鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

美術の一大集積地となった六本木

2007-04-30 | Weblog
 連休の29日は2月に完成なった東京・六本木の新国立美術館へ行った。地下鉄千代田線の乃木坂駅の6番出口を地上へ出るとそこは新東京美術館の入口で、美術展のチケット売り場がすぐ横にある。同時に2つの美術展を開催しており、一緒にチケットを買うと3000円のところ、200円割引する、となっている。しかし、2つもハシゴする気はないので、1人1500円也でお目当てのモネ展のチケットを買い求める。丁度お昼時とあって、入場まで20分待ちということだ。なぜか、モネはじめフランス19世紀の印象派の画家は日本人に人気があるようだ。
 15分くらい待って、中へ入ると、入場前の4列のまま絵画観鑑賞するといった感じで、超満員。人の頭越しにチラチラと絵を眺めながら、通り過ぎていくしかない。とてもやったりとタイトル、制作年、所蔵者をじっくりと見ている余裕はない。一番前に出ればよく見られるのだが、牛歩の歩みで絵を見ているとイライラしてくる。モネの絵でも、なかには一目見るだけで十分の絵もあるからだ。絵心ある人なら、構図から絵筆のタッチや、色使いなど十二分に時間をかけて鑑賞するのだろうが、残念ながらそこまでの絵心はない。
 それでも見慣れた睡蓮の絵や、日傘の女性などモネの絵を見るとホッとする。昔、中学校の先生にこうした美術展で、一つだけいい絵を見ればそれで十分、と聞いたことがある。それでいけば、今回は「モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭」がなぜか気に入った。パリがお祭りで賑わう雰囲気がよく出ていて、いい絵だ、と思った。帰りがけに即売コーナーでそのパリ祝祭の絵のA3サイズの複製画を購入し、家に持ち帰って、額に入れて飾ることにした。
 出口に近いところで「モネを訪ねた日本人」と称して、モネに関わった日本人の消息が展示してあり、そのなかに30年くらい前に仕事でお世話になった人の名前があったのにはびっくりした。久我太郎といって石油会社の役員をしていた人で、小さい時に父親とパリに居たことがあり、モネとの親交を絵にしていた、というわけだ。嬉しい発見であった。
 ともあれ、六本木にはこの新国立美術館と東京ミッドタウンにサントリー美術館、そして、六本木ヒルズに森美術館と上野に対抗して一挙に一大美術地域が誕生したことになる。確か日展が今年からこの新国立美術館で開催されることにあんっている、と聞いている。六本木が夜の街から昼・夜の街へ確実に変わりつつある、ということか。
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世界初の上演「きれいな肌」

2007-04-29 | Weblog
 東京・オペラ劇場でロンドン在住のパキスタン系イギリス人劇作家、シャン・カーンの「きれいな肌」の舞台を見た。世界初演と銘打っているので、別に日本初演でもいいのにと思っていたが、見終わってその意味がわかった。民族間の微妙な問題を扱っているので、単一民族の日本ではさらりと上演できるが、多民族の集まっているロンドンあたりで上演されたら、それこそ人権団体がうるさくて寝た子を起こすようなことになりかねないだろう。登場する3人の役者は熱演していたが、悪役にされた民族の人が見たらどう思うのか、と思うと複雑な気になり、後味のよくない演劇であった。
 ところは英国のとある町の公営住宅に息子と2人で住む母親が買い物から家に帰ってきた場面から始まる。貧しい世帯のなかで、宝くじとラジオの懸賞の僥倖にありつけないか、と思っている母親とかつてサッカー選手でいまは反イスラムの運動に力を入れている息子の平和な家庭である。そこへ薬付けのジャンキーで家を飛び出した姉娘がこともあろうにイスラム教徒の姿で帰ってくる。
 母子は必死に追い出そうとするが、娘は居座り、なんとか対話を図ろうとする。そして、遂には出て行った父親とロンドンで会ったことを打ち明け、息子に宛てた父親の手紙と写真を持ち出す。その写真を観た息子は母親から白人のクリスチャンと聞かされていたのと全く違うその姿を見て、半狂乱に陥る。そして、母親に父親だと聞かされていた白人の写真の額を取り出し、どちらが本当の父親か、と迫る。
 困った母親は無言で押し黙るが、最後は本当のことを告白する。それを聞いた息子は母親を殴り、姉と3人が揉み合って倒れたところで幕となる。
 タイトルのきれいな肌の意味が最後になってわかる。ただ イスラム教徒を憎むその歴史的背景がよくわからない日本人にはこの演劇のシリアスさがよく伝わってこないし、娘がどうしてイスラム教徒になったのかも説明不足の感じがする。
 それでもいい加減な母親の味を出していた銀粉蝶というおそらくアングラ出身の女優と息子役の北村有起哉、娘役の中島朋子の3人は大声出しての熱演であった。28日が最終公演だったので、何回もカーテンコールしていたのが印象的だった。
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大人の雰囲気の新丸ビル

