。フィリピンを訪れるのは4年前に続いて2回目だったが、行く度にフィリピン人の逞しさには驚かされるし、都心のマニラは開発がより進んでいるのに目を瞠らされた。今回はマニラから南下してミンドロ島のプエルトガレラという保養地に滞在して海底散策を楽しむという予定だったが、滞在している間中、雨にたたられ、ほとんど手近なところへのドライブとなったうえ、地元の食材が口に合わず、おまけに風邪を引いてしまい、最後は逃げるようにして帰国の途についた。

 プエルトガレラへはマニラから車で約2時間のバタンガス港からフェリーで行くはずだったが、港に撞いたら「フェリーは満員」とのことで、やむなく車からトランクを降ろし、各自がトランクなど荷物を担いで50人乗りくらいのボートに乗り込んだ。ところが、そのボートは人はともかく荷物を積み込めるような構造になっていなくて、狭い木製のタラップを重いトランクをひきずりながら乗り込むのは並大抵のことではなく、乗ってからもトランクなど荷物を揺れないように積み直すことをしてようやく出発となった。出発したときには日も暮れていて、すでに真っ暗な状態のなか約1時間海上を走り、プエルトガレラに着いた。で、下船となってトランク類を運び出すのがまた一苦労で、荷物運びに2往復させられ、すっかり草臥れてしまった。

 予約したホテルは着いた港から2、3キロあるとのことで、気の利いたタクシーなど見当たらず、荷台付きオートバイをチャーターして、なんとかホテルにたどり着いた。通された部屋に入ると、目の前に海が見え、プライベートビーチが見え、日本から丸2日かかえてたどり着いたリゾートは天国のように感じられ、苦労して来たかいがあると思わせた。日本でプライベートビーチのあるホテルに泊まることは最高の贅沢で、フィリピンだからこそ手軽に味わえる楽しみといえる、と思った。

 ところが、その翌日から思ったように空は晴れず、ずっと雨模様の状態で、日本の冬からみれば暖かいはずのフィリピンが寝るのに毛布は欠かせず、フェリーへの乗り降りでの荷物運びの疲労が出てきて、風邪を引くこととなってしまった。微熱が収まったと思ったら、後頭部に神経痛が出てとても海底散策を楽しむどころではなくなってしまった。

 それでも4日後にはようやく空が晴れて、プエルトゲレロのサバーンからモーターボートで周辺のきれいなビーチに行くことができるようになった。モーターボートはロングビーチなど10カ所くらいの小さなビーチへ連れていってくれ、そこでシュノーケルを着けて海底付近を泳ぐ魚や海鼠などを見て楽しむことができる。その間、モーターボートは待機していて、ずっとアテンドしてくれる。いずれのビーチとも海は底まで澄んでいて、上から見通すことができ、なかには遠浅のところもあり、泳いでいても飽きない。

 この日は夜も空は澄んでいて、真夜中には満天に星は満ちていた。日本の長野の山奥などでこんな風景は見られるが、これほど多くの星が眺められるのはまうzない。まるで天の川を見ているような趣きがあった。

 ただ、晴れたのはわずか1、2日だけでフィリピンはまた雨季のようなどんよりした空模様に変わってしまい、帰国の時を迎えてしまった。最初にマニラに着いた時に機内で夕食に出されたカレーライスを無理して食べたことからお腹の調子を悪くして、税関の前に吐いてしまい、それが尾を引いてフィリピンの料理を受け付けなくしてしまったようで、東南アジアの食材の匂いを嗅ぐとどうしても箸が進まなくなってなってしまった。帰国の途に着き、マニラで一泊した際にも中華料理か、イタリア料理が食べたくなり、結局日本からマニラ都心に進出したラーメン店の暖簾をくぐり、フィリピンにしては高い400ペソ(日本円約1200円)のラーメンを食べた。それでもフィリピン人を中心に大賑わいとなっていたことに驚いた。

 フィリピンは年中暖かいからか、路上に着のみ着のまま寝ている人がゴロゴロいるのに驚いた。食べるものにしても貪欲になんでも食べるといった感じだし、逞しく生きていることに驚かされる。ただ、見た感じ清潔ではないが、そんなこおtに頓着しない。ホテルにいてもティッシュペーパーなどは供給されないし、コンビニやスーパーで売っているティッシュペーパーの価格は日本より高い。野菜や果物も決して安くはない。街中を行き交う交通手段はタクシーのほかどこへ行くのかわからない乗合バスがあるきりで、地方に行くと三輪オートバイしかない。マニラ都心部ではひっきりなしに建築工事が進んでいるし、4年前に比べるとマニラ中心部の交通渋滞はやや解消に向かっている感じがした。

 人口1億人といわれるフィリピンは確実に住みやすくはなってきている。指導者が適切な開発を進めさえすれば、よりよい街になっていく可能性はありそうだ。

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