2007-04-28 | Weblog
 27日オープンした東京・丸の内の新丸ビルを早速のぞいてみた。午前11時オープンの少し後だったので、懸念した混雑に見舞われることなく、スムーズに店内を見回ることができた。チャコールの木目調のフロアで、要所要所にゆっくり座ってくつろげる豪華なソファーが置いてあることもあって、どっしりと落ち着いた雰囲気に好感がもてる。隣の丸ビルと並んで丸の内ショッピング施設を形成することになり、東京の新名所となろう。
 27日の新聞各紙に一面広告で新丸ビルオープンの宣伝をしており、2、3日前からテレビで施設内の見どころといった特集を組んでいたので、ざっとはわかっていたが、やはり来て体験してみないことにはわからないことも多い。店舗は153あるが、ルイ・ヴイトンやカルティエなどいわゆるブランドショップがないことがいい。いま流行りのバナナ・リパブリックやBEAMSはあるが、あとはそれほど著名な店はなく、帽子のCA4LA、和風文具の鳩居堂、箸の銀座夏野などその分野では特異なお店が顔をそろえている。鳩居堂は確か、以前丸ビルか、旧丸ビルのどちらかにお店を構えていたので、復活ということになる。
 3階の一角にマルノウチボーテと称する化粧品、ネイルサロンが立ち並ぶコーナーがあるのは壮観である。また、7階の丸の内ハウスなるフロアーは全体が屋台といった感じで、帰りがけに一杯ひっかけていく、気楽な飲食ゾーンとあんっている。5階のレストランフロアーに昔懐かしいホルモン焼きの「日本再生酒場」という飲み屋があるのが面白い。仕事帰りであんくとも一杯飲みたくなってくる。
 7階の丸の内ハウスの周囲は屋上テラスとなっているし、3階にもゆったりと座れる休憩スペースがあるし、7階には女性専用のお休み処を設けているのもいい。
 東京駅前の地下駐車場の上にテント張りの特設会場を設け、新丸ビル完成記念で、歌舞伎の鏡獅子の舞いを行っていて、帰りについでにのぞいた丸ビルの一階の大型スクリーンで中継をしていた。道路を挟んで並び立つ丸ビルと新丸ビルの共同イベントがこれからも行われ、相乗効果を発揮しそうだ。
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米国でも新聞社の経営難

2007-04-27 | Weblog
 26日付けの朝日新聞によると、07年1-3月期の米国の主要新聞社5社の業績はインターネットに押されていずれも減益で、なかにはトリビューン社のように赤字に転落したところもあるほどで、日本だけではない新聞社の経営難がグローバルに進んでいることを物語っている。米国の場合は新聞社は上場しているので、身売りを含めた再編成が急速に進むものとも見られている。
 主要5社のうちUSAトゥデイを発行するガネット社は売上高18億7100万ドルに対し、当期損益は2億1000万ドルと比較的好調にみえるが、前年同期に比べ売上では1%の、利益では11%のそれぞれ減少となっている。あとはトリビューン社が12億1400万ドルの売上に対し1500万ドルの赤字、ニューヨーク・タイムズ社は7億8000万ドルに対し2300万ドルの当期利益で前年同期比26%減、マイアミ・ヘラルド紙を発行するマクラッチー社は5億6600万ドルに対しわずか900万ドルの利益で実に67%の減、ウォールストリート・ジャーナル紙を発行するダウ・ジョーンズ社は5億700万ドルに対し、2200万ドルの利益でこれも63%もの大幅減となっている。いずれもインターネットの普及で広告、販売収入とも低迷しているため、と見られている。ニューヨーク・タイムズ社のネット事業の収入は22%増と増えてはいるが、総収入に占める割合が1割にもならず、広告収入の減少を補うまでには至っていない。
 ダウ・ジョーンズ社はいち早くインターネット時代に対応してネットで新聞が読める戦略を打ち出し、ネット読者の何%かを購読者数に加えるとの合理的な指標まで編み出したのに、そのダウ・ジョーンズ社ですら苦戦している。米国の場合は日本のように全国紙といえる新聞はなく、ほとんどがローカル紙でもともと規模の利益を追求することはできない体質になっている。
 すでに業界2位だったナイトリッダー社は昨年、大株主の投資会社の要請でマクラッチー社の傘下に入った。トリビューン社も有力投資家の買収提案を受け入れ、株式非上場となるうえ、傘下のロサンゼルスタイムズとシカゴ・トリビューンでは人員削減を含む大幅なリストラが実施されることになっている。
 日本の新聞社は株式上場しているところはないので、目下のところ、米国ほどドラスティックな再編劇が行われていないが、いずれ明日はわが身の状況に追い込まれるのは避けられないだろう。
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厄介な「私が主役」

2007-04-26 | Weblog
 某社の役員をしている知人の奥さんの話である。あるパーティがあって夫婦で出席することになり、奥さんがイブニングドレスを着たのはいいが、それに合う装身具で適当なものがない。首飾りはあるにはあるが、短かったり、まがい物の石だったりしてどうもしっくりこない。仕方ないから、その場はまがい物でごまかしたが、目利きの知り合いの知れやしないか、と冷や冷やものだった。これに懲りた知人は年相応の宝石を買うことに決め、馴染みの宝石店に夫婦そろって出掛け、月収の60%を上回る額の宝石を購入した。日頃はそんな高いものを買ったことはなかっただけに当の奥さんは天にも昇らんばかりに大悦びした。
 ところが、夫婦そろってのパーティなどそんなしょっちゅうあるわけではない。高価な宝石を買ったはいいが、元来社交家ではない知人はそれをつけてお出掛けする機会がなく、宝の持ち腐れになってしまった。そこで、知人は宝石をつけて出かけられる機会といsて、オペラ観賞を思い立ち、1人2万1千円也のチケットを購入した。
 で、春のさる日、知人夫婦は着飾ってオペラ観賞に赴いた。奥さんはもちろん、胸元に買ったばかりの宝石をつけ、これ見よがしに颯爽としたスタイルで、意気揚々たうものだった。盛装してオペラ見物は小説や映画などでお目にかかるシーンでもある。
 知人はオペラ劇場へ行ってみて、周囲を見渡してみて、それほど着飾った人がいるわけではないことに驚いた。休憩時間にロビーに佇んでいると、なかには凄いイブニングドレスを着た人がチラホラいるが、そんなには例外である。しまった、とは思ったが、当の本人はすっかり舞い上がっていて、そんなことには気付かない。舞台の上でソプラノで歌い踊っているヒロインより、今日の主役は私だ、と言わんばかり。オペラの中身より、周囲の注目を集めているとばかり、思い込んでいる。注目を集めるといっても1億円もする宝石ではないので、たかが知れているのだが、本人はそうは思わない。
 知人としてはさりげなくつけていて、そっとしていてほしいのに、奥さんは夫も見てくれない、とむくれる始末。女にとって宝石というものは魔物で、ひとつの宝石が人をこんなに変えるものか、と思い知った。そして買ったことが失敗だったのではと思うほどに至った。
 知人の家の消費生活がその後どういう経過を辿ったか、知らないが、生活レベルを一挙に上げるとその反動が怖いということだけは確かなようだ。
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勘違いしていないか、松坂、井川

2007-04-25 | Weblog
 米メジャーリーグが開幕して1カ月、注目のレッドソックスの、松坂大輔とヤンキースの井川慶両投手の評価がほぼ定まってきたようだ。いずれも3、4番手の先発ローテーションには入っているものの、ここまで松坂は2勝2敗、井川は1勝1敗と健闘はしているものの、内容は結構打たれていて、かろうじて勝ちを拾っているような状態で、決して先発の役目を果たしているとはいえない。両投手とも日本ではエースといsて活躍していたそのままで米メジャーリーグでも同じように活躍できる、と思っているようだが、どうやら甘い考えのようだった。松坂の場合、100億円もの大枚をはたいているだけにこのままではバッシングすら起こりかねない。
 松坂、井川とも直近の投球では先発で6、7点もの大量失点で、先発投手といsてはお粗末の一語に尽きる。松坂はたまたまチームがそれ以上の得点をしたため、勝利投手となっているが、実質は敗戦投手である。これまでの戦績も松坂は初戦こそ相手を1失点に抑え、勝利投手となったものの、相手が格下だったことも大きい。まあ合格の投球だったのは初戦だけで、以後は毎試合、先取点を取られるお粗末な内容で、井川もほぼ同様である。
 米メジャーの場合、時速158キロの速球を投げ込んでも、いとも簡単にはじきとばされる。日本だったら、まずそんなことはない。松坂はせいぜい時速154キロの直球がマックスであり、直球で相手バッターを抑え込むことはまずできない、と見た方がいいだろう。井川の場合は左投手ということだけで、直球はそんなには速くない。
 とすれば、両投手とも日本で行っていた直球主体の投球方法でなく、コーナーをつくコントロ-ル主体の投法に切り替えた方がいいだろう。直球はごくたまに投げる程度で、変化球中心にする、それもカーブ、シュート、フォークなど変幻自在に投げ分ける投球術を身につけるしかないのだろう。日本だったら、ど真ん中に直球を投げ込んでもそんなには打たれないが、メジャーだとまずスタンドまで持っていかれてしまう。失投が本当に失投になってしまう、それだけレベルが高い、ということなのだろう。
 1試合100球前後投げるとして、全部気の抜けない球を投げないといけないのだから、疲れることだろう。しかもメジャーは日本の「ように中6日でなく中4日で投球しなければならない。
 昨年春のワールド・ベースボール・クラシックでたまたま日本チームが幸運も見方して優勝し、ついでに松坂がMVPとなったため、日本とメジャーの実力がぐんと縮ったような錯覚が起きたようであるが、とんでもない。野球をするための基礎体力がまず違う。だから、真正面からぶつかりあったら、簡単にはじき飛ばされてしまう。そんな基本的なことが今回、改めてわかった、ということだろう。
 打者にしてもこのところ松井秀喜にしろ、岩村明憲にしろ、日本では故障もしなかったスーパースターが足の筋やお腹を痛めて故障者リスト入りした。日本より重い球を毎日打ちこなしているうちに思わぬところに負担がかり、思わぬ故障を起こしているようで、これなども彼我の基礎体力の差があると思えてならない。真正面から力と力でぶつかろうとするとこんなことになる。イチローは言ってみれば、変則のやり方でメジャーに溶け込んでいるので、松坂、井川もこの方式を見習うべきだろう。
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春まだき、隣は何する人ぞ

2007-04-24 | Weblog
 昨日、家に帰るとドアノブに回覧板がかけたままになっていた。中に人がいるのになぜ、と思いながら、わずか23軒まわるのに2週間もかかる理由がわかった。一声かければ済むのに、それもしないで、居ようが居まいがドアノブにかけたままにしておく。無機質な現代の近所付き合いの有り様が回覧板の回し方に象徴されている。
 我が家は9階建てマンションの最上階で、月に1回、回覧板は1階から回ってくる。内容は市や町内会のお知らせなど他愛のないものばかりだが、時には面白そうな催しの案内もあるが、よくもう終わってしまっていることがあった。閲覧した日付けを書き込むようになっていて、最初のをみると2週間も前だったりする。どうしてこんなにかかるのか、と不思議に思ってよく見ると、2日も3日も間を置いている家がある。きっと留守でもそのままにしてあるのだろう。昨日、ドアノブに回覧板がかけてあるのを見て、理由がわかった。
 名古屋の長屋で生まれ育った鈍想愚感子の経験によると、回覧板はみんな順番に声かけて手渡しして、そのついでに町のいろいろなことを話していくので、隣近所にどういう人が住んでいて、何をしているか、お互いに知っていた。長屋という開放的な構造がなせる技なのか、それだけ暇だったのか、よくわからないが隣近所はもっと親密にお付き合いしていた。
 ところが、いまはマンション住まいのせいか、隣に誰が住んでいるか、顔すら見たことがなければ、ろくに挨拶もしない。たまたま同じマンションに住んでいるだけで、コンクリートジャングル、都会の中の孤独、といった感じである。こんなことでは隣に泥棒が入っても、それこそいま流行りのドメスティック・バイオレンスで大変なことが起きていようが、知ったことではないだろう。
 江戸時代には人別帳や五人組なるもので、お互い監視しあうような制度をつくって、町に不審な人が入り込まないようにしていたが、いまはとてもそんなことにはなっていない。行き過ぎた個人情報保護もあって、ますます現代社会はお互いの関係が疎遠なものになりつつある。
 2,3日前に北陸地方のJR車内で、乗客の若い女性を衆人監視の中、無理矢理トイレに連れ込んで乱暴した、という破天荒な事件が報道され、新聞テレビで大きく報道されていたが、これなどその最たるものだろう。被害に遭った女性も女性かもしれないが、見知らぬ者同士のJR車内での事故について我関せず、との態度をとるのはいまに始まったことではない。暴力団員への怖さに加え、一部始終をみているわけではないので、ひょっとしたら知り合い同士の痴話喧嘩かもしれない、と思うとなかなか車掌にも通報しづらいものだろう。勇気を持って被害者の救済をすべきなのだろうが、そんな勇気のある人はなかなかいない。
 こんな無茶苦茶なことが許されていいはずはないのだが、時代の流れというか、一人一人が心して改善していくしかないのだろう。
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行きつけの店が無くなった

2007-04-23 | Weblog
 昨22日は富士山の見える「フジビュースタンド」が完成し、新装なった東京・府中の東京競馬場へ出かけてみた。いつも午前9時半頃には観客席はほぼ埋まってしまっているのだが、新しいスタンドの新設で、収容能力が増したせいか、土曜日のようにいつもの席が確保できた。それはいいのだが、パドックで見る馬の歩様にいまひとつピンとくるものがない。こちらの眼識が鈍ったせいか、馬体から発するオーラがいまひとつ伝わってこない。午前中の新馬戦で素晴らしく馬体のいい馬がいたので、単勝馬券を買ったが、後方を進むだけでいいところなく終わった。その感じは最終レースまで続いた。わずかに場外の福島競馬場のメインレースで人気薄の馬が勝ち、その馬は買ったのだが、ヒモを間違えて馬券は取れなかったのがあった程度で、惨敗であった。
 午前中のレースの合い間にフジビュースタンドまで散歩してみたら、オープン記念ということで、様々なイベントをしていた。歴代の名馬の写真を図柄にした記念切手も売っていた。馬券さえ売っていなければ、どこの遊園地か、と思うほどの設備を備えていて、土日曜日だけの開催がもったいないくらいだ。スタンド側に回ってみると、中央の観客席でまだ空いているところがあった。この時間にだれも空いているとは思わないほどのいい席であった。まだ、オープンしたばかりで、知られていないのだろう。
 昼前になったので、コンビニでおにぎりでも買おう、と思って行くと、結構売り切れていて、おにぎり2つと漬物くらいしか買えなかった。それを頬張っていると、お昼休みのアトラクションとして、馬場の手前の広場で有名人による「メインレースの展望」をしていた。見るともなく眺めていると、なんと野球解説者の山本浩二と田淵幸一が出演していた。田淵は「東京競馬場へ来るのは初めて」と言っていたが、場違いなゲストという印象は否めなかった。
 午後、どうも眠いので、いつも行きつけのコーヒーでも飲もうとパドック横の「耕一路」を探すが、見当たらない。いつも客がなく、淋しい感じがしていたが、最近は来る度に一杯コーヒーを飲んでいた。一杯270円で、昔ながらのネルの袋でドリップして淹れてくれる美味しい味であった。フジビュースタンド完成の新装開店を機に撤収してしまったのだろう。密かなファンとしては残念なことである。東京競馬場へ来る楽しみのひとつがなくなってしまった。
 全然当たらないから、帰ろうかな、と思って最終レースの馬券を買って、出口の方へ歩き出したら、ショップが目に入ったので、覗いて見ると、鞭を売っていたので、なんとなく気に入って買ってしまった。で、スポーツ新聞を見ると、最終レースの後に「ジョッキーズマスターズ」と称して、かつて競馬場を湧かせたベテラン騎手9人による1600メートルのレースが組まれている。馬券は売らないので、最後は観戦するのは遠慮した。河内洋が優勝し、観衆の喝采を浴びたようであるが、日本中央競馬会もイキなことをするものだ。
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ややちぐはぐなオペラ「西部の娘」

2007-04-22 | Weblog
 21日は新国立劇場でプッチーニのオペラ「西部の娘」を観賞した。プッチーニがゴールドラッシュに沸く時代の米国カリフォルニアを舞台とした隠れた名作との触れ込みであったが、舞台装置と衣装をけちったせいか、いつのどこのオペラかわかり難い感じとなり、途中で宝塚の歌劇を見ているような気持ちとなってきた。終わって、いつものようにカーテンコールはあったものの、1人1人登場するカーテンコールはなく、並みの作品との印象は免れなかった。
 東京フィルハーモニー交響楽団の演奏開始とともに幕が上がったら、舞台にはまるでどこかの空港を思わせるキャスター付きの荷車を引いた団体旅行客の一団が段ボール箱を積み重ねた前に固まっている。はて、西部の酒場の筈では、と思っていると、どうやらここが酒場の設定のようで、荷車と見えた荷台からお酒を出して酒盛りをしたり、段ボールを台にしてトランプに興じたりして、話が進んでいく。
 オペラらしい華やかさがないな、と思っていたら、一幕の最後に作業着を着たミニーなるヒロインが登場したが、小さくてやや太め、しかもそれほど若くはなく、まるで新劇の新進俳優といった感じであった。
 二幕になってヒロインは白いドレスに着替えたが、それでも華やかさは出ない。恋人のジョンソンとラブシーンを演じるが、ジョンソンも作業着なので、胸ときめく感じは出ない。盗賊の一味として追われるジョンソンは恋敵の保安官に撃たれ、ミニーの家に逃げ込んでくる。しかし、ミニーの機転で一旦は窮地を逃れるものの、再度街の人々に捕まり、縛り首にされようとする。
 そこへ登場したミニーが2人に愛を訴え、助けを乞い、最後には2人の新天地への旅立ちを認める、めでたしめでたしの物語である。
 筋立てにやや無理なところがあるのと、大道具が段ボールの箱だけでやや不満である。それにその他大勢の街の人々の服装もゴールドラッシュ時の米国西部のものではない。どこか現代のハワイの服装といった感じで不満であった。
 オペラそのものも時々いいな、というものがあった程度で、並みであった。オペラも数ある作品のすべてが一級品というわけでもないのだろう。オペラ歌手もしかりだろう。それでいくと、今回は作品も登場歌手も並みの水準だったのかもしれない。
 これでは前回見た「さまよえるオランダ人」の感激がどこかに飛んでしまうのが残念である。
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一気に読ませる東野圭吾「幻夜」

2007-04-21 | Weblog
 直木賞作家、東野圭吾の「幻夜」を読んだ。テレビドラマにもなった白夜行の続編ともいえる現代のピカレスクで、幾層にも入り組んだ蜘蛛の糸を辿るような展開に引きずり込まれ、次ぎはどうなるのか、と思いながら一気に読みきったしまった。阪神大震災をきっかけに知り合った男女が犯罪を繰り返しながら、現代社会の頂点へ登りつめていく様相を描いている。そんなにうまくいくのかな、と思いながら、ついつい読み進んでしまった習作である。
 1995年、阪神大震災と地下鉄サリン事件のあった世相のなか、焼け出された倒壊家屋の横で息絶えそうだった叔父を瓦で殴って殺した主人公を後ろからみていたヒロインが実は友人の名を騙って、新たな人生をやり直そうと企んでいる悪の化身であった。そうとは知らない主人公はヒロインの言葉巧みな誘惑に乗って次から次へと悪事を積み重ねる。
 最初は宝石店のフロアー店長をストーカーに陥れ、次いでカリスマ美容員を篭絡して美容会社を設立し、社長におさまる。そして、元の宝石店の社長と知り合いになり、ちゃっかり結婚する。その間、名を借りた父親の部下が渡したいものがある、と言って近づいてきたのを主人公にうまく頼んで殺してしまう。そして、今度は出生の秘密をかぎつけた夫の姉をなんとか黙らせようと策をこらす。
 ここまでヒロインのいいなりだった主人公はあるきっかけで真相を知ることとなり、最後はヒロインを殺そうと決意するが、同じようにヒロインを追及しっていた刑事と関わり、拳銃が暴発して2人とも死んでしまう。ヒロインはすんでのところで、生き延びる。悪は栄える、というわけだ。
 直木賞を受賞した「容疑者Xの献身」でもそうだったが、東野圭吾の小説は何重にも張り巡らされた推理をもとに組み立てられているので、読んでいてついつい引きずり込まれる。テンポもいいし、登場人物の心理の動きが実に細やかに描かれるので、自然と頭に入ってくる。筋立てもあとで考えるとこんなにうまくいきのかな、とも思わせるが、読んでいる時はなるほど、なるほどと思って読み進んでしまう。白夜行の筋立ては忘れてしまったが、よく似ているといえば、そうだ。「幻夜」の解説で黒川博行が第3部に期待、と書いていた。今度は六本木ヒルズを舞台にITバンチャーの社長のピカレスク小説でも読みたいものだ。
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